学校が終わってから、わたしはセオドアの元に足を運んだ。
彼と2人きりで話すのは、これが初めてだった。
わたしの心には緊張と嬉しさと不安が混在していて、正直何をどう説明したのか覚えていない。
覚えているのは、彼が笑顔で応対してくれて、わたしの話に耳を傾けてくれた、ということ。
ぎこちないわたしの話を、しっかりと聞いてくれたということ。
一通り話した後、捜索隊を集めるから、と彼は言った。
「それはだめ」
わたしは頭を横に振りながら、彼に告げた。
「どうして?」
彼のオリーブ色の瞳が優しく尋ねてくる。
ああ、彼とこうして面と向かって話をしているだけでも信じられないことなのに。
彼はわたしの話を真剣に聞いてくれた。
勘違いだ、とか、気のせいだ、とか、映画の見すぎだ、なんて言葉は彼から出てこなかった。
ただじっと、ときどき頷きを返してくれたりしながら、わたしの話を聞いてくれていた。
思っていたとおりだ。
嬉しかった。
「……だって、夢の話なんて、誰も信じてくれないだろうし……――」
俯き加減に口を開いて、わたしは続ける。
「――それに、本当のことかどうか、分からないし……」
ただ、夢に見ただけだから。
呟いたら、考えるような声が彼の口から漏れ出た。
「確かに最近捜索願は出されていないし、この小さな町じゃ失踪したらすぐに連絡がくると思うけど、それもない。でも、誰かが助けを呼んでいる夢を何回も見ているんだろう?」
彼の瞳が、わたしを覗き込んでくる。
純粋な瞳。
あまりにきれいすぎて、わたしは目を逸らして下を向いた。
「それなら、本当に誰かが助けを求めているのかもしれない。だったら、放っておけないよね」
わたしは下を向いたまま頷いた。
彼は本当に信じてくれたのだ。
戯言だって、一笑に付すことなく。
夢に見たから、それだけの理由なのに。
「分かった。じゃあ、まず僕と君とで探しに行ってみよう。聞いていると君の夢はその人がいるところまでの道筋も詳しく示しているみたいだし。何度も見たなら、実際に行ってみたら分かるかな?」
彼と2人で探しに行く。
そう考えると胸が弾んで、わたしは必死にそれを隠しながら顔を上げた。
「きっと分かるわ」
わたしの目の前で、彼が優しく笑ってくれた。
彼の配慮に申し訳なく思いながらも、わたしは嬉しかった。
本当に、嬉しかった。
ぴしゃり、とどこかで水音が跳ねる。
真っ暗だ。
夢で見ていたのと同じくらい、いえ、それ以上に真っ暗な坑道。
空気は重たくて、冷たくて、ひっそりとしている。
「……これも、予知能力になるのかしら」
どきどきと心臓が鳴る中で、わたしはぼそりと呟いた。
「本当に予知だったら、すごいことだよね」
セオドアの口からは皮肉なんて感じられない。
本当に心からそう思ってくれているのだ。
彼の持つ懐中電灯が、前方を照らす。
光が目の前で大きな円を作る。
「道が分かれているけど、右か左か分かる?」
突き当たりに差しかかったらしい。
わたしはそっと後ろを向いた。
もう、暗闇に呑み込まれてしまっていて、背後に光なんて存在しなかった。
真っ黒な世界に、わたしという存在がどっぷり浸かってしまっている。
でも不思議と怖いと思う気持ちはなかった。
「左、左よ」
「左だね」
確認してから彼は左に折れた。
じゃり、と足元で石の混じった砂が擦れる。
とうとう、ここまで来てしまった。
でも、声は聞こえない。
夢の中でずっとわたしを呼んでいた、あの声が聞こえない。
声が、まだ聞こえてこない。
ひょっとしたら……。
でも彼は何も疑問に思っていないみたいだった。
わたしの前を、足元を確かめながら慎重に進んでいる。
わたしは彼に続いて左に曲がって、懐中電灯の光を前方に移動させた。
坑道の幅が、ずっと奥に行くにつれて細くなっている。
ここだ。
左前方を懐中電灯で照らす。
わたしの光の動きに気づいて、彼も同じところに明かりを持っていく。
左の側面、人が1人入れるくらいに口を開けた暗い穴が存在していた。
炭鉱を使用していた人は、木で土を押さえ、人が通れる空間を保持しようとしていたみたいだけど、もう何十年も前のことだから、木は朽ちてきていた。
一番の支えとして役目を果たしている木は、幾つも亀裂が入っていて、真ん中が細くなっていた。
だから、この木を折ったら、きっと穴は崩れてしまう。
「この――」
出した声が緊張していた。
わたしの前で彼が振り向く。
真っ暗な中にいても、彼の存在は際立っている。
「――この中から、聞こえていたの。……夢の、中では」
へザー、助けてくれ、と、何度も何度も。
その声が、まだ聞こえてこない。
まだ、聞こえてこない。
「この中から?」
わたしが頷く。
セオドアが穴の中を照らす。
何か、見えるのだろうか。
「……誰か、いる?」
問いかけるわたしの先、懐中電灯の向きを様々に変えながら、彼は穴の中の様子を窺った。
「いや。でも一応中を見てくる。君はここで待っていてくれ」
ああ、テディー。
あなたなら、きっとそう言ってくれると思っていた。
わたしは頷いた。彼が穴の中に入っていくのを見送りながら。
彼の懐中電灯の明かりが穴の中に吸い込まれる。
彼の足音が奥深くに遠ざかる。
今。
わたしは坑道の右に用意しておいた斧を手に取った。
心臓がどきどきしていて、手がちょっと震えている。
落ち着いて。落ち着くのよ、へザー。もうすぐ。もうすぐだから。
1回、2回。
3回。
思っていたとおり、木はすぐに崩れた。
土砂の音が大きい。
思っていたよりもずっと多い量の土が、天井から落ちてくる。
大きな音。
わたしはそのまま後ずさった。
背中が坑道の壁に当たる。
土埃くさい。
袖で口元を覆った。
思わず咳込んでしまう。
しばらくして、崩壊の音が止んだ。
ぱらぱら、と名残が落ちてくる。
私は穴に駆け寄った。
懐中電灯を下に置いて、比較的厚みの少なそうなところの土をスコップでどかした。
テディー。
テディー、テディー。
ああ、早くしないと。早く空気を送ってあげないと。
やがてスコップに当たる土の量が減った。
先端が、空気を探る。
よかった。中に通じた。
隙間は思っていたよりも、ずっとずっと小さいものだけど。
「……ハロー?」
恐る恐る、声をかけてみる。
屈んで、そっと覗いてみた。
懐中電灯の光を差し込むと、同じような光が返ってきた。
「よかった。君は無事か?」
ああ、テディー。
わたしのことを気にかけてくれるなんて、なんてやさしい人。
かわいいテディー、あなたはさっきのわたしの行動を見ていなかったのね。
テディー、テディー。
「大丈夫よ」
「よかった。君――」
「へザーよ」
「へザー。悪いけど誰か呼んできてくれないか。君は女性だし、僕1人ではこの土をどけきれそうにない」
そう言って、テディーが手を隙間から差し出してきた。
懸命に、隙間の周りの土をどかそうとしている。
そんなことしなくていいのに。
そんなこと、しなくていいのよ。
「心配ないわ、テディー。ここなら誰も邪魔しにこない。あの女だってやってこない」
坑道を包み込む静寂。
そう、ここにはわたしとテディーしかいない。
「……何だって?」
ちょっと、考える間を置いた後で、彼が尋ねてきた。
そうよね。最初は戸惑うかもしれないわ。
でも。
「もう心配ないの。ここにはわたしとあなたの2人しかいないもの」
「……へザー?」
「2人しかいないのよ。もう気に病むことはないわ」
沈黙が訪れる。
かわいいテディー。
ようやく分かってくれたみたい。
「そう。やっと2人だけになれるのよ。やっと」
わたしは差し出されたテディーの右手に触れた。瞬間、彼がその手を引っ込めた。わたしの指は、空気を撫でた。
冷たい。
でもすぐに、彼は再び右手を差し出してきた。男の人らしい、しっかりとした骨のある手。大きくて、安定していて、暗い暗い廃坑の中に、日に焼けた肌色が浮かび上がる。
わたしはそっとその手に触れた。
温かい。
「へザー」
少し震えていて、でも甘いテディーの声。
ああ、彼がわたしの名前を呼んでいる。
わたしの手を握っている。強く、強く。
これでいいの?
これでいいの。
もう、後戻りはできない。
でも、これでいいの。
だって、彼は今、わたしのことを考えてくれているもの。
「へザー、頼むから――」
「テディー、大丈夫よテディー。寒くないように毛布は用意したわ。水と食料はわたしが毎日持ってくるから心配しないで。あなたは何も心配しなくていいの」
「へザー、お願いだからここから――」
「懐中電灯の電池も持ってくるわ。明かりがないと、食事がとれないでしょう」
「へザー、――」
愛しいテディー。わたしの恋人。
あなたの目は、もう誰も映さない。そう、わたし以外は誰も。
あなたが叫ぶのは、わたしの名前。そう、わたしの名前だけ。
ああ、もう夢なんて見なくていい。あんな夢、もう見なくていい。
だってこうして、現実になったのだから。
「テディー」
熱い吐息がわたしの口から漏れる。
ああ、なんて恍惚とした瞬間なのだろう。
愛しいテディー、わたしだけを見てる。
愛しいテディー、わたしは知っていたの。
ずっとずっと、夢にまで見ていたことだから。
きっときっと、叶うものだって信じていたから。
「わたしだけが、あなたの希望」
了
