中編

老夫とパスタ

01 .02
 パスタのレストランを開き、人の胃袋と心を満たすのが、小さいころからの父の夢だったらしい。
 小規模ながらも、ベッドタウンの駅の近くにベニーチェという名前でレストランを構え、かれこれ20年近くだろうか、経営を続けている。
 私はといえば、高校生。年頃の女の子だ。当然ながら、お小遣いも多く欲しい。
 父を説き伏せてベニーチェでアルバイトを始めたのが、高校2年生のとき。
 といっても、校則ではアルバイトは禁止されている。
 あくまでも、家事手伝い、という形をとっている。
 父と一緒に調理場に立たせてもらうことはできない。
 私の役は、お客さんを席まで案内し、お水を運んで注文を聞く。そして、できたてのパスタをお届けする。
 一見、単調のような仕事に見えるけれど、それぞれのタイミングを見計らうのがけっこう難しい。
 特に昼食・夕食時には立て込むので、少しでも気を抜くとうまく店が回転しなくなってしまう。
 その忙しさに慣れ始めたころ、私は食事に来るお客さん模様にもいろいろなものがあることに気づいた。
 家族で立ち寄り、甘いものに走ろうとして両親に窘められ、舌を出す女の子。
 彼女の意見は、それでも毎回通っていた。
 仕事帰りに立ち寄り、食後のコーヒーでゆっくりと読書を楽しむ男の人。
 彼は注文を伺ったり食事を届けたりする際、丁寧にお辞儀をする。
 友達同士でやってきて、いろいろな種類のパスタを注文する女子学生たち。
 私も同じような年頃だけれど、あの細い体の一体どこに、あれだけの量のパスタが消化されるのだろうか。
 幅広い年齢層に親しまれているベニーチェの中でひと際印象的なお客さんが、毎月24日に訪れる老夫婦だった。
 個人的に、お年を召した方はパスタより日本食のレストランを好むのかな、と思っていたけれど、そうとも限らないらしい。
 彼らにとって、24日というのはどんな意味があるのだろう。
 気になるけれど、そこはプライベートな部分。
 きっと、結婚記念日の日にちか、二人が出会った日にちなのだろう。
 老夫婦は、席が空いているときは必ず、パキラの鉢の隣に座り、欠かさずスモークサーモンのサラダを注文する。
「スモークサーモンのサラダと、洋光さんは鶏と水菜の和風仕立てでいいかしら? 私は生ハムとモッツァレラのジェノベーゼ仕立て。食後にホットコーヒーを2つお願いするわね」
 ゆったりとした口調ですらすらと注文をするのはいつもおばあさんのほうだった。おばあさんはジェノベーゼが大好きらしい。
「かしこまりました」
 おばあさんの声は、柔らかくて上品だ。だからなのか、彼女の声は店内にかかっているイタリアの曲に溶け込むようにしなやかだった。
 おしゃべりが好きなおばあさんに反して、『ヒロミツさん』と呼ばれたおじいさんは物静かだ。
 うん、とか、そうだね、と微笑みながら相槌を打っている彼の姿が視界に入ると、なんだかおばあさんが羨ましく思えてくるものだった。
 会計の後には必ず、
「ごちそうさまでした。おいしかったわ。また来ますね」
 とおばあさんが言い、
「ごちそうさまでした」
 とヒロミツさんが続き、2人で素敵な笑顔を残してくれる。
 老夫婦とは日常的な会話をしたことはないけれど、共に幸せに齢を重ねている彼らが訪れる24日は、私にとっても、そして父やベニーチェのスタッフにとっても特別な日にちとなっていた。


 ところが、今年の梅雨が始まる前の24日。
 待っても待っても老夫婦は現れなかった。
 具合が悪いこともあるだろうね、と父やスタッフと話をした。
 最近は気温の変化も激しく、体調を崩してしまってもおかしくない。
「またきっと、来てくれるわよ」
 朝食の席でその話をしたとき、母が希望の言葉を述べてくれた。
「だよね」
 きっとそうだ、と父と顔を合わせて頷きあった。
 けれどそれ以来、ふつり、と老夫婦はベニーチェから姿を消してしまった。


 梅雨が終わり、夏を向かえ、そして秋が過ぎた。
 ベニーチェには毎日変わりなくお客さんが足を運んできてくれる。
「ありがとうございました。またお越しください」
 お腹を満たして微笑みながら去っていくお客さんを見送る。
 ふと、カレンダーが目に留まり、今日が24日であることに気づく。
 パキラの隣の席には老夫婦の姿は見えず、私は一抹の淋しさを感じずにはいられなかった。
 調理場に顔を出してみれば、父もスタッフも、表には出さないけれど、ふと心のどこかに穴が空いた様子だった。


 常連のお客さんの中でも、ひと際印象深い老夫婦だった。
 静かに語り合いながら微笑んでいた、彼らの姿が懐かしい。
 そう思いつつも季節は過ぎ、やがて冬が訪れた。
「……今日も来なかったな、あの老夫婦」
 クリスマスイブの夜、閉店後の後始末をしているとき、ふと父がそう漏らした。
 私は電気が消え、街灯の明かりによってのみ照らし出されている店内に目を向けた。
 パキラの隣の2人席。
 去年の今日のことだ。パスタを老夫婦のもとに届けたとき、
『私ね、ここのパスタ、だぁいすきなの。洋光さんも気に入っているそうよ』
 ふふ、と笑いながらおばあさんが言ってくれたことを思い出した。
 だっておいしいんだもの、というおばあさんの言葉がすごく嬉しくって、私はすぐに父に報告した。
 照れたようにそわそわと頭を掻いていた父だったが、最高のクリスマスプレゼントだなぁ、と私から顔を背けて呟いた。
 老夫婦の食後に、父はお腹に納まる量のケーキを運んでいった。
 あら、あら、と手を合わせて喜ぶおばあさんと、父は何か二言三言、言葉を交わしたらしかった。
 ヒロミツさんはといえば、ちょっとはにかむようににっこりと笑って、フォークを手にとるおばあさんを見つめていた。


 思い返してみても、ものすごくお似合いの老夫婦だった。
 もう、彼らの姿をこの店で見ることはできないのだろうか。
 嫌な予感が頭をかすめたけれど、私はわざとゴミ袋の音を立ててそれを遠い遠いところへと追いやった。 


 年が明けた。
 日が昇って沈んでまた昇り、時間は絶え間なく進んでいく。
 そして、春が過ぎた。
 降り続いた雨に、とうとう梅雨入り宣言がなされる。
 皮肉にも、その宣言の後は暑くて青空が恨めしいような晴天が続いていた。
 老夫婦がベニーチェに来なくなって1年。
 私もスタッフも、薄々何が起こったのか察しながらも、その件については触れなくなっていた。
 私は春から大学生となったが、大学は実家から通える距離であり、父の営むベニーチェが好きだから、相変わらず手伝いのほうも続けている。
 といっても、もう大学生ともなれば、アルバイトと称してもいいかもしれない。
 そのベニーチェはというと、スタッフが入れ替わり、父が新しいメニューを用意するなどの変化はあったけれど、順調に営業を続けている。
 サラダの内容も変更したけれど、スモークサーモンのサラダだけは元の味のまま、メニューに載っている。
 このサラダは父考案のオリジナルのドレッシングを使用しており、開店当時からずっと続いている定番の一品だ。
 そして、あの老夫婦が毎回注文していたサラダだ。
 聞いたことはないけれど、父は老夫婦が必ずこのサラダを注文してくれていたことを光栄に思っていたに違いない。


 入道雲の浮かぶ、晴れた日。
 洋服を買いに出かけた帰り、私は木陰を探して近くの公園に入っていった。
 蝉が鳴きこめる中、夏休みを満喫する子供たちが元気に走り回っていた。
 時折さわさわと吹く風と、緑をふんだんに広げる樹木が暑さを和らげてくれる。
 私は立ち止まって深呼吸し、ぐるりと公園の中を見回した。
 木陰に入りながらも暑そうに、でも遊んで回る子供たちを愛おしそうに眺めているお母さん方の姿のほか、会社の昼休みを利用して外に食べに出ているらしい人の姿がある。
 社会人ともなると、夏休みとは聞いたことがある名前だけのものになってしまうのだろうか。そう考えると、ついつい、学生を続けていたいな、と思ってしまう。
 彼らから目を離し、帰路につこうとしたとき、ベンチの側に蹲っている老人の姿を見つけた。
 あれ、と思ったけれど、老人が動く気配はない。
 周りを見回すけれど、彼の様子に気づいている人はいないみたいだった。
 私はかけよって、声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
 蹲っている老人は私の声に気づき、ふと、頭をもたげ、ゆっくりと振り返った。
 その顔を見て、私は、あ、と声が出そうになった。
「ああ、すみません、心配をかけてしまいましたか?」
 老人は、よっこいしょ、と膝に手をついて立ち上がると、私を見た。
 白色の眉をした、優しそうな顔。
 間違いない。『ヒロミツさん』だ。
「先ほどもあちらで声をかけられましたが、申し訳ありません、誤解をさせてしまいましたね」
 バツの悪そうに頭を掻いて、ヒロミツさんは続けた。
「具合は悪くないんです。ちょっと、探し物をしておりまして」
「探し物、ですか?」
 ベニーチェではこんなに口をきくヒロミツさんは見たことがない。
 少し驚きながらも尋ね返せば、はい、と彼が頷いた。
「カタバミを探しているんです」
「カタバミ?」
「はい」
 そう答えたヒロミツさんが、ふと、私の顔をまじまじと見てきた。
「……あの、すみません。私の勘違いかもしれませんが、お嬢さんと、どこかで会ったことのあるような……」
 小首を傾げてヒロミツさんが考える。
「あ、はい」
 思わず笑顔をこぼし、私は何度も頷いてしまった。
「あの、私、ベニーチェというパスタのレストランでアルバイトをしています。あの、お店で何度か会ったことがあります。いつも、24日に来られてましたね」
 緊張してそう告げれば、しばらくの間を置いて、
「あ、駅の近くの?」
 とヒロミツさんが尋ねてきた。
「はい」
「そうでしたか、どうりで見覚えがあるかと……」
 思い出したように何度も頷きながら、ヒロミツさんは微笑んだ。
「これは、申し訳ありませんでした。すぐに分かりませんで……」
「いいえ、髪型を変えたので、ちょっと分かりにくかったと思います」
「ああ、確かに、前はこんな感じでしたね」
 顔に沿って丸く両手を下げ上げしながらヒロミツさんは言った。
 私は、はい、と笑顔で答えた。
 そうでしたね、とヒロミツさんが頷く。
「奇遇なこともあるものですね」
 言った後で、あ、と思い出したように洋光さんは姿勢を正した。
「失礼しました。私は藤田洋光と申します」
 軽く頭を下げて自己紹介をする洋光さんに、
「私は平松智子です。本当に、奇遇ですね」
 と私もお辞儀をした。
「覚えて頂いていたとは、恐縮です」
「いえ、こちらこそ」
「最近は、お店のほうに顔をお見せしていませんで……」
 そう告げる洋光さんの視線が下がっていき、語尾が徐々に小さくなっていった。
 そうだった。
 洋光さんは元気そうだ。
 けれど、彼の隣には、おばあさんの姿がない。
 そう気づいた瞬間、さわさわ、と樹木の枝が揺れ、私たちの間を風がすり抜けた。
「……実は、家内が亡くなりましてね」
 上のほうの風を目で追うように、洋光さんは顔を上げた。
 一瞬、彼の存在が、風に溶け込んでいくように感じられた。
 視線の先に、おばあさんを見ているのかもしれなかった。
 ふと、洋光さんはその視線を地面に落とした。
 笑顔が隠れていき、悲しみが洋光さんを包み込む。
「……あの、私でよろしければ、お話を聞きましょうか?」
 申し出てみると洋光さんは顔を上げ、次いで私を見ると、ありがとうございます、と微笑んだ。
「しかし、お言葉に甘えてしまってよいものか……」
「構いません。お聞きします」
 座りましょう、と私がベンチに座ると、洋光さんもゆっくりと隣に腰を下ろした。
「……あれ以来、私も家に閉じこもりがちになってしまいましてね。スパゲティーのお店からも、遠のいてしまいました」
「……お悔やみ申し上げます」
 何て言っていいのか分からなく、私は型式どおりの言葉しか告げられない自分に情けなさを感じた。
 それでも洋光さんは、ありがとうございます、とお辞儀をしてくれた。
「突然のことで、私も呆然となってしまいました」
 ひとつ、呼吸の間を取って、洋光さんは続ける。
「家内のほうが年下でしてね。それに、『女のほうが寿命が長いんだから、洋光さんを1人、残すことはない』、と言ってくれていたのですが……」
 そう呟いて、洋光さんは再び視線を上空に向けた。
 木陰の隙間から漏れる光を探してか、眩しそうに目を細めている。
 先立たれてしまって、ぽっかり空いた心の穴は、1年やそこらでは癒されないのだろう。
 ましてや、あんなに仲睦まじい様子の2人だったのだ。
「あの……」
「すみませんね、個人的なことにつき合わせてしまいまして」
 ふと、申し訳なさそうに洋光さんが苦笑した。
「いいえ」
 私はかぶりを振った。
「いいんです。聞かせてください」
 私の言葉に、驚いたように、戸惑ったように、洋光さんが疑問顔となる。
「私、覚えています。おばあさんのこと。すごく上品で、笑顔が素敵な方でした」
 ふと、周囲の景色にベニーチェの店内が浮かんでくる。
「スモークサーモンのサラダと、ジェノベーゼが大好きで、いつも注文してくれていました。あのサラダは、父が考えたドレッシングを使っていて、ベニーチェ独自のものなんです」
 席にサラダを届けたときの、あら、あら、と手を合わせるおばあさんが思い出される。
「スパゲティーをお持ちしたときも、いつも嬉しそうに、『ありがとう、いただきますね』と手を合わせてくださいました」
 事務的なこと以外に、会話らしい会話を交わしたことはないのに、不思議とおばあさんの姿が次々に思い浮かんでくる。
「彼女の『ごちそうさまでした』の一言で、私たちも、心が温かくなったんです」
 言いながら、私は自分の視界がにじんでいることに気がついた。
 下瞼に重量を感じて瞬きをすると涙がこぼれた。
「……すみません」
 人前で涙を見せてしまったことに、私はあわててハンドタオルを取り出すと目元を拭った。
 ふと視線を感じて洋光さんを振り向くと、彼が穏やかに微笑んでいた。 
「雪枝が――、家内が聞いたら、きっと喜びます」
 にっこりと、さっきよりも笑顔を見せてくれた洋光さんに、おばあさんの姿が重なった。
「……そうでしたか」
 一言、洋光さんは呟くと、微笑んだ口元のまま、上空に視線を手向けた。
「私はどちらかというと和食が好きなのですがね。家内はスパゲティーも大好きでして。結婚記念日の24日は、家内のお気に入りのあのお店で、毎回食事をさせていただいていました」
 私もあのお店のスパゲティーは大好きです、と洋光さんははにかんだように告げてくれた。 
「一度、平松さんのお父さんでしょうか、デザートを持ってきてくださったことがありましてね。なるほど、この方が作っていなさるのか、と納得がいきました」
 頷く洋光さんの横顔には嘘はみえず、私は自分のことのように嬉しくなった。
「父が聞いたら、喜びます」
 そう告げて、私は洋光さんと一緒ににっこりと微笑んだ。
 ベニーチェは、高級なレストランではない。
 けれども、ベニーチェをそこまで気に入っていただけたのだと思うと、私も感慨深さを感じずにはいられなかった。
 人の胃袋と心を満たす。
 父の夢は、叶っているらしい。
 私はちょっぴり、父のことが羨ましくなった。
 ふと、上空の風に誘われた木々が、涼やかな音を生み出す。
 公園内では、相変わらず子供たちが元気そうに走り回っていた。
 彼らの姿を見送り、そういえば、と洋光さんがここで何をしていたかを思い出す。
「ひろ――、藤田さん、そういえば何かを探していませんでしたか?」
 問いかけると、私と一度目を合わせた後で、ああ、と洋光さんも思い出したらしく、
「はい。カタバミです」
 と答え、よっこいしょ、と洋光さんは腰を上げた。
「雪枝が好きだった花なんです。春に黄色いかわいらしい花をつけて、やがてこう、オクラのような実をつける、小さな草花でしてね」
 そう言うと、私が最初に彼を見つけたときのように、洋光さんは屈みこんだ。
「この前来たときには、このベンチの脇やあの段差の下に生えていたのですが、どうやら処理されてしまったみたいですね」
 見つからない、と洋光さんはベンチの脇から顔を上げると、小さくひとつ、息をついた。
「よく、生えているんですか?」
 尋ねてみると、はい、と洋光さんが頷いた。
「けっこう強いですよ。なので、雑草としては嫌われているかもしれません」
 雑草で黄色い花。
 見たことがあるようなないような、イメージが浮かばない。
 うーんと考えながら、私は公園内を見回した。
 手入れは行き届いているけれど、強い草だというのなら、どこかにまだ残っているかもしれない。
「藤田さん、まだ元気あります?」
 私の問いかけに、洋光さんが顔を上げる。
「よろしければ、一緒に探しませんか?」
 誘われることを予想していなかったのだろう、洋光さんは疑問と驚きの混じった顔で、ひとつ、ふたつ、瞬きをした。
「ご迷惑でなければ、でいいんです。私、草花には疎いので、この機会に少しでも教えていただけたらな、って思っただけなので」
「あ、いえいえ、迷惑だなんて思っておりませんよ」
 首を振ってちょこっと笑うと、
「探しますか」
 と洋光さんは穏やかに微笑んだ。
 私もにっこりと頷くと、公園内を見回した。
 この辺は除草がなされてしまっている。
「あっちのほうは、まだ除草されていないかもしれません」
 遠くを見る目で、洋光さんは北東側の一角を見つめた。
 元気な子供たちの声の聞こえるその方向を、私も見やる。
「道路脇ですとか、段差の端に生えている印象が強いです」
 探すときのポイントが耳に入ってき、私は、はい、と頷いた。
「行きましょう」
 楽しくなってきて、私は軽やかな足取りで目的地へと向かった。
 その途中、ふと振り向くとにこやかな洋光さんがゆっくりとした足取りで私の後を追っていた。
 あ、と気づいて私が戻ろうとすると、先にどうぞ、と促される。
 私は言葉に甘えて、まだ除草されていないだろう公園の片隅に急いだ。
 蝉は、上のほうで相変わらず鳴きこめている。
 虫取り網をかざして通り過ぎる子供たちを見送った後、私は屈みこむと洋光さんの言っていた、段差と地面の間の様子を確認した。
 コンクリートとアスファルトのほんの少しの隙間から、確かに雑草が生えている。この辺はまだ、除草がされていないんだと、安心した。
 けれど、黄色い花は見当たらない。
「黄色い花、黄色い花……」
 屈みこんだまま、よちよちと進む。
 地面からの熱は感じるものの、やはりカタバミらしい花は見当たらない。
「う~ん……」
 ふと、目の隅にベンチがあることに気づく。
 そういえば、洋光さんはベンチの下もチェックしていた。
 方向転換し、ベンチに向かった。
 その足元に目を移したとき、黄色を見つけた。
 ひょっとして、という期待に胸が鳴り、私は駆け寄った。
 木漏れ日にときどき照らされ、思っていたよりも小さく、思っていたよりも数多く、小さな黄色い花が顔を上げていた。
 後ろを見ると、私が何かを発見したことを知ったのだろう、洋光さんもベンチへ足を運んできていた。
「藤田さん、ひょっとしてこれ、カタバミですか?」
 尋ねる私に、どれどれ、と洋光さんは側まで歩を進め、よっこいしょ、と膝を畳んだ。
「あ、これです、これです」
 私を見て、嬉しそうな表情をすると、洋光さんはカタバミに視線を戻した。
 彼の隣に私も屈みこむ。
「可愛らしい花ですね」
 可愛らしいけれど、アスファルトの隙間を縫って生えているところを見ると、見掛けによらずたくましい存在なのかもしれなかった。
「この黄色が、道端でもよく目に留まるんです」
 洋光さんはそう言うと、カタバミに手を伸ばした。
「あ、実も出ていますね」
 ほら、と紹介する。
「本当だ、オクラみたい」
 咲いている仲間に囲まれながら、緑色の小さなオクラが上に向かって伸びていた。
「熟しますと、ちょん、と触れただけで広範囲に弾けるんです」
「オクラひとつで種じゃないんですか?」
「ええ。オクラの中に小さな粒が沢山詰まっているんです。それが弾けるときの感触や音が、独特でしてね」
 ふぅん、と私はカタバミに目を移した。
 地面からの熱は暑いだろうけれど、緩やかな風もあるのだろう、かすかに、小さな花々を揺らしていた。
 黄色いその花々は、上を向いてめいいっぱい、花びらを広げている。
 洋光さんと私は、ふふっと笑いあい、しばらくの間カタバミを眺めていた。
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