中編

Amy Said

01 .02
 エイミー・ウィルソンにとって、休みと休みの間の登校期間はつまらなく、鬱屈したものでしかなかった。
 同じ4年生の女の子たちは既におしゃれに目覚めており、中には先生から再三注意されるほど派手な服装の子もいる。
 決まり事であるのは仕方ないにしても、この世代の服装を楽しめるのは今だけなのだ。大人たちももう少し、寛容になってほしいところだ。
 それはエイミーの両親にも言いたいところだが、彼女の両親はどこか古い考えを引きずる人間であり、また内気ぎみのエイミーは両親にお洒落な格好をしたいと言い出すこともできなかった。
「エイミー、ご飯よ」
 遅刻することは許されない。規則正しく生きることを常々主張している母親の前では、あと5分、という眠気の主張もままならない。
 だるい全身を起こすように、エイミーはブランケットの中で伸びをした。
 チャールズ川も凍りつく寒い季節、冷気は窓を素通りして部屋の中に滑り込んでくる。
「エイミー、起きてるの?」
 母親の催促に、ささやかな抵抗として返事はせず、エイミーは体を起こすとベッドから一歩、部屋に足を下ろした。
 アリソンのように、お腹が痛くなったり、熱が出たりすれば、学校を休む素敵な口実ができるのに。
 エイミーはそう思いながら、深くため息をついた。
「食べたら顔を洗って、歯を磨いて。そしたらお母さんが三つ編みしてあげるから」
 テーブルにつく際に毎回エイミーが耳にする言葉だ。
 彼女の母親は、三つ編み姿のエイミーがお気に入りらしい。だが、エイミーは違う。
「ママ」
「なあに?」
「今日は髪の毛を下ろして行ってもいい?」
 エイミーにしては、これが自己主張の最大限だった。
「何で?」
「だって、髪が長い子ほとんど下ろしているよ? ギャビーだって――」
「ギャビーはギャビー、あなたはあなた。分かる?」
 ピーナッツバターを塗っていた手を休め、母親が切り上げた。
 諭すような口調に、エイミーはそれ以上何も言えず、黙り込んだ。
「あなたの髪は縮れているんだから、三つ編みのほうが似合うわ」
 母親は一言そう付け加えると、ピーナッツバターを塗り上げ、エイミーの前の皿に置いた。 
「さ、早く食べちゃいなさい。遅刻するわよ」
 そういうと母親はキッチンのほうへ去っていった。
 残されたエイミーは、縮れ毛は遺伝のせい、と理不尽を 感じつつも、言われたとおりにパンに手を伸ばした。
 かぶりつき際にふと顔を上げれば、棚の上に飾ってある家族の写真が目に映る。
 ほとんど忙しくて会えない父親、何かと面倒を見たがる母親、彼らがまだ優しかった頃の写真だ。そして、写真の中の彼らの間、何も知らなかった頃のエイミーが微笑んでいる。
 もはや嘘となってしまった1枚をいつまで飾っておくのか、考えるのも鬱陶しく、エイミーはテーブルの上へ視線を落とした。


 ロッカーを開け、授業に必要なものを取り出す。
「ハイ、エイミー」
 気取った感じの声に振り返れば、ギャビーがにこにこしながら立っていた。
 毎回毎回絡まれていたためエイミーはそれが日常だと思っていたが、最近ようやくにギャビーの態度はいじめっこのものだと理解し始めた。
 それでも、エイミーにとって彼女の存在は憧れの対象だった。
 新しく買ってもらったのだろう、薄い灰色と黒の長めのマフラーを首に巻き、さらさらで真っ直ぐなブロンドの髪を下ろしている。
 上級生の男子も騒ぐほど、ギャビーは学校一のアイドルだ。
「今日も素敵な三つ編みね。ママに結ってもらったのかしら?」
 ママの部分を強調してギャビーが言えば、彼女の取り巻きたちが笑い出す。
 からかってもからかっても毎日三つ編みをしてくるエイミーのことが面白おかしいのだろう。
 毎朝のこと、慣れた様子でエイミーは、
「そうよ」
 と返事をした。
「そういえば、アリソンはどうしたのかしら? 最近見ないわよね」
 ギャビーがわざとらしく疑問調の声で尋ねれば、取り巻きたちも、うんうん、と頷く。
「エイミー、あなたアリソンと仲良かったでしょ。何か知ってる?」
「お腹がずっと痛いって」
 言った後、ふと心が重たくなったが、エイミーは口を閉じてそれを黙認した。
「そ」
 素っ気ない返事がギャビーから帰ってくる。取り巻きたちも、アリソンについてそれほど興味を持っていない様子だった。
 それなら何で尋ねたのか、エイミーには理解できず、重い心だけが残っていた。
 エイミーの学校の時間は、大抵こうしてギャビーたちとの会話から始まる。
 アリソンのいない最近は、他の子と言葉を交わすことなく下校時刻を迎えることが多い。
 何も楽しいことなどなく、三つ編み姿で時代遅れの洋服を身に纏い、ただ静かに授業を受ける。ギャビーたちのように、お洒落に関する情報を交換することもなく、終日つまらない、そんな毎日だ。
 成績だって大したことがないため、先生の注目も浴びない。
 男の子からも女の子からもモテて、最先端のファッションに身を包み、成績もいいギャビーとは大違いだ。
 それを考えると、エイミーの心は更に重たいものになっていった。
 授業の始まりを知らせるベルが鳴り、ギャビーが一瞬、音源を見る。
 彼女のブロンドの髪が、さらり、宙を舞った。
 その動きに憧れを感じながら、エイミーはぼうっとギャビーを見ていた。
「ギャビー、早く教室に行かないと」
 取り巻きの1人のメレディスに促され、そうね、とギャビーが頷いた。
「じゃ、エイミー。あなたも急がないと遅れるわよ」
 教室へと向かうギャビーを追い、取り巻きたちも踵を返す。
 その1人のメレディスがくるり向きを変え、エイミーのところに戻ってくると、
「エイミー、今日もきまっているわよ」
 と一言告げた。
 笑みの浮かんだ彼女の顔は、ギャビーとは違ってアイドルの「ア」の字の欠片もなかった。
 ギャビーの周りにいる、ただそれだけで、自分は格が上と感じている。そういう子だった。そのことはエイミーも無意識的に知っているらしい。
 黙っているエイミーを見、メレディスは予想していた反応が得られなかったことを快く思わなかったのだろう。
 ギャビーが同じことを言えば、恥ずかしそうにするはずなのに。
 メレディスは顕に笑みを消すと、怒ったように、ふん、と顔を背け、ギャビー待って、と駆け足で教室へ向かっていった。
 そのどたばたとした後姿を見送り、エイミーもゆっくりと教室に向かって歩き始めた。


 屋根から雪が落ちる音が、どすん、と響き、家を揺らした。
「引越す?」
 エイミーの部屋の中、ベッドに座り、俯いているアリソンに、エイミーは思わず声を上げてしまった。
「何で? お父さんの仕事?」
「ううん」
「じゃ、何で?」 
 更に問いただすと、アリソンがいっそう小さくなって俯いた。
「……あの学校には行きたくないの」
 やがて聞こえてきた小さな声に、エイミーもまた、視線を床に落とした。
「……ギャビーたちがいるから?」
 エイミーの問いかけに、迷ったものの、アリソンは、うん、と頷いた。
 アリソンも目立つ子どもではない。
 人見知りする性格のため、エイミーと同じであまり友達はいなかったが、エイミーとは違って時代遅れの格好ではなく、服装も髪型も、いたって普通だった。
「何か、言われたの?」
 問いかけたものの、アリソンは黙りこくるだけで何も言わなかった。
 行かないでほしい、と喉まで出かかったが、俯いて今にも泣き出しそうなアリソンを見ると、エイミーはそれが言えなかった。
 ただただ、頭の中がわんわんと騒いでおり、だんだんと真っ暗になっていく。
 アリソンがいなくなってしまったら、誰と遊べばいい? 誰と学校で話せばいい?
「ごめんね」
 耐え切れずに涙をこぼすアリソンを見て、エイミーも泣きたい気分になった。
 屋根からまた、雪が落ちた。


「急な話でごめんね、エイミー。落ち着いたら、遊びに来てほしいわ」
 アリソンの母親はそう言うと、アリソンを車に乗せた。
 エンジン音がし、玄関口に立ちながら、エイミーは母親と一緒に車を見送った。
 見えなくなるぎりぎりまで、アリソンは後部座席の窓からエイミーを見ていた。
 エイミーもまた、最後までアリソンを見送った。
 車が見えなくなって、母親が声をかけてきたが、エイミーには聞こえなかった。
 彼女が家の中に入り、ドアが閉まる音がしてから、エイミーは瞬きをした。
 一粒の涙が零れ落ちると共に、気軽に遊べる友達がいなくなってしまった喪失感が湧き上がる。
 やがて、家の中に入った。
「エイミー、何か食べる?」
 母親がいつも通りの口調で問いかけてき、エイミーは黙って下を向くと、首を横に振った。
「そう」
 声を落とした母親の横をすり抜け、2階の自室へと向かう。
 が、その腕を母親に掴まれた。
「エイミー。これで会えなくなるわけじゃないんだから。落ち着いたら遊びに来て、って、アリソンのママも言っていたでしょ? 元気出しなさい」
 優しい表情をしながらも、声には力が入っていた。
 無言のまま頷いたものの、母親は、それじゃ足りない、と覗き込んでくる。
「……分かった」
 エイミーの一言に、うん、と満足そうに頷くと母親は手を離した。
 のろり階段を上り、自室に入るとエイミーはベッドの上に倒れた。
 枕に顔をうずめて、沸きあがる涙をせき止める。
 アリソンは行ってしまった。唯一、全てを打ち明けられる友達が、行ってしまった。
 これからの学校生活のこと、学校から帰ってきてからのこと、それらがめまぐるしくエイミーの頭の中を駆け回る。
『アリソンは?』
 ギャビーの声で、やけに現実味を帯びて疑問が響いた。
 アリソンは、引っ越したの。もうこの学校には来ないわ。
 エイミーは鼻をすすって顔を上げた。
 随分と昔に両親からもらったテディベアが、呑気な顔をしてベッドの隅に座っていた。
「アリソンは、行っちゃったの」
 一言告げると、エイミーは体を起こし、とぼとぼと机に座った。
 机の上においてある鏡が、エイミーの姿を映し出す。
 赤毛で、いつも三つ編みのエイミー。
 ギャビーとは違って、時代遅れの服装をしているエイミー。
 涙を拭くと、エイミーは三つ編みを解いた。


 アリソンがいなくなって独りぼっちになったエイミーは、朝だけでなく、昼や下校時にもギャビーたちに絡まれるようになった。
 エイミーはそれを避けるために、なるべく目立たない場所を見つけ、時間をつぶすようになった。
 寒い場所ではあるが、今は使われていない、物置と化している教室の隣の階段は人通りが少なく、読書をするには丁度いい。
 今日もまたエイミーはその階段の下から3番目のところに腰掛けると、読んでいる途中の本を開いた。
 遠くから、生徒たちが遊ぶ声が聞こえてくる。
 気にせずに読み進めてどのくらい経っただろうか。
「何読んでるの?」
 ふと聞こえてきた声にびっくりし、エイミーは本を閉じると立ち上がり、後ろを振り向いた。
 にこにことした女の子が、エイミーを見ている。
「何読んでるの? ここ、寒くない?」
「……誰?」
 問いかけると、女の子は、あ、と気づいたらしい。
「私は『エイミー』。3日前にこの学校に転校してきたの。あなたは?」
 同じ名前であることを発見し、エイミーは少し、嬉しくなった。
「私も、私もエイミー」
「あら、そうなの?」
 『エイミー』もまた、嬉しそうに笑った。
「同じ名前なんて、偶然だね。よろしくね、エイミー」
 手を差し出され、エイミーは握り返すと改めて『エイミー』を見た。
 髪の色もエイミーと同じ赤毛だけれども、ウェーブがかった髪を下ろし、ギャビーに負けないくらい、お洒落で流行に沿った服装をしている。
 同じ名前なのに、この差は何なのだろう。
 ふとそう思った心が顔に出たのか、『エイミー』が首を傾げて覗き込んできた。
「どうしたの?」
「あ、ううん、なんでもない」
 返事をすれば、そっか、と『エイミー』が頷いた。
「それで、何読んでるの?」
 エイミーが隠した本を気にしながら、『エイミー』が尋ねる。
「……シートン」
 誰にも見せたくないと思ったのは、母親に内緒で読んでいるからだろう。
 母親は、科学だとか、文学だとか、聞こえのいいものばかり読ませてくる。
 同じ学校の子の母親に会えば、うちの子はこんな本を読んでいるのよ、と自慢している。
 しかしエイミーにとって、読まされている本はつまらないものだった。そのため、エイミーは重要そうなところだけを読んで、後の時間は好きな本を図書館で借りて読むことにしていた。
 エイミーにとっては、彼女ができ得る母親へのささやかな抵抗だった。
「あ、私もその本好き!」
「え?」
 予想していなかった反応に、エイミーは思わず顔を上げて『エイミー』を見た。
 アリソンとしかこの本について語れないと思っていた。だが、同じ名前の、お洒落でかわいい『エイミー』もこの本を読んでいるという。
「銀の星じいさん、私、好きだな」
「あ、それ私も好き。でもぎざ耳うさぎもすごい好き。涙が止まらないけど、お母さんうさぎがすごい好き」
「うん。いい話だよね」
 ふふ、と笑う『エイミー』は、エイミーの服装や髪型は気にしていないらしい。
 純粋に、エイミーとの会話に興味があるらしかった。
 心が温かくなり、エイミーも久しぶりに、微笑んだ。
 この日から、エイミーは学校に行くのが苦にならなくなった。


 今日もまた相変わらず、母親好みの時代遅れの服装をし、エイミーは学校へ向かった。
 一緒にロッカーへ向かう『エイミー』は、お洒落な格好をしている。
 下ろされた、ウェーブがかった髪。
 赤毛でも、ギャビーのブロンドの髪に負けないくらい、かわいかった。
「学校が終わったら、雪だるま、作ろっか」
「うん」
「エイミーの家に行っていい?」
「うん」
 明るい『エイミー』は、すでに知り合いを作ったらしく、通りすがる男の子や女の子に挨拶を投げかけていた。
「……『エイミー』、すごいね」
「何が?」
「私、そんな風にみんなと仲良くなれないから……」
 ロッカーに手をかけ、エイミーはしょぼしょぼと呟いた。
「ただの挨拶じゃない。目が合ったら、おはよう、ハロー、またね、それだけでいいのよ」
「……うん」
「エイミーもやってみたら?」
「……うん」
「エイミー」
 ふと後ろからギャビーの声が届き、エイミーは振り向いた。
「何ぶつぶつ言っているの?」
 口の両端をきゅっと上げて、必要な教科書を抱え、ギャビーがエイミーを見ていた。
 彼女の取り巻きたちも同じようにエイミーを見ている。
「アリソンがいないから、寂しいんでしょ。お願いするなら、仲間に入れてあげてもいいわよ?」
 ギャビーの声に、くすくす、と取り巻きたちが顔を見合わせて笑いあった。
 エイミーは黙ったまま『エイミー』を見たが、『エイミー』は黙々とロッカーから教科書を取り出すだけで、ギャビーたちと目を合わそうとしていなかった。
 まるで相手にしていない。その姿に憧れを感じ、エイミーもまた、同じように口を閉じた。
「聞いてるの?」
 強めの口調で言われ、エイミーははっと顔を上げた。
 それでも、『エイミー』はまったく動じていない。
「……私、友達できたから、いいの」
「友達?」
「『エイミー』。今週転校してきたの」
 エイミーは隣でロッカーをいじっている『エイミー』をちらっと見た。
 視線を辿って、ギャビーもその方向を見る。
 『エイミー』は、それでも振り返ろうとしなかった。
「あら、ごめんなさい。ぜんぜん気づかなかったわ」
 ギャビーが大げさにそう言って、わざとらしく片手を胸に当てれば、取り巻きたちの笑い声がいっそう大きくなった。
「えーっと、よろしくね、『エイミー』」
 握手、と手を差し出すギャビーに、
「ギャビーよしなよ、そこまでしてあげなくてもいいじゃない」
 と取り巻きたちが首を振る。
 『エイミー』は気づかない振りをして、ロッカーのほうを向いたままだった。
「お前たち、授業始まるぞ」
 ふと、彼女たちの後ろをまだ若いブラウン先生が通り過ぎていった。
「あ、先生、待ってください」
 ころりと声色を変え、ギャビーが女の子らしく先生の後を追いかける。
 取り巻きたちもまた、それに続いた。
 黄色い声が遠のいていくその先を見、やがてエイミーは『エイミー』を見た。
「……『エイミー』――」
「何で言い返さないの?」
 バタン、とロッカーを閉め、『エイミー』は振り返るとエイミーを見た。
「え……だって――」
「ギャビーたち、これからもずっとあなたをターゲットにするわよ」
「……でも」
 『エイミー』の言うことはもっともだ。
 言い返さない限り、彼女たちはずっと絡んでくるだろう。
 俯くエイミーに、小さくため息をつき、『エイミー』は肩を叩いた。
「あんなの無視していればいいから。ね?」
 にっこりと微笑む『エイミー』に、見放されたわけではない、と知り、エイミーはほっとした。
「言い返せるほど強くならなきゃ」
「……うん」
 さ、行こう、と『エイミー』が先を歩く。
 エイミーもまた、颯爽と歩く彼女の後ろに続いた。


 毛糸の手袋に付着した雪はなかなか取れず、ごわごわとした感触を伝えてくる。
 積もりたての雪を掴むと、いつもこの感触を感じることができる。
「あとちょっとだね」
「うん」
 背丈ほどある雪だるまを作り上げ、エイミーも『エイミー』も満足そうに頷いた。
 腕にするための木の枝を探し、『エイミー』が庭に向かった。
 車の音がし、知っているエンジン音にエイミーは顔を上げた。
 コートを羽織ったスーツ姿の父親が、車の中から出てきた。
「やあエイミー。大きな雪だるまだね。アリソンは一緒じゃないのか?」
 手伝おうか、とは言わず、だが愛情らしいものが垣間見れる微笑を浮かばせて父親が頭を撫でてきた。
「アリソンは引っ越したよ」
「引越し?」
「違う学校に行きたいんだって」
「へえ? それは残念だな……。仲良かったのにな」
 慰めるように、父親はエイミーと同じ目の高さになるよう、腰をかがめた。
「でも大丈夫。新しい友達ができたの」
「お? そうか?」
「『エイミー』って言うの。同じ名前よ。雪だるまも一緒に作ったの」
「同じ名前か。それは気が合いそうだな」
 よしよし、とエイミーの頭を撫でると、父親は立ち上がった。
「終わったらその子も家に入れなさい。一緒におやつでも食べよう」
 父親の提案に、うん、とエイミーは頷いた。
 それを見、父親は踵を返すと玄関へ向かっていった。
 足についた雪を払うときに『エイミー』が彼の背後を通ったが、父親は彼女の存在には気づいていなかった。
 エイミーの話も、半分ほどしか聞いていなかったのだろう。
 家の中へ父親が吸い込まれた後、彼を見送りながら『エイミー』が木の枝を持ってきた。
「あの人、エイミーのお父さん?」
「うん」
 木の枝を受け取り、エイミーは『エイミー』と一緒に雪だるまに刺した。
「お父さん、いい匂いしてるね」
「え?」
 最後に雪だるまに巻くマフラーを手に取り、エイミーは『エイミー』を見た。
「ひょっとして、出張から帰ってきたときはいつもこの匂いじゃない?」
「そうかもしれないけど……それが何?」
 エイミーが尋ねれば、『エイミー』が、ふふ、と笑って顔を寄せると、耳元に手を添えた。
「きっとね、別の女の人と会っているんだよ」
 『エイミー』の声がちょっぴり意地悪めいて聞こえてき、エイミーは半ば呆然として『エイミー』を見た。
 表情はそのままに、『エイミー』は雪だるまの鼻の位置を直した。
「……私のお父さんも同じことしているから、分かるの」
 声のトーンだけを落とし、何でもないこと、とでも言うように『エイミー』は肩を竦めた。
 『エイミー』の言ったことが完全に理解できるほど、エイミーは大人ではなかった。
 『エイミー』にしても、父親の行動が何を意味するのか、完全には理解していないだろう。
 それでも2人とも何となく、何となく分かっていた。
 不意に沈黙の間が訪れ、空からはらはらと小さく軽い霰が落ちてきた。
「……手伝うよ」
 『エイミー』がそう言い、手を差し出した。
 エイミーは持っていたマフラーの端を『エイミー』に渡した。
 無言のまま、2人は笑っている雪だるまにマフラーを巻いた。


 エイミーは相変わらず三つ編み姿で、時代遅れの洋服を着て学校に通っていた。
 それでも以前よりも心が重たくないのは、エイミーが気に入っている彼女自身の名前と同じ名前の女の子と友達になったからだろう。
「私もお洒落は好きよ。でもね、本当にかわいい子は、どんな服を着ていてもどんな髪型をしていてもかわいいの。お洒落なんて、みんなで同じような格好をしていれば、なんとなくかわいく見えるような気になれる。お洒落って、そう感じるためのだけの道具よ」
 人気の少ない階段で一緒に座りながら、『エイミー』は続けた。
「ギャビーはもちろんかわいいわ。だからお洒落をしていてもかわいい。でも取り巻きたちを見てみてよ。メレディスなんて、流行を取り入れているけど、ぜーんぜん似合ってないじゃない?」
「うん」
「エイミーは、確かに洋服はダサいかもしれない。でもね、元々がかわいいんだから、気にすることないよ」
「……でも私、お洒落したいな」
「女の子だもん。そう思って当然よ」
 そう言うと、『エイミー』は手を後ろについて足を伸ばした。
 長いな、とエイミーは羨ましさを感じたが、ギャビーに対する羨ましさとは違い、純粋なものだった。
「お母さんに言ってみればいいのに。洋服買って、って」
「……怒られるから」
「じゃ、お父さんは?」
「……あんまり家にいないし、帰ってきても遅いから私寝ちゃってるし……」
「でも言わないと何も始まらないよ?」
「……うん」
 俯くエイミーに、『エイミー』は小さく息をついた。
「……お母さんもお父さんも、エイミーのことは嫌いじゃないんだから。頼んでみれば、きっと買ってくれるよ」
「そうかな……」
「全部そろえるのは無理かもしれないけど、マフラーとか、アイテムだけでも新しいのを取り入れれば、きっとお洒落に見えるって」
「……うん」
「頼んでみ――」
「あら、こんなところにいたんだ」
 突如、階段の上から声がかかってき、エイミーは驚いて立ち上がると後ろを振り向いた。
 ギャビーとその取り巻きたちが、にやにやしながらゆっくりと階段を下りてくる。
「こーんな寒いところで、何してるの?」
「……ギャビー」
「ま、あなたにはお似合いかもしれないけど」
 『エイミー』と一緒に行動するようになってからギャビーのことを可能な限り避けていたせいか、久しぶりに彼女を見た気がする。
 そのせいか、くすっと笑うギャビーが、いつもと違って見えた。
 いつもなら、それでも学校のアイドルなんだと思えたのだが、今日に限っては彼女のお洒落もさらさらのブロンドの髪も、そしてギャビー自身も、かわいいとは思えなかった。
「ここがあなたの秘密の場所、ってわけね」
 ふぅん、とギャビーが周囲を見渡す。
 遠くから、生徒たちの声が聞こえてくるほかは、人気がない。
 ふと、ギャビーはエイミーに視線を戻すと、眉尻を大げさに下げた。
「寂しいわね」
 惨め、とも言いたげな様子で手を腰に当て、ゆっくりと首を振る。
 取り巻きたちもまた、同じようにエイミーを見下ろしていた。
 『エイミー』の様子を見るが、口を閉じてぐっとギャビーを睨み上げているだけで、何も話そうとはしていなかった。
 暫く沈黙が続き、恐る恐る、エイミーは口を開いた。
「……寂しくないもん」
 小さな声に、ギャビーは、ふっと鼻で笑うと、
「何て?」
 と尋ね返した。
「寂しくないよ。『エイミー』がいるもの」
 そう言ってギャビーを見上げれば、ああそうだったわね、とギャビーが大きく頷き、取り巻きたちと笑いを交わした。
「ハロー、『エイミー』。あなたもかわいそうな人ね。こんな子と同じ名前で、こんな子とお友達だなんて」
 ギャビーの言葉に、エイミーの心臓が鋭く痛み、脈拍が増加した。
「こんな子と一緒にいないで、私とお友達にならない?」
 取り巻きたちの笑い声が更に大きくなり、わんわんとした音が、思考の混雑するエイミーの脳に響き渡る。
 涙が出そうになりながらも、出してはいけない、とエイミーは堪えた。
 そのとき。
「私、あなたのこと嫌いだから。お友達になんかならないわ」
 強い口調できっぱりと、背筋を伸ばし堂堂と、『エイミー』がギャビーに向かって宣言した。
 一瞬にして、取り巻きたちの笑い声が鳴りを潜める。
 エイミーも驚いたが、ギャビーも驚いたらしい。
 ぽかんと開いた口のまま、『エイミー』を見ていた。
「……何言って――」
「聞こえなかった? 私、あなたのことが嫌いなの」
 ギャビーの声を遮り、『エイミー』がもう一度宣言する。
 彼女の拳には力が入っていた。
 場が凍りついたかのような静けさが訪れ、それまで聞こえていた遠い生徒たちの声もなくなった気がした。
 やがて、かすかに息を吐いた後でギャビーが口を結び、ぎっと『エイミー』を睨みつけた。
 取り巻きたちは、ただはらはらと、ギャビーの様子を窺っていた。
「……行きましょ。こんな馬鹿に付き合ってられないわ」
 一言吐き出し、ギャビーはエイミーと『エイミー』を一瞥すると、くるりと踵を返した。
 成り行きを見ていた取り巻きたちも、おろおろとしながらギャビーに続いて階段を上っていった。
 やがて、彼女たちの足音が聞こえなくなると、『エイミー』は深く息を吐いた。
「……『エイミー』、なにもあそこまで言わなくても――」
「私、嫌い」
 きっぱりとした口調で、『エイミー』はエイミーに告げた。
「ああいう子、すっごく嫌い。いなくなっちゃえばいいのに」
 ぐっと拳を握り締め、『エイミー』は息も荒く言い放った。
 突き刺さるような恐ろしい言葉に、エイミーはただ、呆然と『エイミー』を見ていた。


 マフラーだけでいいから。
 意を決して母親に頼み込んだ成果をベッドの上に置き、エイミーは微笑んだ。
 『エイミー』の言うとおり、堂堂と、これが欲しい、と何度も何度も主張した。
 最初はいい顔をしなかった母親だったが、エイミーの根気に負けたのか、最後には頷いた。
 成績を上げるという条件はついたものの、エイミーはほとんど初めてといっていい、お古ではないアイテムを目の前にし、躍る心を抑えることができなかった。
「買ってもらえたね」
 ベッドに寝転がって頬杖をつきながら、『エイミー』もまた嬉しそうに微笑んだ。
「うん」
 包み紙を開け、マフラーを取り出すと、エイミーは早速首にかけた。
「もっと派手な色にすればいいのに」
「ううん。私、白が好きなの」
 静かに積もる雪と同じような白色。光を浴びれば、輝きだす白色。
 肌触りの心地よい、ふんわりとした長いマフラーを首に巻き、エイミーは鏡の前に立った。
「似合っているじゃない」
「ありがとう」
 色々な角度から、マフラーの様子を見る。
 場所によって編み方の違うマフラーは、白色の効果も相まってか、派手ではないにしてもゴージャスに見えた。
「問題は洋服だけど――」
 言いながらエイミーはクローゼットから洋服を何式か取り出した。
「――デザインは古臭いけど、マフラーで隠せばいいし、これとこれを組み合わせたら、そんなにダサくないと思うの」
 ベッドに組み合わせを並べ、エイミーはそれらを見た。
「うん。いいんじゃない?」
 『エイミー』の同意も得られ、エイミーの心は明るくなった。
 振り向いて、もう一度鏡を見る。
 白いマフラーが輝いていた。
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