02 Sounds Damn Familiar
電話を受けた父親の様子が、いつもの彼からは想像できないほど慌てていた。上着を、と投げて寄越してきた彼に、どこへ、と尋ねる。
病院、という単語が聞こえた気がしたが、慌しく支度をする物音にかき消され、その理由はクラウスの耳には届いてこなかった。
車の鍵を探したアンソニー・アイゼンバイスが、一瞬、動作を止める。
彼の手が下ろされるのを見、どうしたの、と上着に袖を通したクラウスが尋ねた。
振り向いたときのアンソニーの顔は、強張っていた。
何でもない、大丈夫。
アンソニーの口からは咄嗟にその言葉が出てきた。
幼い息子に心配をかけさせまいとしたのだろう。だが、いかに子どもであっても、アンソニーの普通ではない様子から、クラウスにはすぐに嘘であることが分かった。
父さん、何があったの、ともう一度クラウスが尋ねれば、誤魔化すように、取り繕うように、アンソニーは屈みこんでクラウスの上着の前を閉めた。
大丈夫だから、と呟かれたが、それはアンソニー自身に対して言い聞かせるようでもあった。
ドアを開ければ、地面は薄っすらと白かった。
タクシーを使い、降りた先は病院だった。
そういえば、とクラウスは車の中でも耳に入ってきたアンソニーの言葉を思い出す。
母さんが交通事故に遭った。
聞いた瞬間はその言葉の意味するところが理解できず、呑み込むのに時間がかかった。
ようやくに何が起こったのか認識した後、クラウスはずっと、嘘だ、と自身に言い聞かせていた。
受け入れなければ、現実も自ずとそれに倣うとルールづけていたからだ。
だが、そのような都合のいいルールが実際に適用されるはずもなかった。
病院の外では、赤い光が周期的に点滅していたように記憶している。
サイレンも飛び交っていたはずだが、思い返して再生してみても無音の映像が流れるのみで、音は思い出せない。
父親と共に駆け込んだ病院内、独特の匂いが鼻をつき、白い壁が眩しく、だが大勢の人によって全体像は隠されていた。
「息子が運び込まれたはずなんです、今どこに――……」
受付を目指す途中、必死に訴えかける年老いた女性の姿を見た気がする。
手を引かれるままに、クラウスはアンソニーの歩幅に合わせ、廊下を蹴っていた。
「すみません」
途中、アンソニーが看護師に声をかけるが、忙しいので、と断られる。
無理もない、このごった返した状況では対応に手が回らないだろう。
並んでいる人ごみを強引に掻き分け、アンソニーが受付に体を滑り込ませた。
人垣に潰されないよう、クラウスも懸命についていった。
顔がかろうじて上に出るほどの高さの受付の先、鳴り止まない電話と次々と押し寄せる人の波への対応に追われている病院のスタッフが見えた。
「すみません、妻が搬送されたと聞いて、急いで来たのですが――」
「ちょっと待っててください」
受話器から口を離し、女性がアンソニーに手のひらを向ける。
「カレン・アイゼンバイス、彼女がどこの手術室にいるか、教えていただけませんか」
あくまで丁寧に、焦りを抑えて尋ねるアンソニーに、クラウスはじれったさを覚えた。
「すみません」
「母さんはどこ?」
待ちきれずに背伸びをして尋ねれば、アンソニーがクラウスを見、握っていた手に力を込めた。
それを感じ、クラウスもまた父親を見上げる。
「アイゼンバイスさん」
ふと、声をかけられ、2人揃ってその主を見た。
手術室から出てきたばかりだろう様子が一見して分かる男性が、彼らの前に立っていた。
「ちょっと、こちらに」
薄手の帽子を取り、その医師が人の少ない一角へと2人をいざなう。
彼の様子に嫌な感じがしたのだが、クラウスは敢えてそれを感じ取らないように努めていた。
だが、それも続く医師の言葉によって虚しく散った。
「残念ですが――」
最初の数語は覚えているのだが、その後医師が何を言っていたのか、クラウスはまったく覚えていない。
事故に遭った際の怪我の具合、搬送されてからの様子、隣で同じように望みを絶たれたアンソニーは、それらを聞いていたのだろうか。
医師の言葉は覚えていないが、ただ、アンソニーに握られていた手にかかる力が弱まった、それは覚えている。
周囲の騒々しさが遠く引いていく中、クラウスの頭では最初に聞こえた、医師の間接的な言葉が延々と反芻されていた。
年端もいかない子どもであったが、暗に含められていた意味が分からなかったわけではない。
直接的でないにしても、この状況でその言葉が何を示しているのか、それは理解できた。理解はできたが、とても受け入れがたく、現実に対して必死に抵抗していた。
だがどうあがいても否定できないのだと知った瞬間、疑問が突如として沸き起こった。
「……何でだよ」
喉をつかえてかろうじて出てきた言葉に、医師が語るのを止めてクラウスを見た。
「どうして――」
交通事故、と聞いた。
そんな事故に、なぜ母親が巻き込まれなければならなかったのか。
『買い忘れたものがあるから、お母さんちょっと出かけてくるわね』
夕方、そう言って車の鍵を手に取り、コートに身を包んだ彼女の姿はまだ記憶に新しい。
ついて行く、とソファから飛び降りれば、待っていなさい、と諭された。
ドアが開き、外の冷気が入り込み、入れ違いに母親が出て行き、ドアが閉まった。
特別でもなんでもない一幕だ。
彼女は戻ってくるはずだった。
「――先生は、医者だろ?」
言いながら顔を上げ、母親の手術に当たった医師を真っ直ぐに見る。
「医者なら何とかできないのかよ!」
「クラウス」
「何とかしろよ!」
「クラウス、止めなさい」
医師にくってかかろうとしたところ、肩を引かれ、クラウスは振り返った。
その先に見た父親の目は、早くも医師の言った言葉をそのままに受け入れていた。
「何で――……」
一瞬、そのことが信じられずに言葉が詰まる。
ここは病院だ。
人の命を助ける設備が整っている施設なはずだ。
再び、医師を見る。
目を伏せた彼は、だが背を向けなかった。
責める相手を失い、クラウスは一歩後退し、アンソニーを見上げた。
父さんも医者だろ、という言葉は、喉まで出かかったもののかろうじて飲み込んだ。
そのまま、再生された記憶は周囲の雑音とともに白い光の中に消えていった。
椅子からバランスを崩しそうになった瞬間、クラウスはうつらうつらと見ていた映像から現実へ引き戻された。
建物こそ違うものの病院という共通点もあり、先ほどまで見ていたものが夢だということに気づくのが一瞬遅れる。
目を細め、時計を見やれば、ほんの5分ほどしか経っていなかった。
わずかな時間にせよ意識を飛ばした覚えはないのだが、ここ2、3日の疲労は思いのほか負担となっているらしい。
大きく息を吐き、眉間を指で押さえる。
再び目を瞑ると、そのまま夢の続きに引き込まれそうになり、クラウスは重たい瞼を開けた。
家族で過ごす行事の期間での大惨事。
時期こそ違えども、状況は同じだ。
想像だにしていなかった事故に巻き込まれた患者の親族の嘆きが、時間を経た今でも病院内に溢れかえっている。
命を救う場所であるはずなのだが、悲しみは片時も去らず、時にこのように大きな波として襲ってくる。
再びため息をつき、クラウスは椅子の背にもたれかかった。
医療技術は近年飛躍的に向上しているが、それでも万能ではない。
救える命もあれば、救えない命もある。
タミー・ドレイクの命もまた、後者だった。
だが、本当にそうだったろうか。
結果としては救えなかったが、救えるはずの命だったのではないだろうか。
その疑念がどうしても頭から離れない。
目を閉じれば、タミーの夫のチェイスと娘のエミリーの顔が思い出される。
彼らは、休日に急遽仕事が舞い込んできたタミーを見送り、家で彼女の帰りを待っていた。
待っていればタミーは帰ってくるはずだった。
しかし、彼らは1本の電話によりこの建物に呼び出された。
そして、クラウスの口からタミーが帰らぬ人となったことを知った。
医師としての仕事をしている上で、家族に訃報を伝えるときほどつらいものはない。
そのときの彼らの映像が脳裏を流れると同時に、家で彼らが1本の電話を受けたであろうときの映像がクラウスの視界に被さった。
だがその映像の視点はエミリーで、受話器を取っているのはほかでもない、アンソニーだった。
瞬きをしてその映像を追い払い、クラウスは深く息を吸って吐いた。
エミリーは、クラウスが母親を亡くしたときと同じような年齢だった。
母親の死を告げたとき、幼い彼女は涙を見せなかった。
ゆっくりとした瞬きをし、口を結んだまま、父親の手を握っていた。
父親のチェイスは、理不尽な妻の死についてクラウスに八つ当たりするでもなく、悲しみを堪え、娘を安心させるように気をしっかりと保っていた。
思えば、アンソニーも息子のクラウスの前では、チェイスと同じように振舞っていたような気がする。
長い瞬きをし、クラウスは彼らの映像を静かに去らせた。
状況が似すぎだ、と苦笑をしないではいられない。
(……だから、この季節は嫌いだ)
街中が明るく彩られていくのを見るたびに、痛ましい過去が掘り返される。
彼らもまた、同じような思いをしなければならないのだろうか。
「アイゼンバイス」
突如、頭上から声が降ってき、クラウスは驚いて後ろを向いた。
「オデール先生」
口を両手で囲い、声が拡散せずに目的の人物に伝わるような格好をしたまま、オデールはにっと笑うと、
「最近は3回目くらいでようやく自分の名前を思い出すみたいだな」
と嫌味でもなく告げた。
「すみません。ちょっと考え事をしていまして」
「そうか?」
覗き込むように目を見られ、クラウスは努めて平静を装った。
その彼に対して口元を緩め、オデールは前のめりになっていた姿勢を正した。
「ここ2、3日はろくに横になって寝てないだろ。違うか?」
鈍いながらも肯定の返事を返しつつ、クラウスは椅子から立ち上がる。
「先生こそ寝てないんじゃないですか?」
「いや、わしはそこらへんの手術台で暇があれば仮眠してる」
蓄えた顎鬚を撫で、オデールが仮眠を取った方角を示す。
「……また看護師から苦情がきますよ」
「いいじゃないか。折角購入した代物だ。空いてるのは使ってなんぼだろう」
鼻の横を掻きつつ、まぁなんだな、とオデールは続ける。
「大分落ち着いてきたから、今日はもう帰って休め」
「俺はまだ――」
「不健康そうな顔をしていると、お前のファンの若い娘たちが去っていくぞ」
「……は?」
「ま、そうなったら、代役はわしが一手に引き受けるけどな」
にっ、と笑うオデールに、クラウスは首を振って苦笑し、視線を横に逃がした。
「最後に寝床で寝たのはいつだ?」
「さぁ――」
「思い出せないくらい前ならさっさと帰れ。帰れるときに帰ってこそ、だ。こういう時は遠慮するな」
白衣のポケットに手を突っ込み、踵を返しかけたオデールが再び振り返る。
「ちなみにこれはアドバイスしているんじゃないぞ。指示だ」
人差し指でそう告げ、そのまま、それじゃ、と全ての指を開いて手のひらを見せると、オデールはすたすたとドアのほうへ歩き去っていった。
その背中を見送ったクラウスが、そう言われてもな、と息を吐く。
仕事をしていれば余計な事を考えなくてすむため、可能であれば静かな部屋には帰りたくない。が、疲労が溜まっているのは事実だ。クラウスとしても、整った環境で睡眠をとりたい気持ちがないわけではない。
「バイス」
不意に、去って行ったはずのオデールの声が聞こえ、クラウスは顔を上げた。
「お疲れさん」
ねぎらいの一言を残して念を押すと、オデールは廊下を右に折れていった。
素直にそれを受け取れば、自身の体を侵食している疲労が一気に存在を主張してくる。
クラウスは大きく息を吸って吐くと、そうだな、と頷いた。
オデールに急かされるように病院を出た後、クラウスは久しぶりに肺いっぱいに入れる外の空気の中、バイクを走らせた。
信号に捕まって停止すれば、眠気が襲ってきた。
この様子であれば、思考を働かすことなく睡眠に落ちることができるだろう。
だが家に着くまでは意識をしっかり保っていなければならない。
首を回して心持ち脳への血流を保ち、クラウスはふとショッピング街へ通じる道路のほうへ視線をやった。
街は、やがて迎えるクリスマスのために色づき始め、路上にはツリー用の木が網にくるまれごろりと並んでいた。
なるほど、確かに心温まるイベントだが、事故の記憶と切り離せない分、クラウスにとってはあまり歓迎できるようなものでもない。
視線を前に戻そうとしたとき、ふと、ツリーの間で店主らしい人物と会話をしている知った顔を発見した。
幼い頃はともかく、再会した後は街中で出くわしたことは一度もない。
珍しいな、と思いながらも、そのまま帰路につこうとした。
が、気が変わり、クラウスは信号が青になるのと同時にツリーを売っている店のほうへバイクを滑らせた。
目的の人物に近づき、バイクの速度を落とせば、その気配に気づいたか、振り向いてクラウスを見たウォレンが、こちらも珍しいものでも見るように再度確認した。
「何してるんだ、こんなところで」
「俺が聞きてーよ」
エンジンを切り、クラウスはウォレンの手元を見た。
背丈以上ある大きなクリスマス用のツリーが、根元を軸にゆっくりと転がされている。
「おめーがツリーを買うとは、また似合わねー画だな」
クラウスの言葉に、まぁな、と首を傾げ、ウォレンは作業を続行しつつ口を開いた。
「賭けに負けてね」
「賭け?」
「『誰が買いに行くか』」
誰との賭けだ、と疑問に思いつつクラウスが視線の先を横にずらせば、アンソニーの家からそこそこ近いところでバーを営んでいるギルバート・ダウエルのダッジラムを発見することができた。
「ギルんとこに飾んのか」
「そういうことだ」
なるほど、と納得しかけたクラウスが、先ほど耳にした単語を思い出し、怪訝に眉をひそめる。
「――ちょっと待て。おめー、まだギャンブルやってんのか?」
「ん?」
詰問調で尋ねてみれば、少しばかりぎくりとしたか、ウォレンが顔を上げる。
「まさかとは思うが、……またベガスに行ったりしてねーだろうな」
「――ああ、あの時はあれだ。エディーに誘われたから、つい、ふらっと」
右手を小さく回す弁解じみたウォレンの様子に、クラウスは多少の頭痛を覚える。
「……偽造IDを用意しといて何が『ふらっと』だ」
「言うな。――そもそも、何で知ってる?」
問いに対して無言をもって返答とすれば、ウォレンが口を閉じて視線を横に逃がし、頭を掻いた。
「なかなか楽しかったぞ」
「そりゃよかったな」
「欲は出さないほうがいい」
「ったりめーだ」
「機会があったら行ってみろ」
「バカ言え」
「アンソニーには言ってないだろうな」
「…………」
わざとらしくため息をつき、クラウスはウォレンから視線を逸らした。
その先、通りに並ぶ店の装いが目に映る。
この時期だ、各店舗が彩られていたとしても珍しいことはない。
「……クリスマスか」
呟かれた言葉に、ダッジラムのテールゲートを下ろしながらウォレンがクラウスを数瞬見やる。
「……――そういえば、アイゼンバイス家でツリーを見かけたことはなかったな」
金属音がし、クラウスは視線を元に戻した。
確かに、あの事故以降ツリーを飾った記憶はなく、事故の後で知り合ったウォレンは見たことがないだろう。
「……おめーもサンタを信じてなかったかわいくねぇガキだったろーが」
買ったばかりのツリーを荷台へ持ち上げようとしている彼を見、クラウスはバイクを固定すると、やれやれ、と手を貸しに向かった。
「アレックスが落としたレシートを拾ったからな。その時知った」
助けを得、どうも、とウォレンが軽く礼を言う。
「随分と現実的な知り方だな」
「だろ」
3でいくぞ、とクラウスはツリーの根元に手をかけた。
掛け声と共に息の合った動作でツリーを持ち上げる。荷台に載せれば、後はさほど力のいる作業ではなく、クラウスはウォレンに任せることにした。
「植木鉢みてーなのはいらねえのか?」
「去年のがあるんじゃないかな」
「飾りは?」
「さぁ。引き受けたのはツリーだけだ」
そうか、とクラウスは荷台の横手に背中を預けた。
突如として瞬間的な力仕事をしたせいか、疲れたらしい。
荷台の奥にツリーを滑らせつつ、ウォレンは指圧で腕を解しているクラウスを一瞥した。
「……仕事は終わったのか?」
尋ねられ、クラウスは手を下ろした。
「ああ。『帰って寝ろ』という仕事を頂戴したところだ」
「相当疲れてるみたいだな」
「まぁな」
語尾にかぶるように、ばきっ、と木の枝が折れる音がし、クラウスは振り向いた。
力加減を誤ったらしく、ツリーの上部、網の間を通してウォレンが折れた枝を取り出す。
「……形崩すなよ」
「壁側にすれば分からないだろ」
言いながら、ウォレンが取り出した枝を自然な動作でクラウスに差し出した。
流れに乗ってつい受け取ってしまったクラウスだったが、知らぬふりをして路上に捨てるわけにもいかず、暫く手の中で枝を遊ばせる。
「ここ2、3日は忙しかったんじゃないのか?」
「あん?」
「大きな事故があったろ。ニュースで見た」
「ああ、――まぁ、休む暇はなかったな」
重心を載せる足を変え、クラウスは続ける。
「だいぶ落ち着いてきたけどよ、あの空気は残るんだよな」
息を吐きつつ告げ、空を見やる。
寒い風の上、綿毛のような雲が青空を漂っていた。
背後から、テールゲートが上げられる金属音が聞こえてくる。
荷台の横手に預けていた背中を起こし、クラウスは振り返ると、木の枝を持っている腕を横に開いた。
丁度、テールゲートを固定し終えたウォレンが、差し出されたままに木の枝を受け取る。
「仕事をしていたほうが気が紛れるけどよ、体にガタがきたら仕事にもなんねーからな。今日はもう帰って寝る」
「そうか」
心持ち伸びをし、クラウスは、じゃあな、とバイクへと向かう。
その途中、
「クラウス」
ふと声がかかってき、なんだ、と振り返った。
「コーヒーでも飲むか?」
木の枝を持った手を、どこか店でも指すように動かし、ウォレンが尋ねる。
足先を彼に向け、クラウスは眉根を怪訝そうに寄せた。
「……俺、さっき『今から帰って寝る』って言わなかったか?」
聞いていたか、と疑問調に言えば、そういえばそうだったかな、とウォレンが頷く。
「悪いな、聞き流していて」
「流すな」
「家に着く前に寝るなよ」
もてあましていた木の枝をツリーの適当な位置に押し込み、またな、とウォレンがダッジラムの運転席側へと回りこむ。
その姿をしばらく見送っていたクラウスだったが、ひとつ息をつくと空を見やった。
日が沈むまでにはまだ時間があり、寝るにしても何か体内に入れておきたいところだった。
「ウォレン」
ドアが開く音と共に呼べば、動作を中断してウォレンが顔を覗かせる。
「それ、下ろさなきゃなんねーんだろ」
顎をくってツリーを示せば、それを見た後に真面目顔でウォレンが口を開く。
「まぁ、ギルとしても車にツリーは飾りたくないだろうからな」
「なら、そこまで手伝う」
ツリーからクラウスへと視線を移動させたウォレンに、ついでに、とクラウスは続ける。
「ギルんとこで一杯おごれ」
要求すれば、考えるような数瞬の間をおき、ウォレンが表情で疑問を返してきた。
「……さっきのコーヒーは『ねぎらおう』という気持ちの表れじゃなかったのか?」
問うと、そういえば、と思い出すようにウォレンが視線を一度逸らした。
「建前上はな。本気にされるとは想定外だ」
「そうかよ」
「どうしてもというのなら仕方ない。おごってやってもいいぞ」
「おめーなぁ……。素直にねぎらえ、バーカ」
「その態度が気に食わない」
「おごってくれんのか? くれねーのか?」
疲れてんだから早く答えろ、と催促すれば、やれやれ、とウォレンが両手のひらを見せ、運転席に乗り込んだ。
エンジン音の後に窓から片手が出されるのを見、クラウスは息を吐くと共に苦笑し、踵を返した。
ダッジラムが去っていく音を後ろに、顔を上げて通りを見やる。
改めて、例の季節がやってきたことを実感する。
これでもまだ、序の口だ。これから徐々に、色合いは濃くなっていくだろう。
口を結ぶと、クラウスはバイクに手をかけた。