IN THIS CITY

閑話3 Always Have Been, Always Will Be

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03 What Christmas Reminds Me of

 バイクであれば車よりも小回りが利くためか、ギルバートのバーに先に到着したのはクラウスだった。
 晴れているとはいえ、外で待つには風が冷たい。
 バイクから降り、鍵をかけると、クラウスはヘルメットを片手にバーの玄関へ向かった。
 表には、まだ準備中である旨が書かれたボードがぶら下げられている。
 開けてみようとしたが、やはり内側からロックされているようだった。
 その木枠のドアを叩き、クラウスは周囲に視線をやった。
 寒くなってきたというのに、この時間から既に道端にたむろしている連中がいる。
 彼らにとっては、寒さはあまり関係ないらしい。
 相変わらず外は居心地が悪いな、と思いつつ、目が合ってしまう前に彼らから視線を逃がし、クラウスは返事を待った。
 やがて、鍵が開く音がし、木枠のドアが開かれた。
 ベルの音が鳴るとともに、ギルバートが顔を出す。
「おや、クラウスじゃないか」
「久しぶりだな」
「まったくだ。元気か?」
「ああ、まぁ。中で待たせてもらっていいか?」
「待つ?」
 一歩下がってクラウスを招き入れつつ、ギルバートは疑問を返す。
「ウォレンがツリーを運んでくるから、手伝ってやろうと思って」
 それを聞き、ああ、とギルバートが頷く。
「ばったり道端で出くわした、ってとこか」
「まぁな」
「あいつの『負け』だ。ほっとけばいいのに」
 聞こえてきたギルバートの声に、クラウスは足を進めつつ振り返った。
「……あんたら本当にギャンブルしてんのか?」
「なに、内輪だけのだ。賭ける金額も高くない。ただの遊びだよ」
「『ただの遊び』か。ベガスに行っても聞きそうな台詞だな」
 言葉と共に吐く息の量を上げ、荷物を近くのテーブルの上に置き、クラウスは、ふと、動きを止めた。
「まさか親父も混ざってたりしていねーだろうな」
「アンソニー? ああ、彼なら大丈夫。興味あるのは酒だけだ」
 ギルバートの返事に安心しつつ、確かにそうだな、とクラウスは頷いた。
「何か飲むか?」
「いや、あいつにおごらせるからいい」
 そう答え、ついでに俺もおごってもらおうかね、と呟くギルバートの声を背後に、クラウスは椅子を引いて座った。
 途端に、全身に重力を感じる。
 ギルバートの足音が響く店内に、外からの人の声が遠く聞こえてくる。外の冷えた空気とは違って暖かくもあり、気を抜けば瞼が下がってきそうだった。
 アルコールの1杯や2杯を摂取すれば、より快適に、心置きなく何日かぶりの睡眠に没入することができるだろう。
 堪え切れずに出てきたあくびを噛み締め、クラウスは目に手をやった。
 血流が徐々に睡眠モードに入っていく様子が感じ取れる。
 ふと、耳にほどよい音量で音楽が届いてきた。
 名前は知らないが聞いたことのある、滑らかな旋律の曲だった。
 顔を上げて音源を探せば、CDを入れたらしいギルバートと目が合った。
「リラックスできる曲だろ」
 告げられ、まぁな、と返しつつ、クラウスは片肘をテーブルにつき、頭を手に載せると続けた。
「もう少し世代を考えろよ」
「名曲は名曲だ。違うか?」
 布巾を片手に同意を求めるギルバートに、そうだな、とクラウスは口元を緩めた。
 肩の力を抜き、深く、呼吸をとる。
 やがて2回目のサビに差しかかった頃。
 通りに面するバーの窓の外に動く影を感じ、クラウスはそちらへ視線をやった。それとともに車のエンジン音が流れ込んでき、ふつりと途切れた。
 やっと着いたか、とクラウスはテーブルに手をついて腰を上げた。
 玄関口へと足を運ぶ彼の姿を見、ギルバートは口元を綻ばせるとそのまま店を開く準備作業へ戻った。


 外に出れば、丁度運転席から降りたところのウォレンを見つける。
「遅ぇよ」
「左折の苦手な初心者に出くわしてな」
 理由を述べるとテールゲートを下ろし、ウォレンは網を掴んでツリーを引っ張った。
「しっかしこんなにでけーモンを買う必要があったのか?」
 根元がテールゲートの近くに来たところで足を進め、クラウスはウォレンとは反対側に立つと、最小限の力で済むような箇所に手をかけた。
「ワンサイズ小さいものよりお買い得だったからな」
「どこの主婦だよ」
 語尾を合図に持ち上げ、ツリーを荷台から下ろす。
 そっと地面に置いた後、クラウスは根元をくるんでいる縄から指を離した。
 土を払い、滞った血の流れをほぐす。
 冷たい外気を避けるようにそのまま手をポケットに入れれば、ウォレンからの視線を感じた。
「……なんだよ」
「終わりか?」
 地面にどっかりと足を下ろしたツリーを示されたが、クラウスは頷いて肯定する。
「さっき1人で転がしてたろ。後はおめーでやれ。俺はもう疲れた」
「中途半端な奴だな」
「うるせー。そっからここに下ろすのを手伝ってやっただけでも感謝しろ」
 荷台と地面を順に指差しながら告げると、クラウスは先に足を進め、バーのドアを広く開けた。
 途中までその姿を見送り、ひとつ息をつくとウォレンはツリーの根元と底に手をかけ、腰を痛めないよう注意しながらそれを持ち上げた。
「1人で持てるんじゃねーか」
「非常に重たい」 
 ドア口を通過の際、そうコメントするウォレンに対し、
「大変だな」
 とクラウスは返したが、手伝うほどでもないと判断し、ドアを固定する役に徹した。
 ドア枠の上にツリーがあたり、反動で少々ウォレンがバランスを崩す。 
「気をつけろよ」
 衝撃で落下してきた折れた枝へ視線を落としつつクラウスがそう告げれば、どうも、と、さもありがたそうな礼が返ってきた。
「ご苦労さん」
「どこに運べばいい?」
「その奥だ。よろしく」
 背後で交わされるギルバートとウォレンの会話を耳に、膝を曲げて枝を拾い、クラウスはドアから手を離した。
 ビリヤードが設けられている一角へとツリーを運ぶウォレンを追い、足を進める。
 テーブルを拭いているギルバートの隣に差し掛かったとき、ふと、彼が作業の手を止めた。
「何年ぶりかな、お前ら2人が並んでるのを見るのは」
 久しいな、と言うギルバートに対し、すぐに2人が煩わしそうに息をつく。
「その言葉はアンソニーから十二分に聞いた」
「ほっとけ」
 締め出すような返答を受け、アンソニーもご苦労なこった、とギルバートは頷いた。
 ビリヤードの一角への途中、形だけの暖炉の隣にツリー用と思われる大きな鉢が既に設置されており、その前でウォレンがツリーを下ろす。
 倒れないように支えつつ息をついて身体を労わり、彼がふと後ろを振り返った。
「クラウス」
 呼ばれてクラウスが顔を上げれば、ウォレンが片足を横に開いてツリーを見せ、現在の状況を公開した。
 どうやら、持ち上げて鉢に入れようとしているらしい。
 仕方ねーな、とクラウスは持っていた木の枝を隣に立っているギルバートに預け、手を貸しに向かった。
 不意に差し出された木の枝だったが、ギルバートはそれに視線を落とすと、形を確かめるように多角度から枝を見た。
 タイミングを合わす掛け声が聞こえ、彼が視線を上げる。丁度、ツリーが鉢の中に納まったところであった。
「土が足りなかったら言ってくれ」
 告げた後、ギルバートは木の枝を入れる何がしかを探しに踵を返した。
 適当な返事を返しつつ、ウォレンとクラウスはツリーを覆っている網と縄を解く。
 長い時間コンパクトであるよう強制されていたためか、自由となった後も各方面の枝はぎこちない角度をつけていた。
 数歩後退してツリーの全様を窺う。
 多少不恰好だが、時間が経てばそれらしい形になるのだろう。
 こんなものか、と納得し、2人揃って腕を下ろした。
「で、飾りは?」
 クラウスに尋ねられ、ウォレンは数瞬考えた後振り返ってギルバートを見、無言で質問を転送した。
 視線を受け、欠けたグラスに土を入れつつギルバートが口を開く。
「客が勝手に飾り付けるからいいよ。それに――」
 ひとつ間を置き、続ける。
「――お前らに飾りつけのセンスを求めてもなぁ……。どうしようもないだろ?」
 欠けて処分の対象だったグラスに土を入れ、折れた木の枝を挿しこんでミニツリーを完成させると、ギルバートはにっと笑った。
 期待されていないことに対し不満を持たない2人でもなかったが、仕事が増えないのであればそれに越したことはない。
「なら終わりだな」
 手元で網を畳み込みつつ、ウォレンが切り上げの言葉を告げた。
「お疲れ。ゴミ処理と掃除は俺がする。お前らは好きに飲んでろ」
 カウンターの片隅にミニツリーを置き、ギルバートは、
「ただし、1杯だけだぞ」
 と制限を設けるとゴミ袋を取りに向かった。
 その姿を見送った後、ウォレンが適当に畳んだ網をその辺の壁際に放る。
「俺がおごる必要はなくなったな」
「いや、2杯目以降はおめー持ちだ」
 手に持っていた紐を同じところに落とし、クラウスは遠慮なしにジャック・ダニエルが置いてあるカウンターの棚へと歩き始めた。
「何杯飲む気だ?」
 一拍置いて怪訝な声が背中に届いてきたが、クラウスは手のひらを上に両手を横に開くことで回答とした。


 開店までまだ時間はある。
 外からの淡い太陽光が差し込む隅のテーブル席に座り、ジャック・ダニエルを口に運びつつ、クラウスは飾りのないツリーを見やった。
 この位置から見ると、どこかの斜塔のような角度がついているのが分かる。が、それもその内、客の誰かによって直されるだろう。
 客のいない静かな店内だ。
 会話の邪魔をしてはいけないと判断したのか、ギルバートは音楽を止めたらしい。
 時折、彼が開店の準備をしている音が届いてくる。
「クリスマス近くになると、いつも気難しそうな顔をするな」
 かかってきた声に、クラウスはグラスを下ろしてウォレンを見た。
 好きなものを飲んでいい、とギルバートから許しが出ているにも関わらず、彼はミネラルウォーターの入ったグラスを手に持っている。
「お前のことだ」
 一定時間返答がなかったためか、ウォレンが目を合わせてきた。
 暫くの間を置いて視線を落とし、クラウスはひとつ息をつく。
「……知ってんだろ、もう」
 母親のカレンの事故死のことを意味したところ、はたして相手に伝わったらしく、まぁな、とウォレンが頷く。
「アンソニーから聞いた」
 返しつつ、ウォレンはアイゼンバイス家の棚に飾られている写真を思い出した。
 おっとりした優しそうな雰囲気の女性という印象は持っているが、当然のことながら、ウォレンは彼女と会ったことはない。
 だがアンソニーとクラウスの様子から、カレンがどのような人となりであったかはおよそ知ることができる。
「おふくろが死んだのは、もう随分と昔なんだけどな」
 呟くように言い、クラウスは椅子の背に体を預け、視線をテーブルの上に落とした。
 手先のグラスから、ひんやりとした感触が伝わってくる。
「……例の玉突き事故の件な、次々に重傷者が運び込まれてきた」
 切り出した後で少しばかり間を置いた。
 無言のまま話を聞くウォレンの様子を感じ取り、クラウスは長めの瞬きをとった。
 つい2、3日前のことだ。
 光景はまだ、鮮明に記憶されている。
「1人、死なせちまった」
 目を閉じたタミーの顔が思い起こされ、クラウスは視線を横に逃がした。
 窓ガラスの外、淡い陽光に照らされた建物が目に映った。
「……宣告に遭遇したのは初めてだったのか?」
「いや、そうじゃねぇ」
 再び手元に視線を移し、クラウス続ける。
「状況がな、似てんだよ」
 グラスから一口、ジャック・ダニエルを頂戴する。
「――おふくろが交通事故に遭ったときと」
 アルコールが体内に染み渡るのを感じながら、なんでだろうな、とクラウスは首をわずかに傾げた。
「人は、あんな簡単に逝っちまえるんだな」
 やるせない気持ちが押し寄せ、クラウスは普段より多い一口を喉に通した。
「……相手が車じゃ、勝ち目ねぇか」
 苦く笑いながら呟けば、そうだな、と擦過音でウォレンが同意する。
 顔を上げると、彼もまた、手元のグラスに視線を落としていた。
 その様子に、クラウスはふと、彼が家にやってきたときのことを思い出した。
「悪ィ。おめーも交通事故で両親亡くしてたな」
 詫びを入れればウォレンが顔を上げ、気にするな、と軽く口元を緩めた。
「幼かったからな。お前みたいに、はっきりとした記憶はない」
「そうか」
 何歳のときに両親を亡くしたのか、それは聞いてはいないが、確かに初めて会ったときのウォレンは小さかった。それ以前の出来事となると、記憶にはあまり残っていないのだろう。
「……あん時お前、『殺された』って言ったろ?」
 グラスを口へ持っていく動作を途中で止め、ウォレンがクラウスを見る。
「ん?」
「初めて俺んとこに来たときだ。アレックスが担ぎ込まれただろ」
 記憶を手繰り、あの時か、とウォレンが頷く。
「……そんなこと言ったか?」
「お前があいつのことを『父親じゃない』って言うから、『両親は?』って俺が聞いたら、『殺された、交通事故で』って、そう返してきたぞ」
 それを聞き、暫時の間を置いた後で、ウォレンは曖昧に頷くとグラスに口をつけた。
「覚えてねーか?」
「覚えてないな」
「まぁ、そうか」
 当時ウォレンは5、6歳くらいだったろうか。
 口数少なく静かだという印象を受けたものだが、ウォレンとしてはアレックスの状態が心配で会話どころではなかったのだろう。
「ガキってのは、けっこう的確な表現するんだよな」
 感心したように呟けば、
「お前も『ガキ』だったろ」
 と淡々と返ってきた。
 あの頃の物静かさはどこに行ったのか、とクラウスは心持ち口の端を上げた。
「おめーよか年上だ。単語も多く覚えていれば、表現の仕方も正確だ。だから、あの言葉を聞いて、妙に納得した」
「何にだ?」
「遺族にとっちゃ、『事故死』じゃねぇ。『殺された』んだ。相手が人であろうとなかろうと関係ない」
 グラスから手を離し、椅子の背にもたれかかる。
「……ガキの頃は、医者になればそういう理不尽な死から救えると思ってたんだけどな」
 室内から外へ、クラウスは視線を移動した。
 弱くはなったものの、淡い光が近くの建物の壁面を照らしている。
「やっぱ、現実は厳しいわ」
 細めていた目をテーブルの上に戻し、クラウスは軽く首を傾げた。
 玄人への道を進み始めて分かることだ。
 素人目には可能のように見えても、実際は技術的な限界がある。
「最善を尽くしたんだろ?」
 ウォレンの声に顔は上げず、クラウスはふと、呼吸の間をとった。
「……彼女が搬送されてから行った処置にミスはなかったか、ずっと考えている」
 踏んだ手順の一部において、別の選択肢を選んでいれば、彼女の心臓はまだ動いていたのではないだろうか。もっと経験を積んだ医師がタミーを担当していれば、あるいは彼女の命は助かったのではないだろうか。
 自身の腕を信じていないわけではないが、疑念が全くないわけでもない。
「……それで?」
「必死だったからな。間違ってはいなかったと思うけどよ、やっぱ――」
 言葉を続けるのを止め、クラウスは口を閉じた。
 どこを見るでもなく店内に視線を転じ、首を小さく横に振る。
「他のドクターは、お前に任せて大丈夫だと判断したんだろ?」
 鈍い頷きを返しつつ、クラウスがテーブルの上に視線を戻す。
「皆手一杯だったからな」
 その返答を聞き、ウォレンは一度テーブルの上に視線を置いた。
 グラスを持ち上げ、そのまま口に運ぶ。
「切羽詰った状況下でも、お前は冷静さを保てる奴だ。判断を誤るとは思えないな」
 聞こえてきた声に苦笑し、
「慰めか?」
 と返しつつ、クラウスは顔を上げた。
 水を飲んだウォレンが、いや、と口元を緩める。
「率直な意見だ」
「嘘つけ」
「本当だ」
 同じように口元を緩めて息を吐いた後、不満そうにクラウスが口を開き、
「心がこもってねーんだよ」
 と告げれば、ウォレンが眉根を寄せた。
「心外だな」
「棒読みなんだよ」
「過剰な期待はするな。俺は俳優じゃない」
「みろ。やっぱ慰めだろ」
「……人の言葉を素直に受け取れないとは、お前も世の中慣れしてるな」
「言ってろ」
 両手を挙げ、どうでも、と示すとクラウスは椅子から背中を起こした。
 ずっと作業はしていたのだろうが、ふと、クラウスは久しぶりにギルバートの気配を感じた。
 その方向を見やれば、奥の席に座り、タバコに火をつけている彼を見つける。
 視線を感じたか、ギルバートが2人のほうを見やり、にっと笑った後で両手で耳を塞ぐ真似をする。
 それに対して、気にすんな、と手で告げ、クラウスはグラスに触れた。
 口元へは運ばず、手先で傾け、氷を滑らせる。
 カラン、と手元で小さく音が響いた。
「……彼女の死を告げたとき、責める言葉は一言もなかった」
 外へ視線をやり、目を細める。
「娘さんも、――エミリーっていったかな。5歳くらいだったが、俺につっかかったりはしてこなかった」
 ただ静かに父親のチェイスの側に寄り添っていたエミリーの姿が思い起こされる。
「……あの子の表情が、頭から離れねぇんだ」
 彼女はひょっとしたら、死という概念をまだ理解していなかったのかもしれない。
 だが、母親と二度と会えないことは悟ったようだった。
「いきなり言われても、そりゃ呆然とするよな」
 何度目か、遠い過去の映像が再生され、クラウスはグラスをあおった。
「……お前もそうだったのか?」
 ウォレンの質問に対し、アルコールを喉に通した後、ああ、と頷いて答える。
「理解できなかったな。『ここは病院なのに、なんで救えないのか』って」
 救えないこともあると分かるのは、もう少し成長してからのことだ。
「エミリーの目にも、それが浮かんでいた気がする」
 テーブルの上に両肘をつき、クラウスは額を親指の甲に載せた。
 目を閉じる。
 もしかしたら、勝手に責任を感じているためにそう思えるのかもしれない。だが、子どもから見た医者という存在は、何でもできるはずの存在だ。
 その期待を裏切ってしまった。
 ふと、自身がエミリーの立場だった過去を振り返る。
 あの日、カレンを担当した医師は目を逸らすことなくアンソニーとクラウスに彼女の死を告げた。
 その後で目を伏せた彼もまた、人の命を預かる身として、人の死に直面したことが辛かったのだろう。
 にも関わらず、彼はクラウスの八つ当たりにも似た訴えを全て受け止めてくれた。
 名前は覚えていないが、母親を失った子どもの痛みをそのままに抱えてくれた、いい医師だった。
 彼のように、エミリーやチェイスと接することができただろうか。
 考えれば考えるほど、次々と疑念が湧いてくる。
「……その子も、20年経ったらお前みたいに医者をやってるかもな」
 不意に聞こえてきた言葉に顔を上げる。
「……また慰めか?」
 尋ねれば、無言のままウォレンが小さく微笑を返してきた。
「若干心がこもっていただろ」
「どうだか」
「お前も彼らと真摯に向き合ったんだろ?」
 問いに対し、クラウスはグラスを口へ運ぶ動きを止めた。
「……ああ」
「なら、彼らにも伝わったはずだ」
 相変わらずのウォレンの口調に、クラウスは口元を緩め、軽く息を吐いた。
「だといいんだけどな」
 一口頂戴し、グラスをテーブルの上に置く。
 カラン、と氷が小さく音を響かせた。
「立派な医者じゃないか」
 暫くして聞こえてきた声に、クラウスはウォレンを見た。
「二度は言わない。素直に受け取っとけ」
「おめーの言葉は信用できねぇんだよ」
「傷つくな」
「知るか」
 言いながら椅子の背にもたれかかり、口を閉じてひとつ息を吐いた。
「……ありがとよ」
 暫くグラスを眺めた後に短く礼を言えば、ウォレンが口元を緩めてそれを受け取った。
 ふと、バーのベルが鳴り、ギルバートと同世代と思われる客が3名ほど入ってき、2人同時にその方向を見やる。
 彼らの声にギルバートが挨拶を返すのを聞き、ウォレンが腕時計に視線を落とした。
 どうやら、そろそろ開店の時間となったらしい。
「さて――」
 出るかな、と席を立ったウォレンが、マネークリップから紙幣を数枚抜き、テーブルの上に置いた。
「――もう1、2杯飲んでいくだろ」
 語尾に重なるようにドアが開き、新たな客が店内に入ってくる。
「まぁな」
 置かれた紙幣を手に取り、クラウスはウォレンを見た。
「俺のおごりだ」
 そうか、と頷いた後、再び顔を上げる。
「おめーはもういいのか?」
「水ならここじゃなくても飲める」
「確かにな」
 頷きつつ、クラウスは、もらうぞ、とありがたく紙幣を財布にしまった。
「飲めねーと面白味もねぇだろ」
「そうでもないぞ」
 音楽もかかり始めた店内の様子を一瞥し、ウォレンは足先を玄関口へ向ける。
「飲みすぎるなよ」
「安心しろ。酒より俺の肝臓のほうが強い」
「そうだったな」
 それじゃ、と行きかけたウォレンがふと足を止め、振り返るとクラウスを見た。
「何だよ」
「会ったついでだ。ひとつ聞きたいことがある。いいか?」
「何でわざわざ確認をとんだ?」
「いや、内容が少し、流れに反していてね」
「流れ?」
「ああ」
「何の」
 ここで止まっていても仕方ないと判断したか、ウォレンが、まぁ聞いてくれ、と切り出した。
「先の一件もある上に、明らかにクリスマスが嫌いなお前を誘うのもなんだが――、この隣のギルの家を借りてパーティーをすることになっている」
 突然の話に対し、クラウスは数瞬遅れて眉を寄せた。
「何の?」
 尋ねれば、ウォレンがビリヤードのほうを親指を繰って示す。
 その先には斜度のきいたクリスマスツリーが存在していた。
「おめーが主催すんのか?」
 尋ねられ、ウォレンが怪訝な顔をする。
「企画するタイプに見えるか?」
「いやまったく」
 だろ、と頷き、ウォレンは上着のポケットに手を入れた。
「無理にとは言わない。――が、気が向いたら仕事の帰りにでも顔を出してくれ」
 そう残し、またな、とウォレンは返事を聞かずにドアのほうへ去っていった。
 ベルが鳴り、彼が外へ出て行くのと入れ違いに、ギルバートと知り合いらしい新しい客が入ってくる。
 開店早々、賑やかなものだ。
 残りのジャック・ダニエルを飲み干すと、クラウスは窓の外へ目をやった。
 夕日も沈む頃となったのだろう。店内のほうが明るく感じられる。
 ふと、奥のほうから早速やってきた客の笑い声が柔らかく聞こえてきた。
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