IN THIS CITY

閑話3 Always Have Been, Always Will Be

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04 Always Have Been, Always Will Be

 もしかすると、という人々の期待に反し、雪が舞ってくる気配は感じられなかった。
 それでも氷の香りは外を漂っており、色づいた街の景色がクリスマスの到来を歓迎していた。
 先の玉つき事故の後、これといった大きな事故はなく、病院内も明るく装飾がなされており、受付から小さくジングルベルの曲が聞こえる中、看護師たちが闘病中の子どもたちにささやかなプレゼントを配っていた。
「クラウスー」
 ふと背後から高い声が聞こえ、クラウスは振り向いた。
 その足へ小さな体が飛びついてくる。
「ダーシ」
 バランスをとりつつ女の子の名前を呼び、クラウスは屈みこんだ。
「元気だね。コルベット先生から聞いたけど、今日退院じゃなかったかな?」
 尋ねると嬉しそうに微笑み、ダーシが大きく頷いた。
「サンタさんにおねがいしたら、かなったよ。ルネやママに言われたとおりに、ずっといい子にしてたもん」
 母親に結ってもらったのだろう。二つ結びにされた髪の毛を揺らして、えへへ、と笑う彼女の頭を、よかったな、クラウスは優しく撫でた。
 その後ろ、ダーシにようやく追いついたのだろう。ゆっくりと歩を進めていた母親のジェニファーが、退院用にまとめた荷物を手に足を止める。
 娘の邪魔にならないよう目のみで挨拶をしてきた彼女に対し、クラウスは微笑をもって返した。
「でね、でね、クラウスはいつも遊んでくれてたから、お礼にこれをあげるの」
 そう言って小さな手が差し出してきたのはクリスマスカードだった。
「わたしが描いたのよ」
 開いてみると、綴りを間違えた形跡を残した『Merry Christmas』の文字と、絵が描かれてあった。
「外にブラックベリーを摘みに行ったときかな?」
「そうだよ。あのときクラウスが実を1こ食べちゃったから、ジャムにする分が少なくなっちゃったんだよ」
「ダーシ」
 娘を窘めるジェニファーに、構いません、とクラウスが手で伝える。
「ごめんな、あの時はお腹がすいてたんだ」
「でもね、ルネは優しいから、残りのベリーでちゃんとジャムを作ってくれたんだよ」
 ダーシが細い指で示した先には、ジャムの容器を持った彼女が笑顔で、ルネとクラウスの間に立っている絵が描かれてあった。
「ルネとはね、またブラックベリーをつみにいこうって約束してるの。ジャムにする前に食べちゃわないって約束するなら、またクラウスも一緒につんでいいよ」
「そうか?」
「約束できる?」
 もう、と呆れるジェニファーと微笑を交わし、クラウスはダーシの目を見た。
「約束するよ」
「うん」
「ありがとうな、ダーシ」
 カードを見せてにっこりと笑うクラウスに対し、はにかむような笑顔を見せ、ダーシが後ろの母親を見た。
「ちゃんと渡せたわね」
「うん」
 元気に髪を跳ねさせて、ダーシがクラウスを振り返る。
「クラウス、また泊まりにくるからね」
 彼女の発言に、あら、とジェニファーが困ったような愛おしむような顔をした。
「あー……っと、ダーシ。遊びにくるのはいいけど、泊まりにくるようなことはしちゃだめだぞ」
「なんでー?」
「ダーシ、せっかく元気な心臓をもらったんだから、これからは病気も怪我もしませんって、先生に約束しなさい」
 母親に諭され、ダーシは、うーん、と考えた後に、クラウスを見上げた。
「クラウス、わたし、もう病気しないから、また泊まりにきていい?」
 彼女としては純粋に、泊まりにきたいらしい。
 入院中は苦しいこともあっただろう。だが、幼いながらも彼女は乗り越え、未来を得た。
「ああ。いいよ」
「じゃ、病気しないって約束するね」
「怪我もな」
「うん」
「約束だぞ?」
「うん!」
 力強く頷いてクラウスにハグをした後、ダーシは母親の手を握った。
「先生、色々とありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。生命力溢れる彼女に、何度も助けられました」
 微笑んだ彼女が、私も、と続ける。
「娘のおかげで、頑張れた気がします」
 ゆっくりと、ジェニファーがダーシに視線を移動させた。
「ダーシ。それじゃ、帰ろっか」
「うーん?」
 家に帰る嬉しさと、長い間滞在していたこの病院との別れへの寂しさが、彼女の中で混ざっているのだろう。
 先ほどよりも勢いがなく、ダーシは頷いた。
「マイクも待ってるわよ」
 愛犬の名前を聞き、俯き加減になっていたダーシが、うん、と顔を上げる。
「お世話になりました」
「クラウス、メリー・クリスマス」
 母親に右手を引かれながら、ダーシが反対の手を振る。
「メリー・クリスマス」
 返しつつ、クラウスも手を振った。
 彼女たちの後姿を見送り、やがてその手を白衣のポケットに入れる。
 看護師たちからも退院祝いの言葉を受けつつ、ダーシは受付の角を折れて去っていった。
 ふ、と息をつき、振り返ろうとしたとき、
「ホー、ホー、ホー」
 背後から固有の笑い声が聞こえると共に、頭に何かかぶさってき、クラウスはその人物のほうを見た。
「オデール先生」
「ダーシは無事に退院したみたいだな」
「そんな格好して、どうしたんですか」
「何言ってる」
 今日は何月何日だ、とオデールが手を広げる。
 上背のある彼は、赤と白のサンタクロースの衣装に身を包んでいた。が、何かが足りない。
 それに気づいたクラウスが伝えようと口を開いたが、オデールに先を越される。
「それらしいだろ。腹にタオルをたんまり巻いたんだ」
 にっと満足そうに笑い、オデールはロッカーのある後ろのほうを指した。
「デイヴィスも今着替えているところだ。お前はその帽子を奴から隠してろ。サンタはわしだけで十分」
 頼んだぞ、と一言残し、オデールはゆったりとした歩調で子どもたちのほうへ向かった。
「ホー、ホー、ホー」
 サンタ風の笑い方には自信があるのだろう。が、子どもたちからの反応は彼の予想に反していた。
 オデール先生、トニー、と高い声が飛び交うのを聞き、やっぱりな、とクラウスは帽子をとると髪の流れを正した。
「何を言ってるんだ君たちは。私はサンタクロースだよ」
「うそだー」
「だってサンタさんのひげは黒くないもん」
「黒いし短すぎだもん」
「黒?」
 尋ねながらオデールが顎を撫でる。どうやら、付け髭を忘れたらしい。
「黒じゃだめか?」
「だめー」
「にせものー」
「偽者じゃない。今年はな、サンタ界では黒くて短いひげが流行りなんだぞ」
「うっそだー」
「本物ならトナカイ見せてよー」
 楽しそうにからかう子どもたちに対し、なんとか誤魔化そうとするオデールの声を耳に、やれやれ、と息を吐き、クラウスは彼に背を向けた。
 ふと、壁にかかっている時計が目に映る。
 この平和な様子が続けば、今日は早めに切り上げることができそうだ。
 どうするかな、と思案しつつ、クラウスは廊下を歩いていった。


 空は薄い雲に覆われたまま日が暮れ、街中を行き交う人々は足早に帰路についていた。
 明かりに照らされ温かみのある木枠のドアは、この時間では珍しくない開店中である札を掲げていたが、今日はそれに加え、『独り者のみ歓迎』という紙が貼られてあった。
 そのバーの隣。
 アイシングのしぼり袋をクッキーから離し、TJ・グラスフォードは隣を見やった。
 邪魔にならないよう緩やかに髪を上で束ね、エリザベスもまた真剣にアイシングに取り掛かっている。
 彼女の手が止まったのを機に、TJが嘆息をもらす。
「この作業、やっぱりリジーに任せておいたほうがいいみたい」
「なんで?」
 尋ねてきたエリザベスに、TJが手元のジャーマンクッキーを示す。
 なるほど、目の2つの点はうまく落とせたようだが、口などは生地からはみ出てしまっている。
「私なんでこんなに不器用なんだろ」
 顔を下げて頭を抱えるTJに、ふふっ、と温かな笑いをこぼし、エリザベスは口を開いた。
「でもTJはこれが最初でしょ? 私も最初は水玉くらいしか描けなかったわ」
 彼女のフォローに、TJが顔を上げる。
「本当?」
「本当」
「私が不器用だから、気を遣ってない?」
「ないわ」
 首を振るエリザベスに、TJが潤みそうな目をしながら口元を緩めた。
「リジー優しい。あいつにはもったいない」
 大げさにハグをしてくるところをみると、TJはどうやら、料理が不得手なことを相当気にしているらしい。
「慣れだと思うわ」
「そう?」
「いっぱい焼いたんだから、練習に使っちゃえばいいじゃない」
「それもそうね」
 気を取り直したか、頑張るわ、とTJが再び作業にとりかかる。
 くすっと笑いつつ、エリザベスもまた手を動かし始めた。
 その一連の作業が終わった頃。
「アレックス、そこ、のいた、のいた」
「はいよ」
 言われて、座っていた椅子から腰を上げ、アレックスが通り道を作る。
 よい香りとともにギルバート・ダウエルが大きな七面鳥を持ってき、テーブルの上に載せる。
 一同の感動した声に、満足そうにギルバートは微笑んだ。
「ま、この人数なら妥当な大きさだろ」
「すごい、これギル1人で全部?」
「いや、アンソニーにも手伝ってもらった」
「途中からね」
 手伝いました、とアンソニー・アイゼンバイスがTJに向かって手を上げ、エプロンを外しにかかる。
「中、何入ってんの?」
 覗き込むように尋ねてきたアレックスに、背筋を伸ばしてギルバートが丁寧にリストアップし始める。
「コーンブレッド、ヒシの実、タイム、ソーセージ、キャラウェ――」
「いっぱい入ってるってことだね」
 折角の説明を遮って、なるほどね、と頷くアレックスに対し、ギルバートが一言、文句を言おうと息を吸う。それに重なるようにウォレンが口を開いた。
「まぁ、うまければいいんじゃないか」
 フォローのつもりで彼は言ったのだろうが、何か言葉を続けるのが面倒になり、ギルバートは吸った息をそのままゆっくりと吐いた。
「ギル、すごいじゃない」
 気合を入れて損をしたか、と肩を下ろしていた彼に、嬉々としてTJが褒め言葉を送る。
「見直したわ」
 そう告げ、TJはエリザベスと共にどこの部位を食べようか相談し始めた。
 救われたようにその様子を見るギルバートの肩を叩き、
「ヤドリギ持ってこようか?」
 とアレックスがいたずらに小声で尋ねる。
 煩わしいとばかりにギルバートは彼の手を払った。
「さ、飲み物用意しろ。椅子はないがみんな適当にな」
 食事の準備は一通り完了した、とギルバートが指示を出す。
 食べ時だ、と動き始める中、ウォレンが腕時計に視線を落とし、アンソニーもまた、壁にかかっている時計を見やった。
 丁度そのとき、玄関のベルが鳴った。
 この部屋の主であるギルバートが顔を上げ、エプロンを解く動作を止めて玄関へ足を運ぶ。
 一応覗き穴を通じて確認した後に、ドアを開けた。
「クラウス。丁度いいときに来たな。今から食べるところだ」
 言いながらギルバートは一歩後退し、クラウスを中に招き入れる。
「けっこう広いんだな」
「だろ。隣人はいるが、少し騒ぐかも、と伝えてあるから、その辺は適当に」
 ドアを閉めるギルバートに、喉でのみの相槌を返し、クラウスは室内へ足を進めた。
「遅かったね」
「まぁな」
 アンソニーに返答してから、クラウスは部屋の中を一瞥する。
「もう始まってんのか?」
「いや、今から酒を開けるとこ」
 そういうアンソニーの手には、グラスに入ったシャンパンがしっかりと握られていた。
「……親父、既に飲んでんじゃねーだろうな」
「うん?」
 尋ねるクラウスに、曖昧な返事でアンソニーが笑みを作る。
「クラウス、久しぶりだねぇ」
 ふと、聞き覚えのある声が聞こえてき、クラウスは顔を上げ、その声の主を見た。
 最後に会ったのは、確かマイアミだっただろうか。
 随分と前のことだが、年齢の変化をあまり感じさせないアレックスに対し、ああ、と無愛想にクラウスは挨拶を返した。
「昔はこーんなに小さかったのになぁ」
 言いながらアレックスは腰あたりで手のひらを下に身長を示した。
「……この身長になってからも一度会っただろ」
「そうだったね」
 アレックスは肯定して穏やかな表情をすると、メリー・クリスマス、と残し、テーブルのほうへ去っていった。
 悪い奴ではないと分かってはいるが、苦手なことに変わりはない。
 それでも、どこか憎みきれないな、とクラウスは小さく息をついた。
「荷物はその辺に転がしておけばいいから」
 クラウスがアレックスのことを快く思っていないことは分かっているのだろうが、特段気にするでもなくアンソニーは告げると、テーブルへ向かった。
 肩にかけていた荷物を下ろし、上着を脱ぐ。
「来たか」
 聞こえてきた声に、クラウスは腕に上着をかけながら口を開いた。
「来いっつったのは誰だよ」
「無理強いはしてないぞ」
 振り返り、ウォレンを見る。
「時間がとれたからな」
 返せば、そうか、とウォレンが口元を緩めた。
「ウォレン」
 ふと届いてきた女性の声に、2人揃ってそのほうを見る。
 ハンガーを手にエリザベスがウォレンの隣に立ち、クラウスを見、次いでウォレンを見た。
 その様子に、ああ、とウォレンが納得する。
「クラウスだ。クラウス、こっちはエリザベス」
「初めまして」
 差し出されたエリザベスの手を握り返し、クラウスは同じように初対面の挨拶を返す。
「アンソニーの息子さんね?」
「ああ」
「色々話は聞いているわ。よろしくね」
 微笑むエリザベスに、ふとした疑問をウォレンに放ちつつ、クラウスもまた微笑した。
「上着、預かるわ」
 礼を述べつつ上着を渡し、それじゃ、と去っていく彼女の姿を見送った後、クラウスはウォレンの腕を引っ張った。
「誰だ?」
 尋ねれば、誰とは誰だ、と怪訝な表情で逆に尋ねられる。
「今の子だよ」
「紹介しただろ」
 聞いていなかったのか、というウォレンに対し、ようやくにクラウスは理解したらしい。
 曖昧に頷きつつウォレンの目を見る。
「……何だ」
「いや、別に」
 彼に固定の女性がいたことに驚きつつ、クラウスはクローゼットのドアを閉める彼女を一瞥した。
 その彼女に、TJがグラスを手渡す。
「モーリスと関係あるのか?」
 TJと親しげなエリザベスを見、クラウスは尋ねた。
「いや、普通の大学生だ」
 接点のなさそうな関係に、不可解な様子でクラウスはウォレンを見た。
 その向こうから、始めるぞ、というギルバートの声が届いてき、ウォレンが踵を返す。
「お前もそろそろ30か」
 テーブルへ向かいつつ呟かれたウォレンの言葉が耳に入り、クラウスは、うるせー、と足を繰り出して彼の尻を蹴った。
 衝撃で躓きそうになったウォレンが、仕返しとばかりに足を上げるが、反撃は予期していたのだろう、クラウスは事無げにそれを避けた。
「そこ2人、喧嘩は外でやれ」
 ドアを示すギルバートに対し、ウォレンとクラウスは共に両の手のひらを見せ、停戦したことを告げる。
 よろしい、と頷いた後、ギルバートは顔を上げて一同を見回した。
「さて、折角だ。クリスマスらしい始まりにしたいが、真面目に教会に行ってる奴はいないか?」
 問いかけに対して暫くの沈黙を許した後で、おもむろにアレックスが口を開く。
「Bless this food, O Lord, and ourselves to Thy loving service ――」
 流暢に紡がれる言葉に、驚いたような視線が彼に集まる。
「―― that we may always continue in Thy faith and fear the honor and glory of Thy name」
 ひとつ、呼吸をとるように区切り、アレックスは顔を上げた。
「Amen」
 結びの言葉を告げれば、一同がそれに倣う。
 やるじゃない、というTJの目に、アレックスはグラスを少し上げ、どうも、と答えた。
「アレックス、見直したぞ」
 礼を述べた後にギルバートが全員に向き直る。
「儀式はここまでだ。あとは好きに飲んで食べてくれ」
 乾杯、という言葉とともに、ギルバートがスイッチを入れる。
 軽快なクリスマスソングが流れ出す中、それぞれが飲み物に口をつけた。
「あんたがクリスチャンだったとは、知らなかったな」
 珍しそうにウォレンが言えば、シャンパンを一口飲んだ後で、
「お前を預かる前まではね」
 とアレックスが返した。
「ギル、ナイフもう1本ない?」
 早速に七面鳥を食べようとするTJとエリザベスへ、ちょっと待ってくれ、とギルバートが手で示す。
「ナイフならあるよ」
 ポケットに手を入れつつ、アレックスが背後を通りかかったギルバートに告げる。
 その隣で、そういえば、とウォレンもポケットを探るが、ギルバートは2人の肩を叩き、
「ルミノール、陰性か?」
 と小声で一言残すと、キッチンへと向かった。
 去っていく彼を見送り、ウォレンとアレックスは一度目を合わすと咳払いをし、互いの距離を開けた。
 七面鳥の前からは、メスとは使い勝手が違うナイフに対して愚痴をこぼすアンソニーの声が聞こえてきた。


 空腹が満たされた頃。
 リビングとキッチンの境のカウンターに片肘を置き、クラウスはテーブルの様子を見ながらシャンパンの入ったグラスを口に運んだ。
 アルコールが入ると気分が高揚するらしく、一際、TJの楽しそうな声が大きく届いてくる。
 以前に一度会ったときも快活な女性である印象は受けたが、相変わらずらしい。
 思えば裏がない人間のほうが少ないな、とクラウスは全体を見渡した。
「どうだ? クリスマスは」
 TJの相手をするのに疲れたか、輪を脱してウォレンが隣にやってき、カウンターに背中を預けた。
「悪かねーな」
「そうか」
 呟かれたウォレンの声に、どことなく安心したような音を感じ取り、クラウスは小さく苦笑をした。
 過去に起きた事故が思い起こされないわけではない。
 だが、この日にちに向き合ってみると、避けていたときよりも気持ちは楽な気がしないでもない。
 賑やかな様子を見つつ、クラウスはひとつ息をついた。
「またおめーに助けられたな」
「ん?」
「アレックスが担ぎ込まれた時だ。あん時はまだ、親父も俺もおふくろのことを引きずっていて、あんま口もきかねーし、すげーギクシャクしてた」
 アンソニーを一瞥し、けどな、とクラウスは続ける。
「おめーがやって来て、それどころじゃなくなった」
 アレックスの怪我が完治するまでの間、ウォレンもアイゼンバイス家に厄介になった。
 年が近いクラウスが色々と面倒を見ることになったが、子どもの知識と力だけでは世話を仕切れない。必然的にアンソニーとの会話も増え、カレンが去って以来の父子間の溝も埋まっていった。
「今回は気を遣ったが、その前については俺は何もしてないぞ」
「ま、そうだな」
 不意に、どっと笑い声が届いてくる。どうやら、アレックスとギルバートの話に沸いているらしい。
 いつものことながらアンソニーはシラフから変わらないが、他の面々は酔いが回っているようだった。
「盛り上がるのはいいが、後片付けはどうするんだ?」
「手伝ってない奴がするんじゃないかな」
「おめーとか俺、か」
 今後、更に散らかるだろう予想図を描き、クラウスはため息をついた。
「俺は手伝ったぞ」
 ウォレンの声に、クラウスは信用していない目を向けた。
「塩と砂糖を間違える奴が、か?」
 言われ、一瞬、何のことか、と思ったウォレンだったが、子どもの頃にアンソニーが風邪で寝込んだときの話であることに気づく。
「あれはお前がラベルを貼り間違えたからだろ」
「人のせいにするな。どの道料理とは縁遠いだろーが」
「確かに縁は遠い。が、ジャガイモの皮むきくらいなら余裕だ」
 ウォレンが軽く示したテーブルのほうを見やり、クラウスは、そうかよ、と適当に頷き、
「道理で小さかったわけだ」
 と呟くとグラスを手に持ち、口に運んだ。
 賑わいの背景に流れていた曲が終盤に差しかかったらしく、徐々に音が小さくなっていく。
「……茹でて潰したからだぞ?」
 ふと、隣から真面目な声でウォレンが告げてき、クラウスは、
「知っている」
 と強めに主張した。
 冗談だったことに気づいたのだろう、納得したように頷き、ウォレンは後ろ肘をカウンターに載せた。
 次の曲のイントロが始まり、その音にTJが反応する。
 どうやら彼女の好きな曲らしい。
 踊ろう、とTJに誘われたエリザベスが、笑顔のままウォレンに視線を投げる。
 その彼女に対し、ウォレンは小さく片手のひらを見せて応えた。
「行かなくていいのか?」
「一休みすることは伝えてある」
 そうか、とクラウスは頷き、口元を緩めた。
「おめーもまんざらじゃねーみてぇだな」
 呟けば、ウォレンが疑問の視線を寄越してくる。
「こういう『日常』が」
 手を広げて紹介する。
 否定が来るかと踏んでいたクラウスだったが、ウォレンは、まぁな、と肯定を返してきた。
 怪訝な表情をしたところ、クラウスに一瞥をくれた後にウォレンが答える。
「不思議じゃないだろ。ここにいた頃はこんな感じで時が流れてたんだ」
 知らない世界ではない、とウォレンはクランベリージュースを口に運び、グラスをカウンターの上に置いた。
「今はどうなんだ?」
 クラウスが尋ねれば、ウォレンが目線を上げ、彼を見た。
「……重たい話をする気か?」
「聞いただけだ」
 深い意味はない、と肩を竦めてクラウスが答える。
 回答は来ないかと思っていたが、暫くして、ウォレンが口を開いた。
「努力するさ」
 その言葉に、聞き間違いか、とクラウスが一瞬動きを止め、ウォレンを見た。
「……何だ」
 彼の様子に、聞き間違いではないことを知る。
「この前とは違う答えだな」
 口元を緩めて告げれば、そうだな、とウォレンが目を逸らして認めた。
 訪れた静寂を満たすように、音楽が流れこんでくる。
 暫時の間を置いた後、ウォレンの背中を叩き、クラウスは重心を載せる足を変えた。
「抜けるのは簡単じゃねーんだろ」
「まぁな」
「手は貸すぞ」
 クラウスの申し出に礼を述べ、ウォレンが顔を上げた。
 彼に倣って視線を移し、その先で目に映った人物に、クラウスは、なるほど、と納得した。
 心境の変化は、彼女によるところが大きいのだろう。
 諭すにしても、同性が相手では意固地になるところもあるだろうが、異性が相手の場合は、違う作用が働くらしい。
 いずれにしても、考えが改まったのならばそれに越したことはない。
 沿うべきではない哲学にウォレンが染まってしまったと思っていたが、彼の人となりの根本は変わっていないことを知り、クラウスは気づかれないように安堵した。
「カサノヴァ、ドクター」
 ふと、それまでエネルギッシュに踊っていたTJがカウンターへと足を運んできた。
「何休んでんのよ。せっかくいいテンポの曲だっていうのに」
「あんたはもう少し落ち着け」
「おっさんくさいこと言ってないで、ほら、リジーが待ってるんだから」
 強引なTJに対し、面倒くさそうにウォレンが応対する。
 その彼の手が、カウンターに置かれているクランベリージュースの入ったグラスに伸びるのを見、クラウスは何を思ったか、シャンパンの入った彼自身のグラスを気づかれないように素早くウォレンのそれとすり替えた。
 テンションに差のある会話を横耳に聞きつつ、クラウスはウォレンがグラスを無事に手に取るのを確認した後、彼が飲むはずだったクランベリージュースを口に運んだ。
 部屋の中は相変わらず、クリスマスソングで満たされていた。



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