IN THIS CITY

第1話 Pilot

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01 Before the Day Breaks

 暗闇に浮かぶ道路沿いの樹木がヘッドライトに照らされ、フロントガラス越しに瞬間映る。
 それと同時に耳障りな長いブレーキ音が耳をつんざく。
 苛立ちを舌打ちで表現し、ウォレン・スコットは右手に拳銃を握りつつハンドルを操作した。道路に黒い線を残し、遠心力で車体が大きく揺れながらもなんとか急カーブを切り抜けた。
 加速するエンジン音を聞きながら、前方の道筋を確認する。
 開けられた運転席の窓からうなり声と共に風が侵入してくる。
 後方で同じようなブレーキ音が聞こえると同時にバックミラーに異様に眩しい光が反射し、思わず目を細める。その光が進路を変えた隙をみて、バックミラーで後ろの車を確認する。割れてほとんど残っていないリアガラスを通して、こちらの乗用車よりも体格のいいアウトドア派の車が、同じく猛スピードで追いかけてくるのが見えた。
(しつこい奴らだ)
 かれこれ20分近く追跡劇は続いている。枝分かれのない山道での攻防戦のため、なかなかふりきることができない。前方に注意を向けた直後、銃声が2発聞こえた。
 まただ。
 間髪いれず反射的に身をかがめる。弾道は逸れ、2つの弾丸は視界を悪くする不規則な割れ目を残しながらフロントガラスを通過した。
 山間の直線コース。
 狙いやすくも、狙われやすくもある。
 素早く、拳銃を持った右手を風通しのいいリアガラスに向け、バックミラーで狙いを定め発砲した。先ほどから何度か迎撃してはいるが、相手は防弾ガラスを備えているのか一向にお構いなしだ。
 無駄なことか、と右手をハンドルに戻す。
 緩やかな右カーブがあったかと思えば、気を緩める暇もなく再び左曲がりの急カーブにさしかかる。スピードを落とせば追いつかれる距離だ。かといってこのまま突っ込めば間違いなく曲がりきることはできない。カーブ手前ぎりぎりまで加速し、アクセルから足を放して急カーブに備えた次の瞬間、銃声の次に、ガクン、と車体が揺れた。
 状況を脳で判断するより速く、タイヤを撃ち抜かれたことを感覚で知る。
 しまった、と思ったが遅かった。バランスと制御能力を失った車体は奇妙な振動と共に大きくスピンし、古びたガードレールを突き破って道路から離脱した。
 右側は谷。しばらく続く緩やかな坂を、低木をなぎ倒しつつ滑り降りた乗用車は、数メートル先の急斜面で更に加速し、転倒を繰り返して岩にぶつかると部品を撒き散らした。衝突による運動停止よりも勢いが勝ち、そのまま乗用車は緩やかにゆっくりと弧を描き、一気に20mほど下の谷底へと鉛直落下し、こだまする轟音をあげながら暗闇の中炎上した。
 不気味に赤く橙色に明るくなった周囲に、向かい側の山の岩肌がぼうっと浮かび上がる。


 道路上にキャディラックのエスカレードが停車した。
 男が1人降りてきて、小走りで壊れたガードレールをすり抜けると坂を転げ落ちないように注意しながら谷底の様子を窺い、高く短い口笛を吹いた。
「へっ、派手にやってくれるじゃねぇか!」
 男は炎上する車体を見下ろしながら奇声を上げた。
「死んだか?」
 後ろからもう1人の男が途中までついてきた。
「ありゃあどうみても死んでるだろうよ。粉々で丸こげだぜ?」
「よし、サツが来ないうちに引き上げるぞ」
「何言ってんだ。こんな山ン中、しかも深夜に何が起きたって、お気楽極楽能天気なサツは駆けつけてこねぇよ。ヤツの死体でも拝ませてくれや」
「人気がないとはいえ、車が通るかもしれん。一旦引き上げるぞ、グレッグ」
 谷へ下りる道を探すグレッグ・ウィマーを尻目に、兄のジョージ・ウィマーは踵を返すと車へ歩き出した。
「なんだよ、ヤツの遺体にご挨拶せずに帰るのか?」
「どの道今は暗すぎて下りられん。夜が明けてからのほうが危険も少ないだろう」
 兄の言葉に納得したか、グレッグはため息ひとつついて両手を広げると、坂を上った。道路からは炎上する車の姿は見えないが、薄黒い岩肌とその手前に存在感なくぼうっと浮かぶ煙が視界に入る。
 バタン、とドアを閉める音がして、エンジン音が遠ざかっていった。


 頭上を遠ざかっていくエンジン音で、途切れていた意識が戻ってくる。
 感覚が、活動を再開する。
 薄く目を開ければ漆黒の世界にうっすらと景色が浮かび上がってくる。
「…………」
 夜の闇に溶け込むような低木の群れを目が捉え、ごうごうと炎上する音を耳が拾う。
 思考回路が動き出し、先ほどまでの状況を思い出させた。
(……無事だったか)
 坂を転がり落ちる寸前、ウォレンは間一髪で車外へ飛び出した。とはいうものの、あの速度での事故だ。飛び出したというよりもむしろ振り飛ばされたと表現したほうがいいのかもしれない。
 横向きに倒れていた体を仰向けにしたとき、激痛が左肩を走り、思わず息を切って身を小さくする。痛みを堪えながらゆっくりと上体を起こし、左肩に右手をやった。ぬるっとした感触で出血していることを知る。しかし激痛はまた違うところからだった。折れたか、と思ったが、その痛さとはまた異なっているようだ。肩の痛みを伴うが、左の指と手首、そして肘はちゃんと動く。神経に異常はないらしい。そっと、肩を回してみる。角度により激痛が走るが重い傷ではないだろう。
 他にケガはないかと体をゆっくりと動かしてみる。打撲はあるが、左肩以外に大きな損傷はないらしい。足も動けば首も大丈夫だ。
 小さくため息をついて、前方を見やる。煙が立ち昇る様子がぼんやりと視界に入った。試しに、
(1、2、3、4、5、6、7、8、9、10)
 と頭の中で数字を数えてみる。
(……10、9、8、7、6、5、4、3、2、1)
 鈍痛はするものの、逆からもちゃんと数えられることでもって脳に損傷はないと結論付ける。よし、と確認し、まずは出血の処置にとりかかった。生憎包帯などは持ち合わせていない。上着を脱げばひんやりとした空気がまとわりついてくる。
 まだ夏が過ぎて日が浅いが、この時期の朝晩、まして山の中とあってはやはり冷える。
 他に選択肢がないことにため息をつきつつ、シャツの一部を引き裂き、左腕の出血部分に巻きつける。大した出血ではないから応急処置としてはこれで十分だろう。形の崩れた上着を着て立ち上がる。地面は斜めになっており、とっさに平衡感覚をとれずよろめいたが、足にはしっかりと力が入る。
 ふと、視線の先に拳銃を発見する。歩み寄って拾い上げた。どうやら無事だったのは自分の体と扱いなれたこのシグ P228 だけらしい。腰にしまうとゆっくりと坂を上り、無残に曲がったガードレールをすり抜けて道路まで出た。
 街までどのくらいの距離が残っているか、運転していた進行方向を見るものの、地形の起伏と林立する樹木が邪魔をして街の明かりはまだ見えない。じっと立っていれば暗闇に吸い込まれそうになる。
(……歩くしか手段はないみたいだな)
 追跡の一連騒動で詳しい位置は分からないが、目的地までにはまだ相当の距離があるはずだ。予定にはなかったが、途中の町に立ち寄る必要ができた。
 ポケットの中にマネークリップがまだ存在していることを確認しつつ、後方にも目をやる。車が来る気配は全くない。ただ静かな闇がひっそりと構えているだけだった。
 痛みが走らないよう注意しながら左手首の腕時計を見る。土で汚れてはいるが、機能に影響はないらしい。的確に秒針は時を刻んでいる。
 午前1時半過ぎ。
 夜明け前までには町に辿り着けるだろうか。
 暗闇の中、ウォレンは足を動かし始めた。


 冷えた空気にも十分に慣れた頃、道路は途中で別の迂回路をとっていた道と合流し、幅が広くなった。丁度通りかかった運送トラックに町の外れまで乗せてもらったが、そこに着いたときには東の空が緩やかなグラデーションを描き始めていた。
 交通機関は当然働いておらず、タクシーは個人的に嫌いということで、仕方なく徒歩でめぼしいモーテルを見繕う。鍵を受け取る頃には顔を出し始めた太陽に薄く青い空気が刻々と消されていく時間になっていた。同時にイエスズメの会話が朝の訪れを家々に知らせる。
 ほかの数少ない宿泊者はまだ寝入っているらしい。
 人気のない空気を感じ取りつつ受け取った鍵の部屋の中に入れば、外より幾分かは温かい空気が身を包み込む。
 内側から鍵をかけ、持続させていた緊張を緩めれば、疲労と睡魔が襲ってきた。
 室内に響く自分の足音を聞きながら、ウォレンは近くの適当な棚の上に鍵を置いた。とりあえず、熱いシャワーでも浴びて一息いれたい。
 棚からバスタオルを取り出し、浴室へと向かう。
 白熱電球の下で鏡を見れば、顔にも擦り傷ができている。衣服もところどころ破れており、トラックの助手席で窓を鏡代わりにして自分を映した姿よりひどかった。気さくなトラックの運転手が一瞬怪訝な顔をしたのもこれなら頷けるが、理由も聞かずに拾ってくれたのはありがたかった。
 シャワーを浴びる前に2,3の連絡を、と思いポケットに手をやるが、先の事故で連絡手段を失ったことを思い出す。どうやら公衆電話を探す手間も増えたらしい。
 何度目かのため息をつき、シャワーの蛇口を捻る。温水が出るまでの間、目的地までの移動手段について思案を巡らせた。
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