IN THIS CITY

第1話 Pilot

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17 This Ain't Goodbye

 夜は大分冷えてきたとはいえ、日が昇ればその日差しはまだ強い。
 活気づいてきた街中の一角に、小規模な車の修理工場があった。
「帰ったと思ったらまた出かけるのかよ。忙しいなお前も。なんていうかな、ほら、出張好きなビジネスマンみたいだぜ?」
 日光の暖かさと風の涼しさを肌に受け、エディー・ダンストは隣で新聞を読んでいるウォレンに向かって呟いた。主に車の修理を行っているが、機械や電気系統にも精通している彼は万屋のような存在だ。人のいい性格ということもあり、わけありの人物から一般人に至るまで幅広く支持されている。
「しっかしよく捕まらないよなぁ。まぁ、年季の入ったものだし盗んだところで誰も気にしないような代物だけどよ。何台目だ? 妙なところで器用だよな」
「妙なところとはなんだ」
 昨夜頂戴した放置車、といっても『放置車』というのはウォレンの言い分であるが、その車の色を変えてもらい、今ナンバープレートを差し替えてもらっているところだ。
「中古車なら安く買えるだろうに。それに盗むならさ、俺だったらもっとこう、派手なヤツを狙うけどなぁ。わざわざこんなボロい車ひったくって、何考えてんだか」
「欲しいときに販売業者が近くにないんだ。仕方ないだろ。それに盗って欲しくなければ鍵くらいかければいいじゃないか。あんなに堂々と放置されていたら、使ってください、と言っているようなものだ」
 言いながらウォレンは新聞を閉じ、まぁこちらの勝手な解釈だけどな、と付け加えた。
「お前ってけっこうなワルだよな。ま、こっちは儲かるからいいけどよ」
 最後のボルトを締め、エディーは体を起こした。
「さ、できたぞ」
「ん」
 新聞を適当なところに放置し、ウォレンは生まれ変わった車を見る。
「おお、新車みたいだ。さすがだな」
「バカ言え」
 呆れたようにエディーが息をつく。
「で、今度はいつ帰ってくるんだ?」
「さぁ。年が明けるまでにはもう一度戻るかもな」
 代金を支払いながらウォレンは告げた。
「そっか。んじゃそんとき代理頼んま」
 言われて何を、と顔を上げれば、エディーはポーカーをする仕草で答える。
「……なんだまたスッたのか……」
「またって、あれは絶対イカサマだって、な。なんか、こう、あいつら指の動きがおかしいんだよな。ありゃあどっかに絶対カードを隠してんだ。まぁ、すり替えてるところは見たことないけどよ。だから、こっちもイカサマでいく。頼りにしてるぜ」
「人をイカサマ呼ばわりするな」
「何言ってんだ、お前の腕は確かだよ。おまけに表情変えないし。ポーカーフェイスってあの表現、ピッタリだよな。ってか器用だよなぁ、普段は顔に素直に感情が出るくせによ。ま、自信持て、な」
「そんなところに自信持ってどうする」
「持たないより持つほうがいいだろ?」
 そう言われても、とウォレンは視線を逸らす。
「……アレックスに頼んだらどうだ?」
「アレックス? やだよ、あいつ相談料とかいって必要以上に金とるし」
「まぁ、確かに」
「お前しかいないんだよ、な。頼む」
 親しげな笑顔で頼まれ、やれやれ、とウォレンはため息をついた。
 その時。
「ウォレン!」
 後ろから大きく名前を呼ばれ、何事かと振り向く。
 駆け寄ってくる姿を見て、それが昨日の女性だということに気づいた。
「誰だ? 知り合いか?」
 隣でエディーが細目に彼女の姿を眺めていた。
「そうなるのかな、この場合」
「なんだよその曖昧な表現は」
「昨日会ったばかりだ」
「昨日の今日で彼女にしたのか? お前もなかなかやるなぁ。あれか、アレックスから手ほどきを受けたのか?」
 からかうような笑みを浮かべ、エディーは面白そうにウォレンを覗き込む。
「……エディー、彼女は――」
 説明をしようとしたところにエディーが割ってはいる。
「照れるなよウォレン、隠す必要ないだろ? 美人じゃないか。羨ましいぜ、どこで出会ったんだ?」
「いや、だから――」
「名前は何ていうんだ?」
「さぁ、知らな――」
「ナンパしたのか? どうやって誘ったんだ? 今度俺に――」
「その口の回転数を頭にも適用したらどうだ?」
 ウォレンはやっとのことでエディーの話を遮った。
「ん、何言ってんだよ、頭の回転が速いから、口の回転も速いんじゃないか」
 ほんの少しの間を置いてエディーが反論する。その理論を受けて、ウォレンは軽く頷く。
「……なるほど」
「だろ?」
 会話をしている間にも、エリザベスは急ぎ足で2人のもとへ駆け寄ってくる。
 互いに口を閉じ、ウォレンとエディーは彼女を見た。結構な距離を走ったらしく、息切れをしている。
「……大丈夫か?」
 無言の空間を埋めるようにウォレンが一言声をかけた。
 ええ、とエリザベスは掠れた声で答える。
 エディーは、やぁ、とにこやかにエリザベスに挨拶をした。
 息を切らした状態でエリザベスも2人に挨拶を返す。
 短いやりとりはすぐ途切れ、なんとも微妙な時間が流れる。
 何か言えよ、と横で催促するエディーに小突かれ、ウォレンは口を開いた。
「……君は、昨日の……」
 確認するように問いかけたウォレンに、エリザベスは、ええ、と頷いて答える。
「よかった、ここにいて」
 呼吸の荒いエリザベスに、安堵の表情が浮かぶ。
「ここをどうやって?」
 ウォレンは彼女の息が整うのを待ってから尋ねかけた。
「ギルに聞いたの。彼、恐らくここだろうって」
 ああなるほど、とウォレンは頷いた。
「地図も描いてもらったの。親切な人ね」
 エリザベスはにっこりと笑いながら言った。
「ギルって、あのギルバートか? あー、ヤツの顔にはみんな騙されるからなぁ。ヒゲがあれだよな、詐欺だよ詐欺。あのせいでやけに紳士的な雰囲気が出てるけどよ、信用するとけっこう痛い目に合うぜ。俺なんか何回ポーカーでカモにされたことか……」
 しゃべり好きのエディーがぺらぺらっとまくしたてる。
 テンポのよい口調で話しながら、エディーは2人の視線が自分に集まっているのを感じた。
「……あー、まぁ、なんだ、別にどうでもいいことだよな。ほら、俺ちょっとしゃべりすぎる癖があるからさ、以後気をつけるよ」
 肩を竦め、気まずそうに言った。
「……ちょっと、か?」
 ぼそりと呟かれたウォレンの言葉に、エディーは前言の訂正をする。
「失礼。かなり、かな?」
 合ってるか、と確認の視線をウォレンに送れば、適切なんじゃないか、と無言の答えが返ってきた。
「……あなたが、エディー?」
「エディー? 誰? 俺?」
 名前を確認され、思わずエディー自身も自問自答をした。
「そうそう、それ俺の名前。よく分かったね」
「ギルが言ってたから」
「ギルが? なんて?」
「おしゃべり、って」
「あー、なるほど、ね」
 にっこりと笑うエリザベスに、参ったなぁ、と苦笑しながら、エディーはなぜこの女性がここに足を運んできたのかについて先ほど自分なりに解釈して出した結論を思い出した。
「……えー、っと。ま、なんだ、俺はお邪魔みたいだから、引っ込むな」
 エディーは愛嬌ある笑みをエリザベスに送る。受け取ってエリザベスも微笑を返した。
「ウォレン」
 友人の名前を呼ぶと、エディーは自分の胸を2回叩いて人差し指をウォレンに向けた。彼なりの、頑張れ、のジェスチャーだ。その返事としてウォレンは適当に手の甲を振る。満足そうにエディーは自分の作業場へと去っていった。


「……悪かったかしら?」
 わざわざ席をはずしてくれたエディーを見送りながら、エリザベスは呟く。
「気にするな。あいつも気にしていない」
 素っ気なく言うとウォレンは彼女に向き直る。
「……それで?」
「え?」
「何か、また用か?」
「これといってないわ。ただ、会いたかっただけ」
 微笑む彼女から告げられた言葉を聞き、どう反応していいか分からず、ウォレンはとりあえず頷いた。
「……そうか?」
「ええ」
「なるほど」
「そうよ」
「……それは」
 返答の仕方に困り、ウォレンは言葉を探す。
 状況も彼女の心も呑み込めているが、予測していなかった出来事のため多少なりとも考えるのに時間がかかる。
「……嬉しいことだな」
 昨日と同じような言葉を口にし、ウォレンは彼女を見た。
 柔らかく微笑をする姿がそこにあった。
 短い沈黙が訪れる。
 それを埋めるかのように遠くからイエスズメの声が聞こえてきた。
「……他に、何か?」
 尋ねられてエリザベスはちょっと考えてから、ぎこちなく答える。
「昨日はありがとう。タクシー代も出してくれて」
「気にするな。大した額じゃない」
「何があったかは――」
 言いかけて昨夜の光景が脳裏に浮かび、エリザベスは一度目を閉じて小さく頭を振った。
「――誰かに聞かれても伏せておくわ。約束する」
「それがいい」
 賢明だ、とウォレンが返した。
「ひとつ、尋ねていい?」
 無言だが続きを促す視線を受け、エリザベスが口を開く。
「なんで私は見逃してくれたの?」
 問いかけに、そうだな、とウォレンがエリザベスを見る。
「君は深く関わっていないと判断したからだ」
 そう、とエリザベスが頷く。デュークとの間にできた確執について、ウォレンは察していたようだが、どうやら同情から救われたわけではないらしい。
「違うならその判断を再考するが」
 ふと声が落ちてき、多少の緊張を持ってエリザベスがウォレンを見やれば、発せられた言葉どおりの意図はないらしい様子が見てとれた。
「必要ないわ」
 答えてエリザベスが口元を緩めれば、ウォレンもそれに倣った。
「……不思議な人ね」
 呟くようにこぼし、エリザベスが続ける。
「あなたと話をしていると、なぜかは分からないけど落ち着くの」
「そうか?」
「ええ」
「……特に何も考えてはいないんだがな……」
 半ば困惑したように考えるウォレンを見て、エリザベスは自分の感情が本物であることを確認する。
 穏やかな表情に溶け込んでいる危険な空気。
 矛盾した要素がかもし出す独特の雰囲気。
 間違いない。
「あなたに惹かれたみたい」
 素直に口に出た言葉。
 その言葉にウォレンの口から今日何度目かの間投詞がこぼれた。
「それは……、なんと言えばいいかな……」
 言葉を探すようにウォレンは宙を見る。
「……ありがたいことだが、俺は君の彼氏を見殺しにした男だぞ」
 それを聞いてエリザベスの脳裏に再び昨夜の光景がよみがえる。
 夜の空に不気味に浮かぶ黒い工場の輪郭。響く銃声、倒れる人影。そして、血。
「……そうね」
 否定はせずにエリザベスは視線を落とした。
「彼の死に、ショックを受けたのは事実よ。でも、自然に受け止めている私がいるのも事実なの」
 デュークの死を目の当たりにして、平気なのだろうか。
 昨日の夜、エリザベスはずっと、その疑問を自分自身に問いかけていた。
 平気なのではない。
 だが、事実としてそれを受け入れられる自分がいる。
「冷たい人間だと思う?」
 その言葉に、さぁ、とウォレンは軽く首をかしげた。
「だが君が冷たい人間だとしたら、俺はそれ以上に冷たい人間ということになるのは確かだな」
 自身への皮肉が含まれたその言葉に、エリザベスは、いいえ、と首を振った。
 知っているのだ、と。
 人を殺す非情さと、それと対照的な優しさを持っていることを。
「彼の死とあなたへの想いはまったくの別物。だから、たとえ彼が生きていたとしても私はあなたに同じ事を言っていたと思う」
 にこりと笑い、少しばかりの照れを含んだ彼女の顔を、ウォレンはじっと見つめた。
 綺麗だ、と感じるのは、その容姿だけではない。察するところ好ましくない状況を生きてきただろう彼女の瞳には、世界に対する悲観的な色がなかった。
 純粋で真っ直ぐな、そんな瞳だった。
 少なからず羨望を抱いて、ウォレンは微笑した。
「……男運がないんだな、君は」
「そのようね」
 肯定しながらエリザベスも微笑む。
「……名前をまだ、聞いてなかった」
「エリザベスよ。エリザベス・フラッシャー」
 ウォレンは言われた名前を小さく復唱した。
「君らしいな」
「ありがとう」
 エリザベスは微笑を返す。
「……さて、俺はそろそろ行かなければならない」
 ウォレンは腕時計を見ながら言った。
「……街を、離れるの?」
「ちょっとした用事があるから」
 そう、とエリザベスは視線を落とした。
「……また、戻ってくる?」
「年末までには、恐らく」
 その言葉を聞き、エリザベスは嬉しそうに微笑んだ。
「待ってるわ」
 言いながら、エリザベスは初めてウォレンを見たときを思い返した。
 端正な横顔と、彼の纏う雰囲気に、思えばあの瞬間から魅了されていたのだろう。
「ギルのバーで」
 場所を告げながらウォレンを見る。
 返事の代わりにウォレンは微笑をしながら軽く頷いた。
 一瞬、視線と視線が深く絡み合う。
 それじゃ、と一言残して車へ向かう彼の姿を見ながら、エリザベスは二人の間を埋める秋の空気に目を細めた。
 エンジン音に周囲の音がかき消される。
 バックミラーに視線を投げ、エリザベスは遠ざかっていく車を見送った。
 風が、髪をなぜる。
 目に、周囲の景色が映りだす。
 訪れた静寂に、イエスズメの声が優しく、穏やかに溶けこんでいく。


 ひょっこりとエディーが出てきた。
「なんだよあいつ、俺には挨拶なしかよ。冷たいなぁ」
 エディーは車が去っていった方向を細目に見て、そのまま視線をエリザベスに向けた。
「手ごたえあったみたいだね」
 聞こえてくる弾んだ口調を受け、エリザベスは声の主を見上げた。
 にっこりと嬉しそうなエディーの姿が目に映る。
「……ええ」
 答えながらエリザベスは再び車が去っていった方向へ遠い視線を投げた。


 視線の先、有限の世界。


 近いうちに、建物に囲まれ真っ直ぐに伸びるこの道路の上空をカナダガンの群れが飛び交うだろう。


 彼らの到来の後に、彼もまた、帰ってくる。



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