IN THIS CITY

第1話 Pilot

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「朝っぱらから酒とは、相変わらず医者らしくないねぇ。患者に嫌われるぞ?」
 眠そうなギルバートは、それでも快く裏口を開けてくれた。年の頃が同じこともあり、よく気が合う親しい間柄だ。
「いやぁ、飲まないとね、調子がでないんだよ、調子が」
「酒なら他の店でも買えるだろうに。それ以前に俺の店は酒屋じゃないんだけどな」
 言いながらギルバートはアンソニーが好むバーボンのウッドストックを棚から取り出した。
 客のいない静かな店内にグラスの音が響く。
「カタいこと言わずに。どこよりも美味いんだから」
「褒め言葉じゃないぞ。俺が造っているわけじゃない」
「ああ、そうか、それはしまった。値引きをしてもらおうと思ったのに」
 笑いながら代金を払って商品を受け取る。
「どうだ、一杯引っ掛けていくか?」
「おや、私の道楽に付き合ってくれるのかね?」
「なぁに、こちらは夕方開店だ。一杯くらい大したことはないさ。それにゆっくり話すのは久しぶりだからな」
 ギルバートはにっこり笑うとグラスを2つ用意した。
「おごりかい? ありがたいなぁ」
 注がれるアルコールを見て、アンソニーもカウンターに座りながら微笑む。
 丁度注ぎ終わった頃、アンソニーの後方、店の裏口ではなく客が入ってくる入り口からノックする音が聞こえてきた。2人してその方向を見る。
「客らしいよ、マスター」
「こんな朝から? イタズラじゃないかな」
 言いながらギルバートは目を凝らす。
 木枠のドアのガラス張りの透明な箇所から、来訪者が女性であることが分かった。
「おや? あれは……」
 見覚えのある姿に、ギルバートはカウンターにグラスを置いた。
「知り合いかね?」
「ああ、ちょっとした、ね」
 入り口の鍵を内側から開け、ギルバートはドアを開けた。
「やぁ、君か。おはよう」
 ギルバートはその気さくな笑みをエリザベスに投げかけた。
「おはようございます」
「ま、立ち話もなんだから、入って。変なおじさんいるけど気にせずに」
「変なおじさんとはなんだね。せめて『お兄さん』に訂正しなさい」
 カウンターにて二人の会話を耳に入れていたアンソニーが反応する。
「それはかなり無理があるだろう」
「そう? まだいけると思うんだがなぁ」
 真剣に悩むアンソニーを尻目に、ギルバートはエリザベスを招き入れた。
「ありがとう」
 礼を言うとエリザベスは店内に足を踏み入れる。
 彼女が店内に入った後、ギルバートはゆっくりとドアを閉めた。
 昨日の一件についてはウォレンからは短く、片が付いたとの連絡はあった。彼のことだ、無駄に血を流すことはしない。こうしてエリザベスが無事なところを見ると、彼女はウィマー兄弟の件とは無関係だったのだろう。ギルバートはほっと胸をなで下ろした。
「おや、きれいな人だね。私も娘も欲しかったよ」
 アンソニーも笑顔でエリザベスを歓迎する。その柔らかな雰囲気につられて彼女もまた微笑を浮かべる。
「昨日は無事だったんだね。安心したよ」
 定位置に立つとギルバートはエリザベスに声をかけた。
「ええ。おかげさまで。でもあなたと彼が知り合いだったとは気づかなかったわ」
「商売だからね。隠すところは隠すさ」
 エリザベスに席を勧めながら、何か飲むかい、とグラスを持って尋ねる。
「あ、お水いただけるかしら」
「あいよ。朝から酒びたりだと、こうなるからね」
「こら、人を悪い例にするな」
 ギルバートを戒めながら、アンソニーはひとつ隣に座ったエリザベスに向き直ると、口調とアクセントを変えて自己紹介を始めた。
「おはようお嬢さん。私はアンソニー。アンソニー・アイゼンバイス。風邪をこじらせたり具合が悪くなったりしたら、3ブロック先の診療所までお越しを」
「ご丁寧にありがとう。私はエリザベスよ。お医者さんなの?」
 差し出された手を握り返しながらエリザベスは尋ねた。
「藪医者だから気をつけてね」
 にっこりと笑いながらギルバートが忠告する。
「藪じゃないよ。ちゃんと免許は持っているさ」
「へぇ。それは初耳だ」
「おや。そんなこと言うならこれから診療の割引はなしだね」
「それならこっちももう酒は売らないよ」
「あ、困るな。それだけはご勘弁を」
 軽快な2人の会話に、エリザベスの顔が自然とほころぶ。
「はい、ギルバート特製の水だ」
 会話の区切れを縫うように、ギルバートはグラスをエリザベスの前に差し出した。
 カラン、という氷の音がミネラルウォーターをより気高いものに飾り立てる。
「ありがとう」
 受け取って、エリザベスはグラスを口に運んだ。
「それで、今日はどういったご用件で?」
「昨日と同じよ。彼の居場所を知りたいの」
 その言葉に、ギルバートは疑問の眼差しを向けた。
「そりゃまた、どうして?」
「どうしてかしら、ただ、もう一度会って話がしたくて」
 言葉を紡ぎだすエリザベスが一段と綺麗に見えて、ギルバートは、ほほぉ、と感嘆詞を漏らした。 
「なんだい、恋愛相談所かい?」
「アンソニー、君は黙っていてくれるかね」
 話をややこしくしそうなアンソニーに自重を勧め、ギルバートはエリザベスに向き合る。
「何か、また『仕事』が絡んでいるのかな」
「いえ、個人的によ」
 なるほど、とギルバートが頷く。
「まぁ、あいつには人たらしなところがあるからなぁ」
 ギルバートの言わんとすることを理解し、エリザベスはにっこりと笑みを送った。
「なるほど。いや、まぁめでたいな」
 照れたように笑いながらギルバートは言った。便乗してアンソニーも笑顔で頷く。
「よかった、よかった」
「女ッ気がそんなになかったから、心配していたんだよ」
「私もだよ、嬉しいねぇ」
 相槌を打ちながらアンソニーは続ける。
「ところで、誰の話?」
 その言葉に疑問顔でギルバートはアンソニーを見た。
「なんだ、察してなかったのか?」
「君の知ってるやつだってことまでは推理したよ」
「へぇ」
「私もなかなか頭が切れるだろ?」
「どうかねぇ」
「で、誰なんだい?」
「ウォレンだよ」
「おやおや」
 驚いた表情でアンソニーはエリザベスを見た。
「偶然だね、さっき彼に会ったばかりだよ」
 その言葉を聞いてエリザベスはアンソニーを見た。
「どこで?」
「私の診療所で」
 エリザベスは表通りの方を振り返った。が、当然そこにウォレンの姿を確認することはできなかった。
「今、どこにいるか分かる?」
「家にでも帰ったかねぇ」
「家? どこに住んでいるの?」
「う~ん、あいつ何箇所か持っているからねぇ、寝床。ギルはどうだい?」
「さぁて、特定するのは難しいかな」
 ギルバートは軽く頭を振って答えた。
「あ、そうだ。どこか出かける風ではあったよ。怪我してるのに、言うこと聞きゃしないんだから」
 一言ぼやいてアンソニーはグラスを口に運んだ。
「出かける? またか。せわしいやつだな」
 ふと考えを巡らせて、ギルバートは思いついたように顔を上げた。
「なら、ひょっとしたらエディーのところに寄るかもしれないな」
「エディー?」
 名前を確認しながらアンソニーがエリザベスと重なるようにしてギルバートに尋ねた。
「あのおしゃべりの」
「ああ、彼のところか。そういえば、そうかもしれないねぇ」
 納得したようにアンソニーは頷く。
「その人のところに行けば、会えるの?」
 エリザベスは交互に二人の顔を見る。
「ふむ、会えるかどうかは分からないが、確率が高いのはそこしかないね」
 そう言うとギルバートは紙とペンを用意した。
「不思議だね。君の頼みだと何故か協力したくなる」
「あら、ありがとう。特権としてこれからも使わせてもらうわ」
「それは参った」
 苦笑しながらギルバートは地図を紙に描いた。簡単なものではあるが、要所をしっかりと押さえており、近辺に疎い人間でも見れば分かる仕上がりとなっている。
「はい、これが地図だ。朝だから危なくはないと思うけど用心したほうがいいね。女性1人じゃちょっと危険な界隈だから」
「ありがとう、マスター」
「ギルでいいよ」
「分かったわ。ギル、ありがとう」
「なんなら私が送っていこうかい?」
「いえ、1人で大丈夫よ」
 アンソニーの好意にありがとう、と礼を言うと、閑散とした店内に柔らかな笑顔を残してエリザベスは慌しく入り口から出て行った。
「若いねぇ」
 足早に去っていく彼女の背中を窓越しに見ながら、ギルバートがぼそりと呟く。
「そのセリフは年取った証拠だよ、ギル」
 再び誰もいないバーに2人きりとなり、グラスと氷の生み出す音が店内に響く中、ギルバートとアンソニーは他愛のない会話に戻った。
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