IN THIS CITY

第1話 Pilot

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05 Gilbert's Bar

 雲の合間から太陽がこの日最後の光を街に注いでから2時間が経った。
 薄暗い時間帯も過ぎ、夜の闇がひっそりとDCの街を覆っている。
 なかなかの賑わいをみせる通りに一軒のバーがあった。
 そのバーは洒落た木枠のドアを備えており、周囲のコンクリートの冷たい雰囲気の中に温かみのある色を醸し出している。それがまた、治安の悪い地域の空気を少しだけ和らげるようであった。
 路傍にて鼻にピアスをしてタバコをふかす、未成年と思しき人物の物騒な視線を無視し、ウォレンはバーへと足を運んだ。僅かながらの睡眠でも体力は多少回復したが、傷は当然、まだ癒えていない。癒えてはいないが、昨日よりも大分動かせるようになった。恐らく一度脱臼して元に戻ったのだろう。
 バーのドアを開けたときに客を知らせるベルが鳴るが、この時間帯は客が増えていく状態のためか彼らの会話に消されて店内には響かなかったらしい。照明が薄暗く感じるのはタバコを愛用する客が多いからであろう、煙によって光が散乱されている。見かけより広い店内の奥にはビリヤード場があり、時折話し声に混じって玉を突く音が聞こえてくる。
 新しい客に気づいた数人が視線を送ってきた。
 ウォレンは気にかけずまっすぐにカウンターへと向かい、目立たない隅のほうに腰を下ろした。
「久しぶりだな、ウォレン」
 店のオーナーであるギルバート・ダウエルが気さくな微笑を投げかけながら、グラス一杯の水をウォレンの前に置いた。酒が苦手なことを知っている、年は離れているがウォレンの古い友人である。口ヒゲを生やし、ダークブラウンの髪の毛にはところどころ白髪が混じっている。そのせいか実際の年齢よりも年を取って見えた。
「情報は?」
「朝方頼まれたとおり、撒いておいたよ」
「助かる」
 短く礼を言うとウォレンはマネークリップから紙幣を何枚か取り出し、ギルバートに渡す。
「しかしなんだな。奴らがお前さんを追っているという噂は耳にしていたが、まさかやられるとはね。悪い筋の依頼でも受けたのか?」
 ギルバートの質問には無言で口元を緩めて答えつつ、ウォレンは多少の後悔を押さえながら喉を潤した。
 依頼主が口を割ったことを知ったのが遅かったため、必然的に初動が後手に回ったのは否めない。情報網があり地理に精通しているこの街まで誘導できればと考えたのだが、その過程で相手方のレーダーに捉えられたらしく、先の追跡劇となった。
 昨日、ウィマー兄弟のその後の足取りについて少しばかり情報を集めてきたところ、いまだにしつこく探し回っているようであった。あの事故で死んだものとみなされて引き上げたかと思ったが、世の中そううまくはいかないらしい。
 職業柄いろいろな情報を耳にすることの多いギルバートは、その道では名の知れた情報屋である。ウォレンとしてはとりあえず元の計画どおり、この街にウィマー兄弟を誘導できないか、ギルバートの手を借りた次第だ。
「仇になるのもご苦労なこったな」
 他人事であるからか、ギルバートは面白そうに顔を崩す。
「ほっとけ」
「しかしもったいないことをしたな、車」
「別に構わない。もともと俺のものじゃないからな」
 遠まわしに『盗難車』であることをウォレンが述べれば、ギルバートが作業の手を止めた。
「おいこら。また盗んだのか」
「一応『後支払い』はしているぞ」
「いやそういう問題では――」
 窘めようとしたところに、マスター、と奥から客の声が上がった。
「はいよ」
 返事をして客の注文を聞き、ギルバートがカウンターの下のほうから新しい酒を取り出す。
「ひとりで仕切るのも大変なことだ。ヒマなら手伝ってくれないか?」
「悪いが酔っ払いの相手はしたくないんでね」
「そいつは残念」
 ギルバートは氷を取り出し、慣れた手つきで砕く。
「ときに話は変わるが、昼頃アレックスから電話があったぞ」
「アレックスから?」
「ああ。携帯にかけても出ないからきっと何かあったんだろう、ってな。『店に来たら知らせてくれ』と言っていたから知らせておく」
「そうか」
 そういえば最近連絡をとってなかったな、と思いながらウォレンは携帯を探すが、あの事故で失くしたことを思い出す。
 店内を見回すと、玄関口にひとつ、公衆電話が設置されているのが見えた。
「電話借りるぞ」
 コインを用意しながらウォレンは玄関口に設置された電話に向かう。
「あいよ。取り外そうかと考えていたが、まだ需要があるとはな」
 ギルバートの言葉に苦笑しながら、なるほどあまり使われていない雰囲気を漂わせる電話にコインを投入した。受話器をとり、プッシュ式のボタンを押して電子音を耳に入れる。数回の呼び出し音の後、相手が出た。
『……もしもし』
「アレックスか? 俺だ」
『ん? ああ、お前か。なんだ無事だったのか』
「なんだとはなんだ」
 切り返せば電話の向こうで、はっはっは、と笑う声がする。
『ま、深く考えるな。ありがたく思えよ、心配してやってたんだから』
「そりゃどうも」
 素っ気無く答えながらもアレックスの言葉に嘘はないことを感じ取った。
 アレックス・デイル。ウォレンが物心ついたときから世話になっている人物で、父親同然の存在であり、最も信頼できる男だ。
「電話の用件はなんだ?」
『用件? かけてきたのはそっちだろ?』
「昼頃携帯のほうに電話をしたんだろ?」
『あー』
 思い出したようにアレックスが声をあげる。
『いやぁ、ちょっと手助けしてくんないかなと思ったんだけど、忙しいならいいや』
「ヘマでもしたのか?」
『馬鹿言うな。俺は仕事をしても男としても完璧よ』
 次いで笑うその声が受話器の中で響く。
 肯定も否定もせずにウォレンは最も適切な返答と思われる言葉を脳内で検索した。
『……なんだこの沈黙は』
「答えにくいことを言うからだ」
『同意でいいんだよ、こういうときは』
「で、いつごろ行けばいいんだ?」
 いつものように長くなりそうなやりとりを察知して、ウォレンは本題を呼び戻す。
『なに、来てくれんの?』
「ああ」
『ほう。そりゃ嬉しいが、そっちのいざこざは大丈夫なのか?』
「相手が張り切ってるからな。まぁ、ギルの手も借りたしあとは時間の問題だろう。明朝までにはなんとかなるんじゃないか」
『楽観的だねぇ』 
「あんたの影響だ」
 ウォレンの言葉に、そうかい、とアレックスが笑いながら答える。
『なら明日の昼あたりにでもこっちに来てくれ。交通費の支給はなしだ』
「いつものことだろ」
『確かに。ま、気をつけてな』
 相変わらず緊張感のない余韻を残し、電話は切れた。
 それを確認し、ウォレンが受話器を元に戻す。
 さて、どうしたものか。仕事云々の前に今の状況を打開しなければならない。情報は撒いたものの、うまいこと誘いに乗せて短時間でカタをつけられるかについてはまだ道筋を立てていない。
 ゆっくりとカウンターのほうに戻りながらいろいろと思考をめぐらす。
 その様子を一瞥し、ギルバートは他の客にビールを一本渡した後、ウォレンの方に歩み寄って小声で告げる。
「……大した情報は持ち合わせてはいないが、欲しけりゃ売るぞ」
「どんな情報だ?」
「なに、5ブロックほど先の飲食店で、昼間やつらを見かけたって情報だ。男と話をしていたようだが、その相手というのがこの街の不良刑事だったらしい。デューク・ホルムといって、裏じゃけっこうなワルをしてる。まぁ、かわいいモンだがな。サツが絡んでくると厄介だが、その心配はないだろう。表沙汰になればそのデュークって刑事にもとばっちりがいくだろうしな。で――」
 一通りギルバートの話を聞いてウォレンは続きを制した。
「……俺は、『買う』とは一言も言ってないぞ」
 話を遮られて口を半分開けた状態のギルバートが一瞬静止する。
 そういえば、と思い返す時間がしばらく流れ、口を閉じて首を傾げる。
 ゆっくりと、視線をウォレンに向け、苦笑をした。
「……誘導尋問か……。なかなかやるな」
「ただ単に口が軽いだけじゃないのか?」
「何を言う、口は堅いので有名だぞ俺は」
 真面目な顔でそう断言する彼を尻目に、ウォレンは適当に頷いておいた。
「ま、仕方ない、長年のよしみだ。無料にしておくよ」
「それは助かる」
 軽く微笑を浮かべれば、してやられたという表情のギルバートが笑みを返してくる。
「で、誘導はできたみたいだけど、成功報酬を請求していいのかな?」
「あんたが撒いた情報のおかげとは限らないだろ」
 反論を受け、確かに、とギルバートが頷く。
「まぁいい。これからどうするんだ?」
「そうだな……」
 思案する言葉をウォレンが呟いたところで店に新しい客が入ってきたらしい。
「いらっしゃい」
 マスターの顔となってギルバートはその見慣れない顔の客に営業スマイルを送る。
 彼の行動と表情で客が女、しかも美人であることを予測しながらウォレンは水の入ったグラスを口元に運んだ。
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