IN THIS CITY

第1話 Pilot

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11 Insecurity

 続く言葉が紡がれないことを知ってか、ウォレンが窓の外へ視線を戻した。
 その横顔を瞳に映しながら、エリザベスは自分の心境の変化を察知してぎこちなく視線をウォレンから逸らした。
 静かな空気が辺りを包み込む。
 天井の蛍光灯の音だけが小さく耳に入ってくる。
 エリザベスは顔をそのままに視線だけをウォレンに向けた。静けさと同化するように、落ち着いた雰囲気で椅子に座っている姿が見える。
「……落ち着いているのね」
 呟くように言えば、相手がこちらを向く。
「何か企んでいるのかしら」
 エリザベスの言葉を受け、ウォレンは軽く苦笑した。
「いや」
 言いながら足を組み替える。
「右手は窓格子と一体化してる。何も持っていなければ、人間は金属を断ち切ることはできない。おまけに君が監視している。逃げられる状況じゃないだろう」
「そりゃそうだけど……」
 余裕すら感じるのだ、と心の中で呟いた。
「逃げてほしいのか?」
「そうじゃないけど、普通なら、逃げようとするんじゃない?」
「無駄に体力は使いたくないからな」
「……そう」
「逃げてほしいなら、鍵を渡してくれ」
 ウォレンは格子につながれている右手を動かす。じゃらじゃらと金属の擦れあう音が響いた。
「お生憎様。私、鍵は預かっていないの」
 微笑をすれば、ウォレンも軽く微笑を返す。
 穏やかだ、とエリザベスは思った。表情だけではない。心も穏やかなのだろう。状況が状況だけに、疑問が頭をよぎるが、彼のそんな姿を見ていると疑問よりも好感のほうが勝ってしまう。
 会話が途切れれば何度目かの静寂がやってくる。それは緊張したものでも苦しいものでもなかった。
「……誰に追われてるの?」
 思えばデュークからは何も聞かされていない。ただウォレン・スコットなる人物を見つけ出して欲しいと頼まれただけである。実際に探し出して、こう面と向かって話しているうちに、エリザベスは詳しい経緯が知りたくなった。
「さぁな」
 他人事のようにウォレンは呟いた。
 まったくもって気にもかけていない様子。余裕なのか、何なのか。エリザベスは疑問に思いながらウォレンの顔をまじまじと見た。
 目と目が合う。
 思わずどきりと波を打つ心臓を悟られないように、エリザベスは一度視線を逸らした。
「気にならないの?」
「いずれ分かることだろう」
 そう言ってウォレンは立ち上がった。
 和んだ場の空気のせいか、エリザベスの脳はその動きをごく自然なものと判断した。が、はっとしてエリザベスも立ち上がり、ウォレンに向かって銃を構える。
「な、何する気?」
 エリザベスのその反応に、驚いたようにウォレンが軽く両手を挙げる。
「……いや、右手に血が届きにくかったから立っただけだが……」
 相変わらずの口調で答える姿に脱力し、エリザベスは銃を下ろして元のように座った。
「……びっくりさせないでよね」
「こっちが驚いたぞ」
 ウォレンもゆっくりと両手を下げる。もっとも右手は完全には下がりきらない。
 慌しい空気の中に沈黙が訪れる。
 鼓動が速く、その心音が相手にまで届きそうにエリザベスは感じた。そう思えば思うほど、心拍数は落ち着かないものとなる。
 現金なものだ、とエリザベスは思った。もともとデュークに対する心は離れたものとなっていたが、この状況下で、まだ何も知らない相手に鼓動を速めるとは。
 ふと、このまま彼をデュークの依頼人に引き渡したらどうなるのだろう、と考えた。
 どういう理由で尋ね人になったかは知らないが、彼を探しているのは少なくとも警察ではない。デュークと関わる人間だから、まともな人間とは考えられなかった。
 引き渡したら、どうなる?
 彼は、殺されてしまうかもしれない。
 そんな考えが頭をよぎり、かき消そうとしてエリザベスは頭を軽く振った。
 挙動不審なエリザベスに、疑問形のウォレンの視線が注がれる。その視線に気づいて顔を上げれば、当然ながら視線がかみ合った。慌てて逸らしたものの、今の考えが相手に読まれていないか不安になり、その感情を紛らわすようにエリザベスは口を開いた。
「1万ドル、らしいわよ」
 一瞬の間があって、ウォレンが尋ねる。
「何がだ?」
「あなたを探し出したときの報酬」
「へぇ」
 大して興味なさそうに呟く。
「それはまた、結構な値段だな」
「……何をしたかは知らないけど、よほど恨まれているのね」
「みたいだな」
 相変わらず他人事のようにウォレンは呟く。外を見る横顔にも、焦りや不安の色は見えない。
 自分のことが心配ではないのだろうか、と思いつつも、エリザベスは彼のその様子に惹かれている自分を認めないわけにはいかなかった。
「……おいしすぎる話だな」
 しばらくの沈黙の後、ぼそりとウォレンが言った。
 エリザベスは意識を現実に戻す。
「人1人見つけるだけで1万か……」
 呟かれた言葉を聞き、ふと不安が脳裏を掠める。
 さほど広い街でもないが、確かに人1人を探し出すのに、軽く1万ドルを気前よくポンと弾む人間はそうそういないように思われる。
「……どういうこと?」
「太っ腹な依頼主だな、ということだ」
 予期していた言葉と違い、安心感を抱くが、不安な心はまだ消え去っていない。エリザベスはそのままの感情を表情に映した。
「気にするな」
 エリザベスの心中を察したウォレンがこともなげに言う。
「俺の独り言だ」
「気にするなって言われても……」
 気になるものは、気になるものだ。
 最初に感じた漠然とした不安が現実のものとなっていくような気がして、エリザベスはぎゅっと自分の手を握った。
 デュークとの縁を切るために自ら関わったことではあるが、今更ながらに大きな不安を感じている。
 ひょっとしたら、自分たちは利用されているだけではないのか。
 先ほどは一瞬ウォレンの身を案じたエリザベスだったが、今はその前に自分の身も案じなければならないと感じている。
 安直だっただろうか。ただひたすらに、デュークから去りたいがために、事の本質をはっきりと捉えてなかったのではないだろうか。
 悪い予感が次々と脳内に生まれ、エリザベスは恐怖を感じて思わず己の身を抱いた。
「……慣れていないみたいだな」
 落ち着かなくなったエリザベスを見て、ウォレンが声をかける。
「え?」
「こういう状況に」
「……そうね、初めてのことだから……」
 答えながら、何が初めてなのだろうと自問自答をする。
 恐らく、一般人が関わることのない世界に足を踏み入れたことだろう。話を聞いたときは何も考えていなかったが、今更ながらに後悔の念が心をよぎる。
「……あなたは、慣れているのね」
 確実に不利な状況にいるにもかかわらず、平然として構えているウォレンに投げかけた。まぁな、と小さく同意する声が聞こえる。
 エリザベスは何か他に言葉を期待したが、ウォレンは窓の外に視線を移すと静寂を受け入れていた。
 不安は消え去らない。
 ふと、車の走行音が耳に入ってくる。次第に大きくなるその音に比例して、ウォレンの横顔がヘッドライトに明るく照らされた。眩しそうに目を細める彼の姿を見て、エリザベスは入り口へ視線を移した。
 視界に車の全体像がヘッドライトと共に入ってくる。
 黄色いその光は、明るい未来を招くものとは思えなかった。
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