IN THIS CITY

第1話 Pilot

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08 Equality

「来い」
 穏やかな口調と脅迫的な行動。正反対の言動を目の当たりにし、エリザベスは初めて本当の恐怖を感じた気がした。
「いやよ」
「来るんだ」
 ぐいっと腕を引かれてエリザベスは反射的に払いのける。ふらついた足元を支えるように壁に手を突き、相手を見据えた。
 気のせいだろうか、彼の手を払ったとき、その顔が少し痛みに歪んだ気がしたのは。
「……女性を撃てるほど、卑怯じゃないわよね」
 言いながら考えをめぐらす。どこか痛むのだろうか。払いのけたのは左腕。ひょっとしたら、怪我をしているのかもしれない。
 エリザベスがそう考えながら相手を観察していれば、ぴたりと目と目が合った。
「撃てるさ」
 躊躇のない返答。意外に思いながらも、エリザベスは微笑を返す。
「どうかしら」
 この人は撃たない。
 威圧的な口調も、攻撃的な雰囲気もない。撃つはずがない。
 だが、次の瞬間エリザベスの顔が引きつった。
 銃口が視線の高さまで持ち上げられたと同時に、目と鼻の先でパァンという乾いた轟音が衝撃波とともに襲ってきた。左耳の近くを熱風がすさまじい速度で通り抜ける。反射的に思わず悲鳴をあげて頭を抱え込み、身を低くした。
 砕けて落ちてくるコンクリートの破片の音とエリザベス自身の心臓の音が異様な共鳴をもって頭の中で響きあう。
 一瞬が、何分にも何十分にも感じられた。
 ゆっくりと腕を解き、顔を上げる。
 耳元で鼓動が鳴り響く。
 気づけば心拍数に合わせるように、体が小刻みに震えていた。
「男女平等の世の中だ。立て」
 当たり前とでもいうように平然と言い放たれた言葉。
 その口調は先ほどまでと同じはずなのに、空気が違う。
 信じられないように無言のまま背後のえぐられた壁を見上げていれば、早くしろとでもいうように強く腕をつかまれ、無理矢理に立たされた。
「ちょっ……待っ……」
 動揺して言葉がかすれて出てくる。
 支えられながら立ったが、竦んでいる足のためにうまいことバランスをとることができない。
「痛ッ」
 思い通りに動かない足が折れ、腕は掴まれたままエリザベスはその場にしゃがみこむ。
 異変に気づいて、ウォレンが振り返る。
 掴まれていた腕にかかっていた力が弱まった。
 油断。
 エリザベスは本能的に危機を脱する機会を察知した。恐怖の感情を押し殺し、少しでも不利な状況を覆そうと、言うことを聞かない足に喝を入れて素早くウォレンが握っている拳銃に飛びかかった。
 エリザベスの予想外な動きに不意をつかれ、ウォレンの反応が遅れた。彼女の狙いは拳銃だ。間違えて発砲しないよう気をつけながら、拳銃を持っている手を引こうとした。
 左腕、という意識がエリザベスの中にあった。先ほどの考えが正しければ、相手は怪我をしているはずだ。そう予想をつけて全力で相手の男の左腕を引っ張った。
 小さく押し殺された痛みの声が聞こえた。
 間違いない。
 発砲された仕返しと言わんばかりに思いっきり左腕を払いのける。苦痛の声が上がり、相手の力が緩んだ。エリザベスは間髪いれず、右手に握られていた拳銃を剥ぎ取るとウォレンに向けた。
「動かないで! 近づいたら撃つわよ!」
 エリザベスは強奪した拳銃を数歩下がって構える。抑えられなかった昂奮が声を大きく、言葉を早口にさせる。鼓動は速く、先ほどの動揺はおさまっていない。足も相変わらず震えているが、荒い呼吸を深く息を吸って整えるにしたがって徐々に通常状態に戻ってきた。
 落ち着かなければ。
 こういうときこそ冷静にならなければならない。自分に言い聞かせるように小さく呟きながら、エリザベスは深呼吸を繰り返す。
「よせ、君が扱えるような代物じゃない」
 左肩を押さえ、ウォレンはエリザベスへ一歩足を踏み出す。
 先ほどの発砲に対する怒りもあり、エリザベスの中でその発言に対して、何を、と負けん気が沸き起こった。躊躇することなく銃をしっかりと構え直し、狙いを定めた。
 当てるつもりはない。威嚇射撃だ。
 発砲直前の空気を読み取って、一瞬ウォレンが驚いた表情をする。
 エリザベスは引き金を引いた。相手が屈みこみながら横に飛ぶ姿を見るのと、轟音が振動と共に腕と空気を伝わり耳に届くのが同時だった。撃った反動でエリザベスは体全体のバランスを崩しかけるが、後方の壁に助けられて尻餅をつくことはなかった。
 パラパラ、と、目の前の建物の外壁から破片が落ちる。
 発砲と同時にその振動で手がぶれた感覚があったために、相手を撃ってしまったのではないという不安が脳裏を駆け抜けたが、どうやら無事らしい。
 ほっと安堵の吐息を漏らす。
 同時に力も抜けていきそうになったため、体を意識的に奮い立たせ集中力を喚起させる。
 鼓動が速い。
 拳銃を撃ったのはこれが初めてだ。想像していた以上の反動だった。相手も驚いていたが、それ以上にエリザベス自身が驚いている。
 再び荒くなった呼吸を整えながら、エリザベスは銃口をウォレンに向けた。心拍数に呼応するように手が震える。
「…………」
 無言のままウォレンは弾丸が突入した壁を見ていた。避けていなかったら、恐らく右顔面を直撃していただろう。ふと、くるっとエリザベスに向きを変えた。
「殺す気か?」
 初めて声のトーンが変わった。びっくりした様子がしっかりとエリザベスに伝わってくる。
「……警告は、したはずよ。女だと思って、甘く見ないで」
 ウォレンの様子に何気に申し訳ない気がしてエリザベスは遠慮がちな口調で言った。だが先に発砲したのは相手のほうだ。なぜ自分が悪かったという気持ちを抱かなければならないのか。
 腑に落ちず、エリザベスはいらいらする気持ちを表すように拳銃を握る手に力をこめた。
 もう一度攻撃態勢に入るエリザベスに、ウォレンは観念したように両手を上げた。
 その左手の高さが右手のそれよりも低い。先ほど思いっきり左腕を引っ張ったことを思い出し、再びエリザベスは罪悪感を胸に抱く。悪いとは思うが発砲されたことに対する怒りは収まっていない。
「お互い様よ、悪く、思わないで」
 複雑に、多様な感情が絡み合い、その高ぶりを抑えるためにエリザベスはゆっくりと呼吸をする。
 そんな彼女の様子を見ながら、ウォレンは大人しくその場に立っていた。
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