IN THIS CITY

第1話 Pilot

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10 Silence Grows

 エリザベスはしばらく呆然と立ちつくしていたが、金属が擦れる音が屋内の、ウォレンのいるほうから聞こえてきたため慌てて中に戻る。
「何してるの!?」
 言いながら銃を構える。
 腕をいっぱいに伸ばした状態でウォレンがエリザベスを見た。
「長くなるんだろ? 座っていたほうが楽そうだからな」
 言いながら固定された右手と自由な左手を伸ばすが、あと10cmほどの距離で椅子に手が届いていない。左腕が完全に伸びきっていないのだ。
 そんなウォレンの様子に全身の力が抜け、小さくため息をついてエリザベスは歩み寄った。
「怪我してるんでしょ。無理しないで」
 その言葉を意外そうに受け止め、ウォレンは体を起こしてエリザベスを見た。
 視線を受け、エリザベスは一瞬、動きを止める。
「……ちょっと、どいてて」
 なぜか親しみを感じてしまう彼の言動だが、路地裏での一件もあり、警戒心は捨ててはいけない。そう思い返して改めて銃を構えた。
「とってあげるから、下がって」
 言われるままにウォレンはエリザベスが安全だと感じる距離まで後退した。
 エリザベスは銃口をウォレンに向けたまま椅子を手に取ると、彼の行動範囲に引きずり入れ、素早く安全圏へと避難した。椅子と床のこすれる音がやけに大きく響いた。
「どうも」
 軽く礼を言ってゆっくりと椅子を引き寄せ、ウォレンは窓際に座った。が、手錠の位置が上すぎるため、右手がどうにもしっくりこないらしく、しばらくの間、どのような姿勢にするかで、もぞもぞと動いていた。
 その様子を見ながらエリザベスも安全圏で椅子をみつけ、腰を下ろす。同時に警戒心が薄れているのに気づき、再び拳銃を持つ両手に力を入れた。
 一方のウォレンはしっくりくる姿勢が見つからないことに諦めがついたらしく、右手は宙にぶら下がる形のまま適当に放置し、足を組んで窓の外を見やっていた。
 不利な状況にいるにもかかわらず落ち着き払ったその態度に、エリザベスの好奇心がそそられる。
 静寂が屋内ごと2人を包み込む。
 電気がついているかすかな電子音以外は見事に静かなものだ。
 少しだけ動かした足の、靴と床が擦れる音までが大きな音に聞こえてしまう。
 下手をすれば鼓動の音まで聞こえてきそうな雰囲気だった。
 沈黙は続く。
 動くことが禁止されているような空気の中、エリザベスは落ち着かないこの状況の打開方法を考えた。
 考えたが、やはり会話しかない。
「……ねぇ」
 割かし小さい声だったが、ウォレンにはちゃんと届いたらしく、目と目が合う。
 近くで見たときに知った灰色がかった瞳の色は、明るいところで見れば薄い青色をしていることが分かる。少しくせのあるダークブラウンの髪がその色を淡く際立たせていた。
「なんだ?」
 問われて、エリザベスは話しかけておいてそのままだったのを思い出す。
 慌ててしまう気持ちを落ち着け、理由もなく座りなおす。
「あ、静かすぎて息苦しかったから、何か話でもどうかな、と思って」
 微笑して促す。ウォレンからの返事はなかったが、別に構わないようだ。
 合意と受け取ってエリザベスは続ける。
「警察の人なの?」
 何を話せばいいのか分からず、とりあえず適当なことを口に出した。恐らく先ほどのデュークとウォレンの会話が頭に残っていたのだろう。
「いや」
 ウォレンの短い返事に会話が途切れる不安がした。が、そうでもないようだ。
 足を組み替えてウォレンが尋ね返す。
「なんでだ?」
「さっきデュークが尋ねていたから。この拳銃、警察がよく使用してるんでしょう?」
「らしいな。だがどこでも手に入るものだ。特定はできないだろう」
「じゃ、何しているの?」
 聞かれてウォレンはじっとエリザベスを見る。
「君に言う必要はない」
 何事もないようにそう言うと、ウォレンは窓の外に視線を戻した。
 素っ気ないその態度に多少の苛立ちを覚え、エリザベスも無愛想に、そう、と言うと、彼とは反対に屋内のほうに視線をやった。
 また静寂が訪れる。
 時計の針の音でもあったならば、それを数えて気を紛らすこともできただろうが、生憎時間を計るものは自分の腕にはめている時計しかないようだ。
「FBIとか?」
 沈黙に耐えかねてエリザベスは再び質問する。
「違うと言っただろ」
 抑揚のない返事がきたが、ぴりぴりした雰囲気はなかった。
「警察とFBIは別物でしょ?」
「まぁ、確かに」
 同意するようにウォレンは軽く頷く。
「……ちなみに言っておくが、CIAでもない」
「じゃ、シークレット・エージェント?」
 次々と出てくる名前に、興味深そうにウォレンはエリザベスを見た。
「君の中では拳銃とイコールなのか?」
「だって、他に……」
 言いかけて思いつく。
「まさか、マフィアの人?」
「最初にそっちが出てくると思ってたが。君の脳は平和にできているんだな」
「……じゃ、マフィアなのね」
「いや」
「それなら一体なんなのよ」
 否定が重なると余計に知りたくなる。
「想像に任せる」
「何よ、トップシークレットになるほど機密なわけ?」
「君の生活に必要な情報でもないだろう」
「それはそうだけど……」
 雰囲気からして、教える気はないらしい。
 とはいうものの、教えてもらうほど想像がつかないわけでもない。ただ、外見からすると意外だった。一見すれば普通の好青年である。若手のビジネスマンと言われても信じるかもしれない。
 再び静寂が訪れる。
 特に気にはならなくなったが、話をしていたほうが落ち着くのも確かだった。
「……逃げようとしないの?」
 無理な姿勢だがくつろいだ雰囲気のウォレンに向かって呟く。
「さっきみたいに撃たれたら敵わないからな。おとなしくしていたほうが無難だろ」
 そう言われてエリザベスは先ほどの一件を思い出す。
「あれは、ついかっとなって……。でも最初に発砲してきたのはあなたの方じゃない。それで私も逆上して――」
「俺は当てる気はなかった」
「だとしても、あんなに平然と発砲してくるなんて……」
 思い出して今更に怖くなる。
 後から考えてみれば、当てる気がなかったのは弾道からも察することができる。しかし彼は『撃った』のだ。
「耳のすぐ側を通ったのよ。ひとつ間違えば当たってたわ」
 エリザベスは無意識に自分の体を抱えこんだ。
 震えは起こらないが、それでもあの音は脳裏を過ぎる。
「……それは、悪かったな」
 短い間を置き、ウォレンが言った。
「――え?」
 落としていた視線を上げれば、言葉通りの表情をしているウォレンの姿が目に映る。
「最近少し、状況が悪かったんでな。俺も苛立っていたのかもしれない。すまなかった」
 すらすらと言われた侘びの言葉だが、そこに偽りは見えなかった。
「あ、いえ、別に……」
 素直に謝られ、エリザベスは返答に困った。
 同時に自分の中で憤りと恐怖の感情が波の引き際のようにすーっと遠ざかっていくのが分かった。
 あの体験が遠い過去のように感じられた。
「……不思議な人ね」
 呟かれたエリザベスの言葉に、ウォレンは疑問のまなざしを送る。
 受け取りながら、エリザベスは視線を合わせた。
 その表情、その言葉、その声。親しみやすい雰囲気をかもし出していながら、同時に不安を感じさせるのは、素直で率直な態度の裏に、読めない心を持っているからだろうか。
 ぼんやりと、そんなことを考えながらエリザベスは静寂の中でウォレンを見つめていた。
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