IN THIS CITY

第1話 Pilot

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04 Deal (2)

 穏やかな風が吹く昼下がり。
 午後の授業までには十分に時間がある。買い物に行きたいという友人のクレア・シャトナーに同行して、エリザベスは街中に繰り出していた。ちょっとした喫茶店の外で食事をとる。
 交通の音は気になるが、路傍に植えられている木の葉の風にそよぐ音が心地いい。キャンパスの緑といい、この都会の真ん中の小さな緑といい、今朝の憂鬱な気分を忘れさせてくれるようだ。
「リジー、あそこ歩いているの、彼氏じゃない?」
「え?」
 言われて顔を上げ、クレアが指差す先を見る。
 雑踏の先の路地から、2人の男と何かを話しながら出てくるデュークの姿が見えた。
「なにか捜査でもしているのかな」
 クレアにはまだ何も打ち明けていない。何度か相談しようとしたが、デュークも彼女を知っている。話せばクレアにも害が及ぶかもしれない。
 そんなクレアの目には、暴漢から助けられたという『事実』もあり、デュークは正義感と優しさに溢れる刑事というふうに映っているらしい。
「そうかもね」
 ぎこちなく微笑して相槌を打ちながら、エリザベスはデュークの様子を窺っていた。笑顔で2人の男と別れる姿が見える。
「こっちに来るんじゃない?」
 からかうように、クレアはその大きな瞳をエリザベスに向けた。
 彼女の言うとおり、デュークは満足の笑みを浮かべながらこちらに向かって歩いてくる。途中、友人と一緒にいるエリザベスの存在に気づいたらしく、誠実そうな笑顔を2人によこした。
「こんにちは」
 歩み寄ってきたデュークに対して、クレアはにこやかな挨拶をした。
「やぁ、久しぶりだね。相変わらずきれいな瞳だ」
「あら、リジーの前でそんなこと言っていいの? 知らないよ?」
 からかうクレアに照れたようにデュークは頭を掻いた。
 いい演技じゃない、と思いつつも、エリザベスも微笑する。
「まったく、目の前でノロケられてもなぁ。オッケー、分かった、私はここで失礼するから、後は2人で仲良く、ね」
 気をきかせてクレアは席を立つと、嬉しそうな笑みをエリザベスに向けた。
「あ、別にいいのよ、クレア」
 優しい彼女の心をありがたく思いながらも、一緒にいて欲しいとエリザベスは願った。
「遠慮しないで。最近リジーは授業とバイトで忙しそうだから、こういうときに少しでも一緒にいてあげないとね」
「それは嬉しい言葉だね」
 にこやかにデュークはクレアを見た。その視線がエリザベスに移る。
 断ることも出来ず、エリザベスはありがとう、と呟きながら、去っていくクレアを見送った。
 エリザベスの心を表すように、すっと涼しい風が通り過ぎる。
「さて、と」
 デュークは先ほどまでクレアが座っていた椅子に腰を下ろした。
「そのサンドイッチ、食べないのか? もらうぞ」
「……ええ」
 もやもやとした気持ちを抑えるように呟くと、エリザベスも自分の席に座った。
 うまそうにサンドイッチにかぶりつくデュークを一瞥し、手元のコーヒーに手を伸ばす。
 しばらくの沈黙が2人を包んだが、デュークはそんなことは気にしていないらしい。
「……ねぇ」
 視線を上げてデュークを見る。
「さっきあそこで会っていた人、誰なの?」
「人? ああ、見てたのか。いい話をまとめてきたんだ。1万ドルの話だぜ? おいしいと思わないか?」
 言いながら、へへっ、と嬉しそうに笑い、両手の指をピンと伸ばし『10』を示した。
「1万ドル?」
 金額の高さに驚き、思わず問い返す。
「ああ。人を1人、探し出したらくれるってよ。俺の手にかかりゃあすぐ見つかるってもんよ。1万ドル、頂きだぜ」
 嬉々として語るその頭には、すでに1万ドルの金しか浮かんでいないようだ。
「……人、1人にそんなに?」
 言葉がかすれて出てくる。デュークが以前8千ドルもの大金をぽんと出したのにも驚いたが、今回の額もかなりのものだ。
 思考回路がうまく作動せず、しばらく呆然とデュークの顔を見る。
「気前のいい奴らだぜ。おかげで楽して稼げそうだ」
 デュークの口から発せられる言葉を左から右に流しながら、エリザベスの脳裏にふとひらめいたことがあった。
「デューク」
 真剣な顔をしてエリザベスはデュークを見据える。
「……なんだ?」
「ひとつ、お願いがあるの。もし、その人を私が探し出したら、あなたへの借金、清算してくれる?」
 言葉に出した後、鼓動が耳に聞こえるほどに速くなっていることに気づく。
 これはチャンスだ、とエリザベスは思った。一刻でも早く、この男との縁を切りたい。例え危険を冒すこととなっても、早く。
 目の前でデュークの表情が変わるのが見えた。一瞬、背中に寒気を感じる。だがここは公共の場だ。いくらデュークといえども、人前で暴力を振るうことはないだろう。
 しばらくの沈黙の後、ゆっくりとデュークが口を開く。
「……つまり、俺と別れたいってことか?」
 抑揚のない声に恐怖を感じたが、ここで進まなければ何も変わらない。
「ええ。そういうことになるわね」
 声がぶれないように、しっかりと告げる。
 目と目が合い、視線と視線が交錯する。
 脳の内部から鼓動が直接耳へ響く。
 心臓が血を全身に送りだす瞬間に、自分の体もびくっと震えているようだった。
 時間にしてみれば数秒のことだろうか、エリザベスにはそれよりも長く感じられた。
「……なるほど、ね」
 先に口を開いたのはデュークだった。一転して穏やかになったその口調に、緊張がいくらかほぐれる。
「……ま、いいだろう。ただし、お前が俺より先にそいつを見つけられたら、の話だ」
 デュークの言葉に、エリザベスは驚く。まさかにすんなりと受け入れられるとは思っていなかった。
「……いいの?」
「ああ。仕方ないだろ、お前の気持ちはどんどん離れていく一方だからな」
 肩をすくめて語る姿に嘘はないように見えた。
「デューク、ありがとう」
 思わず笑みがこぼれだす。安堵すれば全身の緊張がすーっとほぐれていく。心に光がさしたようだった。
「いいさ」
 デュークは両手を広げて答えた。
「じゃ、仕事の話に移るぞ。探し出してほしい人間は、ウォレン・スコット。身長は5フィート9くらいの男だ。情報はそれくらいしかないが、この街に来ていることは確からしい」
「……それだけ?」
「ああ、これだけだ。詳しいことはあいつら依頼人も全然分かってない。写真もないしな。苦労するだろうから、やめるなら、今のうちだぞ」
 にっと笑うデュークに、負けじとエリザベスも微笑を返す。
「いえ、やるわ。それじゃ、あとひとつ講義が残っているから」
 と言ったものの、この調子だと午後の講義はキャンセルすることになるだろう。
 一刻でも早く、その『ウォレン・スコット』なる人物を見つけ出し、デュークとの縁を断ち切りたい。今、エリザベスの頭にあるのはそのことだった。
 さよなら、と一言を残して、足早にエリザベスは去っていく。
 その姿を見送りながら、デュークは、ふ、と歪んだ笑みをこぼした。


 あの後、デュークは繁華街に紛れた人気のないところまで2人を連れ出し、人探しには自信がある、と半ば一方的に話を進めていったのだが、相手がすんなりと話に乗ってきたことは意外だった。
「いくら欲しいんだ?」
 話が終盤に差し掛かったところでジョージが尋ねてきた。
「そうだな、まぁ、いろいろと手間がかかるから――」
 理屈をつけて値段を跳ね上げるつもりでいたが、相手の口から思わぬ金額が出てきた。
「1万ドルでどうだ?」
 金額を聞いて、デュークは一瞬耳を疑った。
「……いくらだって?」
「1万ドル」
 聞き間違いではないらしい。
「……いいのか? たかが1人に1万なんて大金――」
「お前は奴を探し出してくれればいいんだよ。そうすりゃ1万ドルが転がり込んでくるってわけだ。何も驚くこたぁないだろ? 正当な取引よ」
 にぃっと不気味に笑うグレッグに、見知らぬ不安を感じながらも、つられてデュークも笑った。
「……そりゃこちらとしてはありがたい金額だが……。用意できるのか?」
「心配するな。ちゃんと払う」
 落ち着いたジョージの口調を聞くと信頼できる気がした。
 少しの間考えた末、デュークは満足そうに頷いた。
「商談成立だな」
 一言確認をしてからジョージは手ごろなナプキンを手に取りペンを取り出すと電話番号を記入した。
「見つけ次第、すぐにここに連絡してくれ」
 言いながら、ジョージはナプキンをデュークに渡す。
「了解。……しかしよ、なんでそんな大金を軽くはじいちまうわけ?」
 そう聞いたデュークに対し、グレッグは口を歪めて笑いながら答えた。
「なぁに、ゲームとしておもしろいからだよ」
 グレッグの後ろで、冷静なジョージも不可解な笑みを浮かべていた。
 その様子が尋常ではなかったために、デュークは背筋が凍るように感じた。


「……さすがあのエリック・ウィマーの息子どもだ。狂ってやがる。」
 ビルの間を通る風を受けながら、怖気を消すように軽く笑う。
「まぁいいさ。1万ドルなら大もうけだ」
 その金を手にしたらどうしようか、考えはその一点に集中する。
 ふと、エリザベスの言葉を思い出す。万が一、先を越されては彼女の頼みを聞かなければならないが、そんな気は毛頭ない。
(あんないい女、手放すわけがないだろう)
 信用はなくしてしまっているが、まだエリザベスは人間の非情さについて認識していないらしい。嘘というものは、確かな証拠がない限り証明されない。不信を知らない人間に対して、口からそれらしい言葉を並べ立てるなど、朝飯前だ。現に母親の借金の取り立てのことは未だに狂言とは気づいていないではないか。
 素人の彼女がどこまでやれるかは知らないが、あの意気込みならば少なからず情報は得てくるだろう。それを利用すればいいだけの話だ。
「……結局俺からは逃れられないんだよ」
 己の歪んだ支配欲に気づかないまま、デュークはにやっと笑うと席を立ち、昼の街の雑踏へと消えていった。
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