IN THIS CITY

第1話 Pilot

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06 Encounter

「よォねえちゃん、ヒマかい?」
 暗くなった道路を足早に歩くエリザベスに目をかけた男がニヤついた視線を舐めるように送ってくる。一瞥をくれただけで無視して先を急げば後ろから罵声が聞こえてきた。
 早く立ち去りたい気持ちを抑えようとするが、情報を手に入れるにはこのような界隈で歩き回るしか方法がなく、つてはあるといってもそうやすやすと目的のものが入手できるほど安易な世界でもない。デュークと分かれてから、かれこれ6時間以上足を動かしている。既に文字通り棒のような感覚だ。それでも、1万ドルを手に入れてデュークと縁を切れるならば、という思いが体を動かす原動力となっている。
 日常的に関わることのない世界とはいえ、デュークと付き合ってから何度か情報屋という職業の人物に会ったことはある。彼らへ聞き込みを続けて、探している人物が現れそうな場所としてようやく名前の候補に挙がったのが、このバーだ。その界隈は、女性1人ではとてもじゃないが夜歩くところではない。怪しまれない、且つ派手すぎない服装をしてきたとはいえ、治安のよろしくないこの付近ではまとわりつくような嫌な視線が絶えず付きまとう。
 ふぅ、とひとつ深呼吸をすると、覚悟をしてその店のドアを開けた。
 開けると同時にアルコールとタバコの匂いが混ざって肺に入ってくる。先入観というものは大したのもので、それだけで状況が誇張されて五感に伝えられるものだ。慣れるまでの辛抱と言い聞かせ、表情に出ないよう中を見回した。客の出入りに無頓着な男達はそれぞれの会話に熱を上げ、入り口付近の数人が酔った目でエリザベスに意味深な笑みを送る。
 足を踏み入れて真っ直ぐにカウンターへと向かった。
 年配ばかりが集まっているのかと思えば、ちらほらと若者の姿が目に映る。
「いらっしゃい」
 店内に視線をめぐらせていたときに声をかけられた。声の主を見れば愛嬌のある、壮年に近いと思われる男が微笑を投げかけてくる。この店のマスターだろう。
 彼の雰囲気に幾分か緊張がほぐれ、エリザベスも微笑を返しつつ、カウンターの席につく。
「何にします?」
「スコッチを」
 ギルバートは注文を承るとその品を取りに行った。
 注文の品が届くまでの間、エリザベスはもう一度店内の様子を窺った。
 木材を主にして作られたバーのようで、天井や壁に浮かぶ年月を経た木が洒落た空間を生み出し、煙のせいで薄暗くなった照明も、慣れればバーにいい雰囲気を醸し出している。警戒はしていたが、絡んでくる客もいないようだ。最も、彼らにとって魅力のある女かどうかは知らないが。
 1人の客はエリザベス自身だけかと思いきや、同じカウンターの隅のほうに、同年代と思われる若者が座っているのが見えた。
「どうぞ」
 カラン、という氷の音と共にマスターが注文の品を持ってきた。
「ありがとう」
 すっと差し出されたグラスを手に取り口に運ぶ。
 喉を潤せば熱い感覚が食道を通り胃まで下り、歩き疲れた体に染み渡る。酒にはかなり強いほうだが、昼食以来何も食べていない今日は、グラス1杯だけにしておいたほうがよさそうだ。
「仕事帰りかい?」
「ええ」
「珍しいね、女性が1人でこんな所に来るなんて」
「確かに物騒なところね。でも店の中はいい雰囲気だわ」
「それはどうも、ありがとう」
 嬉しそうにマスターは微笑した。心からと分かるその表情に、エリザベスは親近感を抱いた。
 空気が和やかになる。
 本題を切り出しやすい状況となり、エリザベスはそのタイミングを待った。
 一方のギルバートは、女性1人ということと店に入ってからの彼女の様子から、ただ飲酒が目的の来店とは考えていない。雰囲気からすると普通の、世間で言う一般の女性のようだが、長年身をおいている世界での経験上、何か目的があってのことと推測する。
「こんな危ないところじゃなくて、街中にいいバーはないのかい?」
「あるわよ。でも今日はちょっと人を探していてここに来たの」
 エリザベスはにっこりと笑みを返してそう告げた。
「人を?」
 聞き返しながら、なるほど、とギルバートは先ほどからの彼女の様子に合点した。
 食いついてきた相手にエリザベスは相手の興味を更にくすぐるだろう笑みを浮かべながら顔を寄せ、小声で尋ねる。
「……ウォレン・スコットって人物をご存じないかしら?」
 詳細が分からない中、ようやく入手した、彼がよく現れるバーの情報。ここで手がかりが切れたらまた一から出直さなければならない。言い終わった後、エリザベスは悟られないようにそっとマスターの表情を窺う。
「さて、聞いたことないなぁ……」
 極めて普通に、自然な表情と仕草。嘘をついているとは思えない様子。
「あなた、いろいろと情報に通じているんでしょ?」
「情報かい?」
 ギルバートは愉快そうな笑い声を上げる。
「いやいや、大した噂が流れてしまったモンだ。私はただ単に世間話に詳しいだけだよ。君の期待しているような情報は残念ながら管轄外だ」
「世間話?」
「そう。しがない話だよ。ここは顔なじみの常連客が多いから、彼らから世間話のおこぼれをもらっているだけさ。どこぞの店にうまい酒がある、とか、マイクのやつまた女房に出て行かれたらしいぞ、とかね。知っても役に立たないようなものばかりだよ」
 にっこりと笑いながら語る姿に不自然さはない。この店に関する情報は嘘だったのだろうか、とエリザベスは内心焦りを感じた。
「……でも、誰かの会話の中で聞いたことないかしら?」
「君の言った名前の人物をかい?」
「ええ。彼、ここによく来ると聞いてやってきたの。些細なことでもいいわ。ご存じない?」
 様子を見る分にはマスターは『知らない』だろう。が、無駄足は踏みたくない。少しでも関連あるものに辿りつけないか、エリザベスは粘ってみた。
「よくここに、か。……そうだねぇ、常連客にそんな名前の人はいないなぁ。何かの間違いじゃないのかい?」
 ギルバートは考えあぐねるように首を傾げる。
 エリザベスは気づかなかったが、この時、カウンターの奥に座っていた若者と首を傾げたギルバートとの視線が合った。
「そう……」
 梨のつぶてか、と落胆が疲労を喚起させる。
「なんだい、蒸発したお前さんの彼氏かい?」
「いえ、そんなんじゃ――」
「ここにくればひょっともすると、か。誰に聞いたんだい?」
「それは――」
 と言いかけて口を噤む。
「ごめんなさい、出所は明かせないわ」
「そう? いや、別にいいよ。しかし聞き込みみたいで、なんだか刑事ドラマみたいだねぇ」
 自分もドラマの脇役になれたように、無邪気に笑うギルバートの姿につられてエリザベスも微笑む。
「おぅい、ギル、勘定頼む」
 ふと、テーブルのほうで声が上がった。
「ああ、毎度どうも」
 気さくな笑みをその客に送り、エリザベスに向き直る。
「ちょっと失礼するよ、勘定してくるから」
 エリザベスは、ええ、と笑って了承する。
 客のほうへ歩いていくその背をしばらく見送り、視線を戻すとスコッチを一口含んだ。自然と耳に入ってくる会話を流しながら、収穫がなかったことに対してため息をつく。
 1万ドルの話。
 その金額さえ手に入れられれば、デュークとの生活にさよならが言える。
 汚らわしい彼の手から離れられる。
 そのためにはウォレン・スコットなる人物を見つけ出さなければならない。
 焦りを感じるエリザベスにとって、体に染み渡るスコッチの味すらも、今は苦いものとなっていた。
 カウンターで1人スコッチを飲んでいるエリザベスを一瞥しながら、ギルバートは常連客から勘定を受け取り短い会話を交わした。
 勘定をポケットの中に入れ、カウンターへと戻る際に、奥の方へ足を進める。
「お前を探してるぜ、色男」
 ウォレンの背後から小さく声をかける。
 空になったグラスの中の氷と遊びながらウォレンはエリザベスをちらっと見た。
「……ウィマーの女か?」
「さぁて、どうだかね。ただ、一般人だね」
 言いながらウォレンの脇をすり抜ける。
「どうする?」
 ギルバートが目の前を移動する間に考え、ウォレンはグラスから手を放した。
 直感的にウィマー兄弟が関わっているのではないかと考えたが、違う可能性もありえる。まずは様子を見たほうがよさそうだ。
 ギルバートと目と目が合う。
 ウォレンの意図を了解して、ギルバートは軽く頷くとカウンター越しにエリザベスのいるところへ足を運んだ。
 彼女の前に立ち、そのグラスを見る。スコッチはすでになく、グラスの中には砕かれた氷が残るのみとなっていた。
「へぇ、なかなか強いね」
「ええ、そのようね」
 酔った雰囲気もなく、エリザベスは他人事のように呟いた。
「どうやら無駄足だったみたいだわ。ごちそうさま」
 にっこり笑うその姿にギルバートの年でも一瞬どきりとなる。
 澄んだ茶色の瞳に、赤味を帯びたブロンドの髪。緩くウェーブのかかった様子が大人びた女性の色香を漂わせている。誘われないよう露出度を抑えているのだろうが、それでも美人のオーラは十分に出ていた。
 立ち上がろうとするエリザベスを制し、ギルバートは年甲斐もなく彼女に惹かれた自分を叱咤しながら顔を近づけた。
「……1人でここまで嗅ぎつけたのは立派なもんだ。いくら出せる?」
 小声でそう告げられ、エリザベスは口調が変わったマスターを驚いた目で見た。
「……いくらって?」
「ウォレン・スコット。奴の情報が欲しいんだろう?」
「あなた知って……――」
「しーっ」
 人差し指を口の前に持ってきて声量を下げるよう注意した。
「酒の代金と合わせて200。買うかい?」
 取引。エリザベスにとっては、落胆していたところに差し込んできた光だ。逃す手ははなかった。
「買うわ」
 バッグから財布を取り出し、用意しておいた20ドル札を10枚数えるとマスターに手渡した。
 枚数を確かめるとギルバートはにこりと笑った。
「これからは人相も調べておくことを勧めるよ。お前さんが探している男はあいつだ」
 エリザベスは、ギルバートが顔を小さく振って示した方向を目でたどる。視線の先にはカウンターの奥に座っていた若者がいた。丁度、席を立ち、代金を置いて去っていこうとしているところだった。
「……彼が?」
 思わずその姿をじっと見つめる。想像していたよりずっと若い。鋭い目はしているが、威圧感はなかった。何をしでかしたかは聞かされていないが、もっと危ない雰囲気を持った怖い人物を考えていたため、その違いに戸惑う。
「そうだ。あんまり見ると怪しまれるぞ」
 言われてはっとしてエリザベスは視線をギルバートに戻す。
 視線は戻したが、想像とは違う雰囲気の彼の姿が頭から離れない。
「追わなくていいのかい?」
 ギルバートの言葉で我に返る。振り返れば外へのドアが閉まるところだった。
「あ、どうもありがとう」
 急いで立ち上がり、目的の人物を追う。
 ほっそりとしたエリザベスの後姿を見送りながら、ギルバートは小さくため息をついた。
「俺もいい女に追いかけられたいねぇ」
 独り言を呟くと、首をぐるりとストレッチさせ、本来の仕事へ戻った。
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