IN THIS CITY

第2話 People Person

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05 The Wanted

 昼食時。
 訪れたハンバーガーショップは会社員から親子連れまで、多くの人で賑わっていた。
「なぁジョン、どんなことをしたんだ?」
 がやがやとした人の声を背景に、チーズバーガーを頬張りながらジャックは前に座っているジョンに尋ねた。こざっぱりした姿ではあるが、眼鏡をかけているとやはり普段と変わらず地味な雰囲気だ。
「何のことだよ」
「水臭いなあ、話せよ。大金が手に入ったんだろ?」
 ジャックは手を広げて大仰な仕草で促す。
 声が大きい、とジョンは思ったが、この混雑具合からすると店内の隅に座っている冴えない男2人組の会話など、誰も聞いてはいないだろう。
 昼食を食べに外に出るついでに立ち寄った行きつけの工具店で、ジョンは偶然ジャックに会った。
 彼はジョンと同じ大学を卒業しており、かれこれ長い付き合いである。システムエンジニアとして表向きはまっとうな暮らしをしているが、彼もまた、陰ではジョンと同じようなことを趣味にしている。大企業のデータベースにどちらが先に侵入するか、そういった競争をすることも珍しくなく、ジョンにとっては友人と呼べる数少ない人物の1人である。幸いにも2人ともまだ政府機関からお呼び出しを受けたことはなく、それがスリルに拍車をかけ、さらに高い壁を越えることが共通の目標となっていた。
「クレジットカードの情報でも盗み出したのか?」
 ジャックの質問に首を横に振りながら、ジョンは最後の一口を口の中に放り込んだ。
「金融機関に忍び込んだのか? 資産情報を手に入れたんだな?」
 手についたハンバーガーの組織を払い落とすように、ジョンは軽く両手をこすった。
「教えろよ、いい儲け話だったんだろ?」
「だめだ、言えない」
「いいじゃないか」
「誰かが聞いていたらどうするんだよ」
「誰かって、誰が?」
 尋ねられてジョンは周りを見る。
 先ほど自分が出した結論のように、2人の会話を気にしている客は見当たらなかった。
「……多分、盗聴器が仕掛けて――」
「おいおい、とんだ被害妄想だぜ? そんなにヤバかったのか?」
 笑い飛ばすようにジャックが言った。
 気になることはとことんまで突き詰める性分の彼は、暫くはこの話に固執しそうである。
 諦めを感じて、ジョンは挙動不審に周囲の様子を窺うと前屈みになって小声で話し始めた。
「ある男が、1週間ほど前に突然やってきたんだ」
「へぇ、それで?」
 興味深げに同じように前屈みになるジャックに、ジョンは落ち着くように手で促した。
「内容は言えない。けどな、前金で2万、後に3万、合計5万」
 その値段にジャックは羨ましそうに唸った。
「いい話だなぁ。で、その金で性能のいいヒゲ剃りでも買ったのか?」
 からかいの言葉にジョンは、よせよ、と首を振る。
「外出するときくらいさっぱりした姿になるよ、俺でも。悪いか?」
「いや、そんなつもりじゃないよ」
 ジャックは残りのチーズバーガーを口に入れ、コーラでそれを流し込んだ。
「今度そういう話がきたら、俺にも紹介してくれよな」
 期待を込め、ジャックがジョンを見る。
「ああ」
 適当なジョンの返事にジャックは彼の腕を掴んだ。
「……分かったよ、絶対連絡するからコーラを飲ませてくれ」
「本当だな?」
 ジャックはジョンの腕を放すと嬉しそうに、よし、とガッツポーズをした。
 彼の年収も悪い方ではないのだが、やはりまとまった金は欲しいものらしい。
 ジョンはコーラを手に取った。炭酸が喉を刺激しながら胃に下っていく。
「で、今日の午後は暇なのか?」
 腕時計を一瞥してジャックが尋ねた。
「暇だけど?」
「なら久しぶりにゲームでもしようぜ。お前の家で」
「ゲーム?」
 コーラを飲み干し、ジョンはコップをテーブルの上に置いた。
「コードを書き換えたんだ。そのままだと簡単すぎるから」
「残念だけどそれは別の機会に――」
「何だよ、大画面のプラズマテレビを買ったんだろう?」
「え、何で知っているんだよ」
「羽振りがよければ誰でも気づくさ」
 テンションの高いジャックとは裏腹に、もやもやとした形のない悪い予感がジョンの脳裏を過ぎる。
「いいだろ?」
 確認をしてくるジャックの声が、時間差で脳に届く。
 妙な予感を振り切るように、ジョンが一度咳払いをした。
「残念だけどな、ジャック。大画面のやつは家にはないよ」
「ん?」
「別荘、に置いてあるんだ」
 別荘というほどたいした場所ではないが、俗世間から離れ、ゆっくりとした時間を過ごす場所として、ジョンはこの言葉が一番、形容するのにふさわしいと感じていた。
「別荘?」
 尋ね返しながら、ジャックはジョンが誰にも知らせていない住処を持っていることを思い出した。
 友人といえども踏み込んではいけない領域を理解し、ふうん、と呟くと両手を広げる。
「ま、いいや。とりあえず、俺が改変したやつでクリアできたら暇な日に豪華な食事でもおごるからよ」
 自信に満ちたジャックの言葉を聞き、ジョンの心に挑戦の負けん気が起こった。同時に彼の中から漠然とした不安が姿を消した。
「へえ。そんなに難しいのか?」
「保障するぜ」
 にやっと笑みを浮かべ、ジャックは勝ちが見えているような顔をする。
「よし、クリアできなかったら俺がおごってやる」
「おいおい、よせよ、ジョン。いいのか? 高いの注文するぜ?」
「お前こそ今のうちに預金を下ろしておけよ」
 言うね、とジャックは笑いながら人差し指をジョンに向けた。
 バランスのよい食事とはいえないが空腹を満たすことはでき、2人は席を立つと混雑している店内をすり抜けて外に出た。


 日差しの暖かさを肌で感じ、ジョンは久しぶりに季節というものを意識した。
「長期戦になりそうだからな。食料はあるのか?」
「いや、ずっとこもりっきりで作業していたから家にはもう何もないよ。ここ数日は別荘にいたし」
 ジョンの答えに、ふうん、と頷くとジャックはポケットから一枚のコインを取り出し、慣れた手つきでそれをはじいた。
 ピン、といい音がしてコインは空中を回転しながら鉛直軸に沿って運動し、ジャックの手の甲におさめられた。
「どっちだ?」
 右手で蓋をした左手の甲を顔の位置まで上げてジャックは尋ねた。
「何? 食料費も賭けるのか?」
「余興さ」
「おいおい、ここは公平に払おうぜ」
「何言ってるんだよ、確率の問題だろ? 公平な決め方じゃないか」
 小さく息をついて、ジョンは考えた。
 運も作用しているのではないか、と感じることの多いコイン投げ。彼の勝率は必ずしもいいとはいえなかった。
「表……、あー、やっぱり裏」
「裏だな?」
 確かめるようにジャックはジョンの顔を覗き込む。
「裏、裏」
 よくない感触を覚え、ぶっきらぼうにジョンは答えた。
 ジャックが右手をどける。
「残念だったな」
 表を上にしたコインが彼の左手の甲におとなしく乗っていた。
 ついていない、とジョンは心の中で呟きながらため息をつく。
「ずるしていないか?」
「疑うのか?」
「いいや」
 仕方ない、とジョンは肩を落とす。
「ま、近いうちに食事もおごってもらうことになるだろうけど――」
「それはない、それはない。お前の組んだものなんてすぐに負かしてやるさ」
 ジャックの言葉に、ジョンは勢いよく切り替えした。
 プライドにかけて、負けられるものではない。
「期待してるぜ?」
 にっと笑うジャックにジョンは挑戦的な視線を送ると、ポケットから鍵を取り出した。
「なら先に部屋に入って準備しておいてくれよ。近くの食料品店で何か見繕って帰るから」
「了解」
 鍵を受け取るとジャックは小さな交差点を右手に折れた。
「機材の位置は動かすなよ」
「分かってるって。お前こそビール忘れるなよな」
 ジョンは手を軽く振ってそれに答えると、左手に折れた。
 彼のアパートは2人が別れた交差点から近い。古びたアパートではあるが、住む分には全く差支えがなかった。
 食料品店に向かいながら、ジョンはふと最近の仕事を思い出した。
 偽造した写真上の男が逮捕されたことは、ネット上で知った。
 彼が作り出したものが、世間の目を欺いたのだ。
 そう考えると、ジョンの中で高揚感が沸き起こる。何かを成し遂げたときの感覚そのものだった。
 しかし、その感覚の中に別のものが紛れ込んでいるのか、少しばかり重たい気持ちを感じる。
 自分はただ、芸術的な技術を提供しただけ。
 他人に何が起ころうとも、己は関係ない。
 幾度となく自分に言い聞かせた言葉を、ジョンは再び反芻した。
 全てはすでに過去のことであり、己の腕と引き換えにそれ相応の利益を頂いた、それだけのことなのだ、と。
 深く呼吸をすると目を開け、彼は食料品店のドアを開けると中に入った。


 裏路地の建物の影に車を止め、アレックスは外に出た。
 先ほどギルバートから連絡があり、ベンがより詳しい資料を用意した、とのことだった。
 ギルバートの口から幾たびかベンという名前は聞いている。しかし、アレックスは彼とは直接会ったことも電話で話したこともない。
 恐らくそれは、これからもずっと変わらないだろう。
 指定されたアパートの1階に立ち寄る。寂れた様子から、人があまり入居していないことが分かる。
 郵便受けの前に立ち、告げられた部屋のそれを探す。一時的に記憶していた番号を小さく口に出しながら、アレックスは郵便受けの錠を外し、中から封筒を取り出した。
 時代遅れに感じるやり取りだが、彼は電子的な世界に頼るよりも、こちらの方が安心感があり気に入っていた。
 アパートを出ると中身だけを取り出し、封筒を近くのゴミ箱に捨てる。
 写真と資料に目を通し、重要な事柄をざっと記憶に留めると、アレックスはウォレンと落ち合う約束をした場所へと足を運んだ。


 未だ冬の姿をしたままの樹木の間を風が通り抜ける。
 街の一角、緑地面積の広い土地を背に、アレックスは周囲を見回した。まだウォレンの姿は見えない。
 腕時計を見れば、彼との待ち合わせの時間までには数分の余裕があった。
 早く着きすぎたな、と心の中でひとりごち、アレックスはゆっくりと伸びをした。女性との待ち合わせ以外の状況ではいつも遅れて姿を現すアレックスだが、今回は違ったようだ。 
(待つのは好きじゃあないんだけどねぇ)
 そう思いつつも、たまにはいいか、と思考を切り替え、日陰から日なたへと移動した。
 基本的にウォレンのほうが時間に律儀な性格をしている。そう長く待たなくてもいいだろう。
 右手を見れば、人々の往来に孤立した形で今はあまり使用価値を見出されなくなった電話ボックスが寂しげに佇んでいる。
 無意識的にポケットに伸ばしていた手がタバコの箱を掴む。
 普段よりも吸うペースが上がってきているのか、箱の中にはあと1本しか残っていなかった。
 近辺にタバコを扱っている店がないか確認する。
 ふと左手を見た。行き交う人々の中に紛れ、見慣れた顔がこちらに向かって歩いてきているのが視界に入った。ネクタイは外しているが、スーツ姿のウォレンにいつもと違う雰囲気を感じ、アレックスは感心したように目を細めた。
「あんたが先に着いているとは、珍しいな」
 先に待ち合わせ場所に来ていたアレックスに対してウォレンが一言告げた。
「お前もな」
 切り替えされた言葉が時間に関するものだと解釈し、そうかな、と呟きウォレンは腕時計を見る。
「いや、その格好がだよ」
 彼が勘違いしていることを知り、アレックスは訂正の言葉を入れた。
「ああ、カイルのオフィスに行ったからな。目立ったら悪いだろ」
「そうだねぇ」
 ウォレンが幼い頃から彼の面倒をみてきたアレックスだが、仕事の都合上、よき友人でありよき医者であるアンソニー・アイゼンバイスの元にウォレンを預けておくことが多かった。子供が好きなアンソニーは自分の息子と同様にウォレンに接してくれ、またその姿勢は今でも変わらない。
 厚かましいとは思ったが、アレックスはそのまま彼の手でウォレンが成長することを願っていた。もしそれが叶っていれば、今日のウォレンの姿があるいは彼の普段の格好になっていたかもしれない。
 やけに遠い目で自分を見るアレックスに、ウォレンは怪訝な表情をした。
「……何だよ」
 その一言に現実に意識が戻り、アレックスはばつの悪そうに軽く微笑した。
「いや、随分立派に成長したなぁ、と思って」
 素直な感想を述べ、踵を返すと歩き出す。
「――そりゃ、どうも」
 突拍子もない言葉に対して、一呼吸、大きく間を置くとウォレンが呟いた。
 先に行くアレックスに追いつきがてら、上空を一瞥する。妙なことが起こるときは天気が崩れる、というが、ちぎれそうな積雲がちらほらと浮かぶ空は澄んだ空気を纏いきれいに晴れ渡っていた。
「それで、カイルはなんて?」
「特に何も」
 言いながらウォレンはカイルから受け取った資料をアレックスに渡す。折りたたんだために皺が増えていた。
「お前って意外とぞんざいに物を扱うよなぁ」
「人のこと言えるか」
「俺は丁寧だよ?」
「…………」
「無言は肯定だね?」
「否定だ」
 ぴしゃりと言われた一言を意に介する様子もなく、アレックスは取り出した資料にざっと目を通した。
「……なんだ、どいつも女性にモテそうにないねぇ」
 呟かれた言葉に対して、相槌らしき返答は何も返ってこなかった。
「無言は肯定だっけ?」
「真面目に読め」
「口やかましいねぇ」
「あんたに言われたくないな」
 うんざりとした口調でウォレンが答えた。
 彼の一言が堪えたのかどうかは定かではないが、それ以上のやりとりはなされなかった。
 いつものことながら、アレックスは真面目になるまでの前置きが長い。
 意図的なものなのか無意識的なものなのか、長い付き合いのウォレンもまだ理解できないところだ。
「この印は?」
 資料を指しつつアレックスが尋ねる。
「現在行方不明の奴らだ」
「行方不明?」
「身を隠しているんだろ」
「捜査官殺しの下手人かい?」
 アレックスの言葉にウォレンは、多分、と頷く。
「詳細は分からないけどな」
「構わんよ。うろちょろしてる奴の顔さえ分かればね」
「それとカイルが言っていたが、1人プロがいるらしい」
「プロ?」
「ああ」
「何の?」
「殺しの」
 ははぁ、とアレックスは頷く。
「怖いねぇ」
 情報を記憶し、資料を元のように折りたたむとウォレンに返却した。
「で、あんたの方は?」
 アレックスは先ほど目を通した写真と紙を手渡す。
 彼は否定するかもしれないが、こちらにも既に、多数のしわが存在していた。
「ジョン・マーティン。無職、未婚、前科なし。ちなみにMIT卒業」
 アレックスは最後の単語をゆっくりと言った。
「へえ。少なくとも途中までは立派な経歴の持ち主なわけか」
「残念ながらどこかで何かが狂ったんだろうねぇ」
 写真に写っている目立たなさそうな男の顔を見ながら、らしいな、とウォレンが頷く。
「これがやつのアパートか?」
 簡単な図面と見取り図の描かれた紙をアレックスに見せる。
「そ。俺は裏で待ってるから、お前表から挨拶してきて」
「裏へ逃がせばいいのか?」
「ん~、どうせなら、表で捕まえちゃってほしいなぁ。美人なら両手広げて喜んで出迎えたいところだけどねぇ」
 相手が男だとなぁ、とアレックスは呟く。
「前向きに検討する」
 ため息混じりにウォレンが言った。
「大変期待できる言葉に感謝する――」
 アレックスの言葉を遮るように、突如前方から衝撃波を感じさせる轟音が伝播してきた。
 2人が同時に足を止め、その音の源を探り視線を上げる。
 1ブロックほど先に煙が見えた。
 無言でウォレンとアレックスは顔を見合わせる。
「……まさか、じゃないだろうね」
 異変を感じ取った人々がざわつき始め、車のクラクションの音が前方から響いてくる中、2人は向かっていたジョンの住むアパートへとその足を走らせた。
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