IN THIS CITY

第2話 People Person

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01 Fabricated Picture

 傑作だ。
 電子的な光に蒼く薄暗く包まれた部屋の中で、ジョン・マーティンは満足そうな笑みを浮かべた。
 生半可な技術ではバレはしない。素晴らしい出来だ。
 自分を褒め称えながら、ジョンは完成した作品に見惚れるように目を細めた。
 ここは彼の『仕事場』である。
 耳に入る音は、周期的あるいは定常的に、そして時々不規則に聞こえる電子音の協奏曲。視界に入るものは、稼動していないときは冷たく口を閉じ、一度電源が入れば熱く動き出す彼の命のコンピュータの群れ。決して広いとはいえない部屋に詰め込まれた、0と1の電子的な世界。
(自分の手にかかれば写真の偽造など朝飯前)
 ジョンは眼鏡をかけた顔に自信に満ちた笑みを浮かべた。
 その目が映し出しているものは、画面上の二次元の写真だった。
(ハリウッドも顔負けだ)
 頼まれた仕事。写真の偽造。
 理由は知らない。知ったところで何も変わらないから知る必要もない。
(自分はただ、この達成感を得たいだけだ)
 大企業の情報網にアクセスしてデータを盗むときとはまた違った快感。
 金が欲しいわけではない。勿論、副産物としてそれは入手できるものであるが、ただ、こうして相棒たちと向かい合い、作業をするのが至福のときであるだけだ。
 作成されたデータをメモリに取り込み、取引相手が告げた場所を脳裏に描く。
 彼の顔はまだ達成感に酔いしれていた。


 数日後。
 夕暮れ時から降り出した雨が、日が没した後もしとしとと音を立てて降り続いていた。
「……夜中の雨ってのは、憂鬱だねぇ」
 車の中で独り言を呟き、アレックス・デイルは煙草に火をつけた。
 ワイパーのゆったりとした規則的な音に比べて小さく不規則に響く雨音。
 フロントガラスにぼんやりと浮かぶ街の光は泣いているようだった。
 道路わきに車を止める。
 目的の建物までの距離ならば、傘は必要ないだろう。必要かどうか以前に、持ち合わせがない。
「濡れたほうがイイ男になるってか」
 にっと笑って運転席のドアを開け、外に出る。
「……肯定する誰かが欲しいねぇ」
 呟いてドアを閉め、煙草を地面に落とした。ジュッという消火音は雨音に吸い込まれて耳には届かなかった。
 道路の向かい、目的の建物。
 わずかながらに軽快なリズムの曲が外に漏れている。
 青を基本としたライトアップに映える建物は、名の知れたモーリス・プレイガー氏のデザインで、料金が割高のクラブである。
 ぼーっと、雨の中に立っているアレックスの前を黒塗りのベンツがゆっくりと素通りし、クラブの入り口で止まった。着飾ったカップルが中から出てくれば、入り口を守るように立っていた背の高い男2人が案内するように付き添った。
「高級車ってのは、雨が降っても高級車なんだな」
 言葉を受け取る相手がいないため、愛用の車に語りかけるようにぼやく。
「いや、お前さんがボロって言ってるわけじゃないぞ」
 訂正の言葉を入れるが愛車はうんともすんとも言わない。
「……すねるなよ」
 カップルが中に吸い込まれるのと同時に、アレックスは足をクラブの入り口に向けた。


「申し訳ありませんが、ここは会員制です」
 案の定、入り口で背の高い男2人に待ったをかけられる。
「カタいこと言うなよ。おたくのボスに呼ばれて来たんだ」
 アレックスは男達の手をどけて中に入ろうとするが再び止められる。
「お引取りを」
 丁寧な牽制ではあるが男達の目は別の色をしている。
 アレックスは頭を掻きながらひとつ小さくため息をついた。
「耳、ついているかい? モーリスに呼ばれて来たんだよ」
 聞いてみなさい、と手で合図をする。
 警固の2人は互いに視線を交わし、アレックスを疑問の目で見ながらもそのうちの1人が携帯電話で誰かと連絡を取った。
 小降りになってきた雨音を聞きながら、アレックスはのほほんとした表情で男たちの許可を待った。
「……失礼しました。プレイガー氏は3階にいます。入って右手の奥のエレベーターをどうぞ」
「エレベーター? 階段はないの?」
「階段ならカウンターの後ろに」
「うん、知ってた。ありがと。閉塞的な環境が苦手でね」
 はっはっは、と笑って入ろうとするアレックスを警固の男が三度制した。
「何?」
「武器を」
 腰を指して警固の1人が手を出す。
「ああ」
 言われてアレックスは腰から拳銃を一丁取り出すと、差し出されていた手に渡した。
「お次は身体検査かな? お好きなだけどうぞ。危ないものといえば、世界中の女性を虜にするこの魅力、かねぇ」
 アレックスの言葉に、苦笑ともとれる微笑をしながら1人が身体検査を始める。
 所持していた拳銃以外に何も武器を持っていないことを確認すると、警固の2人が道を開けた。
「もう入っていいの?」
「どうぞ」
「あ、そう」
 じゃあ遠慮なく、とアレックスは盛り上がりを見せるクラブに足を踏み入れた。
 ドアを開ければ音楽が風のように通り抜ける。
 足元から心臓に響くようなビートの中、若い年代の男女は独自の振り付けで踊っている。
 人ごみを縫うように通り過ぎる。その途中、すれ違う女性たちに挨拶をするのを忘れることなくアレックスはカウンターへ向かった。人が多いのに狭苦しい感じがないのは、天井が高く、空間がうまい具合に広く作られているからだろう。白地の壁が多彩なライトに照らされ、独特の色を空間に醸し出している。
 アレックスはカウンターの女性にわざわざ階段の位置を確認し、紳士的な笑顔で礼を述べると熱気に覆われた1階を後にした。
 階段を上るにつれて音楽が遠くなる。足元が薄く澄んだ青色でライトアップされ、洒落た造りの階段であった。
「建前が本業に、ってか」
 かつて武器密輸組織を束ねていた頃のモーリスを思い出し、アレックスは独りごちた。


 ガラス張りの窓からは外の明かりが室内に漏れてきている。そのほのかに青い光と天井の白熱電球の淡い橙の光が、また趣のある空間を生み出している。
「顔に似合わないセンスの良さは一体どこで培ったのやら」
 ぼそっと呟いて、アレックスは前方のソファに座る人物を見た。
「褒め言葉として受け取っておこうかね」
 モーリス・プレイガーはソファから体を起こし、アレックスのいるところへと足を運んだ。壮年の貫禄が物腰をより落ち着いたものにさせている。
「よく来てくれたな、アレックス」
 長身で、細身だがしっかりとした骨格を備えている彼に若い頃の殺伐とした面影はなく、表舞台に立った爽快な雰囲気が漂っていた。
「来なかったら屈強な男どもを寄こして脅すじゃあないか。そうされると彼女との夜も興ざめしてしまうんでね」
「彼女とは、メーガンか? リリーか? それとも――」
「はっはっは、いやぁモテる男はつらいのよ」
「相変わらずだな」
 モーリスは笑顔でアレックスをソファへと誘導した。明るいとはいえない室内の照明の中、その髪に白いものが混じり始めていることにアレックスは気づいた。
「何か飲むか?」
「そうだなぁ。運転するからね。炭酸水でももらおうか」
「ほほう、君が法律を守るとは、驚きだな」
「雑誌の表紙を飾るような男に感心されるとはね。悪い気はしないねぇ」
 ソファに腰を下ろし、アレックスは側に置いてある照明に目を移した。手動で灯りの量が調節できるらしく、ダイヤルを回せば滑らかに明るさが変わった。
「君の相棒は今日は来ないのか?」
「ウォレンか? 指名がなかったから呼ばなかったが。今度連れてくるよ」
「そうか」
 スコッチと炭酸水を用意し、モーリスはアレックスと対面する位置に腰掛けた。
「どうも」
 一言礼を言うと、アレックスはグラスに口をつけた。
 床からは1階の音楽のリズムが静かに伝わってくる。
「それで、用件を聞こうかね。どんなトラブルに巻き込まれているんだ?」
 アレックスの問いにモーリスは苦く笑うと、大きな封筒をひとつソファ横の引き出しから取り出して手渡した。
 無言のままアレックスは中身を取り出す。
 表情が険しくなったのか、近くのものがよく見えないのか、彼の眉間にしわが寄った。
「……なぁるほど、これはよく撮れている」
「だろう、傑作だ」
 アレックスが封筒から取り出した数枚の白黒の写真には、はっきりと、モーリスの姿が映っていた。
 駐車場らしい閉鎖的な空間に立つモーリスの片手には、拳銃が握られている。
 そして彼の前に倒れ伏している人物の頭部からは出血が見られた。
「5日前の事件、といったところかな。FBI捜査官が1人、頭部を撃たれて殉死。当局は全力をあげて犯人を捜している、って今朝のニュースでもやってたなぁ」
「その男は麻薬に関して捜査をしていたらしい。何かを掴んで、口封じのために殺されたのだろう」
「第三者的な口調だね。お前さんが殺ったんじゃあないのかい?」
 悪戯なアレックスの言葉に苦笑を漏らし、モーリスはスコッチを一口飲んだ。
「写真を見る限りは、私、ということになる。だが生憎その日のその時刻には私はオフィスにいた。運というものは皮肉なものだな。それを証明できる人間は誰もいない」
「オフィスにいたのなら、出入りの時刻ぐらいチェックしているんじゃないのかい?」
「カードがあれば誰でも入れる。証明に使うことはできんだろう」
「監視カメラは?」
「小さい敷地だが、写らないような抜け道くらいはいくらでもあるさ。そこかしこに取り付けているわけじゃないからな」
「へぇ。けっこう厳しい状況だねぇ」
「そのようだ」
 他人事のようにモーリスは肯定する。
「で、写真の送り主は?」
「さて、匿名で送られてきたから確かなことは分からないが、恐らくニールだろうよ」
「ニール・ヒラーかい? あいつは確か、刑務所に入っているんじゃなかったっけね」
「1ヶ月前に出所したようだ。努めておとなしくしていたんだろうよ」
「ははぁ」
「私はもう関わりないというのに、面倒な男だ」
「執念深そうだからなぁ、顔からして」
 目を細めてアレックスが過去を振り返る。
 モーリスがまだ現役だった頃からヒラーとは、あるいは彼の率いる密輸組織とは幾度となく諍いがあった。同業者間での権利争いも含まれているが、モーリスが引退した後もなにかとちょっかいを出してきたところを見ると個人的な感情も相当なものだったのだろう。もっとも、モーリスに言わせれば心当たりのないことであった。
 数年前、モーリスが引退をし結婚をした直後のこと、彼の妻が何者かに襲われたことがあった。幸いにも彼女に付き添っていた女性が事態を凌ぎ、大事には至らず公の事件にも発展しなかったが、首謀者がヒラーであったことは明らかだった。
 その後も身辺が穏やかではなかったため、モーリスはひとつ罠を仕掛けた。ありがたいことに見事にヒラーがかかり、彼は数年の間、刑務所で過ごすことを余儀なくされた。
 陥れる策についての相談には乗っていたのの、細部にまで関わっていたアレックスではない。ただ、今回の件に関しても当時と似た感覚を覚えるため、少なくともヒラーが一枚絡んでいることは間違いないだろう。
「大変だねぇ」
「全くだ」
「しかし、お前さんなら事実をでっち上げてくれる人間の1人や2人、持っているだろうに」
 写真を封筒に戻しながら、アレックスは呟くように言った。
「勿論だ」
 きっぱりとした口調でモーリスは答える。
 封筒をテーブルの上に置き、アレックスはモーリスを見た。
 澄んだ薄茶色の瞳がそこにある。
 インテリアデザイナーとしての実績は今やゆるぎないものとなっている。彼としては、過去のつてに頼ったり、今更に昔を掘り返されたくないのだろう。
 数年前まではかなりの額を儲けていた武器密輸組織のボスでもあった。若さに似合わぬ堂々とした雰囲気と時節を的確に捉えた鋭敏な行動力は、最初に知り合った頃から変わることはなかった。どういう風が吹いたのか、いつの間にか幹部の人間に組織を譲り渡し、自分自身は引退してインテリアデザイナーとしての現在に至っている。
 何を考えているのかさっぱり分からないが、その行動力と決断力の速さにはカリスマ性を感じずにはいられなかった。
 最近では雑誌に載ることも多くなり、彼の才能は世間が広く認知するまでに浸透している。
「相変わらず、忙しい人だねぇ」
 かつて色々と世話になった彼に対しアレックスは敬愛のこもった微笑を投げかける。
「私としてはゆっくりしたいのだがな。周りがそうさせてくれない。困った世の中だよ」
 モーリスは高級な葉巻を取り出しながらゆっくりと言った。
「一本吸うか?」
「いや、俺は庶民の味が口に合っていてね」
「そうか」
 慣れた手つきでヘッドを切り落とし、転がすように火をつけると、モーリスは深く味わいながらその煙を肺に吸い込んだ。
「……で、つきつけられたのはこの写真だけか?」
「あとは一方的な要求だ。写真と引き換えに100万ドル。払わなければFBIにこの写真を手渡す、とな」
「へぇ」
「目的は金ではないだろうな。私を叩けば埃が出てくる。当然、捜査の目は組織のほうへ向けられる。やつはそれが狙いだろう」
 一服の間を置き、モーリスは付け加える。
「無論、私への個人的恨みもあるだろうがね」
「それが主じゃないかね。ま、ここら辺を仕切りたいっていうのも本音だろうけど」
 アレックスは頂戴した炭酸水を一口飲んだ。
 怨恨もさることながら、どこに行っても権力や領地争いはあるものだ。ましてや、需要の多いところでは供給を巡っての争いごとなど日常茶飯事である。
「奴の後ろにはマフィアもついているしな。邪魔なんだろうよ、我々の存在がね」
 ゆっくりと煙を吐きながらモーリスは呟き、少しの間をおいてひとつ訂正を入れた。
「もとい、お前たちの存在が、だ」
「俺は関係ないよ。別に属してるわけじゃないから」
「そうだったな」
「しかし偽装の写真で脅しとは、またおもしろいことを考えるやつもいるもんだねぇ」
「偽装だろうがなんだろうが、注目されることは間違いないからな。警察にしてもFBIにしても、連中は常にこちらが墓穴を掘る機会を窺っている。どんな些細なことでも構わない。ひとつ見つかればそこから穴を広げるつもりだ」
「単なるきっかけを作った、ってことか。お前さんともあろう人が、まんまとはまるとはね」
「なに、引退したとはいえ、私はそう簡単に落ちはせんよ」
 微笑を浮かべながらこともなげにモーリスは言った。かんばしくない状況下でもどっしりと構え、油断も隙もみせない。多くの部下に慕われていた理由のひとつがそこにあった。
「それで、取引には応じなかったわけだ」
「勿論だ」
「なら、この写真がFBIの手に渡るのも、時間の問題というわけか」
「そういうことだ」
 人事のようにモーリスは呟く。
「だが優秀な弁護士がいるんだろう?」
「知ってのとおり、敏腕だ。彼に任せておけば、まず心配はない」
 それならひとまず安心だな、とアレックスは頷いた。
「それなら、わざわざ俺を呼んだのはなんのために?」
 アレックスの質問に、モーリスは深く葉巻を吸ってから答える。
「証人を見つけ出して保護してほしい」
「証人?」
「その写真を偽装した人間だ」
「心当たりがあるのか?」
「ない」
 きっぱりとした口調でモーリスは言った。
「……難しいこと言うねぇ」
「お前ならできるだろう」
「その言葉は嬉しいんだけどね」
「期待しているよ」
「まだ引き受けるとは言ってないよ」
「ありがとう」
「だから、まだ思案中なんだけど」
「感謝する」
「人の言葉聞いてるかい?」
「勿論だ。快く引き受けてくれるんだろう?」
 にっこりと笑うモーリスの姿を見れば、ノーとは言えなくなる。
 アレックスは苦笑をしながらため息をついた。
「……あんたには到底敵わないよ」
「よろしく頼む。報酬はちゃんと払う」
「報酬ねぇ」
 ソファから腰を上げながらアレックスは呟いた。
「……いや、いらないよ、今回は」
 同じように立ち上がりながらモーリスは、何でだ、とアレックスを見た。
「過去にいろいろと世話になってるからね。これで貸し借りなし、ということでいいかな」
「貸しを作った覚えはないぞ」
「借りを作った覚えがあるんでね」
「気にする必要はない。私が好意でしたまでのことだ」
「そうだとしても、きっちりとした礼がまだ済んでいないしなぁ」
 まぁこちらも好意だから、とアレックスは笑った。
 心を汲み取ったモーリスがその顔を和らげる。
「……お前には敵わんな」
「そう? じゃ、今度お前さんの元部下に会ったら自慢しておくよ」
「好きにしてくれ」
 穏やかに微笑を浮かべるモーリスに、それじゃ、と挨拶をすると、アレックスは低音の響く1階へと階段を下りていった。
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