IN THIS CITY

第2話 People Person

01 .02 .03 .04 .05 .06 .07 .08 .09 .10 .11 .12 .13 .14 .15 .16 .17

14 Give You My Word

 リンとジョンを連れてきたバンの前に4人が着いた頃には、層積雲が夕日を受け、その厚みを柔らかく強調しながら南西の空に浮かんでいた。
 やがて、更に上空に存在する巻雲も見事な色合いを見せることだろう。
 雑木林の中からこの広場までの間にも、リンは人の気配を感じた。
 気配といっても、それは生きたものではなかった。
 ここに歩いてくる途中に確認できただけでも5人。そして、今立つ広場からは、建物の入り口にももう1人の死体が転がっている様子が感じ取れる。だがリンは敢えてその気配がする方向を見ようとはしなかった。
 バンの隣に立ち、アレックスは携帯電話を取り出した。
 呼び出し音が鳴っている間、ちらっとハイウェイの様子を窺う。
 静かな様子から、ここ十数分の間に起こった出来事が外部に気づかれている様子はなかった。
 視線を戻せば、バンの隣に停めてあるSUVを覗き込むウォレンの姿が目に映る。
 元々建物の中にいた連中が乗ってきた車だろう。ロゴを確認すればBMW製であることが分かる。なかなかに洒落た趣向を持った連中だったようだ。
 呼び出し音が途切れ、電話番号の持ち主が出た。
「クレイトン? アレックスだけど、事の詳細はモーリスから聞いているかな。――あ、そう、なら経緯は説明しなくていいね。場所を指定してくれたら彼を連れて行くから」
 アレックスの口から漏れた『彼』という単語に、ジョンが不安そうな顔をする。
「――了解。今からだと……――、そうだなぁ、1時間ってところかな。――あいよ、また後ほど」
 通話を終えるとアレックスは、ひょいっと後ろを振り返った。
 己の身を案じているジョンに対して、アレックスは携帯電話を持っている片手を挙げる。
「クレイトン・シークレスト」
 突然言われた人名に、ジョンの頭に疑問符が大量に発生する。
「あれ、知らない? 腕のいい弁護士なんだけど。まぁ、メディアには最近出てないから仕方ないか」
 職業を聞き、ジョンはその名前を思い出したらしい。ああ、と頷いた。
「今、俺の友人の弁護をしてるんだけどね」
 そこで言葉を区切り、アレックスは携帯電話をしまうとタバコを一本取り出し、ライターで火をつけようとした。が、燃料が切れているのか、ライターからは着火しようと努力する音が聞こえるのみだった。
 友人の弁護。
 その言葉に、ジョンは表情を暗くした。
「……今朝捕まった、彼のこと?」
 視線を上げてアレックスを見れば、火のついていないタバコをくわえている彼と目が合う。
 咎めるような目ではなかったが、ジョンは後ろめたさを感じ、下を向いた。
「そ。ま、お前さんが証言してくれりゃ、何とかなるでしょ」
 予想していたよりも随分軽い口調で言われ、ジョンは、え、と顔を上げた。
 しばらくの間、ライターと格闘していたアレックスだが、ようやく諦めたのか、役目を果たさないそれをポケットにしまった。
「ウォレン」
 火を借りよう、とアレックスは相棒の名前を呼んだ。
 が、名前を呼ばれたにも関わらず、ウォレンは品定めでもするように目の前の黒色のBMWを調べている。
 彼がドアに手を掛ければ、鍵はかかっていなかったらしく、素直に開いた。
「そこのお兄さん」
 その場にいるアレックス以外の全員が当てはまりそうな呼び方で、アレックスは再びウォレンに声を掛けた。
 妙な言い方が耳に届いたのか、ウォレンが顔を上げ、アレックスを見る。
「俺か?」
「お前だよ。火、貸してくんない?」
 タバコを指で挟んで見せて、アレックスが頼む。
「肺ガンになるぞ」
 取り合う気がないのか、ウォレンは運転席のドアを大きく開けて腰を曲げると車内を見学し始めた。
 軽く眉を上げ、ウォレンから視線を外すとアレックスはジョンを見た。
 ジョンは何も所持していないことを首を横に振って告げる。
 次いでアレックスはリンに視線を移した。
 まだ少し呆然としている気のある彼も、火になるようなものは持っていないらしい。同じように首を振った。
 仕方なくタバコを箱に戻そうとしたとき、
「アレックス」
 と声がかかり、彼が振り返ると同時に物が飛んできた。
 反射的に手を出してそれを受け取れば、紙マッチであった。
「何、お前俺が肺ガンになって死んでもいいの?」
「『やっぱりか』と思うくらいかな」
「……冷たいヤツだなぁ」
「貸せと言ったのはあんただろ」
「うん、言った」
「なら文句言う前に感謝しろ」
「押し付けがましいねぇ」
 マッチを一本取り出して擦れば、着火の音と共に火薬の匂いが生まれる。
 一種の懐かしさを感じさせるその匂いは、毎回ライターからマッチに乗り換えようかと思わせるものだった。
 深く、最初の一服を吸う。
「さてと。ジョン、そういうわけだから弁護士の心配はしなくてもいい。ちゃんとクレイに面倒見てくれるよう頼むから」
 アレックスに言われ、ジョンは一応頷くものの、彼から不安な様子は消えてはいない。
 身の安全の心配はなくなったが、法的に処罰されることに対して一種の恐怖が存在するのだろう。
「敏腕だから、安心して彼に任せておけばいいさ」
 十分に納得させようとするでもなく、アレックスはさらりと告げるとジョンを見、軽く微笑をした。
 無言のまま、だが幾分か胸を撫で下ろしたように、ジョンは肩から力を抜いた。
 その様子を確認し、アレックスはリンに振り返る。
「えーと、そちらのお兄さんはどうしようかね」
 話題が己のことに及び、リンはぼうっとしていた意識に喝を入れた。
 一瞬だったが、彼の脳裏に悪い予感が過ぎった。
 ジョンも不穏なことが起こると判断したのか、リンを一度振り返ると、慌てた様子でアレックスに向き直った。
「彼は関係ない、関係ないから、放してやってくれ」
「ん?」
「俺を助けようとしてくれただけなんだ、今回の件には全く関わっちゃいない。何も知っちゃいない。だから――」
「あ、いや、待て待て。元々拘束する気はないさ」
 リンの口を封じるのではないかと勘違いしているジョンに気づき、アレックスはタバコを挟んだ手を広げると、ジョンを落ち着かせた。
「まぁ、彼のおかげでちょこっと時間は喰っちゃったけどね」
 皮肉の入った言葉ではあったが、そのことを根に持っているような雰囲気は微塵もない。リンもジョンも、抱いていた懸念を、通り過ぎる風と共に去らせた。
「お前さんをクレイのとこに送るついでに乗せてってもいいけど――」
 とそこまで言い置き、アレックスはウォレンに振り返ると続ける。
「ウォレン、怪我してるし彼の面倒は任せたよ」
 アレックスの言葉に、車の屋根に腕を置き、その上に顎を乗せ、発言も何もせずに事の成り行きを見ていたウォレンが軽く頷いて了承した。
「と、いうわけだ。街まであいつが乗っけてってくれるし、傷口の手当もしてくれるだろうよ」
「……あ、どうも」
 ウォレンを一瞥し、リンは2人に対して礼を言った。
 随分と久しぶりに声を出したかのように、それはかすれて出てきた。
「じゃ、行きますか」
 ジョンを促し、アレックスはハイウェイに停めてある自分の車に向かって歩き始めた。
 が、どうもウォレンがついてくる様子がない。彼の乗ってきた車も、ハイウェイにあるはずなのだが。
 歩みを止め、アレックスはウォレンのいる方向に体を回転させた。
「……お前、まさか浮気するんじゃあないだろうねぇ」
 先ほどからのウォレンの行動から予感はしていたが、どうやらそうらしい。
 言葉で返す代わりに、ウォレンは品定めの最中に運転席の上部にて発見した車の鍵をアレックスに見せた。
 付属のキーホルダーと擦れ、金属音が小さく響く。
 呆れたようにアレックスは苦笑をしながら首を振った。
「『彼女』が泣くよ?」
「誰かさんに返したい言葉だな」
「俺は泣かせたりしないねぇ」
 タバコの灰を落として口に持っていくと、アレックスは、
「車も女性も」
 と一言付け加えた。
 耳に入れることなく受け流し、ウォレンは素っ気ない相槌を打つ。
「乗ってきた車はどうすんの?」
「捜索願が出されていれば、いずれ回収されるんじゃないのか?」
 他人事にそう言い、ウォレンは上体を起こすと車の屋根から腕を下ろした。
 一応の癖で、盗んだばかりの車には指紋といったものを残さないようにしているウォレンだ。足がつくことに関しては心配していない様子である。
 車より先にこの現場が発見されるかもしれないけどな、という言葉が彼の口から出かかったが、生々しい様子を連想させるそれを実際に外に出すことは憚られた。
 無言のまま、ウォレンはリンに視線を移す。
 先ほどよりもしっかりとした意識を持っているようだが、まだいろいろと考えが渦巻いているらしく、目の焦点はどこにも合っていない。
「……適当だねぇ」
 そう呟くアレックスにちらっと視線をやった後、ウォレンは合図となるように車の鍵で屋根を軽く二、三度叩いた。
 小さい音ではあったが、人の声とは周波数が違うためリンの耳にも届いたのだろう、彼がウォレンを見た。
「乗れよ」
 命令口調でもなく促す。
 状況を理解したのか、リンは小さく了解の意を声に出すと足を進めた。
 途中、ジョンに視線をやる。
 心配そうな顔をしている彼に対し、リンは微笑をして見せた。それでようやく安心したのだろう、ジョンも数時間ぶりに表情を和らげた。
 リンが助手席のドアに手を掛け、ウォレンが運転席に乗り込もうとした時、再びアレックスが口を開いた。
「ときにウォレン、このマッチの中に書いてあるオリヴィアって女性、誰?」
 先ほど受け取った紙マッチを開き、ウォレンに見せる。
「知るか」
「浮気中?」
「あんたと一緒にするな」
「失礼だなぁ」
「車の中にあったやつだ。俺のじゃない」
「そうなの?」
 アレックスはウォレンから紙マッチに視線を移すと、
「美人っぽい字だねぇ」
 と目を細めながら呟いた。
「さっさと行け」
「艶かしく電話番号も書いてあるけど、電話した?」
「俺がもらったものじゃない」
 一語一語を区切るようにウォレンは言った。
 アレックスの悪い癖が出るのなら、所持していたライターを渡せばよかったか、とウォレンは後悔した。
 しかしながらアレックスに小物を貸した場合、それが戻ってくる確率は、数十年前における天気予報が当たる確率よりも低い。また、タバコを吸わないとはいえ、火の元になるものを持ち歩いているといろいろと便利なことが多い。
 以上のことから、ウォレンは所持しているライターではなく車内に落ちていた紙マッチをアレックスに渡したわけだが、それが逆に煩わしい会話の原因となったようだ。
「そう?」
 納得したか、アレックスは踵を返す。
 ハイウェイに向かいがてらに、書かれている電話番号の数字を1つ1つ暗記するかのように声に出す。
「……間違っても電話するなよ」
 ウォレンとしては注意のつもりで告げた言葉だったが、アレックスはそうは受け取らなかったらしい。
 くるりと向きを変えるとウォレンを見た。
「やっぱお前のでしょ?」
 疑わしげに意地の悪い目をするアレックスを無視し、ウォレンは、さっさと行け、と面倒くさそうに手を振ると運転席に乗り込んだ。
「認めちゃえばいいのに。潔くないなぁ」
 一言呟きながらその様子を見届け、アレックスはウォレンとのやり取りを何となく見ていたジョンに向き直り、
「遊び好きの相棒を持つと苦労するもんでねぇ」
 と肩を竦めて見せた。
 会話と2人の雰囲気から察するに、その言葉を言うとすればそれはウォレンの方のように考えられる。ジョンは疑問を持ちながらも相槌を打ち、改めて車に視線をやった。
 そこにウォレンの姿は見えなかったが、ジョンと同じようにぽかんとした表情をしているリンを見つける。彼もまた、アレックスとウォレンの一連の会話が生み出した空気と、それまで置かれていた状況との気温差に戸惑っているようだった。
 しかし、その他愛のない話のせいだろうか、ここ数時間の内に感じていた恐怖や不安は、いつの間にか遠い沖まで引いていた。
 死に直面した瞬間が、昔の出来事のように感じられる。
「あの、ちょっと……」
 ハイウェイに向かおうとするアレックスを呼び止め、ジョンは続ける。
「彼と少し、話をしてきても?」
「どうぞお好きに」
 自然な間を置いてすんなりと出された許可に、ジョンはアレックスが信用できる人物だと確信した。
 罪を問われることは明白だが、シークレストという弁護士に任せておけば、彼の言うとおり、事態が悪化することはなさそうだ。
「ありがとう」
 一言残し、ジョンはリンのいるところまで緩やかな坂を下った。
「あ、えーっと……――」
 ジョンは名前を呼ぼうとしたが、自分を助けようとしてくれたこの若い恩人の名前をまだ聞いていないことに気づいた。
 それを察知したのか、リンは助手席のドアに掛けようとしていた手を引く。
「リン。リン・ウー」
 己の名前を告げ、ジョンに体の正面を向かせる。
「リン、こんな事に巻き込んでしまってごめん。でも、おかげで助かったよ」
「僕は、……別に大したことはしてないよ。彼らが来なかったら、お互い今頃は……――」
 続くリンの単語を遮り、ジョンは強い瞳で彼を見た。
「そんなことない、君のおかげでもある」
 真剣なジョンの表情が、彼の心の内を素直に語っている。
 靄のかかっていたリンの心に、その姿はありがたかった。
 喧騒な雰囲気が消えたのを察知して舞い戻ってきたのか、近くの梢からカラ類の声が聞こえてくる。
 その声に誘われるように、リンは穏やかに微笑し、新たに口を開いた。
「これから忙しくなると思うけど、負けないで」
「きれいな体になって戻ってくるよ。約束する」
 はっきりとした口調でそう言うと、ジョンは右手を差し出した。
 その手をしっかりと握り返し、リンはジョンの言葉を確かに受け取ると大きく頷いた。
「分かった」
 薄く太陽にかかっていた雲が風に流されたのだろうか、淡い色を帯びた夕日の光が強まると、周囲一帯を静かに包み込んだ。
「怪我、お大事に」
 リンの左腕を見つつ、ジョンが言葉を掛けた。
「ありがとう」
 礼を言うとリンは手を離し、次いでジョンはアレックスの待つ緩やかな坂の上へ足を向けた。
 もう、振り返ることはないだろう。
 その姿をしばらく見送り、リンは助手席のドアを開けた。
 その音が、小さく夕暮れの雑木林に消散する。
 短時間の彼らのやりとりを眺め終わり、アレックスは短くなったタバコを湿り気を帯びた土の上に落とすと軽く足でつぶし、それを拾い上げた。
 丁度いいタイミングでジョンが彼の横に到着する。
 体を起こし、アレックスはBMWの車内のバックミラーに向かって軽く手を上げた。確認はできないが、ウォレンからはその姿が見えているだろう。
 車に背を向け、アレックスはジョンと並びながらハイウェイに停めてある車へ向かった。


 去っていく2人の姿をバックミラーで確認すると、ウォレンはその角度を調整し、運転に備えた。
 車内には雑多なものが置かれているが、それらを削除すれば乗り心地のいい車になりそうである。
 恐らく今まで使用してきた車の中で、もっとも値の張る一台だろう。
 助手席にリンが乗り込む。
 ドアを閉める音が響き、外部の音が完全とは言わないまでも遮断される。
 座席を調整しつつ何気なくリンの様子を見れば、ジョンとの別れの余韻に浸っているようではあるものの、それまで身体から分離していたようであった意識はちゃんと戻ってきているらしかった。
「シートベルトは締めろよ」
 確認するようにウォレンが言った。
 リンが彼を見、驚いたような表情をする。
「……何だ?」
「……いや、意外と規則を守るんだな、って」
 思わず素直な感想が口をついて出てき、リンは、まずい、と思ったか、
「あ、悪気はないよ」
 と付け足した。
 彼の失言を気にする様子もなく、ウォレンはエンジンのボタンの位置を確認する。
「見つかったら厄介だろ」
 もっともな彼の答えに、言われた通りシートベルトを締めながら、リンは、なるほど、と頷く。
 その彼の頭に新たな疑問が浮かんだ。
「……盗難したことのほうが見つかったら厄介じゃない?」
 そう尋ねられ、ウォレンは少しばかり宙を仰ぐとリンを見た。
「見つからなければ厄介じゃない」
 一言告げるとウォレンはエンジンのボタンを押した。
 エンジンがかかる音がし、わずかだが車の振動が足元から伝わってくる。
 次いで車内にラジオから流れる音楽が充満したが、すぐにウォレンの手によって根元を切られた。
 彼は静かなドライブを好むらしい。
 フロントガラス越しに動き出す景色を捉えつつ、リンはウォレンの矛盾する理論に、あ、そう、となんとなく頷き返した。
Page Top