IN THIS CITY

第2話 People Person

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11 Holes on the Ground

 周囲の雰囲気が変わったのは、人の住む世界から離れた山に入ったからだろう。
 どこまでも続く一筋のハイウェイ。
 その道を行く車の台数が比較的多いことが何よりの救いだった。
 路地裏でアレックスからの電話を受け取った後、ウォレンはすぐに近くに放置されていた、もとい駐車してあった車を拝借し、乗り心地のあまり良くない環境の中運転を続けていた。
 欲を言えばもっと質のいい車に乗りたいのだが、やはりそれを求めるとセキュリティのほうも厳重になってくるため、残念ながら彼の持っている技術の及ばないところとなる。
 軽く首を回しがてらにバックミラーで後方を確認する。
 十分すぎる車間距離をおいて目的のバンが走行しているのが見える。
 今は直線の道路なので確認は出来ないが、そのバンの後ろにはアレックスの運転する車が控えているはずだ。
 分かれ道のないハイウェイであるため、もうしばらくこの状態が続きそうである。
 尾行というものは、やはり1人よりも2人であるほうが行いやすい。
 まして今は携帯電話といった優秀な文明機器が普及している。
 道路の分布や状況によっては、連絡を取り合えば代わる代わる尾行をすることも可能なのだ。
 現在、バンの前をウォレンが行き、バンの後ろにアレックスがついている。
 どちらか一方が疑われても、片方が生き残れば問題ない。それに尾行される側は、なかなか前方に注意を払わないものだ。
 かといって気を抜いてよいものではなく、速すぎず遅すぎずの速度を保ちながらのハンドル操作はいささか疲れるところがある。
 それに加え、アレックスの話によるとどうやら相手方には1人、勘の鋭い男がいるらしい。
 恐らくその人物が、カイルの言っていた『プロ』なのだろう。
 面倒だな、と心の内で独りごちながら、ウォレンはハンドルを握る手の位置を少しばかりずらした。
 慣れているとはいえ、長時間の運転は肩が凝る。
 彼らがどこへ向かおうとしているのかさえ分かれば尾行という骨の折れる作業もしなくてすむのだが、世の中はそれほどまでに容易いものではない。


 それからどれくらい走っただろう、樹木の間を抜ける道路が曲がり、それまで差し込んでいた日の光が針葉樹によって遮られた。
 日陰になるだけで、空気がひんやりとしたものに変わる。
 ほどなくして、一日の終わりを告げる落日が最後の光を大地に放つだろう。
 せめてそれまでに決着というものをつけたいものだ、と思った矢先。
 前方右手の樹林が、少し開けていた。
 近づくにつれ、雑木林の中に続く道がそこに存在することが分かった。
 通りすがりに確認すれば、舗装されてはいないものの轍のはっきりとした小さな道が森の中に続いており、その先には建物らしき建築物の片隅が窺えた。
 速度を落とすことなくウォレンは素通りし、それとなくバックミラーで様子を窺った。
 カーブにさしかかり、分かれ道が視界から外れようとしたとき、案の定後ろを走っていたバンがその道へと吸い込まれていった。
 間違いない。
 郊外に設けられた、相手方の拠点であろう。
 速度を落とし、指示器で今後の動きを示すと、ウォレンは道の脇に停車した。
 樹木の間から様子を窺おうとしたが、いまだ葉のない木々は密に生えており、バンの動きもすぐに目で追えなくなった。
 エンジンを切り、ドアを開けて外に出る。
 適度な湿度を持った新鮮な空気が、土の香りを連れて肺を満たした。
 走行音が近づき、アレックスの車がやってき、ウォレンの停めた車の後ろに停車した。
「お前、また車変えたの?」
「ん?」
 愛用のシグ P228 の弾倉とチャンバーを確認しながら、ウォレンが尋ね返す。
「この前は確か黒だったよな」
「ああ、これか。あんたが急かすからそこらへんのを借りただけだ」
 器用だねぇ、と感嘆の声をもらしながらアレックスも同様にグロック 19 の弾倉を確認した。
「お前、中古車のブローカーになったほうがいいんでない? 盗難車専門の」
「別に盗むのが趣味なわけじゃない」
「あ、そ」
「借りてるだけだ」
「へぇ?」
「無期限に」
 短く返答し、ウォレンはアレックスを見た。
 暫時、目が合う。
「なるほどね」
 アレックスの一言を合図に、デコッキングとスライドの聞きなれた音が合わさる。それが消散するのに沿うように、2人は樹木の間を縫ってバンが消えていった方角へと走り出した。
 湿った落ち葉が足音を吸収する。
 身軽な彼らの動きを風が追った。


 雑木林に囲まれた建物からはハイウェイは見えないが、時折通りすがる車の走行音は聞こえてくる。
 昨夜の雨により湿り気を帯びた地面は、去年の秋に落とされ、土に還元され始めた葉で敷き詰められている。
 ケヴィンたちを乗せたバンが停車すると同時に、建物のドアが開いて中から男が2人出てき、数段の階段を足早に下りる。その階段の横には、新鮮な土を付着させたスコップが2つ、たてかけてあった。
 エンジンの音が切れる。
 建物内にいたリチャードとニックは疑問を表情に乗せ、バンへと近づく。
 デリックがジョンの口を封じるために動いていたことは知っていた彼らだが、そのデリックから突然電話があり、『穴を掘れ』という指示を受けた。
 予定外の仕事に不安が頭をもたげるのも無理はなかった。
「デリック、一体何が――」
 リチャードの声を遮るようにバンの後ろのドアが開く。
 出てきた人物を見、彼の動きが止まった。
「……ケヴィン」
 何で彼がここに、と、助手席から降りたデリックに疑問の目を向ける。
 眉を少し上げ、軽く首を傾げてデリックは質問に答えるとともにそれを流した。
「穴は掘ったのか?」
 非常に落ち着いた声でケヴィンが尋ねる。
「……あ、ああ。でも何だって2つも――」
「必要になったからだ」
 簡潔に答えるとケヴィンはバンの後部座席のドアを開け、気を失っている2人を引きずり出した。
 まるで物に対するような乱暴な扱いに、湿り気を帯びた地面に放り出されたリンが小さく呻き声を発する。衝撃を受けて意識を取り戻したらしい。
「始末しろ」
 簡単に命令し、ケヴィンはバンのドアを閉めた。
 地面に放り出された人の数が、予想よりも1人多く、リチャードとニックは互いに顔を合わせた。
「こいつは一体誰――」
「さっさと片付けろ」
 一言残し、ケヴィンは建物へと足を進めた。
 状況を把握できていない様子で、リチャードとニックがデリックらを見やる。
 何らかの説明を求めている顔だ。
「……ま、そういうことだ。頼んだぞ」
 彼らの期待に反し、詳しい事情を語ることなくデリックもまた、建物へと向かった。
 それに続き、ジョエルも無言のまま立ち去る。
 目が何かを告げていたが、恐らくバンの中の雰囲気をいまだ引きずっているのであろう、無駄に口を開くことを避けているようであった。
 リチャードとニックは互いに目を合わせ、仕方ないか、と肩を竦めた。
 この面子における絶対的な存在がケヴィンであることは自明であったからである。
 と、その時、
「俺も手伝う」
 是非とも、という口調でマークが申し出た。
 つれない3人とは違った彼の好意に、ほんの少しだけ、場の張り詰めた空気が和らぐ。
 だがその変化は、土の上に倒れている2人には当てはまらなかった。
「立て」
 乱暴にリンの腹部を蹴りつつ、マークは腰から拳銃を取り出した。
 動かした利き腕が激しく痛んだのか、吐き出すように大きく俗語を捨て、銃口をリンのこめかみに押し付けた。
 明らかに、先ほど右腕を痛めつけられた恨みが込められている。
「おいおい、マーク、殺るにしてもまずは運んでからにしろ」
「ここで血を流されたら後始末が厄介だ。せっかく俺たちが墓を掘ってやったのに」
 今すぐにでもリンを撃ち殺しかねない彼に、リチャードとニックから制止の声がかかる。
 突きつける銃口に力を入れていたマークが、暫時、動きを止める。
 小刻みに震える彼の手と息の荒いその姿に、よほど腹の立つことがあったのだろう、と2人は顔を見合わせた。
 しばらくしてマークが舌打ちをし、銃口をリンから離した。
「……場所はどこだ?」
 マークの質問に、2人は建物の右側に位置する雑木林を親指で差して答えた。
 なるほど、掘り出したと思われる盛り上がった土が木の間からも窺える。
「……とっとと終わらせるぞ」
 再び拳銃を腰に戻し、マークは荒々しくリンの腕を引っ張った。


 雨に濡れた土の香りが鼻を突いた。
 体前面に衝撃を感じてからほどなくして、朦朧としていた意識が輪郭を持ち始めた。
 開かれた目からの情報で、自分自身が地面に伏せっていることに気づく。
 乱暴に立たされ、リンは足で体重を支えようとした。しかし体がまだ起きていないのか、すぐさまバランスを崩して膝を地面についた。
 布地越しに薄っすら染み渡る水分が、やけに冷たく感じられる。
「立て!」
 大声が頭上から聞こえてきた。それに伴った振動のせいか、先ほど殴られた後頭部の痛みが存在感を増す。
 意識を失っていた空白の時間を越えて、数時間前の記憶が断片的に脳裏に流れ、リンはようやくに今置かれている状況を認識した。
 マークに半ば引きずられるように、足を動かす。
 隣を見れば、まだ状況を把握しきっていないジョンが同じように2人の男に引きずられている。
 彼の表情は不安の色で染まりきっていた。
 視線を動かす。
 太陽光が差し込む雑木林は、枯れ木であるはずなのに鬱蒼として見えた。
 木の枝を踏んだようだが、湿り気を帯びたそれは乾いた音で折れる代わりにリンの足に絡み付いてき、足元のバランスを狂わせた。よろめけば、再び強い力でマークに引っ張られる。その力には明らかに苛立ちと殺意がこもっていた。
 殺される、と実感をしたのはどれくらい歩いてからだろうか、目の前に土の山が見え、そのすぐ脇に、人1人が十二分に入れそうな深い穴の存在を2つ確認してからだった。
 その穴が何を意味するのかがジョンにも分かったらしく、神への頼みを呟く非常に絶望的なか細い声が彼の口から漏れるのが聞こえた。
 背中に衝撃を喰らい、リンは前に放り出された。
 とっさに前へ手を出し、顔面から朽ちかけた葉に埋まるのを避けた。
 目の前には例の穴が存在する。昨夜の雨により内部まで湿った土の濃い色のせいか、やけに深く見える。
 右隣には、1人の男に肩を押さえられ地面に膝をつかされるジョンの姿があった。
 その彼の口からこぼれる言葉は3語、殺さないでくれ、だった。
「上体を起こせ」
 後ろからマークに肩を掴まれ、リンは膝を地面につきながら、体を起こした。
 視線の高度が高くなり、それに比例して穴の全容も見えるようになった。
 暗い。
 背後でマークが怒りをこめた言葉を吐いているようだが、その音は耳に届く前に消散していった。
 湿った土の香りを豊満に湛え、棺と呼ぶには粗末過ぎる穴が、手を、招く。
 地の底から押し寄せる恐怖が、リンの体を硬直させた。
 ジョンと同じように、絶望を示す言葉が口をつく。
 視界には、目の前の深い穴しか入っていない。
 まるで吸い込まれるように、視線が固定される。
「貴様、聞いてんのか!?」
 鋭い怒気を孕んだ言葉が耳を貫通し、後ろから荒く髪の毛を掴まれた。
 激痛に伴った呻き声を発し、リンは催眠にも似た世界から現実の世界に引き戻された。
 同時に金縛りに遭ったように固まっていた体に柔軟性が甦る。
 悪い方向へと働いていたリンの思考回路が、その行き先を修正した。
 この状況下、瞬時に思考の切り替えを行うのは難しいことだが、彼はそれをしてのけた。
「一発、頭にブチ込めば済む話だが、それじゃ俺の気が納まらねぇ」
 弾みをつけ、リンの頭を殴り捨てるように前に押しやる。
 マークの声を背後に、リンは自由になった頭を振ると、横目で右隣のジョンの様子を窺った。
 観念したのだろうか、聖書に書かれている言葉が彼の口から震えながらこぼれ出ていた。
 リンの視線に気づいたのか、ジョンが浅く首を回し、彼の方を見た。
 視線が合う。
 絶望の中に申し訳なさそうな色を呈し、ジョンが軽く首を振った。
 激しい後悔の念と死に対する恐怖が彼の背中に覆いかぶさっているのが見て取れる。
 淡い日の光とひんやりとした空気の中、リンはジョンにだけ分かる程度に微笑した。
 場にそぐわない彼の行動に、ジョンが驚いたような表情をする。
 一瞬、彼の震えが止まり、負の思考が遠ざかった。
 それの機会を逃さず、リンは真剣な表情でわずかに顎を引いた。
 希望は、精神状態が安定しているほどに強い存在となる。
 意識的か無意識的かは分からないが、リンは一筋の光をジョンの前に差し込ませることに成功した。
 無言の内のサインを読み、ジョンも覚悟を決めたらしく、唇を引き締めて頷き返す。
 今は逃げ場のない極限の状況下だ。何かしらの行動を起こすしか、生き残る道は残っていない。
 知り合って間もない間柄だが、置かれている状況のせいか、意思の疎通は完璧だ。
「生き埋め、っていう選択肢があるが、どう思う?」
 短い時間に行われた2人のやりとりは、どうやら相手方に気づかれることはなかったようだ。
 優勢の立場にいる相手は余裕の雰囲気を纏っている。
 無理もない。2発の銃声で全て終わらせることができるのだ。
 含み笑いが読み取れるような口調を聞きながら、リンはそれとなくジョンを連れてきた2人の男を見た。
 彼らはまだ、拳銃を抜いていない。
 立場が逆転する可能性を考えていないのだろう、警戒心は薄い。
 たとえ確率的に低かろうとも、リンは生き延びるチャンスがまだあることを直感的に感じ取った。
「それとも、弾の数だけ撃たれてみるか?」
 粘性の高い流体のように、耳にまとわりつくマークの声。
 聞き流しながらも、リンは反撃に転じる機を逃すまいと気を張った。
 油断させるのが第一、攻撃に移るのが第二。
「……頼むから、殺さないで」
「あん?」
 か細い声を出してみれば、案の定、待っていたといわんばかりに勝ち誇ったような聞き返しが来た。
「まだ、死にたくない」
 マークに聞こえるように、リンは少し強めに、だが震えを交えた調子で言った。
「へぇ、命乞いか?」
 嘲笑が、背後からも右後方からも届いてくる。
 順調だ。
 右隣の様子をそれとなく窺えば、深呼吸をし、『その時』に対応できるよう準備をしているジョンの姿が見えた。
 窮鼠猫を噛む、といったところだろうか、ありがたくも、精神的な面での心配はないだろう。
 緊張する体を落ち着かせるように、リンも深く息を吸った。
 それがまた、相手方には怯えとして映ったらしい。
「はっ、路地裏じゃあ随分と威勢がよかったが、あれはどこいったんだ? え?」
 かすかな金属音がし、リンの後頭部の髪にその元凶が触れた。
「……わ、分かった、あれは謝るから、お願いだから、殺さないで」
 劣勢の立場にいることを更に強調させるように、リンは言葉を紡いだ。 
 周囲に鼻から抜けるような笑い声が沸く。
 彼らから力が抜ける。
 きっと視線を上げ、リンは全身に次の行動へ移る指令を出した。
 今だ。
 膝に伝わっていた湿り気を帯びた土の感触が消え、腕が空気抵抗を感じる。
 直感的に体が動けばいい。思考は後からついてくる。


 空気の変化を感じ取ったか、その場を去る鳥の羽音が上空に消えていった。
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