IN THIS CITY

第2話 People Person

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08 The Levinsons

 走り去っていったジョンとリンを一瞥し、警察官は講習で教えられた通りの形で拳銃を構えながら小股に足を進め、ウォレンとアレックスの手前で立ち止まった。
 その目がまばたきを繰り返し、2人を交互に観察する。
 同時に2人も彼をそれとなく観察した。
 拳銃を握る指を時折動かし、左右の足に小刻みに体重を移動させている。
 じっとしていられないその様子から、一見場慣れしていそうに見える壮年の警察官が相当に緊張していることが分かった。口ひげを蓄えた恰幅のいい彼だが、おそらく普段はデスクワークなのだろう。
「……あの、何か……?」
 職務質問を受ける前に切り出した方が得策と判断し、ウォレンが遠慮がちに尋ねた。
 相手からの問いかけを予想していなかったのか、驚いて警察官が振り向き、その視線と銃口がウォレンに固定される。
 不安が見え隠れするその目に対して、ウォレンもまた驚きを見せ、困惑した様子を出しながらアレックスを振り返った。彼の動きに合わせるようにアレックスもまた、戸惑った風を装う。
 2人に害意の全くないことを感じ取ったのだろう、警察官の肩の力が抜ける。
「……ここで何を?」
 緊張は抜け切っていないが比較的穏やかな口調で彼は尋ねた。
 敢えて声を低く小さくし、精神状態があからさまに表に出ないように繕っているようであった。
「あ、この近くに、評判のいい、食事の店があると聞いたもので……」
 適当に話を作るのが得意なアレックスが答える。
「店?」
「ええ。あの、ラ・フェニーチェという……――」
 掘り下げられても大丈夫な範囲で頭に浮かんだことをつらつらと述べる。
 女性を口説くときに毎回もっともらしい話を作り上げているためか、その舌は流暢だ。
 雑誌にも紹介されているその店のことは警察官も知っているらしく、彼は大きく、なるほど、と頷いた。
 続いて拳銃を持っている腕が少し下がる。
 再び彼の目がウォレンとアレックスを交互に見た。
 疑ぐり深さは抜けており、危険視する度合いも薄まっている。
 暫く2人を観察した後、彼は眉をひそませた。
「……親子かね?」
 なるほど、確かに会社の同僚といった雰囲気はない。実際はそれに近いものではあるが、平日の昼最中に路地裏にいるビジネスマンはそうそういないだろう。
 同様に、取引先との会合にしては場所も悪く服装も適切ではない。
 親子、という結論が警察官の頭の中で下ったのも頷ける。
 もっとも、万が一の場合には『親子』を演じる、という習慣が2人の間では確立されていた。
 唐突な警察官の質問に対してウォレンは、そうです、と自然に答え、アレックスは異議を唱えたいところを抑えて静かに軽く頷いた。
 しばらくの間、沈黙が流れる。その間にも警察官の肩からは力が抜けていき、腕も徐々に下がっていった。
「……身分証を」
 言われてウォレンとアレックスは軽く互いを見て、頭の後ろで組んでいた手を少しばかり弱め、警察官を見た。
 自由にしていい、と彼が首を動かして無言で許可を出す。
 それを受け、各々身分証として免許証を取り出す。
 銃口の下がった拳銃を右手に持ちながら、警察官は2人の免許証を受け取った。
「……ロバート・レヴィンソン?」
 視線だけを上げてアレックスを見る。
「若く見えるな」
 呟かれた警察官の一言に、まんざらでもない様子でアレックスは照笑した。演技ではなく本当に嬉しそうである。
「それと……。メイス・レヴィンソン?」
 同じように視線だけを上げてウォレンを見る。ウォレンは、そうです、と頷いて答えた。
「母親似かね?」
 彼の質問が、父親似かね、でなかったことに感謝をしつつ、ウォレンは微笑する。
「よく言われます」
 警察官は口ひげを動かして軽く笑うと免許証を2人に返した。
「……失礼、驚かせてしまったようですな」
 拳銃を元の位置にしまうと警察官は一言侘びを入れた。それに対して、構いません、と2人が告げる。
「逃げていった彼らは何者だね?」
 ジョンとリンが走り去っていった路地の先を顎で示しながら警察官は尋ねた。ウォレンとアレックスはその方向に視線をやり、戻す。
「分かりません」
 ウォレンが申し訳なさそうに答え、アレックスも首を横に振る。
「知り合いではないのだね?」
「ええ。路地から声が聞こえたので覗いてみたところ、1人が具合の悪そうにしていまして……。ヒステリックな雰囲気だったので、気になって声をかけてみたのですが。どうやら逆効果だったようです」
 状況を頭の中で描いているのか、いちいち頷きながら真剣な表情で警察官がウォレンの言葉に耳を傾けている。
 その話を引き継ぐ形でアレックスが口を開いた。
「ちょっとした口論になりそうだったところにお巡りさん、あなたがやってきまして。私どもは助かったのですがね」
 肩をすくめるとアレックスは、ジョンとリンが走り去った方向を軽く手で示した。
 警察官は理解したように、なるほど、と大きく頷くと口を開いた。
「私の顔を見て逃げましたからな。いや、申し訳ない。引き止めるほうを間違えましたな」
 話をそのままに信じた警察官が、気まずそうに頭を掻く。
 素直に自分の非を認める彼は、なかなかに正直な人間のようだ。
 毛嫌いしている政府機関の人間とはいえ、ウォレンもアレックスもそんな彼の姿に好感を抱いたものだ。
「いえ、お気になさらず。仕事でしょうから」
 にっこりと笑ってウォレンが告げる。
 善良な市民として2人を認識したのか、緊張が解けきった様子で警察官が苦笑交じりに首を振る。
「いやぁ、私は普段は現場には出ないものですからな。なにぶん不慣れでして……」
 言い訳をしたらいかんのですが、と呟きながら頭を掻くと、尋ねもしないのに自ら事情を説明し始めた。
「連続して強盗事件が発生しましてな。人が出払っているところに火事の通報がありまして、急遽私が駆り出されることに……」
 参りましたな、と苦笑をして更に彼は続ける。
「ついつい張り切ってしまいましてな、慣れない拳銃なんぞ取り出してしまいました」
 片手で頭を掻き、もう片方の手で腰のものをパンパンと叩いた。
 その振動で、中年太りの傾向が見受けられる彼の腹部が揺れる。
「ご苦労様です」
 経緯を話したことで彼もすっきりしただろう。会話が終わるように、短く労いの言葉をかけるとウォレンとアレックスは温かい微笑を警察官に送った。
 では失礼、という彼の言葉で一連の舞台は終わるはずであった。
 そんな期待をされているとも知らず、警察官が口を開く。
「時に、ラ・フェニーチェは前々から私も気になっていたのですが、いかがでしたかな?」
 彼の新たなる話題提供に、終幕を迎えようとしていた雰囲気が一転した。
 日常ではあまり経験することのない緊張を味わった反動なのか、デスクワークでの同僚との世間話に慣れているせいなのか、警察官はもうしばらく話を続けたい様子だった。
 普段ならば付き合ってもいいところだが、今は世間話をしている時間が惜しい。
「あ、いや、これから行くところなので、まだ何とも」
 早めに切り上げるためにアレックスが一言告げた。
「ああ、そうでしたか。これはまた、時間をとってしまいましたな」
 申し訳ない、と警察官が頭を掻く。どうやら彼の癖のようだ。
「家内の誕生日が来月でしてな。どこか食事に連れて行ってやりたい、と思っているのですが、いい店が見つからず、悩んでおりまして」
 助言でも期待するような目で2人を見る。
「円満なご家庭のようですね」
 爽やかな笑顔でアレックスが告げれば、照れたように警察官が頭を掻く。
「味と雰囲気がよければ、お知らせします」
「おお、それはありがたいことです」
 ウォレンの言葉に警察官は嬉しそうに笑う。
「しかし親孝行な息子さんをお持ちですな。私も彼と同い年くらいの息子がいるのですが、久しく食事を共にしていませんよ」
 家族の話題に移行しながら彼は2人を通りのほうへ促すように踵を返し、乗ってきたパトカーへと移動し始めた。
 反対の方向へ行きたかったウォレンとアレックスだが、仕方なくその後に続く。
「娘はまだ高校生なのですがね、これがまたお転婆で。困ったものです」
 言葉ではそう言っているが、彼の表情には娘を愛する心がありありと浮かんでいる。
 家庭内の問題が深刻化する昨今の世の中ではあるが、その問題はこの警察官の家庭には当てはまりそうもなかった。
「親というものは心配が尽きないものですね。私も苦労しましたよ。こいつもまた、手のかかる息子でして」
 話に乗りやすいアレックスの一言に、ウォレンは演技ではなく苦笑をした。もっとも、必ずしも否定できる話ではないところが少しばかり心苦しいところである。
 警察官は、お互い大変ですな、と大きく頷いてアレックスの言葉に同意した。
「これからは親父さんに楽をさせてあげることですな」
 ウォレンに向かって自分の息子や娘に対する個人的な要望を告げながら、彼はパトカーのドアを開けて運転席に滑り込んだ。
「では、お気をつけて。この付近はちょっと中に入ると物騒ですからな。大きい通りを歩くことをお勧めしますぞ」
 最後に口ひげの似合う気さくな笑みを残し、警察官はアクセルを踏んだ。
 その内サイレンが鳴り始め、徐々に小さくなっていく。
 パトカーが角を曲がり見えなくなったのを確認すると、2人は慌ててジョンとリンが逃げて行った方角へ走り始めた。
「無駄な話がなければいい警察官なのにな」
「身体検査という概念が欠如していたしね」
 助かった、と呟き、アレックスは続ける。
「――しかしいきなり『親子』はないよなぁ。外見からして、せめて『兄弟』だろうに……」
 それは有り得ない、と思いつつも口には出さず、ウォレンは別の無難な言葉を選ぶ。
「いいじゃないか。『若い』と言われたろ」
「まぁね」
 気分をよくしたのか、それ以上アレックスは深く追求しなかった。
 しばらくの間沈黙が流れる。
 リズムよく走る足音が、遠くから聞こえるサイレンの合間を縫って耳に届く。
 その静けさの中に、ウォレンは嵐の到来を予感した。
 的中率の高いその直感はこの場合にもうまく働いたようだ。息を吸い込む音が聞こえ、アレックスが堰を切る。
「いやでもさぁ『親子』はないよ『親子』は。だって俺はまだ――」
「21も違えば別に不思議なことじゃないだろ」
 事前に予測していた彼の愚痴にウォレンは間髪いれずに言葉をかぶせる。
「『1』まで詳しく言わなくてもいいだろうに、お前も嫌な奴だなぁ……」
 そう言うとアレックスはウォレンとの間に少しばかり距離をとった。
「手のかかる『息子』だからな」
「……何、お前気にしてんの?」
 嫌味を言ったつもりが切り返され、ウォレンは、しまった、と後悔の念を覚える。
「してない」
「嘘つけ」
「するか」
「……かわいくないねぇ」
「何とでも」
 精神年齢的には確かに年が近いかもな、とウォレンは思ったが、口に出すと話がまた脱線していくのでそれは控えておいた。だが、その精神年齢の値が思っているよりもずっと下であることには、ウォレンも気づいていないのかもしれない。
 再び沈黙が流れ、建物と建物の合間から高く昇った日の光が届いてきた。
「……で、どこに向かってるの?」
 アレックスが一言呟き、真面目な話に戻る。
 それから数秒走った後、2人は十字路の角で足を止めた。
 一通り周囲を見回すが、当然ながら先に逃げていった彼らの姿は確認できない。
「……どこかな」
 ウォレンが肩を竦め、アレックスを見る。
 2人同時に小さくため息が漏れた。
「……これじゃあ彼のことを笑えないね」
 警察官の癖が移ったのか、アレックスは頭を掻いた。
「ジョンだけならともかく、1人しっかりした奴がついているからな」
 一息ついてウォレンが続ける。
「あいつは誰だ?」
「さぁて。格好からしてジョンの友人とは考えにくいなぁ」
 正義感の強い通りすがり人、といったところだろう。運悪く、巻き込まれてしまったのではと推し量る。
 涼やかな風が通り過ぎ、前方の上空を数羽の小さな鳥が過ぎった。
「お前と一緒に行動すると、なんでか面倒なことになるねぇ」
「あんたと一緒だといつも面倒なことになる」
 同時に発せられた言葉は内容も同じものであった。
 長年の付き合いともなると考えることもそれを口にするタイミングも似通ってくるらしい。
「……意見が一致したね」
「みたいだな」
「まぁ、どの道二手に分かれたほうがいいだろうし」
 アレックスの言葉に頷き、ウォレンはその提案を受け入れた。
 互いに視線を交わし、それじゃ後で、と目で会話をする。
 十字路から思い思いの方向へ歩き出す。
 数歩進んだところで、相手が同じ路地へ向かっていることが判明する。
 再び2人とも立ち止まった。
 ここまで行動が重なると頭が痛くなるのも頷ける。
 双方とも無言のまま、アレックスは額を手で押さえ、ウォレンは空を仰いだ。
「……お前、こっち行きたいの?」
「願望はないが、予定ではそうだ」
「あ、そう? 別に俺をストーキングしようとか思ってるわけじゃあないんだね?」
 意図的に疑り深い表情をして、意地悪くアレックスが言った。
「断じてない。それと非常に不快な事実ではあるが、あんたの勘と俺の勘は同じらしいな」
「なるほどね。ま、ここは『父さん』に道を譲りなさい」
 アレックスの口から出るとは思ってもいなかった単語が聞こえ、ウォレンは怪訝な顔をした。
「さっきは『父親』という肩書きを拒んでなかったか?」
「親父さんに楽を、ってさっきのお巡りさんも言ってたでしょ?」
 ウォレンの言葉を無視するとアレックスは両手を広げて『お分かり?』として見せ、返事を待たずに当初向かっていた路地へと去っていった。
 毎度の事ながら逃げることに関してだけは非常に巧みだ。
 ため息混じりにその姿を見送ると、やれやれ、と首を振ってウォレンは別の路地へ向かった。
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