IN THIS CITY

第5話 A Sense of Foreboding

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02 Booze Needed

 飲み干したコーヒーのカップの中に取り残された砂糖をスプーンで遊びつつ、リンが腕時計を見る。
「遅いね」
「だな」
「心配じゃないのか?」
「何かの話で盛り上がっているだけだろう」
 淡々と返ってきたウォレンの言葉に彼がそれほど心配していないことを知り、リンはスプーンを手放すと椅子の背にもたれかかった。
「そういえばエリザベスから気をつけるように言われたんだけど、クレアの前では偽名で通しているんだって?」
「ああ」
「ややこしくない?」
「ややこしいな」
「じゃ、何でわざわざ?」
「上院議員の娘だろ。一般用IDのほうが無難だと思ったんだ」
「一般用?」
「叩いても埃が出ないIDのことだ」
「あー、なるほど」
 頷いた後に、納得した自身に納得がいかなかったか、あれ、とリンが怪訝な顔をする。
「――って何かおかしくない?」
「妥当だろ。万が一俺がヘマをしても、そっちはお得意の『知りませんでした』で通せばいい。正直シャトナー家とは縁がないと思っていたが、エリザベスもお前も繋がりがあるから困る」
「ん? あ、いや、僕が言いたかったのはIDを複数持っている時点でおかしいってことなんだけど」
「複数あれば便利だぞ?」
 リンの指摘を理解しているのか理解していないのか、大した問題ではない様子でウォレンが新聞をめくる。
「まぁ、そうかもしれないけど――」
 曖昧な相槌を打ちつつ、リンが再び椅子から背を離す。
「――クレアとは特に距離をとりたいみたいだね」
 再びスプーンを手に取り視線を寄越してくるリンを一瞥し、ウォレンは新聞を閉じると改めて彼を見た。
「シャトナー『上院議員』と言えば察することができるか?」
「いや分かってはいるけどさ」
「時の人のスミッツ上院議員とも親しいんだろ。俺なりに気を遣っているつもりなんだが、お前たちのほうから話を持ち込んでくるからな」
 若干迷惑そうに放たれた言葉に、リンが小さくため息をつく。
「君が足を洗っちゃえば問題ないじゃないか」
「簡単に言うな」
「難しいの?」
 尋ねれば、そうだな、と間を置いた後、
「まだ少し、な」
 とウォレンから聞こえてきた。
 曖昧な回答ではあったものの少しは本気で考えているらしい様子を感じ取り、リンは表情には出さないよう心がけながら安堵した。
 ウォレンと知り合うきっかけとなった事件では、銃創の治療でアンソニー・アイゼンバイスの世話になった。その彼の口から、危ないことに首をつっこまないよう説得を試みたが失敗した、ということも聞いていた。
 ウォレンの幼い頃も知っているという彼の言葉ですら届かないのであれば、付き合いの浅いリンの言葉は言わずもがなであろう。それを念頭に、リンとしてはシャトナー上院議員と関係が深いリン自身の存在がウォレンに対する圧力にならないか、考えなかったわけではない。
 どれほどの影響を与えることができたかは推し量れないが、ある程度は功を奏したのでは、と感じなくもなかった。
「それで、職探しはメイス・レヴィンソンのIDでやってるわけ?」
「昔はそれ一本だったからな。職歴もそれなりにある」
「あ、普通に働いたことあるんだ」
「あるな」
「なんだ、端から真っ当に生きようって気持ちはあったんじゃん」
 何が嬉しいのか、顔を綻ばせながらリンがカップをスプーンでかき混ぜる。が、甲高い音に、すでに中身は飲み干してしまったことに気づき、いつの間に、とリンがカップを覗き込んだ。
「……単にきれいな金が必要だっただけだ」
 ぼそりとウォレンが呟けば、リンが顔を上げて彼を見る。
 単に居心地の悪さからきた否定ではない空気を感じ取ったものの、あまり詮索するのも好ましくないと考え、リンはそれ以上を聞くことは止めておいた。
「えーっと、株とか好きなんだっけ?」
「まぁな」
「……資金洗浄……」
 小声でこぼした単語だったがウォレンの耳に拾われたらしく、彼が無言で牽制の視線を寄こしてくる。
 誤魔化すように咳ばらいをし、リンが座り直した。
「まぁいいや。MBA取得とか考えていたら相談に乗るよ。僕、けっこうツテとかコネとか持ってるから」
「無条件で単位をくれるのか?」
「いやいや、単位は自分で取ろうよ。力になれるのは入学までだから」
「面倒だな。楽に資格が取れるコネはないのか?」
「……それ真剣な質問?」
「いや、別に。むしろ楽に懐に金が入り込んでくる仕事についてなら真剣に聞きたいが」
 目を合わせてくるウォレンに対し、口を結んでリンが視線を返す。
 冗談だ、と手を軽く上げるとウォレンは再び新聞を開いた。


 ほどなくして店のドアが開かれ、エリザベスとクレアが入ってくる。
 顔を上げたウォレンに2人がやってきたことを知ったのだろう、リンが肩越しに振り返る。
「メイス、リン、遅れてごめんなさい」
「いや、構わないが……」
 どこか気持ちが高ぶっているらしい2人の様子を察しつつ、ウォレンとリンが席を立つ。
「メイス、ね?」
 クレアの声に、ウォレンが彼女を見る。
「ちゃんと話をするのは初めてね。クレアよ。よろしく」
「こちらこそ」
 差し出された手を握り返し、ウォレンは真っ直ぐに目を見据えてくるクレアに微笑を返した。
「メイス、ギルのバーってまだやっている?」
 エリザベスの問いに腕時計を見、ああ、とウォレンが返答する。
「クレアと飲み直したいの」
「飲み直すって、2人ともけっこう飲んでいた気がするんだけど」
 会場での記憶を手繰り、リンが2人を見る。
「飲んだけど、でもまだお酒が必要なの」
「ロビーに出た後で変な人に絡まれちゃって」
 忘れるためにお酒を、と2人が目で力説する。
「変な人?」
「グリーンがどうのって、ホント失礼だったわ、彼女」
「――まぁ、とりあえず外に出るか」
 酔っているというほど酔っていないエリザベスとクレアではあるが、徐々に声に力が入ってきている様子を感じ取り、ウォレンとリンが2人を外へと促す。
 本当にあり得ないよね、と盛り上がる彼女達の後ろを歩く形で、リンとウォレンが小声で今後の相談に取りかかる。
「……けっこうハイになってるね」
「何杯くらい飲んでいたか分かるか?」
「少なくとも5,6杯は飲んでいたと思うけど……」
「クレアも強いのか」
「議員も奥さんも強いから」
「なるほど」
 このままそっと帰宅させることは難しそうなことを察し、揃って小さく息をつく。
「……クレアもいる。ギルのところは止めておいたほうがいいな」
「だね。外の治安もそんなに良くないし」
 店のドアに手をかけた2人の背後から、ウォレンとリンが揃ってドアを開ける動作を補助する。
 軽く礼を述べながら、エリザベスが振り返る。
「車はどこに?」
「そこの通りを右に曲がった先だ」
 ウォレンの返答に、分かった、と返すと、エリザベスは再びクレアとの会話に戻った。といっても依然として先ほどの無礼な事案についての愚痴ではあったが。
「適当なバー知っているか?」
 ウォレンとしても何件か知らないわけではないが、どちらかというとビリヤードやポーカーなどを目当てに訪れているため、そこに彼女たちを連れていくことは避けたいところだった。
「一応、何件かは」
 携帯端末を取り出し、そうだなぁ、と悩んだ後にリンが手を止め、表示された店の情報をウォレンに見せる。
「最近開店したのか」
「うん。前から気になってて」
 言った後、ウォレンの視線に気づいたか、リンが彼を見る。
「あ、いや、別に行くチャンスが降ってきてラッキーだとか思ったわけじゃないから」
「政治に携わっている癖に嘘をつくのが下手だな」
「その政治家イコール嘘っていう方程式やめてくれない?」
「どうだろうな」
 言葉と共にウォレンが携帯端末を返す。
「……まぁいっか。とりあえずハズレじゃないことは保証するよ」
「行ったことがないのに保証できるのか?」
「アルコールの趣味が合う友達の感想。先週誘ってくれたんだけど、僕のほうに急な仕事が入って行けなくなっちゃって――」
「ねぇ」
 不意に前方を歩いていた2人が振り返る。
「グリーン・レスキューって聞いたことある?」
 質問を受けてウォレンとリンがそれぞれの記憶を辿る。
「いや」
「聞いたことないかなぁ」
 回答を受けて、ないかー、とエリザベスとクレアが息をつく。
「でもどこかで聞いたことあるのよね」
「だとしても、怪しい団体よ、絶対」
 例の女性の態度からして、まともな活動をしていない、とエリザベスとクレアが何度目かの結論に達する。
「え、何、その団体がどうかしたの?」
 上院議員スタッフの一人として聞き流せない話らしいことに気づき、リンが尋ね返した。
「クレアがロビーで勧誘されたの」
「強引過ぎて驚いちゃった」
 アルコールの影響が少なからずあるらしく、2人の簡潔な説明ではいまいち全体像が掴めない。ただ、これ以上尋ねても今の彼女たちの状態では詳細を聞くことはままならないだろうと判断し、そう、とリンが頷く。
「あんなに早口な人、なかなかいないわよね」
「話を勝手に進めちゃう人もね」
 言いながら前方を向いたエリザベスが、小さな段差に足を取られる。
 その様子に歩を速めたウォレンだったが、彼女の隣のクレアが咄嗟に補佐をし、事なきを得た。
「……帰ったほうがいいんじゃないか?」
 出しかけた手を元に戻しつつウォレンがそれとなく提案すれば、エリザベスが即座に振り返る。
「ダメ。飲みたいの」
「いや、足取りが――」
「飲みたいの」
「2人ともかなりふらついて――」
「飲みたいの」
「そうか」
「車はあっち?」
「――ああ。カフェの前のスペースだ」
「ありがと」
 位置を確認し、エリザベスとクレアが歩行速度を上げる。
 行く先の段差が気になりつつ彼女たちの背中を見送り、ウォレンがひとつ小さく息をつけば、隣のリンが視線を寄こしてくる。
「……君も結構甘いんだね」
「言うな」
 やれやれ、とウォレンとリンが彼女達に歩行速度を合わせた。
 そんな背後の2人を他所に、エリザベスが思い出したように、あ、と声を上げた。
「どこかで聞いたことがあると思ったら、グリーン・レスキューって、ほら、アンバーが話していた団体じゃない?」
「そういえば――」
 ヒントを得、クレアが昨年の夏休みを思い出す。
 キャンパス内でのイベントの企画に携わった折に知り合った、環境関係の公共政策学を専攻にしている女子学生が、確かグリーン・レスキューについて言及していた。
「――何て話していたか覚えている?」
「うーん、あんまり……」
 若干専門的な話が入っていたせいか、周囲が騒がしかったせいか、内容までは記憶していない。ただ地球温暖化に関してアンバーが何か話をしていたような気がするだけである。
「とりあえず、無視でいいと思うわ。腹が立ってるから今はなかなか忘れられないけど」
 クレアの言葉に、そうね、とエリザベスが相槌を打つ。
 ふと、前方に見知ったBMWの車を見つけ、あれだ、とエリザベスがクレアを伴って歩く速度を速めた。
 途中、段差に足を取られたのか何もないところで躓いたのか、2人が同時にぐらついて小さく声を上げる。
「……本当に大丈夫か?」
 バランスを取り直す2人にウォレンが声をかければ、エリザベスとクレアがお互いを助け合いながら足に力を取り戻す。
「大丈夫よ」
「全く酔っていないから」
「そうか……」
 あまり信用していない声音で告げたものの2人は気にしていないらしい。
 その後も心配をかけるような足取りで車に到着すると、エリザベスとクレアは揃って振り返り、ウォレンに早く鍵を開けるよう催促した。
「切り上げ時が難しくなりそうだな……」
「そうだね……」
 鍵を開けるボタンを押すウォレンの隣、リンもまたクレアへの対応に関してシャトナー上院議員へ悪い評価が届かないよう気を遣いながらの二次会になることを予測し、ウォレンと揃って2人に気づかれないように、やれやれ、と息を吐いた。


 翌日。
 グリーン・レスキューが構える小さな事務所において、コーリは試しに印刷したチラシを確認すると、コピー機に正式に印刷指示を出した。
 200部ほど印刷するため時間がかかる。
 その間にコーヒーを、と給湯ポットが備わっているほうへ足を進めた。
 戸棚からコップを取り出したとき、背後で事務所のドアが開く音がした。振り返れば、見慣れた青年の姿を確認する。
「デズ」
「こんにちは、コーリ」
「丁度いいタイミングね。コーヒーを入れるところなの。あなたもどう?」
「ありがとうございます」
 にっこりとほほ笑み、デズモンド・サマーズがバックパックを近くに置いた。
「ブレットさんは?」
「彼ならウィルキンソン教授のところに赴いているわ。きっと来月の講演の件ね」
 そうですか、とデズモンドは頷き、ふとコピー機を見る。
「あ、来月の講演会のチラシ、もう印刷中ですか?」
「ええ」
 コピー機の近くに行き、デズモンドが吐き出された紙を1枚手に取る。
「この文字を目立たせたんですね」
 いいデザインだなぁ、とデズモンドがコーリを見る。彼の視線でチラシの出来がいいのを知ったか、コーリは嬉しそうにほほ笑んだ。
「人目を引かないといけないもの。世間には無関心な人が多すぎて困るわ」
 デズモンドにコーヒーカップを渡し、コーリも1枚印刷されたものを手に取る。
「見上げていた飛行機雲が、化学物質だらけだなんて。しかも政府が人工的に雲を作ろうと陰謀を練っているんでしょう?」
「でもこうやって講師として来てくれるだなんて、ウィルキンソンさんもいい人ですね」
「ホントに。研究者の言なら、一般の人だって注意を払うはずだわ」
 力を入れるコーリに、デズモンドが微笑む。
「そういえば、飛行機だけじゃなくて船の排気ガスも雲を作っているって聞きました」
「船も?」
 コーリの問いかけに、はい、とデズモンドがポケットから携帯端末を取り出す。
「NASAが衛星で撮影した画像、この規則的な線上の雲、商船の排気ガスが起因らしいんです」
 端末に表示された衛星画像には、確かに規則的な線上の雲が西海岸沖に存在している。
「……物流も制限しないといけないんじゃないかしら。このままじゃ、本当に地球がダメになっていくわ」
 大きくため息をつき、コーリがコーヒーを飲む。
 コピー機の電子音に、印刷が終了したことを知り、コーリはカップを近くのテーブルに置くと、200部の紙を持ち上げた。
 僕が、と申し出るデズモンドに、いいのよ、とコーリは返し、テーブルに印刷したチラシを置く。
「3つ折りですか?」
「ええ」
 椅子に腰をおろし、2人は1枚ずつ折る作業に取りかかった。
「資金が潤沢なら、チラシは外注できるのに」
「そうですね。でも小さな組織だから、仕方ないですよ」
「いつまでも小さな団体のままじゃ、世間に訴えかける力も弱いままだわ」
「大きなイベントを開催していかないと駄目ですよね」
「そうなのよ」
 チラシを折りつつ、コーリが力強く頷く。
「講演もいいけど、もっと人目を引くようなイベントを考えないと。それに、私、考えたんだけど、有名な人に資金を提供してもらうといいと思うの」
「有名な人?」
「そう。それで、昨日早速クレア・シャトナーに会いに行ったんだけど――」
「シャトナーって……、シャトナー上院議員ですか?」
「ええ、彼の娘さん。上院議員はESG投資とかにもけっこう言及しているし、彼女なら環境保護活動にも貢献してくれるかなって。丁度昨日、奨学金関係のチャリティーコンサートを開催していたから、訪ねてみたの」
「会ったんですか?」
 行動が速い、という驚きの混じったデズモンドの問いかけに、ええ、とコーリが頷く。
「でも失礼な態度だったわ。裏が知れない団体には手を貸さないだなんて、小さい団体だからって甘く見すぎよ。お嬢様は世間知らずで困るわね」
 コーリの話を聞きつつ、デズモンドが苦笑をする。力強いところは魅力的だが、交渉の場にはそぐわない性格をしているコーリだ、上院議員の娘が断ったのもおよそ想像がついた。
 コーリの一度こうと決めたらそれにとことん執着する気質は助かるところがあるものの、あまり積極的になりすぎて逆に世間からのバッシングを買っては元も子もない。
 どう婉曲的に注意すべきか考えを巡らした後、ふと気になることを思いつき、デズモンドが口を開く。
「……その話、ブレットさんは?」
「まだ話してないわ」
「相談もしていないんですか?」
「ええ。思いついたらすぐ行動に起こすのが私流なの」
 にっこりとコーリが笑みを作り、次のチラシに手を伸ばす。
「でも、団体を仕切っているのはブレットさんだし、彼は今の資金で十分っていう考え方だったし……」
 デズモンドの指摘に、コーリが手を止める。
「デズ。あなただって団体を大きくしていくべきだし、そのためには資金が足りないって言っていたじゃない」
「それはそう思っています」
「外部からの援助を積極的に求めていくべきだって言ってなかったかしら」
「言ったかもしれません。でも、さすがに上院議員の娘を引き込むのは、ちょっと……」
 恐る恐る、といった様子でデズモンドが意見を述べ、コーリを上目遣いに見上げる。
「何で? インパクトのある名前が入れば動きやすくなるんじゃない?」
「コーリ、あなたの熱心な姿勢はすごく素敵だし、僕はそういうあなたのことが好きだ」
 デズモンドの言葉にコーリが顔を上げる。
「あ、いや、その……。とにかく、上院議員の娘さんを引き込もうとするのは、ちょっと強引な気がするんです。その、――そうだ、向こうには政治的な事情もあるだろうし……」
 落ち着かないように視線を逸らすデズモンドの様子に、コーリは微笑んだ。
 彼が好意を寄せていることは分かっている。コーリがブレットと結婚しているため遠慮をしているようだが、こうして可能な限り同じ空間にいようとするデズモンドの姿勢は彼女も十分に理解している。
 デズモンドは2つ3つ年下とはいえ、コーリもまだ若い。若いにも関わらず頼られ慕われる気分は悪いものではなかった。
「分かったわ。ブレットが帰ってきたら、ちゃんと相談する」
 コーリの言葉に、ふとデズモンドは表情を和らげ、すぐにチラシに視線を落とし、集中している様子で三つ折りにし始めた。
 デズモンドの向かい側、彼には分からないよう笑顔を抑え込みつつ、コーリもまた次のチラシに手を伸ばした。
「――そういえば、リッチモンドの化学薬品工場が、規定値を超える化学物質を排水と一緒に流していた件、調査は進んでいるんですかね」
「ニュートン化学工業の件ね。4年前にも似たようなことをしでかしていたから、再発防止にちゃんと力を入れていなかった証拠よね」
 顔を上げ、苛立ちを隠さない様子でコーリが、大きなため息をつく。
「なかなか学べないものなんですかね」
「意識が足りないだけよ、絶対。散々同じ過ちを犯してきて、まだこんなことが起こるなんて。一度痛い目に遭わないと危機感を持つことができないのかしら」
 言いながらコーリは三つ折りの作業を中断し、指を波立たせて机の上を叩く。
「損失が出ないと目を向けないんだもの。どこの会社も、最近は利益しか追及していないんだから、多少は痛い目をみてもらわないと」
「痛い目?」
「当時アース・セイバーズが注意喚起を試みていたでしょう?」
「アース・セイバーズ?」
 尋ねたもののデズモンドはすぐに、今は解体している過激派の環境保護団体のことであることに気づき、怪訝な顔をしてコーリを見る。
「――それってエコテロを計画していたあれですか?」
「そう。あれが成功していれば、恐らく今回の汚染水の流出はなかったと思うのよね」
 極端なコーリの話を聞きつつ、デズモンドはふとブレットの席のほうを見やった。
 デズモンドがグリーン・レスキューの活動に参加し始めて1年が経とうとしている。団体の長であるブレットは穏健派な発言しかしておらず、活動においては妻のコーリも今のところ彼の方針に従っている。
 しかしながら、昨年の後半から徐々にコーリの言動が、穏健派のものとは違った様相を呈するようになってきた。本人は自覚していないようだが、今日のように少々過激とも取れる発言がこぼれ出る。
 最近の彼女言動についてはコーリの姉も不審に思っているようで、デズモンドはそれとなくコーリの様子を観察するよう頼まれているところだ。
 彼自身も気になるところではあったが、彼女の好感度を下げることはしたくはなかった。
「そうですかね」
「絶対そうよ。あの手の人間は、痛い目に遭わないと学ばないのよ」
 困ったわね、と息を切り、コーリがチラシを折る作業に戻る。
 胸の内に不安の芽のようなものを感じつつも弱い頷きを返し、デズモンドもまた手元で折っていたチラシに視線を落とした。
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