IN THIS CITY

第5話 A Sense of Foreboding

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10 Kryptonite

 ギルバートのバーが面している通りはあまり治安がよくないこともあり、1人で歩くには緊張を強いられる。
 そのことを理解してか、たむろしている若者たちからはエリザベスが隠れるよう取り計らいながらウォレンはギルバートのバーへ向かった。
 洒落た木枠のドアを開け、短く礼を言うエリザベスを先に通す。
 カウンターに目をやるが、ギルバートは席を外しているらしく、よく手伝いにきているレイモンドの姿があるだけだった。
 微笑んで彼に挨拶をした後、エリザベスが店内に足を進める。
「あ、リン」
 リンを見つけ、エリザベスが小さく手を上げる。
 それに気づいたリンが、常連客との会話を切り上げてエリザベスとウォレンの元へ向かい、軽く挨拶を交わす。
「大学構内にも来たんだって?」
「ええ。無事に逃げられたけど」
 クレアが受けたという先のコーリの来襲についてはリンの耳にも入っていた。
 なかなか引き下がってくれない相手だろうことが分かり、シャトナー上院議員による正攻法での対応の検討に加え、こうした案件について何かと相談のしやすいウォレンにリンから連絡があった次第だ。
 通りに面した4人席に着き、リンが前に座るウォレンに目をやる。
「そのコーリについて何か分かった?」
 リンからの問いに、いや、とウォレンが答え、続ける。
「彼女についてはないが、他に気になることが出てきてな」
「他に?」
 疑問を呈する2人に、ウォレンが後方のカウンターを親指で示し、
「ギルに依頼してある」
 と、一言延べ、彼が不在のため詳細はまだ入手していないことを言外に伝えた。
「あ、僕が来た時からレイ1人だったけど」
「その内戻る」
 ギルバートからは事前に連絡を受けているため、そう長くカウンターを空けることはないだろう。
 気にしていない様子のウォレンに、リンが軽く頷いた。
 そこに、店内に入った際にウォレンが注文をしていたのか、レイモンドがエリザベスにカクテルを、ウォレンに水を運んでくる。
 礼を言い、カウンターに戻るレイモンドを軽く見送ると、エリザベスは前に座っているリンに視線を向けた。
「それで、SPの検討もしているの?」
「一応ね。これ以上続くようなら」
 言いながらリンが首を傾げ、ウォレンを見る。
「……何だ」
「いや、知った顔だと気楽なんじゃな――」
「断る」
 リンが言わんとしていることを察し、ウォレンが皆まで言わせず遮断した。
「あ、やっぱり?」
「真面目に検討しろ」
「まぁその辺は担当者に任せているから」
 口角を軽く上げて伝えるリンだが、どこまで本気か掴みかねる。
 小さく息をつくとウォレンは彼から視線を外した。
 その様子に追加で尋ねることは避け、リンがエリザベスに向き直る。
「そういえば夏休み、クレアと一緒に来てくれるんだって?」
「ええ」
「上院議員も奥さんもそれを聞いて嬉しそうだったよ」
 リンから伝えられた情報は予想していなかったことだったのか、エリザベスが一瞬動きを止める。
「ホントに?」
 驚いた様子の彼女にリンが頷いて肯定を返す。
 湧きあがった温かな感情をどう表現していいか分からず、エリザベスがリンを見、次いで右隣のウォレンに視線を移す。
 彼らからも優しい表情を向けられ、照れを隠すようにエリザベスがカクテルのグラスに口をつけた。
「で、君は?」
 余韻に浸るエリザベスの邪魔にならないよう、リンはウォレンを見ると尋ねた。
「安心しろ。関係者とは会わない」
 エリザベスはクレアと行動を共にすると考えられるため、クレアとは会うことになるかもしれないが、可能な限り接触はそこまでにしておきたい、とウォレンが線を引く。
「でもついてくるだけだと暇を持て余さない?」
「かもな」
「まだポストに空きはあると思うけど」
「巻き込むな」
「警護とか得意分野じゃないの?」
「断る」
 やや畳みかけてくるリンに対し、口元を上げて丁重さを装い短く放つと、ウォレンは背もたれに上体を預けた。
 その様子に、そっか、と大人しくリンが引き下がる。
 ふと、ウォレンがリンの後ろの壁にかかっている絵画に目をやった。
 リンも同じように上体を捻って視線を移動させたが、いつもの絵画がかかっているのみで何ら目新しいものは見当たらない。
 空気の揺らぎを感じて体勢を元に戻せば、ウォレンが席を立つところだった。
「どこ行くの?」
 尋ねればウォレンが無言のまま親指でギルバートが帰ってきたことを示してき、ああ、とリンが納得する。
 再びリンが背後の絵画を見やる。
 濃い色で描かれているため、ウォレンの場所からだとカウンターと、恐らく入口の様子が反射して見えるのだろう。
 3人以上で座るときにウォレンがこの席を好む理由が分かり、感心しながらリンが前を向いた。
 去っていくウォレンの背中をエリザベスと共に暫く見送る。
「……警護、ダメかなぁ」
 小さく聞こえてきた声に、エリザベスがリンを見やる。
「いてくれるとなんか安心なんだけどな」
「経歴はやっぱりしっかり洗われるの?」
 問われ、リンが頷いて肯定し、ダメか、と小さく息をついた。
 ふと、以前交わした会話を思い出す。
「あ、でもレヴィンソンのほうなら叩いても埃が出ないって言ってたっけ」
「偽名のほう?」
「偽名みたいだけど幼い頃から使っているみたいだし」
「幼い頃から?」
 エリザベスからの疑問の声に、リンが傾けていたグラスをテーブルに戻す。
「あれ、聞いてない?」
 確認すれば、エリザベスが頷く。
「尋ねたことなかったから」
 疑問に思ったことは聞けば差支えない範囲で答えが返ってくるが、ウォレン自身から話をしてきたことは記憶にない。
 まだ知らないことが多いと感じつつ、エリザベスはカウンターのほうへ肩越しに視線をやった。


 カウンターにてレイモンドと軽く会話をしていたギルバートが、ウォレンの姿を確認する。
 話があることを察したのだろう、レイモンドが自然な動作でギルバートから離れ、カウンターの逆の端に歩を進めた。
「賑やかそうだな」
 リンとエリザベスが座る席のほうを見やりつつ、ギルバートがウォレンに挨拶代わりに声をかける。
「関係者が多くてね」
 周囲に人がいないことをさり気なく確認し、ウォレンが続ける。
「ブレット・ホフリンについてか?」
 尋ねれば、そうだ、とギルバートが頷き、同じように声を落とした。
「まず、薬物所持での逮捕歴が多くてね」
「捌いていたのか?」
「いや、買う側だろう。ただ、4年ほど前にそうした記録がパッタリ途絶えた」
 言いながらギルバートが僅かに手をスライドさせ、視覚からもいきなり記録がなくなったことを伝える。
「更生したんじゃないのか?」
「お前みたいにか?」
 覗き込むようにギルバートが尋ねれば、ウォレンが軽く苦笑して流した。
「グリーン・レスキューの立ち上げも4年前だろ」
「中毒から抜けるに十分な動機と思うか?」
「きっかけがあれば可能だ」
 ウォレンからの返答に、そうか、とギルバートが頷く。
 直接本人から聞いていないものの、6年ほど前のNYでの一件についてはギルバートも概要を聞き及んでいるところだ。
「で、更生説を推すのか?」
 問いを聞いてウォレンがすぐに、どうかな、と首を傾げたところを見る分に、本気で言っていたわけではないらしい。
「変化があったのは犯罪歴だけか?」
「所在も安定した。医療の受診歴も調べたいが、さすがに手が出せなくてな」
 そうか、とウォレンが頷く。
 『ブレット・ホフリン』に個人的な疾患がある場合、4年前を軸に変化があれば別人になり替わったことが明らかになる。
 今回の調べについては、察するにギルバートの知り合いの当局側の人間に頼んだのだろうが、余程の話でない限り、医療履歴にまでは踏み込めないのだろう。
「……あんたはID盗用を疑っているんだな」
 明確な返事はせず、ギルバートが口元を緩めてのみ答える。
 ひとつ、ウォレンがゆっくりと息を吐き、後方に座っているリンとエリザベスに意識を向けた。思いのほか話が怪しい方向に動いているため、彼らがこれ以上関わるのは好ましくないところである。
「で、この件お前自身が対応する気は?」
 聞こえてきたギルバートの質問に、ウォレンが彼を見る。
 ダグラスとの賭けの件もあるが、ウォレン個人としても避けて通れるのであればそれに越したことはない。
「引き取ってくれるのか?」
「お前が話を渡していいというのなら」
 どうだ、と確認してくるギルバートの様子に、どうやら調べに携わった彼の協力者のほうがこの件に興味を持っているらしいことを知る。
「構わない」
 むしろ助かる、とウォレンが口元を緩めれば、どうも、とギルバートもそれに倣った。
 彼の表情から察するに、思わぬ形で転がり落ちてきたこの件で協力者への貸しを作ることができる見通しとなり、機嫌がいいのだろう。
「分け前は?」
 尋ねてみれば、ギルバートが軽く笑い、そうだな、と首を傾げた。
 背後で来客を知らせるベルの音が賑わいに交じって届いてくる。
「エリザベスとリンと、そうだな、クラウスにも今夜はタダ酒だと伝えてくれ」
 その言葉にウォレンが軽く後ろを振り返れば、店内に入ってきたクラウスがエリザベスとリンの座る席に向かう姿を確認できた。
 リンはともかくとして、クラウスとは少なくとも再会後にバーでばったり会うことはなかった。珍しいな、と思いつつウォレンがギルバートに向き直る。
「妥当だな」
 一言残して去ろうとしたところで、ギルバートが手のひらを上に手を出してくる。
 意味は理解したもののすぐには応じず、ウォレンが彼を見る。
「……何だ」
「俺に話を通したのはお前だが、持ち込んだのは彼らだろ」
「まぁな」
「調査代」
 引っ込められる様子のない手と真剣な目に、ギルバートとしてはそこは譲る気がないらしい。
「……あんたひょっとするとアレックスより強欲なんじゃないか?」
 呆れたように言いながらウォレンがポケットからマネークリップに挟まれた紙幣を取り出す。
「規律正しいだけだ」
 聞こえてきたギルバートの言葉に温度のない感嘆詞を落とすと、
「物は言いようだな」
 と告げ、ウォレンはあらかじめ合意に至っていた金額を支払った。
「どうも」
 毎度、と満足気にほほ笑むギルバートに一瞥をくれるとマネークリップをポケットに入れ、ウォレンは奥の席へと向かった。


 仕事を終えてから診療所に立ち寄り、アンソニーの状態を確認した後、ともすれば来ているか、と考え、クラウスはギルバートのバーのドアを開けた。
 足を踏み入れてすぐに左手の奥の窓際の席にリンの姿を見つける。
 軽く手を上げつつ歩を進めれば同じように挨拶したリンに誘導される形でエリザベスが振り返り、
「クラウス」
 と笑顔を向けてきた。
 短く挨拶を交わし、クラウスが着席する。
「珍しいね」
「まぁな。ウォレンは?」
 問いかけにリンはカウンターを示すことで答えた。
 顔を上げて見てみると、直前までギルバートと話をしていたらしいウォレンが丁度こちらに歩いてくるところだった。
 目が合い、クラウスが軽く首を動かせば、同じようにウォレンが返してくる。
「昼間はありがとな」
「構わない。ちゃんと大人しくしていたか?」
「ああ。さすがに体が痛んでいると動けねーらしい」
 そうか、とウォレンがエリザベスの隣に座る。
 彼らの会話にアンソニーの身に何かが起こったことを知り、エリザベスが2人を交互に見やる。
「アンソニー、怪我でもしたの?」
 質問を受けてウォレンとクラウスがエリザベスを見やる。
「ぎっくり腰」
 揃って聞こえてきた2人の声に、
「アンソニーも?」
 と思わずエリザベスが驚く。
「『も?』」
 知り合いにはアンソニー以外でぎっくり腰に苦しんでいる顔を見つけられず、
暫時の検索の間を置いてウォレンが疑問を返した。
 その声を聞いて、クレアの母親であるサラが腰を痛めたことは伏せていないといけないことを思い出したらしい。
「あ――」
 短く声を出して時間を稼ぎ、エリザベスがそれらしい話を頭の中で練り上げる。
「――教授の奥さんもぎっくり腰になったみたいで、大変だっていう話を講義で聞いたから」
 さすがに講義内容までは裏はとれないだろうと考えてのことだったが、一応は信用してもらえたらしい。
「この時期、流行るのか?」
 視線をクラウスに移し、ウォレンが尋ねた。
「いや、そんな統計はねーはずだ」
 簡単に記憶を辿りつつクラウスが答え、この話についてはそれ以上の言及がなされることはないようだった。
 安心したようにエリザベスが静かに息を吐き、リンを見れば、大丈夫、とリンも僅かに口元を緩めた。
 あくまで表に出ないように2人のやりとりがなされていたが、その様子を視界の端に捉えていたウォレンが表情は変えないままざっと考えを巡らす。
 エリザベスとリンの共通項はシャトナー上院議員であるが、彼が腰を痛めたといったニュースは流れておらず、また今朝方のローカルニュースにも出演しており、候補からは外せるだろう。となれば、上院議員の妻であるサラのことか、と推測する。彼女については以前にも、確か躓いたところをゴシップ紙に掲載された経歴があったはずだ。
 選挙期間中も何かとネタを提供するかもしれないな、と思いつつも、特段この場で持ち上げる話題でもなく、ウォレンは無言のまま水の入ったグラスに口をつけた。
「それで――」
 言いながらリンがギルバートのほうに視線を一度向け、ウォレンを見る。
 意図を察したらしいウォレンが、ああ、と頷いてグラスを置いた。
「ブレット・ホフリンについてだが――」
 言った後で、そういえば、と補足する。
「――クレアの件はクラウスにも伝えたが、差支えなかったか?」
 言いながらウォレンがリンの隣に座るクラウスを示す。
「話はこの中で閉じとくから心配すんな」
「あ、いいよ。その点は心配していないから」
 話を進めて問題ないと判断し、ウォレンが頷く。
「で、ブレットについてだが、怪しい話が出てきてな。この件はギルに預けた」
「怪しい話って?」
「確定的な話じゃないから詳しくは言えないが、捜査機関が動く」
 穏やかな言葉を選んだが、クレアが関わるべきではないということは伝わったらしい。リンとエリザベスが少しばかり緊張する様子が見て取れた。
「問題はコーリの動向だな」
「ブレットはコーリの夫よね」
「ああ」
「彼女は知っているのかしら」
「目立った行動に出ているところを見ると、知らないだろうな」
 淡々と回答し、ウォレンが水を飲む。
 鈍く頷いたリンが暫時、視線を窓側に向ける。
「一応、ヴェラには伝えておきたいかな」
 言いながらリンが顔の向きを元に戻す。
「ヴェラってコーリのお姉さん?」
 直近の記憶を辿りエリザベスが尋ねれば、リンが頷いて答えた。
「連絡先は聞いているのか?」
 聞きながらも、そういえば名刺があったな、とウォレンが先日の一件を思い出す。
「あの後ちゃんと彼女から名刺もらった」
 心なしか嬉しそうなリンの様子が引っかかり、ウォレンが怪訝な顔をする。
「あ、あと住所も知ってる」
「住所?」
「この前彼女がタクシーに乗るときに聞こえてきて」
 リンの説明に、ウォレンとクラウスが短く目を合わせる。
「……彼女から直接聞いたのか?」
「いや、聞こえただけ」
「で、盗み聞いてしっかり覚えてんの?」
 クラウスの言葉に2人が何を訝しんでいるのか理解したらしく、慌てた様子でリンが姿勢を正した。
「いや、まぁ、えーっと」
 歯切れの悪いリンの言葉がそこで途切れ、暫時、ウォレンとクラウスの含みを持った視線がリンに固定される。
 その雰囲気の意味するところを感じ取ったか、多少の好奇の色を目に呈しつつ、エリザベスが成り行きを見守るようにそっとカクテルに口をつけた。
 正面のウォレンに話しかけるために僅かながら前かがみになり、クラウスが心持ち口元の右側に右手を添える。
「……ストックホルム症候群、知ってっか?」
 頷きながらウォレンも軽く上体を倒し、右手を交差させるように口元の左側に添えた。
「……症状、該当するのか?」
「専門外だけどな」
 多分、とクラウスが頷く。
「ストックホルム症候群?」
 動作に反して小声になることはなく、全く隠されることのなかった2人の会話に、エリザベスが興味を示す。
「あーっと変な言葉は覚えなくていいよエリザベス」
 気にしないで、とリンがぎこちなく告げ、左隣と左斜め前で笑う2人にこれ以上のからかいは不要、と牽制の眼差しを送る。
「まぁ治安悪ぃからタクシーまで見送りをしたのは分かるけどよ、住所を盗み聞くのはどうかと思うぜ」
 揶揄する笑みを浮かべるクラウスにつられ、エリザベスもまたにこやかにリンを見やった。
「いや、だから聞こえてきただけだって」
「その気がなけりゃ覚えねーよ」
「彼女かなり勝気な印象だったが、好みなのか?」
「あーもー2人揃って」
 1人不満げなリンに満足したか、ウォレンとクラウスが揃って軽く笑った。
 その様子にリンが口を結ぶとテーブルの上で指を軽く波打たせる。
 ふと、反撃材料を思い出し、リンがエリザベスを見る。
「エリザベス」
 何、と関心を持った彼女に、
「アンソニーの家に写真のアルバムがあるの知ってる?」
 とリンが告げる。
 その声を聞き、ウォレンとクラウスの動きが一瞬止まる。
「アルバム?」
「アンソニーが撮影したこの2人の成長記録」
「本当?」
 エリザベスがウォレンを見、次いでクラウスを見る。
「そういや、あるな」
 エリザベスの関心は自身よりもウォレンにあるため問題ないと判断したか、クラウスが努めて何でもないように肯定する。
 その正面で大きくため息をつくとウォレンが口を開いた。
「……なんで知ってる?」
「この前、ほら例の魔境の片づけを少し手伝ったから。その際に、偶然」
「ああ、だから心なしか量が減ってたのか」
 言いながらクラウスがアンソニーの書斎の様子を思い出す。
 居間などは片付いているものの、アンソニーの書斎については本人以外どこに何が置かれているのか把握できない状態が長らく続いているところだ。
「え、見に行っていい?」
「ダメだ」
「なんで?」
「控えてくれ」
「いいじゃない」
「いや――」
「まぁいいんじゃねぇの、お前の写真くらい」
 被害は限定的と信じているのか、他人事のようにクラウスが言い放つ。
「いいのか? 俺が写っている写真には高確率でお前も写ってるぞ」
 それを聞き、言われてみればそうだな、と若干渋い顔をするクラウスに、
「……リトル・ベネット」
 とウォレンが小声で追加情報を告げる。
 キャンプ場の地名であることを理解したクラウスが動きを止め、次いで咳ばらいをすると姿勢を正してエリザベスに向き直った。
「エリザベス、話合おう」
 それを確認し、よし、とウォレンが安堵の息をつく。
「あー、裏切った」
 咎めるリンの声に
「いや――」
 何か続けようとしたクラウスが言葉を飲み込み、小さく息をつくと前にかがんだ。
「――え、マジで。あれ残ってんの?」
「アンソニーが捨てると思うか?」
「捨てねーな……」
 小声でのやりとりだったが、店内の賑わいにかき消されるほどの効果はなく、リンの耳にも届いたらしい。今後2人にまた反撃する機会があれば、この話題を持ち出すのが得策と彼が理解する。
「リトル・ベネットってクラークスバーグの?」
 記憶しているところではそうだったか、と確かめるようにウォレンがクラウスを見れば、彼が頷いた。
「確かそうだったかな」
 とれた確認にエリザベスが顔を綻ばせる。
「地元なの」
「ああ、そういえば言っていたな」
「写真が残っているの?」
「恐らく。こいつが――」
 言いかけたところでテーブル下から音がし、ウォレンが発言を中断する。
「――そうだな、詳細は俺の前の足癖の悪い奴に聞いてくれ」
「聞かないでくれ。あれよりもっとずっと前の写真だとこいつが――」
 再びテーブル下から音がし、クラウスが息をつく。
「――おめーも足癖悪ぃじゃねえか」
「真似をしただけだ」
 聞き覚えがある返答と思えば、子どもの頃にアンソニーに注意されたときのウォレンの常套句であることを思い出し、クラウスが苦い顔をする。
 2人のやりとりを見、双方とも伏せておきたい写真がそれぞれあるらしいことを察し、エリザベスが2人に期待を込めた視線を送る。が、逸らされるだけで閲覧の許可は下りそうになかった。
 ふと、エリザベスが希望を持ってリンを見る。
「いや、アンソニーから渡されたけど、開く前に別の場所で雪崩が発生したから」
 残念ながら、と答えると、リンが少しばかり姿勢を低くする。
「でも水色っぽいこれくらいの大きさの――」
「リン」
 余計なことは言うな、と2人から揃って牽制の声が上がる。
「ともあれ、さしずめ君らのクリプトナイトってとこだね」
 いいことを見つけた、とリンがほほ笑む。が、例えは通じなかったらしい。
「何だって?」
 ウォレンからの問いに、リンがクラウスを見るが彼も理解していないらしかった。正面のエリザベスにも視線を向けるが、予想通り彼女もまた知らないらしい。
「……まぁ、えーっと、弱点ってこと」
 あまりヒーロー物は見てこなかったのか、とリンは詳細な説明を省いて告げ、ひとつ息を吐くと続ける。
「――で、その弱点を逆手に取ってお願いがあるんだけど」
 視線を受けてウォレンが、聞くだけは聞くか、とリンに続きを促す。
「ヴェラのところにさっきの話を持っていきたいんだけど」
「電話すればいいだろ」
「危ない話なら直接会ったほうがいいかな、と。あ、やましい気持ちは一切ないけど」
 誰も尋ねていない情報も付け加えて真面目に話すリンだったが、案の定誰も信じていない雰囲気を感じ取る。
「タクシーを呼べ」
「いや、君のほうが知っているし、細かなところを突かれると困るかなって」
 あくまでも会って話をしたそうなリンの様子に、ウォレンが僅かに目を細める。
「……俺を出しに使う魂胆か」
「いやそんなことはないけど」
 半ば大仰に否定するリンだったが、額面通りに受け取らずにウォレンが大きくため息をつく。
「そんなに素敵な人だったの?」
「え?」
 エリザベスからの直球の問いを受けて動揺したか、リンの声が心持ち上擦る。その様子に隣のクラウスから呆れたような乾いた笑いが漏れた。
「おめー、分かりやすいな」
 クラウスの一言に、リンは口を結んで答えた。
 ふと、ウォレンがリンの後方の壁にかかっている絵画に視線を移す。
 そういえばベルの音が聞こえたような、とリンが入り口を確認すれば、若手の男女が店に入ってきたところだった。
「行ってあげたら?」
 不意に聞こえてきたエリザベスの声に、リンが彼女を見、ついでウォレンに視線を移す。渋い表情をする彼を見留め、リンは正面に座るエリザベスのほうに上体を倒した。
「例のアルバム、アンソニーの書斎入って右の棚の――」
「分かった」
 降参する、とリンを見て告げた後に、それとなくウォレンがカウンターを振り返る。カウンターに座る男女2人の姿を確認したが、その内1人には見覚えがあった。
「運転だけだからな」
 言いながらウォレンがポケットに手を入れる。
「ありがとう。やっぱいい奴だよね、君」
 にこやかに告げられ、ウォレンは口元のみの微笑を作ると短く切り上げた。次いで
「少し待っていてくれ」
 と手元の携帯電話を見せると、ウォレンは席を立った。
 テーブル席に残る3人は電話をかけにいくと理解したらしい。リンもまた、分かった、と見送るが、先ほど入店してきた客のことはすでに気に留めていないらしかった。
 カウンターに座った2人の背後を通り際、ウォレンが注文を捌いているレイモンドの背後の酒瓶が陳列されている棚を見やる。
 そのガラス越しにカルヴァートと目が合ったことを確認すると、ウォレンはそのまま歩を進め、ドアを開けて外に出た。
「どうも」
 レイモンドからグラスを受けとったカルヴァートがそれをカウンターの上に置く。
「悪ぃ、少し外す」
 隣に座っているミシェル・ドーソンにそう告げ、カルヴァートはつい先ほど入ってきたドアを開けると外に出た。
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