IN THIS CITY

第5話 A Sense of Foreboding

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09 String-Puller

 蛍光灯に照らされた屋内型の貸し倉庫の一角。
 借りている部屋から出てきたブレット・ホフリンがドアを閉め、ナンバーロックに手を伸ばす。
 ふと、倉庫内に足音が響いてき、ロックをかける手の動きが鈍る。
「来ていたのか」
 顔を出した人物に見覚えがあり、ブレットは安心した息を吐いた。
「ウェスティン」
 ふと、ブレットが視線をウェスティン・ブライスの手元に向ける。
「『資金』か?」
 問われ、ウェスティンはアタッシュケースを軽く持ち上げることで肯定した。
 頷き、ブレットがナンバーロックをもう一度解除する。
 ドアが開き、2人が部屋に入る。
 先に入ったブレットが電気をつけ、ウェスティンが奥へ向かうのを確認するとドアを閉めた。
 窓のないコンテナのような部屋の中には、大型の金庫のほか、硝酸アンモニウムや軽油といったものが保管されている。
「昨夜の取引も順調だったみたいだな」
「ああ」
 答えながらウェスティンが金庫を解錠し、アタッシュケースから取り出した札束を入れていく。
「お前のほうは?」
「順調だ」
 ブレットの回答に彼を見、無言のままウェスティンは作業を続けると金庫を閉め、施錠した。
「もう一人のダリーゴが妹の説得に動いていると聞いたが」
 懸念が含まれているのを感じ取り、ブレットが小さく息をついて腕を組む。
「心配ない」
「そうか?」
 疑問調のウェスティンの声に紛れ、アタッシュケースを閉める音が空間内に響く。
「近づけさせないようにしている。それに姉より俺のほうが信頼されている」
 にっと笑って見せれば、ウェスティンもブレットに倣った。
「いい相手を見つけたな」
「言葉が巧みだと言ってくれ」
「言ってろ」
 軽く笑うと空のアタッシュケースを近くの棚にしまい、ウェスティンが改めてブレットを見る。
「……資金も物資も順調に集まってきている」
 彼の表情が真面目なものになったことを見留め、ブレットもまた姿勢を正しつつ頷いた。
「4年前にできなかったことを成し遂げる好機だ」
「ああ。アース・セイバーズも再び立ち上がる」
 暫時、静寂が訪れる。
 現在は細々と運営されている環境保護団体のアース・セイバーズについて、世間からは過激派と称されていることはブレットとウェスティンも承知している。
 4年前、リッチモンドにあるニュートン化学工業の工場から、基準値を超える六価クロム化合物が排水されていた事実が明るみに出た。その際の企業側の初動が隠蔽工作に傾いていたこともあり、アース・セイバーズは工場に爆弾を仕掛け、21世紀に入っても未だに起こりうる環境汚染に警鐘を鳴らそうと計画を練った。
 残念ながら計画は事前に漏洩し、ニュートン化学工業の失態と共にニュースとして取り上げられたものの話題は長続きせず、世間の関心もすぐに薄れていった。
 爆破に成功しなかったことよりも世間の関心を十分に引きつけられなかったこと、そして仲間から数名の逮捕者が出たことによりアース・セイバーズの名を冠して活動することが難しくなったことのほうがブレットやウェスティンとしては痛手であった。
「二度あることは三度ある。ニュートンは今回の件でも何も学ばないだろう」
「分かってる。今度こそ警鐘を鳴らす」
 ニュートン化学工業の本社に爆弾を仕掛けるのは容易ではないが、上層部の意識改革がなされなければ、今後も歴史は繰り返すだろう。
 ブレットやウェスティン、そして彼らと志を同じくするアース・セイバーズの仲間の中で、今度こそ、という決意が揺るぎないものとなっていた。
 ふと、閉じられた空間内に着信の振動音が響く。
 ウェスティンを一瞥し、ブレットはポケットから携帯電話を取り出した。
「コーリ?」
 ブレットの応答に、興味を持ったようにウェスティンが片足に体重を乗せて腕を組むと聞き耳を立てた。聞こえてくるコーリの声に、どうやらグリーン・レスキューでの地味な活動に関する相談であるらしかった。
「――ああ、勿論同席するよ」
 ウェスティンを一瞥し、ブレットがコーリの話に耳を傾ける。
「――いや、その件はこの前却下することにしたはずだ」
 答えながら額を掻くブレットの姿に、無言のままウェスティンが眉根を寄せた。
「コーリ、積極的に動いてくれるのは嬉しいが、今はその機会じゃない」
 努めて優しい声で応答しているブレットだが、コーリの口調は相変わらず早く、引き下がるような気配はない。
「コーリ――」
 ブレットの声を遮り、大丈夫だから任せて、という彼女の声が聞こえてくる。その後すぐに電話は切れたらしく、ブレットが携帯電話を耳から遠ざけた。
「例の資金集めの件か」
 ウェスティンからの確認に、ブレットがため息をついて肯定する。
 コーリからは相手方から資金提供の了承を得たら詳細を話す、とのみ告げられており、具体的に彼女がどう動いているのかまでは把握できていない。一度にべもなく断られたことは聞いており、その様子だと了承を得るのは厳しそうであるが、コーリの性格を考えると、彼女はもう少し粘る意向なのだろう。
 グリーン・レスキューはアース・セイバーズの隠れ蓑として立ち上げた団体であり、世間からの支持を得やすいよう、活動内容は穏健なものに限定している。
「……目立つ行動は控えてほしいんだがな」
 愚痴のようになってしまったブレットの独り言は、狭い空間では当然ウェスティンの耳に拾われた。
「邪魔されては困る。手綱はしっかり握っていろ」
「分かっている」
 答えながらもブレットの気分が重たいことに変わりはない。
 当初から活動に熱心で、グリーン・レスキューの指揮を執っているブレットの言に傾倒していたコーリである。そんな彼女の感情を逆手にとり、万が一の時のスケープゴートとしてブレットは彼女を選んだ。
 あくまでコーリ自身が自ら考えて辿り着いたと認識させつつ、彼女にアース・セイバーズの思想を植え付けることには成功した。しかしながら、少々事を急ぎすぎるきらいがあるところがブレットとしては懸念材料である。
「下手すると『彼ら』の手を煩わせることになるかもしれんぞ。それだけは避けたい」
 ウェスティンの発言に、ブレットが緊張したように彼を見る。
「それは俺もだ。だが万が一のときは彼女に疑いがかかるよう細工してある」
「署名させたのか?」
「疑われることなく」
 簡単だった、とブレットが口角を上げる。
「『ブレット・ホフリン』もなかなかやるな」
 同じく表情を和らげ、ウェスティンが組んでいた腕を解くと両足に体重を乗せた。
「計画が実行されるまでは演じ切ってみせるよ」
 世間の注目を集めて問題提起を図りつつ、アース・セイバーズとして再び活動を開始する。そのために考えつく手段はとってきた。リスクは大きいが、恐れていては現状を打破することは不可能である。
 来るべき日に向けて準備を万端に、とブレットとウェスティンは力強く頷き合うと借りている倉庫の部屋を後にした。


 昼食時から少し時間が経っていることもあり、大学のキャンパス内のカフェでは、陽だまりの席はすでにとられていたものの、空席を見つけるのは難しくはなかった。
 小テストの後ということもあり、ゆったりとした心で談笑しながら昼食をとることができたエリザベスとクレアが、食後のコーヒーを飲みつつ、さて、と来週に控えているプレゼンの話に移る。
「スライドは用意できた?」
「まだ残ってる。なんかアニメーション機能が面白くて、遊んでいる間にいつの間にか時間が経っているのよね」
 なんでだろう、という疑問を前面に押し出し、クレアが首を傾げる。
「分かる分かる」
 作るのが楽しく、また現実逃避にもなることもあり、つい力を入れなくていいところに力を入れてしまう、とエリザベスが共感の頷きを返した。
「でも多分、ちゃんと集中できれば間に合うと思う」
「ちゃんと集中できれば、ね」
「難しいよねー」
 切羽詰まってからだとなんとかなるんだけど、とクレアがため息をつく。
「パソコンも落ちないといいんだけど……」
「あ、一回落ちたんだっけ」
「そう。丁度直前に保存しておいてよかった。してなかったら多分心が折れていたと思う」
 危なかった、と息をつくエリザベスに、ふふっとクレアが微笑を返す。
 ふと、何気なく横を向いて近くの窓の外を見やったエリザベスが、慌ててクレアに視線を戻し、顔を隠すように右手を上げた。
「どうしたの?」
 突然のエリザベスの行動に驚き、クレアが同じように窓の外に視線を向ける。
「あ、クレア――」
 見ちゃだめ、とエリザベスが言いかけたところでクレアもまた慌ててエリザベスに視線を戻すと左手を上げて顔を隠した。
「見られた?」
「見られた。目が合っちゃった」
 しまった、とクレアが目を閉じる。
「……ごめん、警告が間に合わなくて」
「いいのいいの、リジーは悪くない」
「どうしよう、出る?」
「出る」
 こそこそと話しながら2人が急いでテーブルの上の片づけに入る。
 その動作の途中にエリザベスが窓の外をもう一度見るが、先ほど視界に入った人物は見当たらなかった。
「そっちの出入り口使う?」
 窓の一角に設置されたテラス席への出入り口を示しつつエリザベスが尋ねれば、そうね、とクレアが同意した。
 サンドイッチの包みなどをゴミ箱に入れて後始末を終えると、2人が足早にテラス席のほうへ向かう。
 その背中に大きな声で
「クレア」
 と聞こえてきたが、クレアは渋い顔をしたのみで振り返ることなく歩行速度を上げた。
「待って、クレア」
 行動にて話すことはないと示したはずなのだが、やはりコーリは理解しなかったらしい。
 追ってくる雰囲気を背中に感じ取りつつ、クレアが隣のエリザベスを見る。
「リジー、走れる?」
「勿論」
 頷き合い、エリザベスとクレアがテラスへの出入り口のドアを開け、そのまま構内の道路に向けて走り出す。
「クレア」
 相変わらず名前を呼ぶ大きな声が届いてき、走りながらもクレアがうんざりしたように目を動かす。
 数人の学生が好奇の目で見てくる様子を感じ取り、目立つことはしてほしくない、とクレアがひとつ、遠慮がちに小さく4文字語をこぼす。
 さらに聞こえてきた自身の名前を呼ぶ声に足を止め、クレアが大きなため息をつく。
「ちょっとガツンと言ってくる」
「あ、でも――」
 はっきりと危険人物と聞いたわけではないにしても、コーリとは関わらないに越したことはないことは確かである。
「――このまま逃げたほうがよくない?」
「理性はそう言ってるんだけど感情がムリって言ってる」
 息を整えるクレアの目がその通りのことを訴えかけており、エリザベスは無理に説得することは止めることとし、そうね、と短く返すにとどめた。
「足、速いわね」
 2人に追いついたコーリが息を切らしがてら挨拶代わりにそう告げた。
 運動直後のコーリを見、彼女が先日のように早口で息を継ぐ間もなくまくしたてることが不可能な間に必要なことを述べるが吉と判断し、クレアが姿勢を正す。
「コーリ、だったかしら?」
「ええ、覚えて――」
「例の件だろうけどお断りしたはずよ。話すことはないわ」
「もう一度考え直して――」
「押しかけられると迷惑なの」
「別に迷惑はかけていないわ」
 迷惑、と伝えたはずなのだがそれに対して否定が返ってき、クレアが理解できないという表情をする。その一瞬の間を逃さずコーリが息を吸った。
「話をしようとしているだけでしょう? あなたも損をしないはずよ」
 あっけらかんとしているコーリに対し、話が通じないことを再認識し、クレアが目を瞑って軽く頭を振る。
「これ以上続くなら警察にも相談するから」
「私は別に違法なことはしていないわ」
「迷惑なの」
 ゆっくりと一語一語を強調してクレアが告げた。
 クレアもなかなかに負けん気が強いところもあり、隣で見守っていたエリザベスがこのまま口論が長引きそうな気配を感じ取る。
 どうしようか迷う彼女の目がふと、コーリの左手の薬指に指輪があることを見留める。
「あ」
 短いエリザベスの声にコーリとクレアが彼女を見る。
「あの人、あなたの旦那さん?」
 コーリの目を見、視線を誘導するように彼女の後方にエリザベスが目をやる。
「え?」
 コーリが後ろを振り向いた直後、エリザベスが軽くクレアの腕を引く。
 瞬時に意図を察してクレアがエリザベスと共に静かに走り出した。
 構内を行き交う学生の姿が多いことが功を奏したか、暫時ブレットの姿を探してコーリの目が忙しそうに左右に動く。が、それらしい姿は見当たらない。
「どこ?」
 確認のために振り返るコーリだったが、足早に逃げる2人の背中を目にするだけだった。追おうと足を踏み出すが、横手から現れた自転車にぶつかりそうになる。
 そうこうしている間にもクレアの姿が近くの建物の中に入ってしまい、コーリは大きくため息をついた。


 建物の中に入った後も暫く速足のまま、クレアとエリザベスが後方を見る。
 コーリが追ってこないことを確認するとそれぞれ安心したような息をついた。
「リジーありがとう、ナイスだった」
「いいのよ」
 にこやかに返し、もう一度エリザベスが後ろを振り返る。
「でもあの調子だとまた来そうね」
 諦めが悪そうなコーリの姿を思い出し、エリザベスは前を向くと続けた。
「リンからは何か指示があった?」
「また勧誘があるようなら連絡してくれって」
 さすがに内緒にしておくことはできないと考えたか、クレアが面倒そうに息を吐く。
「正直、SPはつけたくないのよね、堅苦しいし……」
「SP?」
 言葉に反応したエリザベスを確認し、クレアが足を止める。
「お母さんもお父さんもちょっと心配性で……――」
 首を振ってクレアが語尾を濁す。
 その間も驚いたままのエリザベスの様子に、
「――リジー、私の周辺は変わるかもしれないけど、私は私だから」
 とクレアが彼女の目を覗き込んで告げた。
 真剣ながらも不安が見え隠れするクレアの目に、エリザベスがふっと表情を綻ばせる。
「ごめん、私も変化についていけてなくて。でもクレアのほうが大変よね」
 同じように目を見て告げれば、クレアがほっとしたような表情をした。
「そう、よく分かんないけどなんか大変っていう不思議な感覚」
 困っている、と表に強く出すクレアの様子に、エリザベスが小さく笑って答える。
「あ、そういえばまだ伝えてなかった」
「何?」
「今年の夏だけど、一緒に周りたいなって思っていて」
 クレアからの申し出を引き受けることで決心した後、NYのショーンに電話をしたのは昨夜のことだ。ウォレンに説明した際の失敗の経験から、シャトナー上院議員の名前が出ないような説明の仕方を事前に練ってから電話をかけたのは言うまでもない。
 兄であるとはいえ、まだ存在を知って会ってから日が浅い。
 ショーンからのインターンの話を断ることに対して、新たに始まったこの関係が崩れないか不安がなかったわけではないが、彼からは優しく柔らかな口調で、是非とも友人を大切に、とのアドバイスをもらった。
 シャトナー上院議員が副大統領候補として選挙戦に参戦した暁には、NYに行く機会があるだろう。その際にはショーンのほか、病床に臥している父親のメルヴィンと会って話をする時間を設けたいところである。
「本当?」
 暫くエリザベスの言葉を受け取って考えていたクレアが、確認のため目を覗き込んでくる。
「本当」
 頷きながらエリザベスがしっかりと目を合わせ返す。
「ありがとうリジー、すっごく心強い」
 全力でハグしてくるクレアの背中を軽く叩き、エリザベスが、いいのよ、と返す。
「私こそありがとう。こんな機会、滅多にないから」
「だよね、私もホントびっくりしている最中」
「素人だからどこまで助けになれるか分からないけど」
「大丈夫、リンもいるし」
 エリザベスから腕を解き、不安の消え去った目でクレアがほほ笑む。
 嬉しそうな彼女の様子に安心しつつ、エリザベスが、そうね、と頷いた。
「目まぐるしい毎日になりそうね」
「うん。でもまずは来週のプレゼンから片づけないと」
 スライドの準備が残っている、とクレアがため息をつき、現実に戻ってきたエリザベスもまた同じように息を吐いた。
 廊下の窓から外の様子を窺いつつ、2人は次の講義の部屋へ向かうため、取り急ぎ入った建物の中を移動し始めた。


 金曜の夜ということもあってか、ギルバートのバーは開店からすでに賑わいを見せていた。
 客の対応を友人のレイモンドに任せておき、ギルバートは併設されている倉庫内の一角でアレックスと向き合っていた。
 淡い電球色の照明の中、店内の声が壁越しに和らいで聞こえてくる。
「残念ながらザッカリーに関する手がかりは得られていない」
「お前さんもか。望み薄かねぇ……」
 小さく息をつき、アレックスが何ともなしに横手を見やる。
 カイルの武器密輸組織に所属しているザッカリー・エヴェレットが行方不明になってからかれこれ3週間が経とうとしている。表向きは税関職員であった若手の彼は、深い部分にまで関わっていたわけではないが、カイルの側近であるリンジー・カーリントンの弟ということもあり、緊張した状態が続いているところだ。
 ザッカリーが書いたものかは定かではないが、職場には2週間の休暇届けが出されていたという。急な届け出であったことに加え、指定の期間が過ぎても連絡がつかないということもあり、職場のほうでも事件性を考えたのだろう。
「捜索願が出されたって?」
「ああ。聞き及んだところによると、週の半ば頃にな」
「隠れて動きづらくなるね」
 そうこぼしつつも、捜査機関に知り合いがいないわけではないアレックスのため、誰に話を持っていこうか見当はつけているらしく、声音は穏やかであった。
 その様子を暫く見ていたギルバートだったが、ふと、躊躇いがちに口を開く。
「……身体的に特徴を持った奴の話は聞いているか?」
 声量が絞られたギルバートの声に違和感を覚えたか、アレックスが姿勢を正した。
「いや」
「ザッカリーが行方不明になるひと月ほど前から、時折右のこめかみに傷のある男が目撃されていたらしい」
 身体的特徴を聞き、アレックスの表情が一瞬固まる。が、電球色の空間が彼に有利に働いたか、ギルバートが気づく寸前でそれは消し去られた。
「身長、年齢は?」
「身長は6フィート弱。年齢は推定に幅がある」
 そうか、とアレックスが頷く。
「……それ、今まで隠してたの?」
 若干ながらも咎めるような音が含まれており、ギルバートはまず首を振って意図的ではないことを伝えた。
「10年前の件を知っている奴は限られている。カーティスから俺の耳に入ったのはつい昨日だ」
 こめかみの傷は帽子などで隠せることもあり、注意すべき対象として認識していなければ、わざわざ注視することはない。
「どうする?」
 ギルバートの声に、アレックスが視線を上げる。
 何を、とは明確に言われなかったものの、アレックスはギルバートの問いを理解したらしい。
「伏せておこう」
 と迷うことなく返答した。
「……いいのか?」
 重ねてギルバートが尋ねれば、小さく、ああ、とアレックスが告げる。
 それ以上は確認せず、ギルバートは頷いて了解の意を伝えた。
 ふと、アレックスが倉庫の入り口付近に設置されているディスプレイに視線をやる。
 ディスプレイには店内に設置されている防犯カメラの映像が流れており、エリザベスを伴ってバーに入ってきたウォレンを確認することができた。
「あれ。今日木曜だったっけ?」
 人の多い金曜日はだいたい別のバーに行っていると認識していたアレックスが、怪訝に思ってギルバートを見やる。
「いや、金曜だ」
「だよね」
 裏手で話して正解だった、とアレックスが安堵の息を吐く。
「噂をすれば、だな」
「あいつも何か探ってるの?」
「いや、別件だ」
「別件?」
 問われ、どうしようか迷ったギルバートが
「グリーン・レスキュー」
 と固有名詞のみを教える。
 が、アレックスにとっても初耳だったらしく、彼が二、三度瞬きをする。
「何レスキューだって?」
「グリーン」
 再び耳にするものの何のことか見当がつかず、アレックスが考えるように2,3秒横手を見やる。
「え、野菜?」
「いや、グリーンズじゃない。グリーン」
 短い回答のみでは意味を掴め切れないアレックスからの視線を受け、
「環境保護団体だ」
 とギルバートが付加情報を告げた。
 納得はしていないものの、なるほど、とアレックスが弱く頷く。
 その後で、環境保護団体がどういう活動をする団体なのかを思い出したらしい。
「え、何。まさかふてくされて環境保護に目覚めたの? あいつ大丈夫?」
 最近ちょっと邪険にしすぎたか、と心配そうなアレックスに、何か考えがズレているなと感じつつもそれは表情に出さず、ギルバートが彼に落ち着くよう手で指示する。
「そういう路線の話じゃない」
「じゃ、何」
「シャトナー上院議員の娘さんが強引な勧誘を受けたらしい。で、念のため調べてほしいと依頼を受けた」
「あ、そう」
 適当に返しながら、そういえばシャトナー上院議員の娘であるクレアはエリザベスの友人だったか、とアレックスが記憶を辿る。
 察するに、彼女のほうから相談があったのだろう。
 しかしながらその手の案件であれば、ウォレン自身は動かずに真っ当な方面から捜査をするよう働きかければいいものを、と思わないでもない。
 その様子を見て取ったか、
「クラウスとリンも関連性のある問題を拾ったらしくてな。動かざるを得なかったんだろう」
 とギルバートが補足情報を述べた。
 それを聞き、アレックスが眉根を寄せる。
「……何、あいつ人を媒体にして問題を引き寄せてるの?」
 視点の違うアレックスの言葉に、ギルバートが、なるほど、と軽く頷く。
「確かにそういう見方もできなくはないか」
 否定が返ってこなかったことに不満があるのか、アレックスはため息をつくと額を軽く掻いた。
「まぁいいや。名前的に無害っぽいし、その件はお前さんに任せるよ」
「そうだといいんだけどな……」
 遠慮がちに小さな声で落とされた言葉に、アレックスが反射的にギルバートを見る。
「え?」
「いや、ちょっと想像していたよりも話が大きくなりそうでな……」
 困ったな、という雰囲気を出すギルバートに対し、どういうこと、とアレックスが怪訝な表情を寄こす。
「気になるなら入るか?」
 これ以上この件について話をするのなら、とギルバートが提案した。
「何、俺の500、危うそう?」
「あいつの500もな。ま、あいつが主体的に動かなければ問題ない」
 後半部分は聞こえなかったかのように項垂れるアレックスを見、ギルバートが
「いや、あいつが主体的に動かなければ問題ないから」
 と重ねて伝えるが、軽く笑って飛ばされるのみだった。
「書類上は息子だろ。信用してやれ」
「いやそうなんだけどね」
 腰に両手をやり、大きくゆっくりとアレックスが息を吐く。
「まぁいいや。そっちの件も何か進展あったら、というかあいつが何かしでかしそうになったら教えて」
 どこかしら諦めの入った声調に、本当に信用がないな、と感想を抱きつつギルバートが簡単に了解の意を伝える。
「で、例の男の件は本当に話さなくていいんだな?」
 再度の確認に、アレックスがギルバートを見やる。
「あいつ昨日もここに来てたでしょ?」
 木曜によくギルバートのバーに来ることはアレックスも承知しているところだ。
「そうだな」
「お前さんも同じ考えだったから何も言わなかったんでない?」
 目を見て告げられ、ギルバートが苦笑する。
「そうだな」
 口元を緩めて頷き、それじゃ、と告げるとアレックスは倉庫のドアを開け、近くの裏口から外へと静かに出て行った。
 その背中を見送り、ギルバートがひとつ大きく息をつく。
 ふと、入り口付近のディスプレイを見やる。
 暫く店内の様子をそれ越しに眺めていたギルバートだったが、やがて組んでいた腕を下すと入口のほうへ歩き出した。
 倉庫のドアを開けて薄暗い廊下に出る。
 そのまま進んでバーへのドアを開ければ、店内の賑わいを全身で感じることができた
 レイモンドに挨拶をしてカウンターに戻る。
 その様子を確認したウォレンがこちらに歩み寄ってくるのが視界の端に見えた。
 アレックスが来ていたことは表に出さず、ギルバートは顔を上げると彼に軽く挨拶を返した。
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