IN THIS CITY

第5話 A Sense of Foreboding

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08 Be True to Yourself

 広場の移動販売車で購入したコーヒーカップを受け取るデズモンドの姿を見つけ、ヴェラが小走りに彼に駆け寄る。
「デズモンド」
 呼びかけた先、振り返った彼が足を止め、躊躇いながらも隠すことなく迷惑そうな顔をした。
「ヴェラ、今日は都合が――」
「少しだけ時間をくれるかしら」
 近くに来た彼女に対し、デズモンドが先んじて断りを入れようとするが、それを遮り、ヴェラが切り出した。
 ため息をつき、デズモンドが迷うように横手を見る。
「コーリに関してよ」
 妹の名前を出せば、デズモンドは断れないということをヴェラは承知している。少々強引なやり方ではあるものの、背に腹は代えられない。
 首を横に振り、デズモンドが口を開く。
「この後アルバイトが控えているから――」
「長くはならないわ」
 再び息をついたデズモンドが、押し負ける形で頷いた。
 彼が向かっていた方向にゆっくりと足を進めつつ、ヴェラが切り出す。
「……あの子、まだ過激な発言をしている?」
 問われ、少し考える時間を置くと、デズモンドは微かな声と共に肯定の頷きを返した。
「そう……」
 同じように小さな声を落とすと、ヴェラは風に乱された髪の流れを正した。
「でも、ブレットさんは穏健派ですし、正直誰に感化されているのかは分かりません」
 コーヒーカップには口をつけないまま、デズモンドはどこに原因があるのか割り出せないもどかしさを前面に出した。
「他のメンバーは?」
「前にも言ったとおり、みんな穏健派です」
「あの子は人の影響を受けやすいわ。近しい人が原因なはずだけど……」
 語尾の速度を落とし、ヴェラが首を振る。
 姉妹仲はいいとは言えず、彼女が直接コーリに話しかけても口論に発展するだけで埒が明かない。コーリの夫であるブレットにも話を聞こうとするものの、彼1人で行動している機会をなかなか捉えられないでいる。
「すみません、力になれなくて……」
「いいのよ」
 無力なのはお互い様、とヴェラが苦く笑う。
「でもコーリはコーリで頑張っています。過激なことを言うこともあるかもしれませんが、それは本気で地球の明日のことを考えているからだと思います」
 純粋で真剣な目をしたデズモンドに言われれば、ヴェラとしても、そうね、と頷かざるを得ない。
「デズ、あなたがコーリを慕ってくれているのは分かってる」
「いや、僕は別に……」
 否定をしながらも慌てた様子でデズモンドが購入したコーヒーを初めて口に含んだ。
「そこを利用する形になってしまっているのは申し訳ないと思っているわ」
 ヴェラの言葉に、デズモンドは無言のまま視線を地面に落とした。
「――でもあの子が心配なの」
「それは、僕も同じです」
 デズモンドが顔を上げ、力強く同意してき、ヴェラは微笑を彼に返した。
「コーリが私を疎ましく思っているのは分かっている。あの子の意思を尊重できなかったところが、きっと積もり積もっているから」
 忙しく留守がちの両親に代わって姉である自分が妹の親代わりも務めなければ、と変に気負ってしまったところがあった。十分に成長した今であれば、そんなことをする必要はなかったと思えるのだが、当時は必死でコーリのヴェラに対する感情の変化に気づくことができなかった。
「……打ち込める何かを見つけられてよかったと思っていたけど、最近はちょっと、思想が偏りすぎている気がするわ」
 言いながらヴェラが風上に視線を向けた。
 春の花芽が綻びようとしている様子がヴェラの目に映るが、彼女の心を和らげるまでには至らなかった。
「団体の活動は順調なの?」
 問いかけ、ヴェラは広場に散在する季節の便りから顔を背けた。
「はい」
 深く考える時間もなく肯定が返された。デズモンド自身、環境保護の活動に貢献していることが嬉しいのか、口元も穏やかである。
「何か新しい取組みを始める予定は?」
「いえ、今のところは何も」
 そう、とヴェラが頷く。
「おかしいわね……」
 意図的ではなかったにしてもヴェラからこぼれ出てきた言葉に、デズモンドが彼女を見た。
「何がですか?」
 デズモンドを一瞥し、先日コーリと口論になった後に聞いた話を思い出しながら、ヴェラが口を開く。
「あの子が新しく資金調達をしようとしているのは知っている?」
 キーワードに反応し、デズモンドが一度ヴェラから視線を逸らした。
 どう答えようか迷った末に、彼が、ええ、と頷く。
「そう」
「……別に悪いことじゃないですよ。世間に問題を認識してもらうためには、もっと訴えかけるような活動をしないと」
「そこは否定していないわ」
「だから、コーリはもう少し活動の幅を広げて認知度を高めようとしているんです。そのためにはやっぱり資金が必要になってくるわけで……」
 どうしてもコーリの肩を持ってしまう自身の言葉を認識しつつ、デズモンドはヴェラを見据えた。
「強引な勧誘をしているって噂を聞いて、ちょっと気になっているの」
「強引?」
 尋ね返した後で、デズモンドが、あ、と思い当たる節を見つける。
「心当たりがあるのね」
「いや、僕は同行していないので、なんとも……」
「誰を勧誘しようとしているの?」
「ですから、僕は――」
 知らない、と言い通そうとしたデズモンドがヴェラの視線を受け、萎縮したように口を噤む。
 ヴェラとしても何もコーリを責めたいわけではないのだろう、彼女の口からは姉としての思いやりというものがデズモンドにも伝わってくる。
 ひとつ深くため息をつき、デズモンドが口を開いた。
「……クレア・シャトナー」
 名前を聞き、ヴェラが自身の脳裡で検索をかける。
 全体として聞いたことがあるわけではないが、名字には聞き覚えがあった。更に言えば、今朝方のニュースでも聞いた記憶があるものだ。
「シャトナーって、ひょっとして上院議員の?」
 確認をとるヴェラに、デズモンドは頷くことで肯定を返した。
 ゆっくり、なるほど、とヴェラが頷く。
 もしもグリーン・レスキューにきな臭い話が実際に存在した場合で、かつ娘のクレアが関係しているとなると、シャトナー上院議員にとっては大きな痛手となるだろう。
 先日コーリに強く押されて頭を打った際に世話になった男性陣が警戒していた理由も頷ける。恐らく彼らは上院議員と何かしら接点があるのだろう。
「お父様が噂の人だものね。コーリが狙うのも無理ないわ」
 息を吐きつつ、ヴェラが軽く首を振る。
「……けっこうしつこく勧誘しているの?」
「いえ、勧誘は一度のはずです。でもその時に誘った講演会に来なかった、と憤ってはいますが……」
 デズモンドの雰囲気に、その件についてもコーリが直談判に行きそうな気配がし、ヴェラが続けてため息を吐いた。
「大人しくしていてくれるといいんだけど……」
 あまり大事にしないようにしてほしいと願うものの、デズモンドに依頼してコーリを牽制するのは良計とは考えられない。
「あなたの口からは……」
「いや、僕は強く引き止められないので……」
 試しに聞いてみたものの、予想通りの答えが返ってくる。もっともデズモンドが強く制止したところで、コーリは負けん気になってますます勢いづくだけだろう。
 グリーン・レスキュー自体は資金難に直面しているわけではない。コーリの発言によると新しい活動のために必要とのことだが、その予定もまだないという。
 何のために資金が必要なのかが未だ見えてこず、ヴェラはどこともなしに視線を広場のほうへやった。
「……デズ、あなた経理は担当しているの?」
「手伝うことはあっても直接は」
 答えながらデズモンドが首を振る。
「収支報告書の写し、もらえないかしら」
「えっと――」
「順調そうなグリーン・レスキューの現状で、コーリが資金に固執しているところが気になるの」
 真剣なヴェラの目に圧され、デズモンドが答えに窮し、足を止める。
「でもそれって……」
「責めは私が負うから。お願い」
 同じく足を止めて目を見、あくまで極秘に、という意向をヴェラが示す。
 どうしようか迷うデズモンドの決心が否定に傾かないうちに、
「コーリのためになるから」
 とヴェラが押しの一言を付け加えた。
 暫く彼女を見ていたデズモンドが、頭を掻きながら深いため息をつく。
「……分かりました」
「ありがとう」
 微笑んで礼を言うと、それじゃ、とヴェラはデズモンドと別れた。
 その後姿を見送っていたデズモンドが、ふと手元に視線を落とす。
 もう一度ため息をつき、コーヒーカップを口元に持っていくと、デズモンドは向かっていた方向へと歩き出した。


 表の通りを走る車の音が閉められたカーテン越しに届いてくる。
 その音を何ともなしに聞いていたはずなのだが、いつの間にかエリザベスの耳には届かなくなっていたらしい。
 部屋のテーブルの上に参考書を開き、ノートに何かメモをしていた彼女の手の動きが止まる。
 大きな課題の対応は終わったものの、まだ小テストやプレゼンの対応が残っているところだった。うつらうつら、エリザベスの頭が垂れてき、緩やかなウェーブがかった髪の毛がノートに触れて幽かな音を立てた。
 そのままの姿勢で暫く時間が流れる。
 玄関のドアが叩かれる。
 その音はエリザベスの耳に届いたが、夢うつつの状態だった彼女が来客を認識するまでには2,3秒の時間を要した。
 はっと顔を上げた彼女が時計を見、次いで玄関を振り返る。
 相談したいことがある、とウォレンに連絡をとったことを思い出し、慌てて立ち上がると椅子に足をとられて音を立てながらも玄関を目指した。
 覗き穴から予想していた人物であることを確認する。
 数歩部屋の中に戻り、棚に置かれている鏡で顔と髪型を確認し、整える。
 ひとつ呼吸をして心拍数を落ち着かせると、エリザベスは玄関のドアを開けた。
 短く挨拶を交わし、エリザベスがウォレンの手元に視線を落とす。
「少し冷めたかもしれないが」
 言いながらウォレンが2つのコーヒーカップが乗ったテイクアウト用のカップホルダーを僅かに上げる。
「ありがとう」
 丁度寝落ちしそうになっていたところだったため、助かるわ、とエリザベスが顔を綻ばせ、ウォレンが通れるように一歩壁のほうに寄った。
 部屋の中に入り、ウォレンがテーブルまで足を進める。
 コーヒーカップをカップホルダーから取り外し、置いても差支えないだろう箇所を探す。
 ふと、ノートが目に留まる。
 徐々に文字が薄く解読不能になっていき、何か長いよれよれの線が最後に引かれたであろう形跡があった。
 遠い記憶に覚えがなくもないその画に顔を上げ、エリザベスを見る。
「出直そうか?」
 鍵を閉めて部屋の中に足を進めてきていたエリザベスがウォレンとノートを交互に見、あ、と苦く笑う。
「いいの、大丈夫。起きたから」
 明るいところで彼女を見れば、笑顔の中にも少しばかり疲労の色が見て取れる。
「そうか?」
「ええ。あと大きなのは来週のプレゼンだけだから」
 そう告げながらエリザベスがテーブルの上を簡単に片づける。
 そうか、と返し、ウォレンはコーヒーカップをテーブルの上に置きつつ、手短に話を進めたほうが彼女への負担は少ないだろうと考える。
「それで、相談したいこととは?」
 聞かれ、共に座りながらどう話そうかエリザベスが迷う。
「この前、ショーンからインターンの話があったっていうのは伝えたわよね?」
 夏休み期間にNYでインターンを、という話を思い出し、ウォレンが頷く。
「引き受ける決心がついたのか?」
「それなんだけど、別の申し出があって――」
 コーヒーカップに手を伸ばし、伏せるところは伏せつつ相談を持ちかける方法を見つけるため、エリザベスが横手に視線をやって考える。
「――ちょっと、訳あって詳細は話せないんだけど……」
 クレアからはまだ対外秘であることを告げられているため、シャトナー上院議員が正式に副大統領候補となる予定であることは伝えてはならない。
 そのことを念頭に置くと、どうも説明がし辛いところであった。
「こっちも専門外の話になっちゃうんだけど、でも気にならないというと嘘になるし、あ、専門外って言ったけど部分的には関係している気もするし……、あと、おそらく色んな――」
 州、と言おうとしてエリザベスが口を噤む。
 大統領選挙がこれから本番を迎えることは世間的にも認識しているところ、その単語を出せばシャトナー上院議員との関連が浮上してしまいそうに感じられた。
 数瞬の間を置いて別の単語を見つけ、エリザベスが続ける。
「――場所に出かけることになるから忙しくなりそうなんだけど、興味がないわけでもないし、それに力になれるならなりたいし……」
 自然と小さくなる語尾に、この説明では要領を得ないとエリザベス自身が認める。事前に話の内容を精査しておけばよかったと後悔しながらも、今すぐにうまく伝える方法が思いつかず、口を閉じると一度目を瞑った。
「ごめんなさい、全然整理できていなかったわ。来週のプレゼンも不安になるくらいグダグダね……」
 自身に対して呆れた息を吐きながら、エリザベスはコーヒーカップを両手で包んだままテーブルの上に額を落とした。
 そこまで痛くはなさそうだが額がテーブルと接触する音が届いてき、その様子に相当な疲労が彼女に溜まっていそうなことをウォレンが感じ取る。
「……大分参っていそうだな」
 その声に顔は上げず、エリザベスが小さく肯定する。
 非常に曖昧な表現が選ばれていたとはいえ、解読の要となる単語がなかったわけではない。
 彼女からの相談についておおよその検討をつけ、ウォレンはコーヒーを一口飲むと口を開いた。
「まぁ、これは単なる俺の独り言として聞き流してくれればいいが――」
 軽く咳ばらいをし、ウォレンが座り直す。
「――報道によると来月中には民主党の副大統領候補が指名される見込みだ。恐らく君もよく知っている名前が挙がると思う」
 発言を聞き、エリザベスが顔を上げてウォレンを見る。
「勿論、まだ公表されていない。が、大方の予想通りに進むだろうな」
 言いながら別に寝耳に水の話ではないことをウォレンが手でも示す。
「その副大統領候補には確か娘さんがいたはずだ。夏休みにもかかるから、選挙戦に同行しても不思議じゃない。それに選挙スタッフも徐々に増やしているんじゃないか」
 名前は出なかったもののクレアのことを言っていることを知り、エリザベスが一度、視線を手元のコーヒーカップに落とす。
「その中に親しい顔がいたら娘さんも心強いだろうな」
 明確に述べられてはいなかったものの、ウォレンは事情を飲み込んでいるらしかった。小さく頷いていたエリザベスが、あれ、とふと疑問に思い顔を上げて怪訝そうにウォレンを見た。
「あなたもいたっけ?」
 先日のクレアとの会話を聞かれていたのではないかと感じるほどだったが、あの場に彼がいなかったのは確かである。
「別に推測が難しい話じゃない」
 少し考えれば分かる、という雰囲気のウォレンに、そうね、と先ほどの自身の説明になっていない説明を思い出し、エリザベスが口を結ぶ。
「――で、君の来週のプレゼンについてだが、秘匿性の高い情報は入っていないだろうからさっきみたいな説明の仕方にはならないんじゃないか」
 心配ない、とウォレンが口元を緩める。
 最後に思わずこぼれ出たぼやきにもフォローが入り、エリザベスが照れるように目を伏せ、コーヒーを一口、口に含んだ。
 丁度いい温度になっており、続いて二、三口喉に通す。
 体の中から緩やかに温まるが、カフェインが効果を発揮するにはまだ時間がかかるだろう。
「二択で迷っているのか」
 問われ、エリザベスが少しばかり時間を置き、
「ええ」
 と頷いた。
「新しい申し出のほうに、より興味があるんだな」
 再び時間を開け、ええ、とエリザベスが返した。
 父親との時間を設けることに否やがあるわけではないが、やはりクレアからの誘いのほうに好奇心がくすぐられる。
「いいんじゃないか。少なくともショーンは気にしないだろう」
 迷う時間もなく告げられ、エリザベスは少し首を傾げてウォレンを見た。
「なんで?」
「彼の事業内容は――」
 ここまできて伏せる必要はないと感じつつも、エリザベスが気にしていることは確かなため、ウォレンが口から出かかった名前を飲み込んだ。
「――某上院議員の政策に近いところもあるからな」
 一度区切ってコーヒーを飲み、
「むしろコネができて喜ぶんじゃないか」
 とウォレンが付け加える。
「調べたの?」
 尋ねてみたものの、ウォレンからは微笑が返ってくるだけだった。
 とはいうものの、恐らく昨年の一件のときにウィトモア家についてはアレックスやTJの助力を得つつ、深く調べたのだろう。
 両手でコーヒーカップを包み込み、エリザベスがウォレンの目を見る。
「……もしクレアの申し出を引き受けたら、あなたも同行してくれる?」
 尋ね終わった瞬間、
「あ」
 とエリザベスが自身の口を押えた。
 再びテーブルに突っ伏すエリザベスを見、ウォレンが
「何も聞いていない」
 と短く告げた。
 先ほどよりもテーブルとの接触音が派手であったが、たんこぶができるほどの力でぶつかったわけではなさそうだ。
 疲労のエリザベスへの影響がやや心配ではあるものの、彼女が守ろうとしている機密事項については畳みかけて話題にしないほうがいいと判断し、ウォレンは何事もなかったかのようにコーヒーを口に運んだ
「同行については構わない」
 さらりと述べられた返答に、エリザベスが顔を上げる。
「ほんとに?」
「ああ」
「ありがとう」
 ほっと、エリザベスが安心した息をつく。
「……まぁ、行くのを控えたい都市はあるが」
 言いながらウォレンが右手を僅かに振り、詳細は伝えずに濁す。
 部分的に詳細を知っている彼の裏側に関することなのだろう。立ち入らないほうがいいと判断して深くは聞かず、エリザベスは、そう、と頷きを返した。
「そういえば、職探しは順調?」
 最近は長くDC近郊を離れることはしていないようで、後ろ暗い仕事については量を減らしているのだろうことは見当がつく。
 見通しのいい返事がくるかと考えていたが、ウォレンは首を傾げ、曖昧な様子であった。
「腰が重くて悪いな」
「いいの。時間をかけてでも、こっちにきてくれるなら」
 微笑むエリザベスから目を逸らし、ウォレンが手元のコーヒーカップを見やる。
 その気になればすぐ見つけることができるのだが、完全に表の世界に戻ることまで視野に入れるとなるとどうも不安が拭えない。
 その色は呈さず、無言のままウォレンはコーヒーを口に運んだ。
「クラウスやリンにも相談しているの?」
「そうだな、俺から持ち掛けてはいないが……」
 向こうが勝手に、と若干迷惑そうなウォレンの様子を見、
「力になりたいのよ」
 とエリザベスがにこやかに告げる。
「まぁそうなんだろうが――」
 言いかけてウォレンがひとつ大きくため息をつく。
「――あいつらは自分ができることは他人もできる前提で話してくるからな。正直参考にならない」
 淡々と述べられたものの、エリザベスはなんとなくクラウスとリンに話題を振られているウォレンの想像がつき、彼に気づかれないよう視線を落とし、笑わないよう口を引き締めた。
 2人の名前が出てきたところでグリーン・レスキューについて思い出し、ウォレンがエリザベスを見る。
「そういえばグリーン・レスキューについてだが、あれから勧誘はあったか?」
 問われてエリザベスが記憶を辿る。
「今のところはないかな」
 答えながらエリザベスはウォレンから送られてきたテキストを思い返した。彼から送られてくるテキストはいつも簡潔で短く素っ気ない文言だが、この件については言葉を選んでいるような雰囲気が感じられたため、彼女としても若干の緊張を持っている話題だった。
「……危ない人なの?」
 コーリのことを念頭に尋ねてみれば、ウォレンが、どうかな、と軽く首を傾げる。
「まだ分からないが、彼女の姉の話を聞く分に、接触は避けたほうが無難だろうな」
 そう、とエリザベスが頷く。
「……そのグリーン・レスキュー自体、怪しい団体?」
「一見したところ真面目そうだが……」
 グリーン・レスキューに関する不穏な話の是非についてはギルバートにも確認を頼んでいるところだが、いかんせん環境保護に関しては普段から彼も接点がなく、きな臭い話が出ているにしても分野が違うため少し時間が必要とのことだった。
 ウォレン自身も調べた範囲では、環境保護団体という名前を聞いて受ける印象から遠い活動をしている様子はなかった。ただ、もし今後もクレアに勧誘の手が伸びるようであれば、先日のヴェラという女性に詳細を聞きたいところである。
 不穏な噂を裏付ける話が出なかったことに対し、納得がいったかいかないか、エリザベスとしては微妙なところだったらしい。
「……君自身、気になることがあるのか?」
「少しだけ。あ、去年の夏に知り合ったアンバーって子にちょっと尋ねてみたの。彼女、グリーン・レスキューについて何か言っていた気がしたから」
 コーヒーを一口飲み、エリザベスが続ける。
「陰謀論に近いことを言う人はちらほらいるみたいだけど、活動自体はまともだって。あ、アンバー自身は肌に合わないと感じて入らなかったみたいだけど」
 そうか、とウォレンが頷く。
 アンバーという女性がどのような人物像なのかは知らないが、エリザベスが意見を聞きに行ったとなると、見識がある人物なのだろう。その彼女がグリーン・レスキューに入らなかったとなると、やはり団体内では当たり障りのない活動をしている以上の空気が流れていると考えられる。
「……このことはクレアには?」
「いえ、私1人でアンバーに会ってきたから」
 再び、そうか、とウォレンが頷く。
「彼女は関わらないほうがいいだろうな。リンからも注意喚起があると思うが」
「リンからも?」
 問いながら、ウォレンからのテキストにコーリの姉であるヴェラと偶然接触した件について簡単な説明があったことを思い出す。
 リンがエリザベスとも知り合いということはシャトナー上院議員も承知している。そのこともあってか、クレア関連の話には彼が同席していることが多い様子だった。
「けっこう手厚いわね」
「上院議員の名前に傷がついたら痛手だろうからな。まぁ、俺はそれでも構わないが……」
 後半の言葉を聞く分に、予想はしていたもののやはり支持政党は違うらしいことを知り、エリザベスがふっと笑みをこぼす。
「やっぱり銃規制関係?」
 尋ねてみれば、ウォレンも同様に小さく笑う。
「サンクスギビングの親戚の集まりにしたいか?」
 家族が集まるイベントには縁がなかったエリザベスだが、夕食時における過激な保守派のおじやおばの話はよく冗談としても話題に上がるところだ。
 そのつもりはないことはウォレンも承知だろうが、エリザベスが微笑はそのままに首を振って答える。
 暫時、通りを走る車の音が場を満たす。
「……修正第二条には命を救われたからな」
 抑えられた抑揚に、敢えて客観的に述べようとしている空気をエリザベスは感じ取った。
 ウォレンが命の危機に晒されるようなことをしていることはエリザベスも重々承知している。武器を所持していることも認識しており、彼の環境場を考えればなんら不思議なことではなかった。
 ただ、先の彼の言い方だと、彼自身の武器の所持のことを念頭に置いての発言だったようには思えなかった。
「言っておくが、だからといって君やシャトナー上院議員の掲げる理想を否定したいわけじゃない」
 追加された言葉に、エリザベスのウォレンと修正第二条の関係に関する思考が中断される。
 口元を緩めて時間を稼ぎ、彼女が最新の発言を受け止めた。
「親戚のおじさんにしては物分かりがいいわね」
 コーヒーカップを両手で包み、エリザベスがウォレンを見やれば、微笑が返ってくる。その目には最初の発言に関する色は見て取れなかった。
 相手の考えを尊重するウォレンの姿勢は適度な距離感の構築に繋がり、エリザベスにとってはありがたかった。ただ、先ほどの修正第二条に関する発言といい、ときどき遠く感じる瞬間があることは否めない。
 知り合ってから1年半ほど経とうとしているが、それ以前にどういう過去を辿ってきたのかは把握していない。関連する何かが要因となっているのだろうが、詮索するようなことはしたくなかった。
 とはいえ、全く気にならないといえば噓になる。ふとした瞬間に垣間見ることがある彼の言容に、普段の落ち着いた佇まいから受ける印象よりもずっと多くの傷を負っているのでは、と感じることがあるのは事実だ。
 不意に、エリザベスがテーブルの上に置かれていたウォレンの右手を握った。
「……どうした?」
 問われて彼を見、エリザベスが再び視線を手に落とす。
 言葉にしようにも、疲労のせいか上手いこと表現できそうにない。
 声を出す代わりに首を振って答え、エリザベスは握る手に力を込めた。
 それ以上は何も尋ねず、ウォレンはそっと彼女の手を握り返した。
 間接照明に淡く照らされた部屋の中に、表の通りの車の走行音が窓に幾分か吸収され届いてきた。
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