IN THIS CITY

第5話 A Sense of Foreboding

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12 Third Time's the Charm

 ヴェラの部屋に戻れば、先ほどの男が相当家探ししていた様子が改めて確認できる。
「荒らしてくれたわね」
 ため息をつき、間接照明に照らされた居間の様子を眺めながら、ヴェラはどこから片づけようかと腰に手を当てて考える。
 ふと、ウォレンとリンの存在を背後に思い出し、ヴェラが鞄を肩からおろす。
「グリーン・レスキューにいる知人に頼んだの」
 言いながら2つに折り曲げられた大きい封筒を取り出すと、リンにそれを手渡した。
 コーリが関係していることもあってか、デズモンドは期待していた以上の情報をかき集めてくれたらしい。
「収支報告書?」
 帳簿ともとれる資料であることを確認し、リンが一度資料から目を離すとヴェラを見る。
「彼が探していたのはひょっとしてこれ?」
 尋ねながらリンがウォレンのほうを見やる。
「だとしたら、何かあるだろうな」
 知識があると考えられるリンのほうが詳細を読みとれると判断したか、ウォレンは主に彼に資料の対応を任せることとし、自身は背後から簡単に目を通すに留まることとした。
「ざっと確認したけど、特段不審な資金の流れはなさそうなのよね」
 手始めに近くの棚から放り出されたものを片付けることとしたらしく、ヴェラが床に落ちている諸々を拾う。
「ちょっと気になる点はあったけど」
 続けて聞こえてきたヴェラの声に、リンが顔を上げる。
「気になる点?」
 ええ、と答えるヴェラが、片づけの手を止めて2人のもとに近づく。
 貸して、という彼女の言葉に、リンが資料を手渡す。
 受け取り、ヴェラはあるページを開くとテーブルの上に置いた。
「ここよ」
 電気代についてまとめられているページらしく、住所や電気料金の数字が並んでいる。
「あ、この住所の電気代、ちょっと高いね。っていうかかなり?」
 桁が違う電気料金の数字を指で示し、リンが独り言のようにコメントし、続ける。
「何かの施設かな」
「分からない。明日見に行こうと思っている」
 2人のやりとりがなされる中、ウォレンが視線を数字に固定する。
 僅かに眉根を寄せた彼が、ゆっくりとリンからその資料を引き抜く形で手に取った。
「……何?」
 興味を示したらしい彼の様子に、リンが疑問の声を投げかける。が、返答はなかった。
 資料に記載の数字の列にウォレンが目を走らせる。
 ヴェラが指摘した数字は、他と比較して明らかに桁が大きすぎであった。
 ふと、以前カルヴァートから聞いた話が思い出される。
 資料をリンのほうに差し出し、ウォレンが居間の方向を振り返る。
「――メイス?」
 受け取ったリンがウォレンの行動を不審に思い、声をかけた。
 返事はせず、ウォレンは窓際まで足を運ぶと外を確認した。
 外の通りは静かであり動きはないが、先ほどの男を解放したのはやはり間違いだった、とひしひしと感じ始める。
「……電気代がやたら高いのはその住所だけか?」
「いえ、もう1件……――何?」
 ヴェラもウォレンが何かを警戒していることに気づいたらしく、不安そうな表情を呈する。
「出るぞ」
 とまず口に出すと、ウォレンが2人を部屋の外へと促す。
「メイス、何が――」
「確証はない。が、その2か所で大麻か何か栽培している可能性が高い」
 短い説明は耳に入ってきたものの、理解が追い付かず、資料を整えていたヴェラとリンの動きが止まる。
「ここはまずい」
 言いながら2人に対して再度足を動かすよう促し、エレベーターへと向かう。
 ヴェラが資料をバッグに入れ、言われたとおりに急ぐ彼らの背後、ウォレンは所持しているナイフの位置を念のために確認した。
「ちょっと待って」
 前方で歩きながらヴェラが心持ちウォレンを振り返りつつ続ける。
「高いのは主に電気代よ? 水道代もそれなりにあるけど」
 エレベーターはこの階に留まっていたらしく、最後に乗り込んだウォレンが1階を押すと閉まるボタンを何回か連打した。
 彼の動作に反してゆっくりとドアが閉まり、エレベーターが下降していく。
「室内で栽培しているんだろう」
「室内?」
「実際に見たことはないが、聞いたことはある」
 先ほど思い出した話が頭を過る。悪事を働くには手間も金もかかるな、と軽く笑うカルヴァートの様子が印象に残っていた。
「じゃ、何、グリーン・レスキューが大麻の売買をしているってこと?」
 リンの声に、ウォレンは、どうかな、と首を傾げた。
「そこまでは読み取れないが、可能性はあるだろうな」
 先ほどの男の情報はギルバートに送付したところだが、恐らく麻薬の密売組織の末端に属しているのだろう。
 不法侵入をするような人間だ。どこか後ろ暗いところがあるのは確信していたが、グリーン・レスキューのメンバーと推察しており、その他の可能性を考慮にいれていなかったことが悔やまれる。入れ墨なども確認しておくべきだったか、と後悔するが過ぎたことは致し方なかった。
「……君に持ってきた話はブレット・ホフリンについてだ」
「コーリの夫?」
「過去に薬物所持での逮捕歴がある」
 言いながら、ここにもこの件の背景の取っかかりとなる情報があったか、とウォレンが認識する。
「え、でもコーリは何も――」
 ヴェラが言いかけたところでエレベーターが地上階への到達を知らせてきた。
「――それに前科があるような人には見えなかったけど……」
 コーリが邪魔をしてくるため、ブレットとは見かけたことはあっても直接話したことはない。エレベーターの外の安全を確認したウォレンに促されてアパートのエントランスに出ながらヴェラが記憶を辿るように呟いた。
 アパートの玄関のドアを開けて外に出、周囲を確認しつつ2人を通しながら、僅かにウォレンが首を傾げる。
「『ブレット・ホフリン』という人物は存在するが、今の彼がその人物かは怪しい」
 その言葉に、ヴェラが足を動かしながら怪訝な顔をする。
「どういうこと?」
「なりすましってこと?」
 リンが推測を声に出せば、ウォレンが、かもな、と短く答えた。
 どこの密輸組織に所属しているかは不明だが、いずれにしても相手に回したくないことだけは確かだ。
 そう遠くない位置に停めてある自身の車をヴェラに教えつつ、警戒しながらウォレンが周囲を見回す。
「相談しやすい奴が丁度DCに来ている。今から――」
 連絡を取ろうと携帯電話を探るウォレンが言葉を切り上げる。
 アパート付近は駐車が多く、新たに停車する場所は少し歩くところになる。距離はあるものの、新しくこの場所にやってきたらしい車のヘッドライトが消える明度の変化があった。
 さりげなくヴェラを自身の影に誘導しつつ、ウォレンがそちらに注意を払う。
 その方向から、あいつらだ、という声が届いてき、ウォレンは軽く舌打ちをした。
「乗れ」
 2人を急かして通りを横断しつつ、遠隔で車の鍵を開ける。
「あれさっきの――」
「早くしろ」
 後部座席に先にヴェラを乗せ、リンが次いで滑り込む。
 ウォレンが運転席のドアを開けると同時に後方でエンジン音がし、相手方の車のヘッドライトがついた。
 乗り込んですぐにブレーキを踏みエンジンをかけ、ウォレンが急発車させる。
 シートベルトが間に合っていなかったのか、後部座席で揃って咎める声が上がったようだが気にしてはいられない。
 住宅街の道路を速度を上げながら進む。
 バックミラーには眩しい光とともに追いかけてくるSUVの姿が映っていた。
 性能的には相手方の車に劣っていないはずである。
 最近の車に一度乗ったら古い車には戻れない、とエディーが言っていたが、確かにそうだな、とウォレンがハンドルを強く握って実感しつつ、以前盗んだこのBMWが当時新車であったことに感謝した。 
 不意に、車の後方より派手だが短い金属音が連続して聞こえてきた。
 ウォレンは瞬時に何が起こったのか理解したらしいが、後部座席の2人は反射的に身をかがめたものの状況は呑み込めていないらしかった。
「何?」
「伏せていろ!」
 頭を上げて振り返ろうとするヴェラの様子に、ウォレンがバックミラー越しに鋭く指示する。
 まだ理解できていないヴェラと一瞬目が合ったが、
「ヴェラ」
 とリンが彼女の背中を押さえてリンが屈む補助をした。
 彼はどうやら銃撃を受けていることを理解したらしい。
 助かる、と思いつつ、かつリンが隣にいれば問題ないか、と少し安心し、ウォレンが運転に集中する。
 転瞬、嫌な音が聞こえてきたかと思えばリアガラスが割れ、ヴェラとリンが驚きの声を上げた。
 そのリンが、前の運転席に座るウォレンの口から珍しく4文字語が出てくるのを聞き留める。
「――えーっと、ちょっとなんか、状況、悪そうだね」
「まぁな」
 返ってきた口調には落ち着きが含まれており、リンが多少安心する。
「撃たれているの?」
 ヴェラが尋ねた側から再び3点ずつ連続して銃声が届いてくる。
「聞いてのとおりだ」
 サブマシンガンまで用意しているとは相手が悪すぎる、とウォレンが心の内で舌打ちする。
 大きな通りに差しかかり、クラクションを鳴らして警告しつつ前方を確認すれば、右手に横断中の複数の人影があった。突破できる隙間がなく、かつ停車している時間もないと判断し、仕方なく歩行者が少ない左側に折れてリー・ハイウェイに出る。
 その迷いの間に距離を詰められたか、背後の相手方のエンジン音が大きくなった。
「どうするの?」
「振り切りたいところだけどな」
 アクセルを踏みこみながらもこの辺の地理には精通していないため経路を描きづらい。
 サイドミラーを窺えば、相手もまた速度を上げたことが確認できる。
 横につけられた場合、命の保証はなかった。
 往来の車がないわけではないため必然的に前の車を追い越すか、反対車線に走り入れる形となり、法律を守って走行している運転手からのクラクションがドップラー効果で音程を下げながら遠ざかっていく。
 一瞬前方から目を離し、手元の速度計の表示を確認すれば、あまり穏やかではない数字まで速度が上がっており、ウォレンが焦りを覚え始める。
 再び3点ずつ連続で銃撃があり、反射的にウォレンが頭を下げた。
「えーっと、こういう状況になったことは?」
 ヴェラをかばうように伏せながらリンが尋ねてくる。
「まぁ、なくはない」
 タイヤを狙われないよう右に左に車体を振りつつ、方向転換をする機会を窺う。
「どう解決したの?」
 更なる問いかけに触発されたか、似たような経験が思い出された。
「そうだな――……」
 制御不能に陥った車を捨てざるを得なかったことは記憶に新しい。
 それよりも遠い記憶には、慌ててハンドルを切り、街灯に衝突した苦い映像が記録されている。
 僅かに開かれた蓋から過去のフラッシュバックが脳内に流れ込んできそうになり、一度短く頭を振るとウォレンが現在の状況に集中を戻した。
「なんか聞いてごめん」
 返答がないことからおおよその結末を知ったか、リンはそう告げるとそれ以上の質問は控えた。
 さすがに思い出したくない記憶のことまでは察していないだろう。気にするな、と一言呟くとウォレンは前方の状況を確認した。
 まだ先ではあるが、車のテールライトが複数集まっているところを見ると信号待ちの列が長いらしい。
 向かっている先はDCとは反対側であり、その前に方向転換をしたいところである。
 ハンドルから右手を離し、助手席との間に設置しているケースを探る。
 途中で銃声が届いてき、後部座席の2人が短く声を上げる。
 バックミラーで無事なことを素早く確認すると視線を前方に戻し、手探りでケースの中からシグ P228 を取り出した。
 次いで右手のみで器用にチャンバー内を確認する。
「それ、拳銃?」
「ナイフに見えるか?」
 ヴェラの声に短く返せば、いいえ、と真面目な返事が彼女から返ってくる。
「応戦するの?」
「180度方向転換する。伏せてろ」
 リンの質問には答えず、今後の動作の予告をすれば後部座席の2人が了解の言葉を小さく寄こしてくる。
 不安に思うのも無理はなく、可能であればそれを和らげたいところであるが、生憎その余裕はウォレンも持ち合わせていなかった。
 少しばかり速度を緩めれば好機と判断したか追手が銃撃をやめて速度を上げてきた。
 運転席側の窓を開ければ風圧を音が強調してくる。
 前方の交通状況を確認し、左手に拳銃を持ち替える。
「掴まれ」
 一言告げるとウォレンはハンドルを極限まで左に回し、サイドブレーキも含めてブレーキをかけた。
 遠心力で車の重心が右側に傾き、心持ち左側のタイヤが浮いたように感じられた。
 追手の車とすれ違う直前にサイドブレーキを離してハンドルを握る。
 好機と判断したのだろう、相手方の車の後部座席からサブマシンガンを構えて身を乗り出している人物を確認する。
 車体の重量がハンドル越しに伝わるものの、操作は右手に任せ、左手を窓から出し、ウォレンは相手が引き金を引く前に数発、発砲した。
 追手は応戦されるとは想像していなかったのか退避しておらず、1,2発、サブマシンガンを所持している相手に当たったらしい。
 彼の呻き声は瞬時に聞こえなくなり、追手の車が後方に消えていくのを確認すると、ウォレンが拳銃を握ったまま左手をハンドルに戻す。
 思っていたよりも進路が左に逸れており、対向車線にはみ出している。クラクションが鳴る中、慌ててハンドルを切ると右車線に車を乗せた。
 ひとつ息をつき、一瞬だけ振り返って後部座席の様子を確認する。
「大丈夫か?」
「ええ」
 バックミラー越しにヴェラを見れば、頭を押さえてはいるものの怪我はない様子である。
「僕もなんとか」
 リンの返事が聞こえると同時に急ブレーキの音がし、ウォレンが角度を変えてバックミラー越しに後方を確認する。
 追手の車は素早く無駄なく180度回転したらしく、対向車線にはみ出すこともなく右車線に落ち着いていた。
 少なくともハンドル捌きは相手のほうが上手らしい。
「……なんか腹立つな」
 思わず呟き、前方に視線を戻すとウォレンはアクセルを踏み込んだ。
「え?」
 自身が無事だったことに対する呟きと受け取ったのか、リンがぎこちなさを含んだ疑問の声を出した。
「何だ?」
 誤解させたとは思っていないウォレンが疑問を返し、バックミラー越しに一瞬リンを確認する。
 自身に対してのコメントではなかったらしいことを知り、リンが首を振った。
「いや、なんでもない」
 答えつつも、ウォレンも緊張していることに気づき、リンが背後をそっと振り返る。
 あれから銃撃がこないところを見ると、射撃者は先ほどのウォレンによる応戦で負傷したらしい。が、相手方の車には複数名乗っていると考えられ、射撃者が新手に変わらない保証はなかった。
「――僕が応戦しようか?」
 バックミラーを見て尋ねれば、その鏡越しにウォレンと一瞬目が合った。
「『シャトナー上院議員スタッフ、街中での銃撃戦に参加』。フォックスニュースあたりが好きそうな見出しだな」
「でも――」
 運転しながらの応戦はさすがに作業の負担が大きすぎるのでは、とリンが提案を続けようとしたところで、前方の信号が丁度赤になる様子が見えた。
 追われているため仕方のないこととはいえ、赤信号で速度が落とされる様子はない。それはこれまでと同じであったが、今回は左手から大型トラックが走り出してくるのが確認できた。
 それはヴェラも同じだったらしい。
「え、ちょっと待ってちょっと待って」
「ダメダメダメダメ」
 後部座席から2人の悲鳴にも似た嘆願が聞こえてきたがそれらは無視してウォレンが交差点に侵入する。
 クラクションを鳴らしてトラックが急ブレーキをかける様子をすぐ隣の左側に捉えつつ、右側の様子を窺う。
 幸い、右側からの車や歩行者は異変を感じ取って既に動きを止めたらしい。
 ハンドルを切れば、左側からやってきたトラックとはぶつからずに交差点をやり過ごすことができ、ウォレンはそのまま何事もなかったかのように直進した。
 前方に障害がないことを確かめた後、バックミラーで後方を確認する。
 ウォレンと同様に右側に膨らみつつ信号無視をしてきた追手の車だが、トラックのブレーキがぎりぎり間に合わなかったらしく、金属と金属が衝突する派手な音が聞こえると同時に相手方の車が大きく向きを変えた。
 アクセルから足を離し、ウォレンが一瞬、体ごと背後を振り返る。
 同じように後方を確認しているリンとヴェラの視線の先、割れたリアガラスのフレームの中には停止した追手の車が見えた。
 確認してすぐに前方に視線を戻し、ウォレンが軽く安堵の笑いが含まれた息をつく。
「やるな、フェデックス」
 トラックの持ち主である運送会社の名前を口にし、ウォレンは調整していた呼吸の量を上げ、速度を下げた。
 割れたリアガラス越しに未だ後方の様子を確認している2人に何か声をかけようとして口を開いたところで、
「危なかったぶつかるところだったじゃないか!」
「何考えていたのぶつかったらどうする気だったの?!」
 といった言葉を皮切りに堰を切ったようにリンとヴェラが何やらわめきたててき、驚いてウォレンがバックミラー越しに2人を見やる。
 彼としては偶然とはいえうまいこと追手を撒けたことについて安堵こそあれ文句はないところだ。何に対して不満があるのか瞬時に思いつかず、言葉もなくウォレンが疑問を表して右手を広げる。
「心臓止まるかと思ったわ」
「死ぬかと思った」
 続けられる苦情の言葉に、ひょっとして撒けていなかったか、とウォレンがまずサイドミラーで様子を確認し、次いで背後を振り返る。が、追手の車は見当たらない。
 再び前方に視線を戻し、一瞬上がった心拍数を落ち着かせるため、ウォレンがひとつ深く息をつく。
 相変わらず聞こえてくる文句はそのままにし、左手の拳銃をデコッキングすると右手に持ち替えて助手席との間にあるケースの中にしまった。
「フェデックスの運転手、大丈夫かな……」
「どうかしら、かなり派手な音だったし……」
 声量は落ち着いてきたもののまだ声の中に震えが残っているところを聞く分に、リンとヴェラの心拍数は高いままらしい。
「……停止直前に衝突しただけだ。大丈夫だろ」
 運転席の窓を閉めながら努めてゆっくりとした口調で告げれば、リンとヴェラがここで初めて無言になった。
 暫時、走行音と開いている窓から侵入する風の音のみが車内を満たす。
「結果的に無事だったろ?」
 無言の責めが耐えられず、何が問題なんだ、とさすがにウォレンの声にも感情が乗る。
「でも――」
 言いかけたリンだったが、体内を流れるアドレナリンが落ち着いてきたのかそれ以上続けずに口を結ぶ。
 同様にヴェラも髪の流れを整えるとひとつ深呼吸した。
 彼らとしては犠牲ゼロで乗り切りたかったらしいことを察し、厳しいな、とウォレンが気づかれないようにゆっくりと首を振った。
 ひと段落ついたところで、ウォレンが携帯電話を取り出す。
「電話?」
 リンの質問に短く肯定を返しながら、ウォレンが記憶している番号を入力する。
「誰に?」
「この手の専門家だ」
 耳元に持っていけば、3回目あたりで相手が出た。
 わざとらしいのんびりした口調に多少の苛立ちを感じなくはない。
「……あんたさっきちゃんと木を叩いたのか?」
 八つ当たりに等しい嫌味のひとつでも投げかければ、電話越しにカルヴァートが何かがあったと察したのだろう、ひとつ咳払いをした。
『あー悪ぃ、スチール製だったかもしんね』
 それを聞いてウォレンがため息をつく。
「まだバーにいるのか?」
『ああ。なんかあったんだな』
「まぁ、ちょっとな」
 詳細は後回しにし、簡単に返答するとウォレンは前方の標識で現在地を確認した。
『どこにいんの?』
「メリフィールド近郊から66号線でそっちに向かうところだ」
 バージニア州にいることが伝わったか、カルヴァートが頷く。
『分かった。66号線だな?』
 落ち合う場所の詳細は後程、ということで合意し、一度通話を終了した。
 携帯電話をしまい、ウォレンがひとつ息をつく。
 思いのほか大きな事件に発展してしまったが、カルヴァートに渡せばあとは彼が合法的に処理してくれるはずだ。リンが関係している以上、早めに捜査当局に任せてしまいたいというのがウォレンの本心である。
「暫く寒いがいいか?」
 後部座席の2人に聞けば、バックミラー越しに弱いながらも頷く様子が確認できた。
 リアガラスについては確実に修理に出さなければならないが、相当数の銃弾を受けた音が聞こえたことを考えると、そのほかにも交換しなければならない部品が多いだろう。
「誰と会うの?」
 ふと、不安の混じったヴェラの声が聞こえてき、ウォレンが再びバックミラーを見やる。
「FBI捜査官」
 予想していなかった言葉がウォレンの口から出てき、リンが驚いたように運転席とバックミラーを交互に見やった。
「FBI捜査官?」
 ヴェラがオウム返しに尋ねれば、ああ、とウォレンが肯定する。
「――あなたも?」
 次いで聞こえてきた質問には答えず、ウォレンはバックミラー越しにヴェラを一瞥するに留めた。
 重ねて質問しても返答がないと判断したか、ヴェラが隣のリンを見、質問を転送する。
 付き合いが長いと思われていることはリンも分かったものの、ウォレンにFBIの知り合いがいることはリンとしても初耳であり、肩を竦めて返すのが精いっぱいだった。
 ヴェラに代わりに二つ三つ尋ねたいリンだったが、ウォレンの事情を全く知らない彼女の存在を考慮にいれれば、質問をすることは憚られた。
 やがて66号線に入ったらしく、速度が上がった車の後方、割れたリアガラスから聞こえる風の音が更に大きくなった。
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