IN THIS CITY

第5話 A Sense of Foreboding

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04 Come In Handy

 ウィルケンス通りの一角にあるバーのドアを開け、ウォレンがカルヴァートを伴って中に入る。
「お前の行きつけのバーか?」
 ドアを押さえながらカルヴァートが尋ねれば、曖昧な返事が返ってきた。
 新しい客に気づいたらしく、カウンターにいる女性が2人へ視線を向ける。
「メイス」
「ヘザー」
 軽く挨拶を交わす様子に、彼女がこのバーのマスターであることを推測しつつ、カルヴァートが店内を見渡す。
 客層は警戒するような雰囲気ではなく、比較的若い世代が多い印象を受ける。奥のビリヤード台ではすでに数名がゲームに興じているらしい。
「トムが探していたわよ」
「別に避けているわけじゃない」
 カウンターの前を通り際にウォレンが歩く速度を少しばかり落とす。
 前回訪れた際に常連客の1人とびリヤードで勝負をして負けたが、当時持ち合わせが心細かったため後払いにしているところだった。
「私に預けてくれれば渡すけど、どうかしら?」
「必要ない」
「信用ないわね」
 多少大げさに眉根を寄せるヘザーに軽く微笑を残し、ウォレンが奥のほうへと足を進める。
「何、お前、負けることあんの?」
 後ろから聞こえてきた質問に、ウォレンがカルヴァートへ心持ち向き直る。
「あんたが下手すぎるだけだろ」
 それを聞いて、ふふん、と口を開きかけたカルヴァートに対し、人差し指を立てて制止を入れると、
「十分、分かった」
 とウォレンが釘を刺した。
「しかしなんだな、お前が偽名を使ってないとこ見ると、マトモなバーっぽいな」
 周囲を見回しつつカルヴァートが呟くようにこぼせば、再び曖昧な返事が返ってきた。
 先客のいないビリヤード台に向かう途中、常連と思われる客が軽く挨拶を寄こしてきた。
「メイス、勝負するか?」
「いや、先約が」
 後ろにいるカルヴァートを親指で示し、ウォレンが断りを入れる。
「上手いのか?」
 続く問いにどう答えようかウォレンが迷った暫時の間に、
「驚くなよ?」
 とカルヴァートが返事をするのが背後から聞こえてきた。常連客からの感嘆の声を耳にしつつ、カルヴァートには悟られないよう、苦笑しながらウォレンが小さく首を振る。
 ビリヤード台についたところで、ヘザーがジンジャーエール持ってやってくると、それをウォレンに渡した。
「友人?」
 にこやかにカルヴァートを見やる彼女に、まぁな、とウォレンが返す。
 その彼が紹介の仕方に困らないよう、カルヴァートが軽く挨拶をしてヘザーと握手をする。
「カルと呼んでくれ」
「ヘザーよ。贔屓にしてくれると嬉しいわ」
「喜んで」
 カルヴァートの言葉に含みを感じ取ったか、ヘザーが左手の薬指の指輪を見せる。彼女の意思表示の滑らかさを見る分に、客のあしらい方は心得ているらしい。カルヴァートが多少残念そうな表情をしつつ、了解、と手で返す。
「飲み物は?」
「バドワイザーもらおうかな」
 承り、笑みを残して去っていく彼女の背中を見送ると、カルヴァートがウォレンに向き直った。
「いいね、彼女」
「旦那さんもいい人だ」
 温度のない口調ではあったが、特段問題のあるバーでもないことが分かり、カルヴァートが、そうか、と頷いた。
 酒が飲めないという割にはよくバーに足を運んでいるウォレンだ。とはいっても専らビリヤードかポーカーが目当てなのだろう。
 このバーのように無難なところではメイス・レヴィンソンで通しているらしいが、客層が物騒なところでは別の名前を使っていることをカルヴァートも知っている。もっとも、カルヴァート自身はレヴィンソンのほうを本名と認識しているところだ。
 いずれにしろウォレンが広い人脈を持っていることは確かで、カルヴァート自身もNY支局での捜査関係で世話になったことが何回かある。
 その際にウォレンに関する不穏な噂を耳にしなかったわけでもないが、決定打がないこともあり問い詰めることはせず、有耶無耶なままにしている。加えて、彼に多少の無理を聞いてもらった潜入捜査の関連で、後日面倒ごとに発展したらしい経緯がある。その件に関してはウォレンから何も言ってこないため、カルヴァートもまた何も聞かないでいるが、借りを作ったままの状態というのもいささか居心地が悪い。
 バーの様子をさり気なく観察しているらしいカルヴァートを一瞥し、ウォレンもまた、店内を見回す。が、相変わらず今夜もカーティスの姿は確認できなかった。
 むしろ今夜はそのほうが助かるか、と小さく息をつくと、ウォレンはキューを手に取った。
「そこまで自信があるならハンデなしでいいか?」
 ウォレンからの確認に、カルヴァートが十分な間を置いて口を開く。
「……んーっとだなぁ」
 さすがにハンデなしは、と頭を搔くカルヴァートの元に、ヘザーがバドワイザーの瓶を持ってくる。
「あら、メイスと勝負するの?」
「まぁね」
「上手いの?」
「絶賛上達中。ありがと」
 礼を言いつつ瓶を受け取れば、そう、と残してヘザーが去っていく。
「んで、だ。ハンデはいつものとおりで」
 ウォレンに向き直り、有無を言わせないような押しの強さを呈しつつ、カルヴァートが申し出た。
「……さっきまでの自信はどこに行ったんだ」
「うるせぇ」
 エイトボールで勝利条件はカルヴァートが2ゲーム、ウォレン6ゲーム、というのが今まで合意しているハンデである。
 仕方ないな、とウォレンはため息とともに了承を示した。


 カルヴァートの自信はあながち誇張されたものでもなかったらしく、確かに腕を磨いてきた様子が窺える。
 既に4ゲームを奪取しているとはいえ、この6ゲーム目もカルヴァートが有利で進められていることは認めざるを得ない。気づかれないよう息をつき、ウォレンは最初のゲームでいつものとおり手を抜いたことを少しばかり後悔した。
「最近はこっちに入り浸っているみてぇだけど――」
 手番となったカルヴァートが的球とポケットをコールし、手球の位置を再度確認する。
「――職はまだ転々としてんのか?」
「あんたならすぐ調べられるんじゃないのか?」
「まぁな」
 返しつつも、ウォレンのことだ、調査の手が入ってもあまり不可解な点がないよう、適度に仕事を見つけては働いているのだろう。
 出会った当初に『メイス・レヴィンソン』について一度だけ調べたことがあるが、特段目立った経歴はなかった。気になる点と言えば高校を中退した後に定職に就くまで時間が空いているところで、物騒な案件に対しても物怖じしない胆力はその時期に培ったと推測される。が、本人が不本意ながらも薬に頼っていた様子を知っているだけに、カルヴァートとしてはあまり踏み込むことはしたくなかった。
 また、『ウォレン・スコット』で調べても彼に該当する人物像は引っ掛からないところを見ると、IDを切り替えながらうまいこと捜査の網を潜り抜けていることを察することができる。
 いずれ本気で捜査に踏み切ることもあるかもしれないが、今は情報提供者として頼りになることもあり、カルヴァートとしては2つのIDを有していることも保留しているところだった。
「……言っておくが以前ほど役には立てないぞ」
 カルヴァートが見事に狙いの玉をポケットする様子を見つつ、ウォレンが呟く。
 その一言を耳にしたカルヴァートが、姿勢を正してウォレンに向き直った。
「なんだ、マトモな仕事一本に絞るのか?」
 返事はなかったものの、ウォレンの反応を見る分にその意向らしい。
「マジか」
 次の動作を取りやめ、カルヴァートが片足に重心を傾けて改めてウォレンを見やる。
「マジで?」
 二度目の声調には疑問のほか残念そうな音も含まれていた。
 後ろ暗い経歴の多いアレックスらの反応と真逆のカルヴァートからの反応に違和感を覚え、ウォレンが怪訝そうに彼を見やる。
「あんたから聞く声調じゃない気がするが……」
「いやお前のその絶妙に微妙な線上を行ってるところが俺としては結構便利だったんだけど」
「俺は普通に善良な市民をやってるだけだが」
 神妙な面持ちで告げるウォレンに軽く笑って返すと、カルヴァートは一度ビリヤード台に視線をやった。
「知ってっとは思っけど、俺に嘘つくの、重罪になるからな?」
 気をつけろよ、と言うカルヴァートの先、ウォレンが口元のみの微笑を短く切り上げる。
「そっか。まぁ、俺に止める権利はねぇ」
 そう述べつつカルヴァートが的球とポケットをコールする。
 ウォレンの存在はさしずめ奇貨といったところではあったが、どういう終わり方をするにせよ、長続きすることまでを期待していたわけではない。
 が、カルヴァートとしては正直なところ、転属したてということもあり、手札は多いほうが助かる。この近辺の事情にも精通しているだろうウォレンを手放すのは惜しいといえば惜しいところだ。
「マジで?」
 三度目になる確認に、ウォレンがカルヴァートを見やる。
 今夜は通りすがりに偶然声をかけてきただけのようだったが、ビリヤード以外に用事がなかったわけではないらしい。
「何か追ってるのか?」
「何、気になんの?」
「聞いただけだ」
 返しつつもつい最近、同じ言葉を口にした記憶があり、ふとウォレンが己に対して疑問を抱く。染み込んだ癖はどうも簡単には抜けないらしい。
 まだ記憶に新しいダグラスとの会話の中で出た500ドルが脳裏を過った直後、
「まぁ、ちょっとな」
 とカルヴァートの声が聞こえてきた。
 それ以上は何も言わず、彼が構えに入る。
 外すか、と思ったが的球をコールしていたポケットにまた入れ、彼のグループボールがなくなる。
 カルヴァートの腕を考えればそうそう拝める光景ではないため、ウォレンが感心の感嘆詞をこぼした。
 続けて何かコメントが欲しそうなカルヴァートの視線を受け、
「悪くないんじゃないか」
 と一応の誉め言葉を贈る。それに満足したか、カルヴァートが無駄に袖をまくり上げると大げさに腕周りの筋肉をほぐす動作をした。
「これで2セット、俺の勝ちは決まりだな」
「まぁ、これは外すほうが難しいだろうからな」
 コーナーのポケットに近い8番のボールと手球の位置を確認し、ウォレンが呟く。とはいうものの簡単に見えるところで思いっきり外すのがこれまでのカルヴァートであるため、勝機が消えたわけではなかった。
 大仰に呼吸を整える仕草を見せつけてきたカルヴァートが構える。
 緊張する場面でも力加減を調節することをようやく心得てきたらしく、カルヴァートが適切な力で手球を突き、8番のボールがコールしていたポケットに吸い込まれていく。
 その音を確認するかしないか、カルヴァートがキューを持ちながら両手を高く掲げてウォレンを見た。
「見たか!?」
「ああ」
「っし、初勝利!」
 大げさなガッツポーズと彼の声に、近くのテーブルでプレイしていた客が振り返る。カルヴァートがウォレンとの賭けに勝ったことを知ると、祝福の言葉を彼に述べた。
「なんだメイス、今日は調子が悪いのか?」
「いや――」
 4ゲームは取っているんだが、と言いかけて思い直すと、ウォレンは
「――まぁ、な」
 と認めるような発言に切り替えた。
 子供のように喜ぶカルヴァートの邪魔をしたくない気持ちがあったでもないが、むしろその後の、それはいいことを聞いた、という常連客のしたり顔のほうが待っていた反応である。
「ならチャンスか」
「おう、いいぞいいぞ。分捕ってやってくれ。これまでの俺の分も是非遠慮なく」
 調子に乗ってご機嫌なカルヴァートを横目に、他の常連客との勝負を引き受けつつ、ウォレンは手元のジンジャーエールを飲み干した。
 カルヴァートとの勝負には負けたが、どうやら他で稼ぐことはできそうである。
 ふと、カルヴァートが手を出してくる。その意味を理解し、
「前の分と相殺だろ」
 と淡々と告げれば、ため息をついてカルヴァートが視線を逃がし、バドワイザーの瓶を傾けた。
「やっぱさっき無理にでもチャラにしておくべきだったな……」
「言ったろ、同じ手は二度は食わない」
「違う手を考えとくか」
「どうでもいいが、次からハンデ条件を下げるからな」
 聞こえてきた勝利条件の変更案に、カルヴァートがウォレンを見る。
「お前さ、もっとこう、優しい心はないの? 俺が安定的に勝てるまで今の条件のままで、とか」
「いや、安定的に稼げる相手は用意しておきたい」
「かー。嫌な性格してんなー」
 バドワイザーを飲み干し、カルヴァートはポケットの財布に手を伸ばした。
 明日も仕事があるのだろう、今夜は上がるらしい。
「俺にツケておけ」
「お、そうか? そういうところはいい奴なんだけどな」
 カルヴァートは出しかけた財布を元に戻すと礼を述べた。
 入口へ向かい際に周囲を確認しつつ、彼がウォレンの隣にさり気なく立つ。
「……ニール・ヒラーの噂は?」
 小声で問いつつ、カルヴァートはウォレンを見た。
 名前はすぐに理解したものの特段の反応は表に出さず、ウォレンが口を開く。
「聞いたことはある」
「麻薬取引の関連で動きがあるらしくてね」
「彼の名前から麻薬の噂を聞くようになったのはここ1,2年だ。俺も詳しくは知らない」
「そうか?」
「ああ」
「ならどこで買ってたんだ?」
 カルヴァートの質問に苦笑を返し、ウォレンが彼と視線を合わせる。
「何度も言ってるだろ。あれから薬は止めている」
 無言でその言葉を受け取り、カルヴァートは隠すでもなくウォレンを観察した。NYに住んでいた頃は頼ることと断つことを繰り返していたらしかったが、確かに断って久しいらしい。
「そうか。無理は言わねぇ。が、何か聞いたら連絡くれ」
「引き止めないんじゃなかったのか?」
「言ったろ、お前ちょっと便利だから惜しいんだ」
 軽くウォレンの肩を叩き、カルヴァートは、じゃあな、と一言残すとヘザーにツケの件のほかにも何がしか声をかけてバーを去っていった。
 その背中を見送り、今し方彼から聞いた名前をウォレンが反芻する。
 ヒラーといえば、カイルの前任者であるモーリス・プレイガーの頃から因縁のある相手であり、ボルティモア近郊では主に武器密輸関連で名前が知られている人物だ。
 じりじりと縄張りをモーリスやカイルに奪われている彼としては、面白くない展開が続いていることは否めないだろう。昨年の秋口には何も動きはなかったようだが、その後についてはウォレンとしてもあまり積極的に情報を収集してきたわけではない。
 ヒラー絡みで何かが動いているか、と小さく息をつき、ウォレンはバーの店内に意識を戻した。カーティスとは会えなかったものの、かかっている靄は少し薄まった。
 イーサンの言う『動きがない』の定義がどこまで適用されるのか気になるところであったが、このくらいならまず彼に動きを悟られることはないだろう。
 隣の台の勝負が終わったらしい雰囲気を感じ取り、ウォレンがそちらに目を向ける。常連客の一人の、今夜は稼がせてもらう、という挑発を流しつつ、ウォレンはキューを手に取ると思考を切り替えた。


 エディー・ダンストが経営する車の修理工場は小規模ながらも活気づいており、冴えた春先の空気と空の下、作業音が響いている。
 その工場の一角では機械音を背景に、エディーと彼の部下で同じく新米パパであるダンが、携帯電話で撮影したそれぞれの娘の写真を見せ合いながら子育て談議に花を咲かせていた。
 そこからほど近いところに休憩用のテーブルと椅子が複数設けられており、そのひとつに間借りする形でアレックス、ギルバート・ダウエル、ウォレンの3名がポーカーに興じている。ギャンブル好きのエディーに声をかけられる形ではあったものの、彼自身は席を空けて久しい。
「今回ももらうよ」
 火花が散る音を耳にしながら、ギルバートがにこやかな視線を右手のアレックスに送るとテーブルの上に置いてあった自身のカードを裏返していった。
 その柄を確認し、
「あれ、おかしいな……」
 とアレックスが煙草を持っている手で軽くこめかみを掻けば、その振動でちらほらと灰が落ちた。
 彼の予想では、先に負けを認めて降りたウォレンはもとより、ギルバートの手札もかなりの高確率で分が悪いはずであった。
 どこで読みが狂ったかを考えるように記憶を遡るアレックスを他所に、ギルバートがテーブルの下でこっそりと左の拳を差し出す。
 その様子を感じ取り、正面に座るアレックスに気づかれないよう、ウォレンは表情を変えないまま最小の動作で右の拳をギルバートの左のそれに合わせた。
「あんたにしては珍しく調子が悪そうだな」
 ギルバートとの間に密やかな談合と手札の交換があった気配など微塵も見せず、ウォレンがしれっとコメントすれば、ギルバートが表情を抑えてアレックスを見やる。
「いや、――あーでもどうだろ。昨夜飲みすぎたかな……」
 何だろうね、と不可解そうにアレックスがテーブルの上に広げられたトランプを見やる。
「日頃の強欲のしっぺ返しでも受けているんじゃないか」
 言いながら、アレックスが『何か』に気づく前にギルバートがテーブルの上のカードを集める。その動作の途中にふと入口のほうを見やるが、相変わらずエディーはダンとの子育て話に夢中のようで、戻ってくる気配はなかった。
 関心が自身の不調に向いているアレックスと、集めたカードをオーバーハンドでシャッフルする満足そうなギルバートを確認し、ウォレンがおもむろに口を開く。
「――で、ヒラーの件の進捗は?」
 突如降ってきたウォレンの問いに、アレックスとギルバートが顔を上げ、お互いを疑いの目で見た。が、その後すぐさま、まずい動作だったとでもいうように両者が顔を隠すように半ば大げさに手を当てた。
「なるほど。その反応を見る分に、ヒラー絡みは確定だな」
 2人を交互に見ながら続けられたウォレンの言葉に、アレックスとギルバートは彼を一瞥すると、再度お互いを恨めし気に見やった。
「……そのあからさまな責任のなすり付け合い、止めてくれるか。見ていて痛々しい」
 いい年をした2人がお互い指をさしつつ、無言ながらも明らかに、相手の思うつぼに反応するからバレた、と言い合っている様子に、ウォレンが呆れたような息を吐く。
「あのね。お前さ、普通の生活に戻るって決めたんでしょ。首突っ込んでこないの」
 灰皿に煙草を押し付け、椅子に座り直りながらアレックスが牽制の眼差しをウォレンに送る。
「誰から引き出した? カーティスか?」
「いや、どうかな」
 言いながらアレックスが探るように目を細めてウォレンに視線を固定する。
「まぁカーティスだったら内容も話しているか」
「俺もそう思う。察するにイーサンかな」
 あのじーさんめ、とアレックスが忌々しそうに軽く舌打ちをする。
「なんだ、まだイーサンと会ってるのか?」
 棘を含んだギルバートの目と質問に、ウォレンが無人の左手に視線を逃がす。
「あーっと、いや――」
「嘘つきなさんな。この前イーサンから連絡あったから。ようやくお前の決心がついたみたいだって」
「……あんたらそういうことだけ密に連絡とるの止めてくれないか」
 大きく息をつきつつ、ウォレンが煩わしそうにアレックスを見やる。
 彼とダグラスの相性の悪さは認識しているが、時折それを疑いたくなるほど情報の交換がなされているのも承知している。このためどれだけのことを双方が把握しているのか読み辛いところがあった。
「彼と賭けたんでしょ? ちゃんと元の生活に戻りなさい」
「賭け?」
 単語に反応したギルバートの問いに、アレックスが頷いてウォレンを見やる。
「条件なんだったっけ?」
 賭けの話までアレックスに伝わっているとは思っておらず、ウォレンが怪訝な顔をしてアレックスに視線を返す。
「まさかとは思うが――」
「俺の500もかかってるからね」
「――あんたも賭けたのか……」
 何をしてるんだ、と呆れながらウォレンが椅子の背にもたれかかった。
「条件? 500?」
 興味を持ったらしく、ギルバートがシャッフルの手を止めて重心を前に持ってきた。
「半年、だっけ? とりあえず」
 アレックスの声に、ため息をついてウォレンが肯定する。
「半年こいつが大人しくしていたら俺らの勝ち」
 詳細な説明はなかったものの、なんとなく全容を掴んだらしいギルバートが、なるほど、と頷く。
「何もせず半年待つだけで1Kか。イーサンも策士だな」
 感心したようにこぼすギルバートに、アレックスとウォレンが揃って意味深な視線を彼に向ける。
「その賭け今からでも俺も――」
「ダメ」
「だめだ」
 ギルバートの申し出に、アレックスとウォレンの否定が見事に重なる。
「その息の合いっぷりを聞けるのもあと少しか。いや続くのかな?」
「黙りなさい」
「うるさい」
 再び重なった声に、アレックスとウォレンがお互い苛立たしそうに視線を合わせた。
「とにかく、お前は俺の500も死守する責任があるからね」
「俺はあんたの参加は了承していない」
「それはイーサンに言って」
「あんたら2人の間で閉じておけ」
「いやお前の今後の行動に結果が左右されるんだけど」
「知るか」
「死守してよ?」
「カーティスが俺を避けているらしいのはあんたの差し金か」
「まぁね。あいつどっちかっていうとお前を引き込みたいほうだからちょこっと脅しておいた」
「ヒラーが絡んでいるなら不思議じゃないだろ」
 人手が欲しいところじゃないのか、と暗に示すウォレンに、
「お前ねぇ……」
 とアレックスがため息をつく。その隣でギルバートが笑いながらカードをファローシャッフルした。
「しかし珍しいな、アレックス。お前が負け確定のほうに賭けるなんて」
「確定はしていない」
 強めにウォレンが言ったものの、アレックスとギルバートからは全く信用のない視線が返ってくるのみであった。
「……何が起きているのか聞いただけだろ」
「お前の性格からして聞くだけで終わるわけないでしょ」
「アレックス」
「説得しようとしても無駄だからね」
「しかし――」
「しかしもかかしもないでしょ。お前は蚊帳の外にいなさい」
 長くなりそうなやり取りの様子を感じ取り、まぁまぁ、とギルバートが間に割って入る。
「ウォレン、気になるのは分かるが、ここは無難にアレックスの言うことを聞いておけ」
 それ以上のことは言わず、ギルバートがウォレンを見据える。
 彼が言わんとしていることを理解できないわけではない。即時的に反論はせず、ウォレンは小さく息をつくと足を組み替えた。
 ふと、エディーとダンの会話が終了したらしい様子が視界の端に見て取れ、アレックスがさり気なくギルバートの様子を窺う。彼の手がカードを整えるのを感じ取り、アレックスはポケットに手を入れた。
 何か一言二言言おうとウォレンが口を開きかけたところで携帯電話の呼び出し音が鳴り、彼がポケットを探る。
 視線を落とし、近くで弱い風を感じながらその画面に表示されている数字を確認すれば、それはアレックスの番号であることが分かった。
 怪訝な顔をしてウォレンが正面を見るが、すでに発信者の姿がない。それだけではなく、右手に座っていたギルバートもまたいつの間にか席を立っていたらしかった。
 修理工場の入り口のほうを見やればそそくさと足早に去っていくアレックスとギルバートの姿と、入れ替わりにこちらに向かってくるにこやかなエディーの姿が確認できる。
 ここにきて、しまった謀られた、とウォレンがテーブルに肘をつき、手のひらで額の重さを受けた。
「悪い、悪い、つい長話しちまって。で、誰が一番儲けたんだ? ま、いいや。勝負は置いておいて、俺の娘の写真、見る? んもーすっごくかわいいんだけど俺困っちゃうどうしよう。見る?」
 当然肯定の返事が返ってくるものと信じ込んでいる幸せそうなエディーだ。断りを入れるのが心苦しくなり、ウォレンは顔を上げると苦笑しながら小さく息をついた。
「……今日既に見せてもらったが、知ってるよな」
「知ってる」
「3回ほど」
「知ってる」
「それでもまだ見せたいのか」
「見せたいっつーか、見たいだろ? な?」
 目に入れても痛くないほどかわいい、と表情を崩すエディーの様子を暫くの間見やった後、仕方ないな、とウォレンが体を起こす。
 待っていました、と言わんばかりにエディーがギルバートの座っていた席に腰掛ける。
「でさ、どれを壁紙にしようか迷ってるんだけど」
「まだ迷っているのか」
「どれがいいと思う?」
「……これとこれは同じじゃないのか?」
「微妙に違うって、な? こっちのほうが0.1秒ほど成長している」
「0.1秒」
「いや俺もな、どっちかだけ残そうって思ったんだけどさ、消せないよな、かわいすぎて。もー俺どうすればいいんだろ、容量なくなりそうなんだけど」
「そうだな……」
 先ほども似たような話を聞いていた記憶があるが、その際はダンが入ってきてくれたため切り上げられた会話だ。しかしながら今回は長くなりそうである。いろいろと諦め、ウォレンは心の底から嬉しそうなエディーの話に付き合うことにした。


 作業をしている顔馴染みに軽く挨拶をし、工場の外に出る際にギルバートがちらっと背後を振り返る。アレックスとの目論見どおりにエディーに捕まったらしいウォレンの姿を確認すると、
「上手くいったな」
 と安堵の息をついた。
「ま、基本引っ掛かりやすいからね、あいつ」
 楽勝でした、とアレックスが煙草の箱をポケットから取り出す。
「暫くエディーは親バカしそうだな」
「またあいつを犠牲にすればいいよ」
「同じ手は使えないぞ」
「まだ2,3考えはあるから」
 箱から煙草を1本取り出して口にくわえるアレックスが、問題ない、と自信に満ちた視線をギルバートに送る。それを受け、感心したようにギルバートが頷いた。
「頼もしいな」
「でしょ」
 足早に工場を後にする2人の先、カワラバトの群れが路上から羽音を立てて飛び去って行った。
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