IN THIS CITY

第5話 A Sense of Foreboding

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13 Excursion

 コートハウスにあるホールフーズの駐車場の一角、ウォレンが車の背後に回り、傷の具合を確認する。
 リアガラスやバックドアは勿論のこと、リアフェンダー等にも銃痕があり、修理の箇所は広範囲にのぼりそうであった。
 エディーに頼めばそう時間はかからないか、と考えつつ、近くに設置されている腰の高さあたりのガードレールに体重を預ける。
 ふと、ダグラスとの賭けの話が頭に浮かぶ。
 彼の耳に入るのも時間の問題かもしれないが、カルヴァートに頼み込めばウォレンの名前は出ないだろう。とはいうものの、あまり頼み事はしたくないところであり、どうするかな、とウォレンが僅かに項垂れ、地面に視線を落とす。
 ふと、足音が聞こえ、ヴェラが近くに歩み寄ってきた。
 音に出たか出ないかで短い挨拶を交わし、ヴェラが車の後部に目をやる。
 銃痕の多さを確認して動きを止め、彼女が一度口を結んだ。
「……さっきはごめんなさい」
 ウォレンに向き直り、ヴェラが掠れの入った声で詫びを述べた。
 一連の文句についてだろうことを察し、ウォレンが彼女を見る。
「気にするな」
 彼の一言を受けて、ヴェラは口元を緩めと改めて車をみやった。彼女の目には、先ほどウォレンが視線を落としていた理由が車の損傷具合であると映ったらしい。
 この件に巻き込んだのは自身であるとヴェラは認識しており、また先ほど空き巣に入った男について、アドバイスのとおり警察を呼んでいればこんな事態にはならなかっただろうことも理解していた。
「修理代は払うわ」
 申し訳なさそうに申し出れば、ウォレンが小さく首を振る。
「必要ない」
 相変わらず声に温色は含まれていなかったが、その冷静さに先ほどは救われたようにも思われる。
 とはいえ、相当な額にのぼりそうな修理代である。断られたことについて不思議に思いつつも、あまり押しても断られるだけと判断したか、ヴェラが、そう、と頷いた。
「……上院議員のスタッフじゃないわよね」
「違うな」
「何をしているのかしら」
 銃撃を受けても動じずに応戦していた姿を思い出して尋ねるが、ウォレンから答えは返ってこなかった。
 ジャーナリストとしての性か、突き止めたい衝動に駆られる。
 追加で質問をしようとしたところに、背後から身軽な足音が聞こえてき、ヴェラが振り返った。
 水を買いに行っていたリンが戻ってきた様子が確認できた。
「まだ来てない?」
 あの後、ウォレンが彼の言うFBI捜査官と落ち合う場所について連絡をとっていたことを念頭に、リンが尋ねた。
「もうすぐ着くだろ」
 ウォレンの返事に、そっか、とリンが呟く。
 そのまま歩みを進め、車の後部の状態を見た。
「うわー……」
 蜂の巣とまではいかないまでも銃弾の痕が生々しい様子に、リンの口から自然と言葉がこぼれ出る。
 相変わらず遠慮のない素直な表現にウォレンは小さく息をつくとリンから水の入ったペットボトルを受け取り、2人から離れた。
 無言で去っていった彼の背中をリンが怪訝そうに見送る。待ち合わせの相手が来ないか見に行ったのか、それとも気を利かせてくれているのか、考えを巡らせている間にヴェラが隣に来ていたらしい。
 跳ねた脈を悟られないように小さく咳払いをして誤魔化すと、リンはペットボトルを差し出した。
「……大丈夫?」
「ええ」
 礼を述べてヴェラが水を受け取る。
「ちょっとリアガラスの破片が髪に混ざっているくらいかしら」
 ペットボトルの蓋を開ける前にヴェラがショートボブの髪の毛を触る。1粒2粒まだ残っていたものを手のひらに乗せ、リンに見せた。
「あ、ほんとだ」
 試しにリンも髪の毛を払ってみれば、破片がぱらぱらと落ちてくる。
 その一部が背中に入ったか、リンがもぞもぞと体を動かした。
 ペットボトルに口をつけ、その様子を見ながらふっとヴェラが笑う。
「助かったわ」
 一言告げればなんのことか伝わらなかったか、上着の裾を外に出して破片を地面に落とすリンが目で疑問を返してきた。
「かばってくれたでしょ」
 先ほどの車の中のことを示せば、ああ、とリンが頷いた。
「どういたしまして」
 にっこりと告げるリンに、ヴェラもつられてほほ笑み返す。
「あ、別にヤマシイ気持ちはなかったから」
 続いて聞こえてきたリンの声に、ヴェラは水を飲むと瞬きをした。
 好意を持たれているのはヴェラも薄々感じ取ってはいたが、これで確信に変わった。不意に笑いそうになるのを堪え、逆に怪訝な表情を作ってリンを見れば、気まずそうにリンが目を逸らす。
「ごめん。忘れて」
 小さく呟かれた声に、そう、と返すとヴェラはペットボトルの蓋を閉めた。
 訪れた静寂に居心地の悪さを感じたか、リンがペットボトルの水を必要以上に飲んだ。


 66号線を降りて暫く車を走らせていれば、ミシェルがホールフーズの看板を前方に見つけた。
「あそこだな」
 助手席に座っていたカルヴァートも待ち合わせ場所を確認したらしく、指で示す。
 軽く相槌を打ち、ミシェルが指示器を出して車を駐車場に乗り入れた。
「いる?」
 駐車場を見渡すカルヴァートの目が、それらしい人影を捉える。
「奥だな」
 場所を認識しつつも、ミシェルはその近くまで車を進めることはせず、最初に見つけた、空いているスペースに駐車した。
 エンジンを切り、ミシェルが改めて駐車場の奥を見やる。照明が届くか届かないかの場所でこちらを向いて立っている人物がいるが、顔までははっきりと確認できなかった。
「彼があなたのCI?」
「だな」
 待ち合わせの相手はカルヴァートの情報提供者である。当然彼は駐車場の奥で立っている人物とは面識があり、この距離でも確認できるのだろう。
「協力的みたいね」
「まぁな」
 答えつつも、そういえばウォレンのほうからあまり頼みごとをされた記憶はないな、とカルヴァートが小さく息をつく。
「……マトモに生きようとしている。紹介はできねぇ」
 関心を示したらしいミシェルに告げれば、彼女がふと笑った。
「肩を持つのね」
「まぁな」
「向こうは?」
 尋ねられ、さて、とカルヴァートが軽く首をひねる。
「俺はともかく、局は嫌われてるかな」
「でしょうね」
 協力的とはいえ情報提供者であれば違う側の人間である。それを念頭に置いたミシェルの発言に、カルヴァートが僅かに苦く笑った。単にそれだけの理由でFBIを嫌っているわけではなさそうに感じられるが、込み入った話はあまりしたことがない。
「ま、それでいいわよ。転職も考えているし」
 検事局への転職の話はカルヴァートも聞いているところだ。そうだな、と頷き、
「待っていてくれ」
 と一言残すとカルヴァートは車の外に出た。


 1台の車が駐車場に乗り入れてくる様子を見、ウォレンがその方向を見やる。
 空いたスペースの一角に停められた車だったが、人が降りてくる様子はなかった。
 カルヴァートが到着したのだろうことを察し、ウォレンが自身の車のボンネットから腰を浮かせる。
 ふと、携帯電話に振動があった。
 開いてみればギルからのテキストであり、先ほどヴェラの部屋に侵入していた男がこの近辺を縄張りにしているD13という麻薬密輸組織に属しているらしい情報が簡潔に述べられていた。
 通常であれば、相変わらず仕事が速いと感じるところだ。
 今回ばかりは間に合わなかったか、と弱く苦笑をこぼし、ウォレンは先ほどの追跡劇については触れず、一言、礼を送り返した。
「大麻の栽培だって?」
 ふと、前方から声がかかってき、ウォレンは携帯電話をしまうとカルヴァートのほうへ顔を上げた。
「以前室内栽培について話をしていたろ」
 それを聞き、カルヴァートがざっと記憶を辿る。確かに以前、潜入捜査に協力してもらった際に話した記憶がある。
 そうだな、と頷きつつカルヴァートが距離を詰め、歩みを止めた。
「で、グリーン・レスキューが関わっているってか」
「まぁ大麻も緑だからな」
 聞こえてきた言葉の意味を捉えきれず、カルヴァートが僅かに目を細めて確かめるようにウォレンを見やった。
「外で栽培したほうが緑を救済できそうだけどな」
「いや問題はそこじゃねぇよ」
 意味を理解したカルヴァートがあまり間を置かずに告げれば、そうか、とウォレンが頷いて同意する。
 会話がなされていることに気づいたか、車の後方にいたリンとヴェラがやってきた。ウォレンがそれを確認し、2人にカルヴァートが見えるよう若干後退する。
「さっき話した奴だ。ブライデン・カルヴァート」
「カルって呼んでくれや」
 軽く手を上げ、カルヴァートが2人に挨拶する。
「ヴェラ・ダリーゴ。彼女が資料を持っている」
 事件の概要についてはここに来る間に電話連絡にてカルヴァートに共有済みである。運転中の通話だったが、大目に見てくれるだろう。
「合法的に入手したわけじゃないけど……」
 デズモンドはグリーン・レスキューに所属しているとはいえ、許可を得て資料を持ち出したとは考えられない。後ろめたい気持ちを抱えつつ、ヴェラがカルヴァートを見る。
「まぁ、それはなんとかする」
 大した問題ではないようにカルヴァートが答えれば、ヴェラの表情から固さが薄れた。
 ふと、カルヴァートがリンのほうを向く。
「お前は?」
 尋ねつつもバーにウォレンと同席していた1人であることは承知していた。
「リン・ウー」
 とりあえず名前を述べ、リンがカルヴァートとウォレンを交互に見やる。
 それを窺いつつカルヴァートもまたウォレンを見やった。
「……運悪く巻き込まれただけだ。便宜を図ってくれ」
 全容は話さず含みを持たせてウォレンが告げれば、訳ありか、とカルヴァートが頷く。
「とりあえずオフィスに来てもらうかな」
 言いながらカルヴァートがミシェルの待つ車のほうにつま先を向ける。
 促されているのがリンとヴェラだけなことを知り、
「彼は?」
 とヴェラがカルヴァートに尋ねる。
「ああ、そいつには俺が後で話を聞く」
 納得いかなかったか、ヴェラがウォレンを見やった。
「そういうことだ」
 行け、とウォレンが促せば、疑問に思いながらも言うとおりに動くべきと判断したか、ヴェラが僅かに頷いて踵を返した。
 去っていく彼らの背中を見送り、ひとつ息をつくとウォレンは再びボンネットに腰を下ろした。
 3人が向かう先、カルヴァートが戻ってくる様子を見てとったのだろう、ミシェルがエンジンをかける。
 明かりがついた車を見つけ、それに乗ることをヴェラが予想しつつ、先を行くカルヴァートの背中に視線を向けた。
「彼は何者なの?」
「ん?」
 振り返るカルヴァートに対し、ヴェラが軽く目と頭をウォレンのほうに向けて彼のことを示している旨を伝える。
「ああ、俺の部下。……的な」
 言った後で、ウォレンの耳に入ったら怒られるな、とカルヴァートが考える。
「まぁこれは内緒にしといてくれや」
 その追加の一言が別の意味として働いたか、リンの耳が、なるほど潜入中なのね、という小さなヴェラの声を拾った。
 思わずリンが後方を振り返り、どこか周囲に注意を払っているウォレンの姿を確認する。一瞬同意しそうになったものの、昨年の事件を思い出し、やはりそうである可能性はないことを認識する。
 とはいえヴェラが都合よくウォレンのことを潜入捜査官と思い込んでいるのであればそれに越したことはないだろう。
「お前、あいつとはどこで出会ったんだ?」
「へ?」
 考えていたことが丁度昨年の雑木林での場面のことであり、突然降ってきたカルヴァートの質問にリンの脈が一瞬跳ねた。
「え、誰と?」
 振り返ったカルヴァートがウォレンを目で示す。
「あ、メイス? えーっと――」
 リンの口から発せられた名前を聞き、カルヴァートが彼は一般人であると認識した。
「――バーだけど」
 先ほどのバーであることを推察し、カルヴァートが、そうか、と頷く。
「ビリヤードで勝負してんのか?」
「いや、彼強いから勝負にならなくて。ときどき教えてもらうくらいかな」
「教えてもらう?」
 意外に思ったか、カルヴァートが思わず足を止めた。
 次いでウォレンを見やるが、当然のことながら距離的にも彼からは返答はない。
「あいつに?」
 重ねられた質問に、リンが怪訝な顔をする。
「ええ」
「え、巻き上げられてねぇの?」
「巻き上げられる?」
 何のことか見当がつかない様子のリンを見、
「……あの野郎」
 とカルヴァートは小さく息をついてウォレンに一瞥をくれると、再び歩き始めた。
 ウォレンがビリヤードで賭け勝負をしていることはリンも承知している。それとカルヴァートの反応を考慮に入れれば、大方いいカモにされているのだろうことが推察できた。
 捜査官相手によくやるな、と軽く眉を動かし、リンはヴェラと共にカルヴァートの背中を追った。
 3人が近づいてきたことを確認し、ミシェルがエンジンはかけたままに、運転席から降りた。
「ヴェラとリンだ」
 カルヴァートが簡単に2人を紹介してき、ミシェルが彼らを交互に見る。
「ミシェル・ドーソンよ。よろしくね」
 はきはきとした彼女の口調に頼もしさを感じ、リンとヴェラもまた簡単な挨拶を返した。
「概要は窺っているわ。行きましょうか」
 後部座席に2人を誘導する。
 リンがヴェラを先に乗せ、次いで自身が乗り込んだ。
「また後で」
「おう」
 ミシェルが運転席に戻り、カルヴァートが数歩下がって車の進路から外れる。
 駐車場から出て走り去っていく車を見送ると、カルヴァートは踵を返してウォレンのほうへ向かった。
「サブマシンガンでやられたってか?」
 尋ねながら車の後部に向かえば、ああ、とウォレンが肯定してきた。
「あー。こりゃけっこう派手にやったな」
 多数の銃弾を受けた様子を確認し、カルヴァートが腰に手をやる。
 本部の同僚には先のカーチェイスと銃撃戦について一報が入っていることをミシェルから窺っており、彼女の口からカルヴァートの情報提供者が関係していることも本部に伝わっている。
 また、追跡を行いトラックと衝突したD13のメンバーについては病院で治療を受けているところであり、銃創を負っている人物が1名いることも聞き及んでいる。
「車は押収されるのか?」
 聞こえてきたウォレンの質問に、カルヴァートが彼を見る。
 ウォレンにはボルティモア支部での仕事のほうで協力を申し出ているところだ。そのことを持ち出せば彼の存在は表に立つことはないだろう。
「口添えしてやろうか?」
 一言提案すれば、ウォレンが小さく息をついた。
「……いい。あんたにはあまり借りを作りたくない」
 貸し借りについてはカルヴァートのほうが借りが多いと感じていたところだ。が、ウォレンの認識はそうでもないらしい。意外に思いつつも都合がいいため彼の認識を改めることはせず、カルヴァートは、そうか、とこぼすに留めた。
「まぁ条件ナシで口添えしておいてやるよ。で、許可証は?」
 ウォレンからの電話で、彼が4,5発、応戦したことは聞いている。こちらもミシェルが本部から聞いた情報と齟齬はない。
「持っている」
「どこの?」
「メリーランド」
 頷きつつ、現在地がバージニア州であることを認識し、カルヴァートが許可証の州間での互換性について記憶を辿る。
「お前18歳は超えているよな?」
 尋ねてみれば、互換性のことについての質問と理解したのだろう、ウォレンが頷く。
「記憶が正しければかなり前に」
「ならまぁいっか」
 語尾に重なるように着信があり、カルヴァートが電話に出る。
「ミシェル?」
 ウォレンに背を向ければ、彼もまた、距離を取るように背を向けて数歩下がっていった。
 ミシェルの言葉を聞いていたカルヴァートが、ウォレンのほうを振り返る。
 その気配を察し、心持ちウォレンもカルヴァートのほうを見た。
「――他の奴に頼めないか?」
 聞こえてきたカルヴァートの声に、あまりいい予感はせず、ウォレンが苦い顔をする。
 通話を終了したカルヴァートが一息つき、ウォレンを見やった。
「ちょっと付き合え」
「断る選択肢は?」
「ない」
 予想はしていたのだろうが、ひとつ大きくウォレンがため息をつく。
「……寒いぞ」
 車の後部を顎で示し、ウォレンが運転席に向かう。
 再度後部をカルヴァートが見やり、割れているリアガラスを確認する。
「まぁ近いから大丈夫だろ」
「どこだ?」
「セブン・コーナーズ。詳細は追って知らせてくる」
 そうか、と諦めたように呟き、ウォレンが運転席に乗り込む。
 軽く笑い、カルヴァートは助手席のほうへ向かった。


 診療所の外側の階段を上り、玄関のドアを開けるとクラウスはエリザベスに先に入るよう促した。
 居間の電気をつけてアンソニーの書斎兼寝室の方向を見やれば、明かりがついたままであることが確認できる。
「まだ起きてるみてーだな」
 独り言のように呟き、エリザベスを伴って書斎のほうへと向かった。
「入るぞ」
 断りを入れれば、どうぞ、と返ってくる。
 ドアを開けて中に入り、クラウスが心持ち後ろを振り返った。
「おや、エリザベス」
 ベッドの上で医療系の雑誌を広げていたアンソニーが挨拶をし、眼鏡を外した。
 短く挨拶を返し、エリザベスが彼に歩み寄る。
「腰を痛めたって聞いたけど、大丈夫?」
 彼女の言葉を聞き、アンソニーが無言のままクラウスを見やった。
 その先でクラウスが肩を竦めてみせる。
「大丈夫。みんなして年寄り扱いするね」
「片足突っ込んでるだろ」
 クラウスから容赦なく言葉が返ってき、アンソニーが口を結んで彼を見る。
 2人のやりとりを受け、ふふっとエリザベスが笑った。
「無理しないで。必要なら明日明後日、空いている時間に来るわよ」
「ありがとう。昼はウォレンが来てくれているから大丈夫だよ」
「彼が?」
 尋ね返しながらもそういえば、先ほどクラウスとそのような会話をしていたようにも思われる。
「ならアルバムもあいつと来るときでいいんじゃないか」
 クラウスが提案をしてみるが、エリザベスは即座に首を振った。
「絶対見せてくれないから」
 聞こえてきた言葉に、そうだな、とクラウスが頷く。
「アルバム?」
 アンソニーの疑問に、クラウスが近くの棚にしまってあった写真のアルバムを手にする。
「ああ」
 納得したらしいアンソニーが短く笑う。
「かわいかったんだよ、2人とも。今はこんなだけど」
 アンソニーの言葉は真面目に受け取らずに流し、クラウスはアルバムを開くと写真の確認作業に入った。
「何してるの?」
「下手に撮られた写真の除去」
「そんなのあったっけ?」
「親父はシャッターを押すタイミングが悪ぃんだよ」
「そうかなぁ」
 割とうまく撮れていると思うんだけど、とアンソニーが反論するが、クラウスから同意を得ることはできなかった。
 アンソニーの不満は他所に、クラウスが、そういえばこんなこともあったな、と過去を思い出しつつざっと写真に目を通す。状況は激変したものの、修正できそうな見通しとなり、落ち着いて振り返ることができた。
 あまり見せたくない自身の写真のほか、どうするか迷ったものの、一応ウォレンが渋い顔をしそうなものも取り出す。
「そんなに取ったら残らないんじゃない?」
「うるせー」
 まぁいいか、と思えるところまで作業を続けるとアルバムを閉じ、
「ほら」
 とエリザベスに差し出した。
「ありがとう」
 礼を言いつつ、3冊まとめてエリザベスが受け取る。
「久しぶりに私も見ていいかな」
 雑誌を近くに置くアンソニーを振り返り、ええ、とエリザベスは答えると、ベッドの近くにあった椅子を移動させた。
 上体を起こそうとしたアンソニーが、腰に負荷がかかったらしく痛そうな顔をする。アルバムを近くに置き、エリザベスがその動作の補佐をした。
「俺は向こうにいる」
 彼女の動作に無言で感謝しつつも2人に対して一言告げ、クラウスが書斎を後にする。
 彼を見送り、アンソニーが近くに置かれたアルバムに手を伸ばす。
「これが一番古いかな」
 確認し、それをエリザベスに渡した。
 小さく礼を言い、エリザベスはひとつ呼吸の時間をとるとアルバムを開いた。
 早速、幼い男の子2人が写った写真が目に入ってくる。
「本当に長い付き合いなのね」
「そうだね。ウォレンが5,6歳の頃からかな」
 聞きながらエリザベスがページをめくる。
 長らく喧嘩していたと聞いていたが、この写真や今の2人を見ているとそんなことが本当にあったのか疑いたくなるところだ。
「これは、そこの居間?」
「そう。日常的なところも残しておきたかったからね」
 ピザをほおばっているウォレンとクラウスだが、カメラを向けられているとは思っていなかったのだろう様子が写っている。シャッターを押すタイミングについては、どうやらクラウスの認識が正しいようであった。
「アレックスは?」
 そういえば1枚も写っていない、とエリザベスが尋ねた。
「彼は常に一歩退いていたからなぁ」
 そう答えたアンソニーが、ふと、アレックスと相談した話を思い出す。
「アレックスも私も、ウォレンさえよければ、彼を養子に迎えてもよかったんだけどね」
 弱くこぼしたアンソニーに、エリザベスが視線を向ける。
 実際に迎えていないところをみると、ウォレンが拒んだのだろう。
「父親が2人いたような感じだったのかしら」
 エリザベスの言葉に、そうだね、とアンソニーが微笑む。
 再びエリザベスがアルバムに視線を落とす。
 成長の記録がしっかりと残されているところを見れば、2人がアンソニーに大切に育てられてきたことが伝わってきた。
 3冊目に入ったあたりから、今のウォレンの面影が濃くなってきたように思われる。
「あ」
 ふと、エリザベスが先ほどバーで聞いたキャンプ場の写真を見つける。
「リトル・ベネットね?」
「そう。よく知ってるね」
「地元なの」
 それはそれは、とアンソニーが微笑む。
「それなら、ひょっとしたらすれ違っていたかもしれないね」
 アンソニーの言葉に嬉しそうに、そうね、とエリザベスが返す。
 キャンプを楽しんでいる2人の姿のほか、2人のうちどちらかが撮影したのだろう、ソーセージを焼くアンソニーの姿も写っていた。
「羨ましいな」
 ふと聞こえてきた声に、アンソニーが顔を上げる。
「私は母はいたけど、家族としてのいい思い出はないから」
 独り言のようにこぼすエリザベスに、アンソニーが柔らかな表情を向ける。
「……お母さん、行方不明だったね」
 ええ、とエリザベスが頷く。
「探していると聞いたよ」
 間を置いて再び、ええ、とエリザベスは頷いた。
「……本当に探しているのか、義務的に探しているのか、ときどき私自身も分からなくなるの」
 無事でいるか心配になるときもあれば、放っておいていいのではと思うときもあるのが実際のところだった。
「また会えた時に分かるんじゃないかな」
 穏やかに告げられたアンソニーの言葉に、エリザベスが顔を上げて彼を見る。
 結局はその時正しいと思うこと実行するしかできないのであれば、母親を探すためにあちこちに足を運んだことはエリザベス自身の本心なのだろう。
 そうね、とエリザベスが小さく同意する。
 再び、彼女がアルバムをめくる手を進める。
 次のアルバムを、と思ったが、アルバムを置いていたところに次の冊子はなく、すでに3冊に目を通したことを知る。
 3冊目の最後のページをもう一度見る。写っているウォレンの面立ちから、15,16歳あたりの写真だろうか。
「この後はないの?」
 クラウスが大学に進学し、集まる機会が減ったのだろう、と軽い気持ちでエリザベスが尋ねた。
 が、彼女の推測に反し、アンソニーは言葉に詰まったような表情をしていた。
「……彼から聞いていない?」
 逆に尋ね返され、何のことかエリザベスが考えを巡らす。
 ウォレンの過去の話はちらほらと聞いたことがある。時期的にはクラウスと喧嘩した頃なのだろうか。
「クラウスと長らく連絡をとっていなかったことは聞いているわ」
 答えながらふと、原因については聞いていないことに気づく。アンソニーの目を見れば、彼が理由を知っていることを察することができた。
「何が――……」
 言いかけたエリザベスが、聞いていいものか思い直して口を噤む。
 少しばかり頭を掻いたアンソニーが、重たそうに口を開いた。
「……詳しいことは一切話してくれていないけどね」
 一度視線を落とし、アンソニーが続ける。
「半年ほど、連絡が取れなくなったんだ」
 耳に入ってきた言葉に、エリザベスが瞬きをする。
 明確には表現されていなかったが、何か好ましくない事件があったことだけは伝わってきた。
「……半年後、無事に戻ってきたことは聞いたんだけどね。それから何年か、ここには帰ってこなかったな」
 記憶を辿るようにアンソニーがどこへでもなく目を向ける。
 その様子に、あまり深く尋ねないほうがいいと感じ取ったか、エリザベスは無言のままアルバムに視線を落とした。
 何かが引き金となって危ないことをしているのだろうとは考えていたが、それがこの最後の写真の頃だろうことを知り、エリザベスがそっと手を添える。
 写真に写るウォレンは、まだ幼さの残る顔をしている。
 どんなことが彼の身に起こったにせよ、平気でいられるような年齢とは思われず、穏やかではない感情がエリザベスの背中を走る。
「最近は表情も柔らかくなったかな」
 聞こえてきたアンソニーの声には明色が含まれており、はっとしてエリザベスが顔を上げた。
「君に感謝しないとね」
 続いて聞こえてきた彼の言葉を受け取り、僅かに口元を緩めると弱く首を振り、エリザベスは再び視線を手元のアルバムに向けた。


 明日もまた様子を見に来ることをアンソニーに告げ、短く挨拶をするとエリザベスは書斎を出、居間に向かった。
 ソファに座っていたクラウスがその様子を感じ取り、エリザベスに顔を向ける。
「帰るか?」
 尋ねながらクラウスがペンと雑誌をテーブルの上に置く。恐らくクロスワードパズルでもしていたのだろう。
「ええ」
「タクシーを拾うまで送る」
 立ち上がるクラウスに、
「ありがとう」
 とエリザベスが礼を述べた。
 クラウスが玄関の鍵を手に取り、ドアノブに手をかける。
「クラウス」
 背中に呼びかければ、彼が振り向いた。
 いつもと変わらない表情に、アンソニーとの話はクラウスには届いていなかったことを知る。
 10年前に何があったのか尋ねようとしたエリザベスだったが、やはり本人がいない状況で過去を探るのは憚られた。
「何でもない」
 首を振れば、そうか、とクラウスが頷く。
「PCATの準備は始めているのか?」
「夏が過ぎたらぼちぼち、かしら」
「最近受けた知り合いもいるから、何か必要だったら言ってくれ」
 そう告げるとクラウスは玄関のドアを開けた。
「ありがとう」
 礼を告げれば、大したことではないとでもいうように、クラウスから短い返事が返ってくる。
 どこかウォレンと似たような雰囲気を持っていると思いつつ、エリザベスもまたクラウスの背中を追って外に出た。
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