02 The Youngs
刻んだパプリカを散らし、最後にトマトを添えると朝食用のサラダの準備が整った。いい色合い、と満足すると、シェリはそれをテーブルへと運ぶ。
「おはよう」
床の軋む音とともに朝の挨拶が聞こえ、シェリは振り向いた。
「おはよ。あとベーコンエッグを作るから、座って待ってて」
ジュリアスの側をとおり際に軽くキスを交わし、シェリはキッチンへ戻った。
「――JJは?」
問われ、シェリは視線を落とすと曖昧な返事をした。
「……まだ不機嫌なのか?」
「仕方ないわよ。JJも年頃だわ」
「それはそうかもしれんが、学校にも行かないようでは困る」
「学校にはちゃんと行っているわよ?」
「だが遅刻しているだろ」
「うーん」
「俺が行って起こしてくる」
JJの部屋へ向かおうとするジュリアスだったが、その手を握られ、シェリに待ったをかけられる。
「でも――、私たちがあまり言い過ぎると、かえってよくないかも」
「何に対して機嫌が悪いのかも分からない状況じゃ、いいも悪いもない」
「そうかもしれないけど、あの年頃は親から何か言われるのが嫌な年頃でしょ」
違うかしら、と上目遣いに尋ねてくるシェリに反論できず、ジュリアスは溜めた息を吐いた。
「JJはまだ10代よ。あなたはそのとき、物分りよかったかしら?」
「だがな、何も話してくれないようじゃ問題だ」
ジュリアスの言葉に、口元を引き締めて暫く考えた後、シェリは彼を見た。
「……話しづらいこともあるわよ」
「――シェリ」
「大丈夫よ」
にっこりと笑い、シェリが続ける。
「少し、1人で考える時間をあげたいの」
「しかしだな――」
「まだ怪我も完治していないし、夜はちゃんと帰ってきてくれるし。ね?」
楽観的なシェリに対し、年頃の子どもほどうっかり道を踏み外しやすい、とジュリアスが告げようとしたとき、玄関より来客を知らせるチャイムが聞こえてきた。
2人共にその方向を見る。
朝のこの時間帯に来る客といえば、1人しか思いつかない。
「カルヴァートか」
やれやれ、とジュリアスが息を吐き、いつもの騒がしさがないことを少しばかり疑問に思いつつも玄関に向かう。
「1人分、追加ね」
ジュリアスの背中に投げかけ、シェリは2階をちらっと見上げた。
JJは起きてはいるのだろう。だが、降りてくる気配はなかった。
ジュリアスには大丈夫と言ったものの、シェリの中にも、JJが突然無口になったことに対する不安が存在する。
何があったのか聞いても、何でもない、という答えしか返ってこない。
強いてでも何があったのか聞き出すべきか、しばらくそっとしておくべきか。
その判断がシェリにはまだつかないまま、時間だけが経っていた。
「カル、朝メシなら――」
ほぼ毎日のようにシェリの作った朝食にありつこうとやってくる友人の姿を予想しつつ、ジュリアスは念のために覗き穴から外の様子を窺った。
が、そこに予想していた人物ではない姿を見、言葉を切った。
回しかけた鍵を閉めなおそうとしたが、それも途中で止める。知らない人間であれば適当に追い返すところだが、顔には見覚えがあった。
一瞬の判断の後、ジュリアスはドアを開けた。
その音に、ウォレンは他所を向いていた視線を前に戻した。
ドアを開けた人物が怪訝な表情で見下ろしている。
こんなに大柄だったか、と少しばかり威圧を感じつつ、ウォレンは軽く挨拶をした。
「ジェイ、で合ってるか?」
確認に、ああ、と答えた後、ジュリアスは目の前の若い男とどこで会ったのかをようやくに思い出した。
「お前は昨日の――」
「ああ。昨夜は助かった。礼を言う。それと――」
上着から紙幣を数枚手に取ると、ウォレンはジュリアスに差し出した。
「――借りた金だ」
紙幣を受け取り、ジュリアスは暫くそれを見た後、ウォレンに視線を転じた。
「昨夜の今朝とは、律儀な奴だな」
「覚えている内に返そうと思っただけだ。時間が経つと気が変わる」
その回答を受け、ジュリアスは軽く肩を揺らして笑った。
「大した金額じゃないのにか?」
「知らない人間にやるとしたら、大した金額だと思うが」
返ってきた言葉を耳にしつつ、ジュリアスは手元に視線を移した。
昨夜のバーでのことだ。
どちらが始めた喧嘩かは分からない。だが、倒した相手から金目のものを奪って逃げていった輩を観察する分に、今目の前にいる若い男に非があるとは思えなかった。
とんだ災難だったな、と、いわば善意で貸した金だ。
目の前の若い男は遠慮をしてなかなか受け取らなかったため、返し先の住所を教えて握らせたものの、所詮はバーでのやりとりだ。まさかに返ってくるとは思ってもいなかった。
「それじゃ」
一言を残して去ろうとするウォレンの背中に、ジュリアスは待ったをかけた。
正直者のようだが、バーで印象を受けたとおり、どうも素っ気ない。
「被害届は出したのか?」
「いや」
「殴られた上に盗まれたんじゃ、踏んだり蹴ったりだろ」
喧嘩の痕が見える口の端を示しつつ、ジュリアスが告げる。
「はした金だ。それに出したところで戻ってくるわけじゃない」
「そうだな」
ジュリアスが頷いている間にも、ウォレンは踵を返そうとしていた。
「待ち合わせでもあるのか?」
更に問いかければ、怪訝な表情が返ってきた。
「やけに急いでいるじゃないか」
紙幣をポケットに入れつつ、ジュリアスは自身の立っているところからウォレンまでの間にできた距離を顎で示した。
それを見、ああ、とウォレンが口を開く。
「金は返した」
「ああ。受け取った」
紙幣を入れたポケットを叩き、ジュリアスはドア枠に寄りかかった。
「もう一度言うが、昨夜は助かった」
「その言葉も受け取った」
「――で、帰るところだ」
片手のひらを広げ、ウォレンが告げる。
そうだな、と頷きつつ、ジュリアスは表情を崩した。
「お前、名前は?」
60度ほどつま先を回転させたところで質問が届き、ウォレンは動きを止め、ゆっくりとジュリアスのほうへ振り返った。
一瞬迷ったものの、名乗らない理由は見あたらない。
「……メイス」
小さく息をつき、幼い頃より使用してきたIDのほうで回答する。
「ラストは?」
「レヴィンソン」
そうか、と頷き、ジュリアスはドア枠から体を離した。
「俺はジュリアス・アーサー・ヤングだ。皆は頭をとってジェイと呼んでる」
言いながら右手を差し出せば、少しばかりの間を置いてウォレンが歩を戻し、ジュリアスの手を握った。
「また金を盗まれたらいつでも言ってくれ。今度は利子つきで貸す」
ただし、とジュリアスが付け加える。
「最近は何かと物騒だからな。その場のノリで喧嘩するのは止めとけ」
それには答えず、ウォレンは口元を少し緩ませると手を離した。
「ジェイ?」
去ろうとしたときに家の中から女性の声がし、ジュリアスとウォレンが揃ってその声の主を見る。
カルヴァートにしては玄関先での会話が長すぎると思ったのだろう。様子を見に来たシェリが、ウォレンを見つけた。
「お知り合い?」
「まぁな。昨夜金をちょっと貸したんだが、その返金に来たところだ」
「あら」
そうなの、とシェリが微笑んだ。
「シェリ、メイスだ。メイス、妻のシェリだ」
「わざわざ来てくれたのね、メイス」
柔らかな表情のシェリに対し、ウォレンも微笑を返した。
「どうかしら。時間があるなら、入っていかない?」
家の中を示すシェリに、ジュリアスも目で同じ案をウォレンに投げかけた。
「いや、借りた金を返しにきただけだ」
「遠慮するな。丁度朝食をとるところだ」
後退してドアを広く開けるジュリアスを見、ウォレンは疑問をそのままに顔に出す。
「……あんた、お節介が好きなのか?」
それを聞き、シェリが、言われちゃった、と笑いに含めながらジュリアスを見た。
その様子から、どうやら当たりらしい。
「かもな。だが、気に入らない奴を招いたりはしない。お前は合格点だ」
ジュリアスの言葉に、それはどうも、と多少ありがた迷惑そうにウォレンは頷いた。
「ごめんなさいね。主人はちょっと、強引なところがあるから」
「強引とはなんだ。強制はしてないぞ」
「はいはい、あなたは黙ってて」
ジュリアスをなだめ、シェリはウォレンに振り向いた。
「でも折角の縁だわ。コーヒーだけでもいかがかしら」
彼女の誘いに似たもの夫婦であることを悟り、ウォレンは視線を逸らして小さく苦笑った。
「……それなら、1杯もらおうかな」
降参してそう告げれば、ジュリアスとシェリが微笑み、どうぞ、と中へ招き入れた。
夫婦揃って人が好いらしい。
彼らに続き、ウォレンは家の中に足を踏み入れた。
シェリが向かう方向から、ワッフルの香りが届いてくる。焼きたてのようだった。
玄関脇の棚へふと視線をやれば、家族写真が飾ってあった。どうやら、息子が1人いるらしい。
「ときにメイス」
奥へ進みながらジュリアスが振り向き、ウォレンは写真から目を離した。
「お前、酒は苦手だろ」
質問に対し、否定はせずにウォレンはジュリアスを見た。
「何でバーにいたんだ?」
「バーに入ったらグラスを空けないといけない法律でもあるのか?」
「いや、ない。だが苦手なものを無理して飲んでいたのが不思議でな」
足を止め、ジュリアスはウォレンに向き直った。
「そんな体質であんなところに入るとは、自らトラブルに巻き込まれようとしているようなモンだ」
口元は微笑しているものの、覗き込むようなジュリアスの視線を受け、ウォレンは黙ったまま彼の目を見返した。
「……あの金は同情から出たのか」
「そう悪く受け取るな。俺も若い頃は色々とやったもんだ。ただ、少し気になってな」
覗き込むような姿勢を止めたジュリアスに対し、ウォレンは表情を無に落としたまま両手を上着のポケットに入れた。
「節介が過ぎると嫌われるぞ」
淡々とした口調の中に閉められたドアを感じ取ったか、ジュリアスは頭を掻きつつ視線を下げた。
「……すまん。最近はちょっと過敏らしい」
そう言うとジュリアスは何気なく視線を2階へ滑らせた。
他人に対しては積極的に関われるのだがな、と心の内で呟く。
遠慮が出るのかそれとも拒絶が怖いのか、息子にはなかなかに問いかけることができない。
ジュリアスを見、ウォレンも視線を動かし、2階の様子を窺った。
そういえば、棚にはまだ高校生と思われる彼らの息子の写真が飾ってあった。
朝のこの時間帯ならば、家族での朝食の光景がこの先のテーブルに画として存在していてもおかしくない。
「ジェイ」
どことなく場違いな気がし、ウォレンは遠慮がちに口を開いた。
「やっぱり今朝は――」
遠慮する、と言おうとしたときに玄関のベルが鳴った。
「ジェーイ。いるかー?」
大きな声の後に再びベルが押される。
「おーい」
「ったくあのバカが」
一言呟いてため息をつくと、すまんな、とジュリアスは玄関へ向かった。
ドアを開ける際に聞こえてきたジュリアスの声に、ウォレンは先ほど彼が来ると予測していた『カル』という人物であることを知る。
随分と賑やかな朝だ。
気のせいだろうか、どことなく既視感を抱き、ウォレンは僅かに眉根を寄せた。
その感覚を追いかけることなく去らせ、場に生じた動きに紛れて帰ろうと踵を返す。が、そこへシェリがコーヒーを持ってやってきた。
「砂糖かミルクか必要かしら?」
彼女の声に振り向けば、自然な流れでコーヒーを手渡される。
「いや、このままで」
短く礼を言いつつも、飲んでから去らざるを得なくなってしまい、しまったな、とウォレンは心の内でひとつ息をついた。
「どうぞ向こうで座って――」
「朝っぱらから大声出すなと言ってるだろ」
シェリの声に重なるように玄関のドアが閉まり、2人分の足音が近づいてき、一口、コーヒーを含みつつウォレンはその方向を見やった。
「いやお前が出てくるのが遅いからよ、つい」
「つい、じゃないだろ。ベルを押してから声が届くまでに時間があったか?」
「んー。いや」
「相変わらず朝から元気ね、カル」
シェリの声に足を止め、ブライデン・カルヴァートは彼女を見た。
「シェリ、君は相変わらず美人だなー。おいジェイ、朝から彼女の顔を拝めるとは羨ましいぞ」
「お前も今拝んでるだろ」
「一番目じゃないからなー」
うーんと首を傾げた後、もう1人の気配をようやく感じ取ったか、カルヴァートがウォレンを見る。
暫時、視線が噛み合う。
「あれ。JJって肌の色変わったのか?」
ウォレンを軽く示す彼の手首で、少々重たそうなブレスレットが金属音を生み出した。
「馬鹿。俺の息子はマイケルじゃない」
「だよなー。驚かせるなよ」
ジュリアスの背中を叩き、カルヴァートは1歩踏み出すと手を差し出した。
「カルだ。よろしくな。滞在期間はどのくらいだ?」
尋ねつつ、ウォレンの右手がカップで塞がっていることに気づいたのだろう、カルヴァートは右手を下ろすと左手を差し出した。
「滞在?」
一応手を握り、ウォレンは疑問を返した。
「カル、彼はゲストじゃない。昨日バーで知り合った奴だ」
ジュリアスの説明に、なるほど、とカルヴァートが頷く。
「あれだな。ジェイの奴が『朝メシでも食いに来い』とか言ったんだろ」
にっと笑った後にカルヴァートがシェリを見る。
「シェリの料理は美味いからなぁ。自慢したくもなるよな」
「あら、ありがと」
「シェリ、こいつに礼なんか必要ない。カル、話を勝手に作るな」
「いいじゃないか。別に間違ってないだろ?」
やりとりを他所に、よくしゃべる男だ、と印象を受けつつ、ウォレンはコーヒーを喉に通した。
口周りのヒゲといい、服装や装飾品といい、カルヴァートは一見したところその筋の物騒な人物のようだが、ジュリアスの家に朝食を食べにくる人間だ。人は好いのだろう。
ふと、階段から足音が聞こえてき、一同がその方向を見やる。
人数の多さに驚いたか、途中で足を止めた後、4人視線を受け流してJJ・ヤングが1階に下りてきた。
「JJ、おはよう」
シェリの挨拶に、小さな声で返事をし、JJは仏頂面のまま肩のバッグをかけ直した。
「挨拶くらいしっかりしろ」
「うるさい」
ジュリアスの注意にそう返すと、JJは玄関へ急ぎ足で向かった。
「よぉJJ。ケガの具合はどうだ?」
「別に」
問いかけにも無愛想な答えが返ってき、相変わらずか、とカルヴァートがジュリアスを見た。
ため息をつきつつ肩を竦めるジュリアスの側を、シェリが息子の名前を呼びながら通り過ぎる。
「JJ、朝食は?」
玄関のドアノブに手をかけるJJに対し、シェリはちょっと待って、とその動作を中断させた。
「いらない」
「でも食べないと――」
「いらないって言っただろ」
「でもね、JJ――」
「いいからほっとけよ!」
荒げられた声に、シェリが続けようとしていた言葉を切って口を閉じる。
語調の強さにJJ自身も驚いたのか、すぐに後悔したような表情になった。
「……夕飯はもらうから」
俯き加減にそう呟くと、JJは玄関のドアを開いて外に出て行った。
「JJ、どうしたの?」
思っていた以上に事は深刻なのでは、という予感が駆け抜け、シェリがJJに問いかけるが、それは閉まるドアの音によって返事を得ないまま立ち消えとなった。
「……無愛想の原因はまだ分かんねーのか?」
部屋の奥、去っていったJJとシェリを一瞥し、カルヴァートが改めてジュリアスに尋ねた。
「分からん」
腕を怪我する前までは元気だったんだがな、とジュリアスが首を振った。
「治療中は練習できないから、焦ってんじゃね?」
「あいつはそういうところで悩むようなやつじゃないと思うんだが……」
解せない、と再びジュリアスが首を振る。
息を吐く彼の背中をぽんと叩き、カルヴァートは口を開いた。
「まぁ10代ならこーゆー時もあるだろ」
親も大変だな、と付け加えるカルヴァートに、ジュリアスは弱い苦笑を返し、ウォレンを見た。
「すまんな、家庭内の問題を見せてしまって」
「気にするな」
返しつつ、ウォレンは空になったカップを近くのテーブルの上に置いた。
「こっちも、朝から邪魔して悪かった」
「邪魔じゃない。来客は歓迎だ」
「あれ。何だお前、朝食は食べねーの?」
「仕事がある」
「マジかよ。シェリの料理食べないとか人生損してるぞ?」
「そうみたいだな」
カルヴァートを一瞥した後、ウォレンは、それじゃ、とジュリアスに残すと玄関へ向かった。
その姿を見送った後、カルヴァートは玄関の方向を指で示しつつ、ジュリアスに向き直った。
「で、誰? あいつ」
「言ったろ。昨日バーで会った」
「身元はしっかりしてんのか?」
「さぁ」
ジュリアスの返事に、カルヴァートが体重を載せる足を変え、手を腰にやった。
「ジェイ、あんたもう少し用心したほうがいいんじゃね?」
「かもな。だが心配するような奴じゃないだろ」
「なんでだ?」
「何となくだ」
ふーん、と頷きつつ、カルヴァートはもう一度玄関のほうを見やった。
「――で、メシだけど、俺の分ある?」
ジュリアスを見ると同時に話題を転換し、カルヴァートは鳴りそうな腹に手をやった。
JJを見送ったのだろう、ドアを閉めようとしているシェリを見、ウォレンは声をかけようと口を開いた。
それと同時に足元の床がぎっと軋む。
転瞬、飛び上がるのでは、と思うほど反射的にシェリが振り向いた。
その反応にむしろウォレンの方が驚き、足を止める。
目の前、シェリの表情には見覚えがあった。
身の危険を感じたときの、脅えた表情。
そう認識したと同時に該当する過去の映像が脳裏を流れる。ウォレンは一度瞼を閉じ、シェリに悟られないようそれを振り払った。
「――悪い。驚かせたか?」
数瞬遅れで尋ねれば、シェリが胸に手を当てつつゆっくりと首を横に振った。
「いえ、ごめんなさい。私もぼーっとしちゃってて」
申し訳なさそうにシェリが眉尻を下げ、口元を緩める。
彼女の顔から、先ほど見て取った表情が弱まっていく。
「もう行くの?」
「ああ」
短く答えたものの、どことなく足りなさを感じ、ウォレンはつなぎの声を出すと続けた。
「コーヒーありがとう。おかげで――、そうだな、仕事の最中に寝なくて済みそうだ」
それを聞き、ふふっ、とシェリが笑う。
「よかったわ。また是非来て頂戴ね」
作ったものではなく、心からの笑顔なのだろう。彼女につられて微笑を返すと、軽く挨拶をし、ウォレンは外に出た。
冷えた空気が体に纏わりつき、手を上着のポケットに入れた。
去り際のシェリからは、完全に脅えた表情は消えていた。
普通に暮らしている様子を見る分には、誰かに追われている恐怖からきた表情ではなく、過去にあった何かしらの事件が原因なのだろう。
今度があるかは分からないが、背後に立つときには先に声をかけるべきだな、と思いつつ、ウォレンは歩調を速めた。
そういえば、ともうひとつ気になることを思い出し、周囲を見渡す。
時間が経っているため、当然のことながらJJの姿は見えなかった。
彼もまた、何かしらの問題を抱えているようだが、所詮は他所の家の話だ。関係はない。
ひとつ深く呼吸をとると、ウォレンは停めておいた車のドアを開け、中へ滑り込んだ。