IN THIS CITY

第4話 A Phone Call Away

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09 Playing Vigilante

 昼食時を少し過ぎ、カフェの中の客がまばらになってきた。
 店内を流れるラジオの音を薄く耳元に届かせつつ、ダグラスは読んでいる本のページを繰った。
 半ページほどすぎたところでコーヒーに手を伸ばす。少しばかり冷めてきたが、気にすることなく口に運んだ。
 ふと、足音が近づいてき、その持ち主が前の席に座った。
「尾行してきたのか?」
「客足が収まった頃に読書をしながらここで昼食は、お前さんの日課だろ」
 聞こえてきた声に、喉で相槌を打つとダグラスは眼鏡を外した。
「コーヒーがおいしくてね」
 本を閉じ、顔を上げてアレックスを見る。
 この前に会ったときと変わらず、少し痩せているようだった。
「常連になると目立つんじゃないのか?」
「その手の心配は今は必要ないんでね」
 回答すれば、なるほどね、とアレックスが頷く。
「汚れ仕事はウォレンに任せているからお前さんは安泰ってわけか」
 視線を合わせてくるアレックスに、ダグラスは表情を変えずに応じた。
「その話はこの前終わったと思ったんだがな」
「手を引かせろ」
「本人の説得には失敗したか」
「あいつはお前さんの代わりじゃない」
「私も彼も代理という認識はしていない」
「……引き継ぐ奴が必要なら他を探せ」
「公共の場にはふさわしくない話だ。出たほうがよさそうだな」
 アレックスの返事を待たず、ダグラスは上着を手に取った。
「もう一杯飲むか。買ってきてくれるか?」
 そう尋ねてみたものの、場を和ますことはできなかった。
「しわい奴だ」
「女性ならともかく、お前さんの飲食代を出すほど人間ができてないんでね」
 背後から聞こえてきたアレックスの声に、余裕はまだ失ってないらしい、とダグラスはわずかに口元を緩めた。


 ハンドルに手を置きつつ助手席の窓の外を見やれば、こちらに向かってくるダグラスの姿を確認できた。
 どうやらコーヒーを買ってくるという言葉は逃げの口実ではなかったらしい。
 両手がコーヒーのカップでふさがっているため、ダグラスが窓を叩く。
 ため息をつきつつアレックスは腕を伸ばしてドアを開けた。
「この店のコーヒーもなかなかのものだ」
 差し出されたコーヒーをアレックスは礼を言わずに受け取った。
 片手が空き、ダグラスは助手席のドアを閉めると、ひとつ息をついた。
「それで?」
 催促の言葉を耳にしつつ、アレックスはコーヒーを一口喉に通した。
 この季節にはありがたい温かさが、体の内側に染み渡る。
 計算された行動かどうかは判断できないが、ダグラスに対する刺々しい態度は確かに和らいだ。
 苦笑した後、アレックスは口を開いた。
「お前さんの仕事にウォレンを関わらせるな」
「言ったろ。私は強制していない」
「関係ない」
「本人の意思だ」
「イーサン」
「暴発させたいのか?」
 言いながらアレックスを見やれば、彼が怪訝な表情を返してきた。
「彼は腕がいい」
「だろうとも。昔からお前さんに色々と教わっていたらしいからね」
「あの時は興味本位だったろう。10代なら武器関係に一種の憧れを持っても不自然じゃない」
「……興味本位の奴に狙撃のいろはまで教えるのか?」
「聞かれたからな。私も教えるのが嫌いなわけじゃない」
 一口コーヒーを飲み、ダグラスが続ける。
「今の状況は彼にとってはいい状況だ」
「殺しの依頼を受ける今の状況が、か? 馬鹿いうな」
「6ヶ月だったか?」
「何?」
「メキシコにいた期間だ」
 口を閉じたアレックスが視線を落とす。
「あの連中は容赦ないからな。無事だったのが不思議なくらいだ。もっとも、足を撃たれたらしいがな」
「…………」
「アイリーン・ホープ。余命よりも長く生きたらしいが、彼女の死も相当厳しかったろう」
「その話は止せ」
「止すも何も、原因だ」
 断定的なダグラスの口調に、アレックスは現実を受け入れた。
「……あいつは彼女を守りたかっただけだ」
「守ることはできたが、自身が犠牲になったか」
「…………」
「だが彼女は結局死んだ」
 淡白に述べるダグラスに、アレックスが無言のまま視線をやった。
「病死にしても彼の中では納得できない部分があったんだろう」
「何が言いたい?」
「私も考えていないわけじゃない。現に、一度は断った。が、彼は不安定な精神状態で特定の連中に敵意を持っていた。狂気の状態と正義感が強すぎて悪に振り切れている状態は同じだ。ましてや薬に依存しているなら尚更な。あのまま放置していたら外へ向けるエネルギーが暴走して、今頃は6フィート下に落ち着いているか、運がよくて鉄柵の向こうだったろう」
「仮定の話と比較して今の状況が最善だと言いたいのか?」
「彼の納得いく条件下で、エネルギーを発散させる場を提供しているだけだ」
「どう理由付けようと、あいつに益をもたらしてるとは思えないね」
「そこは本人のみぞ知る、だ。会ったんだろ? 何て言っていた?」
 尋ねながらダグラスがアレックスに視線をやるが、回答は返ってこなかった。
「ともあれ、彼は腕がいい。互いに条件が合っているから組んでいる。それだけだ」
「何もあいつに任せなくてもお前さんの腕なら余裕で処理できる仕事だろうに」
「いささか年を取りすぎてね」
「益を得ているのは、誰かねぇ」
 咎めるようなアレックスの口調に、ダグラスは口元を緩めて返した。
「そのコーヒーは私のおごりだ」
 一言残すと助手席のドアを開け、外に出る。
 暫く歩いてみたが、アレックスが呼び止めてくる気配はなかった。
 ふと、腕時計に視線を落とす。
 昼食の邪魔はされたが、午後を過ごすにはまだ時間があった。


 トラックがバックする音が聞こえる中、リーアムはコーラが詰め込まれたケースに手をかけた。
「おいおい、そんな細っこい体でそんな重たいモン持ってんじゃねーよ」
 ふと声が届いてき、リーアムはその声の主を見やった。
 笑いながら近づいてくる彼は、同じく日雇いのジェイクだった。
「これは俺がやるから、お前はそっちの小さいやつ持ってきてくれ」
「分かった」
 言われたとおりに近くの菓子のケースを手に取る。確かにこれであればリーアムでも運べる。
「お前ちゃんと食べてるのか?」
「リッキーからも言われたよ。でもちゃんと食べてる」
「そうかぁ? 好き嫌いしてんじゃねーの?」
「食べてるよ」
 苦笑しながら答えれば、ふぅん、とジェイクが観察してきた。
「まぁ俺たちみたいなガキは、稼ぎ場所を見つけるだけでも精一杯だけどな」
「ジェイクはいつからここで?」
「半年前。店主がいい人でよかったよ」
「本当だね」
 目的の場所に荷物を下ろし、2人で一息つく。
「大した稼ぎにはならねぇけど、何もないよりマシだもんな」
「働けるだけでありがたいよ。前にいたところを追い出されたときには、本当、どうなるか分からなかったし」
「どこで働いていたんだ?」
「『ミセス・グリーンのクリーニング店』」
「あーあそこか」
 店の名前を聞き、ジェイクが渋い顔をする。
「知ってるの?」
「ダチが何人かこきつかわれて捨てられてた。居心地悪かったろ」
「それほど悪くなかったよ」
 眉をひそめつつも、そういえば、とリーアムは視線を左にやった。
 同じ年頃と思われる従業員の何人かは、いつの間にか辞めていなくなっていたように思われる。だが、リーアムとしては解雇されるまでは雇用環境に不満はなかった。
「そうか? お前いい奴なんだな」
 ジェイクの言葉に、そうかな、とリーアムは肩を竦めた。
 ふと、ジェイクが周囲を見回し、リーアムに顔を近づける。
「耳寄りな話があんだけど、聞くか?」
「耳寄り?」
「金さ」
 息のみで言われた単語に、リーアムは怪訝な表情を返した。
「ここよりもずっと賃金のいい話を聞いたんだ。気になるんなら話すぜ?」
「え」
 賃金のいい、という単語を聞き、リーアムが興味を示したのを見てとったか、ジェイクがにっと笑って顔を寄せた。
「スウィート・バニーズってクラブ知ってるか?」
 小声で尋ねてきたジェイクを見、リーアムは一瞬迷った。
 今働いているところは薄給とはいえ待遇は悪くない。店主も優しく、また日々の生活を送ることに特段困っているわけでもない。
「ここから5ブロック先にあるんだけど」
 情報を付加してきたジェイクに対し、リーアムは首を横に振って答えた。
 環境に問題がないとはいえ、やはり今以上の賃金がもらえるのであれば、ジェイクの話にまったく興味がないわけではなかった。聞くだけでも、とリーアムが先を促す。
「そのクラブの裏に明日の夜9時頃に集まれば、ここよりも高く雇ってもらえる仕事が見つかるかもしれねえ」
 そう告げると、ジェイクが片目を瞑って見せた。
「……でもそれ怪しくない?」
「んーまぁ怪しい話も出るだろうよ。けどクラブの雑用とかも募集しているらしいから、うまくいけばチップとかで稼げる仕事にありつけるぜ?」
 幅広に仕事が紹介されるらしい様子ではあるものの、リーアムはどうしようか考えあぐねる。
「おいおい、渋い顔すんなよ。クラブで働けるかもしれないんだぜ? お前の年でその顔だと、若い女から好かれそうじゃないか。チップで稼いでいけば、余裕の暮らしが見えてくる。そう思わないか?」
「そりゃ、余裕が持てるようになれば嬉しいけど……」
 言いかけて、ふと先日の出来事を思い出す。
 今と同じように薄給ではあるものの日々の暮らしに困るような仕事はしていなかった。だが、突然解雇された。
 不景気が継続していることを考えると、今後同じようなことが起こらないとも限らない。
「とりあえず、俺は行ってみる」
 よりよい生活を、と目を輝かせるジェイクに、リーアムの気持ちもまた、揺らいだ。
「……行って、もし割のいい仕事が見つかったら?」
「ここには悪いが、いい仕事のほうに転職だな」
 当然ながら、とジェイクが肩を竦める。
「ま、耳寄りの話はここだけにしてくれな」
 リーアムの肩を叩くと、気が向いたら来てみろよ、とジェイクは仕事に戻っていった。
 先ほど下ろした荷物に視線を落とし、リーアムは彼から聞いたばかりの話を思い返した。
 もし、今の仕事が将来的にも保障されたものであれば、迷うこともないだろう。
 だが、リーアムもまた10代だ。クラブのような派手な世界に興味が全くないわけではない。
 ふと、ジェイクを振り返った。
 何事もなかったかのように、上機嫌で仕事を続けている彼の姿が目に入った。


 降水がなく、風速も弱い。
 狙撃をするには好条件だ。
 窓際に据えたライフルに手を伸ばし、スコープを覗く。
 夜に浮かび上がる高層マンションの上層部、外からの視線を気にする必要がないのか、カーテンは閉められておらず、中の様子を見るのに問題はなかった。
 室内は暗く、標的とする人間はまだ現れていない。
 手袋の裾を押し上げ、腕時計に目をやる。事前に調査したところから察するに、あと十数分で標的が射程内に現れるはずだ。
 腕を下ろし、ふと、背後を見やる。
 高層マンションを狙うには丁度いいこの部屋だ。クローゼットが静かなところを見ると、部屋の主はまだ気を失っているままらしい。
 にやり口元を緩めると男は無精ひげをひと撫でし、窓の外へ視線を戻した。
 とそのとき、背後で物音がした。
 振り返り、様子を窺う。
 少しの間を置いて、クローゼット付近から再び物音が聞こえてきた。
 起きたか、とため息をつき、男はゆっくりとクローゼットに歩み寄った。
 扉を開ける。
 手足と口を封じられた部屋の持ち主は、だが物静かに気絶しているだけだった。
 怪訝に思いながらもクローゼットの扉を閉めようとした瞬間。
 横合いから首に手を回され、男が呻いた。
 抵抗しようと回された腕を掴むものの、腹部脇に鋭い痛みが走り、全身に力が入らなくなる。
 そのまま男は膝を折り、意識を失った。
 彼を床に寝転がせつつ、ウォレンはエトルフィンが入っていた注射器にキャップをはめるとポケットにしまった。
 クローゼットを見やれば、部屋の主がぐったりと横たわっていた。
 後頭部を殴られてはいるものの、命に別状はないだろう。また、今目を覚まされては今後の行動に支障が生じる。ウォレンはクローゼットの扉を静かに閉めると窓際へ足を運んだ。
 なるほど、気が合うと認めるのは避けたいが、ダグラスの言うとおり、男はウォレンが普段好んで使用しているレミントンと同じ型を狙撃銃に選んでいた。
 手袋をはめたままそれを手に取り、素早く状態を点検する。同業者としては当然だが、今日の環境に対応して適切な補正がなされていた。
 構えを確認し、スコープを覗き込む。
 300mほど離れた高層マンションの部屋はまだ暗かった。


 ナディーンとキスを交わしつつ、タイラー・ランドルフは部屋の鍵を開けた。
 もつれるように入り込み、荷物をその場に落とすと彼女と共に居間へと進んでいった。
「飲み物はあるかしら?」
 ランドルフの経営するクラブで摂取したアルコールは十分ではなかったらしく、彼女が尋ねる。喉で相槌を返しつつ、ランドルフは部屋の電気をつけると、棚に置いてあったグラスを2つ引き寄せ、ウォッカを注いだ。
 首に巻いていたスカーフを艶めかしく取りつつ、彼女がステレオのスイッチを入れる。どうやら以前にも訪れたことがあるらしかった。
 クラブとは打って変わってしっとりとした曲調の音楽が流れ始める。
「どうぞ」
「ありがと」
 グラスを受け取り、ランドルフと視線を交わしながら一口飲む。
「シャワーしてくるわね」
 彼の耳元にそう告げると、楽しみね、という目を残し、ナディーンは踵を返した。
 その後姿を目で撫でて見送り、ランドルフはもう一口グラスからウォッカを口に含むと居間のソファのほうへと足を向けた。
 勝手を知った様子で引き出しからバスタオルを取り出すと、ナディーンはバスルームへと向かった。
 その途中、音楽の流れにふさわしくない、ガラスが割れる音がし、間をおかず何かが倒れる物音が届いてきた。
 振り返れば、もう一度ガラスが割れる音がした。
 様子を窺うものの、壁が邪魔をして居間の全体像が見えない。
「タイラー?」
 尋ねれば、ランドルフの苦痛の声が壁を借りて反射してナディーンの耳元に届いてきた。
「タイ? どうしたの?」
「ナディーン……」
「タイ?」
 居間に駆け寄れば、ランドルフが床に倒れており、その彼の肩付近のシャツが赤黒く染まっているのが見えた。
「タイ!? やだ、ど――」
「危ないから来るな!」
「え?」
「電気を消せ」
「何よ、何が――」
「電気を消せ! 早く!」
 催促されてスイッチを探すナディーンの目が、窓に入った亀裂を捉えた。そこには何かが貫通したような穴が2つ空いていた。
 外から狙撃された、とナディーンが認識し、慌てて電気を消す。
 暗くなった室内において、彼女の速い呼吸音とランドルフの苦痛の混じった吐息が、しっとりとした音楽と不協和音を醸し出す。
「……タイ、あなた大丈夫?」
「ああ。肩をやられたが大丈夫だ。ミスったらしいな」
「とりあえず、救急車を――」
「待て、呼ぶな」
「でも出血しているじゃない」
 窓を警戒しつつ、ナディーンが廊下に出、玄関で落とした自身の荷物を手に取り、居間に戻ってきた。
「……まだ危ないかしら?」
「お前はそこにいろ」
「タイ、これ」
 タオルをランドルフの元へ放り、ナディーンは居間のドアのところに座り込んだ。
「やだ、手が震える」
「呼ぶな」
「何言ってるのよ、呼ばないとダメでしょ?」
 受け取ったタオルを肩口に当て、ランドルフは呻いた。
 近くでナディーンが救急車を呼ぶ声がし、ランドフルは目を閉じた。
「……すぐに来るわ。それまで大丈夫?」
「大丈夫だ。あいつはミスった」
「あいつ?」
「オルドネスだ。あいつが誰か雇ったに違いない」
「どういうこと?」
「くそ。何も話してないってのに」
「ちょっと待って、タイ。オルドネスってまさか――」
 ナディーンの問いかけに、ランドルフが一瞬しまった、という表情をした。
「タイ?」
「……何でもない」
「タイラー?」
「何でもないと言ったろ!」
 怒鳴れば、それに触発されて肩の傷口が痛む。
 呻くランドルフを見、ナディーンは携帯電話を持っていた腕を落とした。
「……そんな――」
 ナディーンの声音に、ランドフルが彼女を見る。
「――信じられない。やっぱりあの話は本当だったのね」
「ナディーン」
「信じてたのに……」
「ナディーン、違うんだ」
 否定するランドルフに、先ほどまで彼を見ていた視線とは違う色の視線をナディーンは投げかけた。
 人身売買の容疑。
 ランドルフが関係するクラブで行方不明になった、ナディーンと同じ年頃の女性たちの報道が、彼女の記憶に蘇る。
 だが、最終的にはランドルフは起訴されずに終わった。その事実から、ナディーンは彼への不信を拭い払った。
 だが、本当にそれが正しかったのだろうか。
 再び頭をもたげた不信は、最初のそれよりも根深いものになる。
「……まさか、あたしも……?」
 弱々しく尋ねるナディーンの目は、ランドルフに対する愛情すら消えかけていた。
 それを見、ランドルフは横に首を振ると彼女から視線を逸らした。
 救急車の到着まで、そのまま2人は無言となった。
 室内には愛を歌うバラードが流れていた。


 頭に入れていたルートを通り、地上に辿り着く。
 表通りに出れば人気が多いが、つい先ほどこのマンションの上で行われた仕事に気づいている人間はいなかった。
 だが、ゆっくりはしていられない。
 前方に停まっている87年型のカトラスに滑り込み、ウォレンは帽子を取った。
「どうだった?」
 すぐに車を出しつつ、ダグラスがウォレンに尋ねる。
「肩を撃った。致命傷じゃない」
「そうか」
 ご苦労、とねぎらいつつ、ダグラスはアクセルを踏む。
「仕留めないのは難しいだろ」
「点を狙うのは同じだ」
 それはそうだな、とダグラスが頷く。
「エスピノサは?」
「伸びてる」
「そうか」
 彼については別の人間に任せるか、と呟くと、ダグラスはウォレンの様子を窺った。
「満足していないようだな」
 助手席の外を見ていたウォレンだったが、息をひとつついて前に視線をやった。
「これまで問い詰められてもランドルフはオルドネスについて全く言及しなかったんだろ」
「だがオルドネスはエスピノサを派遣した」
「これで奴がしゃべらなかったらどうする気だ?」
「奴の中にも疑惑はあったろう。調べが進んでエスピノサの名前が出れば、オルドネスに裏切られたと知る。保身のためにも売る気になるさ」
「司法取引でランドルフの刑は軽くなる」
「かもな。だが今奴が消えると、黒幕が野放しのままだ。奴に死なれては困るというのが見解だ」
「誰のだ?」
 尋ねられ、ダグラスがウォレンを一瞥する。視線を受け、それ以上問い詰めるでもなくウォレンは外を見やった。
「……ランドルフを仕留めるついでにオルドネスも仕留めれば話は早い」
「そう単純な話じゃないことくらい分かっているはずだ」
 返事はせず、ウォレンは座席に頭を預けた。
 ダグラスの言うことは最もだが、捜査機関への信頼はないに等しい。彼らが対処すべき事項の件数に照らし合わせると、明らかに人材が不足している。となれば当然、とりこぼしが発生する。それが現実だ。今回の人身売買の件も、ランドルフは事実、一度不起訴となっている。
 この手の輩は変わらない。
 過去から学び、法律を利用する技術を向上させ、以前と同じ商売に立ち戻る。
 彼らが生きている限り、犠牲が減ることはない。
「忘れるなよ」
 思考を遮り聞こえてきたダグラスの声に、彼を見る。
 だが、それ以上の情報は補足されず、一瞥を受けるのみだった。
「……毎回耳にするが、何のことだ?」
 前方に集中しつつ、ダグラスが小さく息をつく。
「狩りに行ったときのことだ」
 答えを聞き、ウォレンは過去を思い返した。
 薄く霧が張る中、地面に伏せ、獲物を待つ。
 冷気が体に染み渡り、寒さの程も厳しい状況において、ダグラスの忍耐力の強さには舌を巻いたものだ。
 スコープの中、待ち伏せた甲斐があったか牡鹿が一頭入ってきた。
 それでも焦ることなく、ウォレンはタイミングを待った。
 距離がある。牡鹿は人の気配は感じていないだろう。
 引き金に当てていた指に力を入れようとした瞬間、スコープの中で目と目が合った。
 清らかな目だ。
 薄い霧の中に、不穏な空気を悟ったのだろうか。
 その後の数秒は獲物を仕留める絶好のチャンスだった。が、指に力が入ることはなく、牡鹿は暫くその付近で木の芽を食した後、森の更に奥へと去っていった。
 絶好のタイミングが長かったにしてはとんだ失態だな、とダグラスが言った。
 何故撃たなかったのか、彼に問われたとき、何と回答したかは覚えていない。ただ、相手が人間の標的であれば迷わず引いていただろうことを強調し、ダグラスに仕事を引き受けさせてくれと頼み込んだ。
 確か、その後だったように記憶している。
「正義も度が過ぎれば悪になる」
 ダグラスの声に、ウォレンは落としていた視線を上げ、彼を見た。
「必要悪と正当化することはできるが、それが正義であるとは確信するな」
 視線は前方に固定したまま、ダグラスが告げる。
 確かに、狩りのときにも聞いた言葉だ。
「牡鹿を撃たなかった理由は何だ?」
 問われ、ウォレンはもう一度当時を思い返した。
 が、やはり覚えていない。
「『人の趣味のために殺すことはできない』」
 代わりにダグラスが回答し、ウォレンを一瞥した。
「お前の趣味で動くな。無計画に動かれると合法的に下せる正義も下せなくなる」
「……これまでの依頼も誰かの趣味じゃないのか?」
「個人の趣味じゃない」
「苦しい正当化だな」
「人間だからな」
 ダグラスの一言に、軽く苦笑をするとウォレンは外へ視線をやった。
 ふと、サイドミラーに小さく、角を曲がる救急車が映った。
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