IN THIS CITY

第4話 A Phone Call Away

01 .02 .03 .04 .05 .06 .07 .08 .09 .10 .11 .12 .13 .14 .15 .16 .17 .18

12 Maria

 近頃は若い客が増えているのか、バーの店内に流れる音楽も彼らの世代のものだった。
 悪くはないかと思いつつ、カルヴァートが目を細める。
 彼の視線の先で、クロスが投げたダーツが的の真ん中付近に刺さった。
「ぃよっし、逆転逆転」
 くわえていた煙草を手に持ち、ガッツポーズを決めてそう告げ、彼がカルヴァートを振り返る。
「ちぇっ、しゃあねぇなぁ」
「そいじゃ、ジャックダニエルをダブルで、よろしく」
 ダーツを抜きつつ、クロスが口元を上げる。
 苦笑を返しつつ、カルヴァートはカウンターへ向かった。
 カルヴァートは麻薬密売組織の摘発、クロスは人身売買組織の摘発と、互いに抱えていた事件が山場を超え、ひと段落したところだ。
 呑気にバーで談笑するのは久しぶりだが、摘発した組織はあくまで一部であり、すぐに別の似たような仕事が舞い込んでくることだろう。
「最近はデスクワークに慣れてきたようだが、スーツ姿もまんざらじゃないだろ」
「いや、俺はやっぱ潜入のほうが向いてるわ。デスクワークは肩が凝ってたまらん」
「ハハ。まぁ、お前みたいな悪い奴は捜査官であることのほうが不似合いだからな」
「言ってくれるじゃねぇか、グレン」
「おぅ、言うぞ」
 カウンターに腰掛け、クロスはカルヴァートからグラスを貰い受けた。
「お前のほうはあれか、もう後は書類上の手続きだけか?」
「みたいだな」
「みたいだなって、カルお前担当してるんじゃないのか?」
「俺ぁあれだ。あんな複雑なシステムは知らん」
「……デイヴも大変だな」
 デスクワークとなると途端に動きの鈍くなるカルヴァートの分まで作業しているだろう彼の相棒に同情し、クロスはグラスを口に持っていった。
「お前のほうはどうだ?」
「ん? 順調だな。ランドルフの証言からホルヘ・オルドネスを引っ張ってこれたし、奴のお気に入りでランドルフを撃った殺し屋のエスピノサも捕まえたしな」
「オルドネス夫人がまたヒステリックに騒いだりしてないか?」
 以前にホルヘ・オルドネスに人身売買の嫌疑がかかったときのシーラ・オルドネスの騒ぎ方を思い出し、カルヴァートとクロスは共に苦笑した。
「よく覚えているな。察しのとおり、またギャーギャー文句をつけてきているさ。ま、今回は夫が刑務所に行くのを見送るしかできないだろうけどな」
「お互い幸先のいい新年が始まったな」
 カルヴァートがグラスを口に運びつつ呟けば、クロスが同意する。
「とはいうものの、エスピノサが否認しているのが気になるがな」
「すりゃあっさりとは認めねぇだろ」
「そりゃそうだが、『俺だったら外さない』ってうるさく主張していてだな、ちょっと面倒だ」
「肩に当たったんだっけか?」
「ああ」
「んなら撃ったときにランドルフが動いたんだろ」
 カルヴァートの言葉に頷きを返しつつも、クロスは軽く首を傾げた。
「エスピノサの腕があれば、上下方向の誤差は許容するとしても水平方向にズレたとなると、な」
 狙撃銃を構える格好をしつつ、クロスがぶつぶつと分析を続ける。
「マニアックなことは分かんねぇが、とりあえず親玉をとっ捕まえたんだ。一安心しとけよ」
「安心、な。……売買されそうになってた女性達も保護したし、そうなるかな」
 言いつつクロスはグラスの氷を眺め、ため息をついた。
「……人間、落ちる奴はあそこまで落ちれるもんなんだな」
 ぼそりと呟かれた声は音楽にかき消され、カルヴァートには届かなかったらしい。彼が、何だって、と尋ねたが、クロスは、別に、と首を振った。
 愚痴を言ったところで被害に遭う人間が減るわけでもない。また、長らく潜入捜査官をやっているカルヴァートならば、もっと悲惨な現場を見ているだろう。
「さて、と。もう一回勝負するか?」
 仕事のことは一時忘れることとし、クロスはカルヴァートを見やった。
「乗った」
 手元のグラスを空けると、次はおごらせる、とカルヴァートがクロスに予告した。


 日陰に入れば寒さが一層強まるものの空はよく晴れており、屋外で炊き出しをするにはいい日和となった。
 街中の一角、背の高い建物に囲まれているものの、十分なスペースを持った教会の前にはボランティアの参加者が早速集まって段取りを決めていた。
「緊張してきた?」
 ハンナの声が上から落ちてき、リーアムは彼女を見上げた。
「うん、ちょっと」
「みんないい人たちばかりだから、分からないことがあったら気軽に尋ねれば教えてくれるわよ」
 にっこりと微笑むハンナに、リーアムもまた口元を緩めた。
「あ、クリステン! カル!」
 手を振りつつ、ハンナが彼らに居場所を教える。
「おはよー」
 ハンナに挨拶しつつ、クリステンがリーアムを見る。
「リーアムも、おはよ」
「おはよう、クリステン」
「髪、切った?」
「え、あ、うん。ちょっと伸びてきてたから」
「似合う似合うー」
 気に入ったのか、クリステンはリーアムの柔らかな髪を撫でた。
「ハンナ、メイスは?」
「荷物運んでくれてる」
 言いながらハンナが後ろを示す。
 同じく荷物持ち役のカルヴァートが、丁度彼に挨拶しているところだった。
「やっぱ男って頼りになるね」
 クリステンの発言にハンナが同意し、彼女らがその頼りになる人物のほうへ足を進めた。
 後に続きつつ、リーアムはなんとなく、ウォレンとカルヴァートに同情を寄せた。
「2人ともありがと。助かったわ」
「私達重たいもの持てないからね」
 言いつつも、今日は楽ができてよかった、と顔に出ており、カルヴァートは苦笑した。
「礼はいいからよ、俺らもここにいる理由を教えてくんない?」
「リーアムも誘ったし、どうせならみんなで参加したほうが楽しいかなーって」
 ね、とクリステンがハンナに同意を求め、ハンナが大きく頷いて笑顔を作る。
「社会奉仕のお達しが出たのは君ら2人だろ」
 巻き込むな、と告げるウォレンに同意しつつ、カルヴァートが口を開く。
「クリステンのDUIのツケだろ?」
 カルヴァートの一声に、クリステンとハンナが口を開けるが、声は出ていなかった。
 彼女らが、ちら、とリーアムを見るが、リーアムは単語の意味を理解していなかったらしい。
「DUIって?」
 尋ねるリーアムに対し、クリステンとハンナが笑顔を取り繕う。
「何でもないわよ、リーアム」
「そ。気にしないで」
「飲酒運転のことだ」
 ウォレンが淡々と説明すれば、2人が揃って勢いよく振り返る。
「ちょっとメイス!」
「酔っ払って捕まって罰として社会奉仕、何時間だったっけ?」
 意地の悪い笑みを浮かべてカルヴァートが言えば、クリステンが彼の腕を叩いた。
「カル! 本人の承諾なしにいきなり変なこと言わないでよ!」
「変なことじゃねぇだろ?」
「折角リーアムの前では真面目な女子大生で通してるのに、誤解されちゃうじゃない」
「誤解じゃないだろ」
 怪訝な様子でウォレンが答えれば、カルヴァートが頷く。
「真面目に思われたけりゃ真面目に学生すりゃいいじゃねぇか」
 最もな言葉に、クリステンとハンナが互いの顔を見合わせる。
 ふと、2人が呆然とやりとりを見ていたリーアムにくるりと向き直った。
「女子大生のイメージ壊してごめんねリーアム。でも私たち、普段は真面目なのよ?」
「そ。お酒が入るとちょっとヤバくなるだけ」
 この前サボって買い物してなかったっけ、とハンナに対して問いかけようと思ったものの、リーアムは敢えて言わず、信じてね、と懇願するような2人の視線を受け取り、口元を緩めた。
「ありがと。リーアムやっぱ優しいよ」
「かー。甘ぇぞ、リーアム」
「カルは黙ってて」
「メイスも」
「……俺は何も言ってないぞ」
「目が言ってるの。目が」
 ハンナの言いがかりに対し、ウォレンはひとつわざとらしく息をついて答えた。
「さ、人も揃ってきたし、始めよっか」
「そうね」
 交わされる言葉を聞きながら、リーアムはクリステンとハンナを見上げた。
 相当気にしているように思えたのだが、2人の中ではもう過去の話題になっているらしい。切り替えが早いな、と思いつつ、続く指示に注意を払う。
「カルとメイスは、あそこから机を出して、外に並べてくれる?」
「えーっと、こんな感じで」
 ハンナがバッグから紙を取り出し、2人に手渡す。
「力仕事の担当はあそこに立ってるアルファーロだから、彼に聞いてね」
「力仕事か」
「男は力仕事って相場でしょ?」
「その固定観念なんとかなんねーかな」
 言いつつも、仕方ない、とカルヴァートが頭を掻く。
「リーアムは私達と一緒にシチュー作ろ」
「あ、はい」
 こっちよ、と道を示すクリステンに、カルヴァートが待ったをかける。
「おいおい、リーアムも男だぜ?」
「リーアムは別。早く行って」
 クリステンはしれっと答えると、教会の入り口に向かって歩き始めた。
 理不尽だ、と息をつくカルヴァートとウォレンに、申し訳なさそうな苦笑を送ると、リーアムもまたクリステンとハンナの後ろに続いて歩き始めた。


「どうぞ」
「ありがとう」
 湯気の漂うシチューをよそい、リーアムは女の子にそれを手渡した。
 風は冷たいものの、賑わっているおかげか低い気温はそれほど気にはならなかった。
 ふと、視線を移動させれば、クリステンがボランティア参加者に何か指示を出している様子が見えた。参加者は彼女より年上のようだが、指示を聞いて頷いている。
 別の場所では、シチューを食べに来た10代の女の子と話をしているハンナの姿が目に映る。女の子のほうは疲れた雰囲気ではあるものの、ハンナとの会話で時折笑顔を見せている。
 飲酒運転の罰としてやらされている社会奉仕とのことだったが、クリステンとハンナは率先して動いている。はきはきとした2人の性格もあるだろうが、ボランティア参加者からも炊き出しに来た人からも頼られているようだった。
 ウォレンとカルヴァートについては2人に無理矢理連れ出され、今回が初めての参加らしいが、仕事を見つけては動いている様子だった。
 それに対して、とリーアムは手元を見た。
 スーパーにおいても、今このボランティアにおいても、まだ自ら率先して動くということができていない。
 ただ、受身で指示を待っているだけだ。
 彼女らのように動きたい、動かなければ、と思うものの、何をすればいいのかが分からない。
(こんなんじゃ駄目だな……)
 頼まれた仕事は卒なくこなしている自信がある。だが、1人で生計を立てていくのであれば、自分で判断して動けるようにならなければならない。それが、未だにできていない。
「お兄ちゃん」
 ふと聞こえてきた声に顔を上げれば、男の子がリーアムを見ていた。
「あ、ごめんね」
 気を取り直しつつ、器にシチューをよそい、手渡す。
「ありがとう」
 嬉しそうに笑顔を見せる男の子にリーアムは小さく手を振って応え、去っていく背中を見送った。
 何もできていないのに、と思いつつも、リーアムは男の子の感謝の言葉を大事に受け取った。
 ふと、近くで怒るような声が聞こえてき、リーアムがその方向を見やる。
 先ほどシチューの入った器を手渡した5、6歳くらいの女の子が、8、9歳くらいの男の子に何か言われていた。
 その男の子が女の子のシチューを取り上げようとするのを見、リーアムは彼らの元に駆け寄った。
「何してるの?」
『うるさい!』
 声をかけるものの、男の子からはスペイン語が返ってき、リーアムは動きを止めた。
 そのリーアムを捨て置いて、男の子がまた女の子のシチューの器に手を伸ばす。
「あ、こら、だめじゃないか」
『うるさいな、放って置けよ!』
 雰囲気で言っていることは分かるものの、リーアムはスペイン語は話せない。
「英語、分かる?」
 尋ねるが、知らぬ顔で男の子は女の子に向かってスペイン語で何かを言っている。女の子もまた泣きそうになりながらも言葉を返しているが、その内容については察しができなかった。
「えーっと、喧嘩は――」
『うるさいって!』
 勢いよく言われ、リーアムが驚いて言葉を途切れさせる。続けて男の子が何か話してくるが、やはり内容は分からなかった。
 どうしようか、と迷っていたとき、
「どうした?」
 と背後から知った声がし、リーアムは振り向いた。
「あ、メイス。この子たちが――」
 説明しようとしたところ、男の子がリーアムの声を遮ってウォレンに対して何か主張した。
 スペイン語で分からないんだ、とリーアムがウォレンを見る。
 黙って男の子の話を聞いていたウォレンが、わずかばかり怪訝な表情をしつつスペイン語で男の子に返した。
 言葉が通じると思っていなかったのか、男の子が口を噤む。
「……スペイン語、話せるの?」
「まぁな」
 リーアムに返しつつ、ウォレンが屈みこみ、視線を男の子と女の子のものと同じ高さにする。
 彼が何かスペイン語で問いかけると、それまで怒りっぽかった男の子の口調が小さくなった。言葉が通じるからだろうか、それとも、相手が大人であるからだろうか。リーアムは黙ってウォレンにこの場を預けることにした。
 暫く男の子と女の子と会話を交わした後、確認するようにウォレンが男の子に何かを尋ねる。
 ばつの悪そうな顔をしつつも、男の子が頷く。
 ふと、ウォレンが右手を構える。
 躊躇した後、男の子は何か一言言うとウォレンの右手を握った。
『お前、根はいい奴じゃないか』
『うるせーな』
 手を離し、女の子にも何か一言残すと、男の子はその場を去っていった。
 穏便に事が収まった様子に、リーアムはウォレンを見た。
「……何て話したの?」
 リーアムに振り返りつつ、ウォレンが立ち上がる。
「聞いたとおりだ」
 そう言われ、むっとした表情でリーアムはウォレンを見上げた。スペイン語が分からないことは先刻承知のはずだ。リーアムのその視線を受け、ウォレンが小さく咳を払う。
「両親がいるのにこの子が毎回ここに来ているのが気に食わなかったらしい。が、事情が分かったら素直に納得してくれた」
「事情?」
「おーい、メイス」
 リーアムが尋ねるのと同時に背後から声が届いてき、ウォレンが声の主を振り返る。
「スプーン持ってきてやれ」
 リーアムの肩を軽く叩くと、ウォレンはアルファーロのところに向かった。
 その姿を見送った後、リーアムは女の子に向き直った。
 ふと視線を落とせば、彼女の足元にスプーンが落ちているのを見つける。
「あ、ちょっと待っててね」
 泣きそうなところを堪えきったらしい女の子にそう告げると、リーアムは新しいスプーンを持ってき、彼女に差し出した。
「はい」
「ありがとう」
 小さく返ってきた声に安心し、リーアムは微笑んだ。
「向こうで食べようか」
 座れそうなところを示して促せば、女の子が頷いた。
 階段の淵に、2人並んで座る。
 大事そうに持っていたシチューにスプーンをつけ、女の子が一口、口にする。
「名前は?」
「マリア。お兄ちゃんは?」
「リーアム。英語、しゃべれるんだ」
「うん。少しならできるよ」
 よかった、とリーアムが微笑すれば、マリアもまたシチューのついた口元を緩めた。
「おいしい?」
「うん。あ、リーアム、さっきはありがとう」
 礼を言われたものの、何もしていないのに、とリーアムが戸惑う。
「真っ先に、リーアム来た。嬉しかった」
「あ」
 そうか、と頷き、リーアムはくすぐったそうにマリアから視線を逸らした。
「シチュー受け取ったとき、君すっごく嬉しそうだったから、取り上げられているの見て、放っておけなかったんだ」
 言い終わってからマリアを見る。
 シチューを頬張りつつ、にっこりとマリアが笑った。
 ふと、誰かに似ている、と感じる。
「わたしね、パパもママもいる。だから、ここには来るなって言われた。パパかママに作ってもらえって」
「さっきの男の子に?」
「うん」
「来ちゃだめなことないよ、来ていいよ」
「……さっきのお兄ちゃんも、言った。でも、ほんとう?」
「本当だよ」
 確かな調子で言ったものの、マリアはまだ伏目がちだった。
「お兄ちゃんも僕も、嘘はつかないよ」
 目を覗き込むようにそう告げれば、マリアが上目遣いにリーアムを見、微笑んだ。
 再び、誰かに似ていると感じ、その似ている相手の顔がリーアムの脳裏に浮かんできた。
 マリアは妹と同じ年頃だ。顔が似ているわけではないが、微笑んだり笑ったりする素直で屈託のない表情が、妹と同じ雰囲気を纏っていた。
「シチュー、好き?」
「うん。大好き」
 答えて、マリアがクリステンやハンナがいる方向を見る。
「みんな作ってくれる中で、一番好き」
「僕の妹もね、シチュー好きなんだ」
「妹、いるの?」
「えーっと、うん。……もう、会えないけど」
「なんで?」
「なんででも、会えないんだ」
 柔らかな笑顔が見れないのは寂しい。
「……会っちゃいけないんだ」
 言い聞かせるように、リーアムは呟くと下を向いた。
 自分は家族としてあそこにいてはいけない存在だ。だから、1人で生きていかなくてはならない。
 1人で十分生きていけるようになったら、ひょっとしたら、また会ってもいいのかもしれない。
 それでも、それまでは会ってはいけないのだ。
「マリアがなってあげようか?」
 不意に聞こえてきた言葉に、リーアムがマリアを見る。
「リーアムの妹。マリア、きっとできるよ?」
 だめかな、と心配そうな表情をしつつ、マリアが見上げてくる。
「妹に、なってくれる?」
 うん、と頷いた後で、マリアが視線を落とす。
「リーアムが嫌なら、できないけど……」
「嫌じゃないよ」
 嫌なもんか、とリーアムはマリアの目を覗き込んだ。
「嬉しいよ。すっごく、嬉しい」
「ほんとう?」
「本当。ありがとう、マリア」
 頭を撫でれば、照れくさそうにマリアが笑い、リーアムに撫でられたところを自分の手でも撫でた。
「リーアム、今日が終わっても、また来る?」
「うん。来るよ」
「来週も、来る?」
「来るよ、絶対」
「約束」
 スプーンを置き、マリアが手を差し出す。
「約束」
 その手を握り返し、リーアムはしっかりとマリアの目を見た。
「さ、シチュー冷めちゃうよ」
「うん」
 手を離してスプーンを持ち、マリアは嬉しそうにシチューを口に運んだ。


 日暮れが近づいたのだろう、教会をライトアップするように明かりがつき、街中の窓もほんのりとオレンジ色の味を帯びてきた。
 マリアはこの近くに住んでいるらしかった。
 帰りたくない、と彼女は言ったが、両親が心配するから、と説得し、リーアムは彼女を家まで送っていった。
 女の子1人で歩くには物騒だな、と思ったが、マリアは慣れているらしかった。
 出迎えた母親の態度が無愛想で少しばかり萎縮したが、帰り道にすれ違った人の態度からも警戒心が感じ取れ、リーアムは自分が白人であることに原因の一部があるのでは、と気づいた。
 同じ人間なのに、と思うと視線が下がるが、マリアの笑顔を思い出せば、差別の存在が消えていった。
 教会に戻って後片付けの手伝いを終え、一息つく。
 ふと視線を巡らせていたとき、見覚えのある人影を見たような気がし、リーアムは目を凝らした。
(……ジェイク?)
 確認しようと思ったが、行き交う人に紛れ、すぐに見失った。
 おかしいな、と思ったものの、彼がボランティアをするような人物とは思えない。薄暗くもなってきていることを考えると、人違いだろう。
「どうだった?」
 ふとハンナの声が聞こえてきた。振り返れば、同じく仕事が片付いたのだろう、馴染みの面面に囲まれていた。
「楽しかったよ、すごく。役に立ったのかは分からないけど……」
「何言ってるの、手伝ってくれて助かったわよ」
 にっこりと告げるハンナに、リーアムは胸をなでおろした。
「女の子と仲良くなってたみたいじゃない?」
 そう言われ、クリステンを振り返り、リーアムが頷く。
「あ、うん。マリアっていうんだ」
「彼女にするにゃ、若すぎるんじゃねぇの?」
 にやにやとしたカルヴァートの声に、リーアムが慌てたように手を振る。
「違うよ、そんなんじゃないよ。ただ、妹に似てるなって思って」
 リーアムの言葉を聞き、ウォレンが彼を見た。
 家族はいないと聞いていたが、今のリーアムの発言は、あたかも妹がいるような様子だった。
 疑問に思い、妹がいるのか、と尋ねようとする。が、カルヴァートの発言のほうが先だった。
「ま、その辺の話はおいおい聞かせてもらうぜ」
「だから、何でもないって」
「何でもあったら、私ちょっとショックかも」
「クリステンまでそう言う」
 ムキになって否定するリーアムを面白がる様子に質問の機会を逃し、ウォレンはひとつ息をついた。逃したが、聞いたとしても、誤魔化されるだけだろう。
「メイス、俺ちょいとジェイに用事あっから、ついでにリーアムを乗っけてくぜ」
「そうか」 
「じゃ、よろしくね、カル」
「おう」
 帰るか、と一同が揃って車を停めた方向に歩き出す。
 リーアムと会話を交わすクリステンとハンナを先に見、ウォレンがカルヴァートの肘をつついた。
「カル」
「あん?」
「ひとつ頼みたいことがあるんだが」
「何だ?」
「リーアムについて、捜索願か何か出てるか調べてほしい」
 前方との距離をとりつつ話すウォレンに、怪訝な様子でカルヴァートが説明を促す。
「妹の話してたろ?」
「妹? ああ、マリアって子が妹に似てるってヤツか」
 頷いてたカルヴァートが、あれ、と小首を傾げる。
「そういやあいつ、家族はいねぇって言ってなかったか?」
「言ってたな」
「俺ぁ死んだって聞いたぞ」
「俺もだ。が、さっきの調子からすると、妹は生きてるっぽくないか?」
 ふーむ、とカルヴァートがリーアムと会話を交わしたときを思い出す。
「……確かに、家族はいねぇって聞いたときも何かちょっと引っかかるような話し方だったかな。こう、自分に言い聞かせるってかなんつーか」
 そうだな、とウォレンが相槌を打ち、カルヴァートが大きく息を吐く。
「……家出ねぇ。ま、調べて見るか」
「名前は本名かもしれないが、名字は変えているかもな」
「だな。で、調べるのはいいけどよ、お前NY近郊で毎日どんくらいの子どもが行方不明になってるか知ってるか?」
「さぁ。どのくらいだ?」
「んにゃ、俺も知らね」
「なら聞くな」
「多すぎるってことが言いたかったんだよ」
「専用端末があればすぐに分かるんじゃないのか?」
「そう簡単じゃあねぇんだな、これが」
 失踪者の名前が全て、失踪者のリストに表示されるとは限らない。
 独り身の者や家族からの連絡がなかった場合、認識されない失踪者が存在することとなる。
 ちら、とカルヴァートからの視線を感じ、ウォレンが息をつく。
「……いくら欲しいんだ?」
「すりゃ極秘で勝手に職場のシステムを使用する危険性を考えると――」
「人助けと思って行動することはできないのか?」
「人助けかもしれねぇが、お前の頼みとあっちゃあ無料ってわけには、なぁ」
 前方を行く3人にばれないよう、値段の駆け引きが始まり、最終的にはカルヴァートの満足のいく値で取引が終了したらしい。
 機嫌がよさそうなエンジン音を響かせ、彼の車が去っていく。


 ヤング家に着けば、シェリが用意した夕食が待っていた。
 食卓について今日の出来事を話しているときは、リーアムはまだ、次の週にまたマリアに会えるものと信じていた。
Page Top