IN THIS CITY

第4話 A Phone Call Away

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10 It's You Again

 白い息を吐きつつ、リーアムは腕時計に目を落とした。
 あと5分ほどで夜の9時になる。ジェイクが言っていたクラブで仕事の紹介が開始される時間だ。
 どうしようか直前まで迷っていたものの、やはり実入りのいい仕事にありつける可能性があるのであれば、足を運んでみる価値はあるだろう。
 半ば急ぎ足になり、リーアムはジェイクに聞いた道を頭の中に描きながら目的地を目指した。
 あと1ブロックほどとなった路地に差し掛かったとき、勢いよくドアが開かれる音がし、次いで音楽が漏れ出てきた。
 足を止め、その方向を見る。
 どうやらクラブの裏口が開かれたらしい。
 後ろを見やりながら駆け出てきた2人の男を確認すれば、待て、といった類の怒声が音楽に紛れて届いてきた。
 直後、裏口の外にずっと立っていたらしい男が最初にドアから出てきた男に掴みかかった。
 逃げようとする男と逃がすまいとする男の取っ組み合いは、ドアから出てきた男に分があったらしい。側のガラクタのほうへ相手を投げると、踵を返して再び逃げ始めた。
 何が起こっているのか把握できない中、リーアムはその男の背後に見かけたことのある姿を見つける。
「フリーリー、ちょ、待ってくれ」
「うるせぇ! 速く走れ!」
 あの夜に財布を掏った相手だ、と思い出すとともに、止まれ、と声を上げながら彼らの更に後ろから拳銃を持った男が出てくるのを見、リーアムの足が竦む。
 無我夢中で逃げようとしていたフリーリーだったが、追っ手の捜査官の声を聞き、次いでリーアムの存在を認識した。丁度いい人質だ、とでもいうように彼に向けて駆け出した。
 カルヴァートもまた、逃げるフリーリーの先に立っている少年に気づく。
「おいフリーリー止せ!」
 今後のフリーリーの行動を察してカルヴァートが声をかける。
 フリーリーがポケットからナイフを取り出すのを見、リーアムは彼が自分を人質にとろうとしていることに気づいた。が、駆け出すのが遅く、腕を掴まれ引き戻される。体に回転させる力が働き、気づけばフリーリーの盾となる形でドアから出てきた捜査官と対峙した。
 その喉元に、ナイフが突き出される。
「銃を下ろせ!」
「おいおい人質はヤバくねぇか?」
 言いながらカルヴァートが少年を一瞥した。
 が、見覚えがある、と再び視線を戻す。少年と目が合えば、誰であるか認識できた。
「うるせぇディエゴ、突っ立ってねぇであいつらから拳銃奪ってこい!」
 フリーリーの命令を受け、カルヴァートが困ったような様子で後ろを振り返る。拳銃をフリーリーに向けて構えるフリオの近くで、先ほどガラクタの中に突き飛ばされたデイヴィッドが起き上がる。
 彼らと何やら目で会話するカルヴァートだったが、その様子はフリーリーには見えなかったらしい。
「もたもたすんなディエゴ!」
 言いつつフリーリーがナイフをリーアムの喉元により強く突きつけた。
 皮膚を破ったか、リーアムが声を上げ、カルヴァートが振り返る。
「フリーリー、ディエゴ、抵抗するな。じきに他の捜査官も来る。諦めろ」
 そう告げるフリオからは少し距離をとり、デイヴィッドもまた痛む身体をおして臨戦態勢に入る。
「え、まだ来んの?」
 勘弁してくれよ、と手を挙げようとするカルヴァートを見、フリーリーが牽制の声を放つ。
「ディエゴ!」
「いやでもよ、フリーリー」
 言いつつ彼の後ろにふと視線をやる。
 新手の捜査官が来たと推察したか、フリーリーが体を後方へ向けた。
 瞬間的にナイフがリーアムの首から少し離れ、フリオの位置からフリーリーの右肩が射線上に入る。
 機を逃さずフリーリーが発砲すれば、痛みの声を上げてフリーリーがナイフを落として後退し、尻もちをつく。彼が体勢を整える前にフリオが駆け寄り、リーアムを救出しながらフリーリーに銃口を向けた。
「大丈夫か?」
 尋ねられ、リーアムはフリオを見上げると、何が何だか分からないままにとりあえず頷いた。
 時を同じくしてデイヴィッドがカルヴァートに体当たりを喰らわせ、地面に倒す。
「いででで」
「観念しろ、ディエゴ」
 言いながらデイヴィッドが後ろ手にカルヴァートに手錠をかけると立ち上がる。
「フリーリー、お前もだ」
 言いつつ銃口を彼に向けているフリオから別の手錠を受け取ると、デイヴィッドはフリーリーに歩を進める。彼が『ディエゴ』に対して、足を引っ張りやがって、と悪態をつく様子を見ながらフリーリーにもまた後ろ手に手錠をかけた。
「よし、ディエゴはお前に任せる」
 構えを解いたフリオがそう告げ、デイヴィッドの了解の言葉を受け取るとフリーリーに歩み寄って彼を無理矢理立たせた。
「痛ぇよ引っ張んな!」
「ほれ、歩け」
「ディエゴ、てめぇこの野郎、覚えておけよ!」
 その他にも色々と汚い言葉を残しつつ、フリーリーはフリオに引っ立てられて路地の先へと消えて言った。
 それを確認するとカルヴァートは仰向けになり、ついで勢いをつけて立ち上がった。
「……バレたかな?」
「いやぁ、お前が案外ポンコツだってのは周知の事実だろうし」
「お前こそ簡単に投げられやがって」
 言いながら、ほれ外せ、とカルヴァートが後ろの手をデイヴィッドに見せる。
「いや、あいつ意外に力が強くてだな……」
 ぼそっと言い訳を落としながらデイヴィッドがカルヴァートにかけていた手錠を外す。
「ジム、ちゃんと行ってんの?」
「ああ、ジムな。うん」
 曖昧なデイヴィッドの回答を聞きつつ、手首をさすりながらカルヴァートが視線を移動させ、近くで呆然と立っているリーアムに固定した。
「あー、首、ちょっと切れちまったか、悪かった」
 歩み寄って傷の具合を確認するカルヴァートの後ろで、デイヴィッドが他の捜査官と連絡をとる声が聞こえる。
「中は?」
「問題ない。全員確保済みだ。品物はこれから押収する。その子の傷は?」
 伝えながらデイヴィッドがハンカチをカルヴァートに渡す。
「病院に行くまでもねぇかな」
 言いながらカルヴァートが受け取ったハンカチをリーアムの首筋に当てる。
「リーアムだったか?」
「え?」
「名前」
「あ、うん」
 頷くリーアムの様子を見、
「なんだ、知り合いか?」
 とデイヴィッドがカルヴァートに尋ねる。
「んー、まぁね」
「ならその子のことは任せたぞ。俺は中に戻る」
「了解」
 よろしく、とカルヴァートはデイヴィッドに手を上げる。
 その様子を見ていたリーアムの視線に気づき、カルヴァートは彼に振り返った。
「なんだ?」
「え、いや、えーっと、……あの、ディエゴはさっきの人の仲間じゃないの?」
「ん?」
 質問の意味を数瞬かけて理解し、カルヴァートが、あー、と頷く。
「まぁついさっきまでは悪い人だったかな。今は表返ってっから心配すんな」
 答えれば、リーアムもまた数瞬の間を置いて状況を理解したらしく、頷いた。
「でもって今はブライデン・カルヴァートだ。カルって呼んでくれ」
「あ、うん」
「傷、痛むか?」
「……いや、そんなに……」
 小声で答えつつ、リーアムは首筋に当てていたハンカチをとった。手の中のそれを見てみれば筋状に赤く染まっており、慌てて元に戻した。
「とりあえず、オフィスで手当てするか」
 ついてこい、とカルヴァートが首で合図する。
 断ることはできず、リーアムが頷きを返す。
「まぁあれだな。俺の財布を掏ったバチだな」
 カルヴァートが口の端を上げれば、リーアムが萎縮する。
「メイスから全部聞いた。許してやらなくもないけどよ、お前次第だな」
 リーアムの肩を叩き、彼を車のほうへ案内する。
 野次馬が押し寄せてきているようだがそれは他の捜査官に任せ、カルヴァートはフリーリーや他の連中がいないか周囲を確認すると、リーアムを連れて車に乗り込んだ。


 エレベーターが開き、カルヴァートが先に出るようにリーアムを促す。
 許可証を胸に、リーアムは緊張しながら足を踏み出した。
 ドラマで見たことはあるものの、実際に訪れるのは初めてのことだ。
「こっちだ」
 カルヴァートの後に続き、足を進める。
 それとなく視線を巡らせれば、FBIのオフィス内には人がまだ残っていた。慌ただしさが垣間見られるのは、先ほどの逮捕劇が関係しているのだろう。
 前を行くカルヴァートは気さくな人柄らしく、すれ違う職員によく声をかけられていた。
「お、カル。明日からスーツ姿に復帰か?」
「そんな堅苦しい服装に戻るわけねぇだろ」
 潜入のほうが性に合っている、とカルヴァートが渋い顔をする。
「さて、と。フリオの席でも借りるか――」
 椅子を引こうとしたものの、机の上の書類が雪崩れにでも遭ったように崩壊しており、それが椅子の背で止まっていた。
 この現場はこのまま保存しなければ、更に被害が拡大するだろう。
 仕方ない、とため息をついてカルヴァートが周囲を見る。
 ふと、モリソンの部屋が目に留まる。改めて上司である彼の姿を探すが、近くにはいないようだった。
「借りるか」
 ドアに手をかければ鍵はかかっておらず、カルヴァートは中に入るとリーアムにソファに座るよう勧めた。
「血はどうだ?」
 尋ねられ、リーアムは首元を押さえていた手を離す。
 ハンカチには血がついているが、そろそろ止まってきているようだった。
「そんなに悪くないよ」
「一応ガーゼを貼っとくか。見つけてくっからそこで休んでろ」
 言い残して部屋を出、カルヴァートは救急箱を探す。
「お、カル」
「よぉ、グレン」
 ふと声をかけてきたグレン・クロスに挨拶をしつつ、カルヴァートは救急箱を開ける。
「ようやく決着がついたらしいじゃないか」
「まぁな」
「あれは誰だ?」
「ん?」
 示された方向を一瞥すれば、大人しくモリソンの部屋のソファに座っているリーアムの姿が見える。
「ああ、間の悪いときに間の悪い場所にいた奴だ」
「息子か?」
 耳に届いてきたクロスの声に、眉根を寄せて彼を見る。
「……俺そんなに老けてるか?」
「かもな」
 クロスが頷きを返せば、カルヴァートが彼を睨む。
「冗談だ。一仕事終わって若返ってるぞ」
「そういうお前も嬉しそうだな」
「ああ。お、いけね。忘れるところだ。行かなきゃ」
 腕時計を確認し、クロスが上着を手に取る。
「何かあったのか?」
「ランドルフが連絡を取ってきた。俺のほうも大きく動きそうだ」
「ランドルフ? タイラー・ランドルフか?」
「ああ」
「なんでまた急に?」
「昨夜オルドネスが手下にランドルフの始末を依頼したらしいが、そいつがしくじってな。で、裏切られたランドルフが俺たちとの取引に応じようとしているところだ」
「不信を埋め込むのに成功したわけか。粘り勝ちだな」
「まぁプレッシャーはかけ続けていたからな。だが、ランドルフはあくまで応じようとしているところ、だ。まだどう転ぶか分からん。ま、今回は逃がさん」
 それじゃ、と軽く手を上げ、クロスがエレベーターに向かう。
「明日の夜は祝い酒だな」
「いいや、後始末に追われているだろうよ」
 クロスの言葉に、確かに、と返しつつ、カルヴァートはガーゼとテープを手に取ると、モリソンの部屋に向かった。
 背後においてエレベーターが開き、慌ただしい音が聞こえてくる。
 カルヴァートは咄嗟に柱の影に隠れると様子を窺った。
 肩口を負傷したフリーリーは病院に運ばれただろうが、彼の仲間は今夜次々と連行されてくるだろう。
「……俺の部屋のほうがよかったかな」
 小声で呟きつつも周囲の騒がしさが落ち着いた頃を見計らい、モリソンの部屋に入り、ブラインドを下すとカルヴァートはソファの前に椅子を引き寄せ、近くのテーブルにガーゼとテープを置くと座った。
「傷、見せろ」
 言われ、リーアムは首からハンカチを離した。
 消毒液のついたガーゼが沁み、リーアムが眉根を寄せる。
「おいおい、泣くんじゃねーぞ」
「泣かないよ」
「そうか? 意外とタフだな」
 にっと笑うカルヴァートに小馬鹿にされたような感じがし、リーアムは憮然と視線を落とした。
「無事でよかったが、あんなとこで何してたんだ?」
「…………」
「また誰かの財布を掏ろうとしてたのか?」
「違うよ」
「そうか?」
 テープを貼り終え、カルヴァートがリーアムの目を覗き込む。
 思わず視線を逸らせてしまったリーアムだが、意を決すると口を開いた。
「……ごめんなさい」
「ん?」
「この前の夜、財布掏っちゃったから」
「ああ、あれな。……どうすっかなー」
 許そうか許さないでおこうか、といったいたずらな表情をするカルヴァートを見、謝って損をした感覚に陥り、
「……5ドルしか入っていなかったって聞いたけど」
 とリーアムが付け加えた。
 それを聞き、渋い顔をすると、お前もなかなか言うな、とカルヴァートがため息をつく。
「まぁ済んだことだ。それはいいとして、今夜はあんなところで何してたんだ?」
「……別に」
「クラブ街で未成年がうろちょろしていて『別に』なわけねぇだろ」
「……あの近くのクラブで、仕事の紹介があるって聞いて、それで向かってたら、いきなり――」
 一度区切ると、リーアムが手でドアが開く動作を真似する。
「――大きな男の人が出てきて……」
 ガーゼの貼られている首筋を押さえ、リーアムは口を閉じた。
 まだ何が起こったのか飲み込めていない。だが、足が竦んだあのときの感覚はずっと残っている。
 その様子を見、カルヴァートはリーアムの肩を軽く叩いた。
「心配すんな。あいつの身柄は確保した」
 カルヴァートの言葉を聞き、リーアムが頷く。
「……で、その仕事の紹介ってやつだけどよ、お前クラブで働く気か? その年で?」
「…………」
「働き先見つけたって聞いたぞ」
「でも、安いし……」
「安いって、お前なぁ――」
「カル」
 部屋のドアが開き、デイヴィッドが顔を出す。リーアムがいるのを確認すると、仔細は述べずに首を傾けて出てくるようにカルヴァートに伝えた。
 頷いて答え、カルヴァートは椅子から腰を上げる。
「――悪ぃな、ちょいと仕事のほうを片付けてくるわ。暫くここで待っててくれるか?」
「いいよ」
「何か飲むか?」
「いや、いらない」
「そっか。ならいい子にな」
 笑みと一言を残すとカルヴァートはモリソンの部屋から出て行った。
 ドアが閉まり、彼らが去っていく足音が小さくなると、リーアムは室内に視線を戻した。
 ひとつ大きく息をつけば、緊張が解けたのか手足が重くなる。
 頭はぼんやりとしており、思考が働けるような状況ではなかった。
 ぼそぼそと聞こえてくる会話を耳にしながら、リーアムはいつの間にか目を閉じていた。


 ニュースの音声に突如として玄関のベル音が紛れ込み、ウォレンはシャツを羽織るとゆっくりとドアに向かった。
 途中、朝も早いというのにカルヴァートが大きな声で、いるんだろ、開けろ、と催促してくる。
 覗き穴から確認するまでもなく、ため息をつくとチェーンを外し、ドアを開けた。
「お、いたいた。ん? 起きたてか? なんか鈍そうだぞ?」
「何の用だ?」
「不機嫌そうだな」
「朝から騒がれればそうなる」
「騒いじゃいねーよ」
 否定するカルヴァートに、ウォレンは口元のみの微笑を作り、短く切り上げた。
「で、何の用だ?」
 尋ねられ、カルヴァートが後ろを見る。
 それに倣ってウォレンもまた彼の後ろを見れば、記憶に新しい顔がそこにあった。
「お前――」
 リーアムだったか、と確認しようとしたところで、
「失礼」
 と不意に室内から声がし、ハンナが荷物を抱えて外に出てきた。
 彼女の目が驚いた様子のカルヴァートと合う。
「あら、カル」
「やぁ、ハンナ」
 髪の流れを正すハンナに、カルヴァートが微笑を送る。
「それと、弟くんも」
 同じように驚いた様子のリーアムを見て、ハンナが続ける。
「あ、正しくは違うけど――、まぁいっか」
 にっこりとした彼女の顔を見、リーアムもまた軽く肘を広げて挨拶をした。
 照れた笑みを浮かべながらハンナが振り返り、ウォレンを見る。
「えーっと、それじゃ、また今夜ね。メイス」
「ああ」
 もう一歩近づこうとしたハンナだったが、後ろの2人を意識してその動作を止め、ウォレンの目を見ると踵を返した。
「またね」
 カルヴァートとリーアムにも挨拶し、ハンナはアパートの外へと去っていった。
「……邪魔したか?」
 彼女を見送った後、ふと振り返り、カルヴァートがウォレンに尋ねる。
 かもな、と素っ気なく返し、ウォレンはドア枠に背をもたれかけさせた。
「何しに来たんだ?」
「ん。こいつの進路相談」
 リーアムの背中を叩き、カルヴァートが彼を前に押しやる。
「……また何かしたのか?」
「何もしてないよ」
 首を振って答えるリーアムの後ろで、カルヴァートが補足する。
「稼ぎのいい仕事を探しているらしい」
「別に探しているわけじゃ――」
「そうか? 昨日の夜と今日の朝と、俺2回ほど同じ話を聞いたんだけどな」
 おかしいな、というカルヴァートの口調とウォレンの視線を受け、リーアムは反論を止めて口を噤んだ。
「それで、何で俺のところに?」
「放っとけないだろ? うっかり面倒ごとに巻き込まれそうだし」
「児童福祉局に任せればいいんじゃないのか?」
「……お前冷てぇこと言うなぁ」
 眉をひそめるカルヴァートの横で、リーアムもまた視線を落とす。
 その様子を見、ひとつ息をつくとウォレンは、中に入れ、と2人を促した。
 先に入っていく彼を見、リーアムは次いでカルヴァートを見上げた。
 入れ、との彼からの合図を受け、部屋に踏み込む。
 居間を見渡すが、家具類がほとんどなく、生活感があまりなかった。
「何もねぇなぁ」
 リーアムと同じ感想を呟きながら、カルヴァートが隣のバスルームのドアを開ければ、洗面台にオレンジ色の瓶を発見した。
 なるほど、とウォレンの反応が心持ち鈍い理由を察し、カルヴァートはバスルームのドアを静かに閉めた。
「お前この前新しい仕事が見つかった、と言っていなかったか?」
「見つかったよ。今もそこで働いている」
 リーアムの返答に、怪訝な様子でウォレンがカルヴァートを見る。
「でもそこの給料が安いから、スウィート・バニーズっていうクラブに行って、より割りのいい仕事に就こうとしたんだよな」
「えーっと、話を聞くだけでも、と思っただけで――」
「けど割りのいい仕事の話が出たら乗っただろ?」
 カルヴァートに確認され、リーアムは、そうかも、と肩を竦めた。
「スウィート・バニーズ? 昨夜逮捕劇があったクラブの近くだな」
「あれ。何で知ってんだ?」
 問いを聞き、ウォレンはテレビを示して答えた。
 音量は下げられているものの、画面では昨夜の一件のニュースが報道されている。
「公務員も大変だな」
 カルヴァートを一瞥し、ウォレンは壁に背中をついた。
「ここに来るよりも報告書の作成をしていたほうがいいんじゃないのか?」
 軽く首を傾げて尋ねれば、カルヴァートが口元を緩め、無言を返す。
 否定しないところを見ると、当たりらしい。
 表情は変えないまま、警察ではなくFBIのほうか、とウォレンは内心で舌打ちをした。担当事件から考えて仕事上の探りを入れてきているわけではなさそうだが、用心するに越したことはない。
「報道されていた『少年を人質に』の少年はお前か」
 カルヴァートから視線を逸らし、リーアムを見る。
 昨夜のことを思い出したか、小さくなりつつも、まぁね、とリーアムが肩を竦め、首筋を手で押さえた。
「……クラブに行く途中で、巻き込まれちゃって。カルヴァートがいなかったら危なかったかも」
「俺ぁ助けちゃいねーよ。助けたのは俺の同僚だ」
「何でまたクラブで働こうと?」
「クラブで、じゃないよ。そこに行けば、仕事の紹介があるって聞いたから」
「紹介?」
 尋ねながらウォレンがカルヴァートを一瞥すれば、彼が軽く手を広げる。
「何でそんなに稼ぎたいんだ?」
「生活するためだよ」
「今でも生計は立っているんだろ?」
「そりゃ困ってはいないけど、ギリギリの生活じゃなくて、これくらい広い部屋を借りれるようになって、1人で暮らして、普通に生活を送りたいだけ」
「で、クラブに行けば何とかなるって思ったわけか」
 単純だな、とカルヴァートが息をつく。
「だってスーパーで働いている人が、いい仕事が見つかるかもって言ってたから……」
「……怪しいと思わなかったのか?」
「そりゃ少しは思ったけどさ」
「そのクラブについてはいい噂は聞かない。行かなくて正解だったろうな」
 ウォレンの言葉に、カルヴァートも頷いて同意を示す。
「焦る気持ちは分かるが、せっかくまともな――」
 ウォレンが言いかけたところでリーアムの腹から音が響き、彼が慌てて腹部を押さえる。
 見事な音量に参ったか、少しの間を置いた後にカルヴァートが噴き出した。
「……真面目な話はつまらないのか?」
 笑うカルヴァートを他所にウォレンが尋ねれば、
「いや、そうじゃないけど……」
 と若干気まずそうにリーアムが答える。
「まぁ仕方ねぇよな。昨日の夜から何も食ってねぇモンな」
 一通り笑った後でカルヴァートがウォレンを見る。
「メイス、何か食うモンないか?」
 カルヴァートの問いに、生憎、とウォレンが肩を竦める。
「……ハンナがさっきまでいたのに何もねぇのか?」
「ここには包丁から鍋まで何もないからな」
 唯一あるのは湯沸し器のみ、とウォレンがキッチンを示す。
 そうか、と肩を落としたカルヴァートがリーアムを見ながら頭を掻く。
 再び鳴る腹を押さえ込むリーアムを見、カルヴァートがふと思いついたようにウォレンに視線を戻した。
 彼の言わんとすることを察し、ウォレンが手のひらを見せる。
「……俺は行かないぞ」
「いいじゃねぇか。久しぶりだろ?」
「2人で行ってこい。俺は仕事がある」
「まだ時間あるだろ」
「カル――」
「お前こいつの保護者と似たようなモンなんだから」
 誰がだ、というウォレンの視線は無視し、カルヴァートは展開についていけてないリーアムを見やった。
「じゃ、一番うまい朝食のところへ行くとすっか」
 にっと笑うカルヴァートを見つつ、リーアムは空腹を訴える胃の腑あたりを押さえ込んだ。
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