13 Missing
近くの時計に目をやる。午後3時半を過ぎようとしていた。ゴミ袋の中にカップを捨てながら、リーアムは教会の前の広場に視線を巡らす。
だが見回しても、来週の日曜日にまた会おう、と約束したマリアの姿は見当たらなかった。
「疲れた?」
ふと、ハンナの声が聞こえ、リーアムが振り返る。
「あ、ううん、別に」
「休んでいいのよ? リーアムけっこう立ちっぱなしだったでしょ?」
「大丈夫、平気だよ」
口元を上げて答えれば、ハンナが微笑を返してくる。
「今日も来てくれて助かったわ」
それにしても、とハンナが続ける。
「あいつら金曜日のフットボール観戦にはついてきたのに、『用事があるから』って今日は逃げちゃって。ま、カルは仕事かもしれないけどメイスは絶対に暇しているのに」
腰に手を当ててハンナがため息をつく。
今日は荷物持ちがいなかったため若干不服らしい。
「でも先週はすごく手伝ってくれたし」
リーアムがフォローを入れれば、そうなんだけどね、とハンナが肩を竦める。
「それで、お目当てのマリアちゃんには会えた?」
にーっと笑うハンナに、慌ててリーアムが首を振る。
「お目当てじゃないよ、先週、また会おうね、って約束をしただけで……」
「うんうん」
「……でも今日は来てないみたいなんだ」
再び教会の前の広場を見渡し、リーアムが首を振る。
「あれ、そうなの? いつもお昼過ぎには来ているのに……」
ハンナも周囲を見回し、どうしたのかな、と首を傾げる。
暫く広場を見ていたリーアムだったが、ふと、ハンナを見上げる。
「ちょっと、マリアの家に行ってこようかな」
「あら、家知ってるの?」
「この前送って行ったから」
そっか、とハンナが頷く。
「一緒に行こうか?」
「ううん、すぐそこだし、大丈夫」
「そう? じゃ、気をつけてね」
「うん」
走っていくリーアムの背中を見、1人で行かせて大丈夫だったかな、と不安になったものの、マリアの家がこの付近であればそれほど心配する必要はないだろう、とハンナはボランティアの仕事に戻った。
先週の日曜日にマリアと共に歩いた道筋を辿る。
相変わらず界隈からの視線は心地よくなく、リーアムは前を向いて早足で歩いた。
マリアのアパートの前に着き、ひとつ、息をつく。
ベルを鳴らしたが、すぐに返事はなかった。
人の気配はしたためそのまま待っていたところ、ドアが開かれ、マリアの母親が外を覗いてきた。
「あ、こんにちは」
挨拶をしたものの、母親からは返事がない。
「あの……、覚えていますか?」
どれくらいか、じっと母親に見つめられた後、
「……あんた、この前来たね」
と片言ながらも彼女が口を開いた。
ほっとしながらリーアムが頷き、口元を綻ばせる。
「マリアの友達です」
「友達」
ふぅん、と興味なさそうにリーアムの全身を見、母親が頷く。
「あの、マリアは――」
「マリアは、いない」
きっぱりと言われ、リーアムが反射的に口を閉じる。
快く思われていないのか、と思うと視線が下がっていく。だが、リーアムは再び母親を見た。
「えーっと、いつ頃帰ってくるか分かりますか? 今日、教会の広場で会う約束をしたんです。それで、これ――」
ポケットから小さなクマのぬいぐるみのついたキーホルダーを取り出し、母親に見せる。
「――友達になってくれたお礼に、渡したくて」
キーホルダーを見ていた母親だったが、無表情のまま、リーアムを見上げる。
微笑んでいたリーアムだったが、歓迎されていないような雰囲気を感じ取り、腕を下げ、視線を落とした。
「……来週なら、マリア、来てくれるかな」
呟くように、リーアムがこぼした。
母親が、彼から視線を逸らす。
「……帰ってこないよ」
ふと、母親の声が聞こえてき、リーアムが顔を上げる。
「マリアは、帰ってこない」
再び同じことを言われるが、リーアムは即時的に理解ができなかった。
そのままドアを閉めようとする母親に気づき、慌ててリーアムがドアを押さえる。
「ちょっと待って、帰ってこないって、どういうことですか?」
「マリアは、戻らない。あんたは、帰れ」
「ちょっと――」
強い力でドアが閉められようとするが、リーアムは踏ん張り、辛うじてそれを止めた。
「どういうことですか?」
「うるさいよ、放っといて。帰れ」
ぶっきらぼうに告げ、ドアを閉めようとする母親の様子に、リーアムはマリアがただいなくなっただけではないことをを感じ取る。
「事故か何かに遭ったんですか?」
「違う」
「それじゃ、何が――」
「違うけど、帰れ」
「おばさん!」
リーアムの強い声に、母親が彼を見る。
口をきっと結び、睨めつけるような彼女の目に圧倒されかけたが、リーアムは堪えた。
「……何があったんですか?」
母親は答えず、ドアを握ったままリーアムから視線を逸らした。
「死んじゃいないよ」
それを聞き、リーアムが少し安心しかけたとき、
「連れて行かれた」
との言葉が耳に入り、リーアムは一瞬、血の流れが止まるのを感じた。
「……え?」
「連れて行かれた」
「連れて行かれたって――、どこへ?」
「さぁね」
「どういうこと?」
質問を続けるリーアムに、ひとつ大きく彼女がため息をつく。
「あたしが、売ったんだ」
彼女の口から出てきた言葉だが、リーアムはすぐに理解できなかった。
「あたしが売ったんだよ」
呆然と立っているリーアムにもう一度告げると、母親はドアを閉めようとした。
その動きに我に返り、リーアムが慌ててドアを押さえる。
『あんたもしつこいね、早く帰んな』
うんざりした様子で母親がドアに力を入れる。が、リーアムもまたドアを押さえ返す。
「ちょっと待って」
「マリアはいない。分かっただろ」
「でも――」
言葉を発しようとするが、適切なそれを見つけられず、リーアムはドアを押さえながらただ、彼女を見ていた。
何故、という疑問は多数湧き上がるものの、言葉として口から出てこない。
目の前のこの人はマリアの母親だ。
それが、売った、とはどういうことなのか。
「売ったって――」
言いかけたところで、ふと彼女が誰かと重なった。
顔を見たことはない。ただ、実子を捨てた、とのみ認識している「誰か」だ。
「――そんなに、いらなかったんですか?」
『うるさいね、いい加減出て行っておくれよ』
「何で……」
理解できない、と困惑した表情のリーアムを尻目に、母親がドアに力をかける。
押し返すのを忘れ、玄関のドアが大きな音を立てて閉まった。
その音に瞬きをし、リーアムが一歩後ろに下がる。
頭の中は騒いでいるのだが、体が動こうとしない。
「金が必要だったんだろ」
ふと聞こえてきた声に、その主を見る。
「……ジェイク?」
予想していなかった人物の顔を見、リーアムが怪訝な表情をする。
「何でここに?」
「あん? 後金を届けに」
軽く告げ、ジェイクは玄関のドアを叩き、何かスペイン語で中にいる人物に向かって話しかけた。
ドアが開き、母親が顔を出す。
リーアムの姿を見て、更にむっとした表情になる。
ジェイクがポケットから丸まった紙幣を取り出して何かを告げると母親がそれを掴み取り、金額を確認し、リーアムを見ることなくドアを閉めた。
目の前で行われた短時間のやり取りをどう理解していいのか分からず、リーアムがその場に立ち尽くす。
売った、という母親の言葉が反芻される。
ふと、リーアムがジェイクを見た。
「……もしかして」
ポケットに両手を突っ込み、リーアムの言わんとすることを察してジェイクが頷く。
「ああ」
悪びれもなく肯定するジェイクに、まだ起こっていることが信じられず、リーアムは次の動きがとれずに彼を見ていた。
何となく悪事に関わっていそうな雰囲気はしていたものの、まさかジェイクが人を買うような真似をする人間とは思っていなかった。
「この前お前からここのボランティアの話を聞いてな。来れば1人や2人、手に入ると思ったんだ。案の定、ここのおばちゃんが話に乗ってきた」
お前から、とのくだりを聞き、リーアムの心臓が痛むと同時に、怒りがふつふつと込み上げてくる。
「そう怖い顔すんなよ。マリアは他の子たちと一緒にいっから、お前が側にいてやらなくても寂しくないって」
「……他の子たち?」
リーアムの疑問には答えず、ジェイクがにっと笑う。
その様子がリーアムの怒りを加速させ、彼が顎を引いてジェイクを睨む。
「マリアはどこ?」
「さぁな」
口元は緩いまま軽く肩を竦めるジェイクに、
「どこだよ!」
とリーアムが彼の胸倉を掴み押しやる。
「おおっと、おいおい落ち着けよ」
「どこに連れてったんだよ!」
「落ち着けって」
「ジェイク!」
転瞬、ジェイクに押しのけられてリーアムが反対側の廊下の壁に頭をぶつける。
「そんなにマリアに会いてぇのか?」
後頭部に受けた鈍い痛みを消化しつつ、リーアムが顔を上げる。
「まぁ知られたからには放っておけねぇし、お前も一応候補だしな」
「……候補?」
「15歳、ブロンド、残念なのは目が薄茶ってところか。『失踪』されると面倒になるから自主的に来てもらうはずだったんだけどな。お前、けっこう警戒心強いんだな。ま、お前には身寄りがいねぇし、失踪してもなんとかなるか」
ジェイクの言った言葉を理解するよりも前に、彼がリーアムに近づく。
そこでリーアムの意識が途切れた。
教会の近くに車を停め、ウォレンが降りる。
その姿を見、クリステンたちと話をしていたハンナが駆け寄ってくる。
「メイス」
「見つかったか?」
「まだ」
首を振ってハンナが答え、2人でクリステンたちがいる教会の前の広場へ向かう。
「どうしよう、私が1人で行かせたから、大丈夫と思ったからつい1人でマリアの家に行かせちゃって、でもあの道筋で迷子になるはずないし、きっと何か悪いことが――」
「ハンナ」
声が震えてくる彼女の肩に手を置き、ウォレンが足を止める。
「君の責任じゃない。自分を責めるな」
ハンナの目を見て告げれば、彼女が頷いて涙をこぼした。
「メイス」
クリステンの声に、2人が振り返る。
「カルは仕事中みたい。全然繋がらない」
携帯電話を片手に、クリステンが首を振る。
彼女の後ろのほうでは、ボランティア参加者もまた、リーアムを探しているところだった。
「そのマリアの家は?」
「行ってみたけど、来ていないって」
そうか、とウォレンが頷く。
「近いのか?」
「絶対迷子にはならない距離よ」
「……案内してくれ」
もう一度確認を、という彼に、ハンナとクリステンが歩き始める。
電灯の寿命がつきそうなアパートの廊下を歩き、ここよ、とハンナがウォレンを振り返る。
ドアの下からは室内の明かりが漏れており、人がいる様子だった。
ノックしようとする彼女を下がらせ、ウォレンは戸口に立つとスペイン語で中に話しかけた。
それほどの間を置かず、マリアの母親がドアを開ける。
だが、3人の顔を確認した直後、ドアを閉めようとする。
手でそれを押さえ、ウォレンが彼女を見る。
『少し尋ねたいことがあるだけだ。時間はとらせない』
『リーアムって子のことだろ、そこにいる彼女らにも言ったけど、そんな男の子は来てないよ』
返事をしつつドアを押すが、ウォレンの力には敵わない。
「もう一度思い出してみてください。このくらいの背丈で――」
「来てない、そう言ったろ!」
強い口調で遮られ、ハンナが口を閉じる。
『しつこいね、まったく』
「ハンナ、クリステン、向こうで待っていてくれないか」
ドアを押さえつつ、ウォレンが2人に告げる。
「でも――」
「頼む」
目で、向こうへ、と促すウォレンを見、ハンナとクリステンは小さく頷くと後ろを気にかけながらアパートの入り口のほうへ向かった。
2人を見送り、ウォレンがマリアの母親に視線を戻す。
『ブロンド、薄い茶色の目で15歳くらいの男の子だ。名前はリーアム』
『知らないね』
『知っているはずだ』
『知らないよ』
『あなたの娘さん、マリアだったか? 毎回炊き出しに来ているその子が今日は来なかったらしいな。リーアムは心配していた。何かあったんじゃないかってね』
『何もありゃしないよ』
『男の子、ここに来ただろ』
ドア枠に手をかけ、母親の目を見る。
無言のまま睨み上げてきた彼女だったが、懸命に押し負けないよう振舞っているようだった。
ウォレンがドア枠から手を離して重心を元に戻し、ポケットから20ドル紙幣を5枚ほど取り出す。
無言でそれを見せれば、母親が素早い動作で掴もうとしてきた。
紙幣を持っている腕を引き、ウォレンが軽く首を振る。
その彼を見、母親が大きくため息をつく。
『……男の子は来たよ。けどすぐ帰って行った』
『こっちには戻ってきていない』
『その後は知らないね』
言いながら一歩踏み出して紙幣を掴もうとするが、ウォレンがそれを遠のける。
『正直に話しただろ』
『十分じゃない』
『……100ドルくらいじゃ話せないね』
『……交渉する気か?』
緩く眉をひそめるウォレンに、母親が腕を組んで引かないことを示す。
『止めておいたほうがいい。どうやら、こっちが欲しい情報をあんたは持っているらしい。100で呑まないのなら、実力行使をしてもいいが』
『……そんなことしたらここの住人が黙っちゃいないよ』
『なるほど。で、俺が彼らから仕返しを喰らうのは、あんたが腕を失う前か? それとも後かな』
目はそのままに口元を上げれば、母親の表情が変わる。
『……ジェイクって男が連れて行ったよ。多分ね』
『ジェイク?』
『ああ』
『誰だ?』
『さぁね』
母親の目を見つつ、無言でウォレンが僅かに首を傾げる。
『一度やり取りをしただけさ』
『やり取り?』
『……商売だよ』
曖昧な回答を返し、ウォレンを見る。が、特段の反応はなく、母親はため息をつくと続けた。
『向こうから声をかけてきた。こっちは名前以上のことは知らない。けどね、男の子はそいつを知っているようだったよ』
案外グルなんじゃないの、と鼻をかすめるように母親が言い捨てる。
黙って聞いていたウォレンだったが、何か思い当たったか、ふと、口を開いた。
『……娘さんは?』
尋ねれば、母親の表情が変わる。
『……知っていることは全部話したよ』
手を出す母親に、ウォレンが紙幣を差し出す。
それを掴んで引っ張る母親と反対へ力を入れ、彼女の目を見る。
『娘さんの代金は、これよりどれくらい高かった?』
質問を受け、母親がきっとウォレンを睨み上げる。
『説教は聞きたくないね。これがあたしらの生活だ』
言い放って紙幣を強く引き手の中に収めると、母親はドアを閉めた。
アパートの廊下を歩きつつ、まずいな、とウォレンが状況を整理する。
「メイス」
ハンナの声に顔を上げれば、彼女とクリステンが駆け寄ってきた。
「何か分かった?」
「少しな。ジェイクって男を知っているか?」
2人に合流し、揃って早足で教会のほうへ戻り始める。
「ジェイク?」
「リーアムの知り合いらしい」
「えーっと……」
思い出そうとするハンナの隣、
「ジェイムズならボランティアの人の中にいるけど、ジェイクは聞いたことないわ」
とクリステンが告げる。
「その人と何か関係が?」
「恐らくな。ボランティア参加者でリーアムと親しそうな奴は?」
「私達と、あとアルファーロとよく話してたけど、彼はすごいいい人だし、ずっと広場にいたし……」
リーアムの知り合い、といっても範囲は限られるだろう。
クリステンとハンナの会話を背後に、ボランティア参加者でないとすると仕事先の人間か、とウォレンが見当をつける。
「どうしよう、誘拐?」
「まだ分からない」
答えつつも、恐らくそうだろう、とウォレンが心の内で肯定する。先ほどの母親の様子を考えれば、ジェイクは人買いの一員だろう。
先日、大規模に人身売買を行っていたホルヘ・オルドネスが挙げられたとはいえ、世の中にはまだその手の輩が存在するらしい。
「とりあえず俺はリーアムの仕事先に『ジェイク』がいないか聞いてくる」
「あ、私達も――」
「いや、ここから先は引き受ける」
足を止めてそう告げれば、でも、と言いかけたものの2人が納得する。
「ジェイにも一言伝えておいたほうがいいな。あとカルから連絡が来たら知らせてくれ」
「分かった。警察にも連絡しておく」
単語に反射的に拒絶を感じたものの、ウォレンは頷きを返すと車へと向かった。
ブレーキがかかり、車が停まる。
排気ガスの臭いが狭い空間に入り込んできており、息苦しい。
トランクの中、不自由な腕は役に立たず、リーアムは懸命に足で開けようと蹴りを繰り返すのだが、疲れるだけで車はびくともしなかった。
エンジン音が途絶え、車のドアが開閉される音が聞こえてくる。
緊張が走り、蹴るのを止め、リーアムは外の様子を窺った。
やがてトランクが開けられ、視界に入ってきた男に腕を引っ張られる。
そのまま肩に担がれて腹部に鈍痛が走る。
トランクを閉めてどこかへ向かう男に抵抗を試みるが、ダクトテープの貼られている口からはこもった声しか漏れでず、足は押さえられているために満足に動かせない。
ふと、土の地面を見ていた目線を上げれば、暗い木々が目に映った。
どこだろう、と思っている内に建物に辿り着いたらしい。
出迎えた仲間の男と二言三言言葉を交わし、リーアムを担いだ男が中に入っていく。
階段を降りた先の暗い室内の真ん中にぶっきらぼうに下ろされ、リーアムは背中に走る鈍痛に低く呻いた。
「暫くここで大人しくしてな」
ふと、声の主のほうを見やる。笑いながらドアを閉める男は全く知らない顔だった。
話し声と足音が去っていき、リーアムの呼吸音だけが空間を満たすようになる。
背中を床につけ、頭だけを回転させて辺りの様子を窺う。
ある壁の天井近くに小さな窓がついており、そこから外の明かりが僅かに漏れ入ってくるほかは何もなく、埃っぽい部屋だった。
どこだろう、と不安が芽生えるものの身動きすらままならず、リーアムは泡だって焦り始める思考に目を閉じた。
リーアムの仕事先のスーパーの店長と、仕事仲間だというリッキーの心配そうな顔が思い出される。
彼らはいい人のようだが、ジェイクは違ったらしい。
ウォレンが車から出ようとしたとき、携帯電話が鳴り、発信元を確認してそれに出る。
「カル」
『クリステンから全部聞いた。リーアムは?』
「まだ」
『そうか……。ジェイクって奴は? 見つかったか?』
「見つかってはないが、リーアムの仕事先の元仕事仲間に1人その名前の男がいた。名前はジェイク・エドニー」
電話先でカルヴァートが名前をメモを取る様子が伝わってくる。
「そっちの資源で何か引っかかったら教えてくれ」
『ああ。お前はまだスーパーにいんのか?』
「いや、クラブの前だ」
『クラブ?』
「スウィート・バニーズ」
ウォレンが名前を告げれば、一瞬の間を置き、受話器越しに、あ、とカルヴァートが思い出す。
クラブの名前はリーアムから聞いたことがあるものだった。
『それって確か、俺らが麻薬を押収したときに――』
「ああ。リーアムの仕事仲間から聞いたが、ジェイクはよくクラブに通っていたらしい。どこのクラブかまでは知らなかったが、リーアムと接点がありそうなのはここだろうな」
車の窓から見えるそのクラブを見つつ、ウォレンが呟く。
あの時にもう少し疑っていれば、と思わないでもないが、後悔したところで状況が変わる話ではない。
「ハンナとクリステンには話していないが、マリアもどうやらジェイクが連れてったらしい」
『連れてった?』
「母親が売った」
そう告げれば、カルヴァートが言葉に詰まる。
『……おいおい、ちょっと待てよ。なんか話が――』
「とりあえず俺はジェイクを探す。あんたのところに全部任せたいが、令状やらなんやらで腰が重そうだからな」
電話先、聞こえてきたウォレンの言葉に、カルヴァートが肩に挟んでいた携帯電話をきちんと持ち直す。
「待て待て、話がデカそうだからお前は手を引け。俺が行くまで――」
言いかけたところで通話が切れ、規則的な電子音が聞こえ始める。
すぐにかけ直すものの、呼び出し音はすぐに切り上げられた。
「――あんのバカ」
携帯電話の液晶を見てそうこぼし、カルヴァートが頭を掻く。
左手のメモ帳に書かれた名前を見、小さく息をつくと廊下を後にした。
カルヴァートとの通話を終了した後、ウォレンは車から降りると件のクラブの様子を窺った。
会員制ではないらしいものの、入り口には男が2人立っており、1人ではそう簡単に入れそうになかった。
ハンナの手が必要かとも思ったが、この場所に彼女を連れてくるのは避けたい。
ふと、視線を横にスライドさせれば、パーティー用のドレスを着た若い女性2人と目が合う。
暫くその様子を見ていたウォレンだったが、やがて近くの窓ガラスで身なり等をさりげなく確認すると、彼を見ながら何か話を交わす彼女たちに向かって歩き始めた。
フロアで踊る大勢の男女をカウンターから眺めつつ、ジェイクがビールの瓶を空ける。
「随分と機嫌がいいじゃねぇか」
バーテンダーに注文に来た顔見知りに声をかけられ、ジェイクが、まぁな、と口元を上げる。
「今日はいい金が手に入ったんだ。今夜は男には用はねぇ。俺の時間を無駄に使わせるな」
「はは、言うな。安心しろ、お前を口説きにくる女なんかいやしねぇよ」
バーテンダーからグラスを受け取り、ジェイクの肩を叩くと彼が去っていく。
その背中を少しばかり見送り、ジェイクは、さてと、と品定めに入る。
「ハイ」
ふと、隣から声が聞こえ、振り返る。
にっこりと妖艶に微笑んだ女のブロンドのストレートの髪が、胸元の強調されたドレスにかかっている。
「やぁ」
好みのど真ん中を行く彼女に向き直り、ジェイクが舐めるような視線を送る。
「踊らない?」
体をくねらせて誘う彼女に、勿論、とジェイクが答える。
裏口のドアが開き、ジェイクが先ほどの女ともつれあって外に出てくる。
「待って、ここじゃダメよ」
裏口に立っているクラブ関係の男を意識する女に、ジェイクは彼女から少し離れた。
「こっちに来て」
「おいおい、どこまで行くんだよ」
「もう少し先」
こっち、と微笑んで誘う彼女に、やれやれ、とジェイクがついて行く。
先を行く彼女がふと、脇道に入る。
確かに人気のなさそうなところだ、とその姿を追い、ジェイクもまた脇道に踏み出した。
転瞬、鼻頭に衝撃と激痛が走り、よろめいて建物の壁に背中をつける。
鼻を押さえた手を広げれば、血がついているのを確認できた。
「一体何だって――」
「ジェイク・エドニーか?」
聞こえてきた声にジェイクが顔を上げる。
殴られた後のノイズが視界からまだ消えない中、若い男の姿を確認する。
「……誰だお前?」
「どうやらそうみたいだな」
淡々とした口調を受け、ジェイクが怪訝な表情をする。
状況を把握できない中、彼は顔面にまとわりつく痛みを懸命に消化していた。