IN THIS CITY

第4話 A Phone Call Away

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 夜最中にひっそりと佇む木々は、緊急車両の明かりにより時折存在感を放っていた。
 にわかに騒がしくなった家の裏口から、黒い袋を乗せた担架が運び出される。
 1台の救急車に腰掛け、手当てを受けていたウォレンが、礼を述べて上着を手に取る。
 視線の先、玄関口からは、ブランケットにくるまれた子どもたちが徐々に連れ出されていた。
 暫くその様子を見ていたウォレンだったが、耳から入ってくる情報が煩わしく、また頭痛を誘引しており、騒がしい場所から少し離れたところに、と足を動かし始める。
 途中、頭を押さえられて車の後部座席に入り込まされるジェイクから含みを持った視線を受けたが、ウォレンは無視して近くの車両に腰掛けた。
 エンジンがかかる音がし、ジェイクを載せた車が一足早く現場を去っていく。
 顔を上げ、距離ができた先の家を見やれば、カルヴァートに誘われて玄関から出てくるリーアムを見つける。そのすぐ隣には、ブランケットにくるまれ、捜査官に抱えられて出てくるマリアの姿もあった。
 伸ばす彼女の手を握り、リーアムが救急車へ向かう。
 乗り際にリーアムが車両のほうへ顔を向け、ウォレンを探す。
 視線が合い、ウォレンは軽く微笑して手を上げて見せた。
 小さく手を上げて返すリーアムにカルヴァートが一言二言何か告げ、彼を救急車に乗せた後、ウォレンのほうへやってきた。
「よ。手当ては?」
「済んだ」
 返答を受けて頷き、カルヴァートが両手をポケットに入れる。
「俺はリーアムと一緒に病院に向かう」
「そうか」
「ジェイやクリステンにも連絡しとく」
「頼む」
「お前は、多分グレンから話を聞かれるだろ」
「だろうな」
「まぁ俺が質問すりゃお前も気楽に答えられるだろうが、残念ながら俺もこの件じゃ話を聞かれる側だ」
 苦く笑うカルヴァートに、ウォレンもまた苦笑を返す。
「悪いな、あんたを待っていればよかった」
「まったくだ。専門家の言うことは聞いとくモンだぜ」
 言いながらウォレンの肩を叩き、カルヴァートが救急車へ向かう。
 その姿を見送り、ウォレンは小さく息をついた。
 音を拾うのを拒否するような耳の感覚に、視線を落として頭に手をやる。
 捜査当局への説明が必要な事柄を確認すれば、今更ながらに、好ましくない状況にいることを認識する。
 ダグラスの顔が思い起こされ、彼との仕事が明るみに出ないような説明を考えなければならないとなると、気分は重たくなるばかりである。
「レヴィンソンか?」
 不意に声が聞こえ、ウォレンが顔を上げる。
「グレン・クロスだ。カルヴァートから紹介あったろ」
「ああ」
 返しながら腰を浮かし、差し出された手を握り返す。
「あの人数相手に、無事で何よりだ」
「運だけはいいからな」
「運だけか?」
 尋ねてくるクロスに軽く口元を緩めて見せれば、彼が、まぁいいか、と頷いた。
「とりえあず話が聞きたいんだが、一緒に来てくれるか?」
 了承するウォレンの回答を受け、クロスが1人の捜査官から鍵を受け取る。
「お前が乗ってきた車のキーだ」
 ウォレンにそれを差し出し、 
「今度は誰もトランクに入れるなよ」
 と付け加えると、クロスは自身の車へと向かっていった。
 口を結び、説明云々以前にダグラスに知れた時点で彼に殺されるな、と憂鬱な心を抱きながら、ウォレンもまた車に向かった。


 院内放送を耳にしつつ、廊下の椅子に座り、リーアムはマリアたちが入っていった一室を見やっていた。
「ほれ」
 カルヴァートの声に振り返れば、彼が湯気の出ているカップを差し出してくる。
「甘ぇのは嫌いか?」
「ううん、ありがとう」
 両手はかなり冷えていたらしく、ココアの温かさが僅かなしびれを伴ってカップ越しに伝わってくる。
「……カル」
「あん?」
「今日はマリアの隣にいてあげたいんだけど、いいかな」
 コーヒーを口から離し、カルヴァートが少し考える。
「先生に聞いてみるか」
「本当?」
「お前も疲れてんだからジェイんとこ帰れ、と言いたいとこだけどな」
「疲れてないよ」
「嘘つけ」
 カルヴァートに頭を撫で回され、不機嫌そうにリーアムが手を払う。
「……頑張ったな」
 ふと、落ちてきた言葉にリーアムが顔を上げる。
 優しいカルヴァートの表情に、どこかで見た、と思えば、あの家でウォレンが見せた表情と同じものであることに気づき、そっと視線を逸らす。
「僕は大丈夫だよ。メイスが助けに来てくれたから」
「意地張んなって」
「張ってないよ」
「へぇ?」
 にやにやと様子を窺ってくるカルヴァートにむっとし、リーアムは話題を逸らすために咄嗟に、
「……カルは来るの遅かったね」
 とぼそりと呟いた。
「あのなぁ、俺も急いでたんだぞ? なのにメイスの奴が先に突っ走りやがって。あいつ何を焦ってたんだか」
 足を組んでコーヒーを飲むカルヴァートに、リーアムの意識があの家での出来事に向く。
 視線を落としたリーアムから何かを察してか、再びカルヴァートが彼の頭を撫でた。
「……今日はあんま考えんな」
 思考が遮られ、思い出されそうになった血痕の映像が遠ざかる。
 なかなか手を離さないカルヴァートに、リーアムが彼の手首を掴む。
「カル、やめてよ」
「いいじゃねぇか。俺もお前が無事で嬉しいんだ」
 ようやく手を離してにっと笑うカルヴァートに、リーアムが口を閉じる。
「……ごめん。無茶しちゃって」
「まったくだな」
 壁に背中をつけ、カルヴァートが息をつく。
 コーヒーを口に運ぶ彼の様子に、リーアムもココアを飲んだ。
 まだ少し舌がひりひりとする熱さだったが、喉を通ったそれは体全体に温かさを伝えていった。
「カル」
「ん?」
「……マリア、これからどうなるの?」
「そうだな。児童福祉局がうまく取り計らってくれるだろ。俺もそこんとこは詳しくは分かんね」
「施設に預けられちゃうの?」
「あの母親の元じゃ暮らせないだろうからな」
「じゃ、里子に出されるんだ」
「里親が見つかればそうなるだろうな」
「…………」
 母親がいるのに、一緒に暮らせない。 
 黙りこむリーアムの様子に気づき、カルヴァートが両肘を膝につき、彼を覗き込む。
「……戻っても聞いた話から考えるとろくに養ってもらえねぇぞ? 離れたほうがいい」
「……そうかもしれないけど……」
「里親にもいい人がいるから安心しろよ」
「……いい人がいるのは知っているよ」
 カルヴァートの言うとおり、あの母親の元ではマリアは幸せな生活は送れないだろう。 
「でも、親がいるのに里子に出されるって、それってつまり、要らない子だったっていうことだよね」
「あん?」
「せっかく生まれてきたのに、要らないんだって。そういうことなんだよね」
 リーアムの言っていることが分からず、カルヴァートが怪訝な顔をする。
「だって、要らない子だから里子に出されたんでしょ? それなのに、他の人の家族のところにお世話になるなんて、……迷惑かけるなんて、駄目なんだ。だから1人で生活できるようにならなきゃいけないんだ」
「――リーアム、お前、誰の話をしてんだ?」
「え?」
 聞こえてきたカルヴァートの疑問にはっとし、リーアムが彼を見る。
「あ、えっと、別に――」
「あれか? お前、ジェイんとこに迷惑かけてるって思ってんのか?」
 しどろもどろになるところで追いかけるように質問され、少しの間を置いてリーアムは首を振った。
 カルヴァートは違う方向へ推測を働かせているらしい。
「心配すんな、あいつ体の幅も広いけど心も広いぜ」
「えっと、ジェイのことを言っているんじゃ――」
「リーアム!」
 言葉を遮り聞こえてきた声に、リーアムとカルヴァートがそれぞれ声の主のほうを見やる。
 ハンナとクリステンが彼らを見つけ、駆け足でやってくるところだった。
「おいおい、お前ら走んなよ」
 注意をするカルヴァートは目に入っていないらしく、2人がリーアムの前に屈みこむ。
「よかった、リーアム無事だったんだね」
「怪我は? 怪我、血出てたりとかしない? 大丈夫?」
「大丈――」
 答える時間をくれず、ハンナがリーアムをぎゅっと抱きしめる。
「ハン――」
 再び言葉を口から出す時間をくれず、クリステンもまたハンナごとリーアムを抱きしめた。
 無事でよかった、と彼女達の言葉が耳元に聞こえてき、リーアムは胸が痛むのを感じた。
「……お前ら俺も無事だったんだけど」
 暫く様子を見ていたカルヴァートがそう呟けば、2人がリーアムを解放する。
「連絡ありがとね、カル」
 クリステンの言葉に、カルヴァートが両腕を広げるが、彼女はからは微笑を返ってくるだけだった。
 ふと、目元を拭うハンナの様子に、リーアムが彼女を覗き込む。
「……ハンナ?」
「大丈夫、無事で安心しただけよ」
 返しながらハンナは手を下ろし、にっこりと笑う。
 クリステンに視線を移せば、彼女の目もまた潤んでいた。
 そこまで心配をかけていたとは知らず、リーアムが戸惑いながら口を閉じる。
「ごめんね、私が一緒について行っていればよかったのに」
「え、ううん、ハンナのせいじゃないよ、僕が悪いんだよ」
「リーアムは悪くないよ、自分を責めちゃ駄目だからね」
 目を覗き込んでそう告げるクリステンに、リーアムは言葉に甘えて受け取っていいのか分からず、頷きながらも僅かに視線を下げる。
「お、いたいた。ったく、心配かけやがって」
 不意に太い声が届いてき、リーアムが顔を上げる。
「2人とも俺より速いとかすげーな」
「ホント。私も運動しないといけないかも」
 ジェイとJJ、シェリの姿を確認し、リーアムが驚いたように口を開く。
「カルから掻い摘んで聞いたぜ。女の子のために頑張ったんだってな」
 2歳ほどしか変わらない、だが年上のJJにそう言われ、リーアムは思わず下を向いた。
「おいおい、照れなくていいだろ」
 ジェイの太い声に、
「照れてないよ」
 と返すものの、誰も信じていないようでくすくすと笑っている。
 ふてくされて誰とも視線を合わせないようにしながらも、こんなにも気にかけてくれる存在がいることを認識し、リーアムは目頭が熱くなってきたのを感じていた。
 家族でも何でもないのに、皆優しい人ばかりだ。
 頼ってはいけない、迷惑をかけてはいけない、1人で生きていけるようにならなければ、と意識を持っていた心が折れそうになる。
 同時に懐かしい感覚に陥り、そういえば、と過去が思い出される。
 そういえば、彼らもまた同じような顔を向けてくれていた気がする。
 忘れなければならないのに、求めてしまう温もりだ。
「あ、リーアムも、涙」
 ハンナの声にリーアムが慌てて袖口を目元に持っていく。
「泣いてないよ」
「意地張んなって」
 何度目か、カルヴァートに頭を撫でられ、憮然としてリーアムが抗議するが、相手にされてる感じはしなかった。
 安心の涙なんだから流せばいいのに、というクリステンの声が聞こえてくれば、涙腺の制御はリーアムの意思の届かぬところとなった。


 目的のフロアに着いたらしく、それを知らせる音が小さく鳴る。
 エレベーターを降りたクロスの後に続き、ウォレンもまたフロアに足を踏み入れた。
「悪いな、少しここで待っていてくれないか」
 ガラス張りの一角に案内され、ウォレンは頷いて中に入った。
「すぐ戻る」
 一言残し、クロスが去っていく。
 その姿を見送り、ウォレンは椅子に腰掛けるとその背に体重を預けた。
 ドアが閉まり、ざわついた雰囲気が少しばかり遠のく。
 ガラス越しにフロアの様子をそれとなく観察しつつ、軽い頭痛がする中、想定問答を考える。
 ふと、エレベーターのドアが開き、長身の男が入ってきた。
 視界の隅に彼を見たウォレンが、確認するように彼に顔を向ける。
 男が前を通り過ぎ際に目配せをしてき、ウォレンは立とうとして力を入れた体を元に戻す。
 男はそのままガラス張りの部屋を通り越し、別室に入っていった。


「クロス」
 聞こえてきた上司のメンフィスの声に、クロスがデスクから顔を上げる。
 首で中に入るよう示すメンフィスに、クロスが彼の部屋に向かった。
 中に入れば上着を脱いで腕にかけていた人物が振り返り、クロスと目が合う。
「……クレイトン・シークレスト?」
 知っている顔に、驚いたように、また怪訝にクロスが呟く。
「おや、どうやら私は有名みたいだね」
「よく手を焼かされているからな」
 ドアを閉め、手を広げてメンフィスが答える。
「悪く捉えないでくれ。弁護士の仕事は君も知っているだろう? えーっと――」
 クロスのほうを向くシークレストに、
「クロス。グレン・クロス」
 と答え、クロスが手を差し出す。
「クロス君」
 握手を返しつつ、シークレストが口元を緩める。
「どうしてここに?」
 メンフィスとシークレストを交互に見やり、クロスが尋ねる。
「大きな事件があったと聞いてね。丁度手持ち無沙汰な状況だったから、こうして顔を出した」
「大きな事件?」
「オルドネス関係だ」
「そりゃ、随分と耳が早いな」
 クロスの言葉に、シークレストが再び口元を緩める。
「聞いた話だと一般人が一連の逮捕劇に関わっているらしいじゃないか」
 違うか、と確認するシークレストに、クロスとメンフィスが視線を交わす。
「どこからそれを?」
「彼の弁護を引き受けたい」
 クロスの質問には答えず、シークレストがそう告げる。
 怪訝そうにクロスが彼を見、次いでメンフィスを見れば、そうらしい、とメンフィスが肩を竦めて答える。
「えーっと、シークレストさん――」
「クレイで構わない」
「そうか。だが彼は被疑者じゃないが」
「知っている」
 あっさりと答えるシークレストに、クロスが再び怪訝な表情を向ける。
「何も私は悪人の弁護ばかりをしているわけじゃない。が、最近は確かに悪い印象のほうが広まっていてね。ここら辺で少し正義の味方に回ってイメージ回復に努めようかと思っていたところだ」
 つらつらと述べるシークレストに、クロスは黙ったまま続きを促した。
「対オルドネスとなると、面白くなりそうだしな。私の腕は知っているな? そちらも地固めをしていたほうが心強くないか? その一般人は目撃者でもあるらしいが、銃撃戦に関わったとなると、相手方から突かれたら困るところもあるだろう。どうかな」
 手を広げるシークレストに、クロスが再びメンフィスと視線を交わす。


 肘掛けに肘をつき、増してきた頭痛に対応しながらウォレンはそれとなくシークレストが入っていった部屋に注意を向けていた。
 彼がここに来たことを考えると、既にダグラスに情報は届いているらしい。
 やがてメンフィスの部屋のドアが開き、クロスに続いてシークレストが出てき、こちらへ向かってきた。
 ガラス張りの部屋のドアが開いた頃になり、ウォレンが気づいたように視線を彼に向ける。
「メイス・レヴィンソン?」
 初対面の様子で名前を確認してくるシークレストに、ウォレンが座ったままクロスを見る。
「弁護士だ」
 クロスの言葉を受け、ウォレンが疑問じみた表情を作る。
「俺は呼んでない」
「呼ばれてない。が、君の弁護は私が引き受ける。クレイトン・シークレストだ。よろしく」
 そう告げながら、シークレストが手を差し出してくる。
 立ち上がり、彼と握手をしつつウォレンが説明を求めるようにクロスを見る。
「……何か罪に問われているのか?」
 クロスがウォレンの質問に答えようとする前に、シークレストが口を開く。
「いや、そういうわけではない。ともあれ、今日は疲れているだろうから帰っていい。許可は得ている。話は車の中で聞こう」
 ドアを開けて出るように促すシークレストに、ウォレンが無言でクロスに確認する。
 彼が頷くのを見て、それなら、とウォレンは部屋の外に出た。
「また後日」
 クロスに一言残し、シークレストもまた室外に出るとウォレンを誘導してエレベーターへと向かう。
 クロスとメンフィスの視線を背後に感じつつ、ウォレンがエレベーターを待つためその前で足を止める。
「……うまい演技だったな」
 ボタンを押すシークレストからぼそりと声が聞こえてき、顔を向ければ、目元はそのままに彼が口を緩めた。


 シークレストが運転する車の後部座席に座り、ウォレンは窓に肘をついていた。
 運転手の機嫌がいいのか悪いのか読めないところだが、エレベーターでの一言以降、何も話してこないところをみると恐らく後者なのだろう。
「……情報を得るのが早すぎじゃないか?」
 続いていた無言の時間を破り、ウォレンが運転席のシークレストに尋ねる。
「ダグラスに頼まれた」
 やはりか、と額に手をやるウォレンをバックミラー越しに確認し、シークレストが続ける。
「知り合いがいいポジションにいるらしくてね。放っておいたらお前がヘマを重ねそうだってな」
「……あんたが来たことで余計目をつけられたんじゃないか?」
「それは何だ、俺がブラックリストに載っているって意味か?」
「そう聞こえたか?」
「聞こえたな」
 そう回答して運転に集中を戻したシークレストだったが、あ、と思い出したように、
「言っておくが、弁護料はちゃんと貰うぞ」
 と付け加える。
「満額か?」
「勿論だ」
「……身内割引はないのか?」
「誰が身内だ」
「知人割引は?」
 連続して尋ねれば、シークレストがバックミラー越しに怪訝な表情をする。
「ジョークが多いな。どうした?」
 シークレストの指摘に、ウォレンが顔を上げる。
「ダグラスに言うことがあるなら本人に言え」
 不意に信号でもないところでブレーキがかかる。
 疑問に思うウォレンの席の隣、ドアが開き、ダグラスが入り込んできた。
 再び車が走り出し、無言の時間が訪れる。
「……冷えたんじゃないのか?」
 ダグラスに尋ねてみるが圧力を込めて見返され、悪かった、とウォレンが肘をついていた手を広げる。
「勝手な行動は困るんだが」
「オルドネスと繋がるとは思っていなかったもんでね」
「そうか?」
 確認してくるダグラスを見、ウォレンは無言を返す。
「色々と事情はあるらしいが、お前も罪に問われかねない。下手するとお前の存在がこの件に不利に働くかもしれん」
「相手側は確実に拳銃の携帯を突いてくるだろうな。待て、登録はしていたか?」
 運転席からのシークレストの声に、ダグラスが彼を見る。
 運転していろ、との視線を受け取り、シークレストは肩を竦めるとハンドルを握り直した。
「オルドネスの件を差し引いてもだ、今回のお前の行動のせいでお前に探りが入ったらどうする。既にブライデン・カルヴァートだったか、彼には目をつけられているらしいじゃないか」
「あいつは心配ない。それに探りが入らないよう圧力をかけられる人物がいるんじゃないのか? あんたの情報源もそいつだろ?」
「詮索するな。あと面倒ごとは困る」
「いいか、前のオルドネスの件では協力したが、あんな回りくどい真似なんかせずに処理していたら、この面倒も起こらなかったはずだ」
「分かってないな」
「悪いがそうかもな。見てみろよ、合法的な捜査じゃあの家のように取りこぼしだって起こる。わざわざ捜査を誘導せずに端から俺達が処理していれば――」
「『俺達』とは?」
 ウォレンを遮り、ダグラスが彼を見る。
「確かに正義感の似通った連中が集ってその理念に基づいて行動している。が、行き過ぎて自分が法律だとは思うな。絶対にな」
「……その連中は理念とやらを振りかざしてゲームに興じているだけじゃないのか?」
「お前もその1人だ」
 ダグラスの一言に、ウォレンが口を閉じて視線を逸らす。
「今後勝手な行動をするのなら気をつけたほうがいい。理念を通すためにも表沙汰になりたくない連中だ。生じた綻びは狙われる側になる」
 聞こえてきた忠告に、ウォレンが視線を戻す。
「暫くは大人しくしてろ」
 会話の終わりとしてそう告げると、息をついてダグラスは座席に頭を預けた。


 ダグラスらと別れ、戻ってきたアパートの部屋は、外気と然程変わらない冷えた空気を有していた。
 脈拍に呼応した頭痛が存在感を増しており、ウォレンは鍵を置くと隣の壁にもたれかかった。
 目を閉じるものの、それが治まる気配はまったくない。
 加えて、瞼の裏にあの家で見た映像が再生され、胸焼けがする。
 彼らは淀んだ空気の狭い空間に固まって座っていた。
 その映像が記憶を刺激し、メキシコにいた頃の映像までもが色を帯びて思い出される。
 あの頃の彼らが同じように脅えた表情を見せたのはいつだったろうか。
 無意識的にそれを探そうとしていることに気づき、慌てて拒否するものの効果はなく、当時の光景が浮かぶ。
 苦しそうに、指先のない薄手のゴム手袋が散らばる床に倒れて胸をかきむしる男の子と、驚き、恐怖を感じてそれを見ている同じ年頃の子どもたち。
 駆け寄って男の子の容態を見たときの、こりゃ駄目だな、の誰かの冷たい声までが耳元に再生される。
 転瞬、過去の記憶の中の男の子と目が合う。
『助けて』
 脳の中で響いた声に、ウォレンが目を開ける。
 直後、森の中の画が一瞬見え、振り払うように瞬きをして電気のスイッチを探す。
 明かりが点けば、無事に現実に戻って来れたらしく、目に映る画は知っている自分の部屋だった。
 荒くなった呼吸を落ち着けさせると、暫く忘れていた頭痛が再び襲ってきた。
 募る疲労にも押されるように、ウォレンはバスルームに向かうと棚の扉を開けた。
 手に当たった瓶を掴み、その蓋を開け、錠剤を手のひらに出す。
 それを口に運ぼうとしたが、途中で動作を躊躇う。
 飲んで、また逃げるのか。
 気にせずに口に運ぼうとした手を、暫く宙で止める。
 逃げられるとしても、一時的なものだ。永続的に逃げることはできない。
 項垂れ、洗面台の淵に両手を置き、体重をかける。
 一時的に逃げたとしても、時折ふとしたきっかけで閉じ込めていた記憶が触発され、映像が浮かび上がる。
 何度見ても、結果は変えられない、やり直すことのできない映像だ。実際に起こってしまったことなのだから当然だった。
 顔を上げれば、鏡の中の自身と目が合う。
 過去は変えれないのならせめて、と信じていたはずが、これだ。
 結局のところ、人間を食い物にする人間は無尽蔵に降って湧く。
 事が起きる前に元凶を断つことさえできれば、との考えは所詮理想でしかない。しかしながら、どうしても諦められない理想だ。
 息を吐いたときに携帯電話が鳴り、取り出して液晶を確認すればカルヴァートからであった。
「……何だ」
『あ、メイス――』
 出てみれば幼い声が耳に届き、リーアムからであることに気づく。
『――今どこ?』
「部屋に戻ったところだ」
 錠剤を握る手で目の上を押さえ、ウォレンが気づかれないよう息を吐く。
「お前は?」
『まだ病院。点滴受けてる子もいるけど、みんな大丈夫だって』
 リーアムの安心したような声を耳にし、そうか、とウォレンが返す。
『マリアは、……えっと、すいじゃく? 弱ってないみたいだから、他の同じように大丈夫な子と一緒に別の場所に移るみたい。僕、一緒についていくから』
「お前も休んだほうがいいんじゃないのか?」
『大丈夫だよ』
「強がるな」
 一言返せば、リーアムはむっとしたらしい。
『皆してそれ言うんだから……』
 呟くような声が聞こえてき、ウォレンは僅かに口元を緩めた。
 受話部の先でリーアムを呼ぶ声が聞こえ、彼が返事をする。
『あ、メイス』
「ん?」
『ありがとう』
 耳に入ってきたリーアムの言葉に、ウォレンが視線を上げる。
 行かなきゃ、また明日、と残し、リーアムが電話を切る。
 ウォレンもまた携帯電話を下ろし、どこにでもなく焦点を合わせる。
 ふと、手の中の錠剤を思い出す。
 暫くそれを見やっていたウォレンだったが、一度それを握ると近くのごみ箱に捨てた。
 手を下ろし、たった今捨てた錠剤に視線をやる。
 やがて棚に向き直ると、置いてある瓶を取り出した。
 中身をごみ箱に捨てて空にする作業を続け、最後の瓶を空にすると錠剤が落ちるばらばらとした騒々しい音が止んだ。
 後退しつつ瓶を放るが、それはごみ箱には入らず、バスルームの床に当たって何回か跳ねると転がっていった。
 背中が壁に当たり、そのまま膝を折る。
 静かな空間に座り込み、仰ぐように頭を壁に預けると目を閉じた。
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