IN THIS CITY

第4話 A Phone Call Away

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08 Deja Vu

 手に持っていた新聞をテーブルの上に放り、ウォレンは携帯電話を持つ手を変えた。
『手順は分かっているか?』
 頷きを返しつつ、ウォレンは口を開いた。
「昨夜聞いたばかりだ」
『あまり乗り気じゃないみたいだな』
 聞こえてきたダグラスの声に、ウォレンは視線を上げた。
 確かに、乗り気でないと言われればそうかもしれない。
 特異だとダグラスが言っていたとおり、今回の依頼には遊び心が含まれているのが汲み取れる。
「……そうでもない」
 否定はしたものの、すっと胃の腑に落ちないことも事実だ。
『降りるか?』
「いや」
 一度承諾したものを取り消すのは気が引ける。
「引き受ける」
『そうか』
 聞こえないよう息を吐きつつ、ウォレンは窓の外へ目をやった。
 何か気配を感じたと思えば、この前の猫が悠々と窓の縁を過ぎっていった。
『数日内に動くはずだ。頭の中はスッキリさせておけよ』
 ダグラスは薬のことを言っているのだろう。だが、話が来てから錠剤の摂取は絶っている。
「心配するな」
 そう返せば、電話越しにダグラスが軽く笑うのが分かった。
『忘れるなよ』
 ふと耳元に届いた一言に、ウォレンが怪訝な表情をする。
「何をだ?」
 尋ねたものの、ダグラスから回答はなく、そのまま通話が途切れた。
 規則的な電子音を残すのみとなった携帯電話を見、しばらくしてため息と共に終了ボタンを押す。
 再び窓の外に目をやる。
 気に入りの場所なのだろう。僅かながら日の当たるところにおいて毛づくろいをする猫の姿が目に映った。


 世の中、流れというものが存在するらしい。
 悪い方へ向かうときは悪い方へ、転じていい方へ向かうときはいい方へ、波という表現のほうが適切だろうか、いずれにしてもそこに存在する。
 手をジャンパーのポケットに入れ、寒さを少しでも和らげるために身を縮めつつ、リーアムは足を動かした。
 先日の夜、見知らぬ男性から150ドルを受け取って以降、それまで影を落とすばかりだった生活に光が見え始めた。
 正式な契約を交わしたわけではないが、スーパーの雑用に日雇いとして働けることとなった。
 少なくとも、最悪の事態は免れたらしい。
 満腹とまではいかないものの食事もとれており、不安が薄まり、心持ち足取りも軽い。
 顔を上げ、街中を見渡す。
 高い建物に囲まれ無機質的な雰囲気だが、この中にも温かみはあるものだ。
 ちゃんとお礼を言いたい、と思い、リーアムは先日のバーへと再び歩き始めた。
 もっとも、会えるかどうかは分からない。
 一昨日、昨日の夜と少し覗いてみたが、それらしい姿は見られなかった。
 さすがに張り付いているわけにもいかず、すれ違っている可能性もある。また、違うバーに飲みに出ているのかもしれないが、今のところ心当たりがあるのはあのバーだけだ。暫くはそこで探すしかないだろう。


 バーの入り口から出てきた、早速に酔っ払った2人組みを見送り、リーアムは窓から中の様子を窺った。
 さほど混んではいないにしても全員の顔を確認するのは難しい。また、先日見たときは暗がりだったため、果たして認識できるのかも自信がなかった。
 ふと、カウンターに座っている男性の後姿が目に止まる。
 背格好が似ていると思ったが、立ち上がって入り口に向かう男性の顔には見覚えがなかった。
 違うか、と息をつく。
 ドアが開き出てきた男性の顔をもう一度見るが、不審そうな視線を受けるだけだった。
 そう簡単には見つからないか、と思いつつ、もう一度店内に視線を向けた先、ビリヤードをしている数人の中にそれらしい姿を発見する。
 窓に近づいて焦点を合わせる。
 似ている。
 また、同じくキューを持って立っているもう1人の男性にも見覚えがあった。
 あの夜に、財布を掏った相手だ。
 確認しつつ、バーの入り口に向かう。
 ドアを開け、中に入り、ビリヤードのほうへ向かおうとした時。
「おいおい、ちょっと待った」
 不意に腕を掴まれ、リーアムは声の主を見た。
「お前何歳だ?」
 ここで働くバーテンダーらしい。言葉を詰まらせるリーアムに、彼がもう一度質問を投げかける。
「見たところ、そうだな。13,4といったところか」
「いや、僕は――」
「よし。IDを見せてくれ」
 見せられないだろ、と確信しているバーテンダーの表情に、リーアムは口を噤んだ。
「坊主、悪いな。ウチじゃ10代に酒は売ってないんだ」
 腕を掴んでいる彼の手に力が入り、そのまま入り口のほうへ連れ戻されそうになる。
「あ、ちょっと待って」
「いいや、待たない」
「兄に用があって来たんだ」
 思わずついて出た言葉が功を奏したか、バーテンダーが足を止める。
「兄?」
「……ちょっと、急用があって」
 リーアムの言葉に、ふぅむ、と怪訝そうにバーテンダーが左上を見やる。
「電話すればいいんじゃないのか?」
「あ、いや、僕は携帯電話持ってないから……」
 先ほど作り上げたばかりの話に合わせるように答えたものの、事実である。バーテンダーがじろりとリーアムの身なりを観察し、なるほど、と頷いた。
「どいつだ?」
 問われ、リーアムはビリヤードのほうを指差す。
「メイス?」
 名前を聞き、リーアムは頷きを返した。どうやら知り合いらしい。
 嘘がばれるのでは、という不安を感じたが、掴まれていた腕が自由になり、リーアムはほっとした。


 ビリヤードの玉が隅の穴に吸い込まれていく。
 それを見守った後、ハンナは歓声を上げるとウォレンに抱きついた。
「見た?」
「お見事」
 嬉しそうな彼女に、ウォレンも腕を回した。
「あーあ、負けちゃった」
 肩を落としつつクリステンが片足に体重を載せると隣にいるカルヴァートを見やった。
「ハンナがドジったときにゃ勝てると思ったんだけどなー」
 カルヴァートはそう言うと、残念、とクリステンと視線を交わした。
「言っておくが、彼女はもう初心者じゃない」
「ああ確かに甘く見てた。いつの間に腕上げたんだ?」
 最後を華麗に締めた興奮が冷めないまま、ハンナは肩を竦めて見せた。
「最後はまぐれかも。途中メイスが立て直してくれたおかげで助かったわ」
 ありがとね、というハンナに対し、ウォレンも微笑を返す。
「おい、メイス」
 ふと後ろから聞こえてきた声に、一同が声の主を見る。
「弟が来てるぞ」
 首で後ろを示すバーテンダーの言葉に、ウォレンは怪訝な表情を浮かべた。
「え、何、お前弟いたの?」
 カルヴァートの声に振り返り、
「いるのか?」
 と疑問で返せば彼もまた眉をひそめた。
 視線を戻すと、前に出てきた小柄な少年が伏し目がちに見上げてくる。
 どこかで見かけたことがある、と記憶を辿れば、先日カルヴァートの財布を掏って失敗したあの少年であることに気づく。
 彼に視線を固定しつつそれとなく後ろの様子を窺うが、カルヴァートは気づいていないようだった。
「……問題ないか?」
 『兄弟』の対面というにしてはどこか不自然な空気を感じ取ったのだろう、バーテンダーが尋ねてくる。
「大丈夫だ」
 彼を見、口元を緩めて返せば、そうか、と頷き、バーテンダーが去っていった。
 その姿を見送った後、改めてウォレンは目の前に立っている少年を見た。
 視線を感じ取り、リーアムは思わず下を向いた。
 つい勢いでここまで来てしまったが、どう取り繕えばいいのか分からない。
「かわいい弟さんじゃない」
 ふと女性の声が聞こえてき、リーアムは顔を上げた。
 その先でクリステンがリーアムににっこりと笑顔を向ける。
「でもメイス、兄弟はいないって言ってなかった?」
 別の女性の声を聞き、リーアムは恐る恐るメイスというらしい男の様子を窺った。
 ハンナに対して軽く首を傾けつつ、
「まぁ、なんだ。ちょっと複雑でね」
 とウォレンは曖昧な回答をした。カルヴァートがいる以上、下手に説明をすれば余計に事がややこしくなる。
 それとなく話を合わせていることに対して意外そうな顔をしている少年に視線を戻すと、ウォレンは小さく息をついた。
「外に出るか?」
 バーテンダーの監視の目の下では話すことも話せないだろう。
 あ、うん、と頷くリーアムを確認し、ウォレンはキューを置くと上着を手に取った。
「どこ行くの?」
「全年齢対象の店だ」
 ウォレンの回答に、なるほど、とハンナが頷く。
「終わったら連絡してね」
 微笑む彼女に同じく微笑を返し、カルヴァートとクリステンにも挨拶をするとウォレンはリーアムを促す。
「またね、弟くん」
 リーアムを気に入ったらしいクリステンが手を振る。
 ぎこちなく微笑んでそれを受け取ると、リーアムは入り口へと向かった。
 歩きながら店内を見渡せば、出て行く姿を見て安心したらしいバーテンダーが丁度作業に戻るところだった。
「上手い口実を見つけたな」
 入り口付近で声が届いてき、リーアムの脈が跳ねた。
「え?」
「『弟』」 
「あ」
「潜り込めば酒が飲めると思ったのか?」
「いや、あれは、その――」
 言い訳をすぐに述べられず口ごもる。そっと視線を上げて様子を窺えば、口元を緩める姿が目に映った。
 明るい中で対面したとき少しばかり近づきがたい印象を受けていたが、それが溶解する。
 ほっと胸を撫で下ろし、リーアムは外に出る彼の後に続いた。
 寒い空気が身を包み、リーアムは体を縮こまらせた。


 バーからそれほど遠くないところに位置するファーストフード店に入り、席に着く。
 歩いている間はこれといった会話がなく、緊張が再びやってくるのをリーアムは感じた。
「メイス」
 会話の切り出しとして名前を呼べば、怪訝な表情をされる。
「……何で俺の名前を?」
「バーテンダーの人が言ってたから」
 なるほど、とウォレンが頷き、コーヒーを口に運ぶ。
「えっと、僕はリーアム」
「そうか」
 さして興味なさそうにコーヒーを飲む姿に、リーアムは視線をテーブルの上に落とした。
 店内のざわめきが周囲を満たす。
「食べないのか?」
 問われ、顔を上げる。
「あ、いや」
 腕を伸ばしてバーガーの入った包み紙を手に取る。
 途端に腹の虫が騒ぎ始めた。
 2、3口ほど食べ、腹が落ち着いたところで手を休める。
「えーっと、この前はありがとう」
 リーアムの言葉を聞き、ウォレンは彼を見た。
「小ぎれいになったな」
「あれから運が向いてきたっぽくって、今スーパーで雑用の仕事をしてるんだ」
「それはよかったな」
 口元を緩めるウォレンを見、リーアムも顔に出ていた緊張を解いた。
「あと、財布の持ち主の彼にも、謝りたい」
 申し出れば、喉元で相槌を返し、ウォレンがコーヒーカップを置く。
「あいつにそんなことは必要ない」
「え、でも……」
「財布の中にいくら入ってたか知っているか?」
「え?」
「5ドルだ」
 低い金額が耳に入ってき、リーアムは手元のバーガーを見た。
「次は人を見て掏れよ」
「あ、いや、次はもう、ないから」
「そうか?」
 頷いて自分にも言い聞かせ、リーアムはバーガーを口に入れた。
「それで、わざわざ礼を言うために弟だなんて嘘ついたのか?」
「あれは、バーテンダーに追い出されそうになったから、つい」
「見るからに未成年だからな」
「それは――」
「律儀な奴だ」
 そう呟いた後、何か以前にも似たようなことを体験していたような気がし、ウォレンは記憶を巡らせた。
 思い当たったのは随分と前のことではなく、最近だ。
 確かヤング家でも似たような会話をジュリアスと交わした。もっとも、立場としては逆だったが。
 思わず苦笑が零れ、リーアムから怪訝な視線を受ける。
「何?」
「いや、別に」
 コーヒーを口に運び、漠然と店内を視界に入れた。
 似たようなことは起こりうるらしい。
「それでさ」
 リーアムの声に、彼に視線を戻す。
「これ。返すよ」
 言いながらリーアムはポケットから紙幣を取り出すとテーブルの上に置いた。
「この前くれたお金。の、残り」
 紙幣を確認するウォレンに、リーアムが続ける。
「使った分はまだ持ち合わせがないけど、とりあえずこれだけでも」
「……本当にいいのか?」
 紙幣を軽く上げ、ウォレンが確認してくる。
 それを見つつも、リーアムは頷いて返した。
 そうか、とウォレンが紙幣を下ろす。
「元はギャンブルで稼いだ遊び金だ。別に返さなくていい。受け取っとけ」
 紙幣をリーアム側に押しやり、ウォレンは座席に背を持たれかけさせた。
「え、でも……」
「生活はまだ不安定なんだろ?」
 聞かれ、暫時の間を置き、リーアムが頷く。
 雇ってもらえるところを探し当てたとはいえ、日雇いの身だ。またいつこの前のように突然現実を突きつけられるかは分からない。
「足しになったかは分からないが、返すとなるときついだろ」
「でも――」
「返したいのなら構わないが、今でなくていい」
 遮られ、リーアムは口を閉じた。
「風邪を引いてないところをみると体は丈夫らしいが、まだ栄養は十分摂れてないだろ。うまいものでも食っておけ」
 どうしようか迷ったものの、リーアムは紙幣を手に取った。
「……ありがとう」
「気にするな」
 コーヒーを飲みつつ、ウォレンは紙幣をしまうリーアムの姿を見る。
 丈夫そうだ、とは言ったが、小柄だ。
「お前、いくつだ?」
「15」
「……両親は?」
 問われ、リーアムは視線を落とした。
「……いない」
 ふと、脳裏に彼らの姿が流れる。
 温かみに溢れていた家庭、そして何をするにもくっついてきた、10歳年下の妹。
「いないよ」
 言い聞かすようにリーアムはもう一度返事をした。
「……悪かったな」
 どことなく違和感を覚えながらもウォレンが返す。
 首を振り、リーアムは顔を上げた。
「ひとつ聞いていい?」
「何だ?」
「なんで、こんなに親切にしてくれるの?」
 リーアムの視線を受け、ウォレンが肩を竦めた。
「さぁ」
 問われて考えるが、はっきりとした答えを持っていないことに気づく。
 強いて言うなら、と視線を横に流す。
「放っておけなかったからかな」
 こうやって金を返そうとしているリーアムの姿を見ていると、やむにやまれず掏りを行ったのだろう。性根はまだ無垢なままだ。
 知らない姿ではない。
 同じような、もしくはもう少し幼い彼らの記憶はまだ新しい。
「よかったな、俺に捕まって」
 過去へと引きずられないよう視線をリーアムに戻し、一言呟く。
「そうみたいだね」
 返ってきた言葉に微笑を返せば、リーアムもまた笑った。
「それじゃ、しっかり働けよ」
 上着を手に取り席を立つ。
「あ、待って」
 進めようとした足を止め、ウォレンはリーアムを見た。
「返せるようになったら、どこに行けばいい?」
「さっきのバーでまた『弟』になればいいんじゃないか?」
 確かに、とリーアムが申し訳なさそうな表情をする。
「じゃあな」
 上着を羽織り、ウォレンはリーアムに背を向けた。
 淡々と去っていく姿を見送った後、リーアムは手元に視線を落とした。
 外は寒い。
 今しばらくは、店内に留まっていたかった。
(頑張って働かなきゃな)
 生活にゆとりができるようになるまでには時間がかかるだろう。
 それでもリーアムは、気力が充実してきていることを実感した。


 厳しいときに1人というのは難しい状況だろう。ましてや彼はまだ15だ。どれほど酷なのかは想像できない。
 出すぎた親切心かもしれないが、やはり放っておくことはできなかった。
 路上に立ち上るスチームの白い湯気を見やり、ウォレンは自身の過去を振り返った。
 血の繋がった家族はいなかったにしても、周囲には心配してくれる人がいた。
 彼らは今、どうしているだろうか。
 アンソニーには無事だということを直接告げていない。
 アレックスやギルバートから何かしら聞いているかもしれないが、連絡はしていないままだ。
 そしてクラウスにも、あれから連絡は一切取っていない。
 彼が今のウォレンの生活を知ったら、どう反応するだろうか。それを考えるとより一層連絡をしないほうがいいと感じられる。
 だが、例え法に反していようとも、今の仕事は必要なものだ。需要がある。間違った需要じゃない。
 その需要に応えられる腕を持っているのなら、誰しも引き受けるという選択をするだろう。
 考えを巡らせつつ、ウォレンは息を吐いた。
 薬の抜けた状態ではどうしても余計に思考が働いてしまう。
 ふと、携帯電話が着信を知らせる。
 手に取れば、ダグラスからだった。
「もしもし?」
『明日の夜は空けておけ』
 一言だけ告げると通話は一方的に切れた。
 腕を下ろし、携帯電話をしまう。
 スチームの湯気が、風を受けて足元を横切る。
 ありがたいことに、思考の赴く先は仕事の内容へと変わっていた。
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