IN THIS CITY

第3話 Unspoken Truth

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02 Available Tonight

 この時期、湿度の高さが体感温度をいっそう不快なものにさせる。
 夏の間はできることならばDCから離れていたいとすら思ってしまう。
 いつもならば身軽な身分を利用して適当な場所に滞在し、夏をやり過ごすのだが、今年はそう気ままに動けそうにない。
 ウォレン・スコットは東の窓から差し込む日の光に、今日もまた蒸し暑くなるだろうことを感じ取った。
 ここの夏はそういうものだったな、という諦めを持ちつつ、コーヒーミルのハンドルを回し、先日購入した豆を挽く。
 香ばしい香りと共に粗く低い音が室内に拡散し、その振動が手のひらから伝わってくる。
 書斎はともかくとして、ここ、アンソニー・アイゼンバイスの家はいつものことながらきれいに整頓されていた。家具類の色が統一されているわけでもないのだが、安定した心落ち着く空間ができあがっている。この家の主の醸し出す空気のおかげかもしれない。
 今朝、その空間を唯一乱すものをあげるとすれば、目の前のテーブルの向こうのソファの上で横になっている人物だろう。
 朝に弱いことは知っているが、そのクラウス・アイゼンバイスの顔色が良くないのにはまた別の原因が挙げられる。
「寝床で寝ていたらどうだ?」
 コーヒー豆を挽く手をそのままに、ウォレンが提案する。
 それに対してはっきりとしない言葉が返ってきたが、補完して翻訳すれば、完全に横になると余計につらい、とのことらしい。
 アルコール全般を受け付けないウォレンは経験したことがないが、クラウスの今の状態が、二日酔いという代物であるに違いない。
 8年以上も前に彼と口論をしたまま連絡をとらなくなったときは、もう気軽に話し合えるような関係には戻れないだろうと思っていたが、時間というものは意外に優しい存在らしく、数ヶ月前に再会して以来、案外自然に接している。
 その背後には恐らく、アンソニーの計らいもあるだろう。
 昨夜も彼の提案で、3人で少しばかり値の張るレストランへ行き、食事をしてきたところだ。
 アンソニーの酒好きは周知の事実だが、彼の血を引いているクラウスも酒にはかなり強い。が、さすがの彼も父親のペースに合わせると、今朝のような事態に陥るらしい。
「お前、この前もダウンしてなかったか?」
 5月頃にも3人で食事をしたが、あの翌日と同じ光景をウォレンは今見ている気がした。
 話すのも鬱陶しいらしく、クラウスは適当な相槌を短く切り上げる。
 どうやら相当参っているようだ。
 こうまでしても酒好きの人間は酒が飲みたいものなのか、という疑問が首をもたげるが、飲みたいとすら思わないウォレンにとっては永遠に理解できない領域である。
「……その音止めろ。頭に響く」
 言いつつクラウスはクッションを頭にかぶせ、届く音が少しでも鈍るようにした。
「豆のままだとコーヒーが入れられないだろ」
 手を休める様子もなく、ウォレンは淡々と作業を続ける。
「おめーのアパートでやれ」
 クッションの下からくぐもった声が聞こえてきた。
「俺の部屋にはミルがないんだ」
「なら最初から挽いてあるやつを買え」
 不機嫌にそう言うと、クラウスはクッションを一旦上げて体の向きを変え、ウォレンに背を向けると再び頭にクッションをかぶせた。
 そんな彼を一瞥し、ウォレンは、確かに、と呟く。
 もともとは挽いてあるものを買う予定だった。だが、どうせアンソニーの家に立ち寄るのだから、とたまの機会に豆を購入した。それが、クラウスにとっては災難となったらしい。
 まぁいいか、と思いつつ、ウォレンは豆挽きを続けた。
 室内は相変わらずの音で満たされている。
「……俺への嫌がらせじゃねーだろーな」
 クッションに幾分か吸収され、ぼやけた声が聞こえてきた。
 数瞬の間を置いて、
「バレたか?」
 とウォレンが答えれば、クラウスは器用にもクッションをウォレンへ正確に投げつけた。
 受け取るためにウォレンが手を離し、コーヒーミルからの音が途絶える。
 なるほど、この音がなければ随分と静かなもので、外からカワラバトの声が届いてくる。
 クッションを隣へ置き、ウォレンは暫く手を休めることにした。
 ソファの背に体を預け、窓の外を見やる。
 春先はともかくとして、この時期の日の光はあまりありがたいとは思えない。
 目を窓から逸らし、テーブルの上に置いてあった新聞を手に取ると、まだ読んでいない文面まで頁を繰った。
 ほどなくして、外の階段を上る足音が聞こえてきた。
 この家は1階が診療所となっているため、2階に住まいへの玄関が設けられている構造となっている。診療所の内部から居間へと繋がる階段はあるのだが、診療所を出入りするよりも外に設置された階段を使うほうが楽である。
 足音の質から、日課のジョギングからアンソニーが戻ってきたことが分かる。
 ドアが開き、朝から気持ちいい汗を流した彼が入ってきた。
「おや、いい香りだね」
 昨夜しこたま飲んだはずなのだが、アンソニーにはその気配がまったくない。
 ウォレンの手前のテーブルにあるコーヒーミルを一瞥し、
「私にも一杯用意してくれるかな」
 と頼むと、アンソニーは汗を流すためバスルームへ向かった。
 途中、ソファで寝転がっているクラウスを見つけ、足を止める。
「何、二日酔い?」
 息子の顔を覗き込むアンソニーに、クラウスはうっすらと目を開けた。
「だらしないなぁ」
「うるせぇ」
「ちょっとしか飲んでいなかったじゃないか」
 アンソニーの一言に、昨夜飲んだものを思い出したのか、クラウスは気持ち悪そうに低く呻いた。今は極力アルコールのことを頭から排除したいらしい。
 彼の様子にアンソニーは軽く眉を上げ、いたずらな笑みを浮かべる。
「今日の昼、何食べようか。オリーブオイルたっぷりのこてこてのピザとか――」
「だーもううるせぇ!」
 さっさと行け、と示すクラウスの手に従い、アンソニーは、はいはい、とバスルームへと去っていった。
 対照的な2人の様子を新聞越しに目に入れつつ、ウォレンはアンソニーのアルコール摂取量に対する基準値がそもそも常人と違うことに感心を覚えた。
 バスルームのドアが閉まる音が聞こえてから暫くして、クラウスがのっそりと重たそうに上体を起こした。ソファに浅く座り、膝に肘を乗せ、頭を垂れる。が、どの姿勢をとっても気持ち悪いものは気持ち悪いらしい。
「……いいか?」
 ウォレンの声に、クラウスが少しだけ顔を上げた。
 コーヒーミルを示すウォレンに、適当な返事を返すと、クラウスはテーブルの上にある水の入ったグラスを手に取った。
 許可を得た、と新聞を畳み、ウォレンはアンソニーの分の豆をミルに継ぎ足すと再び豆を挽き始めた。
 その様子を漠然と視界に捉えつつ、クラウスは頭痛のするところを手でほぐす。脈拍のリズムに乗って強調される痛みは、圧迫することでほんの少しだけ和らぐ。
 横になっていても起きていても、普段のような平衡感覚が戻ってこない。
「あー気持ち悪ぃ」
 呟いてもう一度水を飲んだ。大した効果はないが、たとえ少しでも楽になれるのならそれでいい。
「そうみたいだな」
 淡々としたウォレンの声が返ってき、クラウスは視線を上げると憎らしそうに彼を見た。
 当然といえば当然なのだが、酒を飲まないウォレンはいたって普通の様子だ。
 健康な人間が羨ましく思える己の今の状態に、クラウスは小さくため息をつく。
 豆を挽く音に紛れ、アンソニーの鼻歌がどこからか届いてくる。調子の悪いのはクラウス自身だけらしい。
「仕事に支障が出るんじゃないのか?」
 手を動かしつつ、ウォレンがクラウスを見て尋ねた。
「今日はオフだ」
 グラスをテーブルに置き、クラウスは両手で頭を押さえる。
 あ、そう、と素っ気ない相槌が返ってきた。
 お前はここで豆挽いていていいのか、と尋ねかけたが、クラウスは代わりに手を動かし、頭痛のするところを圧迫しつつ、ほぐした。
「……おめー、仕事に就こうとは思わないのか?」
 唐突な質問だったのだろう、ウォレンの手の動きが一瞬止まる。
 クラウスは両手を頭から離し、肘を膝の上に乗せたままその前方で指を組んだ。
「『堅気』のか?」
「そーゆー言葉は使うな」
 顔を上げてウォレンを見たクラウスに対し、失礼、と小さく眉を上げ、ウォレンは視線をコーヒーミルに戻した。
「どうなんだ?」
 問われ、さて、と呟き、ウォレンは続ける。
「金には困っていない」
「金の問題じゃねーだろ」
 強く言い、クラウスは鋭い視線をウォレンに送った。
 体調は万全ではないが、不思議にも言葉が口から自然と出てくる。
 再会して以来、無難な会話しか選んでこなかったが、お互いいつかは議論しなければならない議題の存在をそれとなく認識していた。
 曖昧なまま時が過ぎるのを見送るのも、そろそろ終わりにすべきだろう。
 時期的に、話をする丁度いい頃合なのかもしれない。
「……まともな職を探せってことだ」
 左頭部を手で圧迫しながら、クラウスは言った。
 落としていた視線を上げ、ウォレンが彼を見る。
「要するに、『堅気』の仕事だな」
 頭から手を離し、クラウスがウォレンを目で咎めた。
 豆挽きを中断し、ウォレンは両の手のひらを見せ、軽く謝り、上体を起こしたついでにそのまま背中をソファにもたれかけさせた。
「20代なら、まだやり直しが効く」
 深く座り、同じようにソファに背を預け、クラウスは言った。
「そんな統計があるのか?」
 他人事のように言うウォレンに対し、クラウスは苛立ちをそのまま表に出す。しかしながら相手の表情に変化は見られなかった。
「……後悔とか、後ろめたさとかはねぇのか?」
 質問に対し、ウォレンは間を置いてから短く、ない、と答えた。
 息を吐きつつ、クラウスは頭を押さえる。今回のそれは、二日酔いに伴う頭痛を和らげる対策としてではなかった。
「高校を卒業できてないんだ。どの道まともな職には就けないだろ」
 結論付けるように言い、ウォレンは体を起こすとコーヒーミルに手を伸ばす。
「道はある。端から否定するな」
「面倒だ」
「少なくともおめーが今やっている『仕事』よかまともだろうよ」
「かもな」
「おい」
 再び響き始めた豆挽きの音を遮るように、クラウスが多少強い声をかけた。
 ウォレンは手を止め、クラウスを見た。
「適当に受け流してんのは、おめーも迷ってるからじゃねぇのか? 現状を深く突かれると困るんだろ」
 断定的な口調で告げつつ、クラウスは、逃がすか、とウォレンの目を捕らえる。
 一呼吸の間を置き、ウォレンは、いや、と否定した。
「酔っ払いと話をするのが面倒なだけだ」
 不真面目な返答を受け、クラウスはソファから背中を離した。
「なんッ……――」
 言いかけて頭を押さえる。血流と頭痛は深く関係しているらしい。思わずかっときたと同時に、頭痛が指数関数的に存在感を増す。
「大丈夫か?」
 それほど心配している様子のない口調でウォレンが確認する。クラウスは、ああ、と告げると手でゆっくりと頭を撫でる。
 無言の空間に数秒ほどの間、バスルームからシャワーの音と途切れ途切れなアンソニーの鼻歌が届いてくる。
「――ウォレン」
 クラウスの声に、分かってる、とウォレンが返した。
 頭を押さえていた手を離し、顔を上げ、クラウスは視線を窓に向けた。
 高く上がってきた太陽からの光が、差し込んできている。
「今夜、時間は?」
 尋ねつつ、クラウスはウォレンを見た。
「二日酔いの真最中じゃないのか?」
「夜には治ってる」
 そうか、とウォレンは視線を落とした。
「……分かった」
 彼の了解の言葉に、クラウスは頷きを返す。
 言葉のやりとりが終わった空間を、バスルームからの音だけが満たす。
 暫くしてクラウスはソファから立ち上がると、水の入ったグラスを持ち、ふらふらとした足取りで自分の部屋へと去っていった。
 ウォレンもコーヒーミルに手を伸ばし、中断していた作業を再開する。
 やがて、ハンドルを通して感じていた抵抗が和らぐ。
 響いていた粗く低い音も徐々に空回る音となり、適当な時間を置いてウォレンはハンドルから手を放した。
 暫時動きを止め、焦点を合わすでもなくコーヒーミルに視線を固定する。
 バスルームからのシャワー音もなくなり、室内は時計の針の音が聞こえるほど静かになった。
 時折、外からの雑音が幾分薄くなって届いてくる。
 ここの朝は、いつもこんな感じだ。
 アンソニーが居間へやってくる頃になってようやく、ウォレンはミルの引き出しを取り出し、コーヒーを入れる準備に取り掛かった。


 高く上った太陽から、日差しは容赦なく地面を照りつける。
 ヒビの入ったアスファルトは、足場を悪くするのに一役買っていた。
 騒がしい子供が駐車場を駆け回っており、駐車するにも一苦労だ。住居として使用しているのか、モーテルの隣人は絶えず音楽を流している。どうやらロックバンドが好きらしい。
 買ってきた遅い昼食を手にしながら、ジミーは携帯電話を顎と肩の間に挟んだ。
「無理はするな。難しいなら別にあんたじゃなくていいんだ。こっちでやる」
 鍵を取り出し、ドアに差し込む。
 錆付いた感触だが、これでもまだ機能している。
「ならもう暫く待っていろ」
 不快な軋んだ音を立て、ドアが開く。
「いや、上院議員の娘を巻き込んで事を大きくしたくはない」
 電話口からは、甘い、と文句を言う声が、これもまた不快感を顕わに届いてきた。
「ごちゃごちゃ言うな。言っただろ、別にあんたじゃなくても片付けられる仕事なんだ」
 後ろ足でドアを閉め、ジミーはモーテルの室内の電気のスイッチを入れた。
 指令に遅れること数秒、寝起きの悪い人間さながらに、しぶしぶと電気がつく。
「あんたを雇った理由は単に昔なじみだからじゃない。女なら彼女も警戒しないだろうと思ったからだ。まとまった金が欲しいならもう少し辛抱しろ。永遠にそこにいるわけじゃないんだ」
 まとまった金、の一言に、電話の相手は文句を言うのを止めた。彼女もまた数秒という時間を置いて、本当に払うのか、という期待のこもった確認をとってきた。
 疑い深いやつだ、と呆れつつも、ジミーは告げる。
「ああ、約束する」
 納得したか、相手は、なら結構、と電話を切った。
 それを確認するや、ジミーは深いため息をつき、手に持っていたテイクアウトの中華料理をテーブルの上に置いた。
 もう片方の手に持っていた鍵も同じように置き、首と肩に挟んでいた携帯電話を取ると通話終了のボタンを押した。
 急ぐあまり金で動く人間を雇ったのはやはり間違いだったろうか。人の手を借りずに自分が動くべきだったかもしれない。
 当初はその計画だったのだが、計画というものはうまくいかないものだ。まして時間に制約があるとなると、計画通りに実行することは更に難しくなる。
 もう一度ため息をつき、目を横にやる。
 テーブルに置いたテイクアウトの中華料理が視界に入る。
 すいた腹を満たすため、それを手に取ろうとしたとき、携帯が鳴った。
「何だ」
 食事の邪魔をされ、腹立たしさを交えた声で誰からのものかを確認せずに電話に出た。
「ああ、キースか」
 声色を変え、しまった、とジミーは眉間に手を当てた。
 他でもない、ジミーの雇い主のキース・ウィトモアからの電話であった。不遜なジミーの態度に、キースの声が不機嫌さを増す。
 仕事をジミーに任せてからかなり時間が経っているため、キースの焦りは最大値を更新し続けているらしい。
 このところは毎日のように電話がかかってくる。
「――キース、『事を大きくするな』と言ったのはお前じゃないか。だから時間がかかるんだ。――いや、早く片付けたいのは分かっている。けどな、そうなると強硬手段をとることになるぞ」
 注文にはちゃんと答えている、と反論するが、キースは満足していないようだ。先日ルティシアを尋問したことについても言及してきた。
「――あれはあの女がなかなか口を割らなかったからだ。脅す以外に他に方法は――」
 キースからの怒鳴り声で言い訳は中断される。
 ジミーは目を閉じ、部屋の中を行ったり来たりと落ち着かない動きをする。
 聞こえてくる説教まがいの言葉に、適当に相槌を返すもそれらを受け流し、ジミーは天井を仰いだ。
 口煩く面倒な相手だ、と彼は思った。それほどまでに心配ならば、キース自身が動けばいいのだ。
「キース。いいか、今日で全て片がつく。終わったら連絡を入れる。だからあんたは待っているだけでいい」
 順調だ、と諭すが、それでもまだキースからは疑問の声が届いてくる。
「――ああ。分かっている。けどそれも今日で終わりだ」
 確信を持った声でそう断定すれば、暫時の沈黙の後、キースは低い声で了解したことを表した。
 じゃあな、と一言残し、ジミーは通話を終了した。
 人の声の無くなった室内に、隣の部屋からのロックの重低音が床を伝って届いてくる。
「くそッ!」
 言葉を吐き捨て、携帯電話を床に叩きつけようとしたが、連絡手段がなくなってしまっては不都合が生じる。瞬時にして極まった衝動をぐっと堪え、ジミーはその代わりに近くにあった椅子を蹴飛ばした。
 壁に当たってどこか損傷したようだが、所詮は一時的な仮住まいだ。気にすることではない。
 彼の苛立ちは全てキースに向けられていた。
 並列の関係に、いやむしろジミー側が力を持っていたはずだ。
 それが、人を自分の手下のように使うとは何様のつもりだ。
 彼の背後にある資金が魅力的でなければ、とうの昔に頭に鉛弾を喰らわせていたところだ。
 だが、背伸びして大物と手を組むのではなく、己の手で制御できる範囲の連中と関わりを持っているところをみると、キースは無能というほどできの悪い人物でもないらしい。
 下手をすれば、こちらの身が危ない。
 手を腰にやり、ジミーは息をついた。
 今は我慢の時だ。いずれ逆転してやればいい。
 怒りを押さえ込み、中華料理を手に取る。
 ルティシアから少ない情報を聞き出してから、ジミーは数人の仲間と共にすぐにDCにやってきた。
 縄張りとしているNYに比べると地理に精通していない上に知り合いも少なく、格段に動きにくい。
 昔のつてを頼りに細いながらも人脈を作り、調べた結果、ルティシアの娘であるエリザベス・フラッシャーの所在を入手することができた。所在が確認できれば、『ご同行』を願うことなど簡単なことだ、と思っていたのだが、意外にも手間取っている。
 住所が割れてすぐに、つい先日のことだが、エリザベスのアパートに向かった。
 夜だったが彼女の部屋に電気はついておらず、暫く外で待っていたものの帰って来る気配は一向になかった。
 車から降り、彼女の部屋を訪れ、試しにベルを鳴らしてみたのだがやはり留守だった。
 高い防犯設備を備えているアパートではない。ピッキングは思っていたよりも手間取ったが、困ることなく部屋に潜入することができた。
 母親と違って娘は片づけが上手らしく、質素に暮らしている様子も見て取れた。
 部屋を調べれば、カレンダーに何かメモがしてあるのを見つけた。
 思えば今は長い夏休みの期間である。
 学生である彼女が、どこかへ出かけているとしても不思議ではない。
 ジミーがエリザベスの部屋を訪れた日は、丁度彼女が友人とロサンゼルスへの旅行に出かけて4日目であった。
 カレンダーに書かれている1週間ほどの旅行予定を見、ジミーは舌打ちをした。
 西海岸へすぐさま飛び、彼女を連れ去ることもできなくはない。が、しかし、事を大きくするな、というキースからの注文が足を引っ張った。
 旅行先でエリザベスが消えたら、恐らく彼女の友人は即刻警察に届けるでも何でもするだろう。
 いっそ友人ごと攫うか、と考えたのだが、クレア・シャトナーというその友人が上院議員の娘であることが分かり、計画は断念した。それこそ、誘拐どころの騒ぎではなくなってしまう。政府機関が動き出せば逃げ切る自信はない。そうなれば、確実に塀の向こうで過ごさなければならなくなるだろう。
 結局エリザベスが戻ってくる日を待つことにしたのだが、その間にもキースから度々、急げ、との電話がかかってきた。
 何もそこまで焦らずとも、と思うのだが、気の短いキースの性格からすると、早いところ手を打っておきたいのだろう。浅はかだともとれる彼の行動だが、なるほど、と思わないでもない。
 エリザベスの存在は相手にとっては弱点だ。彼女を手中に収めておけば大きな切り札になることは確かである。
 何かと注文の多いキースに従うことに対しては不満もあるが、金のためには我慢するしかない。彼の言うとおりに行動しておけば、自然と大金が転がり込んでくる。
 ともあれ、現在は旅行中という壁は取り払われた。残る問題は、エリザベスの友人であり、上院議員の娘でもあるクレアの存在である。
 旅行から帰ってきてまっすぐに家に帰るものと思っていたが、昨夜はクレアの部屋に泊まることになったらしい。
 厄介な友人を持ちやがって、とジミーは心の内で舌打ちする。
 だがそれももう暫くの辛抱だ。数時間後には恐らく事は片付いているだろう。
 友人宅から出てきたところを、人目につかないよう攫えばいい。
 ここ1ヶ月ほどの苦労を思い出しつつ、ジミーは冷めてきた中華料理を口に運んだ。
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