IN THIS CITY

第3話 Unspoken Truth

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18 Make a Call

 聞こえてくる喧騒を背に、デュモントはシルバーのベンツに乗り込んだ。
 日陰に止めていたとはいえ、車内は夏の空気によって熱せられており、即座にエンジンをかけてエアコンをつける。
 流れ出す冷風に一息つき、滑らかにアクセルを踏む。
 門を出る際にふとバックミラーに目をやる。
 開け放された玄関の奥は見えなかったが、しばらく荒れ模様となるのは必至だろう。
 車道に乗り入れたところでポケットを探り、携帯電話を取り出す。
 短縮でかけた先、あまり待つことなく相手が出た。
「ショーンか。メルヴィンに代わってくれるかな。――なんだ?」
 数年前、母親の最期に立ち会えなかったことを悔やんでいるのか、父親の最期は看取りたい、と、メルヴィンが病床に臥せってからというものの、ショーンは妻子と共に父親の家に滞在している。
「――ああ、話なら済んだ。心配ない」
 ショーンは父親に劣らず有能であり、家庭内でも良人として立派に振舞っている。優しい心の持ち主だ。だが、例外、というものは必ずつきものである。
 デュモントの簡単な報告を聞いたショーンが、そうか、と呟いた。
 兄であるキースが絡む話となると彼の声から温もりが消える。今回もそうだった。
 父親に電話を渡すショーンの声を聞きつつ、デュモントは一歩離れたところからウィトモア家を見ていた。
 顧問弁護士となって以来20年近い付き合いになるが、心理の嘘真のほどは、当人たちのみが知っている。
「メルヴィン。具合はどうだ?」
 デュモントとしては彼らに関わるのはあくまで仕事であり、必要でない限り彼らのいざこざには足を踏み入れないようにしている。だが、立場上相談されることが多く、完璧な中立を保つのも難しい。
 胸の内は見せない彼らだが、唯一、病魔に蝕まれて余命幾ばくもない初老の男のみが、ようやく本心を見せ始めた。
 その彼に頼られているそのせいか、最近は随分と肩入れしてしまっているように感じられる。
 ひょっとしたら、自分自身も年老いてきているのかもしれない、とデュモントはゆっくりとした瞬きをした。
「それはよかった。あまり無理はするなよ」
 人生の終点を迎えて人恋しくなったのか、それとも今まで虚栄を張り人を避けていたのか。
 いずれにしても、今のメルヴィンが彼本来の素直な姿なのだろう。
「――そのことだが、やはり彼が絡んでいた。――ええ、残念ながら」
 信号停車を機に、デュモントが電話を持ち変える。
 声だけ聞いていても、メルヴィンが弱ってきていることはすぐに知れる。面会は無論のこと、キースからは遠ざけておいたほうが無難であろう。
「彼には言い含めておいた。妙な動きをしないよう、私のほうで監視をつける。娘さんの心配はいりませんよ」
 安心させるように、デュモントは口元に微笑を浮かべながら告げた。
 彼がまだ見ぬ娘をずっと気にかけていたことは、傍で働いてきたデュモントには分かっていた。
 機会あるごとに名乗り出ることを打診してきたのだが、曖昧な返事が返ってくるばかりでずるずると引き延ばされ、そのまま今日に至る。
「あなたの意思についても伝えておいた。――いや、間違ってはいない。ショーンの言うとおり、キースはウィトモア家にとっては癌です」
 さらり、言ってのけた後、自身もウィトモアの家風に毒されていることに気づき、デュモントは苦笑をした。いや、以前に親子間の縁を切る書類にサインするよう勧めたことを考えると、キースに対する冷めた感情は今に始まった話ではないのだろう。
「……気持ちは分かるが、キースに関わると火の粉を払うのに全てを捧げることになりますよ。昔のように」
 有罪を無罪と主張して得た完璧な勝利ほど、後味の悪いものはない。仕事だ、と頭では割り切ることができても、心のどこか片隅にはずっと残り続ける代物だ。
 息をつき、遠くを見やる。
「――ともかく、キースとは縁を切ったほうがいい。最近はマフィアと親しくしているとい聞いたが、嘘ではないようだ。……このままだとショーンも彼に対して手を焼くことになりますよ」
 受話部口、デュモントの言わんとすることを理解したようなため息が聞こえてくる。
 縁を切るまでには至らなかったものの、昔は強気な姿勢でキースに対峙していたメルヴィンだったが、今は親子の情のほうが勝っているらしい。
「……この話は帰ってからしよう」
 説得するにも時間を要する。長くなりそうな話題は避け、それじゃ、とデュモントは電話を切ろうとした。
 だが、その気配を察したか、メルヴィンが先に制止をかけてきた。
 暫くの躊躇うような時間が過ぎ、デュモントは前の車に合わせて発車した。
「――娘さんを?」
 確認をとるように尋ね返せば、肯定の返事が聞こえてくる。
「……分かった。引き受けましょう」
 耳元に届く礼を受け、デュモントは口元を緩めて答え、通話を切った。
 ハンドルに両手を乗せ、車を走らせる。
 歩道を行く人々にちらと視線を向ければ、笑顔の家族連れと窓越しにすれ違った。


 数日後。
 広いロビーを備えるホテルをチェックアウトし、デュモントは入り口を出たところでタクシーを拾った。
 DCには幾度となく足を運んでいるが、仕事以外で、となると今回が初めてである。雇い主であるメルヴィンからの頼まれごとのため仕事と言えなくはないが、非公式である。いつもよりも景色が目に映ることは確かだった。
 告げた住所の前でタクシーが止まり、デュモントは料金を払って外に出、アパートを見上げた。
 粗末な、とまではいかないものの、メルヴィン並の地位の価値観に慣れてしまった身としてはあまりいい感想を抱けない。
 ひとつ息を吐き、デュモントはアパートの中に入り、目的の部屋の前でベルを鳴らした。
 が、反応はない。
 もう一度、鳴らしてみる。
 待ってみるものの、やはり返事はなかった。
 留守であるだろうことは予想していたが、どうやら本当らしい。
 事前にエリザベスについて調べたところ、友人と旅行に行った後、キースの知り合いのストリートギャングに襲われたらしいことは分かったのだが、それ以降の足取りがまったくつかめない状況だった。
 視線を落とし、アパートの入り口まで降りた後、デュモントは携帯電話を取り出した。
「メル?」
 言いつつ左右を確認し、タクシーを探す。
「――いや、まだ会えていない。数日の間、こっちにいることになるかもしれないが、いいかな」
 車といえば道路わきに縦列にぎっしりと停まっているだけで、走行しているものは見つけられなかった。
「心配ない。色々と話をしようと思っているだけです。――どうも」
 携帯をしまい、ひとつ息を吐き、デュモントはもう一度アパートを見やった。
 メルヴィンには大丈夫だと告げたものの、最悪の事態が頭を掠めないでもない。
 なるべく早く彼女を見つけなければ、と体の向きを変え、歩道に沿わせた。
 2、3歩足を進めた後、ふとデュモントは立ち止まり、前方に意識を集中させた。


 比較的厚い雲に覆われているためか、気温の上がりが緩い。
 蒸しているのは相変わらずだが、日差しがない分動きやすい天気だった。
 停車した車から降り、エリザベスはトランクへ回り込む。
 丁度位置についたとき、鍵が開いた。
「俺が持つ」
 聞こえてきた声に、エリザベスは開けたトランクの脇から声の主へと顔を出した。
「いいわよ」
 旅行ケースを引っ張り出して地面に置き、エリザベスはトランクに手をかけた。
「今だったらあなたの左手より、私のほうが力があるもの」
 にっこりと笑みを見せ、トランクを閉める。
「それは頼もしいな」
 苦笑し、ウォレンはキーのボタンを押して車に鍵をかけた。
 そうでしょ、とエリザベスが返す。
「だが右手はいつも通りだ。持つよ」
 一度結んで開き、健全であることを示すとウォレンはエリザベスから旅行ケースを受け取り、歩き始める。
 微笑みつつ、エリザベスはウォレンに続いて歩道に上がった。
 あの事件から既に5日ほどが経過している。
 1人でいるのは危険だから、というTJの言葉に従い、エリザベスは彼女のアパートに世話になっていた。
 だがその間相手方の動きはなく、また来週から大学の講義が始まるということもあり、TJに、自分のアパートに戻りたい、と昨日の夜に相談した。
 TJは一連の区切りがついた後も色々と調査をしてくれていた。それはアレックスらも同じだったらしく、彼らとの話し合いの結果、戻っても大丈夫だろうという結論に至った。
 寂しくなるわ、とTJに送り出され、こうしてウォレンの車で半月ほど開けていた自分のアパートへ戻ってきたところである。
「随分久しぶりだわ」
 キャスターとコンクリートによって発せられる音を耳に入れつつ、エリザベスが呟く。
「2週間ぶりか」
「ええ」
「君の代わりにネズミが住んでいるかもな」
 ウォレンのわざとらしい真面目な口調が聞こえ、エリザベスが首を振る。
「言わないでよ、想像しちゃうじゃない」
「大家族だろうな」
「ウォレン」
 仕返し、とばかりに彼の左腕を軽くつつく。
 それが堪えたのか、分かった、とウォレンが引き下がる。
 最初は敢えて大丈夫なふりをしているのかと思っていたが、彼の左腕の怪我は、本人ではなくアンソニーに尋ねても順調に回復しているらしい。
 ほっと安心するとともに、事件の背後にある父親と兄の存在を思い出し、エリザベスは口を閉じた。
「……大丈夫か?」
 こういうところがすぐに顔に出るのか、それともウォレンの察しがいいのか、エリザベスは顔を上げて彼を見た。
「大丈夫よ。ちょっと思い出しちゃっただけで――」
 考えたくもないが、一度存在を知ってしまった以上、それは無理なことだった。
 自然とため息がこぼれ出る。
「――……一度会って彼らと話せば、前に進めるかもしれないけど……でも今はそんな気分じゃないわ」
 極力忘れていたいの、とエリザベスは前を向いた。
「そうか」
「一発殴りたい気もするんだけどね」
「そうか?」
「一発どころじゃ済まないかもしれないわ」
「それは……随分と攻撃的だな」
 驚いた様子でウォレンがエリザベスを見る。
「言葉のあやよ」
 ウォレンを見上げ、笑みを返す。
「もう少し時間が必要みたい。今会ったら、自分を抑えられないと思うの」
 建物の角に差し掛かり、ウォレンに倣ってエリザベスも曲がる。
「だって、いきなりすぎて――」
 言いかけたとき、キャスターの音が切れ、ウォレンが隣で足を止めた。
 手で制されてそれに従い、エリザベスも前方を見る。
 アパートの玄関口、部屋を見上げている人物が目に入ってきた。
 スーツケースを持った、スーツ姿の男だった。
 不安が駆り立てられ、エリザベスの背中を走る。
 ふと、前方の男がこちらを向き、歩き始めた。
 が、ウォレンとエリザベスの存在を認識し、すぐに足を止める。
 距離は十分にあり、男の表情は読めない。
 ウォレンを見、無言で尋ねるが、彼は動く気はないようだった。
 再び前へ視線を移せば、急ぐことなくゆっくりとした足取りで、男がこちらに向かって歩き始めた。
 気のせいだったのかもしれない、とエリザベスは思ったが、ウォレンは相変わらず動かないままだった。
「……ウォレン?」
 今度は声に出して意向を伺う。
 数瞬の間を置いた後、エリザベスを止めていた手を引き、ウォレンはゆっくりと歩き出した。
 半歩後ろに下がり、エリザベスも前の男に注意を払いながら歩く。
 徐々に距離が縮まる中、男がふと目を合わせてきた。
 慌てて逸らし、下を向く。
 残像が徐々に薄まる中、エリザベスは彼の顔に見覚えがあることを知った。
 誰だったかと考えていたとき、男がその場で歩みを止めた。
 その気配を感じ取り、エリザベスが顔を上げる。
 目が合ったが、彼の目はそのままエリザベスの隣のウォレンへ移動した。
 相手の無言の意図を察したか、ウォレンが足を止める。
「エリザベス・フラッシャーさん?」
 再び目を向けてきた男が名前を確認してき、エリザベスは返答をせずに口を結んだ。
「突然すみません。弁護士のフィル・デュモントです。……近づいても?」
 遠慮がちな様子で、デュモントがウォレンにも尋ねる。
 名前を聞き、エリザベスは確か父親の顧問弁護士がそうであったことを思い出した。
 無言のままの2人に対し、だが返答がこないだろうことを予測していたか、デュモントは許可が下りる前にゆっくりと近づいてきた。
「お会いできて嬉しいですよ」
 人生を折り返した愛想のいい笑顔で、デュモントが右手を差し出してくる。
 戸惑ったものの相手から害意は感じられず、エリザベスはぎこちなくその手を握った。
 反応してくれたことに対して礼を述べ、デュモントが右手をウォレンにも向ける。
 しかし、ウォレンはその手に一瞥をくれただけで握り替えそうとはしなかった。
 彼の後ろを見、旅行ケースを持っていることを確認すると、なるほどそれなら、とデュモントが手のひらを上に向け、右手を下ろした。
「どうやら警戒させてしまったようで、申し訳ありません」
 にっこりとエリザベスに笑いかけ、上着の内側に手を入れた。
「あ、名刺を取り出すだけです。心配はいりませんよ」
 言いながらデュモントは予言したとおり名刺を取り出し、エリザベスに手渡す。
 もう一枚をウォレンに差し出すが、これも断られ、デュモントはそのまま内ポケットに戻した。
 改めてエリザベスに向き直り、デュモントが口を開く。
「私は現在、NYでメルヴィン・ウィトモア氏の顧問弁護士を引き受けていましてね。……突然言うのもなんですが、彼は――」
 言葉の途中、名刺に一通り目を通していたエリザベスが顔を上げた。
「知ってるわ。私の父、なんでしょう?」
 きっぱりとした口調でそう言い、彼女がデュモントに目を合わせる。
「……ご存知で?」
 驚くデュモントに、エリザベスは無言をもって答えた。
「そうですか……」
「彼の顧問弁護士さんが、……わざわざ何の用?」
 すぐにでも追い払いたい気持ちだったが、何の話があってはるばるやってきたのか、気になるところではあった。
 震えだす憤りを抑えつつ、エリザベスはデュモントから顔を逸らさず尋ねた。
 実は、と話を切り出そうとしたデュモントが、ウォレンを見やり、続く言葉を差し止める。
 言わんとすることを察し、ウォレンがエリザベスを見る。
「――外そうか?」
 彼の問いに対し、エリザベスは、いいえ、と首を振って答え、デュモントを見た。
「構いません」
 返答を受け、そうですか、と頷いて一度ウォレンを見た後、デュモントがエリザベスに視線を戻す。
「実は――」
「メルヴィンが末期癌だということは知っています」
 デュモントを遮り、あくまで冷静に努め、エリザベスが言葉を続ける。
「彼が私にお金を残そうとしていることも」
 驚きと疑問を交え、デュモントが眉を寄せる。
「どうしてそれを――」
「彼の息子が、ストリートギャングを使って私を襲わせたことは知っていますか?」
 ほんの少し顔を傾げ、心持目を細めてエリザベスが質問する。
 一度口を閉じ、デュモントは間を置いた。
「……ええ」
 返答を受け、そう、と頷き、エリザベスは顔の傾きを元に戻した。
「用件だけ、手短にお願いします」
 声を聞きつつ、デュモントは目の前にいる女性を見た。
 無理もないことだが、あまりいい感情を抱いていないらしい。
「では……」
 長居すべきでない、と判断し、デュモントは言われたとおり用件のみ告げることとした。
 様子を見るに、ここで情的に訴え出る策をとれば、話が一気に流れかねない。
「――貴女のお父さんが、是非とも会って話をしたい、と申しておりましてね」
 息をつぐ間にエリザベスを窺うが、特段の反応は見られなかった。
「突然のことで恐縮ですが、返事をいただければ、と。勿論、飛行機の手配等はこちらで行います」
 持ちかけられた案に対し、エリザベスは暫くの無言で答えた後、小さく口を開いた。
「……会って、何を話そうと?」
 出てきた声が弱いことに気づき、一度息をつぐ。
「話すことなんて何もありません。そうお伝えください」
 きっぱりした口調には、怒気が隠し切れずに表れていたかもしれなかった。
 弁護士だかなんだか知らないが、目の前に立っている、父親とつながりのある人物が忌々しく思われてならない。
 会って話をするか否かの問題以前に、伝言という手段ではなく、何故、直接言ってこないのか。
「そうですか……」
 呟かれたデュモントの言葉が、エリザベスにはどこか演技めいて聞こえた。
 神経が尖っているせいかもしれないが、仕方なかった。
「もう、失礼しても?」
 可能な限り普通を装い、エリザベスは尋ねた。
 暫時の間を置き、デュモントが視線を落として擦過音のみで返答し、道を開けた。
 許可を得、エリザベスは顔を上げてウォレンを見ようとしたが、途中でその動作を止め、先立って前へ足を進めた。
 状況を理解してくれているだろうとはいえ、今の表情をウォレンに向けることはしたくなかった。
 歩き出すエリザベスを見、一応の礼儀としてウォレンはデュモントに目で断りを入れ、旅行ケースを持ち上げると彼女の後に続いた。
 彼らを見送り、体の向きを2人に合わせた後、デュモントは息を吸った。
「貴女のお父さんは」
 そこで区切り、様子を窺えば案の定、前方でエリザベスが足を止め、振り返った。
「――以前からずっと、貴女のことを気にかけていましたよ」
 彼女と目を合わせた後に、適切な声音と調子でそう告げた。
 数瞬の間、無言の返答を受け、再び口を開く。
「気難しい人ですから、なかなか行動では示しませんでしたが……」
 語尾をぼかして緩く首を振り、デュモントは一度視線を横に流した。
「……もし、気が変わりましたら、私に連絡をください。いつでもお待ちしております」
 最後にひとつ、微笑を残し、デュモントは、失礼、と背を向けた。
 是が非にでも連れてきてくれ、という依頼は受けていない。また、例え受けていたとしても、強制するのは気が進まない。
 エリザベスは断りを入れてきたが、全く関心がないわけではないところをみると、期待はできるだろう。
 そのまま振り返らず、デュモントは速くもなく遅くもない速度で歩き、タクシーの拾えそうな通りへ向かった。
 彼女と会えたため、ここに滞在する必要はなくなった。
 何かあれば連絡がくるだろう。
 角を曲がり、彼らの視界から完全に姿を消す。
 暫く歩いていれば流しのタクシーを捕まえることができ、乗り込んで、空港へ、と指示を出した。
 スーツケースを横に置き、携帯電話を取り出す。
 かけた先、相手が出た。
「――娘さんと会えましたよ」
 報告をすれば、長い無言の時間が過ぎた。
「――ええ、元気そうだった。勝気なところは似ているかもしれないな」
 受話部の向こうから、綻んだ声が聞こえてくる。
「詳しい話は帰ってからしよう。――では」
 エリザベスの返答は告げず、短く切り上げるとデュモントは通話を切った。
 後部座席に背を預け、手の中の携帯電話を1、2度転がす。
 外界から隔離された車内に、走行音が伝わってくる。
 携帯画面を見、番号を選択するとデュモントは再び耳元へそれを持っていった。
「……私だ。ひとつ頼みたいことがある。いいか?」
 窓の外を流れる建物の様子を目にやりつつ、デュモントは手短に用件を告げた。


 昼間の雑音が消え、夜の帳の中に交通の音が染み渡る。
 淡い部屋の明かりの中、テーブルの上のキャンドルが弱いながらも明るさの手助けをしていた。
 ソファに座ってクッションを抱え、エリザベスは両手に持った名刺をぼんやりと眺めていた。
 あの弁護士が去り際に告げた言葉が、時折思い出したように、繰り返し再生される。
 感じるのは憤りだけだが、別の感情が首をもたげ始めているのも事実だった。
 焦点を合わせ、名刺の電話番号を読む。
 何度も見ていたせいか、数字の羅列が徐々に記憶されてきていた。
 この弁護士は、メルヴィンは昔から自分のことを気にかけていた、と言っていた。
 今更何を、と変わらない感想を心の内で述べるが、ふと、エリザベスは名刺から目を離した。
 メルヴィン・ウィトモア。
 その名前は記憶にないが、イニシャルのほうはどこかで見た気がする。
 どこだったか、と遅いながらも思考を巡らせていたとき、後ろから足音が聞こえてきた。
 クッションを背中に回し、エリザベスは名刺を横にあるバッグの中にしまった。
 ミルクが多めのアイスココアが差し出され、擦過音で礼を言う。
 一口飲む間に、ウォレンが隣に腰掛ける。
「デュモントには電話をかけたか?」
「え?」
 尋ねられ、エリザベスがウォレンを見る。
 彼の前では気にしていないふりをしていたのだが、やはり通じなかったらしい。
「……いいえ」
 答えつつ、視線を落とし、アイスココアを口に運ぶ。
 確かに、迷っているというよりも会う気になっているというほうが本音だった。
「……話を受けるのなら、運転手の心配はいらない」
 聞こえてきた声に、エリザベスは再びウォレンを見た。
「――まぁ、飛行機に乗りたいなら、それでもいいが」
 付け加えられた言葉に口元を綻ばせ、エリザベスが微笑する。
「ありがとう」
 来てくれるといのなら、それ以上心強いことはない。
 時折わずかに空気が揺らぎ、それに炎を沿わせるキャンドルを見つつ、エリザベスはウォレンの肩に頭を預けた。
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