27 The Constant
夜中に沛然とした雨をもたらして力が尽きたのか、空には軽そうな雲しか浮いていなかった。道路はまだ湿っており、聞こえてくる走行音には水の音が混じっている。
バスの窓からぼんやりと外を見、エリザベスは昨夜折り返しかけられてきたウォレンからの電話を思い返した。
通話の効果がかかっていたせいか、彼の声がいつもと違うとは感じられなかった。
2件の狙撃事件に関わっているのか、聞くことはできなかった。
だが、話がある、と告げられたとき、恐らくそうなのだと知った。
直接会って話をするのが一番だろう、と結局はそのまま、本題に入ることはなかった。
迎えに行く、とウォレンは言ったが、エリザベスは1人で帰れるから、と断った。
小さく息をついて窓から目を離し、下を向く。
今はただ、頭の中を整理する時間が欲しい。
しかしながら、1人だけであれこれ考えていても、まとまるものもまとまらない。
一度、硬く目を瞑る。
可能であれば知らないままでいたかった、とエリザベスは再び窓の外に目をやった。
外の通りに車のエンジン音が入りこむ。
バタン、とドアが閉められる音が続いて届いてき、ウォレンはパソコンから顔を上げた。
ソファから立ち上がり、窓の側まで足を運んで階下の様子を見る。
丁度、タクシーが去っていくところだった。
来訪者の姿は見えなかったが、タクシーの停車位置からして、このアパートに用があるのだろう。
少し考えながらも窓から離れ、座っていたソファに腰掛ける。
画面上をクリックすれば、己の口座の情報が表示された。
確認が遅くなったが、デュモントは取引額通り、振り込んでいた。
この結構な額に見合うだけの安全を本当に手に入れられたのか、そこは分からない。しかし、今のところ彼の偽装死に気づいている人間は、NYにはいないらしい。
画面を閉じ、シャットダウンを指示する。
両肘を両膝に載せ、手で目を覆う。
考えるべきなのは自身のことだ。
昨夜エリザベスと電話で話をした際、彼女はNYにいると言っていた。
声の様子からも察するに、事の次第についてはおおよそ感づいているのだろう。
本来なら、間接的に知るべき情報ではない。
隠し通せるものなら、という気持ちが働いたことは否めないが、彼女が機を設ける前に行動しておくべきことだった。
ふと、アパートの廊下のほうで足音がした。
意識をそこにやれば、ウォレンの部屋の前で音が途絶えた。
両手を目から離し、ウォレンはドアを見た。
無音の間に手を伸ばし、拳銃を掴むと立ち上がる。
と、その時、来客を知らせるベルが鳴った。
怪訝に思いながらも静かに歩を進め、ドアへ近づくと鍵を開けてノブを捻った。
開けたドアの先、思いもかけずエリザベスの姿を見つける。
直接会って話をする約束はしたが、それは今夜のはずだった。
「――エリザベス……」
呟けば、遠慮がちにエリザベスが口元を緩めた。
「……さっきNYから戻ってきて、そのままここに来たの」
小さい声に、不安が隠れていることを知り、ウォレンはわずかに目を逸らした。
「……入っていい?」
尋ねられて顔を上げ、勿論、とウォレンは足を引き、ドアの開き幅を広げた。
下がり際に持っていた拳銃を腰の後ろにしまい、上着の裾でそれを隠す。
室内へ足を進めるエリザベスを送り、ウォレンはドアを閉めた。
この界隈は日中でも静かな場所で、歩けばその足音が耳に届いてくる。
相変わらず物が少ない部屋を見渡し、エリザベスは弱く入り込んできている日の光に目を落ち着けた。
ここを訪れるときはこの質素な様子を気に入っていたものだが、今日は生活感のなさが際立って目に映ってくる。留守がちであることの表れだろう。
振り向いてウォレンを見れば、彼がどこか遠くにいるような気がした。
「座るか?」
言われてソファを見るが、エリザベスは首を振った。
「立ったままで、大丈夫」
「そうか」
ソファを指していた手を下ろし、ウォレンが一度視線を落とした後にエリザベスを見た。
「リジー、君に――」
始まるだろう告解を前に、エリザベスは思わず両手で発言を制止した。
単純に、聞く準備が整っていなかったからだ。
「……ごめんなさい」
呟くように告げれば、いいんだ、とウォレンが口を閉じた。
訪れた静けさを利用し、エリザベスは彼の目をそっと覗きこんだ。
青灰色の瞳は、やはり彼ではないかもしれない、と思わせるものだった。
「……ニュースを見たの」
視線を落として告げ、改めてウォレンを見る。
「NYで。デュモントさんと、キースが撃たれたって」
ふとエリザベスは目を室内にやったが、テレビを見つけることができないまま、元に戻した。
「狙撃されたって、言ってた」
言い終えた後、口を閉じる。
ウォレンが何か言ってくるのを期待したのだが、思えば先ほど彼がその何かを言い出そうとしたのを止めたのはエリザベス自身だ。
「――あなたが?」
聞く準備が整ったことを暗に示し、質問を付け足す。
それを受け、ウォレンは一呼吸の間を置いた後、
「そうだ」
と小さく、長い瞬きと共に告げた。
その声が耳に入ると同時に、エリザベスは胸が痛むのを感じた。
覚悟はしていたが、ひょっとしたら違うのでは、という可能性が消えてしまったことに後悔の念を抱く。
そう、という言葉は喉の奥で詰まり、数秒遅れでかすれて出てきた。
視線を落とせば、視界が滲む。
熱くなる瞼を閉じると、
「すまない」
というウォレンの一言が聞こえてきた。
何で私に謝るの、とエリザベスは首を横に振る。
「……なんとなく、分かってたわ」
顔を上げて目を開け、ウォレンを見る。
「理由を教えてくれるかしら」
尋ねれば、初めてウォレンが目を床へ逸らす。
「悪いが、それは言えない」
語尾にかかって上げられた目は、申し訳ないながらも追尋を受け付けない様子だった。
「……初めて会ったときから、デュモントさんのことを嫌っていたわよね」
「……嫌ってはいなかったが、気に入ってはいなかったな」
「キースは――、……彼の仲間にあなたは撃たれた」
「そうだな」
「狙撃の件は、その仕返し?」
ウォレンの目を見て尋ねれば、逸らすことなく彼が首を横に振った。
「私怨で動いたの?」
言葉を変えて再び聞いてみるが、違う、と同じ回答が返ってきた。
そう、と息をつき、エリザベスは床に視線を落とした。
どこかほっとしたが、心にかかっている靄はすっきりとは晴れない。
「……じゃ、誰かに頼まれたのね」
呟きがてらに聞いてみるが、ウォレンからは肯定とも否定ともとれない視線を受けるだけだった。
いつもならば表情を見ただけで彼の状態をおよそ知れるのだが、どうしてか、思考を読まれないように感情を隠すのも見事なものだった。
「ひょっとして、私の父か、それともショーンかしら」
エリザベスの推測を意外に思ったか、ウォレンが驚いたようにわずかに表情を変える。
「キースは相当、厄介者だったみたいだし。ありえない話じゃないわ」
「君の家族は関わっていない」
「本当に?」
「本当だ」
聞いた後、どうかしら、とエリザベスは一度視線をわずかに逸らした。
「――私を安心させるためなら、あなたは嘘をつきそうだから」
正面からウォレンを見、そう告げる。
数瞬の間の後、そうかもな、と認めるようにウォレンが目を閉じた。
「……メルヴィンもショーンも、非情な人間じゃない」
「……彼らのこと、知らないのに?」
「俺の勘だ」
弱い微笑と共に穏やかに言われ、エリザベスは推測が外れていることを知った。
もともと、本気で言ったことではない。
病床の父親の姿からも、親しげに挨拶をしてきたショーンからも、彼らが先の事件の後ろにいるとは考えていない。不透明な情報の中、ふと思いついた考えを述べてみたまでだ。
それにより少しでも靄が晴れるかと思ったが、期待通りにはならなかった。
「……ときどき、連絡とれなくなるわよね」
知り合って間もない頃は、前触れもなく音信不通になることがあった。最近では事前にその旨を知らせてくるようになり、また頻度も落ちてきたように感じるが、それでもまだ、続いている。
「……そうだな」
「そのときはNYに?」
認めることが何を意味するのか考えたのだろうか、暫時の迷いの時間の後、ウォレンは、大抵はな、と頷いた。
黙ったまま受け取り、エリザベスはゆっくりとした瞬きをするともうひとつ尋ねた。
「……その手の依頼、何回ぐらい、引き受けているの?」
言い終わると同時に腕に寒さを感じ、エリザベスは温もりを保つよう、そっと手を添えた。
「……昔は、多かった」
聞くのが怖いと思っていた返答は、答えになっていないものだった。だがそれ以上深いことは聞けず、エリザベスは視線を落とした。
知らないほうがいい、或いは知られたくないのだろう領域への境界線が見える。
思わず、エリザベスは自身の腕をさすった。
ウォレンと知り合って1年になろうとしている。その間、このような感覚には襲われたことがない。
あまり考えないようにしてきたのも事実だが、ずっと今まで隠されてきたのか、と思うと、居たたまれないものがあった。
「……シェリは、あなたが変わった、って言ってた」
ヤング家での記憶を手繰り寄せ、エリザベスは続ける。
「昔は暗い雰囲気もあったけど、今は違うって」
ウォレンがヤング家を離れてから、5年の月日が経っている。
その中の1年は、少なくともエリザベスは近くにいた。
「NYに行ったとき、私といるときが一番穏やかになれる、って言ったわよね」
シェリの言う「変わった」の中に、エリザベス自身の存在も大きく影響したのでは、と期待していたのだが、どうやら違うらしい。
「……あれは本当?」
そう口にしてようやく、エリザベスは自身がウォレンを疑っていることに気づいた。
否定しようとするが、思考は逆の方向を進む。
「だっておかしいじゃない。私といるときは人を狙撃するような素振りは全然見せないのに、普通に生活を楽しんでいるように見えるのに、ほんの少しでも離れたら銃を手に取って――……」
それ以上を考えることを脳が拒否し、目を閉じる。
触発されたか、ふと、最初に会ったときの映像が再生される。
どこか、工場の跡地だったように記憶している。
撃つ瞬間は見ていない。銃声が聞こえたのみだ。
それでも、電灯の弱い光の下、血を流して倒れている2人の画は覚えている。
紛れもなく、撃ったのはウォレンだ。
時々忘れてしまいそうになるが、あれは現実に起こったことなのだ。
「……あなたの『どっちか』が、嘘だわ」
顔を上げてウォレンを見れば、
「リジー」
といつもの声音で宥めるようにウォレンが名前を呼んでくる。
「あの日君に言ったことは――」
続けられる言葉と共に手が伸ばされたが、エリザベスは反射的に、思わず一歩、後ろに退いた。
直後、自身のとった行動に気づき、ウォレンを見る。
しまった、と思ったが遅く、言葉を切り、両手のひらを軽くエリザベスに見せたウォレンが、害意のないことを示しつつ距離を開けたところだった。
拒絶を呈したわけではない。
ただ、混乱している中で、思わずとってしまった動きだ。
それを告げようとするが、余裕のない思考ではこの場を取り繕うこともできない。
「……ごめんなさい」
辛うじて出てきた一言はかすれていた。
顔を上げれば、ウォレンと目が合う。
とても見ていられなかった。
顔を背け、急ぎ足で玄関へ向かう。
「エリザベス」
追う気配と共にウォレンの声が聞こえてき、エリザベスは振り向いた。
だが目は合わせられない。
「――ごめんなさい、1人にさせて」
なんとか感情を押さえ込もうとするが、限界だった。
このままここにいては、どんな言葉をぶつけてしまうか分からない。
去り際にもう一度、ウォレンを見る。
何か告げようと口を開いた彼だったが、エリザベスは逃げるようにドアを開け、廊下に出た。
「エリザベス」
待ってくれ、と声が背中に届くが、速度を速め、振り返らずに来た道を戻る。
分からない、とエリザベスは階段を下りながら視界に支障をきたさない程度に手で目を覆った。
再び、瞼の裏が熱くなる。
一定の距離は感じていた。
しかし同時に、ウォレンが自分のことを大切に想ってくれていることも感じていた。
普段の彼の目を見ていれば分かる。
どっちかが、と言ったが、どちらも彼自身なのだ。
そう分かってはいるが、認めたくはなかった。
混乱する頭のまま、エリザベスは通りに出た。
幸い、どこに行けばタクシーを拾えるか、それだけは考えることができた。
そこへ向かって足を進める中、必死に落ち着こうと呼吸を繰り返す。
思考は、目的も行き先も分からないままざわついている。
誰か、このこんがらがった心の内を聞いてくれる人がいれば、と感じたとき、ふと思い当たる顔が浮かび、エリザベスは前を見た。
彼女になら、状況を説明しても平気だ。
そう判断すると、エリザベスは肩にかけていたバッグから携帯電話を取り出し、電話をかけた。
この時間帯だ。仕事の最中かと思ったが、幸いにも数回の呼び出し音で相手が出た。
「TJ?」
すぐに確認を取れば、受話部から元気のいいTJの挨拶が聞こえてきた。
彼女の声に安心し、エリザベスはほっと息をついた。
「突然ごめんなさい。……今から行ってもいい?」
周囲を見、タクシーを探しながら尋ねる。
切羽詰った様子が伝わったのか、TJの口調が真剣なものに変わる。
「――分からない。でも、TJに聞いてもらいたくて……」
思い出すと再び混乱しそうになる。それをぐっと堪え、エリザベスはTJの返事を待った。
「……ありがとう。――いえ、タクシーを使うから、大丈夫。――ええ、平気よ。それじゃ、後で」
了解の意を示すTJの声を聞き、エリザベスは通話を終了した。
目元を整えた後、手を上げ、タクシーを呼ぶ。
乗り込んで行き先を告げた後、ふと通ってきた道を見たが、それはやがて前面の建物の背後へと消えていった。
白い厚手の雲を浮かばせ、空は穏やかに晴れていた。
風に揺れる樹木の音を聞きながら、エリザベスは立派に構えている家を見上げた。
「こっちよ」
TJに呼ばれ、慌てて足を進める。
丁度水をまく時間になったのか、通路脇の芝生の上でスプリンクラーが作動し始めた。
タクシーを拾った後、TJの家の前で降りたのだが、迎えに出ていた彼女に、すぐに車に乗るよう促された。
どこに行くのか尋ねたところ、このコニーの家だという。
「年頃の女の子が持ってくる相談なんて、すぐに想像がつくわ。生憎私には付き合っている人がいないから、コニーにも聞いてもらったほうがいいと思ったの」
車の中で、TJはにっこりと続けた。
「コニーは、ほら、モーリスとうまくやっているし。参考になるんじゃないかなって思って」
足元の木の葉を遊ばす風を見送り、エリザベスはベルを鳴らすTJの後ろについた。
玄関のドアはすぐに開き、中からコニーが顔を出した。
「お待たせ」
一言告げるTJに微笑を返し、コニーはエリザベスを見ると、こんにちは、と手と口を動かした。
エリザベスもそれに倣い、胸元で手を動かす。
どうぞ入って、というコニーの言葉に甘え、TJとエリザベスは家の中に足を踏み入れた。
広い玄関の横にある棚の上には、赤と桃の色をしたバラの花が一輪ずつ、細い花瓶に飾られていた。
「コニーの書斎は2階よ」
勝手知ったる様子でTJがエリザベスを案内する。
階段を上るTJに、後から行くわ、と伝え、コニーはキッチンへと去っていった。
見送り、エリザベスはTJの後に続く。
書斎に入ると、広い空間に包まれた。
天井が高くこしらえてあるのもひとつだろうが、大きな窓にもよるのだろう。
先ほど風の音を生み出していた樹木と、今は同じ目線であった。
「ソファにどうぞ」
言いながらTJはテーブルの上にばらばらと存在していた雑誌類を片付ける。
書斎の机の上が整頓されているところを見ると、テーブルの上を散らかした犯人はTJらしい。
ソファに腰をかけたとき、コニーが紅茶を持って入ってきた。
「……仕事の邪魔しちゃったかしら?」
エリザベスが尋ねれば、彼女を一度見、コニーがTJに視線を移した。
テーブルの上に紅茶の一式を下ろすコニーに、TJが手を動かして今の質問を伝える。
『大丈夫よ。講義は昨日だったから』
TJに訳をしてもらいつつ、コニーは長い指をしなやかに動かした。
鉤の字型のソファでエリザベスと向き合うように座り、コニーはカップに紅茶を注ぐ。
やがてアールグレイの香が届いてき、エリザベスは小さく礼を述べると差し出されたカップを手に取った。
喉に通せば、温かさが体の中に伝わっていく。
「さ、何でも聞くわよ」
TJが告げ、コニーも、どうぞ、とエリザベスを見た。
何から話せば、とエリザベスはカップを持っていた手を膝の上に下ろした。
「……ウォレンと話をしてきて――」
幾分か落ち着いてきた中、ウォレンとの会話が思い返される。
「――NYで起きた狙撃事件、2つとも、認めてた」
「……デュモント弁護士と、キース・ウィトモアの件ね」
TJの確認に、ええ、とエリザベスは頷く。
「違っていて欲しかったのに……」
目を逸らさずに返された肯定。
堪えきれず、エリザベスは顔を伏せた。
「――エリザベス」
涙を落とした彼女に声をかけ、コニーがそっと背中に手を添える。
「あいつ、2件とも認めたの?」
ふと聞こえてきたTJの声に、エリザベスは目元を拭った。
彼女に倣い、コニーもTJを見る。
「私もそのニュースを聞いたとき、この前の件が頭にあったから、真っ先にあいつを疑っちゃって。それでちょっと調べたの」
何を、と尋ね返すエリザベスの目に期待の色が混ざっているのを見、TJは慌てて付け加えた。
「あ、犯人は特定できなかったけど」
ひょっとして、と思ったが、やはりウォレンの言葉は実なのだろう。
そう、とエリザベスは肩を落とした。
「でもね、2件とも、っていうのはおかしいわ。2つの現場の距離やそれぞれの狙撃の時刻を考えると、どっちも行うっていうのは空でも飛べない限り不可能よ」
この話はコニーとは既に交わしていたものらしく、彼女もまた、頷いてエリザベスを見た。
『1件には関わっているかもしれないけど、でも2件とも、はないわね』
コニーの指の動きを目に、TJの声を耳に入れつつ、エリザベスは視線を過去へ戻す。
だが、ウォレンから否定の回答を得た記憶はない。
「じゃ、なんで……?」
わざわざ2件とも認めるような言動をとったのか、疑問を持ってTJとコニーを見たが、彼女たちが知っているはずはなかった。
誰かを庇っているのかとも思うが、ウィトモア家の関与ははっきりと否定していた。だとすれば、ほかに誰を庇うのだろうか。
「……キースの後ろにはマフィアがいたし、事情は結構複雑だったんじゃないかな」
呟くTJの声に、でも、とエリザベスが続ける。
「――どっちか無実なら、説明してくれたっていいじゃない」
何故隠す必要があるのか、理解できずにエリザベスは片手を額にやった。
「……分からないの。いつも、優しく包み込んでくれるのに、今回は――……」
再び涙が溢れそうになり、エリザベスはカップをテーブルの上に置くと両手で顔を覆った。
「あいつはいい奴よ」
突如降ってきた簡潔な言葉に、エリザベスは顔を上げた。
当たり前のことを言ったように、TJが笑顔を寄こしてくる。
「特にあなたに対してはね。ま、私に対してはやな奴だけど」
渋い顔をして後半を付け加え、TJは紅茶を一口頂戴した。
彼女の隣でコニーが小首を傾げ、私に対してもいい人よ、と伝えれば、TJが眉をひそめる。
「何、私にだけ生意気なの?」
許せないわね、とTJがため息をつく。
「――とにかく、リジーがあいつに感じている温かさは、嘘じゃないわ」
「でも――」
言いかけたとき、コニーの手が動き、エリザベスは言葉を中断した。
『時々、怖くなる?』
TJの訳を聞き、改めてコニーに向き直れば、にっこりと彼女が微笑んだ。
『私もそうだったわ。モーリスと知り合って間もない頃は特に』
手を一度下ろし、コニーは昔に想いを馳せるように遠くを見やった。
『ウォレンはあなたに二面性があることをさらけ出しているみたいだけど、モーリスは私に隠していたの。だから余計に何も見えなくて、怖かった』
首を振り、コニーは続ける。
『――でもやっぱり、私はモーリスのことが、大好きだったのよね。側にいたかった。彼が何をしているか、正確には「いたか」だけど、それを知った後も、気持ちは変わらなかったわ』
改めてエリザベスに向き直り、コニーは手を動かし始めた。
『あの頃のモーリスは、悪天候の海の真っ只中をゆらゆらと漂っていて、そのくせ平気な顔をしていた。荒れている海なんて見えていない様子で、静かに漂っていたの。すごく心配だった』
だって、と続ける。
『私がいなくなったら、彼、大陸のない海の中に入っていきそうだったから』
休むところがないことに気づかないままにずっと漂流していれば、いつかは力が尽き果ててしまう。
手遅れになってしまう前に、港に立ち寄るべきだ。
『だから私は、彼が針路を誤らないように、彼の世界の中では一点に止まろうと思ったの。確かな印さえあれば、針路を誤らずに戻ってこられるから』
手を膝の上に下ろし、私の話、とコニーは締めくくると紅茶のカップを手にとった。
落ち着いた物腰のコニーを見、エリザベスはTJが先ほど車の中で告げた一言を思い出した。
あの時は何も考えずに聞き流していたが、今ならTJがここに連れてきてくれた理由が分かる。
コニーの話を反芻しつつ、エリザベスは紅茶を飲む彼女を見つめた。
「今は?」
エリザベスの代わりに、TJがコニーに質問を投げかけた。
そうね、とコニーがカップをテーブルに置く。
『モーリスは港に船を停めることを選択して、私と一緒に陸にいるわ』
揺らがない大地の上にね、と微笑みをエリザベスに見せた。
幸せそうなその姿に、少しばかりの羨望を抱きつつ、エリザベスもつられて微笑した。
そのおかげか、心がわずかながらも軽くなった気がした。
「ウォレンもね、あいつなりに信条があるだろうから、時間はかかると思う」
言った後、TJが、過去にも色々とあったみたいだし、と付け加える。
そういえば、とエリザベスはここ1年の記憶を手繰った。
信条は勿論のこと、何故今のような状況になったのか、聞いたことはなかった。
過去についても、ヤング家で聞いた話以外は、まだ知らないことばかりである。
ただひとつだけ言えるのは、彼は愛することも愛されることも知っている。
だとすると、彼の近くに揺るがない存在があれば、モーリスと同じように、こちらの世界に戻ってくることができるのではないだろうか。
だが、果たしてモーリスにとってのコニーのような存在になれるかどうか、エリザベスとしては自信がなかった。
「コニーは、不安はなかったの?」
TJの問いに少し考え、なかったわね、とコニーが返事をして続ける。
『だって、モーリスは今も昔も、私のことを愛してくれているから』
嬉しそうに、コニーは照笑を浮かべた。
もっとも、揺らいではならない、という彼女の強い意志も、現在の状況を構築する大きな助けとなったのだろう。
「でも、今はまた喧嘩中なんでしょ?」
TJが言えば、思い出させないで、とコニーが眉をひそめて首を振る。
「ホント、仲がいいんだから」
どういたしまして、とTJに返し、コニーはエリザベスを見た。
『あなたはどう?』
尋ねられ、エリザベスは一瞬戸惑った。
だがすぐに、何度か耳元に囁かれた言葉と、NYで聞いた言葉が思い起こされる。
疑いかけたが、落ち着いた今の頭で考えれば、すぐに分かることだ。
それらの言葉は確かに、真実味に溢れていた。
「――彼を信じるわ」
決心が顔にも表れたのだろう、見届けたTJが、ソファの背に体重を預けながら、
「いいなぁ。私にも好い人が現れないかしら」
と呟いた。
その声を耳に入れながら顔を伏せ、エリザベスは、ありがとう、と2人に対して呟いた。