07 Leaving Behind
今日何度目かの疾走に、喉が痛む。けっこうな時間緊張していたせいか、痛みは渇きを訴えているものでもあった。
乾燥した口の中に潤いを与えるため、エリザベスは切れる息の合間に一度口を閉じ、喉を鳴らした。
視界が開け、比較的広い道路に出る。
右前方、反対側の車線にシボレーのセダンが停まっているのが目に映る。
確認するように後ろを振り返れば、アレックスが無言の問いを察したらしく、軽く頷いて答える。
再び顔を前に戻し、エリザベスは二台ほど通り過ぎる車を待った後、道路を横断した。
彼女に続き、手に持っていた拳銃を隠し、車のキーを取り出すと、アレックスも周囲に注意を払いつつ車へ向かった。
夏の午後、最も気温が高くなる時間帯が過ぎた頃だが、依然として通りには人がまばらだった。外を出歩く代わりに飲食店といった建物の中で涼んでいるらしい。
アレックスの様子を見、エリザベスも周辺に怪しい人影がいないか目を配り、助手席側へ回った。
「アレックス、戻ってウォレンを――」
「まぁ乗りなさい」
エリザベスの言葉を遮り、アレックスは車の鍵を開けた。
ドアを開け、運転席に滑り込むアレックスに促され、エリザベスも助手席に体を入れた。
エンジンが動き出す音が聞こえる。
「アレックス」
無理に言葉を続けず、運転席に目を向ける。
アレックスがアクセルを踏み込んだらしく、座席に体が押し付けられた。
「シートベルト締めて」
期待していた言葉となんら関係のない返答に、エリザベスは一度目を閉じて首を振り、違う、と意思表示する。
だがアレックスは彼女の言わんとしていることを察していたらしく、わずかながらも顎を引いた。
「このままギルのところへ君を連れて行く」
一言、これからの行動を示し、アレックスは左横手を見た。
駆けてきた路地の先が通りの建物によって遮られる瞬間、遠くに人影が見えた。
顔が確認できるほどの距離ではないが、服装やその色から判断してもウォレンではないことが分かる。
不安が首をもたげるが、ここは押さえ込んだ。だがそれを阻むかのように、右隣から、
「ウォレンを置いていくの?」
というエリザベスの声が聞こえてくる。
数瞬の間を置き、アレックスは短く肯定の言葉を切った。
「アレックス」
お願いだから、と口調を変えてエリザベスは彼の名前を呼び、助手席から体ごと後ろを振り返った。
走って出てきた角が車の速度に比例して遠くなる。
「戻って」
体を前に戻し、アレックスを見る。
だが、肯定は得られなかった。
「今戻ったら危ない」
「でも彼撃たれたのよ? 放っておくなんて――」
「あいつは大丈夫だ。対処できる」
言いつつも一抹の不安がアレックスの脳裏を過ぎる。
この感触は初めてのことではなかった。
以前にも確か、感じたことがあるような……――
「アレックス、お願い」
頼み込むエリザベスを一瞥し、アレックスはすぐに視線を前方に戻した。
間違いない。何かしらのデジャヴを感じる。
極力思い出したくない記憶の一線に触れそうになり、アレックスは平静を保つために一度軽く目を閉じた。
次いでサイドミラーで後方の様子を確認する。
遠ざかっていくあの路地からは車が出てくる気配はない。
後続する車を確認するため、バックミラーの位置を調節する。手を動かしながら、隣に座るエリザベスに話しかけた。
「気持ちは分かるが、君を連れたままあの場所に戻ることはできない。相手は場慣れしている。無理に戻って――」
途中で言葉を区切り、アレックスはバックミラーを見ていた目を細めた。
次いでサイドミラーに視線を移す。
疑問を呈するエリザベスの声が聞こえてきたが、それよりも二台後ろに存在する車のほうが気になった。
色と形からしてタクシーだ。どこを走っていても不思議はないが、その挙動が不審だった。
そういえば、とエリザベスの言葉を思い出す。
「――エリザベス」
名前を呼ばれ、何、と彼女が答える。
「確かタクシーも仲間だと言ってたね」
「ええ」
肯定した後、アレックスの言葉に彼が意味するところを知り、エリザベスは右のサイドミラーを見た。
すぐ後ろの車が邪魔をしており全体像は映っていないが、車体の側面を見る限り、グレイスのものと同じ会社のタクシーであることが分かる。
左隣のアレックスを見れば、彼もちらと視線を寄越してきた。
尾行されているのかどうか確証を得るため、アレックスは試しに前方の路地を右折した。
速度は適度なままに、後方の様子を窺う。
すぐ後ろの車はそのまま交差点を直進してどこかへ去っていった。
それに続いて交差点に進入してきたタクシーは、指示器を出しながらアレックスの車に続いて右折してきた。
その様子をサイドミラーで確認したエリザベスが体ごと後ろを振り返ろうとする。
彼女の行動を制止し、アレックスはバックミラーを動かした。運転手を確かめるのなら、こちらが尾行に気づいたと気づかれないために、ミラーを用いよとのことらしい。
勧められるままに、エリザベスはバックミラーを適当な角度に動かす。
一定距離よりも近づいてこない後方のタクシーをミラーに入れ、運転手を見る。
しっかりとその顔を確認できる距離ではないが、断言できる。
「……グレイスだわ」
「グレイス?」
「私が乗ったタクシーの運転手よ」
「間違いない?」
「ええ」
エリザベスの返答を受け、そうか、と一言呟くとアレックスはバックミラーを元の角度に戻した。
連中の狙いがウォレンならば、わざわざこの車を尾行しなくてもいいはずだ。こうやって追ってくるところを見ると、どうやらこの一件、エリザベスに焦点が当てられているらしい。
「……君が目当てか」
呟かれたアレックスの言葉に、エリザベスが疑問を返す。
「いやぁ、ね。あいつがひょっとしたら自分のせいで君が追われているんじゃないのか、って疑っていたもんだから、その筋も考えていたんだけど。この状況をみると違うみたいだ」
不安を感じて視線を落とすエリザベスを隣に感じつつ、アレックスは続ける。
「くどいかもしれないけど、本当に心当たりはないんだね?」
ウォレンはともかく、アレックスは彼女の私生活については何も知らない。
心当たりがあるような生活を送っているようには見えないが、ひょっとしたら彼女が気づかない間に何かしらのトラブルに巻き込まれていたという可能性も考えられる。
アレックスの問いに対しエリザベスは首を振りつつ、ないわ、と否定した。
否定はしたものの、状況が変化する中では確信も揺らぐ。
困惑しているエリザベスを察し、アレックスはそれ以上の質問を控えた。
突然降りかかった災難だ。もっと取り乱してもおかしくはないのだが、彼女はよく耐えている。
大丈夫だ、と優しい声音でアレックスは告げた。
弱いながらも頷き、エリザベスは一度固く目を瞑ると顔を上げた。
「……どうするの?」
後方を気にしながらの彼女の問いに、アレックスはとりあえずの相槌を返し、バックミラーを見た。
撒こうと思えば撒けなくはない。だが、昼間から路上を縦横無尽に走ることには抵抗がある。
相手を確保するという選択肢もあるが、仲間と連絡を取っている可能性も捨てきれない。となると、危険が存在する。
いずれにせよ当初の案のとおり穏便に事を運ぶため、エリザベスを安全な場所に連れて行くのが優先事項だ。
可能な限り波風を立てず相手を撒くとなると、と考え、アレックスは携帯電話を取り出した。
前方を走行する車の配置を確認した後、操作をする。
呼び出し音が鳴り、耳に当てる。
その動作の間に、右隣でエリザベスが怪訝な表情をしているのを視界の端に捉えた。
「911」
彼女を一瞥し、そう告げれば、エリザベスは更に疑問を乗せてきた。
数回の呼び出し音の後、相手が電話口に出る。
「セス? 久しぶり。今ちょっといいかな?」
相手の驚きと戸惑いの混じった承諾を聞きつつ、アレックスはバックミラーでタクシーの様子を窺った。
アレックスの車との間に一台入れ、それなりに尾行が分からないように計らっているらしい。
「――あ、そう? よかった。電話したのは他でもない、頼みごとがあってね」
右隣ではエリザベスが不安げながらも事の成り行きを見守っている。
「確かお前さんにはひとつ貸しがあっただろ? 今丁度返して欲しいんだけど」
暫時、受話部に静寂が訪れる。
相手は現職の刑事だ。好ましくない頼みごとだということが直感的に分かったのだろう。
「あ、ちなみに無理っていう選択肢はないから」
強く出てそう付け加えれば、しかしだなぁ、と文句が聞こえてくる。
「そう拒否しなさんな。大したことじゃないから。――いや、ホントだって。今までも面倒ごとを片付けたことはあっても持ち込んだことはないでしょ。俺を信じなさい」
確かにそうかもしれないが、という弱い否定を聞き流し、アレックスは続ける。
「で、今どこにいんの? ――ダイナーズ? ああ、あの行きつけのとこか。もう夕食か?」
受話部からは、昼食のつもりだ、という返答が返ってき、アレックスは、お疲れ様、と多忙だったのだろう彼をねぎらった。
「とりあえず、外出しているなら丁度いいや。今からそっちにタクシー届けるから。――ん? いや、お前さんを乗せるためじゃなくて。取り締まってほしいんだよね」
一瞬の沈黙の後、状況を把握していないながらも、取締りなら交通課に、とセスが提示してくる。
「う~ん、まぁ少し語弊があるかなぁ。要するに、適当に難癖つけて足止めしてくれ、ってこと」
そう告げれば案の定、どういうことだ、と詳しい説明を求められる。
「理由は聞きなさんな。簡単でしょ? 適当に車を止めさせて、バッジ見せればなんとかなるんじゃない? ――ダメ? なんだ使えない代物だねぇ。ま、叩いたら多分多少の埃が出ると思うし頼むよ」
受話部からはため息が聞こえてくる。次いで、何かトラブルに首を突っ込んだのか、との質問がきた。
「んにゃ、俺を叩いても埃は出ないよ」
断言した後、今のところはね、と極小の声をアレックスは漏らした。
「危ない話じゃないから。人助けの一環。全くもって心配ナシ。ね?」
悩んでいる様子が分かるような声を出し、セスが曖昧な返事を寄越す。
「セス?」
承諾を促してアレックスが口調を強める。
意を決したか諦めたか、受話部からは、引き受ける、との旨がぶっきらぼうに聞こえてきた。
「そりゃどうも、助かるよ。えーっと、今から3分くらいでそこの表を北から南に通過しようかね。イイ男が運転するシルバーのインパラの後ろのほうに件のタクシーがいるから。んじゃ、よろしく」
その後セスが何かを言ってきたようだが、気にせずに通話を終了し、アレックスは携帯電話をしまった。
どう足止めしてくれるかは分からないが、セスは刑事だ。希望的観測だが、もし彼がグレイスの粗を見つけ出してくれれば、エリザベスを追っている連中についての情報も転がり込んでくるかもしれない。
「……911?」
会話の内容に一抹の不安を覚えたか、エリザベスが疑問を投げてきた。
短く肯定し、アレックスは右手をハンドルに乗せる。
「警察に知り合いがいるの?」
「顔は広いほうが世渡りがしやすくてね」
「なら、ウォレンのことも――」
彼に話して協力を、とエリザベスが手で示す。
「ああ、それまで言っちゃうとちょっと後が――、なんていうか、……ね」
詰まるアレックスの言葉に、エリザベスは、そうね、と同意して視線を落とした。
「……賢くない提案だったわ」
相槌を返し、アレックスは前方の道路状況を確認する。
周囲に合わせた速度を保ち、無理な車線変更など目立つ行動は控え、後ろを尾けてくるタクシーに怪しまれないようハンドルを捌く。
ふと動きを感じて右隣を見れば、助手席に座っているエリザベスが両の手のひらで瞼を押さえていた。
走行中による振動のせいか、その腕がわずかながらも震えているように見えた。
「……大丈夫か?」
前方に注意を向けつつ声をかければ、彼女が瞼から手を離し、ええ、と返事をしながら顔を上げる。
気丈に振舞おうとする姿の中に、精神的にも疲労している様子が見て取れる。
「遠回りになるけど、暫くの辛抱だ。ギルのとこに着いたら、少し休みなさい」
穏やかに紡がれたアレックスの言葉にエリザベスは短く礼を述べたものの、すぐ後ろに、でも、と続けて彼を見た。
その動作に気づき、アレックスも彼女を見る。
暫時、静かに視線がかみ合う。
先にアレックスが視線を前方に戻せば、エリザベスも数瞬の間を置いて彼に倣った。
車内に、フロントガラスを通して夏の日差しが差し込んでくる。
閉められた窓からは時折、暑さにも関わらず路上で談笑している人の声が柔らかくなって届いてきた。
この時間だけを切り取れば、何のことはない午後の風景だ。
やがて右前方に先ほどアレックスが話していたダイナーズが見えてくる。
横目にその建物を捉え、アレックスはそのまま通りを走行していった。
バックミラーで後方の様子を窺っていれば、グレイスの運転するタクシーがダイナーズの近くにある路地を通り過ぎようとしたときに一台の車が急に飛び出てき、閉められた窓からも急ブレーキの音とクラクションが聞こえてきた。
多少汚れの目立つ車は、セスのものだ。相変わらず車にはあまり執着していないらしい。
「……なかなかに手荒いねぇ」
アクセルを踏み込み速度を上げつつ、アレックスは一言、感謝の念を込めて呟いた。
車外に出るセスの姿がバックミラーに映る。それは急速に遠ざかり、交差点を左折すれば現場はバックミラーからも視界からも消えていった。
その様子を見送り、エリザベスもほっとひとつ、安堵の息を漏らす。
気がかりの種はひとつ減った。
減ったものの、先はまだ晴れてはいない。
踏み込んだアクセルを緩めず、アレックスはギルバートのバーへと車を走らせた。
年代物のカントリーソングが木を基本とした空間内を満たしている。
夕方6時からの開店を前に、ギルバートは酒の種類の確認と配置を手がけていた。
開店中は友人が手伝いをしてくれるが、下準備はギルバート1人が毎日行っている。
昨夜の賑わいの余韻が消え、今日のそれを待つ時間帯だ。
いつもならば、聞こえてくる音楽に乗ってサビの部分でも口ずさむところなのだが、どうも気乗りがしない。
というのも、先ほどかかってきたアレックスからの電話が気になるからである。
詳しいことは語らなかったが、今からエリザベスを連れてここに向かう、との旨を告げられた。
拒否する理由はない。
しかし何か胸騒ぎを感じる。
初めて芽生えた感触ではない。昼間のポーカーが終了したときから薄っすらと感じていたものだ。
電話を受けたウォレンが、ちょっと用事ができたから、と席を外したことであの場はお開きとなったわけだが、彼が立ち去ってすぐにアレックスも出て行ったところをみると、その用事というのが引っかかる。
確か、ウォレンはエリザベスの名前を呼んで電話に出たはずだ。
見たところ不自然な様子はなかったが、それならばエリザベスは彼と一緒にいるはずである。
その彼女が何故、アレックスと行動を共にしているのか。
からかうことはあっても、アレックスはウォレンの私生活に干渉することはない。よって3人が一緒にいるということは考えにくい。
単なる思い過ごしであればと思うが、この種の直感は大抵正しい結果へ指針を示す。
気づけば動かしていたはずの手が動作を止めていた。
ギルバートは思考によって中断されていたそれを再開し、酒の入った瓶を棚に揃え終えると、ひとつ、小さく息をついた。
腰を伸ばし、誰もいない店内をぐるりと見回したところで、裏口の来客を知らせるベルがギルバートを呼んだ。
待っていた、とすかさず足を動かし、裏口へ向かう。
途中の液晶画面に目をやれば、アレックスとエリザベスの姿が確認できた。
鍵を開け、ドアを開く。
「アレックス、い――」
「やぁ、ギル、数時間ぶり。突然悪いね、邪魔するよ」
問い詰めようとした矢先に出鼻を挫かれ、ギルバートは続けられなかった言葉を空気として吐き出した。
その間にもアレックスはエリザベスを連れてとりあえずカウンターへと通路を進む。
側を通り過ぎたエリザベスの横顔に、ギルバートは嫌な予感が確信に変わるのを感じた。
「――アレックス、何があった? ウォレンはどうした?」
閉めたドアの勢いが意外にも強かったらしく、バタン、と大きな音が通路を走った。
それに驚いたかギルバートの推量に驚いたか、アレックスが振り返る。
彼の手前でエリザベスも足を止めた。
半開きになっている店内への入り口の扉が逆光を作り、2人の表情が読みづらい。
ギルバートは純粋に音に驚いたエリザベスに対して両手を前にかざして謝罪すると、アレックスを見、目で先の問いを投げかけた。
「……説明するからとりあえず彼女に何か飲み物を」
いつもの軽い調子を消し、アレックスはそう告げ、エリザベスを促してカウンターへ向かった。
彼の後ろで、ギルバートは左手を腰に、右手を右の額に当て、数瞬の間目を瞑った。
明かりがついていないとはいえ、店内は南向きの窓のおかげで明るかった。
店内の一角のテーブル席にエリザベスを座らせたとき、空間内を流れていたカントリーソングがサビを待たずに途切れた。
振り返ったアレックスの視線の先で、ギルバートは彼を一瞥すると、エリザベスのためにグラスを取り出し、ミネラルウォーターの置いてあるところへ足を運ぶ。
無言と無音の空気の中、エリザベスは発すべき言葉を見つけられず、アレックスとギルバートの間に存在する緊張から目を逸らし、テーブルの上に視線を落とした。
無機質な音が続いた後、足音が聞こえてき、エリザベスは顔を上げた。
グラスを持ってくるギルバートが視界に入り、その端で携帯電話を閉じるアレックスの姿を捉える。
水を、とグラスを差し出すギルバートの声は音になるには弱すぎたが、いつもの優しいトーンであることが感じ取れる。
ありがとう、と礼を述べたつもりだったが、エリザベスの声もまた、弱すぎたようだ。擦過音のみがこぼれ出た。
手のひらに伝わるミネラルウォーターの冷たさを口元に持っていく。
喉を潤せば、グラスの向こうにカウンターの席が見えた。
一番隅の席、ウォレンがいつも座っているところだ。
グラスを持っている腕が自然と降下する。
店内にいるときの彼と先ほどの路地での彼の姿が同時に脳裏を過ぎ去り、しばし思考が中断される。
「エリザベス」
降ってきたアレックスの声に現実に引き戻され、エリザベスは彼を見た。
「少しここで休んでてくれるかな。すぐに戻るから」
アレックスの表情は強張りも不安もない穏やかなものであり、固くなっていたエリザベスをほぐした。
ギルバートに状況を説明するのだろう。会話の内容を聞きたい気持ちもあったが、自分がいては深い話ができないのかもしれない、と思い、エリザベスは小さく返事を返すと、カウンターの奥へ移動する彼らを見送った。
適当な距離を進んだ後、アレックスとギルバートは足を止めた。
軽く顔を上げ、視線をエリザベスに向けるギルバートにつられ、アレックスも振り返って彼女を見る。
その先で、エリザベスがゆっくりと視線を逸らし、手元のグラスにそれを落とした。
会話からエリザベスを遠ざけるつもりはないが、これ以上の不安を与えないためにも少し時間をとるべきだろう。様子を見るに、彼女もアレックスのこの意図を感じ取っているらしい。
「……ギル、暫くお前さんの部屋を借りていいかな」
体の向きをギルバートのほうへ戻しながらアレックスは言った。
「それは構わないが」
返ってきた許可に、短く礼を言うとアレックスはギルバートを見、口を開いた。
「何者かは知らんが、彼女を探している連中がいる」
無言のままギルバートは先を促す。
「彼女自身心当たりはないらしいが、身の危険を感じてウォレンに電話してきた」
「……昼間のあれか」
ポーカーのときの着信を示せば、アレックスが肯定した。
「相手は最低3人、うち2人は武装していてね」
言葉を切り、アレックスが視線を逸らす。
「――それで?」
ギルバートの声に、アレックスは視線を戻す。
「ウォレンが撃たれた」
端的な報告を聞き、弱く息を吸いながらギルバートが宙を仰ぐ。
「撃たれたのは左腕だ。命に別状はないだろうが――」
「ということは、だ。あいつは今アンソニーのところで治療を受けているのか?」
問いつつアレックスを見れば、すぐに返事は返ってこず、代わりに彼はゆっくりと口を閉じた。
状況を察し、ギルバートは自然と出てきたフレーズを口にした。
彼の前でアレックスが視線を下げる。
「アレックス……」
「分かってる」
「お前はともかくあいつは1対多数の経験が少ないだろ」
「そうだ」
「お前がついていながらなんで――」
「分かってる、俺の判断ミスだ」
自ら非を認め、アレックスは顔を上げた。
目が合い、ギルバートはそれ以上の言葉を投げつけるのを控えた。
現場にいなかったのだ。状況を把握しないままにアレックスを責めたてるのは気が進まない。
「……で、その連中があいつを連れ去った、ってわけか」
「恐らくは」
「『恐らく?』」
「俺が最後に見たときあいつはまだ無事だったが――」
言いつつアレックスが携帯電話を手に取り視線をそれに落とした。
「――連絡がないところを見ると、その可能性が高い」
告げられたアレックスの言葉に、ギルバートは口を閉じ、強く結んだ。
或いは、という懸念が脳裏を過ぎるが、2人ともその仮説は反射的に棄却した。
無言のままアレックスは彼から目を逸らし、そのまま振り返るとエリザベスを見た。
テーブルの上に両肘をつき、両手で額を押さえている。
「……彼女もその場に?」
ウォレンが撃たれたところを目撃したのか、というギルバートの問いに、アレックスは擦過音のみで肯定の返事をした。
ショックの度合いは彼女のほうが大きいだろう。
「……お前さんは店の準備があるし、もう1人助けが必要だ」
アレックスはそう呟き、ギルバートに視線を戻した。
探索に動き回っている間、エリザベスを支え、安全を確保してくれる人物が必要だが、店を持っているギルバートには難しい。
アレックスの言葉に、そうだな、とギルバートも同意する。
傾いたと実感できる角度になった太陽だけが、場にそぐわない光を店内に運んでいた。