IN THIS CITY

第3話 Unspoken Truth

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17 Let It All Out

 めまぐるしく、『父親』に繋がる少ない情報がエリザベスの思考の中を錯綜する。
 時系列など関係ない。そもそも、それを構築できるほどの記憶がない。
 そんな相手だ。
 慌しい脳内の動きを落ち着かせるように、エリザベスは目を瞑った。
「――確かに父が生きていることは考えられるけど、――でも本当なの?」
「証拠を、と言われると難しいな……」
「それなら、別人だっていう可能性も……」
 縋ろうとしたものの、アレックスの表情を見てそれが叶わないことを知る。
「……一応、彼の写真は見つけたが――」
 どうする、とアレックスが尋ねてくる。
 数瞬の間を置いて問いを認識し、エリザベスは一度視線を宙へやった。
 気持ちは半々だったが、アレックスへ目を戻したとき、無意識の内に頷いていた。
 そうか、と彼が頷き返す。
 ふと、TJが席を立つ気配を感じ、エリザベスは彼女のほうを向いた。
 目は真剣なものの、口元を穏やかに閉じたTJが、これよ、とラップトップを差し出してくる。
 躊躇った後、エリザベスはそれに手を伸ばし、ついと手元に引き寄せた。
 電子的な光を発する液晶には、1人の男性の写真が載っていた。
 胸元から上だけの、対外用に撮影されたと思われる構図。
 白髪の混じった壮年は穏やかな笑みを浮かべていたが、エリザベスにはそうは感じられなかった。
 父親は一体、どんな人なのか。
 幼い頃は思い描いたこともあっただろうが、縁のない存在として受けれいていたため反応しようにも反応の仕方が分からない。
 言葉に詰まると同時に、息を吐くことを怠ってしまう。
「……知らないわ」
 辛うじて出てきた声は、エリザベス自身にも淡々として聞こえた。
 ラップトップの向きを変え、TJに返却する。
 写真に写っていたあの壮年が、父親、だそうだ。
 脳裏に淡く記録された画が遠ざかる中、エリザベスはテーブルの上で手を握った。
 このような時どのような感情を抱けばいいのだろうか。
 一瞬、別の方向へ思考が逸れ、生じた隙間を埋めるように先ほどのアレックスの声が思い出される。
 確かもう1人、同じ名字を持つ名前が告げられていた。
「――ちょっと待って」
 顔を上げ、アレックスを見、エリザベスは続ける。
「じゃあ、キース・ウィトモアって人は……」
 言った直後、聞かなければよかった、と嫌な予感が胸を掠める。
「……君のお兄さん、になる」
「兄……?」
 そんな存在がいたのか、と疑問と不可解さを含めてエリザベスが呟く。
「正確には、もう1人いるが……」
「2人も?」
 突如沸いて出た、生物学的につながりのある存在。
 理解することができず、エリザベスは、何度目だろうか、言葉を失った。
 父親はともかくとして、兄2人に至っては考えてもみなかったことだった。
 実の母親が自分のほかに子供を持っていたとは到底思えない。
 となると、母親は違うのだろう。ひょっとしたら、父親すら違うかもしれない。
「――本当に……?」
 否定して欲しい、と思うが期待は裏切られ、アレックスは黙って頷きを返してきた。
「でも――」
 混乱する頭の中、必死に情報を束ねようとする。
 アレックスは先ほど、その兄の1人であるキースが昨日の一件を命じたと言っていた。
 風の噂にも聞かなかった兄が、どんな理由があって物騒な連中を使って自分を捕まえろと指示したのか。
「――だからって、なんで私を?」
 顔も知らない、だが血は繋がっているらしい彼に対し、異様なまでの冷たさを感じる。ともすれば、恐怖に転じてしまいそうな感覚だった。
「……金銭問題が、絡んでいてね」
 告げられた一言に、胸の奥がずきりと痛んだ。
 兄妹とは、こんな感情を抱く間柄なものだろうか……。
 だがエリザベスはひたむきにそれを隠し、話の続きを待った。
 しかし、言いにくいのかアレックスは慎重に言葉を選んでいる風であった。
「アレックス」
 努めて落ち着いた声音を出し、エリザベスは彼を見た。
「お願い。全部話して」
 今更、これ以上驚くことなどない、とエリザベスはアレックスに真剣な眼差しを送った。
 目を伏せ、アレックスが小さく頷く。
「メルヴィンが、――君のお父さんだが、彼が君にお金を残したい、と決めたみたいでね」
「残す?」
「遺産相続の話が、出ているらしい」
 黙ったまま、エリザベスはアレックスの続きを待った。
「君のお父さんはけっこう有名な実業家でね。そして――」
 床に顔ごと視線を落とした後、アレックスは一度口を閉じる。
「――……この状況で告げるのも悪いんだが、彼は末期の癌を患っている」
 目を見て告げた先、エリザベスの表情が、少しだけ強張ったように見えた。
 何か尋ねられるか、とアレックスは時間をとったが、彼女は口を結んだままだった。
「……君のお兄さんの内、弟のショーンは父親の跡を継いでいる。当然彼は遺産を受け取るわけだが、キースは事実上家を追い出されていてね。彼には相続の話が出なかった」
 相変わらず、エリザベスは静かに話を聴いている。
「メルヴィンの遺言には、エリザベス、君にも残す、と記されている」
 アレックスの言葉に、彼女がそっと、瞬きをする。
「……キースとしては面識のなかった、存在すら知らなかった君には分配されるのに、自分は何も受け取れない、ということが不服だったんだろう。君を盾に、父親を強請ろうとした」
 ストリートギャングを使い、エリザベスを拘束しようと試みた。
 結果は失敗に終わったが、それが昨日の一件だ。
 アレックスから目を離し、エリザベスは後方に意識を送った。
 その後で、己の右足にも視線を落とした。
 狭苦しいキッチンの流し台の下も、生ぬるくざらついた鉄パイプの感触も、乾いた銃声も、いまだ記憶に新しい。
「何で……」
 あんな恐怖に駆られなければならなかったのか。
 今まで顔を合わせることもなかった、父親と兄、という存在によって、だ。
 母親から離れて数年。
 家族という概念だけのしがらみから解放された生活ができるようになっていたはずだった。
「また……」
 ひとつ関わりを断ち切ったと思ったら、これだ。
 エリザベスはテーブルに肘をつき、頭を抱えた。
 家族というものは、何故、重苦しい渦の中に自分を引きずり込もうとするのか。
「それじゃ何、父親だっていうその人の勝手な遺言のせいでこんなことになったの?」
 手を頭から離し、顔を上げたエリザベスの先、肯定も否定もせずにアレックスが彼女の視線を受け止める。
「私は欲しいなんて一言も言っていないのに……」
 寧ろ何もいらないのに、と額に両手を当て、エリザベスが顔を伏せる。
 その彼女の様子を見、アレックスもまた視線を床に落とした。
 もっと取り乱していてもおかしくない状況だったが、エリザベスは無理をしているのか、感情をよく制御している。
 ふと、アレックスがエリザベスから視線を転じた先、ウォレンとギルバートと目が合った。
 わずかに顔を動かして横を見れば、TJとも重なる。
 重要なことは話したはずだ。
 暫くはこの場を離れたほうがいいだろう、とアレックスはすぐに動けるように重心をずらした。
 ウォレンに対してはともかくとして、大人3人の手前ではエリザベスも遠慮があるのかもしれない。
 アレックスが緩やかに空気を揺らしたと同時に、タイミングを合わせたようにTJとギルバートが静かに席を立つ。
 生じた風に誘われ、エリザベスが額から手を離す。が、彼女はアレックスが去ったことを知る前に、隣に人の気配を感じた。
 顔を上げ、その人物の名前を声に出そうとしたが声は出ず、心の内で呼ぶだけに終わってしまった。
 そっと、肩口に見知った温もりがもたらされる。
 転瞬、堰が切られ、喉の奥と瞼の奥が熱くなった。
 たまらず、エリザベスが倒れこむようにウォレンの胸に顔をうずめた。
 包み込まれれば、感情と共に溢れ出てくる涙を止めることはできなかった。
 悲痛の訴えが、エリザベスの喉をひっかく。
 彼女の背に回した手を引き寄せ、ウォレンは耳元へ短い言葉を落とした。
 その声を受け、ウォレンの服を握るエリザベスの手に更に力が込められた。
 独り、胸の内に留めておくことは無理だった。
 彼女の口から、父親なんて知らない、兄なんて知らない、と詰まった声が絞り出される。
 家族なんて私にはいないはずなのに、何で。
 聞き取れるか取れないか、泣き崩れるエリザベスが、言葉を紡ぐ。
 縋る彼女の手は白く、震えていた。
 流れ落ちる涙の間、彼女はただ、どうして放っておいてくれないの、と繰り返した。


 バーの裏口へ繋がる通路。
 後ろでそっとドアが閉められる音がし、アレックスは振り向いて立ち止まった。
 ギルバートとTJもそれに倣い、足を止める。
「難しい役を……悪かったな、アレックス」
「いや、構わんよ」
 言いつつも、アレックスがひとつ、息を吐く。
「……つらいでしょうね」
 ドアの向こうの店内を見やり、TJが誰へともなく呟く。
 肉親の存在が明らかになっただけでも困惑の種だが、それに昨日の一件も絡んでくるとなると、とても受け止めきれたものではない。まして悪意のある絡み方だと尚更のことだ。
 暫くの間、店内の方向を見やっていた3人だったが、やがてそれぞれに視線を床に落とした。
「――で、どうする?」
 顔を上げたギルバートに対し、そうだな、とアレックスが考える。
「まだ油断はできないかな」
「キースがまた何か仕掛けてくるかもって?」
 どうかしら、とTJが続ける。
「確かにあいつはストリートギャングとは繋がりがあるみたいだけど、それも一部の輩とだけよ。それにボスでもなんでもないから、そう駒を持っているとは思えないわ」
「けど奴は金に執着するタチらしいからねぇ。遺言の内容が今のまま生きている内は用心しておいたほうがいいだろう」
「ま、するに越したことはないな」
 手を腰にやり、ギルバートが続ける。
「しかし、メルヴィンは自分の息子の動きに全く気づいてなかったのか?」
「気づいてたら行動くらい起こしていたんじゃない? 大事な娘が狙われたんだから」
 そうだな、とアレックスが頷く。
「息子がどんな人間なのか……家から追い出したくらいだ、把握できてておかしくないのにねぇ」
 大事を取って遺言の内容は近しい人間以外には伏せていたようだが、キースがそれを入手したときの彼の行動までは計算しきれなかったらしい。
「……娘のことだって、全然把握できてないわよ」
 独り言のように言い、TJが店内へ通じるドアへ視線をやる。
 ドアが緩衝材となって音は聞こえにくくなっているが、それでもまだ、エリザベスの様子は窺い知れた。
「……メルヴィンに話が届けば、キースは引き下がるかもしれんな」
 TJにつられドアを見やりながらギルバートが呟く。
「何、遺言書を書き直させるの?」
「いや。ただ、キースには真っ向から父親と議論する度胸がないってことだ。わざわざ妹――……、エリザベスを利用しようとしたところを見ると、な」
「結局のところ、父親に金がある以上、キースは彼には頭が上がらない、ってわけか」
 姑息な手段を使わない限りは、と呆れたようにアレックスが告げ、息をつぐ。
「……ウィトモア家の問題は、内輪で解決してもらいたいところだけどねぇ……」
「様子を見ると、リジーにもひと風吹いてきそうよね……」
「無視を決め込むわけにもいかんか」
 息を吐き、ギルバートが腕を組む。
「かといってこちらから連絡を入れるのも――」
「ムカツクわよね」
 息子の管理不行き届きにもほどがある、とTJが忌々しげに放った。
「エリザベスに無断で勝手に俺たちが動くのもよくないが……一応メルヴィンのところに噂は届くようにしておくか」
「あら、ギル。そんな筋持ってるの?」
「いや、残念ながら」
「君は?」
「私はあるわよ」
「助かるねぇ」
「元勤め先関連で」
 告げられた彼女の言葉に、それは、とアレックスとギルバートの言動が詰まる。
「……TJ、そいつはちょっと、困るかな……」
「冗談よ。でも裏を通してとなると、ちょっと難しいわね……」
 いかんせん現地から数年離れているため、TJとしても裏の情報筋の機密性は保障できないところである。
「ウォレンはどうかしら?」
 TJの質問に対し、アレックスが、どうかな、と首を傾げる。
「あいつも――」
 言いかけたところでバーの店内へのドアが開いた。
 一同が揃ってその方向を見やる。
 後ろ手にドアを閉めたウォレンが顔を上げ、3人の視線が一気に己に集まっていることを知る。
「……何だ?」
「別に。丁度あんたのこと話してたとこ」
 TJの返答に、そうか、と頷くとウォレンは適当な距離まで3人に近づき、脇に積み上げられているダンボールに背を預けた。
「エリザベスは?」
 ギルバートの問いに、大丈夫だ、とウォレンが答え、付け加える。
「暫くの間、1人に」
 言われてドアを見、そうだろうな、とギルバートが頷く。
「ウォレン、あんた連絡の筋、持ってる?」
「ん?」
「NYによ」
 数瞬の間を取った後、ウォレンは事の成り行きをなんとなく察したらしい。
「まぁ何本かは」
 聞こえてきた返答に、アレックスが顔を上げた。
「持ってるのか?」
 多少の驚きを交えて確認すれば、ウォレンと目が合う。
「ああ」
 返ってきた短い肯定に緩く頷きを返し、アレックスは視線を横にずらした。
「ならお前に頼むか」
 ギルバートの声に、ウォレンが彼を見る。
「メルヴィンの耳に入れるのか?」
「察しがいいな」
「まぁな」
「じゃ、お願いね」
 頷いて了解を告げるウォレンを確認し、TJが続ける。
「一応用心して、リジーにはもう少し私のところにいてもらうわね」
 言った後、彼女が再びウォレンを見、
「あんたは暫く役に立ちそうにないもんね」
 と、ふふんと笑って告げる。
 口を閉じたまま、ウォレンはTJを見た。
 否定できなくはない。が、しにくいことは確かである。また、したくても怪我の状態のほうが否定してくる。
「……あんたはその嫌味をどうにかしたらどうだ」
「お生憎さま。する気はないわ」
 にっこりと笑うTJに対し、ウォレンが口元のみの微笑を短く切り上げた。
「あながち嘘でもないだろう」
 TJ側につき、ギルバートが続ける。
「血が足りてなさそうなんだから、うろちょろせずにおとなしくしとけ」
「そ。リジーのことは任せて、ちゃんと養生しなさいよね」
 2人の意見を後押しするように、アレックスもまたゆっくりと頷いた。
 反論をしようとウォレンが口を開きかけたとき、先手を打ってTJが制止をかける。
「早く治すのが先でしょ。あの子が一番頼りにしているのはあんたなんだから」
 からかいの口調が消え、真面目な声で告げられる。
 そう言われてしまっては、指示に従うしか道はない。
 悔しいが、こういうところに関してはTJのほうが数枚上手だ。返事をする代わりに小さなため息を返し、ウォレンはドア越しにエリザベスの様子を窺った。
 音も何も届いてはこないが、先ほど彼女を取り巻いていた空気はいまだ滞留しているらしかった。
 一向に去る気配を見せないそれを他所に、近くで羽を休めているらしいカワラバトの呑気な声が聞こえてきていた。


 門を潜り際、磨かれた黒い車の屋根に、夏の光を存分に浴びる緑の木々が映し出される。
 玄関前に到着し、ドアが開かれ、運転席から気障に着飾ったサングラスの男が出てきた。
 弱い風が吹く中、後方を一瞥した後で彼が階段を上る。
「おかえりキース」
 訛りを含んだ声と共に、玄関から走り出てきた夏らしすぎる軽装をした女性が、長い黒色の髪を揺らして男に駆け寄る。
「……デュモントが来ているってか?」
 腕に絡んでくるセレステに尋ねれば、彼女が艶やかな声音で肯定した。
 それを聞き、キース・ウィトモアは4文字の薄汚い言葉を吐いた。
 ジミーらと連絡がつかなくなってから危惧していたことではあるが、相手は予想よりも早く情報を仕入れたらしい。
「……ったくしくじりやがって」
 擦過音のみで捨てられた言葉だったが、キースの苛立った荒々しい様子から、そのものを耳にしなくても吐かれた単語はおよそ知れた。
「誰が?」
「お前には関係ねぇ。離れろ」
 腕を払われ、セレステが半歩後ろに下がる。
「何怒ってるのよ」
「うるせぇ!」
 1人で暮らすには十二分に大きい家に踏み込み、キースがサングラスを外す。
 大股に闊歩し、テラスまで一直線に進む。
 何よ、と大きなため息をはきつつ、セレステは彼の後を追った。
 窓が開かれているためか室内は暑く、それが余計に腹立たしい。
 風を受けてなびくカーテンの向こう、上着を脱いだスーツ姿の男を発見する。
「デュモント」
 歓迎しない苦笑を声に出し、キースが部屋の中で足を止める。
 振り返ったフィル・デュモントが彼を確認し、穏やかな微笑をもって応えた。
「勝手に人の家に入るとは、弁護士としてどうなんだ?」
 両手を広げ、忌々しげにキースが尋ねる。
 即答はせず、デュモントは目を庭にやって外の風をひと撫で受けた後、テラスから室内へゆっくりと歩を進めた。
「無断で入ってはいない。ちゃんと君の彼女に許可を取ったよ」
 言いつつ、ちら、とキースの後ろに控えている女を見やる。
 つられてキースが後ろを向けば、建前上ばつが悪そうな表情をしながらも、許してくれると信じきっているセレステが上目遣いでキースを眺めていた。
「きれいなひとじゃないか」
「あら、嬉しいわ」
 デュモントに言われ、今まで何人もの男を虜にしてきたであろう角度でセレステが笑顔を見せる。
 デュモントを家の中に入れたというだけでも気に食わない上に、彼に対して色目を使う彼女に、キースは怒りを存分に表情に出した。
 その目と目が合ったセレステが、ようやくキースの発する空気を悟ったらしく、笑顔を下げる。
「……ダメだったかしら」
 しおらしさを含めた声音で告げながら近づき、キースの顔にそっと手を触れる。
 が、すぐに彼に弾かれ、セレステは手を引っ込めた。
 己から目を逸らしてデュモントを睨むキースの横顔を見、セレステはうっすらと微笑をすると、彼の感情には構わずキースの腕に胸を密着させ、耳元に口を近づけた。
「……お邪魔みたいだから、あたし、上に行っているわね」
 名残惜しそうに体を離し、セレステがゆらりゆらりと、笑みを残してその場を去っていった。
 彼女の後姿を見送った後、キースがデュモントに向き直る。
「……何の用だよ」
 問われ、デュモントが数歩足を動かし、適度な距離までキースに近づく。
「およその察しはついているだろ?」
「さっぱりだな。俺はオヤジから縁を切られた身だ。あんたと関わりを持つようなことをした覚えはねぇよ」
 大げさに両手を広げ、口元を上げる。
 そのキースの反応を受け、小さな笑みを視線と共に落とし、デュモントは広い居間のソファを見た。
 ソファの上、女性物の下着が無造作に放置されているのが目に映る。
 まだ掃除しきれていない床も考慮に入れると、昨夜は相当派手なパーティーが繰り広げられていたのだろう。
 放蕩がすぎるキースに対し、勘当同然の処置をとったメルヴィンだったが、やはり息子である事実は捨て切れなかったらしい。出て行け、と命じた際に、彼はキースにこの豪勢に構えた家を提供した。
 一度、デュモントは訪れたことがある。
 ざっと見たところの今の様子は、当時となんら変わっておらず、有効活用されているとは思えない。
 もっとも、キースとしては存分に活用しているのかもしれないが。
「君が親しくしているストリートギャングがあったな。名前は何だったかね」
 室内から目を離し、デュモントがキースに視線を戻す。
 その先で、キースが笑みを消してため息をつき、片足に体重を乗せた。
「3人ほど、姿が消えたらしいが。……知っているか?」
「知らねぇな」
 鼻で答えるキースに対し、デュモントがひとつ、そうか、と頷く。
「それはおかしいな。君が彼らに何か依頼していたという噂も聞いたが」
「依頼?」
「よからぬ依頼だ」
 キースからの返答はなく、だが彼はどういう表情をすればいいのか迷っているような顔をしていた。
 耳にした事は、まずは間違いないらしい。
「ときに、メルヴィンの遺言の内容について、どこで仕入れたんだ?」
 関連のある話題をデュモントが提示してみたところ、案の定の反応が返ってき、キースの喉が動いた。
 デュモントが心の内を見透かすような視線を逸らさずにいれば、彼の前では隠し通せないと判断したか、キースが苦笑する。
「……俺も『ウィトモア』なんだけどな」
「知っているよ」
「なら不思議じゃねぇだろ。息子の俺が内容を知ってちゃいけねぇか?」
「君は癌に侵されている父親の見舞いに来たことがあったっけね」
 ないだろう、と込められた言葉に、キースが鼻を掠める笑いを返す。
「父親には興味ないが、金にはあるということか」
「おいおい、ショーンだって知ってるんだぜ? 同じ息子だってのによ。差別はよくねぇな」
「君は追い出された身だ」
「切りやがったのはメルヴィンの勝手な行動じゃねぇか。法律上、俺はまだ息子だ。俺だって金をもらう権利はある」
「彼が君を切ったのは確かだが、こんなに立派な家をもらえたんだ。随分に優しい処遇だと思うがね。まだ、何か足りないとでも?」
「足りねぇな」
 キースの即答に対し、ひとつ、大きくデュモントがため息をつく。
 何故家を出されたのか。深くその理由を考え、己の所業を反省し、改心できたのなら、また受け入れてもいい。
 そのようなメルヴィンの心は、残念ながらキースには理解されなかったらしい。
「……キース。その気になれば、君が行った数々の過ちを世間に公表する事だってできるんだ。そうなった場合、この家には住んでいられなくなる」
「へぇ。追い出しただけじゃなくてムショにでも入れとけってか? いいねぇ、箔がつくってもんよ」
 声に出して笑った後、そういえば、とキースが思い出した顔をした。
「気をつけろよ、デュモント。あんたがオヤジの前に面倒を見ていたヤツは、あんたに裏切られたことを忘れちゃあいないって話だぜ」
 言われ、ふむ、とデュモントが過去を思い返す。
「……『気をつけろ』とは、例えば幼い我が子が黒い車に尾け狙われたり、かわいい飼い犬が庭で惨殺されていたりすることに対してかな?」
 ぬたり、キースが笑う。調べたのか、彼はその事実を知っているらしかった。
「君の崇拝する人物が塀の向こうに閉じ込められているのは、私の忠告を聞かずに無理に『事業』を拡大したからだ。八つ当たりで狙われるとは心外だな。そう伝えておいてくれ」
 淡々と述べた後、ああ、とデュモントが付け加える。
「もっとも、君は彼に会えるような身分じゃないだろうけどね」
 図星だったか、キースが緩めていた口元を引き締め、怒りを面に出す。
 ストリートギャングはおろか、マフィアとも繋がりを持とうとするとは、呆れ果てたものだ。と、デュモントが気づかれないよう息を吐いた。
 真面目に生き、父親の跡を素直に継いでいれば、幸せな人生を送れただろうが……。わざわざ危ない橋を渡ろうとするなど、一体キースが何を考えているのだろうか。
 父親への反発心か、弟への劣等感か。原因はしかし、挙げようと思えばいくらでも挙げられる。
「……ともかく、遺言が変更されることはない」
「なに?」
 同情をしないでもないが、と思いつつも、デュモントはメルヴィンからの言付けをさらりと告げた。
 それを聞き、猛然として反論しようと口を開いたキースを手で制し、デュモントが続ける。
「これ以上『彼女』に手を出すのなら、この家は没収され、君は住むところを失うことになる」
「ふざけるな!」
「君の父親はふざけちゃいないさ」
 一気に逆上したか、喉に詰まった言葉がうまく出てこないらしく、キースの顔が紅潮する。
「なん……――」
「君に金を渡したらどうなるか、ちゃんと心得てい――」
「うるせぇ!」
 怒鳴りつつキースが髪を掻きあげていた手を払う。
 それが棚に置いてあったグラスをも巻き添えにしたらしく、床の上で派手に砕けるガラスの音が響いた。
「――メルヴィンに言っておけ、俺にも金を寄越せってな。返事によっちゃあ大事な娘に危険が及ぶかもしれねぇぜ」
「君の妹だ」
「知らねぇな」
「知ってて拉致しようとした。違うか?」
「知らねぇっつってんだろ!」
「どうかな」
「うっせぇ! 突然出てきやがった女に横取りされてたまるか! オヤジが俺に残さねぇってんなら、その女を殺してやらぁ!」
 本音が出、どんだけ悲しむかな、とキースが嘲笑交じりに息を捨てる。その彼に対し、冷静な声でデュモントが、キース、と名前を呼び、続ける。
「私は捜査機関の人間とも親しい。忘れたか?」
 ぐっと詰まり、キースが勢いを殺がれて口を閉じる。
「今のは聞かなかったことにしておくが、次があったら容赦なく事に当たらせてもらおう」
 事務的に言い、デュモントは一旦、区切りを置いた。
「メルヴィンは、君が息子だという意識はまだ捨て切れていないみたいだがね」
 微笑と共に、デュモントが告げた。
「さて。私はここで失礼する」
 間を置かずに一言残し、近くのテーブルに載せていたケースを手に取ると、デュモントは軽い身のこなしで隙なく玄関口へと去っていった。
 暗然とした感情を怒りへ変えつつ、キースが彼の背中を睨んで見送る。
 やがてデュモントが完全に家の中から出たとき、キースが棚の上の代物を一掃した。
 直ちに騒音が充満し、驚いたセレステが2階から降りてきた。
 彼女は、しかしキースの爆発した暴力的な感情の、はけ口としての役割を担うこととなった。
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