22 For Her He Will
滑らかな動きでBMWがガスステーションへ滑り込む。停止の際の揺れが少ないのは、車の質もあるだろうが運転者の腕もいいのだろう。
「悪いが、水を買ってきてくれないか?」
エンジンを切りつつ、ウォレンがエリザベスに頼む。
「いいわよ」
一言告げ、エリザベスはシートベルトを外すと助手席のドアを開けた。
外に出れば、ガソリンの臭いがうっすらと漂っていた。
給油ノズルを手に取るウォレンを後ろに、エリザベスは店へと足を運ぶ。
店内には数名の客がおり、どこかの局のラジオからの音が空間を満たしていた。
レジで会計をしているキャップをかぶった男は店主と知り合いらしく、世間話らしい会話が耳に入ってくる。
無機質な大都会にも、日常的な温もりが存在するらしい。
先入観からいい印象を抱いてはいなかったが、明日一日、ウォレンに案内してもらえれば、この街のことも好きになるかもしれなかった。
ミネラルウォーターの入ったペットボトルを2つ手に取り、レジへ向かう。
その途中、ふと窓越しに給油スペースに目をやった。
ウォレンの側に黒い髪の女性が立っているのが見え、足を止める。
誰だろう、と気になり様子を窺えば、女性が何か手に持っているらしいのが分かった。
察するに、地図だろう。
こちらに背中を向けているためウォレンの顔は見えないが、彼女に対して受け答えをしている風だった。
小さく微笑をし、エリザベスはレジへ行くと商品を購入した。
釣銭を受け取り、店を出る。
丁度道筋の説明が終わったのか、黒い髪の女性が礼を言って去っていくところだった。
「観光客?」
背中に声をかければ、エリザベスが戻ってきたことに気づいたらしく、ウォレンが意識を一度背後に向け、その後で振り返った。
「ああ」
言いつつ右手を一度ポケットに入れた後、給油ノズルを車から引き抜き、続ける。
「ナビゲーションが壊れたらしい」
そう、とエリザベスが頷く。
「最後に頼りになるのはアナログね」
そうだな、と同意を示す声が返ってき、ウォレンが給油ノズルを元の位置に戻した。
彼の背後、先ほどの女性が道路脇に駐車してあった車の助手席に乗り込む様子が見える。
ふと運転手のほうへ視線を移そうとしたとき、
「さて――」
とウォレンの声が聞こえてき、エリザベスは目を彼と合わせた。
「夕食は、何か食べたいものはあるか?」
聞かれ、そういえばそろそろ考える時間であることに気づく。
「何でもいいぞ」
「いいレストラン、知っているの?」
尋ねれば、ウォレンが顎を引き、一度目を逸らす。
「検索する時間をくれるなら」
返答に対し、エリザベスは微笑を返した。
「あなたの知っている店でいいわよ」
「そうか?」
「ええ」
「あまりいい店は知らないが」
「構わないわ」
そうか、とウォレンが頷く。
「ダイナーズ?」
「冗談よね?」
聞こえてきた固有名詞に対し、怪訝ぶって答えれば、苦笑が返ってきた。
「……数分待ってくれ」
一言残して運転席へ向かうウォレンに続き、エリザベスも助手席へ向かった。
ホテルの窓越しに、夜の街の人工的な光が薄く入り込んできている。
シャツに腕と頭を通し、薄手の上着を羽織ると、ウォレンは時計をはめた。
午後11時過ぎ。
ふと、ベッドのほうへ視線を向ける。
音のない空間の中、静かに寝入っているエリザベスの姿が目に映る。
父親に関する一件において、ひとつ区切りをつけることができたことで、ほっと一息つけたのだろう。
夕食に立ち寄ったイタリア料理のレストランでは、食欲が戻ったらしい彼女の姿を見ることができた。
ほんの少し視線を下げ、ウォレンは微笑した。
が、意思に反して口元は緩められず、表情に出ることはなかった。
一度目を閉じ、顔を近くの棚に向ける。
目を開ければ、置かれている車の鍵が見えた。
同時に、昼間のガスステーションでの黒髪の女の言葉が思い返される。
『キースのこと、もう知っているんでしょう?』
彼が話をしたいそうよ、とセレステと名乗った女が口元を緩めた。
メルヴィンのマンションを出たところから尾けられていたのは知っていたが、相手はやはり彼の放蕩息子だったらしい。
『彼女のためにも、ちゃんと来てね』
言いつつ、ねっとりとした動作でセレステが紙切れを手渡してきた。
車の鍵から目を逸らし、ズボンのポケットに手を入れ、昼に受け取ったそれを取り出す。
住所と電話番号が書かれてあり、最後に『真夜中』と時間が指定されていた。
確認した後に元に戻し、窓の外を見る。
このホテルのセキュリティーは信頼ができる。尾行もなく、まず安全とみていい。
エリザベスの様子を見る限り、彼女は朝まで起きることはないだろう。
鍵を手に取り、眠っているエリザベスを一瞥すると、ウォレンは音を立てないように部屋を後にした。
高級住宅街の一角。
立派に構えられた門の中へ車を乗り入れ、適当なところに駐車をするとウォレンは車の外に出た。
玄関へ向かう途中、客の来訪を察したか、ドアが開く。
中からセレステが出てき、妖艶に微笑むとそれに似合う姿勢でドアにもたれかかり、ウォレンを迎えた。
「ちゃんと来たのね、スコットさん」
いらっしゃい、と家の中へ誘う。
返事は寄こさず、ウォレンは足を踏み入れた。
「あなたの名前は聞いたことがあるわ」
本人も気に入っているのだろう、独特の訛りを強調し、セレステが続ける。
「私も随分危ない橋を渡ってきたの」
ゆっくりとウォレンに近づき、上目遣いに彼を見る。
「……スリリングな仕事、しているそうじゃない?」
確信的な笑みを浮かべ、セレステが手を伸ばす。
「……どうも」
彼女が次の動作に移る前に一歩退き、ウォレンは形だけ口元を緩め、居間と思われるほうへ体の向きを変えた。
案内を受けずに勝手に足を進めれば、その奥よ、と相変わらずの口調でセレステが声を投げかけてくる。
去っていくウォレンの姿を見、セレステは、ふふっ、と笑うと、話が終わるまでキッチンへと退散を決めた。
足を組み、手に顔を載せていたキースが視線を上げ、次いでゆっくりと立ち上がると数歩、歩を進めた。
「よく来たな、スコット」
胸を反らし軽く頭を傾げ、キースがウォレンを観察する。
「武器は?」
「持っていない」
「本当か?」
片目を細め、疑り深く聞いてくるキースに対し、ウォレンは両手を広げ、何なら確かめろ、と無言で告げた。
それを見、まぁいい、とキースが頷く。
「座れよ」
そこに、と圧力をかける雰囲気でキースがソファを示す。
「話は何だ?」
「そう急くな。座れ」
「長居する気はない」
淡々とした口調で遠慮し、ウォレンは目で先を促した。
生意気な奴め、とキースが口の中で舌打ちをする。
「……セレステから聞いてな」
ひとつ息を吐き、ポケットに手を入れてキースがウォレンを見る。
「お前、こっちの腕がいいらしいじゃないか」
右手をポケットから出し、撃つ動作を簡単に再現すると、再びポケットの中に手を戻した。
「違うか?」
確認に対し、ウォレンは無言でもって答える。
「イエスだな」
にっと笑い、キースは体重を主に預ける足を変えた。
「エリザベス、だったか? あいつはお前が何をしているのか知ってんのか?」
「……少なくとも、あんたが彼女に何をしようとしたかは知っている」
ウォレンの返答を受け、おいおい、と眉根を寄せてキースが手を広げる。
「待てよ。俺が何かしたってのか?」
大げさに繕われた反応に、無言の責めを放ちつつ、ウォレンが1歩前に踏み出す。
それを見、冗談だ、と手を上げ、キースはウォレンの感情が外に出される前に棚のほうへ足を進めた。
「ブランデー、飲むか?」
機を失し、ウォレンはその場にとどまると、結構だ、と答えを返した。
「断ってばっかだな」
つまらない、と顔を傾げ、キースが続ける。
「まぁ、先の一件については謝る。彼女にも伝えておいてくれ」
明らかに建前上の言葉を吐き、キースはグラスにブランデーを注ぐと、ぐいっと一杯、喉に通した。
「だがひとつ気にかかることがある。不思議なことに、あれ以来、知り合いと連絡がつかなくなってな」
グラスを上げ、人差し指を宙に伸ばす。
「ジミー・シモンズというんだが――。心当たりはねぇか?」
あるだろう、とキースが笑みを浮かべてウォレンを見る。
「さぁな」
素っ気なく返せば、動揺でも見ようとしているのか、キースが探るような目を寄越してくる。
「……まぁいい。どうせ今頃は土ん中か、水ん中で腐りかけてるんだろ」
詳細な情報を読み取ることはできないと判断したか、キースは呟くとグラスを傾けた。
「で、だ。その神経を見込んで、商談がしたい」
ようやく本題に入るらしい様子に、大体の予想はつけつつもウォレンは黙ったまま続きを促した。
「フィル・デュモントは知っているな? 多分親父の家にデカい顔して居座っていたはずだ」
返ってきた無言を肯定ととり、キースは続ける。
「ヤツを殺ってほしい」
さらりと述べ、どうだ、と手を広げる。
答えは返さず、ウォレンはキースの目を見た。
冗談か、と一応疑ったが、訂正を入れる様子はない。
仲が悪いとの噂のショーンの名前が挙がると考えていたが、キースにとってはデュモントのほうが煩わしい存在らしい。
無言を保ったままのウォレンに対し、キースは眉を動かして返答を要求した。
「……理由を聞いておこうか」
質問を受け、単純なことだ、とキースが肩を竦める。
「邪魔だからだ」
「……メルヴィンの金絡みか?」
「そうだな――」
ブランデーを口に含み、嚥下する。
「――あいつの資産額見たか? 涎が出るだろ? 俺はまだ合法的に受け取れる立場にいる。親父が一筆書きゃあな」
「『合法的』にしては物騒な話だな」
「それとこれとはまた別だ。親父はまだ、俺のことを息子だと認識している。ヤツがふざけたことを親父に吹き込まなけりゃあ、もっと楽に金が手に入る」
憎悪をデュモントに向けつつ、キースはグラスに残っていたブランデーを一気に飲み干した。
「……彼は過去2回ほど、あんたの弁護を引き受けて勝訴しているが」
聞こえてきたウォレンの声に、キースが彼を見やる。
「……よく調べてるじゃねぇか……」
空のグラスを持った手の指を動かし、ひとつ息をつく。
「だが2回だけだ。その後はどうやって俺を追い出すかに専念していた。見ろ」
両腕を広げ、続ける。
「ヤツのせいで俺は勘当同然の身だ」
立派な家と高い車を持っているが、キースとしてはまだ不満らしい。
この手の連中にはいくら金があっても足りることはないだろう、と内心で面倒な息を吐きつつ、ウォレンはまだ少し続くらしいキースの話に付き合うことにした。
「長年無視してきた娘に会いたがるほど、親父は今、やけに人恋しくなっているからな。デュモントさえいなくなりゃ、親父の考えも変わるだろ。……ショーンが何か言ってきやがるかもしれねぇが、それはそん時考える」
区切りをつけるためかグラスを棚の上に置き、キースは改めてウォレンを見た。
「で、返事は?」
「断る」
一呼吸の間を置いて答えた後、ウォレンは付け足した。
「信用できない人間からの依頼は引き受けない」
なるほどね、とキースが頷く。
あっさり引き下がるように見えたが、そうではないらしい。
「折角見つけた船だ。俺は依頼したい」
一歩前に出、キースがウォレンの目を見る。
「タダで」
にっと笑うキースに対し、随分な申し出だな、とウォレンは無言を返した。
「これから毎日彼女の身を心配して過ごすより安いだろ?」
聞こえてきたキースの言葉に、ウォレンが表情を変える。
「またいつ何時襲われるかもしれない、なんて気が気じゃねぇだろ」
ははっと鼻で笑いつつ、キースは片足に重心の軸を移した。
「知ってるか? 白人女を高く買う連中はけっこういるんだぜ?」
一瞬、ウォレンは耳を疑った。が、続くキースの声に、聞き間違いではなかったことに気づく。
「需要は国内だけじゃない。そして、俺はそのルートを知っている」
言葉を失っている間に、ウォレンはキースがやけに親しくしているというマフィアについて、いつだったか人身売買の噂が出ていたことを思い出す。
「エリザベスか。なかなかの美人じゃないか。お前よくひっかけたな。あの器量なら連中も――」
「……あんたの妹だろ?」
やや遅れて、ウォレンが言葉を発する。だが、
「それが?」
とすぐにキースが一蹴してきた。
何の意味がある、というキースの態度に、彼が家族間の愛情を持ち合わせていないことを思い出す。
「女の存在なんて、数ヶ月前に知ったばっかだ。おまけにそいつが親父の金をもらうだって? 馬鹿げていると思わないか?」
同意できるわけもなく、ウォレンは呆れた短い息をかろうじて吐いた。
「俺の邪魔をするんなら、すぐにでも売り飛ばしてやる」
「相続の件についてなら、彼女はちゃんと断った。あんたの邪魔にはならないだろ」
「だが親父が諦めるとは限らねぇ。可能性がある以上、邪魔だ」
キースの顔からはにやけた表情が消え、代わりに憤りが姿を現していた。
どうやら、挑発するために言っているだけではないらしい。
「……正気か?」
「ああ」
肯定しつつ、キースは口元にて、本気であることを笑みをもって示した。
それを見て取り、ウォレンは口を閉じ、表情から感情を消し去った。
「おいおい、そう怖い顔するなよ。お前が――」
「……あんた、自分が殺される可能性を考えたか?」
遮られ、キースは直前の発音の口の形のまま、動きを止めた。
暫くの間を置いた後、数歩、ウォレンとの距離を詰める。
「……殺せるのか?」
安全圏ぎりぎりのところで足を止め、手のひらを上に向けた。
「俺はあいつの兄貴だぜ?」
キースの言葉に、ウォレンは呆笑を返した。
「ここにきて兄妹ぶるのか?」
対してキースは余裕を持った笑みを浮かべる。
「俺にとっては何でもないことが、お前にとってはどうかな」
考えてみろ、と顎を上げる。
「自分の女の兄貴を、まさか殺すわけにはいかないよな」
確信を持った調子でキースが言った。
無言に返るウォレンに、そうだろう、と勝ったような顔を見せる。
「引き受けてくれるだろうな?」
「…………」
「簡単じゃねぇか」
「……あんたは信用できない」
「大丈夫だ。やり遂げてくれりゃ、女には手を出さねぇよ」
手のひらを見せるキースに対し、表情を変えないままウォレンは口を閉じた。
「少し時間をやる」
考えておけ、と半ば命令口調でキースは告げた。
暫くその場に立っていたが、一言も発することなくウォレンはキースから目を離すと、彼に背を向けた。
キースの気配を背後の居間に感じつつ、ウォレンは廊下に出た。
話が終わったのを察知したのか、それとも全部聞いていたのか、セレステが慣れた動きでふわりふわりとウォレンに近づいてきた。
「あたし、いい演技してたでしょう?」
昼間に使用した地図をひらひらさせ、にっこり微笑む。
「ちゃんと、気を遣ったのよ」
言いつつ、それらしい手馴れた素振りを見せて距離を詰め、セレステがウォレンの顔に手を差し伸べる。
「あなたのエリザベスに誤解されないよう――」
転瞬、ウォレンがその手を跳ね除けた。
予想していなかった強い攻撃を受け、バランスを失ったセレステが背中から廊下の壁に激突した。
派手な音と同時に持っていた地図が床に落ち、鈍い痛みが彼女の肺を前へ駆け抜ける。
打ちつけた後頭部からの衝撃でめまいを感じる中、セレステはウォレンを見た。
「何す――」
るの、と言おうとして声を詰まらせる。
彼女を振り払った手を下ろし際、ウォレンが向けた目。
反撃も何もできず、竦んだ身が恐怖を認識した。
いい感情は抱かれていないことは知っていたが、ここまで遠かっただろうか。
身の危険を感じたものの、視線を逸らすことすらままならなかった。
表に出されていない怒りが含まれた、殺意の目。
これまでに捨ててきた男たちから同じ種類の目を向けられたことはあったが、それとはまた異質な色が呈されていた。
セレステの手を振り払った後、ウォレンは動けない彼女に一瞥をくれると、玄関へと再び足を動かした。
何事もなかったように、普通にドアを開けて外へ去っていくウォレンを見送り、セレステは彼の姿が見えなくなってようやく、息を吐いた。
腕を抱え込み、両足に力を入れる。
速まった心臓の音が耳に入ってくる。
「どうした?」
後ろからキースの声が聞こえてき、セレステは振り向いた。
「なんでもないわ」
壁から背中を離し、表情が強張っていることを悟られないよう顔を下に向け、上目遣いに答える。
顔にかかった髪を払うふりをし、セレステはキースから視線を逸らすと玄関を見やった。
恐怖が引いていった今、屈辱的な感情が首をもたげる。
男など、力はあっても最後には自分の魅力の前に落ちるという自信がセレステにはあった。
負けることなど、受け入れたくはない。
己を奮い立たせるように、セレステは去っていった男に向けて妖艶な笑みを送った。
そのままの表情で、髪を跳ねさせつつキースを振り返る。
彼の好きな角度で体の回転を止めると、セレステは、それで、と口を開いた。
「彼、動くかしら?」
言いながら、胸元を意識しつつゆっくりとキースに向かう。
挑発的な彼女に対し、まんざらでもない笑みを返しつつ、キースは近寄ってきたセレステの腕に指の背を這わせた。
「動くだろ」
聞こえてきた確かな調子の声に満足を覚え、セレステは微笑んだ。
敵意を剥き出しにされるのも悪くはないが、最終的には思い通りに動いてもらわなければ、許せない。
「楽しみだわ」
一言呟くと、セレステはキースの首に腕を回した。
ホテルの地下の駐車場。
スペースに車を収めると、ウォレンはライトを消し、エンジンを切った。
静かになった空間内に、先ほどまで動いていたエンジンの名残の音が、単発的に響く。
視線を前に向ける。
まだ暗さに慣れない目に、停められている車の列が見えてきた。
焦点を合わせるでもなくそれらに視線を固定していれば、やがて熱が治まってきたらしく、名残の音も聞こえなくなった。
静寂が訪れる。
目を閉じ、片手のひらを当てれば、衣服のこすれる音が耳に届いた。
そのまま手を額へ滑らせ、短めの髪をすき、下ろす。
目を開けると、ぼんやりと手元のハンドルが視界に入った。
腕時計を見やる。
キースの家にいた時間は短かったはずだが、思っていたよりも時刻は先に進んでいた。
どこへでもなく視線を移す。
帰路に着いたときからずっと、依頼された話が頭の中を支配していた。
選択肢がないわけではない。
その中から敢えて選ぶとなると、後のことを考えれば道はひとつしか残らなくなる。
本当にそうなのか、と自問を繰り返したが、出された結論を覆す答えは得られなかった。
決を反芻した後、ウォレンは携帯電話を取り出した。
紙を探り、それに記されている電話番号を入力する。
暗い中、電子的な明かりが手元に浮かぶ。
数回の呼び出し音の後、相手が出たことを確認すると、ウォレンは目線を上げた。
「……例の件、引き受ける」