IN THIS CITY

第3話 Unspoken Truth

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11 Hold Your Hope

 TJに促されてエリザベスは車から出、目の前のアパートを見上げた。
 丸みを帯びた窓の縁取りの上に、数羽のカワラバトが羽を休めていた。
 ここは随分前に雨が上がったのだろう。
 乾き始めた地面から、アスファルトの香りが上昇してくる。
 ちぎれ雲の浮かぶ空は徐々に黄昏へと向かっており、横合いから侵入してくる低い太陽の光が眩しかった。
「さ、どうぞ」
 TJの声に前を向き、アパートの玄関に足を踏み入れる。
 光が薄れ、影に入った分空気が涼しく感じられた。
 3階まで上がり、薄明かりの廊下を奥まで進む。
 部屋のドアを開け、エリザベスを招き入れようとしたTJが中を一瞥し、すぐにドアを閉める。
 振り返り際に、右耳から携帯電話につながるイヤフォンの線が跳ねた。
「あーっと、ちょっと待っててくれる?」
 ほんの少し、と苦い顔をするTJに、エリザベスは緩慢な頷きを返した。
「すぐ終わるから」
 言いながらもTJは後ろ手にドアを開け、するりと中へ滑り込む。
 閉じられたドア越しに、慌しい物音が聞こえてきた。
 どうやら室内の整頓をしているらしい。
 それほどの時を待たずしてドアが開き、エリザベスは廊下を一瞥した後にTJの部屋の中に入った。
 隅に設置されている電気が外からの弱まっていく光を補助し、室内を照らしていた。
 右手に広がる居間には、急いで整頓をしたであろう痕跡が残っている。
「散らかっててゴメンね。とりあえず、ソファにでも座って休んで」
 雑多な諸々が置いてあるテープルを横切り、TJは居間の奥のソファへエリザベスを誘導した。
 置いてあった雑誌を脇へ退けて彼女を座らせた後、そのまま窓際へ進み、TJはパソコンの電源を入れる。
 次いでポケットから携帯電話を取り出し、目的の番号を探し当てると発信ボタンを押し、右耳のイヤフォンを正した。
 途中、椅子の上に見つけたお気に入りのクッションを手に取り、居間を横切りがてらにエリザベスに手渡す。
「これ、さわり心地いいのよ」
 にっこり笑って一言残し、TJはそのまま居間の隣のキッチンへ向かった。
 去っていくTJをぼんやりと見送り、エリザベスは視線を手元に落とす。
 深い茶色のビーズクッションは確かに感触がよく、膝の上に乗せてぎゅっと握った。
「あ、ボビー? TJよ、お久しぶり」
 電話口に出た相手に簡単に挨拶をし、TJはイヤフォンをもう一度耳に入れ直した。
「元気そうで何よりだわ。ちゃんと出世してる? ――そう? さすがね、ボビー・ボーイ」
 昔の呼び名で呼べば、からかうな、との声が届く。TJは軽く温かみのこもった笑いを返した。
「頼みがあるの。聞いてくれるかしら?」
 言いつつポケットから紙を取り出す。
 車内でギルバートから受けた情報が簡潔に記載されているもので、TJはそれをマグネットを用いて冷蔵庫に貼った。
「そっちのストリートギャングについての情報が欲しいの。今すぐ。最優先事項でお願いね」
 一旦メモから目を離し、冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを掴み出す。
「あら、ちょちょいと調べるだけよ。楽でしょ? それとも――」
 冷蔵庫を閉じ、相手は目の前にいないがいたずらな目をして続ける。
「――結婚指輪をクラブのトイレに置き忘れたこと、奥さんに言っちゃってもいいのかなー」
 イヤフォンからは詰まった言葉の後に期待通りの反応を返すボビーの声が聞こえてきた。
「冗談よ、冗談」
 昔のやりとりを思い出しつつTJが当時の口調でボビーを宥める。
 深く吐かれた息の後、彼が依頼内容を聞いてきた。
 冷蔵庫の扉のメモを見、TJは手短にそれを伝える。


 クッションを見ている間にも、外からの光が薄れていったらしい。
 聞こえてくるTJの声を漠然と後方で流し、エリザベスは無意識的にクッションを抱え込んだ。
 ほのかに自分の体温が浸透している。
 キッチンのほうからはTJの電話が終了したらしい様子が伝わってきた。
 ぼんやりと前を見た視線の先、テレビ横に無造作に放置されている衣類を発見する。
「水飲む?」
 かかってきた声に、エリザベスは右後方を振り返った。
 TJがグラスを手に立っている。
 彼女の視線が、先ほどエリザベスが見ていたところへ移動する。その目で確認したものに対し、TJは、あ、と口を開いた。
「わ、やだ恥ずかしい」
 慌てた様子で居間に入り、エリザベスの座っているソファの前のテーブルにグラスを置くと適当に畳んだままの洗濯物へと足を運んだ。
 途中、床を這っている配線に足が引っかかり、TJが躓きそうになる。
 危ない、と思わず腰を浮かしたエリザベスの右足に、激痛が走る。
「痛ッ」
 思わず声が出、そのままソファに座った。
 ぴりっとした痛みは先の路地で梯子にぶつけたときのものだった。
 それまではじんわりとした感覚を感じてはいたものの、打ち身を作ったこと自体、忘れていた。
 配線に引っ張られて倒れた小物を手に取りつつ、TJがエリザベスの声を聞いて振り返る。
「怪我、しているの?」
 右足の脛を押さえるエリザベスに声をかければ、彼女が顔を上げた。
「見せてみて」
 小物を床の上に置き、TJがエリザベスの下に足を運ぶ。
 自分でもまだ怪我の様子を確認していないことに気づき、エリザベスはゆっくりとジーンズの裾をまくった。
 右足の脛は明らかに腫れており、変色のほうも大分進んでいた。
 痛そう、と呟いた後、カーペットの上に膝をついたままTJがエリザベスを見上げた。
「ちょっといい?」
 怪我の具合を見るのだろう、と感じ取り、エリザベスは彼女に頷きを返す。
 慣れた手つきでTJが診察をする間、意識したせいか変色した部分において痛覚を刺激する脈を感じる。
「骨に異常はないみたいね」
 一通り診た後TJはそう呟き、エリザベスの右足をそっと下ろした。冷やしたほうがいいかな、と独ごち、散らかったままの居間の隅に存在する棚へ向かった。
 彼女が去った後、エリザベスはそっと打ち身の上に手を載せた。
 腫れ上がったところが熱を帯びているせいで手のひらの温度が低く感じられ、それに反応して細い痛みの筋が数本走る。
 TJの気配を感じ、顔を上げるとエリザベスは患部から手を離し、上体を起こした。
 湿布が貼られ、心持ち痛みが軽減した。
「剥がれないように一応巻くわね」
 言いつつTJがガーゼの包帯でくるみこむ。
 エリザベスは礼を声に出したつもりだったが、音量が足りなかったか、かすれた音しか出てこなかった。それでもTJの耳には拾われたらしく、どういたしまして、という声が返ってきた。
「――直感って信じる?」
 突然の質問に、その意図を読めないままエリザベスはTJを見た。
「私はけっこう信じるほうなの。といっても、いいものだけだけど」
 巻き終わった包帯を切り、ほどけないように端を固定する。
 体重をそのまま後ろへもっていき、TJはエリザベスの前で体操座りをした。
「直感って、けっこう正しいときが多いのよね。だから信じちゃう。でも信じることにしていると、もし悪い内容の直感だった場合ずっとそれに囚われちゃう」
 エリザベスは黙ったままTJを見、話の続きを待った。
「囚われてしまうとそれ以外の可能性を考えられなくなるのよね。頭の中で想像していることが現実に反映されるわけじゃないのに、現実も悪い方向へ流れるんじゃないか、私の憶測に引きずられるんじゃないかって、不安で押しつぶされそうになるの。そうなると――」
 エリザベスから一旦視線を逸らし、TJは小さく両手のひらを開いた。
「――見えるものも見えなくなって、結局手がかりも失ってしまう」
 そう告げるTJの表情に、エリザベスは彼女が理論だけでなく経験を交えて語っていることを知る。
「だから、私は何かピンと感じそうになったときは、まず真っ先に『大丈夫』って思うようにしているの。ただの自己暗示かもしれないけど、精神状態を安定に保つのもひとつの手だから。不思議だけど、自分が少しでも強くいられれば状況も実際にいい方向に向かうのよね」
 言い終わった後、TJが軽く肩を竦める。
「勿論、簡単にできることじゃないし、今こんなこと言っても何の助けにならないかもしれないけど――」
 重心を前方に移し、カーペットから腰を浮かす。
「――でも試してみて」
 エリザベスに笑みを送った後、TJは横のテーブルの上に置いたグラスに手を伸ばす。
「TJ特製の水よ。飲んだら元気が出るわ」
 屈んだ状態のまま、エリザベスに差し出す。
「特製っていっても心配しないで。変な成分は何も入ってないから」
 むしろ市販のミネラルウォーターを注いだだけなのだが、そのことはエリザベスも承知しているだろう。
 それでも強張っていた表情に柔らかさが戻り、彼女が微笑しながらグラスを受け取る。
「ありがとう」
 礼を言われ、TJもにっこりと笑顔を返した。


 雷鳴は大分遠ざかったらしい。
 未だ持続する雨を避けるように、アレックスは急ぎ足でコーヒーショップの軒下に駆け込んだ。
 日中熱されていたアスファルトの名残が、香りとして空気中に満遍なく散在している。
 軽く水気を払い、店の中に入る。
 雨宿りをしている客もいるのか、いつもよりも混雑しているように感じた。
 奥へ足を進めれば、ネクタイを緩め、シャツの袖を捲り上げた姿の男がタバコと新聞を手に座っていた。
 挨拶を省略し、彼の前の席に腰掛ける。
 気配を感じて、男が手元の新聞記事からアレックスに視線の先を移動させた。
「何か面白い記事でも?」
「アレックス――」
 ようやく着いた待ち合わせの相手の名前を言いつつ、セス・バイリーは眼鏡を外し、十分に短くなっていたタバコを灰皿に押し付けた。
「―― 一体何が起こってるんだ?」
 問われ、アレックスは動きを止めてセスを見た後、少し考えるような仕草をした。
「外で雨が降っている以外にか?」
 まともな答えは返ってこないだろうと半ば諦めていたが期待通りの結果となり、セスは視線を落とすと額に片手を当てた。
 そんな彼を見つつ、アレックスは後ろに背もたれた。セスの無精ひげは相変わらず伸ばされたままだが、顔つきは以前よりも健康そうで、仕事がうまくいっているだろうことは推測できる。
「ミルズとはどういう関係なんだ?」
「ミルズ?」
「グレイス・ミルズ」
「さて」
 先のタクシー運転手の女であることは分かったが、アレックスはわざととぼけて返した。セスがため息をつき、手を額から離して広げる。
「アレックス、俺も忙しいんだ」
「だろうねぇ」
 同意しつつ、アレックスは親しげな笑顔を見せた。
 再び小さく息をつき、セスはテーブルに肘を乗せていた手で頭を掻いた。
「……で、いきなり妙な依頼を押し付けてきやがって。彼女が一体何をやらかしたって言うんだ?」
「推察は得意分野じゃなかったっけ」
「お前の口からの説明が聞きたい」
 手をテーブルの上に下ろし、心持ちセスが前に屈み、わずかながら圧力をかける。
 アレックスは軽く頷くと素直に口を開いた。
「俺の友人を拉致しようとした」
「相手はお前が誘拐したと主張していた」
 間髪入れず届いてきたセスの言葉に、アレックスが眉を上げる。
「誘拐?」
「若い女性をだ」
 そう言ってセスの目がアレックスを捉えた。アレックスが女好きであることは彼も承知しているが、問題を起こすほどでもない、ということも知っているはずだ。
 しかしながら心外にもあらぬ疑いがかけられているらしい。
「おいセス、そんな馬鹿なことするわけないでしょ何もしなくても俺モテるんだから」
 照れた笑みを浮かべつつ、アレックスは後半に自信を滲ませてさらりと告げた。
 暫くの間彼の目を見た後、確かにな、と前半にのみ同意し、セスが頷きを返す。
「……だが女性を連れ去ったのは事実だな?」
「保護したって表現のほうがまだしっくりくるけど」
「連れ去ったことに変わりはないだろ」
「まぁね」
 肯定の返事を聞き、セスが一度深く息をつく。
「……何かが起こっていることは分かるがいまいち事態が呑み込めん。その女性からも話を聞きたい」
「それは遠慮してもらいたいなぁ」
「何故だ?」
「理由言わないとダメなのか?」
「事件性が考えられる限り、放ってはおけん」
 刑事であることを意識させる口調でセスがアレックスを見る。
 グレイスに関する詳しい情報は、セスからは引き出せそうにない。もっとも、簡単に引き出せるようであればこの関係もここまで長続きはしなかっただろうが。
「……セス、悪いけどこの件に関しては俺に任せておいてほしい」
「それは無理だ。一般の人間が関わっているらしいってのに無視できると思うか?」
「全部片付いたらかいつまんで説明するから」
 多分、と言うアレックスを見、セスが一旦口を結ぶ。
 暫時の沈黙の間に、店内の賑わいが入り込む。
「エリザベス・フラッシャー」
 不意にセスの口から告げられた固有名詞に、だがアレックスは表情を変えず彼を見た。
「DC内在住の大学生。だな?」
 確認をとる刑事口調でセスが述べる。
 アレックスは肯定の返事の代わりに無言のまま口元をわずかに上げた。
「ミルズが彼女の旅行用ケースを持っていた。今俺が預かっている」
 そういえば、エリザベスが西海岸へ友人と旅行に出かける、とのことをバーで語っていたような記憶がある。
「……ミルズによると、だ。旅行帰りの客を自宅まで運び、降ろしたところでお前がいきなり現れて、その客を誘拐したそうだ」
 話を聞き、アレックスが顔をしかめる。
「随分な冤罪だねぇ」
「実際のところはどうなんだ?」
「程遠いよ」
「現状を見る限りそう遠くもないだろ」
 少なからずの説明を求め、セスが手を軽く広げる。彼としては、最初の手がかりは些細な情報でも構わないのだろう。それが手に入りさえすれば、後のことを明らかにするのは彼の領域である。
「……悪いが」
 皆まで言わず、途中で言葉を切り、セスを見る。
 続きがないことを知り、セスが重心を少しばかり後方へずらし、かける圧力を弱めた。
「アレックス――」
「その旅行ケース、俺に渡してくれないかな。エリザベスに届けたい」
 代名詞ではなく名前を使用して親しいことをそれとなく匂わせる。
 うまく隠してはいるのだろうが、探ろうとする色がセスの目の中に見えた。それを受け取りつつ、無言のままアレックスは返答を待った。
 やがてセスが何回目になるだろうため息をつき、視線を落とすとポケットから紙幣を取り出した。
 彼の動作に、店を出るらしいことが分かる。
「……一日だ。明日朝までに片付いていなければ、介入する」
「一日くれるんなら明日の夜まで待ってくれてもいいんでない?」
 かけあってみたものの、ちらと視線を寄越されただけで却下される。
 了解、とアレックスは小さく手を広げ、セスの案をおとなしく受け入れた。
 立ち上がり際に窓の外を見やったが、相変わらず雨は降っているらしかった。
「旅行ケースはお前に預ける。……だが本当に信用していいんだな?」
「くどいよ」
 緩めたネクタイを直す雰囲気もなく、上着を雑に手にとってセスが入り口へと足を進める。
「まだ降っているのか」
「みたいだね」
「長いな」
「雷は遠のいたよ」
「『何か』耳にしたら連絡をくれ」
 会話に紛れてさりげなく提示された取引に、アレックスは軽く苦笑をした。
「ま、耳にしたらね」
 確約はしないけど、と内心で付け加え、セスに続いて外に出た。
 晴れていれば黄昏だと分かる時間帯だろう。
 濡れることを厭わずにセスの車へ向かう。
 雨音から察するに、降雨強度は弱まってきているらしかった。


 意識のない状態にあるときに突如として水を叩きつけられ、無理矢理現実に引き上げられる。
 強制的な目覚めほど心地悪いものはない。
 気管支に入りそうになった水にむせこみながら、ウォレンは目を開けた。
 弱い照明が室内を照らしており、前方で水が入っていたバケツを床に投げ捨てるように置くジミーの姿を捉える。
 彼もそれなりに疲れている様子ではあるが、長い休憩をとろうとはしない。
 よくも飽きないものだ、とうんざりしつつ、ウォレンは顔を上げた。
 気を緩めれば再び意識が遠のきそうになるところをみると、体力が大分削がれていることが分かる。
 失神している間は痛覚も何もかもが遮断され、加えてある程度まで時間を稼ぐことができる。
 水気を振り払うのも鬱陶しく、力を抜いて目を閉じる。頭の重みを成り行きに任せれば、大きく後方に傾いだ。
 雨音は聞こえてこず、居間から漏れてくるテレビの音声のみが空間内に存在している。
「死ぬつもりか?」
 苛立ちと呆れの混じったジミーの声が聞こえてきたが、ウォレンは相変わらず返答せずの姿勢をとった。
 だが、現状が長引けば確かにそうなる可能性がある。
 失血の量はさほど増えていないものの、かけられた水の気化熱がありがたいことに体温を奪うことに貢献しており、気温がいささか肌寒く感じる。体感温度あるいは体温そのものの降下に比例し、左腕の銃創部分の熱が存在感を増していた。
「いい加減音を上げたらどうだ」
 そう言うジミーに対し、いい加減休んだらどうだ、とウォレンは心の内で返す。
 カーテン越しに窺える外の気配で時間の感覚が失われることはなく、精神的に追い詰められるよりもまだ耐えられるとはいえ、銃創つきの身体への断続的な負担は正直なところ厳しい。
 交代せずに1人でこの場を受け持っているところをみると、ジミーは暴力行為を好んでいるらしい。
 好き勝手にされるのは腹立たしいが、状況の転機はいまだ引き寄せられていない。
 が、先ほど居間から聞こえてきたピザを注文する電話に、それが近づいてきている気配はする。
 さすがに食欲を抑えてまで配線がむき出しのコードを片手にこの部屋をうろつくことはないだろう。
 徐々に意識が周囲の空気に溶け込みそうになるのを遮り、ジミーの足音が近づいてきた。
 脳で認識するよりも先に、身体が今後の展開を予想して構える。
「起きてろ」
 脇腹に走るはずだった電流の代わりに、髪を掴まれ前を向かされる。
「……たった1人の女のためにここまでする必要があるのか?」
 同じ質問が周期的に落とされる。
 単調さは時には有効に働くことができるが、ジミーの場合はそうでもなく、ウォレンは黙秘を保ったままだった。
 掴んでいたウォレンの髪を乱暴に離し、ジミーはそのゴム手袋をはめた左手をそのままウォレンの肩口に乗せる。
「舌、噛むなよ」
 一言、忠告を与えた後にジミーは右手に所持しているコードの先端部分をウォレンの脇腹に押し当てた。
 瞬間、途絶える直前の呼吸音とともに、彼の全身が強張る。
 まだ死なれては困るため、接触は短時間にとどめ、ジミーはコードと共にウォレンから離れた。
 感電の状態から解放されたウォレンが前屈姿勢をとる。
 呼吸のほか、一時的に脈拍も不規則になったのだろう。それらを整えるのに苦労しているようだ。
 それを尻目にジミーは舌打ちの混じったため息をつき、コードを捨て、ゴム手袋を脱いだ。
 手強いと思ってはいたが、本当に口を割らない。
 苛立ちと焦りが募り、相手の気力体力を削ぐばかりでなくジミー自身も疲労感を拭えない。
 両手で髪をかきあげ、数歩をかけてぐるりと体を回転させ、ジミーは手を下ろしながらウォレンに向き直った。
 肩で息をしている様子が窺える。
 ひとつ息をつき、ジミーは前へ歩を進める。
「……分かった。ならこれはどうだ」
 足を止めれば、ウォレンが軽く頭を上げる。
「報酬の1割やる」
 金の取引など乗ってこないとは分かっているものの、疲れを感じる状態では思考もうまく働かない。
 返ってこない反応に、
「2割」
 と額を上げたものの、興味なさそうに視線を外されるのみだった。
 だろうな、とジミーが鼻で笑いを返す。
 室内は幾分か前に消えていった雨音により、外の音が聞こえやすくなっていた。
 光を完全に遮断できないカーテンが人工的な光の到来をつげ、次いでエンジン音が届く。
 窓際に足を進めて外の様子を見ると、ピザの宅配業者が来たらしかった。
「ステュ」
 名前を呼びつつ廊下へ向かう。
 何だ、と顔を出した彼に、ピザを受け取るよう促した。
 ステュの足音が遠ざかると同時に、玄関のチャイムが鳴る。
 ジミーは室内に戻り、ステュが宅配業者とやり取りをしている間、念のためにウォレンの口を塞いでいた。
 ピザが届いたことを認識すると、空腹の度合いが一段と増す。
 何事もなく業者が去ったらしく、玄関のドアが閉められる音が聞こえた。
 ウォレンの口から手を離せば、彼が煩わしそうに首を振り、咳をした。
「お前も食うか?」
 言うだけにとどめ、ジミーは見下ろす形でウォレンを見たが、彼は何も聞こえていないといった様子でどこか適当な場所に視線をやっていた。
 考えるよりも先に右手が動き、ウォレンの喉を掴んで強制的に前を向かせる。
「少し時間をやる」
 告げた後、手を離す。その流れのまま右の拳を繰り出し、思いっきりウォレンを殴った。
 勢いのまま椅子ごと彼が床に崩れ、派手な音が響く。
「傷の具合と相談してよく考えろ」
 そう吐き捨てたジミーの背後から、彼の名前を呼んでピザが来たことを告げるアロンソの声が聞こえてくる。
 振り返って了解の返事を返し、ジミーはもう一度床に転がっているウォレンに視線を落とした。
 動作が緩慢な様子から、相当参っているだろうことが分かる。
 踵を返して彼に背を向け、ジミーは腹ごしらえをしに居間へ向かった。
 ざり、と靴音に混じってガラスが踏まれる短い音が耳に入り、ウォレンは床に倒れた状態のまま、視界からジミーが消えるのを確認した。
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