IN THIS CITY

第3話 Unspoken Truth

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13 Been a While

 目の前のモニターをじっと見つめる。
 画面に表示されている写真は正規の資料ではないのだろう。隠し撮りされたような角度だった。
 いつの間にか前屈みになっていることに気づき、エリザベスはソファの前のテーブルに置かれているノートパソコンから顔を遠ざけた。
 目だけを横に動かして隣の様子を窺えば、エリザベスとは逆向きに、TJも同じような姿勢で窓際の机の上の画面に向き合っているのが見えた。
 元警官なだけあって被害者との接し方をよく心得ているのだろう。彼女はエリザベスの身に自分自身を置き換えて状況を見てくれている。そんなTJの対応は、安心を得、信頼するに十分な温かさが備わっていた。
 不安は当然のことながら去っていないが、彼女のおかげで精神状態は落ち着いている。
 何故このような事態に陥ったのか、その根元に関する情報については、相変わらずエリザベスには心当たりがない。だが、知らない間にもそれに繋がるだろういくつかの手がかりは浮上してきているらしかった。
 液晶画面に表示されているストリートギャングに関する資料は、TJが彼女の古い友人を通じて入手したものである。
 少しでも助けになるのならば、と襲ってきた男の顔の認証作業を行ったが、やはり知った顔は存在しなかった。裏路地で追ってきた2人はステュ・ヒューイットとアロンソ・ドミンゲスという男で、幇助罪や窃盗といった前科があるらしい。人相は確かに悪いとは思うが、アロンソに関してはエリザベスと同じような年齢だった。
 成人しているとはいえ、日々の生活ではまだ大人にはなりきれていない、と感じることもある、そんな年齢だ。
 もう1人、この顔に見覚えはないか、と提示された写真の男は、ジミー・シモンズというらしかった。彼も前科があるようだが、武装強盗や暴行など、ほかの2人よりも重そうな響きをもっていた。
 見たことがあるような、ないような、記憶がはっきりしていない。ただ、見たことがあるとしたらあの一連の銃声のときだろう。
 車から出てきた男と一瞬だけ目が合った。彼に似ている気がする。
 特徴を思い出そうとするのだが、銃声のほかは断片的な映像しか再生できず、確証がもてない。
 構わないのよ、とTJは言ってくれたが、あやふやな記憶の自分に対してエリザベスは情けないと感じていた。
 ウォレンを撃った男かもしれないというのに、そして彼の居場所に通じる情報かもしれないというのに、はっきりと覚えていないなどふがいなさすぎる。
 あれからどれくらい時間が経っただろう。随分と長く感じられる。
 ふと、携帯電話に意識がいく。
 アレックスは、彼は元気そうだったと言っていた。エリザベスにはそれが本当のことなのか、自分を安心させるための嘘なのか、判断はつかなかった。
 いずれにしてもウォレンは銃創を負っている。その上、ストリートギャングに所属しているような輩に連れて行かれたとなると――
「――疲れた?」
 思考を遮って聞こえてきた声に、エリザベスはいつの間にか自分が両手で目の上から額にかけて押さえていたことに気づいた。はっとして手を離し、左の窓の近くに座っているTJを見る。
「休んでていいのよ。あなたのおかげで不明だった1人の身元も割れたし」
 助かったわ、とTJが笑みを見せる。
 幾分か救われた気がし、エリザベスも微笑を返すと口を開いた。
「大丈夫。ひょっとしたら、思い出したり、何か見つけたりするかもしれないし。それに、じっとしているよりも手を動かしていたほうが、落ち着けるから」
 疲労感はあるが、目を閉じても恐らく眠ることはできないだろう。
 エリザベスの返答を受け、TJは、そう、と頷く。
「強いわね」
 言われた一言に対し、数瞬の間TJを見た後、そうではない、とエリザベスは首を振って視線を落とした。
 自分の脆さは誰よりもよく知っている。
 気づかれないように隠して、崩れないように必死に保持しているだけなのだ。
 長い瞬きをし、顔を上げるとエリザベスは液晶と向き合った。
 そんな彼女の様子を、TJは温和な目で見守る。
「あいつもちゃっかりしてるなー」
 独り言のように呟かれた言葉に、エリザベスが再びTJを見た。
「なんでもないわよ」
 気にしないで、と微笑を投げ、一旦液晶画面を見、軽快なタイピングの音を響かせるとTJはエリザベスに視線を戻した。
「ところでウォレンはあなたのことなんて呼んでるの?」
 問われ、一瞬の間を置いた後にエリザベスは素直に答えた。
「リジー」
 なるほど、とTJが相槌を打つ。
「私もリジーって呼んでいいかしら? それともリズ? ベス?」
 最後の愛称を聞き、エリザベスは首を振った。
「リジーでいいわ。友だちもそう呼んでいるから」
「オーケー、リジー」
 改まって呼ばれると気恥ずかしく、エリザベスは照れを隠すように軽く下を見た。
 だがTJが、アレックスに頼まれたから、という理由だけではなく五感で感じられる形で距離に縮めてくれたことで、心の中の錘が軽くなった。
 気持ちの波の動きを見ているかのように、谷に差しかかっているときに温もりを提供してくれる。
 縋りたいと思う甘えを、無条件に受け入れてくれる。
 誰かに似ている、と思うと同時に、無意識にエリザベスの口から感謝の言葉がこぼれ出た。
 瞬時にはその意味を捉えられなかったTJだったが、やがて微笑むと礼に対する返事をエリザベスに返した。
 室内に訪れた静かな時間が経過したとき、ベルが鳴った。
 アパートの玄関に客が来たことを知らせるものだった。
 その音に、エリザベスの顔に不安の色が表れる。
 ちょっと待って、とTJが無言で彼女に告げ、キーボードを叩くと何らかの操作を行った。
 彼女が向き合っている机の上には液晶が2台並べられており、その内のひとつの画面が何かの映像に切り替わる。
 注意して見てみれば、アパートの入り口に設置されている監視カメラのものらしかった。
 白黒ではあったが解像度は高いらしく、カメラに向かって胸の辺りに小さく手を上げる女性の姿が映し出されている。
 画の中の予想とは違う物静かな佇まいの女性に対し、誰だろう、と疑問を持つエリザベスの隣で、TJが、あら、と声をもらす。
「コニーだわ」
 椅子から立ち際にエリザベスを見、
「安心して、私の友人よ」
 と一言告げると開錠のために玄関へ向かった。
 彼女の背中を見送り、エリザベスは液晶に目を戻す。
 ドアが開き、アパートの中へ足を進める紙袋を持った女性の姿が見えた。


 車の中でギルバートと少しの間やりとりをした後、TJは一応の経過報告をコニーにしたのだが、彼女もまた気がかりであったらしい。
「コニー、どうしたの?」
 ドアを開けて招きいれ、TJが言葉と同時に手を動かして尋ねる。コニーは返事の変わりに紙袋を彼女に見せた。
 中には食材が入っている。
 なるほど、と頷いた後でTJが疑問調で顔を上げる。
「あれ。モーリスの夕食は放っておいていいの?」
 その問いに、いいのよ、とにっこり笑ってコニーは答えた。
 彼女が見せた表情に、ひょっとしたら夫婦喧嘩の最中なのかもしれない、とピンとき、TJはゆっくりと頷くとそれ以上のことは聞かないことにした。
 ふと、コニーがTJの後ろを覗くように顔を傾げる。
 それにつられTJが振り返れば、ソファから腰を上げたエリザベスの姿が見えた。
「あ、紹介しなきゃね」
 一言彼女に告げ、TJはコニーを促した。
 途中のテーブルの上に紙袋を置き、TJに続いてコニーがエリザベスのところまで足を運ぶ。
「リジー、こちらはコニー」
 声だけではなく手話を使って伝えているTJを見た後、エリザベスがコニーに視線を移す。
 初めまして、とコニーの口が動き、手が差し出される。
 同じように挨拶をし、エリザベスは長くきれいな指を持ったコニーの手を握った。
「コニーも状況の分かる人だから、今日の一件を話してあるわ。だから何でも相談していいわよ」
 そうよね、とTJが確認すれば、コニーが頷く。
 その後彼女が手を動かしてTJに何かを伝える。
 無音のやり取りを目で追うエリザベスの前で、そうね、とTJが呟き、次いで彼女がコニーから視線を移した。
「言葉に甘えて私は情報収集に戻るわ。何かあったら呼んでね。と、いってもすぐそこにいるけど」
 作業に使っているパソコンを指し、TJが軽く口元を上げる。
 了解の小さな声を出し、エリザベスは奥の机に向かうTJを途中まで見送った。
 少しばかり緊張しながらも再びコニーを見る。すると彼女が、ちょっと待ってね、と片手で伝え、ソファの元へ足を運んだ。
 彼女の動きを目で追えば、これ使っていいかしら、とコニーがノートパソコンを指で示して尋ねてくる。使用方法を察し、ええ、と頷いてエリザベスもソファへ向かった。
 コニーの隣に座ると、彼女が画面をエリザベスに見せる。
 画面上には早速にテキストエディタが立ち上げられており、そこには文字が書かれてあった。 
『突然ごめんなさいね。でもTJだときっと適当な食事しか出さないと思って』
 文字を読んだ後でコニーを見ると、彼女が居間のテーブルを指した。
 振り返ると、紙袋が赤と黄のパプリカを覗かせつつ置かれているのが見えた。
 顔を戻した先、TJを気にするように、内緒よ、とコニーが唇に人差し指を当てる。
 その仕草がやけにいたずらっぽく、エリザベスは、ちら、とTJの様子を窺いながら微笑を返した。確かにTJの料理の出来の程は、室内の雑然とした光景からも想像することができる。
 くすりと笑いを忍ばせる2人の気配を感じ取ったか、TJが手を止めて振り返った。
 何、と軽く手を広げて尋ねてくるTJに、何でもないわよ、とコニーが答え、自然に視線を逸らす。
 数瞬に及ぶ疑問を持ちながらも、TJは軽く眉を上げると再び作業に取り掛かった。
 エリザベスも顔を戻し、手元のノートパソコンに向ける。
 暫くの間の後、手を伸ばすと画面上に文字を打ち込んだ。
『さっきTJが言っていた「モーリス」って名前の人、ひょっとしてインテリア・デザイナーの?』
 もしそうであれば、TJやコニーがアレックスやギルバートと親しいことや、ウォレンを知っていることに対して納得がいく。
 エリザベスの視線を受けつつ、コニーが手馴れたタイピングの音を静かに鳴らす。
『そ。私の夫なの』
 返答を見、エリザベスは頷いた。
「彼のこと、知っているの?」
 コニーの声が聞こえてき、エリザベスは彼女を見た。
「ウォレンから、少しだけ聞いているわ」
 目を見てゆっくりと告げる。
 エリザベスの口の動きに集中し、コニーは、そう、と頷いた。
『この前の件では彼に助けてもらったわ』
 表示された文字に触発され、数ヶ月前の事件のことがエリザベスの頭を過ぎる。
 ウォレンはあの一件に関して詳細を語らなかったし、エリザベスもまた聞くことはしなかったが、概要はまだ記憶に新しい。
 殺人容疑が晴れた後も、例によって暫くの間マスコミは盛り上がっていたが、結局埋められているモーリスの過去を掘り返すまでには至らず、逆に彼の名前の宣伝の役割を担う結果となり、一連の事柄は収束していった。
 思い返すエリザベスの隣、コニーがキーボードの上で指を動かす。
『今のあなたの気持ち、よく分かるわ』
 打たれて浮き出た画面上の文字が目に映る。
 何の変哲もないフォントだ。
 だがそこから真実味が伝わってき、エリザベスはコニーを見た。
 彼女の人柄をそのまま表したような穏やかな薄茶色の瞳の中、昔を思い出しているだろう色が表れている。
 遡るのは数ヶ月前までだけではない様子であった。
 コニーが呈した色は恐らく、現在のエリザベス自身の瞳の中に存在するものと一致するだろう。
 モーリスは、噂として取り上げられるほどの過去を持っている。
 どれくらいの月日かは知らない。しかしコニーは、そんな彼をずっと側で見てきたのだろう。
 口を閉じ、本人は気づかないながらもエリザベスは真摯な眼差しをコニーに送った。
 その先で、コニーがゆっくりと言葉を紡いだ。
「心配ないわ」
 今日一日、違う声で何度も聞いた一言。
 だがコニーの口から告げられたその言葉は、より深く、広範囲を包み込むように感じられた。
 彼女の言うとおり、大丈夫なのだろう。
 心強さを握り締め、エリザベスは頷きを返した。
 強くいられれば現実もそれに倣う、とTJは言っていた。
 それを真にするためにも、己の芯を揺るがせてはならない。
「やった!」
 暫時2人を取り巻いた空気の中、突如としてTJの大きな声が割り込んできた。
 驚いて振り向くと、片手でガッツポーズを決めた彼女が笑顔で2人へ向き直った。
「あ、大きな声だしてゴメンゴメン。えーっと、『キース』って名前の男にはまだ辿りつけていないんだけど、とりあえず今分かっている3人について色々と調べてたの」
 有用な情報を見つけたらしい様子に、エリザベスとコニーはソファから立ち上がってTJの元へ足を運んだ。
「ニューヨーカーらしいからここの地理には疎いはずなのに、うまいこと隠れているから何かあるかなって思って。そしたら、このアロンソって男が毎月決まった口座に一定額を送金していてね。その相手の家が――」
 くるりと液晶を回し、TJが2人に画面を見せる。
 彼女らが覗き込めば、住所が記載されているのが目に映った。
「――ウォレンもここにいるかも」
 ひとつの可能性を示唆し、笑みを投げつつ、TJは携帯電話を開いた。


 狭い空間。
 走行に伴う振動が、背中全面を這っている。
 侵入してくる排気ガスの臭いが気持ち悪さを駆り立てるが、それ以上に恐怖が体全体を支配しており吐き気など感じている余裕がなかった。
 視界を得ようともがくが、両手を縛られた上に幅にも高さにも制限のあるトランク内に放り込まれ、目隠しを取ることはおろか体を動かすことすらままならない。
 大きく声を出してみるものの、口に咬まされた布に音が吸収され、外まで届くことはなかった。
 何度目かになるパニックに陥り、グレイスは力の限りトランクを内部から叩いた。
 唯一、両足だけは自由だ。
 折り曲げられた状態では十分に蹴り上げることはできないが、それでも膝で叩き上げることは可能である。
 皮膚を打つ金属音が耳に入り、自分の身が置かれている状況について聴覚を通して再認識し、混乱する頭に拍車がかかった。
 喉が痛むほど叫ぶが、体の内部には響くものの外部には伝わる前にくぐもった音に変換されてしまう。
 その時、ブレーキがかけられたらしく体が側面に押し付けられた。
 当然のことながらトランクを叩き上げる音がなくなり、膝の鈍痛だけが残された。
 続いてドアが開く音がしたことで、信号待ちの停車でないことが分かる。
 殺される、という恐怖がグレイスを覆った。
 呼吸が急激に荒くなり、なりふり構わず無我夢中で声を上げて暴れた。
 すぐ隣で鍵が開く音がし、やがて目隠し越しに明かりを感じる。
 得もいわれぬ緊張が走り、グレイスが身を竦めた。
 人の気配を感じたと思えば、強い力で腕を掴まれ上体を起こされる。怯えた声を出すが逆らうことはできず、更に引っ張られる。
 トランクから出ろ、ということらしいが、体がうまく機能しない。
 足を出し際にトランクの縁に引っかけてしまう。が、相手はそんなことなどまったく気にしない様子で急きたてる。そのせいでグレイスはバランスがとれずに正面から地面に倒れ込んだ。
 湿り気を帯びたアスファルトが両手の小指側の側面を摩り下ろす。
 同時に肘やら膝やらをしたたかに打ち、グレイスは痛みの声を上げた。
 その声が、徐々に救いを乞うすすり泣きへと変化していく。
 膝をつき、両手で地面を押して上体を起こす。
 後頭部の背後で金属音がした。
 例え耳にしたことがなくても、この状況ならば誰もがその源が何を意味するのか察することができるだろう。
 いよいよ死を間近に感じ、グレイスは泣きながら首を横に振った。
 ふと、口に巻かれている布が引っ張られた。
 一層怯えた声を出せば、静かにしろ、という子音のみの長い吐息音が聞こえてくる。
 言うとおりにする、と懸命に首を縦に小刻みに振る。
 すると、布に力が加えられ、その後に口周りに感じていた圧力が弱まった。
 するりと後方へ布が去り、久しぶりに口の中に空気を感じる。
「し、知っていることは全部話しただろ? ――だから殺さないでおくれよ。あ、あたしを殺したって何の得にもなりゃしないんだから、――だから頼むから――」
「黙れ」
 低い静かな声が後方から落ちてき、グレイスは、分かった、分かった、と短く小さく唱えながら首を縦に短周期で振動させた。
 体全体が震えているのが分かる。
 暫く無言の時間が流れ、グレイスの中で徐々に不安が膨張していった。
「手を上げろ」
 間が置かれて聞こえてきた命令に、一瞬反応が遅れる。
「上げろ」
 急かされはしなかったものの2度目が届き、慌ててグレイスは縛られている両手を上げた。
 手首にくいこむ縄はプラスチック製だろうか、いずれにしても皮膚が締めつけられて擦り切れている感覚が痛かった。
「もっと高く」
 突きつけられる注文どおりにグレイスは両手を頭の上まで持っていった。
「た、頼むから――」
「黙れ」
 請願も断ち切られ、絶望が彼女にのしかかる。
 ぶつりと何かが切れる音がし、両手が互いに引き合う力がなくなった。
 手が自由に動く。
 解き放たれた意図を理解しかねるグレイスの後方から、
「頭の後ろで指を組め」
 との指示が落とされる。
 手首の痛みなど気にする余裕もなく、言うとおりに素早く両手を後頭部で組んだ。
 いまだ目隠しは外せていない。
 この後の自分の状態が予測できず、グレイスは普段信じてなどいない神の名を口に出して祈りを捧げ続けた。
 救いを求めることで頭が一杯だったか、彼女は人の気配が去っていくことに気づかず、また車のドアの開閉音も耳に入らなかったらしい。
 走行音が遠ざかって十分な時間が経った後、ようやくおかしいと思ったか、グレイスが祈りの言葉を途切れさせた。
「……ま、まだそこにいる?」
 尋ねてみたが、言葉は返ってこない。
 暫時の躊躇を経、グレイスは思い切って両手の指を開いて頭から離した。
 様子を窺うが、何の反応もない。
 目を覆っている布を下ろせば、建物に囲まれた路地裏であることが分かった。
 後ろを振り向いてみる。
 が、そこに人影は存在せず、同じような閑散とした細い路地が続いているのみだった。
 命拾いした、と緊張が一気に抜け、グレイスは目を閉じるとへたへたと腰を地面に下ろした。


 橙色の街灯が時折ハンドルの上部を明るく照らす。
 グレイスを拘束するために使っていた布きれとジップタグを適当なゴミ箱に捨てた後、アレックスはギルバートの経営するバーへと車を走らせていた。
 セスの様子からして、グレイスに見張りがついていると考えていたが、無用の心配に終わり、あまり苦労することなく彼女を捕えることができた。
 グレイスはどうやらジミーとちょっとした知り合いだったらしく、少しばかりの脅しをかけたところ、彼のモーテルの場所を聞きだすことができた。
 予想していた通りそこには誰もおらず、ウォレンの居所についての情報は得ることはできなかったが、まったく収穫がなかったわけではない。
 ジミーが身の回りの物を詰め込んだであろうバッグの中に望遠レンズが備わっているカメラを見つけた。
 雑に扱われている様子が見て取れたが、メモリ内には多数の写真が保存されていた。
 腕はあまりよくないらしく、ピントがずれているものがほとんどであった。エリザベスの身辺を探ったであろう写真も存在したが、それよりもずっと以前に撮影されたものが気にかかる。
 街の様子からこの近辺で撮られたものではないことが分かる。恐らくもっと上の州、おそらくNYでのものだろう。
 ハンドルを握りつつ、このデータをどうするか、と思案したとき、携帯電話が着信を告げてきた。
 取り出し、発信者を確認する。
 表情を変えないまま、アレックスは携帯電話を耳元に持っていくと、もしもし、と返事をした。
 続いて聞こえてきた声とその調子に、目を閉じて一度通話部を口から遠ざけ、息を吐く。
 片手でハンドルを操作しながら、アレックスは気楽に現在地を確認した。
「や。久し振りだねぇ、ウォレン」
 ちょっとした皮肉を交えれば予想通りの反応が返ってき、アレックスは相手に気付かれないように表情を和らげた。
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