IN THIS CITY

第3話 Unspoken Truth

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09 Now I Know Who You Are

 電子音のメロディーが空間を流れる。
 ウォレンからの着信であることをアレックスとギルバートに告げた後、エリザベスは安堵と不安の混じった感情を抱きつつも携帯電話を開くと通話のボタンに指を当てた。
「エリザベス、待ちなさい」
 力を入れる寸前、アレックスの声が鋭く届いてき、彼が右手でエリザベスの行動を制しながら足を進めてきた。
 エリザベスの中で、安堵ではなく不安が膨張する。
 固まる彼女の元まで辿り着くと、アレックスは右手を返し、手のひらを上に向けた。
 メロディーが繰り返し流れる中、エリザベスは戸惑いながらも携帯電話をアレックスに渡す。
 数瞬エリザベスと目を合わせた後、アレックスは視線を落とした。
 小さな電子機器の画面上、確かにウォレンの名前が表示されている。
 だが通話の相手が彼でないことは直感的に分かった。
 別れてから十分すぎる時間が経っている。状況的にみても、エリザベスのものではなくまず自分の携帯電話のほうに連絡がくるはずだ。
「ギル」
 言いつつアレックスが振り返る。
 彼の意図を察し、ギルバートは足を動かすとエリザベスを誘導した。
 不安と疑問の色を呈しながら彼女がアレックスとギルバートを交互に見やる。
 心配ない、と視線だけで答えになっていない答えを返し、アレックスは奥へ去っていく2人に背を向けた。
 可憐なデザインの携帯電話の通話ボタンに指を当て、押す。
 一呼吸、整える時間をとる間に、右手を耳に持っていく。
「……もしもし?」
 いつもよりも重く低い声が、アレックスの口から出てきた。


 呼び出し音が耳元で何度も聞こえる中、ジミーは辛抱強く相手が出るのを待った。
 居間のテレビは消され、代わりに降り出した雨が激しくなる音が、エアコンの稼動音の間を縫って外から届いてき、室内を満たしている。
 視線は先ほどステュから手渡された、エリザベスの携帯電話の番号が書かれている紙に落とされている。
 この小一時間、メイスとかいう男を問い詰めてはみたものの、軽くかわされるだけでエリザベスの居場所も番号も聞き出すことはできなかった。
 その間に、いつの間にかこの地でツテを作っていたらしく、ステュが彼女の番号を入手してきた。
 彼が得た情報に頼ることはできるなら避けたかったが、時間は容赦なく進む。
 ジミーはぐっと感情を押さえ込み、こうして今、電話をかけているところだ。
 が、なかなか相手が出ない。
 キッチンの上のビール瓶を手に取り、一口飲めば、ソファに座って様子を窺っているアロンソが目に入る。己の提示した案が流れるように運ばれていないということを気にしているのか、小さく見えた。
 ジミーはふと右に視線を移動させ、廊下を挟んで男を拘束している部屋を見た。
 息がしにくくなるんだが、と言うウォレンに対し、黙れ、と命じるステュの声が聞こえた後、ダクトテープが裂かれる音がした。
 いらぬ口出しをされては困る。
 ウォレンの口が封じられたのを見届けた直後。
『もしもし?』
 不意に聞きなれない声が聞こえてき、ジミーは居間に意識を移した。
 声の源は、だが携帯電話からだった。
 予想もしていなかった低い男の声に、ジミーは戸惑った無言の反応を送る。
『……どちらさんかな?』
 続いて聞こえてきた言葉は、落ち着いた重い雰囲気を伴っていた。
 エリザベスが出るはずだったが、明らかに違う。番号を間違えたか、と思ったがそうではない。
「……あんた、誰だ?」
 問えば、ソファでアロンソが眉をしかめるのが見えた。
 ジミーはその視線を避け、体を回転させた。
 途中、ウォレンがこちらを観察していることを感じ取る。何も告げてはいないが、一連の様子からエリザベスの番号が割れたことは察しているだろう。
 ジミーはそのまま、彼からは死角となるキッチンの奥へと足を進めた。
『最初に尋ねたのは、俺のほうなんだけど』
 耳元に届く、ゆったりとした口調。
 ふと、ジミーの脳裏に先ほどの路地で見かけたブロンドの男が過ぎった。
 間違い電話の対応にしては、いささか不適切だ。彼である可能性は高い。
 となると、相手はエリザベスを匿っているはずである。
 予定とは違う台本となるが、彼女に辿り着くことはできそうだ、と自信を持ち、ジミーは口元を緩め、息を吸った。
「確か、路地裏で会ったな?」
 その言葉を受け、アレックスは電話口の相手の顔を浮かべた。
 路地で会った、となると、相手は一瞬の躊躇もなくウォレンを撃った男だ。
 その後の彼の動き方をみれば、攻撃的な性分だろうと考えられる。
 それと聞こえてきた声調を照らし合わせれば、電話越しの男がどんな表情をしているのか、アレックスは簡単に描くことができた。
 しかし、高圧的だとはいえ、電話を受け取った直後の反応を考えると、付け入る隙はあるだろう。
 対応の仕方をざっと練り、アレックスは口を開けずに声を発し、ジミーの問いを肯定した。
 その音が、ジミーには弱く聞こえたらしい。
「女を連れて逃げおおせたようだが、残念だったな」
 持ち札の利はこちらにある、とジミーは眉を動かし、片足に体重を預けると続けた。
「メイス・レヴィンソンとかいうお仲間は『大切に』預かっているよ」
 わざとらしく強調し、最後に笑いを含めた。
 功を奏したか、受話部は無音のままだった。
「それで――」
 余裕を持たせて息を吸う音を大仰に通話部に落とし、ジミーは続ける。
「――俺は今、誰としゃべっているのかな? そして女はどこにいる?」
 遊びの入った口調で言えば、ジミー自身を相手よりも強い立場にいると感じさせる。
 だが、その心地は長くは続かなかった。
『まぁ、俺の名前も彼女の居場所もどうだっていいじゃないか。それよりもメイスと話がしたいんだけど――』
 重みが消え、逆に軽くなった声音。
 予想していた返答とかけはなれており、また、かけたはずの圧力がさらりとかわされ、ジミーは反らせていた姿勢を正した。
『――彼と代わってくれる?』
 声を受けてジミーはウォレンがいる部屋を見やった。が、壁に阻まれて様子は窺えない。
 足を動かしてキッチンから出、改めて部屋に視線をやる。
 視界の端に動きを捉えたか、ウォレンがジミーに顔を向けた。
 瞬時、目と目が合う。
 反射的にジミーは彼に背を向けると、再びキッチンへと引っ込んだ。
「……断る」
『今おたくの近くにいるんでしょ? 彼とちょっと話があるんだけど』
 聞こえてくる相変わらずの口調に、ジミーは足を止めた。
 主導権など意に介していない様子であるのに流れを引き寄せているところが頭にくる。
「無理だな」
 どちらが力を持っているのかはっきりさせるように、ジミーは強く断定的に切って捨てた。
 受話部に意識を集中させ、相手の反応を窺う。
 無言、ということは、効いたのだろうか。
 しかし彼の期待を裏切り、再び重くなった声が聞こえてきた。
『……彼は無事だろうね』
 疑問ではなく確認する口調のその声は、背中からかかってきているように感じられた。
「どうかな?」
 負けてはならない、と低い声で答え、再び反応をみる。
 無言という返答は、やけに時間を長く感じさせるものだ。
 十二分な沈黙の後、
『……分かった』
 と、かすれの入った弱い声が聞こえてきた。
 屈したか、とジミーが口元を緩めた直後。
『無事でないならこちらは彼女を連れて消えるまでだ』
 重さのない、テンポの速められた、淡々とした口調。
「なに?」
『彼女の安全があいつの望みだからね。無事でないのなら「救出」という項目はリストから外せる。おたくらとのおしゃべりの時間も無駄だ。切るぞ』
 語尾が遠のく気配を感じる。
 ここで切られると二度と繋がらないような気がし、ジミーは慌てて、
「おい待て!」
 と大声で制止した。
 居間のアロンソが驚くのが視界に入ったが気にしてはいられない。
 立ち上がる彼をビール瓶を持っている左手で制し、受話部に耳をすます。
 外から入ってくる雨音が邪魔だったが、暫く経った後、相手が電話口に戻ってきた様子が伝わってきた。
 が、無言のままだ。
「……もしもし?」
 確認すれば、聞いている、との返事が返ってきた。
 安堵か、それとも何か他の感情を代表したのか、ジミーの口からため息が漏れた。
「……安心しろ。ヤツは生きている」
 死角にいるため様子は見えないが、ジミーはウォレンのいる部屋の方向を一瞥した。
『その言葉を信じろと?』
「そうだ。生きて返してほしければ――」
『無理な話だな』
 話を持ちかけようとした矢先、言葉を途中で遮断され、ジミーは口を閉じた。
 視線を落とし、眉間を掻く。
「――いいか、俺たちとしては女の居場所を知る手がかりはヤツだけだったんだ。殺すわけないだろう」
 理由を述べるが、どうかな、と一言寄越しただけで相手には一向に信用してくる気配がない。
「……女の居場所を言えばヤツの命は保障す――」
『まずは無事を確かめる。話はその後だ』
 無理に取引に持ち込めば、再び言葉を切られた。
 譲らないという頑なな姿勢が電話越しに伝わってくる。納得する証拠でも提示しない限り、説得は難しそうだった。
 ジミーは顔を上げ、焦点を合わすでもなく前を見た。 
 声を聞かせる程度ならば、問題はないだろう。それで取引へこぎつけるのなら、このくらいの譲歩は許してやってもいい。
「……一言だけだ」
 強く念を押し、廊下へ体を向けた。
『構わんよ』
 間を置いて聞こえてきた声を確認した後、ジミーはウォレンを拘束している部屋へ向かった。
 背後にアロンソがついてくる気配を感じる。
 部屋に入り際、ウォレンがちらと視線を寄越してきた。
 それを忌々しげに見下ろすと、ジミーは持っていたビール瓶を入り口の隣の棚の上に置いた。ステュやアロンソも持ち込んだのだろう、瓶は他に2本ほど存在していた。
 代わりに拳銃を手に取り、振り返る。
「ステュ」
 ダクトテープを外せ、と指示しながら、ゆっくりとウォレンの括りつけられている椅子へと歩を進める。
「あんたのお仲間が、声を聞きたいらしい」
 携帯電話を見せ、次いで左手に所持している拳銃を提示する。
「余計なことを言ったらすぐに撃ち殺す。分かったか?」
 凶器をちらつかせるものの、それに目をくれることもなくウォレンは目を合わせてきた。
 頷きもせず、さして興味なさげに椅子の背に体重を預けている。
 理性を働かせて募る苛立ちを極力抑え、ジミーはステュを見やった。
 彼がウォレンの口を塞いでいるダクトテープに手をかけると同時に、ジミーは銃口を額に向ける。
 ざっ、と鈍い擦過音がした。
 ダクトテープというものは、ゆっくりはがしても勢いよくはがしても痛いものは痛い。
 口周りにまとわりつく嫌な痛みに対し、心の内で言葉を吐き、ウォレンは久しぶりに口から息を吸った。
 つと、左耳の横に携帯電話を近づけられる。
 首を傾いで少し顔を上げれば、ジミーが銃口を更に突きつけてきた。
「話せ」
 落下してきた一言に、ウォレンは視線を前に戻した。
 様子を見る分に、電話の相手は恐らくアレックスだろう。
 あまり時間が取れないということは分かっている。
 静かに息を吸い、ウォレンは口を開いた。
「ヘルズゲート・ボーイズ、NYのストリートギャングだ」
 予想もしていなかった情報がウォレンの口から聞こえ、ジミーとステュが固まった。彼らに遅れて動きを止めるアロンソの姿が部屋の入り口に見える。
「『キース』という名前の男が――」
「黙れ!」
 続けた言葉はジミーの叫びによりかき消され、同時に彼の左腕が動いた。
「ジミー、待て!」
 その後の彼の行動を察し、ステュがジミーの腕を掴み上げる。
 電話先。
 ウォレンの声が遠のくと共に慌しい声が聞こえてきた。
 次の瞬間、銃声が受話部から届いてき、アレックスは顔を上げた。
 無事を確認した直後にこれだ。少なからずの情報を、というウォレンの気持ちも行動も理解できるが、受け取り側としてはやはり気が気ではない。
 空いている左手を額に持っていき、耳に寄せられる音のみの情報に集中する。
 何で知っている、何で分かった、と怒鳴り散らす声に、その主を落ち着かせようとする声が紛れる。アレックスとしては別の声が聞こえてくることを期待したが、荒々しい物音が届いてくる以外は何もない。
 が、補完しなければ単語を拾えないほどにわめき散らす声の合間、通話部から距離があるのだろう、遠いながらも、すぐに口を封じろ、という指示が聞こえてくる。
 ウォレンが無事であろうことが分かり、音に出さずに息をつき、アレックスは左手を額から離した。
 口汚い怒声と共に、ガラスが砕ける音がした。
 部屋の入り口の横の棚に置いてあったビール瓶をジミーが床に叩きつけたのだ。
 まだ液体が残っていたが、大小の破片とアルコール臭を撒き散らし、瓶は無残な姿になっている。
 弾は外れたとはいえ頭の近くで発砲され、右耳だけやけに音が拾いにくい。
 いまだ興奮状態に陥っているジミーを廊下へと連れ出すステュを見送り、ウォレンは行動が遅れがちなアロンソに目を向けた。どうやら薬物か何かをやっているらしい。
「……俺たちを知ってんのか?」
 ダクトテープを破りながらアロンソが尋ねてき、ウォレンは少し間を置いた後、彼の右腕に視線を移した。
 つられてアロンソが自分の腕を見る。包帯が巻かれているため上部は見えないが、そこには確かに、彼が属するストリートギャングの名前が彫られてある。
 口を結び、アロンソがウォレンに視線を戻す。
 彼がダクトテープの切れ端を持って一歩踏み出してきた。
 先ほどのこともあり、できるなら粘着力の強いテープを口に貼られるのは避けたい。
「必要ない」
 言いつつ、ウォレンは遠慮して重心を椅子の背のほうへ移動させる。
「伝えたい情報は伝えられた」
 アロンソが足を止める。
 その表情に不安が広がった。
 3人の中でも一番若い彼は、さほど肝が据わっていないらしい。テープの切れ端を持ったまま、その場に佇んでいる。
 そんな彼から視線を外し、ウォレンはジミーとステュが騒々しく出て行った先を見やった。
 居間へ引き上げたらしく、そこでも何かをわめき散らすジミーと彼を宥めつつもけん制するステュの声が聞こえてくる。
 部屋にはアロンソ1人だ。残る2人の注意は逸れている。逃げるとすれば今が丁度いい機会なのだろう。
 しかしそれも、銃創と、両手が後ろで固定されている、という条件さえなければの話だった。
 まだツキは戻ってきていないらしい、と小さく息をつけば、居間のほうから一際大きく、ガラスの砕ける音が届いてきた。
 両手を頭にやり、ジミーはキッチンを行ったり来たりしている。
 皿を割ったことで幾分か感情は収まってきたらしいが、落ち着きのないことに変わりはない。
 彼の手から引き剥がした携帯電話を右手に持ち、ステュは安全と思われるところに同じく彼から取り上げた拳銃を置いた。
 手元に視線を落とせば、電話がまだ通話中であることに気づく。
 切ればよかったのだが、ステュは右手を持ち上げ、携帯電話を耳に当てた。
 その動作が電話の相手に伝わったらしい。
『新手かな?』
 と声が聞こえてきた。
 嫌な予感がし、切るべきか切らないべきか迷ったところに、更に声が届く。
『誰かな、――「ステュ」、か?』
 瞬間、ステュの脈が跳ねた。
 名前が、バレている。
 何か声を発することができないままに、ステュは携帯電話を握っていた。
『さっきの男はどうした? 確か「ジミー」だったっけね』
 メイスとかいう男が告げたか、と思ったが、彼の口からは自分たち3人の名前は出ていないはずだ。
 咄嗟に顔を上げ、ステュはジミーを見た。しかし彼はキッチンに両手をついて視線を落としていたため、目が合うことはなかった。
『どうやら3人ほどいるみたいだけど、もう1人の名前も教えてくれる?』
「――黙れ」
 出した声は低かったが、思っていたよりも弱かった。
 それに気づいてジミーが顔を上げる前に、ステュは彼から視線を外した。
『NYのストリートギャングが、一体何の用があって彼女を追い回すのかな』
「……貴様に言う必要はない」
 口調を強くしてみたものの、ふぅん、とかわされる。
『ならいいよ。こっちで調べるから』
「……できるのか?」
『お前さんたちの所属組織と名前は割れているからね』
 ぐっとステュは口を閉じた。それが痛手であることは否定できない。
「……確かな情報じゃないぞ」
 足掻いてはみたものの、かもね、という返事が返ってき、追い討ちをかけるように相手は言葉を続けた。
『――だが、「ヘルズゲイト・ボーイズ」というNYのストリートギャングの中で、「BHN7153」のナンバーの車を持つ「ジミー」という人物がいたら、おたくらにとっては相当不利だよね』
 ナンバーまで持ち出され、ステュは再び言葉に詰まった。
 ジミーの車は確かに現場に置いてきたが、ナンバープレートは回収してきたはずだ。
『個人が特定できれば、後は時間の問題だ。ちなみに――』
 動揺するステュの頭の中など知らぬ様子で、電話口の相手は続ける。
『――今のところメイスが無事なのは分かった』
 突如変化した声音に、ステュは嫌な汗を手のひらに感じる。
『あんたらの素性はすぐに知れる。彼の処遇には気をつけることだ』
 釘を刺す口調で告げた後、ステュの返事を待たずに電話は切れた。
 待て、と声を出しかけた中、ステュの耳元には不通を知らせる電子音のみが届いてくる。
 やがて右手が降下して電子音が遠のく。
 振り返り、ジミーと目を合わせたステュの背後、一向に止む気配のない雨の、窓を叩く音が急に大きさを増した。
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