IN THIS CITY

第3話 Unspoken Truth

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21 Apology Accepted

 体が重たい。
 もう一眠り、と枕に顔をうずめれば、違う香りがした。
 疑問に思い、エリザベスは眠りに戻ろうとしていた目を開けた。
 あるはずのない棚が視界に入り、怪訝な表情をする。
 一瞬の考える時間の後、どこ、と跳ね起き、周囲を見回す。
 知らない空間が広がっている。
 再び、どこ、と問いかけつつ、慌てて昨夜のことを思い出す。
 が、バーでけっこうな量を飲んだその後が記憶にない。
 ウォレンは、ともう一度室内を見回せば、ベッド脇に自分の荷物が丁寧に置かれていることに気づく。
 顔を上げると、ドアが目に入った。
 モーテルかと思ったが、それにしては雰囲気が違う。
 疑問の中、とりあえずエリザベスはベッドから足を下ろした。
 ふらつかずに立てるところをみると、気だるい感じはするものの、酔いは残っていないらしい。
 ドアまで足を運ぶとそっと開き、様子を窺った。
 一般の家らしい見覚えのない画の先、階下から知った声が届いてき、エリザベスは小さく息をついた。
 階段に向かう中、大人びた女性の声と、男性の声も聞こえてくる。
 その内女性の声のほうには聞き覚えがあった。
 ゆっくりと下りつつ、声の聞こえるほうを見れば、テーブルを挟んで座っている3人の姿が見えた。
 ふと、シェリがエリザベスに気づき、ついで彼女につられてウォレンが振り返る。
「おはよう」
 席を立つシェリから声がかかってき、エリザベスは口元を緩めて同じ挨拶を交わした。
 キッチンへ去っていく彼女を少し見送った後、視線を移動させると、しっかりした体格の大柄な男性と目が合った。 
「よく眠れたか?」
 男性の手前から聞こえてきたウォレンの声に、彼に視線を移す。
 ええ、とエリザベスが返事をしようとしたとき、
「散々飲ませておいて、何が『よく眠れたか』だ」
 と男性が揶揄するような口調でウォレンに告げた後、目を合わせてきた。
「ようこそヤング家へ。俺はジュリアスだ」
 大きな手のひらを見せ、ジュリアス・アーサー・ヤングがにっと笑う。
「おっかなそうな人でしょ」
 隣からの声に振り向けば、シェリが水の入ったグラスを差し出してきた。
 彼女の放った一言を笑って受け止め、ジュリアスは重心を少しだけ前に移動させた。
「ジェイと呼んでくれ。こう見えてもレディーには親切だ」
 それを聞き、否定はしないわ、とシェリが頷く。
「私はシェリ。ジェイは私の旦那。よろしくね、エリザベス」
 短時間でもバランスのとれた夫妻であることが見て取れ、こちらこそ、とエリザベスは思わずこぼれ出た微笑を返した。
 その様子を見たジュリアスが前かがみとなり、テーブル越しに座っているウォレンに何か一言告げたようだが、それに対するウォレンの返答ともども、小声のためエリザベスには聞こえなかった。
 気になるという目を向けたところ、ジュリアスが椅子の背へともたれかかり、ウォレンを指差した。
「ちなみにこいつとは、こいつが家出していたときに知り合った」
「ジェイ」
 不意打ちに聞こえてきたジュリアスの言葉に、ウォレンがすぐさま否定を入れるが、
「イメージダウンさせちまったか?」
 と軽くあしらわれるのみに終わった。
「……言っておくが家出じゃない」
「どうせ似たようなモンだったんだろ」
「適当にモノを言うな」
 ジュリアスに釘を刺した後にウォレンがふと振り返り、エリザベスと視線が合った。
「リジー、彼の話は――」
「さてと」
 何か言いかけたウォレンを遮り、ジュリアスが腰を上げる。座っているときでも、体格の良さに加えて背が高いことは見て取れたが、立つとそれが更に強調された。
「メイス、お前ちょっと手を貸せ」
 ジュリアスを振り返り、ウォレンが無言の疑問を送る。
「一宿一飯代だ。仕事、手伝え」
 思考を切り替える一瞬の間の後、そういうことなら、と納得してウォレンが席を立つ。
 彼がエリザベスに何か言おうとしたところ、またもや邪魔が入り、ジュリアスの腕が首に回された。
「申し訳ないが、暫くの間、こいつをお借りするよ」
 にっと笑い、ジュリアスが玄関へと足を転じる。
 引きずられる中仕方なく、ウォレンは目と手でかろうじて、また後で、とエリザベスに告げた。
 起きたての頭の中、エリザベスは片手を小さくあげ、ジュリアスとの対比で小柄に見えるウォレンを見送った。
 玄関のドアが開かれる頃になり、ようやくにジュリアスの腕をほどいたらしく、崩れていたバランスをとり直すウォレンの姿が見えた。
 背中を叩く音がそこそこの音量で届き、続くウォレンの咳き込みが閉まるドアの前に聞こえてきた。
「慌ただしくてごめんなさいね」
 いつもは違うんだけどね、とシェリが隣で呟く。
「お酒はどう? 残ってる? 昨日ついつい出しちゃったから」
「いえ、大丈夫です」
 そう告げた後、エリザベスは水を口に運んだ。
 喉が渇いている以外、特にアルコールが残っている感覚はない。
 強いわね、と感心したようにシェリが呟く。
「それじゃ、何か食べるものを用意するわ。どうぞ座って」
 言った後に口を開きかけたエリザベスを制し、シェリが続ける。
「遠慮したらだめよ?」
 座って、と指示し、シェリはキッチンへ向かった。


「ありがとうございます」
 テーブルに並べられたトーストとサラダ、オレンジジュースに、エリザベスは礼を述べた。
「いいのよ。たいしたものじゃないわ」
 エリザベスの前に座り、シェリも自分のコップにオレンジジュースを注いだ。
「それで、どこから来たのかしら?」
「DCです」
 トーストにラズベリージャムを塗りつつ、エリザベスは答えた。
「NYは初めて?」
「ええ」
「感想は?」
 問われ、エリザベスは少し迷った。
 車内から見た景色のほか、父親の住むペントハウスの映像が無音で脳裏に流れる。
「人が多くて無機質、かしら」
 助け舟を出すようにシェリが言った。
 エリザベスが正面を向けば、シェリと目が合い、昨夜のバーのときの画が重なった。
「私はここで生まれ育ったんだけどね、若い頃なんて特に、そう思ってた。……あの頃にいい思い出はないけど、でも今は気に入っているの」
 一区切り置いた後、シェリは棚に飾ってある写真に目をやった。
「冷たい人も多いけど、いい人にも巡り会いやすいから」
 エリザベスも彼女に倣い、棚を見やった。
 シェリとジュリアスと、彼らの息子だろうか、3人の写真が数枚、写真立てに入れて飾られていた。
「すてきなご家庭ですね」
 家族の笑い顔が収められた写真に、エリザベスが呟く。
 シェリに視線を戻せば、幸せそうな笑顔をしていた。
 その温かさが心に流れ込んでき、エリザベスも思わず微笑んだ。
「……セレニティー、おいしかったわ。それに、穏やかな気持ちにしてくれた」
「あら、名前を? メニューに載ってないのに」
「ウォレンから聞きました」
 そう、とシェリが頷く。
「メイスのことね」
 言われ、あ、とエリザベスは口を押さえた。
 そういえば、ジュリアスはウォレンのことを『メイス』と呼んでいた気がする。
「いいのよ。あの子別に隠そうとしているわけじゃないみたいだし」
 くすくす、と笑い、シェリが続ける。
「セレニティー、助けになったかしら?」
 気にしていないらしい様子のシェリの質問に、エリザベスはトーストを頂きつつ、ええ、と答えた。
「よかった。そういってもらえるとすっごく嬉しいわ」
「ウォレ――メイスも、よく飲んでいたって聞きました」
「慣れているほうでいいわよ」
 無理しないで、とシェリが告げる。 
「そうね。彼も気に入ってくれていたみたい。味はダメだったっぽいのに」
 コップをテーブルに置き、シェリはジュリアスとウォレンが出て行った玄関を見やった。
「変わったわね。前は少し暗そうな雰囲気も持っていたけど」
「……ここに滞在していたことが?」
 先ほどのジュリアスの言葉を思い出しつつ、エリザベスが尋ねる。
「少しの間だけね。あの子、距離はとるくせに人懐こいでしょ? 放っておけなくて」
 シェリの言葉を聞き、エリザベスはわずかに視線を下げた。
 ウォレンから時折感じる距離は、誰に対しても隠さずに示されているものらしい。
 彼にとって対人的に必要な距離だということが確認でき、エリザベスはどこか安心した。だがやはり、踏み込みたい、という気持ちがあるのも否定できない。
「とりあえず、午前中はジェイに貸してあげてくれないかしら?」
 聞こえてきたシェリの声に、顔を上げる。
「あなたはここでゆっくりしていて。あ、でもあとで買い物に付き合ってくれると嬉しいわ」
 コップを手に持ち、シェリが続ける。
「昼食、よかったら食べていって」
 シェリからの提案に、エリザベスはにっこりと頷いた。
「喜んで」


 朝食を終えた後、シャワーを借りる前にエリザベスは一度ゲストルームに戻った。
 時々、学生などにこの部屋を貸し出しているらしい。
 棚の引き出しの中にノートが入っているから、見てみるといいかも、とのシェリの言葉を思い出し、エリザベスはベッドに腰かけると脇の棚の引き出しを開けた。
 ノートを取り出し、ぱらぱらと捲る。
 ここに滞在していた人たちの、ヤング家への感謝の言葉が綴られていた。
 ひょっとしたら、と最初から名前を調べる。
 中には2ページくらいに渡って文字を連ねている人がいる中、ふと、1行にも満たない箇所を見つける。
 短く一語で礼が述べられており、メイスという名前で締められていた。
 あまり多い名前でもなく、また文字の雰囲気から、ウォレンが書いたものだと分かる。
 一見したところぶっきらぼうな一語ではあるが、先ほどの階下でのやり取りを見る限り、ヤング夫妻にはちゃんと伝わっているらしい。
 思わず笑みをこぼし、エリザベスは次の人の文章にふと目をやった。
 どう書けばいいのか、何から書けばいいのか、迷っていただろうことがそのままに表現されている中、ヤング家に随分世話になっていたらしいことが分かる。
 最後のほうの文を読んだとき、『メイス』という文字が目に飛び込んでき、エリザベスは覗き込むように膝に置いていたノートを持ち上げると、その前後を読み返した。
 何に対するものか、詳細は不明だが、文面上にて礼が述べられており、ついで、会ってちゃんと礼が言いたい、というメッセージが書かれていた。
 書いた人物は『リーアム』という名前の持ち主らしく、日付を見ると、4年ほど前であった。
 ウォレンの書いた行を見直すが、こちらは日付が書いていない。
 その前の文章を確認したところ、ウォレンが書いた時期とリーアムという人物が書いた時期とがほぼ同時期であるだろうことが推測できた。
 再びリーアムの文章に目を通すが、4年ほど前に何があったのかまでは分からなかった。
 だが、思いがけずウォレンの過去を垣間見ることができ、そこに温もりを見出せたことに対し、自然と微笑みがこぼれ出る。
 もう一度、リーアムの文章の最後をゆっくりと読み、エリザベスはウォレンの書いた一行に目をやった。
 指でその文字をなぞった後、ノートに書かれた一番新しい文章のところまでページを繰る。
 最後の文章は、およそ1ヶ月前のものだった。
 膝の上にノートを置き、まだ白紙の箇所に目を落とす。
 暫く眺めた後、近くに置いてある自分のバッグを引き寄せた。
 開けて中からペンを探す。
 その動作の途中、手に硬質の紙が触れた。
 何か入れていたか、とそれを取り出してみれば、バースデーカードだった。
 どうやら昨日、メルヴィンにつき返したときに漏れてしまった一枚らしい。
 開いて中を見てみる。
 大学に入る前にもらった、最後の一枚だった。
 MWという文字を目に映した後、カードの左上を見やる。
 本来なら、何かしらの言葉を書き始める場所だが、このカードには何も書き始められていない。
 何度開いてみたところで変わるものではない、と思いつつ閉じようとしたとき、その左上に黒い点が存在することに初めて気づいた。
 よくよく見てみれば、インクの染みらしいことが分かる。
 薄いものの、数個、作られていた。
 何を書けばいいのか、分からなかった、というメルヴィンの言葉が再生される。
 どうしようもない言い訳だ、と思っていたが、あながち嘘でもなかったらしい。
 何度か、何か書こうとした。が、出だしの文章すら思いつかず、結局イニシャルのみに終わってしまった。
 この染みは、それを表しているように感じられる。
 娘に拒絶されるのが怖くて何も行動を起こせず、だが娘とは接点を持っていたかった。
 その結果が、バースデーカードを送る、ということだったのだろうか。
 何でもいい、迷っていたのならその迷いをそのままに書いてくれればよかったのに、とエリザベスは心の内でカードのイニシャルに向かって話かけた。
 その場合、受け取った当時の自分が父親の言葉を素直に受け止めたかどうか、それは分からない。
 恐らくメルヴィンが恐れていたように、拒絶の姿勢をとっただろう。
(……長い間何も言ってくれなかったんだもの。否定するのは当たり前じゃない)
 それでも、その姿勢はずっと続くものではないだろう。
 この場合の拒絶は、結局は次の段階への足がかりだ。その後のやり取りを経て、徐々にお互いを理解していく。それが理想ではないか。
 だが、その過程は時間を必要とする。いくつも段階を踏まなければ、歩み寄れないこともあるだろう。
 だからこそ、もっと早く名乗り出て欲しかったのだ。
 エリザベスとしては、心の奥底では父親という存在を欲していたのだから。
 カードから目を離し、顔を上げる。
 窓の外を横切るカワラバトの羽音が聞こえてきた。
 不器用すぎる、と窓の外に向かって思った後、エリザベスはバースデーカードを閉じ、手の中に収めた。
 丁度そのとき、携帯電話が鳴った。
 カードを脇のベッドの上に置き、バッグの中から携帯電話を取り出す。
 ウォレンからのものであることを確認した後、目元を拭うとエリザベスは携帯電話を耳に当てた。 
「もしもし?」
 かすれて出た声が疑問に思われたか、声が返ってくるのに一瞬の間が置かれる。
『今、大丈夫か?』
 ええ、と答えた後目線を下げれば、ノートが目に入る。 
「ノートを見ていたところ」
『ノート?』
「ゲストルームの」
 言えば、電話越しに、ああ、と思い当たる節を見つけたらしく、息をつきがてらのウォレンの声が聞こえてきた。
『……無理やり書かされたが……一言くらいしか書いた記憶がないな』
「正確には一語ね」
 言いつつ、ウォレンの書いた場所までページを戻す。
『……読まないでくれると嬉しいんだが』
「一語だけじゃない」
 エリザベスの一言に、まぁそうだな、と呟いた後、ウォレンが続ける。
『悪いがジェイにつかまって正午まで戻れそうにない』
 そう告げる彼の背後から、無駄話するな、というジュリアスの声が聞こえてくる。
「大丈夫よ。シェリと買い物に行く約束をしたから」
『そうか』
「一緒に昼食を作る予定よ」
 電話の向こうで、ウォレンが感嘆詞を漏らした。
『楽しみだな』
 聞こえてきた声に、受話部越しに微笑を返し、エリザベスは隣に視線をやった。
 バースデーカードが目に映る。
「――ウォレン」
『ん?』
「……もう一度、メルヴィンのところに連れて行ってくれないかしら」
 頼めば、数瞬の間が置かれる。
『ああ』
 理由は聞かれず、構わない、という声が聞こえてくる。
 それに対し、エリザベスは小さく礼を述べた。
 それじゃ、と切ろうとしたとき、あとひとつ、とウォレンから待ったが入る。
『シェリの真後ろに立つときは、一声かけてあげてくれないか』
「真後ろに立つとき?」
 尋ね返せば、そうだ、と返事が返ってくる。
 説明は加えられなかったが、何か理由があってのことなのだろう。
「分かったわ」
 了解の意を示し、また後で、と通話を終了させた。
 携帯電話をしまい、ついでバースデーカードをしまうとノートに視線を落とした。
 一語の行を読んだ後、新しいページまで繰り、エリザベスはバッグの中からペンを取り出した。


 昼食を終えて外に出れば、少し霞みながらも上空には青空が広がっていた。
 またいつでもいらっしゃい、というヤング夫妻の言葉に見送られつつ、エリザベスはウォレンの車に乗り込んだ。
 シェリは料理の腕のほうもなかなかのもので、おかげで新しいレシピを習うことができた。
 車の中、これから向かう先のことには触れず、そのレシピに始まり料理の話をウォレンと交わしていれば、やがて昨日訪れたばかりのマンションの前に辿り着く。
 車を覚えてくれていたらしく、昨日と同じ駐車係が2人の来訪に気づく。
 彼が連絡を取ったのか、それともドアマンが連絡を取ったのか、最上階のペントハウスまでエレベーターで上がったところ、老人のピーターが開いたドアの先で2人を出迎えた。
「連絡をくだされば、下までお迎えしましたのに」
 相変わらずの丁寧な口調で落ち着いた雰囲気を醸し出しつつ、ピーターがウィトモア家の玄関のドアを開ける。
 広い空間に足を踏み入れれば、デュモントも来ていたらしく、彼が迎え出てきた。
 ショーンは仕事に出かけているようで、姿は見えない。
「また来てくれると信じていましたよ」
 にっこりとエリザベスに告げた後、デュモントはウォレンにも目を向けた。
「メルヴィンのところまで、案内しましょうか?」
 奥を示しつつ、デュモントがエリザベスに尋ねる。
「いえ、1人で大丈夫です」
 告げた後、エリザベスは一度ウォレンを振り返った。
 行ってらっしゃい、という無言の頷きを受け、メルヴィンの部屋へと向かう。
 何を言おうか、色々と考えていたが、多くを伝える必要はないのだろう。
 廊下を進み、重みのある木製のドアの前で立ち止まる。
 ひとつ、深呼吸をとる。
 ノックをすれば、急な来訪にもかかわらず、あらかじめデュモントから耳に入れていたのだろう、数瞬の後、
「……エリザベス?」
 と名前を尋ねるメルヴィンの声が聞こえてきた。
 返事はせず、エリザベスはドアを開け、中に入った。
 白いカーテン越しに見える街並みの手前、メルヴィンが不安そうな顔でベッドの枕に背中を預け、こちらを見ていた。
 彼から視線を外し、無言のまま、エリザベスは彼の近くまで足を運んだ。
 顔を上げ、メルヴィンを見る。
 気のせいだろうか、昨日よりも年をとって見えた。
「……また来てくれたのか」
 呟かれた声は、嬉しそうでも悲しそうでもあった。
 ええ、と頷き、エリザベスは口を開いた。
「一言、伝えにきたの」
 一度区切り、メルヴィンの目を見る。
「……あなたが――」
 死ぬ前に、と言いかけて、エリザベスは言い直す。
「……間に合うかどうかは分からない。でも、あなたのことを受け入れられるように、気持ちの整理をするから」
 たら、れば、と言い続けていても、次に進むことはできない。
 勿論、父親なんていなかった、と自分に言い聞かせて生きていく道もある。
 だが、それだと恐らく、心の靄は晴れないだろう。
 残された時間は少ないだろうが、その中で可能な限り歩み寄ることができれば、将来『あの時』と後悔しなくて済むのではないか。
 後悔の重さは、今のメルヴィンを見ていればどれほどのものか知ることができる。
 エリザベスとしては、背負いたくはなかった。
「……このバースデーカードは、私が持っているわ」
 言いつつ、バッグに残っていた、最後にもらったバースデーカードをメルヴィンに見せる。
 メルヴィンが、少し遅れてエリザベスからそのカードに視線を移す。
 口は開かれるものの、言葉は出てこなかった。
 わずかに首を振った彼が口を閉じ、瞬きをする。
 その目から、涙がこぼれた。
「……エリザベス――」
 出てきた声は、かろうじて音がついていた。
「――すまない」
 続く言葉はほとんど息だけで搾り出され、堪えきれずメルヴィンが顔を下に向け、手を当てる。
 彼の肩が、徐々に震えだした。
「……いいのよ」
 『これから』を正してくれれば、と一言添え、エリザベスはメルヴィンの言葉を受け取った。


 下るエレベーターの中、軽くなった気持ちを抱きつつ、エリザベスは下がっていく数字を見ていた。
「……すっきりしたみたいだな」
 隣からのウォレンの声に、ええ、と返事を返す。
「間に合うかは、分からないけど」
 言いつつ、去り際に見たメルヴィンの姿を思い返す。
 涙ぐみつつも嬉しそうに笑っていた。
「ウォレン」
 顔を彼に向け、エリザベスは続ける。
「明日もう一日、付き合ってくれないかしら」
 視線の先、ウォレンが頷く。
「俺は別に構わないが」
 返ってきた答えに、よかった、と続ける。
「この街、案内してほしいの」
 告げた後、1階についたらしく、エレベーターが合図を鳴らす。
「お安い御用だ」
 ドアが開く気配の中、微笑とともにそう告げられ、エリザベスは笑顔を返した。


 マンションの玄関を出てくる2人を、少し離れた路上に停められている車の中から観察している人影があった。
「……彼女が妹なの?」
「らしいな」
 セレステの質問に、エリザベスから目を離さずにキースが答える。
 先日のデュモントの言葉が腹立たしく、直談判をすべく何年ぶりか数えるのも馬鹿らしくなるほどご無沙汰していた父親に会いにきた。
 だが、先に『妹』らしい人物が中に入るのを確認したため、こうして外で様子を見て待機していたところだった。
 ジミーから情報は得ていたが、実際に見てみると、エリザベスは思っていたよりも大人の女だった。
「美人じゃない」
「そうだな」
 まんざらでもない様子でキースが相槌を打つ。
 それに対し、面白くない、という空気をわざと出して、セレステが腕を組んでそっぽを向いた。
「……おいおい、誤解するなよ?」
「だって、あなた女癖悪いもの。信用できないわ」
 反応が返ってきたことに満足しつつ、セレステはマンションのほうを見やった。
 駐車係が持ってきた車の中に、丁度2人が入るところだった。
「あらかわいい。彼氏さんに運転させちゃって」
「……ウォレン・スコットとか言いやがったかな……」
 キースの声に、セレステが彼を見る。
「ジミーたちと連絡がとれない。……あいつ、何かしやがったか」
 独り言とともに苛立ちを募らせたか、彼が顎に手をもっていき、無精ひげをいじる。
「……『ウォレン・スコット』?」
 聞こえてきたセレステの声に、ああ、と返した後、キースが彼女を見る。
「……なんだ?」
 怪訝な声音で聞いてくるキースに対し、セレステは女の余裕の笑みを送った。
「別に。なかなかイイ男だって思っただけ」
 そう言ってキースの様子を見れば、案の定な表情をしていた。
 ふふっ、と笑いつつ、セレステが話題を変える。
「……キース、あなたデュモントが邪魔だ、って言ってたわよね」
 座りなおし、続ける。
「あたし、いいこと思いついちゃったかも」
 すくい上げるような角度で、セレステは隣のキースを見た。
 彼女の顔に邪な雰囲気を感じ取り、キースは好奇の心で続きを促した。
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