IN THIS CITY

第3話 Unspoken Truth

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14 Status: Alive and Fine

 明かりが十分でないのか目が霞んできているのか、文字が読みにくい。
 だが大きな動きはしっかりと捉えることができる。
 目が覚めたらしく、ダクトテープで四肢の動きを封じられたジミーが自由になろうと懸命に努力している様子が視界の端に見える。
 無視を決め込み、ウォレンはつい先ほどまで拘束されていた椅子に座り、その背に体重を預けた。
 己の携帯に、よく知っている番号を入力する。呼び出し音が鳴る中、それを右肩と顎の間に挟みながら、目を細めて手元の紙切れを確認する。
 ジミーを含めた3人のポケットを探ってみたところ、免許証と多少の紙幣のほかに、電話番号か書かれたどこぞのクラブかバーで得ただろうカードを見つけた。
 どれほどの助けになるかは分からないが、彼らを知る手がかりにはなるだろう。
 一式をポケットにしまいこみ、ウォレンは挟んでいた携帯電話を手に取った。
 丁度そのとき、相手が電話口に出た。
 抑揚のないトーンは、発信者が電話番号の持ち主その人であるかを疑っているらしかった。
「俺だ」
 いつもの調子で短く告げれば、少しの間を置いた後、久し振りだねぇ、と柔らかくなった声が聞こえてくる。
 軽く揶揄するような口調は相変わらずのもので、ウォレンは容易に電話越しのアレックスの表情を描くことができた。
 とはいえ、からかいの言葉の外に伏された声音を汲み取り、ウォレンは電話とは反対側へ視線をやった。
「……まぁ、確かにちょっと、時間が経ったかな」
 同意すれば、そうだろう、とアレックスが頷く。
「彼女は?」
『TJに頼んである。大丈夫だ』
「そうか」
 なら安心だ、とウォレンは息をついた。
 顔を正面に戻せば、視界の隅に依然として無駄な体力を使っているジミーの姿が見える。
『で、お前さんのほうは大丈夫なのか?』
「ん? ああ」
『声からするとそうは思えないけど』
 返答を予測していたかのようにすぐにアレックスが言葉を返してき、ウォレンは一旦受話部を口から遠ざけ、咳払いをした。
「……色々あったもんでね」
 喉が渇いているせいか、出てきた声には咳をした効果は表れていなかった。
『すぐそっちに行く。どこにいる?』
「いや、車なら外に奴らのがあるから――」
『運転と後始末ができる状態なのか? 違うだろ』
 言葉を遮って聞こえてきた声に、ウォレンは一度口を閉じると擦過音のみで肯定の返事を返した。
『住所』
 電話越し、ため息の後にアレックスが催促してくる。
 ふと顔を上げる。
 その先にジミーを見つけた。
 数瞬の間を置いた後、椅子から腰を上げるとウォレンは床に倒れているジミーの元へ足を運んだ。
 屈み込めば、必死にもがいていた彼が動きを止め、睨み上げてくる。
 それを流しつつウォレンは一旦携帯電話を左手に持たせ、空いた右手でジミーの口を封じているテープをざっと剥がした。
 瞬時にして口周りの痛覚が刺激されたのだろう。ジミーが呻く。
 それが耳に入り、ウォレンは軽く言葉上でのみの謝罪を述べた。
「住所は?」
 続けて尋ねるとジミーが顔だけを持ち上げる。
「……くたばれ」
 唇をあまり動かさず、喉と口の中で練り上げられたような言葉が彼の口から発せられた。
 言う気はないらしい。
 ジミーの意志表示を受け、ウォレンは軽く頷くと、剥がしたテープを雑に元に戻した。
 電話を右手に持ち替え、耳元に持っていく。
 再び口の周囲に粘着質がまとわりつき、鬱陶しそうにジミーが顔を動かす。
 彼を放っておき、ウォレンはゆっくりと立ち上がりながらアレックスに現在地の住所を告げた。
 正確なそれを耳にしたジミーが眉根を寄せ、ウォレンを見上げる。
 だが、背を向けて廊下のほうへゆっくりと歩を進める姿を確認するだけに終わった。
 ジミーの視線の先、ウォレンが動かしていた足を止める。
 注意したのだが、わずかな高度の変化に血流の調子がついてきていないらしく、ウォレンは立ち眩みに襲われた。
 体内からの雑音が混じる中、了解の意を示すアレックスの声が聞こえてくる。
「悪いな」
 軽く礼を述べれば、どういたしまして、と返される。
『……アンソニーには連絡しておく』
 付け加えられた一言に小さく返事をし、ウォレンは携帯電話を閉じ、ポケットにしまった。
 目元に右手を持っていき、押さえる。
 やがて視野を覆っていたノイズが引き、背後にジミーの気配を感じるようになった。
 振り向けば疑問を呈した表情でジミーが見上げていた。
 手を下ろした後、ウォレンは居間を顎で示す。
「ピザを注文していたろ」
 説明を聞き、ジミーが後悔と憎みの混じった目をする。
「選択肢のつもりで持ちかけたんだが――」
 言いながら肩を竦め、足先を廊下へ向ける。
「――残念だったな」
 一言残し、ウォレンは怪訝な顔を見せるジミーに背を向けそのまま部屋を後にした。
 床の軋みと共にウォレンが去った後、暫くの間彼の残した言葉の意味を考えていたジミーだったが、ある程度の予測ができたのだろう。多重に巻かれているダクトテープから逃れようと、先ほどよりも力を入れて抵抗を試みた。


 居間の電気も明るいものとは言えない量であったが、目に入る情報を処理するには十分だった。
 流しっぱなしにされているテレビの音が耳に障る。だがそれよりも喉が渇いており、ウォレンはキッチンへと足を運んだ。
 冷蔵庫を開ければビール瓶の群れがまず飛び込んできた。
 お呼びでない彼らは無視し、ペットボトルのミネラルウォーターを手に取り扉を閉める。
 左手に力が入らず蓋を開けるのに苦労したが、その甲斐あってか冷やされた水がやけにありがたく感じられた。
 ボトルをテーブルの上に置く。
 手を離したそこに水ではない着色された液体が付着していることに気づき、ウォレンは自分の手を見た。
 先ほど、発砲直後の銃口を握ったことで指の切り傷は焼き塞がれたはずなのだが、指先にはまだ新しい血が存在していた。
 確認すると手の甲から肘にかけて、ナイフでやられたのだろう肘裏に負った切り傷からの出血が道筋を作っていた。
 右手を動かすのに支障はないとはいえ、これ以上血が不足すると体力と意識を保持する自信がない。
 周囲を見回すと、バスルームへのドアが見えた。
 中に入り、棚を物色する。
 タオルを見つけたがそのまま使うには太すぎ、裂いて手ごろなものに仕立て上げた。
 口を使い、傷口を縛り上げる。
 圧迫感を確認し、ウォレンは右手を下ろした。
 同時に下ろした視線の先、引き出しの一部が半開きになっていた。
 わずかに届く明かりにより、その中の様子が映し出されている。
 何気なく、ただ見ただけだった。
 だが、しまわれている物の一部の情報が目に入った途端、脈が跳ねた。
 開けるつもりはなかった。が、考えるよりも先に手が動いていた。
 引き出しが引かれる。
 力を受け、奥にあったものが手前へと滑り出てきた。
 注射器に充填されたモルヒネが数本、腕に巻くためのチューブがひとつ。
 瞬時に使用手順が映像を伴って脳内を過ぎる。
 遮ろうと目を閉じるが鮮明になるばかりで効果はなく、逆に目を開けた直後、映像の実と虚が重なった。
 視界が白く明るくなり、幻覚が現実に取って代わる。
 左腕に巻かれたチューブと肘の内側に刺さる針。
 圧迫感と細く鋭い痛み。
 その後に感じるだろう高揚感。
 反射的に腕を引いて後退すると、背中が何かに当たった。
 驚いて振り向けば、沈んだ色をした木製のドアだった。
 やけに黒い。
 突如、背後から人の声がし、慌てて振り返る。
 しかしそこには誰もおらず、薄明るいキッチンの様子が見えるのみだった。
 徐々に、視界の明度が現実に戻る。
 聞こえてくる声には笑いが混じっており、ほどなくテレビで放送中のリアリティーショーのものだと認識した。
 左腕に視線を落とす。
 薄い上着の広範囲が赤黒く染まっている。
 腕は圧迫されているが、それはチューブによるものではなく布によるもので、負った銃創を押さえつけていた。
 針はどこにも見当たらない。
 息を吐き出しながら安心し、背中をドアにもたれかけさせる。
 荒くなった呼吸を数回繰り返すうちに、完全に現実に戻ってくることができた。
 目を閉じ、顔を上げる。
 乗り越えたはずだ。二度と引きずり込まれることはない。
 自身に言い聞かせ、ウォレンは目を開けるとバスルームの中に目を戻すことなくドアを閉め、キッチンに戻った。
 右手の奥、居間ではテレビ画面の明るさの変化がちらついていた。
 その手前に倒れているステュの姿を目が捉え、先の一件が思い起こされる。
 同時に、無意識のうちに右手をジーンズの側面で拭いていることに気づく。
 忘れ去ろうとしていた感触は、アロンソを刺したことが引き金となったか、生々しさを伴ってまとわりついていた。
 倒れているステュから目を逸らし、右手を数回振る。
 体力的に厳しいことも災いしているのか精神的にも疲労している、と自覚し、ウォレンはテーブルの椅子を引くとそれに座った。
 背に体重を預け、目を閉じて頭を後方へ預ける。
 煩わしいと思っていたテレビからの音声だったが、今は思考が余計な働きをするのを邪魔してくれる貴重な存在となっていた。


 呼び出し音が耳元で鳴る。
 数回それを聞いた後、相手が出た。
『TJ? 丁度いい――』
「ハイ、アレックス。ウォレンの居所にひとつ見当がついたの」
 アレックスの言葉を遮ってTJが軽快に言葉を続ける。
「吉報でしょ?」
 電話の向こうで、そうだねぇ、とアレックスが呟く。
『当てようか?』
 いたずらな口調が聞こえてき、TJは顔を上げた。
「――当てられるの?」
 まぁね、という返答の後、住所が告げられる。
 メモに視線を落とせば、それは書いたものと一致していた。
「当たりよ」
 怪訝な表情で伝えると、アレックスが、すごいでしょ、と軽く笑った。
「何で知ってるのよ」
 疑問の声を出したところ、エリザベスとコニーが同じような色を含んだ視線を送ってくる。
 彼女らの疑問はしかし、何がやり取りされているのか、にあった。
『この電話の前にウォレンから連絡があってね』
「ウォレンから?」
 言った後、ちょっと待ってね、とTJがエリザベスとコニーに指と目で合図をする。
「何、あいつ無事に逃げ出せたの?」
『一応片は付いているらしかったから、エリザベスにも安心するように伝えておいてくれ』
「あ、そうなんだ。よかった」
 ほっとした息をついてTJが振り返り、電話での会話を見守る2人にジェスチャーでウォレンの無事を伝える。安堵の気持ちから柔らかな笑顔になるエリザベスと、同じように安心しつつも、足の力の抜けた彼女を支えるコニーの姿が目に映った。
「まったく、1人で始末つけられるんならそう言ってくれればいいのに」
『同意』
「無駄に心配しちゃったじゃない」
『だね』
「今度何かおごってもらおっと」
『俺を誘うの忘れないように』
「で、あいつは今どこ?」
『まだその住所にいるみたいだから、迎えに行ってやろうかと思っているとこ』
「そっか」
『世話が焼けるやつだよ』
 聞こえてきたアレックスの声に、TJは笑みをこぼしつつ、そうね、と相槌を返した。
「―― 一応調べものは続けるわ。そっちも何か分かったら連絡頂戴ね」
『了解』
 それじゃ、と一言残し、TJは電話を切った。
 顔を上げるとソファに腰を下ろしていたエリザベスが立ち上がる。
「とりあえず一安心ね」
 声をかければ掠れた声とともにエリザベスが頷き、口を開く。
「彼と会える?」
「――そうね。今日は大事をとってここにいてくれるかしら?」
 夜も遅くなるし、とTJが続ける。
 彼女の返答を残念に思ったものの、エリザベスは素直にその言を受け入れた。
 まだ身の回りが安全になったというわけではないのだろう。
「でも電話なら大丈夫じゃないかな」
 かけてあげたら、とTJが己の携帯を振ってみせる。
 ええ、と笑顔を見せ、エリザベスは自分のものを取り出した。
 その様子を見守りつつ、コニーがTJに向かって手を動かす。
 遅くなったが夕食の準備をする、との旨であった。
「あ、私も手伝うわ」
 TJの申し出に、一度は断りのサインをすぐに送ったコニーだったが、部屋の隅に向かいつつ電話をかけるエリザベスの姿を見、訂正して許可を出した。
 ともすれば火をかける前の鍋の中にパスタを投入しそうなTJだが、野菜を切るくらいはできるだろう。
 任せる仕事の基礎を丁寧に伝えるコニーに対し、すべて理解した様子でTJが受け答えをする。
 無音ではあるものの彼女らの様子からだいだいの会話を予想でき、呼び出し音を耳に入れている間、エリザベスはキッチンへ去っていく2人の姿を微笑をしつつ見送った。
 やがて呼び出し音が切れ、エリザベスの愛称を呼ぶ聞きなれた声が耳に入った。
 思わず目を閉じ、込み上げる感情をぐっと押さえ込む。
 瞼の裏でうっすらと涙が張りそうになる中、エリザベスは相手の名前を口にした。


 一昔前の曲の合間を縫って、ビリヤードの玉が突かれる音が聞こえてくる。
 それらを背後にリン・ウーはいつものカウンターの席に腰かけていた。
「それじゃ、仲間が呼んでいるから俺はここで失礼するよ。またな」
「ええ、勝ち星増やしてくださいね」
 勿論、とグラスを上げてビリヤード台へ向かう、まだ酒が序盤のヘンリーを見送り、リンは一度席に座りなおした。
 ここ、ギルバートの経営するバーにはよく足を運んでいるため、飲みながら言葉を交わす顔見知りも増えてきた。
 そろそろ常連と名乗ってもいい頃合らしく、注文する前にギルバートがビールを出してくる。
 休日の前であればアルコール濃度の高いものを出してくれるのだが、今日はまだ平日だ。
 カウンターの奥にかかっている時計を見やる。
 時間と曜日からしてよく顔を合わせる客が来ていてもいい時間帯なのだが、まだ姿が見えない。
 喉にビールを流す。
 先ほどのヘンリーとの世間話で盛り上がっていたせいもあり、時間が経ったとはいえまだ飲んだと感じられるほど飲んでいない。
「ギル」
 ピッチを上げようと手元のグラスを空にし、注文する。
 はいよ、とギルバートが承る。
 丁度そのとき、裏口への来客を知らせるベルが鳴った。
 事前に連絡を受けていたためアレックスであることが分かり、ギルバートは作業の手を止めた。
「レイ、少し外していいか?」
 毎度のことながらバーの切り盛りの手伝いをしてくれている友人を呼び、リンの注文を任せる。
 構わない、と返すレイモンドに短く感謝の言葉を述べると、ギルバートはリンにも断りを入れ、裏口へ向かった。
 ドアを開け、アレックスを招き入れる。
「ご苦労だったな」
「どうも」
「そりゃなんだ?」
「どれ?」
 問われてアレックスが手元を見る。
「あ、これはエリザベスの私物。TJのとこに行く時間がなかったからね。お前さんに預けておきたいんだけどいいかな」
「ああ、いいよ」
「開けちゃあいけないよ。ウォレンに殺される」
「開けるか馬鹿」
 お前じゃないんだから、と返し、ギルバートが旅行ケースを受け取る。
「お前さん、仕事抜けられたりする?」
「ん?」
「今から」
「今からか? まぁ短時間なら――」
 答えかけてギルバートが、あ、と訂正する。
「今日はレイがあと1時間ほどで上がるんだ」
「そうか」
「悪いな」
「んにゃ、別に」
「野暮用か?」
 まぁね、と言いつつ、アレックスは一度口を結んだ。
「1人捕獲してあるみたいだから、ちょっと人手が欲しかったんだけど」
「なるほど」
 頷きつつギルバートは適材がいないか考えを巡らす。
 ウォレンを迎えに行くだけならば1人で十分だが、後始末もするとなると確かにもう1人いたほうが作業が捗るだろう。
「あ」
 思い当たった拍子に声が出、アレックスが、何、と顔を上げる。
「あ、いや。リンが来ているな、と思ったんだが」
 カウンターのほうを親指で示しつつギルバートが告げる。
「ああ、未来の上院議員さんか」
 言いながらアレックスはバーの店内のほうを見た。
 春先の一件が思い起こされる。
 あれ以来、彼はこのバーが気に入ったらしく、飲みにくると時々顔を合わすことがある。
 アレックスとしてはあまり親しくなるのもどうかと思っているのだが、リンのほうは気にしていないらしく、気軽に声をかけてくる。
 ウォレンとはもう少し頻繁に会っているようで、リンであればウォレンについてある程度事情を知っており、彼を拾ってアンソニーの元へ届けるくらいのことは頼めるだろう。
 一度顔を戻し、ギルバートを見る。
 気乗りはしないがリンの協力があればより効率的に動ける。
「車借りられる?」
「お好きにどうぞ」
 どうも、と頷いてギルバートに判断を伝えると、アレックスは通路を進み、バーへつながるドアを開けた。
 カウンターの端のほう、リンが口元にビールを運んでいる様子が目に映る。
 人の気配を察したらしく、彼が振り向いた。
「アレックス?」
 何で裏口から、と疑問に思うリンに対し、アレックスが、や、と軽く手を上げる。
「飲んでいるか?」
「ええ、まぁ」
「運転はできる?」
 突然の質問に更に疑問を深め、リンが手を止める。
 ふとアレックスの背後に視線を移せば、キーを見せるギルバートの姿を捉える。
 何かが起こっていることを察し、説明を求める目でリンは再びアレックスを見た。
 まぁとりあえずついてきて、と促し、返答も聞かずにアレックスは裏口へ向かった。
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