IN THIS CITY

第3話 Unspoken Truth

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10 Never Again

 日差しの陰りと共に雷鳴を感じていたが、どうやら雨が降り出したらしい。
 通話終了のボタンを押すと同時に、その音が耳に入ってきた。
 アレックスは外に一瞥をくれた後、ギルバートとエリザベスのいる奥へと足を運んだ。
 言葉の端まで聞こえなくても、アレックスの口調や雰囲気から状況を探ろうとしていたのだろう。己の推察が正しいのか否か、エリザベスは胸の前で手を結んだまま、黙ってアレックスの言葉を待っていた。
「心配ない。あいつは無事だ」
 一言、彼女が一番欲している情報を告げれば、エリザベスが小さく息をついた。彼女の後ろでギルバートも肩の力を抜く。
「エリザベス、NYに住んでいたことは?」
 突然のアレックスの質問に、エリザベスは一瞬、きょとんとした表情を浮かべた後、首を横に振った。
「訪れたことは?」
「――まだ一度も」
「『ヘルズゲート・ボーイズ』に聞き覚えはあるかな」
「――ないわ」
「じゃ、『キース』という名前の男は?」
 思い返すようにエリザベスは一度アレックスから目を逸らした。
「――中学のときの知り合いにならいるけど……」
 ただそれだけ、と首を振り、アレックスを見る。
「そうか……」
 言いつつアレックスは腕を下ろした。
 何か手がかりが得られるかと思ったが、やはりどうやらエリザベスの知らないところで相手側が一方的に仕掛けてきているらしい。詳細を知るには彼らとの接触が必要だろう。
「ウォレンが伝えてきたのか?」
 ギルバートの問いに、アレックスは彼を見、頷きを返す。
「じゃ、ウォレンも無事に逃げられたの?」
 明るくなるエリザベスに、だがアレックスは小さく首を振って答えた。
 再びエリザベスの表情が曇り、彼女の両手が胸の前で握られる。
「心配しなさんな。こっちが思っているより元気そうだったよ」
 アレックスが微笑とともに告げれば、エリザベスはほんの少しだけ口元を綻ばせた。
「……しかしNYの奴らがなんでまた」
 分からんな、とギルバートが呟き、アレックスもまた同意を示した。
 地理的にもエリザベスの話からも接点というものが見当たらない。
 無論、彼女の過去についてはアレックスもギルバートも何も知らない。恐らくその中に鍵があるだろうことは推測できるが、今は問い詰めることはしたくなかった。
「……まずは相手の身辺から探るか」
 独り言ともとれる音量でギルバートが言った。
「――とはいってもNYか。難しいな」
 情報網を持っているギルバートでも、さすがに上の州まで網羅しているわけではない。当然ながら、遠く離れるにつれてツテの存在密度は低くなり、その分情報が入りにくい。
「……そこそこ詳しい張本人が捕まっているからねぇ」
 ウォレンのことを言いつつ、アレックスは無意識的にポケットの中のタバコの箱を掴んだ。
 それに気づくと同時に隣にエリザベスがいることを認識し、アレックスは箱を取り出すことなくそのまま元にしまうと手を腰にやった。
 アレックスも北とはあまり縁がなく、どちらかと言えばずっと飛んで南のほうが詳しい。
 北、と地理と共に知人の顔を探索する。
 大した時間はかからず、1人、心当たりを見つける。
 だが、アレックスは渋い顔をした。できることなら連絡をとりたくない相手だ。が、彼ならば期待以上の情報を短時間で収集できるだろう。
 ふとこぼれ出た溜息を中断させるかのように、来客を知らせるベルが裏口で鳴った。
 TJが着いたのだろう、とアレックスと目を合わせ、ギルバートは彼女を迎え入れるために裏口へと向かった。
 彼の背中を見送った後、アレックスはそれまで手に持っていた携帯電話をエリザベスに差し出す。
「恐らくないとは思うけど、ウォレンの番号からかかってきても出ないように。差し支えなければ、暫く電源を切っておいたほうがいい」
 数瞬の間携帯電話を見つめ、エリザベスは右手でそれを受け取った。
 分かったわ、と頷き、閉じられた携帯電話の上に左手を載せる。
 その途端、下を向いたせいか、緊張が緩んだのか、押し込めていた感情が膨れあがった。
「……ごめんなさい」
 かすれた声を出し、エリザベスが顔を上げる。
「私のせいで――」
 単語が続かず、口元を手で覆う。
 アレックスを見ることが出来ず、エリザベスは視線を横に逃がした。
 彼女のその姿に、アレックスは既視感を覚える。
 ただの感覚ではない、と気づいた瞬間、9年前の映像がエリザベスと重なる。
『アレックスごめんなさい、私のせいだわ。私のせいであの子が――』
 ウェーブがかった黒色の髪に、それに似合う薄い青色の瞳。
 落ち着かない所作で、震える手で縋ってきた姿。
「――エリザベス」
 過去の波を振り払い、アレックスは今目の前にいる女性の名前を呼んだ。
 ストロベリーブロンドの髪が跳ね、驚きの混じった薄茶色の瞳がアレックスを捉える。
「君のせいじゃない。自分を責めないでくれ」
 告げた言葉を出した感覚は、月日が経った今も口に馴染んでいた。
 過去を追いかけて再生しているように感じられる。
 アレックスの言葉を受け取ったものの、でも、とエリザベスが首を横に振る。
「いいね?」
 目の高さを同じにして確認すれば、エリザベスが口を閉じ、涙を堪えるように目が細められた。
 アレックスは自然な動作で腕を差し出し、彼女を緩く包み込んだ。
 一度、目を閉じる。
「心配ない」
 一言、安心を与える声音で告げれば、弱いながらもエリザベスが頷きを返してきた。
 腕の中では、あの時とは違う香りがする。
 十分と思われる時間を置いた後、彼女を放す。
「大丈夫だ」
 今回はすぐに片を付ける、と己に誓い、微笑をエリザベスに向ける。
 潤みかけた澄んだ薄茶色の瞳が、真っ直ぐな眼差しを返してきた。
 と、その時背後に人の気配を感じ、アレックスは振り返った。視線の先、店に入ってくるTJとギルバートを確認する。
「ハイ、アレックス」
 口元で微笑を作って挨拶をし、TJはアレックスから彼の後ろに立っている人物へと視線を移した。
 泣き出しそうなエリザベスと目と目が合う。
「あらら。まったくなにやってんのよあいつ。こんなかわいい子に心配かけさせて」
 言いつつも歩く速度を緩めず、TJはエリザベスのもとまで足を運ぶ。
「初めまして、エリザベス。TJよ。よろしくね」
 にっこりと笑い、さっと右手を差し出す。
 それまでの場にそぐわない快活なTJの口調に戸惑いながらも、エリザベスはゆっくりその手を握り返した。
「話はギルから聞いているわ。大変だったでしょう?」
「……ええ、でも――」
「ウォレン? 大丈夫よ。あいつけっこう丈夫だし。ね? アレックス」
 求められた同意に、アレックスは苦笑しつつも肯定を返した。
「普段生意気なんだから、一発や二発、撃たれておいたほうが薬になるわよ」
 さらりと随分なことを言ってのけた後で、TJの視線がエリザベスのそれと合った。
「あ、ゴメンゴメン。悪気はないのよ?」
 うっかり、という口調でTJが取り繕う。
 少しの反省が含められた柔らかい表情に、エリザベスはつられて強張っていた口元を綻ばせた。
 彼女の表情の変化を読み取り、TJは満足そうに笑顔を作った。
「そ。その顔、その顔」
 一回り以上年下のエリザベスの頭を軽く、ぽん、と叩き、TJはアレックスとギルバートに向き直った。
「彼女のことは任せて。責任もって保護するから」
 自信を滲ませて告げ、続ける。
「それで、あいつの居場所の見当はついてるの?」
 聞かれ、アレックスは首を横に振った。
 通話中に雷鳴が電話口から聞こえてこず、ここから距離があることは分かったが、それだけでは何の助けにもならない。
「だが、あちらさんの情報はちょいと入手できたよ」
「そう?」
 進展があったらしい様子に簡潔な説明を求め、TJは腕を組んだ。
「動いているのはNYのストリートギャングだ」
「ストリートギャング?」
 物騒な名詞にTJはちら、とエリザベスを見る。繋がりはない、とエリザベスは首を振った。
 そうよね、と頷きを返しつつTJはアレックスに顔を戻す。
「NY?」
「そ」
「名前は?」
「『ヘルズゲート・ボーイズ』」
 ふぅむ、とTJが手を顎にやる。
「やっぱりあの連中のやることは理解できないわね」
 その口調を聞き、アレックスとギルバートは顔を起こした。
「知ってるのか?」
 ギルバートの問いに、ええ、とTJが返事を返す。
「別に親しい仲じゃないわよ。あくまで職業上」
 TJは顎から手を離し、アレックスとギルバートが尋ねてくる前に口を開く。
「言ってなかったっかしら? 私、元NYPDなの」
 言った後、隣のエリザベスを見る。
「頼りになりそうでしょ」
 口元で笑いを作り、TJは両手を腰にやった。
 話の展開の速度についていけない様子でエリザベスはTJを見る。
 その表情を受け、TJは笑顔のまま再びエリザベスの頭を撫でると2人に向き直った。
「ギルもアレックスも上のほうには疎いでしょ? 情報筋は今でもキープしているから、必要なら任せてくれていいわよ」
 予想外の助け舟にアレックスもギルバートも驚いた顔をしながらも頷きを返す。
「そうしてくれると助かる」
 アレックスの一言に、了解、と返事をするとTJはエリザベスにここを去る雰囲気をにおわせた。
「詳細は車の中で聞くわ」
「分かった。準備ができたらギルに電話してくれ」
「そうする」
 2人の目を見、TJはエリザベスを促し、裏口へと向かう。
 誘導される途中に振り返ったエリザベスに、アレックスとギルバートは微笑を投げかけつつ軽く手を上げて見送った。
 静かな足音が消え、裏口が閉まる音が雨音に紛れて届いてくる。
「警官だったことは知ってたが、まさかNYだったとはな」
 訛りがなかったため分からなかった、とギルバートが呟く。
「いずれにしろ助かったねぇ」
 やはり信頼の置ける人間に任せるのが気が楽でいい。
 アレックスは一息ついてポケットからタバコの箱を取り出し、今度はその動作を途中で止めることなく1本口にくわえた。
 ライターで火をつけようとしたところで携帯電話が鳴る。
 なかなか吸えないな、と思いつつもアレックスは電話を手に取った。
 画面を見れば、セスからの連絡であることが分かる。通話ボタンを押し、耳に持っていく。
「はいよ」
 気の抜けた挨拶に対し、アレックスか、と確認の声が聞こえてき、短く肯定の返事を返した。
『話がある。30分後、いつもの場所で』
「30分後ね」
 確認のために復唱し、相手が電話を切った後でアレックスも耳から携帯電話を離す。
 少しばかりセスの声音が低かったが、この手のやり取りでは珍しいことではない。
「出かけるのか?」
「後少ししたらね」
 電話をしまい、アレックスは代わりにライターを手に取った。
「メモある?」
 尋ねられ、ギルバートはカウンターの内部に手をやると多少の汚れのついたメモ用紙とペンを取り出した。
 一服深く煙を吸ったアレックスが軽く礼を言い、ペンを手に取る。
「とりあえず、TJから電話がきたら次のことを頼んでおいてくれ」
 言いつつ先ほど耳にした名前を紙の上に走り書く。
「気障な字だな」
「うるさいよ」
「字は人を表すんだぞ」
「うるさいよ」
 書いたページを破りとり、ギルバートに渡す。
 ペンを置き、近くの灰皿を手元に寄せた。
 視界が一瞬、明るくなる。次いで割れるような音が窓を振動させた。
 雷の源が近いらしい。
「……停電されたらちょいと困るなぁ」
 一言呟き、アレックスはタバコを口から遠ざけると灰を落とした。


 耳元に残る声は雨音に紛れ、去ろうとしない。
 脅迫というものを受けたことがないわけではない。
 だが、それによって恐怖や焦燥に駆られるということなど今までになかった。
 むしろそういった感情を与える側にいたのだ。
 脅し文句のない脅しに、焦燥よりも恐怖が先行する。それを認めたくなく、ステュは強く通話終了のボタンを押すとぶっきらぼうに携帯電話を投げ捨てた。
「……どうした?」
 キッチンのほうから聞こえてきた声に顔を上げれば、ジミーと目が合う。
 今抱えているのは、彼にだけは知られたくない感情だ。
 極力表情からそれを排し、ステュはジミーに向き直った。
「名前がバレた」
「何?」
「名前がバレてた。俺とお前の」
 一瞬の沈黙と硬直の後、キッチンに両手をついていたジミーが体を起こす。
「……何でだ?」
「知るか」
 苛立ちの含められたジミーの問いに対し、ステュはぶっきらぼうに答える。責められる筋合いなどない。
 舌打ちをしたジミーが視線を右へ逸らす。
 ふと思い当たったか、あの野郎、と語尾を強めに吐き捨てて歩き出す。
「ジミー、待て」
 彼の行く先を察し、ステュが先に廊下へ続く開け放されたドアの前に立つ。
「どけ」
「止せ」
「どけ!」
 強行突破しそうな勢いのジミーを抑え、押し戻す。
 ドア付近はウォレンを拘束している部屋から丸見えだ。ジミーの様子を窺う彼とアロンソの気配をステュは背中に感じた。
 死角に入ると、ジミーが手を振り払い、目を合わせてきた。
 ひとつ息を吐いた後、ステュは口を開く。
「……相手はお前の車のナンバーも知っていた」
 そう告げれば、ジミーの顔から怒気が消え、代わりに疑問が浮かぶ。
「心当たりはあるか?」
 尋ねたところでどうなるでもないと知りつつも、ステュは呟いた。
「……ブロンドの男だ」
 思わぬ返答にジミーを見る。
「何だって?」
「路地裏で女を連れて逃げた奴だ」
 ジミーよりも後に現場に足を踏み入れたため、ステュはエリザベスが逃げる姿は見ていない。だが、話を聞くにその場には彼女と現在拘束中の男以外に誰かいたらしい。
「顔は?」
「覚えちゃいない」
 悪いか、とむっとした様子でジミーが言った。
 先ほどの電話の相手を調べるにしても、ウォレンを問い詰めるしか方法はなさそうだ。
「……こっちの素性が先にバレる」
 思わずこぼれ出た言葉に、ジミーが怪訝な表情をする。
 とその時、着信音が鳴った。
 一瞬、先ほど捨てた携帯電話への着信かと思い、ステュは視線を後方へ投げたが、音源は違うところからだった。
 足音と風を感じて振り返ると、ジミーが棚に置いてあった自分の携帯電話を手に取ったところだった。
「グレイス、今は忙しい。後にしろ」
 その声に、ジミーが使っている女からの電話であることを知る。
 肺に溜まっていた古い空気を吐き出し、ステュは左手を腰に、右手で顔をなぞり、片足に体重を乗せた。
 ちら、とドアから廊下越しに部屋の様子を窺えば、アロンソの背中が見える。
 小声すぎて聞き取れず、雨音とジミーの声に消されてはいるが、ウォレンと何やら会話をしているらしかった。
 余計なことをしゃべってはいないか、と心配になり、歩みだそうとしたとき、背後でジミーの声が大きくなった。
「サツがどうした?」
 単語が耳に引っかかり、嫌な感覚を覚えつつキッチンに目を向ける。
「……何も話してないだろうな」
 怒気の含まれた重い声がジミーの口から漏れた後、返答を聞く間を置いて息が吐かれ、彼の背中から硬さが抜けた。
「――面倒ごとはこっちもごめんだ。無事だったならそれでいいだろ。――……金なら入り次第渡す」
 仕事料の揉め事か、とステュはジミーから目を逸らした。
 金に関しては不自由しているわけではない。しかし大金が入るとなるとどうしても食指が動く。
 女を拉致する、ただそれだけのことだったはずだ。
 それなのに何故、今ここでじりじりとしていなければならないのか。
 ジミーのほうから吐き捨てられた言葉が聞こえてき、ステュは通話が終了したことを知る。
 顔を向ければ、目が合った。
「……こっちの話だ」
 ステュが尋ねるよりも前に、関係ない、というようにジミーが告げた。
 ステュは無言のまま佇んでいたが、ジミーが近づいてくるとその手から携帯電話を取り上げ、分解した。
 突然のステュの行動に、ジミーが驚きと責めを含めた声を出す。
「使っていた女からだろ? サツがどうとか言ってたな。念のためだ」
 バッテリーを取り出して本体ともに床に落とし、踏む。プラスチックが砕ける音がした。
 怒声がかかるかと思ったが、代わりに無言の叱責が伝わってきただけだった。
「ここも移動したほうがいいかもな」
 呟くように提案し、足を無残になった携帯電話から遠ざけた。
 そのステュの様子を怪訝に見やり、ジミーは眉根をひそめた。
「……何を恐れている?」
 不意に聞こえてきた言葉にぎくりとし、ステュはジミーを見た。
 同時に、いまだ脳裏に男の声が残っていることに気づき、己に対し嫌悪感を抱く。
「アロンソ」
 突如大声でジミーが名前を呼び、ステュの横を過ぎて足を進め、ドア口に顔を出した。
 返事がして廊下を隔てた部屋からアロンソが一歩踏み出す。
「この家は安全か?」
「安全?」
「誰かに嗅ぎつけられるようなことはないかってことだ」
 誰かって誰だ、と聞き返そうとしたアロンソが、ジミーの目を見て口を噤む。
「多分」
「多分?」
「いや、ここのいとこのことは、あまり誰かにしゃべったことないし、それに――」
 続けようとするアロンソに、もう十分だ、と手で合図し、ジミーはステュへ向き直る。
「分かったか? ここがバレることはない」
「……かもしれないが――」
「ブロンドの男に何か言われたか?」
 そうジミーに聞かれ、ぐっと言葉に詰まる。
 いや違う、と否定したが屈辱感は拭えなかった。
「名前が知られたくらいでどうにかできるもんでもないだろ」
 ふん、と鼻で笑い、ジミーはステュを見下ろした。
 先ほどウォレンに所属している組織名を当てられたときに、理性を失うほど動揺していたのが嘘のように見える。
 ジミーは時間が経つといつもこうだ。まずい状況であると認識していたことすら忘れてしまうらしい。
 どこからその自信がわいてくるのか分からず、ステュはため息をついた。
 だが、恐れていると思われるのだけは気に入らない。軽く頷き返して同意を伝える。
「慎重すぎるのがお前の悪いところだな」
 続けて聞こえてきた言葉に反感を覚えるものの、それをぐっと堪え、ステュは去っていくジミーとは反対方向に視線をやった。


 弱気だ、と心の中でステュを嘲笑い、ジミーは廊下を抜けてウォレンを拘束している部屋へ足を踏み入れた。
 四散しているビール瓶の破片から、液体の匂いが鼻を突いてくる。
 しかしながらその状況を作ったのが自分だということにジミーは気づかず、また気にも留めなかった。
 アロンソの視線を流しつつ、ぐるりと部屋の中を見渡す。
 窓は相変わらず雨に叩かれており、壁際へ押しやられた家具がただでさえ明かりの薄い部屋の中を暗くしていた。その明度に、大分時間が経ったらしいことが分かる。
 窓付近の棚にある電気スタンドに目をやった後、ジミーは彼に視線を落とした。
 ジミーの存在には気を払っていないのか、ウォレンは黙ったまま部屋の隅を見やっている。
「アロンソ」
 目はウォレンに固定したまま、ジミーが呼ぶ。
「ゴム手袋はあるか?」
「ゴム手袋?」
 問われた品を復唱すれば、ジミーが短く肯定してきた。
「ああ、ちょっと待ってろ」
 一言残し、アロンソは部屋から退出した。
 去っていく足音を背に、ジミーがゆっくりとウォレンのほうへ歩を進める。
「あんたの仲間は、女を連れて66号線へ向かったそうだが――」
 不必要にゆったりとした声が落下してき、ウォレンは仕方なく目だけをジミーに向ける。
「――どこへ行った?」
 同じ質問が繰り返され、いい加減うんざりする頃合となってきている。
 ウォレンは無言のまま目は逸らさず、小さく息をついた。
 エリザベスを街中から遠ざけるにしても、アレックスが66号線を使うことはまずない。
 外にもジミーらの仲間がいるらしいが、どうやらアレックスがうまいこと撒いたようだ。
 一言も発しないことに対してジミーが殴りかかってくるかと思ったが、その様子は見られなかった。
 先までの感情的な言動とは雰囲気が変わっており、妙に思える。
 そんな彼とは逆に、電話でのアレックスとの対話以降、アロンソはともかくとしてステュも不安を感じ始めている様子ではあった。ジミーよりも理性的ではあるが、彼を率いるまでには至らない理由がそこにあるのだろう。
 内輪での優劣の意識が、ジミーに自信を与えているのかもしれない。
 気分で態度が変わるとなると、相手にするのが厄介だ。
「ジミー」
 指定の品物を見つけたアロンソが部屋に入ってくる。
 ゴム手袋を受け取ると、ジミーはにやけた一瞥をウォレンにくれた。
「後は俺がやる」
 居間に戻っていろ、とアロンソを促し、ジミーはゴム手袋を手にはめた。
「傷の様子はどうだ?」
 口元を緩めたままに、ジミーが尋ねてくる。
 返答は期待していないのか、そのまま続ける。
「中に弾が残っている状態じゃ、けっこう辛いだろう。ん?」
 ゆっくりとした足取りでジミーがウォレンへ近づく。
「発熱はすでに始まっているだろ? その内意識が朦朧としてくるはずだ」
 雨音に混じり、ざり、とガラスの音が聞こえてきた。ジミーの足がビール瓶の破片でも踏んだらしい。
「女をこちらに渡してくれれば、すぐに手当てしてやる」
 どうだ、と両手を広げ、ジミーは提案する。
 ウォレンが乗ってこないことは承知していたのだろう。無言の時間を受け入れた後、両手を下ろした。
 ひとつ息をつき、ジミーは方向を少し変え、ウォレンの右後ろの棚へ向かった。
 後方から何かを持ち上げる音がしたが、振り返るのが面倒くさく、ウォレンは黙ったまま前方に視線を向けていた。
「――放っておくと命に関わるかもしれないぞ」
 相変わらず余裕のある口調でジミーが告げてくる。
「……生憎けっこう丈夫にできているもんでね」
 一言だけ返してやれば、擦過音のみで笑う声が届き、次いで足音が聞こえた。
 右端から視界に入ってきたジミーは、ゴム手袋をはめたまま、左手に電気スタンド、右手にそのコードを持っていた。
「試してみるか?」
 まとわりつくような口調でそう告げた後、ジミーは力を入れてコードを電気スタンドから引き抜いた。
 その手元で瞬間的に、火花が開いた。
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