IN THIS CITY

第3話 Unspoken Truth

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06 Run

 迂闊だった。
 T字路を急ぐアレックスの様子から、相手が右横の路地にいることは分かっていた。
 先ほどの男から奪った拳銃を右手に持ち替え、交差点から路地に身を乗り出したとき、車から降り立った直後の人物を確認した。
 人の気配を感じ、男がウォレンに目を向ける。
 だが、その後の男の行動が予想以上に俊敏だった。
 ウォレンが発砲の際の振動を右の手元で感じる直前、彼の左腕を前から後ろに熱い衝撃が駆け抜けた。
 全身の筋肉が一瞬、機能しなくなる。
 後方に大きく持っていかれた左腕の影響で右手に握っていた拳銃が照準を誤った。
 運転席のドアの背後に隠れる男を見、仕損じた、と心の内で舌打ちするが、撃たれた時の衝撃が体の指揮系統を乱し、連続的な動きができない。
 見えない物理法則に身を任せるままに、ウォレンは地面に背中から倒れこんだ。
 その際の衝撃は辛うじて緩和できたものの、左腕には激痛が残り、指令が行き届かない右手からは握っていた拳銃が離れた。
 体が硬直する。
 一瞬止まった呼吸を再開させるためにひとつ咳き込むと、ウォレンは力を入れ、麻痺している体を横転させた。


 叫ぶエリザベスを抱え込んで背後へ押しやり、アレックスは腰からグロック 19 を取り出した。
 建物の壁の力も借りて彼女の抵抗を抑えつつ、路地の先の男へ銃口を向ける。
 途中、視界の中にウォレンの姿を捉える。
 撃たれたのは左腕、無事だ、という情報を頭の片隅におき、アレックスは男に向かって発砲した。
 乾いた音の先、弾はSUVの運転席の窓ガラスを砕いただけで男には当たらなかったが、援護射撃の役割くらいは果たせただろう。
「アレックス! 放して!」
 もがくエリザベスを押さえ込み、アレックスは頭を出しかけた男に対してもう一度発砲した。
 が、窓枠に阻まれる。
「エリザベス、落ち――」
「嫌よ! 放して!」
「落ち着きなさい」
 一言告げ、アレックスが体を建物の影に戻す。彼からの抑制力が弱まった。
 エリザベスは顔を上げてアレックス越しにウォレンが倒れている路上を見る。
 いない。
 切れる息の合間に疑問の声を吐き、理解できずに混乱する中で視線を移動させれば、T字路の交差点の先、自分たちと同じように建物の影に入り、座って壁に背を持たれかけさせているウォレンの姿が目に映った。
「――あ……」
 無事だ、という安堵の声がエリザベスから漏れ、力が抜ける。
 しかし、ほっと息をつけたのも一瞬だった。
 ウォレンが顔をこちらに向けたかと思うと、
「行け」
 と声が聞こえてきた。
 危険な場所にエリザベスを留めておくことは好ましくない、との考えなのだろう。
 それを受け、首を横に振るエリザベスの隣、さすがにアレックスも躊躇した。
 命に別状はないとはいえ、左腕を撃たれたことに違いはない。現時点では敵は1人だが、エリザベスの話によると複数人存在する。1人で対峙するには完全に不利である。
 加えて先ほどの車内での様子を見る限り、ウォレンは相手側が彼に接触するためにエリザベスを狙ったと考えているらしい。
 確かに、間接的な攻撃は珍しいことではない。
 だがもしそうだとすれば尚更のこと、怪我をしている上に1人残す、という選択肢は頂けなかった。
「行け!」
 エリザベスの安全が最優先だ、とばかりに、動かないアレックスに対してウォレンが強く命じた。
 拒否するエリザベスの声を耳にし、瞬間的に彼女に同意しつつも、立場が反対なら確かに、と己を納得させ、アレックスは了解の意を示してウォレンの目を見た。
 まだエリザベス自身が相手側の標的である可能性も十分に残っている。その場合、一刻も早く彼女を安全なところまで避難させたほうが無難である。
 相手側がウォレンを標的にしているとしたらどうだ、と考えたが、彼のことだ、撒いた種に対しての責任は全て負う、といって聞かないだろう。
 不安がないわけではないが、ここはエリザベスを連れてこの場を去るしかない。銃声が響いた以上、相手の仲間が駆けつけてくるのも時間の問題だ。となると、エリザベスの身の安全を確保したまま応戦することは難しい。
「エリザベス」
 右手に銃を持ったまま、アレックスは彼女の腕を引いた。
「でも――」
「来なさい」
 静かだが重い口調でそう言われ、エリザベスはアレックスを見上げた。
 普段の飄々とした雰囲気が消え、真剣な目がそこにある。
 無言のうちに諭され、エリザベスは続けて言おうとしていた己の意見を押さえ込んだ。
 彼らの配慮が、痛い。
 エリザベスは走り出す直前に、ウォレンを振り返った。
 言うとおりにこの場を去ろうとする姿を見てか、彼が少し安心したように見えた。
 無事で、と祈りつつ、アレックスの誘導に従ってT字路から離れる。
 前方に存在していた路地で右に折れる際、もう一度だけウォレンを振り返ったが、遠くに見える彼の意識はSUVの男に集中しているらしく、目は合わないままその姿は路地の角の建物によって遮られた。


 アレックスがついていればまず心配はない。
 去っていく2人の後姿を見、ウォレンはひとつ長く息をつくと、腰からシグ P228 を取り出した。
 エリザベスが少しばかりパニックに陥っていたようだが、彼女は賢い女性だ。去り際の様子を見る限り、もう大丈夫だろう。
 情けないところを見せてしまったか、と恥じつつ、ウォレンは壁を頼って立ち上がった。
 撃たれた直後、体がまだそのショックにある最中に急激な動作を行ったせいか、心臓に負担がかかったのだろう、時折脈が乱れる。
 吐き気を押さえ込みつつ、路地先の様子に意識を集中させた。
 自分が現在置かれている状況というものに思考の働き所が切り替わる。
 そのせいか、左腕に、出血以外の違和感を覚えた。
 言うならば、腕の中にしこりがあるような……――
(――盲管か)
 弾は貫通せず、腕の中に残ることを選んだらしい。角度によっては、不快な痛みと共にその存在を内部に感じることができる。厄介な土産だった。
 ふと、車のドアが閉められる音が聞こえてきた。間髪入れずにエンジンをかける音も届いてくる。
 相手の男は、防御にも、ともすれば攻撃の箱ともなり得る車を使うらしい。
 建物の影から出て狙いを定めようとするが、先に男の銃弾が目先の壁を抉り、破片が飛散する。
 アクセルを踏み込んだのだろう、急発進する音が聞こえてきた。
 このまま交差点に差しかかられた場合、今いるところには身を隠せるものがない。
 ウォレンはざっと周囲をスキャンした。
 SUVが存在する路地とは反対方向、向かいの建物沿いには大型のゴミの収集箱や木箱といった、盾として使用できるものが存在している。近づいてくる車の音を耳にしつつ、壁から体を離すとウォレンは相手の死角にいる間に向かいの建物へ移動した。
 そこへ到着した直後、背後で銃声がした。
 相手はウォレンがまだ角に隠れていると考えていたらしい。
 振り返りざまに大型のゴミ箱に足をかける。次いで建物の壁に背をつけて抗力を得ると、ゴミ箱を蹴り押した。
 それを防御の盾としつつ、運転席めがけて発砲する。
 一瞬早くウォレンに気づいた男が、反射的に身を屈め、その際にハンドルがわずかに切られた。弾は彼には当たらず、車内を通過すると代わりに助手席の窓を粉砕させた。
 割れている運転席の窓から銃だけを出して男が撃ってきたが、動く物体からの射撃のせいでウォレンを捉えることができない。
 先の発砲に間をおかずウォレンも引き金を引く。
 おろそかにされたハンドル捌きが男にとっては幸いしたか、不規則な動きをする車体がその銃弾を絡め取る。
 ウォレンはSUVが彼のいる方向に折れてくる可能性も考えていたが、蛇行するそれはエリザベスとアレックスが走り去っていた方向へと、T字路を右折した。
 運転に集中できておらず、また速度が速すぎたせいもあり、SUVは異様に大きな半円を描いて曲がり角を終えた。
 時間的にみても、2人がアレックスの車に辿り着いているとは思えない。ウォレンとしては、ここでSUVを行かせてしまうことだけは避けたかった。
 動きの鈍い左腕を邪魔に感じつつも、ゴミ箱の横手から身を出す。
 T字路で予定よりも右にハンドルを切りすぎたか、慌てて男が左にハンドルを切ったらしかった。
 直後、車の左前のタイヤが見えた。
 タイミングを逃さず、ウォレンは狙いを定めるとそのタイヤに向かって発砲した。
 撃ち抜かれ、SUVはパンクした左前のタイヤを軸にスピンし、車体が制御不能となる。
 広くない道幅は、体勢を整えるには不十分だった。
 道路わきに積み上げられている不要となった家電製品の山の中へ車が飛び込み、クラクションと共に派手な音が響いた。
 これでエアバッグでも開いてくれれば男の動きを完全に封じられたのだが、衝撃が足りなかったらしい。
 銃を構えたまま、ウォレンはSUVに歩み寄る。
 突如。
「動くな!」
 鋭い声が背後から届いてきた。
 言葉に捕らわれ、足の動きが止まる。
 先に気絶させておいた男が意識を取り戻すには早すぎる。とすれば、他に仲間がいたのだろう。
 まずった、とウォレンは目を閉じた。
 ざっと、先ほどスキャンした周囲の画像を描く。後方への注意を怠ったのは、人が出入りできる箇所を確認しなかったためだ。建物沿い、近くに路地はないが、裏口ともとれる古びたドアがあったのは確かだ。後ろの男は恐らくそこから現れたのだろう。
 己に対して呆れるのも無理はない。今日、ミスを犯すのは二度目だった。
 ポーカーをしていたときもツイていなかったな、と思い返すが、ツキ云々の話ではなく集中力不足の問題か、と心の内で苦笑した。
「武器を捨てろ」
 背後からの声にウォレンは目を開け、前方を見る。
 SUVの男は車体に囲まれており、様子は窺えない。だが、加勢が来たことは察知しているだろう。
 背後の男とウォレン自身、そしてSUVの男はほぼ直線上に位置している。その状態と、距離的に考えてもSUVの男を質にとることは難しかった。
「捨てろ」
 背後から聞こえてくる焦りのない声から、意表をつくのは賢い選択とは思えなかった。不審な動きを呈したその時点で撃たれるのがオチだろう。
 だが、可能性がないわけではない。
 諦めた感を装い、腕を下ろす。
 その動作の途中、
「地面に置け。ゆっくりとだ」
 と注文が加わった。
 相手も相当警戒しているらしい。場慣れしているとも言える。
 状況は厳しいな、と認識しつつ、ウォレンは言われたとおり、素直に拳銃を地面に置いた。
「後ろに蹴れ」
 続いて聞こえてきたその指示に、
「サッカーは得意じゃないんだが」
 と返してみたが、後ろに蹴れ、と先ほどと一語も変わらぬ二度目が返ってきただけだった。
 アレックスならば同じ言葉で相手の神経を逆撫ですることが可能なのだが、どうも勝手が違うらしい。効果を得るにはへらへらとした口調と態度が必要か、と考えながら、踵を使って地面に置いた拳銃を蹴った。
 音的にそう遠くまでは滑っていかなかっただろうが、使えそうにない。
「両手を上げろ」
 追加される注文に心持ちだけ従い、適当な高さまで手を上げる。
 その動作によって左腕の中に残っている弾が神経を刺激し、存在を主張する痛みに思わず顔をしかめた。
 許可を下していない物質が体内にある事実に加え、己の失態が行き場のない苛立ちを募らせる。
 感情を抑えなければとは思うものの、普段のような制御がきかない。
 背後の男が近づいてくるのを感じると同時に、前方のSUVのドアが軋みながらも開いた。
 前屈みになりながらSUVからのっそりと出てきた男は、右手に拳銃を持ったまま顔だけを上げると、鋭くウォレンを睨んだ。
 怒りを顕わに勇んでくるかと予想したが、男は目を逸らすとウォレンに背を向けた。
 彼はあくまでもエリザベスの身柄を確保したいらしい。
 背後の男にしてもSUVの男にしても、ウォレンを知っているという態度ではない。理由が思いつかなかったため可能性は低いと考えていたが、どうやらエリザベス自身が彼らの標的であるようだ。
 何故彼女が、と怪訝に思うウォレンの先、衝突の際に痛めたと思われる右足を引きずりつつ、SUVの男はアレックスとエリザベスが走り去っていった路地へ向かった。
 彼の動きを警戒するウォレンの様子を察知してか、背後の男がわざと銃身を動かし音を生み出す。
 無言のけん制を受け、ウォレンは動きかけた足を踏みとどめた。
 不意に、背後の男が近寄る速度を速めた。
 それに気づき、構える寸前、膝の裏に重い衝撃を感じた。
 膝が強制的に曲がらざるを得ない状況に置かれ、安定した重心をとることができずに体全体のバランスが崩れる。
 それを助長するかのように後頭部を殴られ、ウォレンは前に倒れた。
 鈍痛と共にめまいが引き起こされたが、意識が飛ばされるほどの強度ではなかった。
 相手は加減というものを心得ているらしい。
 次いで銃創を負っている左腕を容赦なく背中で捻り上げられ、走る激痛が呻きとなって口から出てきた。
 悪びれる素振りも力を緩める様子もなく、男はウォレンの身体検査をし、衣類のポケットを探った。
 ナイフ、ライターといったものがアスファルトの上に無造作に放り出される。
 相手の手を振りほどこうとしてみたが、不利な体勢から無理に攻勢に転じようとしても徒労に終わることは目に見えていた。
 左頬にアスファルトの生ぬるさを感じつつ、焦るな、と己に言い聞かせる。
 ふと、捻り上げられている左腕にかかる力が弱まった。
 次いで右向きに回転させる力が働いたかと思うと、防御体勢をとる隙もなく男が上腹部を思いっきり蹴り上げてきた。
 見事に急所に入ってき、鈍い痛みが腹部一帯を覆い、内部へじわじわと浸透していく。
 蹴られた反動で仰向けになり、直前まで固定されていた左腕が体の下敷きとなる。
 人の痛みを最大限に引き出すことにかけて、男はプロであるらしい。
 咳き込み、体全体を代表して4文字語が口をつく。
 左腕を救出するために体重移動を行うが、腹部の鈍痛が邪魔をして緩慢な動きとなる。
 それとなく男の様子を窺えば、彼はウォレンから奪ったマネークリップを右手にしっかりと握りつつ、同時に取り上げた身分証を確認しているようだった。
 視線を逸らし、痺れが増幅してきた左腕を自由にすることに専念する。
 大型のゴミ箱の側面を借り、苦労しつつも上体をようやく起こして座ったところで、SUVの男がこちらに歩み寄ってきた。
 相変わらず、右足を庇うような歩き方をしている。
 彼の憮然とした様子を見る分に、アレックスはエリザベスを連れて無事に逃げおおせたようだ。
 内心安心し、ウォレンは依然として込み上げる咳に紛らせ、ほっと一息ついた。
 手元のウォレンの身分証に目を落としていた男が顔をあげ、やってきたジミーを見た。
 男の口は一文字に閉ざされているが、ジミーは彼の無言の責めを感じ取ったのだろう。
「……何か言いたげだな、ステュ」
 標的を逃してしまったことが悔しいのだろうが、それ以外にも不満がある声音でジミーは言った。
「言いたいことは確かにある」
「なんでお前がここにいる」
 問われ、ステュと呼ばれた男はウォレンに牽制の視線を送った後、
「……あんたの無駄に練られた計画には端っから反対だったんだ」
 と、ため息混じりに低い声で返答した。
 暫時、両者が睨み合う。
 先に視線を外したのはステュの方だったが、何か言いたげに取り残されたジミーからは屈辱的な感情が外に洩れ出ていた。
 2人のやり取りを見、ウォレンは人員を束ねているのはSUVの男だが力関係ではステュと呼ばれている男のほうが上か、と頭の中に覚書をした。
 その彼の視線に気づいたか、それとも気まずさを逸らすためか、ジミーがウォレンを一瞥した。
「……で、コイツは?」
 苛立ちを押さえた声でジミーがステュに尋ねた。
 返答する代わりに、視線をウォレンに固定したままでステュは手に持っていた身分証をジミーに渡す。
 受け取り、目を細めてジミーはざっと目を通した。
「……メイス・レヴィンソン――」
 一言呟いた後、ジミーは身分証からウォレンへと視線を落とす。
「――聞き間違いかな、あの女は違う名前でお前を呼んでいた気がするが」
 記憶力はいいらしい、と思いつつ、無返答のままウォレンはジミーから目を逸らした。
 標的には逃げられ、仲間には責められ、押さえていた苛立ちがウォレンのその態度で爆発したのだろう。足早に前に出、ウォレンの胸倉を掴むと強い力で引き上げて強制的に立たせ、彼の左のこめかみに銃口を突きつけた。
 後方から、ジミー、と窘める声音での呼びかけがあったが、ジミーの耳はその声を遮断した。
「まぁ、お前の名前はどうでもいい。女はどこへ逃げた?」
 噴き上げる苛立ちの中に、焦りが見え隠れする。ジミーの声は震えていた。
「さぁて」
 とぼけた返事を返せば、一呼吸の間を置き、こめかみにかかっていた重たい力が緩んだ。
 刹那、ジミーの右手が大きく外へ傾ぎ、拳銃の台尻がウォレンの左側頭部に振り下ろされた。
 待ったをかけるステュの声が、衝撃によって鈍らされた感覚の中聞こえてくる。
 やがて左側頭部からの痛みと左腕からの痛みが首筋のところで合流し、一帯に広がった。
「……なめるなよ」
 口をあまり開かず、押し殺した声で一言、ウォレンの耳元へ落とすと、ジミーは右手に拳銃を保持したまま、左手と共にウォレンの胸倉を掴み、弾みをつけて彼を背後の大型のゴミ箱へ叩きつけた。
 ゴミ箱の側面の凹凸のある形状を背中に受け、ウォレンが短く声を切る。
「女はどこへ行った?」
 突発的な行動をとったものの、ジミーは苛立ちを収めようと努力しているようだ。息遣いは荒く、声も唇も震えてはいるが、口の開き具合は小さく、大声を出すには至っていない。
 感情的ではあるが、一応それなりの理性は働くらしい。
 もっとも、それを保持する能力には乏しいようだが。
 ウォレンは咳き込みつつもやんわりと彼の問いを受け流すと、返答の代わりに眉を動かし、口の右端を軽く上げて見せた。
 ジミーの口がゆっくりと閉じ、目の開き具合が微少ながらも増加した。
 彼の肩が、呼吸のリズムで増減する。
 息をする音が、激しくなる。
 唾を飲み込んだらしく、彼の喉が動いた。
「ジミー」
 彼の纏う空気の変化を感じ取り、ステュは名前を呼んだ。
 邪魔をするものがあったのか、声がジミーの耳に入るには数呼吸の時間を要したらしい。
「……ああ」
 ようやくかすれて出てきたジミーの声は、彼の喉が渇いていることを示していた。
 彼の瞼がゆっくりと閉じられる。小刻みにそれが動く中、ジミーは手の力を緩めることはなかった。
 返事はしたものの動かないジミーを見、ステュがひとつ息をつく。
「ここで尋問するな、無関心な人間が多いとはいえ、いずれ警察がくる」
 返答も反応もない。
「ジミー」
 彼をウォレンから退けようと、ステュが一歩踏み出す。
「分かってる」
 目を開け、落ち着いた調子で一言、ジミーは返した。
 そのトーンに安心したか、ステュが足を止める。
「……そいつのことは俺に任せて、アロンソを起こしてきてくれ。向こうで伸びているはずだ」
 背後からのステュの言葉が聞こえた後、数瞬の間を置いて、
「ああ」
 とジミーは素直に答えた。
 目は静かにウォレンを睨んだままだ。
 左手を残し、拳銃を持った右手をウォレンの胸倉から離した。
 残された左手に込められる力は変化せず、小刻みな振動が増大した。
 転瞬、ジミーは再び左手でウォレンをゴミ箱に押し付けると、右手に所持していた拳銃の銃口を彼の左腕に存在する銃創に押し付けた。
 太く鋭い痛みが走り、意志とは関係なく叫びがウォレンの口をつく。
「どこだ!」
 左腕から駆け上がってきた痛みが、ジミーの声を遠のかせるほどにウォレンの左耳を侵食する。
 視覚までもが麻痺するのか、細まる視界に粗いノイズが混入した。
「ジミー! 止せ!」
「女をどこへやった! 言え!」
 彼らの大声が痛覚をよりいっそう煩わしいものに仕立て上げる。
 ウォレンは歯を食いしばり、聞き苦しい痛みを訴える声を喉元で押さえ込む。
 忌まわしくも刺激を受けて呼び起こされたのか、首筋の神経までもが嫌な痛みを定常的に訴え出てきた。
「落ち着け!」
 止めに入ったが、ステュは強い力で振り払われ、バランスを崩して尻餅をついた。
 背丈こそないものの、体格のいいステュを払いのけるほどだ。冷静に対処できないほどに、ジミーは苛立っているらしい。
 制止してくる邪魔がなくなり、ジミーはウォレンに押し付ける銃口に更に力を加えた。阻止しようとする彼の右手を左手で掴み、捻る。
 が、足りない、と判断したか、血の滴る銃口を一旦退け、後方へ投げた。
 彼のその動作に、激痛の大元はウォレンの左腕に重く存在感を残しつつも去った。
 が、それも一瞬のことだった。
「女はどこだ!」
 ジミーが大声で問いながら右手でウォレンの左腕を掴み、親指を銃創の中に差し込んできた。
 直後に走った神経を縦に裂く痛みは、まずウォレンの呼吸を阻害した。
 短く吸い込まれた息の全ては堪えきれずに絞り出された叫びに使用され、喉の内部をランダムに引っかく。
 連続的に発せられる左腕からの悲痛な訴えは神経を伝って全身に伝播し、運動機能を麻痺させる。
 それが意識を司る脳の部位に達した瞬間、ウォレンの声が途切れた。
「言え!」
 尚も力を込めるジミーを後ろから羽交い絞めにし、ステュは彼を無理矢理にウォレンから引き剥がした。
 支えを失い、ウォレンが地面に崩れ落ちる。
「まだ殺すな!」
「邪魔するな! 放せ!」
 既に意識を失った足下のウォレンをねめつけたまま、ジミーは必死に抵抗した。
 こういった状況の場合、ジミーに対して怒鳴り返すことは逆効果である。ステュは努めて穏やかな口調で易しい単語を綴り、彼の怒りを徐々に静めていった。
 放せ、とわめき散らすジミーを宥める最中、手に負えない子供を相手にしているような錯覚に陥り、彼に気づかれないようにステュはため息をついた。
 ふと視線を上空に向ければ、何事かと興味を持って窓から覗いていた近くの住人が、目が合った瞬間、関わり合いを避けるためにそそくさと身を部屋の中に隠した。
 警察沙汰は御免こうむりたい、という連中のことだ。すぐにサイレンが響くということはなさそうだが、長居できる状況でもない。
 やがてジミーからの抵抗力が小さくなる。
 もう大丈夫だ、と確信が持てる頃になると、ステュは力を抜き、ジミーを放してやった。
 自由になり、ウォレンを見下ろしつつもジミーはその場に留まって乱れた服を直した。
 彼としてはすぐにでも近寄って蹴り上げてやりたいところだった。だが、徐々に理性が戻ってきたジミーは、ここは感情を抑えなければならないと理解したらしい。
 手の感覚が妙に感じ、視線を右手に落とせば、滴が出来るほどに血に塗れていた。
 上下する手の動きに、ジミーは己の呼吸が荒くなっていることを知る。
「……ジミー、焦るのは分かるがまず冷静になれ。急ぐ必要は――」
「ある。キースからの注文だ」
「メルヴィンはまだ元気じゃないか。時間は――」
「金が欲しくないのか? どうなんだ? 欲しいからこの話に乗ったんだろ。なら文句言うな」
 調子を取り戻したジミーに対し、ステュはひとつ大きく息をついて肯定した。
 馬鹿げた話だとは思うが、大金が入るのならば内容は関係ない。注文にしたがって行動を起こすのみだ。
 もっとも、やり方は他にもあっただろうが……。
「……とりあえず場所は移すぞ」
 ステュの提案に頷き、ジミーは口を開く。
「こいつに吐いてもらうしかないな。人気のないところは知っているか?」
「アロンソなら恐らく」
 そうか、とジミーが頷き、続ける。
「お前の車はどこだ?」
「自分のがあるだろ」
 ステュの言葉に、ジミーは首で後ろを示す。
 視線を移せば、ガラクタに突入した彼の車が視界に入った。
「タイヤを撃ち抜かれた」
 舌打ちをするジミーに、なるほど、とステュが納得する。
 タイヤを交換している暇はない。置いていくしかないだろう。
「……ナンバープレートは外したほうがいいな」
 呟き、ステュはジミーに視線を戻した。
「車をとってくる。待ってろ」
「ああ」
 了解の一言にステュは足を動かし始めたが、
「ステュ」
 と呼ばれ、何だ、と振り返る。
「アロンソも来ているんだろ。奴はどこだ?」
 ウォレンを見下ろしていた顔を上げ、ジミーが疑問の視線をステュに投げる。
 彼の状態についてはステュが先ほど伝えたのだが、やはりジミーの耳には入っていなかったらしい。
 ついでに拾ってくる、とだけ残し、ステュは再び足を動かし始めた。
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